物乞い

 本当は、こういうことを書いちゃいけないかもしれないんだけど。

 ビエンチャンから1時間ほど郊外にある公園を見に行こうとしてたとき。バス停でバスを待っていたら杖をついたおじいさんが歩いてきて1歩進むごとに洗面器みたいなものを差し出して物乞いをしていた。おじいさんは片足の膝から下がないみたいで自分でつくったような義足をつけていた。私は何もあげなかった。

 それからまたしばらくして向こうから黒い顔をしたおじいさんが杖を動かしながらやってきた。こんどのおじいさんは杖を「つく」って感じじゃなくて杖を前のほうで振るようにして障害物を確認してる様子だったので、目が見えないんだな、と思った。ゆっくり近づいてきたおじいさんの顔を見て驚いた。鼻梁は鼻ほどの高さに大きく盛り上がっていて、両目の周りもなぐられたように、鼻梁と同じくらいの高さに盛り上がっていた。片目はその出っ張りの下のほうについていて引きつったように下をむいていて、もう片方の目は出っ張りの真ん中にあるんだけど黒目だけは上に上がっていてどこか遠くを見ていた。エレファントマン、っていう昔あった映画の、タイトルが浮かんだ。

 周りの人は、彼を見て笑っていた。笑いながら、彼の持っている洗面器にお金を入れていくひともあった。奇異な「見せ物」を見て、その見せ物に対してお金を払っていくような感じだ。

 それからバスで公園についてちょっと観光して出てきたら、公園の入り口には女の人が座っているんだけど、これがまたすごかった。両目があっちこっち向いて飛び出していて、顔の中央が陥没していて、下の歯がバラバラに外むいて口から出ていた。鬼瓦のような顔。実在の人間の顔が鬼瓦そっくりになることがあるとは思っていなかったから、ショックだった。このひとは目も見えて、顔さえ普通なら働けるのかもしれないけど、やっぱり洗面器を差し出していた。

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 ミャンマーのインレー湖っていうところにいたとき、アトゥンっていう、宿のマネージャーをしている17歳の男の子と知り合いになって、ある日近くの街まで一緒に映画を見にいった。そのときも道ばたに足がないひととか手がないひとがいて物乞いをしていた。私がたまたま細かいお金を持っていたので立ち止まりポケットに手を入れようとしたら、アトゥンが私を制してこう言った。 「僕にもし足がなかったら僕は手を使って働く。手がなかったら口をつかって働く」

 自分に手足がなかったら、私は働くかどうかわからない。もしそれで生きていけるものなら、日がな一日道ばたで歩いてくひとに拝み倒してお金をもらって生きるかもしれない。物乞いにお金をあげたくなってしまうのは、私も万一のときに自分が物乞いをしないとは限らないからだろうか。どんな状況でも自分で働いて生きるときっぱり言い切れるアトゥンはエライと、そのとき私は思った。

 でもいかにアトゥンでも、目も見えず耳も聞こえなかったら?誰も受け入れてくれないくらいみにくかったら?それでも「自分で」働いて生きるためには、矛盾してるようだけど、大勢のひとの協力が必要だ。

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 東南アジアで初めて物乞いを見たのは、最初にタイを訪れたときだった。華やかなバンコクの繁華街で夜店を冷やかしながら歩いていたら足元にひとが倒れていた。足の先が両方なくて、地面をはいずり、小銭の入った小さな皿を押しながら進んでいた。しょっちゅう歩くひとに蹴られるらしく、手足はアザだらけ、脚には何ヶ所も、ぱっくりひらいた傷があった。

 それからも何度となく東南アジアを訪れて、私はもう何十人っていう物乞いを見た。 ここらへんの国の物乞いにいちいち心をいためていたらきりがない。旅先で会った日本人旅行者は「慣れていくしかないよ」って言った。そうなのかもしれない。確かに最初のときの、悲鳴をあげそうなショックを私はもう受けなくなった。

 「問題意識を持つことが大事なんだよ。」
昔知り合いだった運動家の声が耳の後ろでかすかに聞こえる。でも私は通りすがりの旅行者だから何もする気はないんだ。ここには物乞いで生きていける土壌があるから、彼らは物乞いをしてるだけのことで、もしそういう土壌がなければやっぱり生きる糧を自分で見いだしているはずだと思う。彼らの選んだ生き方が私のやりたくないことだったからって気に病むことはない。私が気に病むことはないんだ。

 大学のときの研究発表のなかで誰かが、「人間は、ヒューマニズムを刺激されるとそれだけで何かしたような気になってしまう」って言っていたのを思い出した。私はエレファントマンのおじいさんや鬼瓦の女のひとに何もしていないし何もする予定がない。ヒューマニズムを刺激されて、問題意識をもって世界を見たような気になってそれで満足しただけなんだなぁと思ったらなんだかとても無責任な感じでちょっとやりきれない気分になった。


※ タイトルの写真は、タイのノンカイにある寺院
ワットケークの前の茶店で撮ったもの。半身不随の犬が
歩行器に吊され、動き回れるようになっていた。