天の岩戸
 
 朝6時半、旅行会社オフィスの前に集まると、そこには眠そうに赤い目をこすっている久保田利伸似の(トルコ人の)男の子がいた。
「早起きしたの?」
って聞いたら、
「ちがうんだ、僕夕べ寝ないで君たちのツアー用のサンドイッチの準備をしてたんだよ」って彼は言った。楽しんで来てよ、と彼は手を振ってバスを見送った。午前7時、バスは岩窟住居で有名なカッパドキアの、ギョレメにある旅行会社の前を出発した。


カッパドキアのキノコ岩

* * *

 日蝕があることを知ったのは5月頃。私のホームページを見て、ちょうど私が予定している頃にトルコで日蝕があるんですよ、ってメールをくれたひとがいたからだった。最初私は「日蝕なら小学生のとき、庭でカラー下敷き重ねて見たことがあるからいいや」と思っていた。でもトルコで今年見られる日蝕は、お日サマがちょっと欠けるぐらいの日蝕じゃなくって、月の陰に完璧に隠れる皆既日食らしかった。

 皆既日蝕っていうのは100年に70回近くも起こるんだけど、その大半は海上でしか観測できなかったり、天候が悪くて太陽自体が見えなかったりで、いい天候のもと確実に観測するのはほんとに難しいそうだ。天文ファンに言わせると、今回のトルコっていうのはかなり恵まれた条件がそろってるみたいだった。私は天文には疎いので知らなかったんだけれど、ツアー会社では世界のどこかで日蝕があるたびに観測と観光を絡めたツアーをいくつも売り出していて、現に私に日蝕のことを教えてくれたひとも、そういうツアーのひとつに申し込んでいるってことだった。そういうことを聞くうちに、いつの間にか私は「行かなくちゃ」って気になっていた。

 トルコのなかでも、皆既日食が見れる地域は限られてるということだった。皆既日食が見られる「皆既帯」は今回ヨーロッパからトルコを通ってイラン方面へ抜けていて、トルコでは北西部から中央をぶったぎって南東部へ伸びていた。最初わたしは自力で前夜のうちに、皆既帯にはいるシバスという町にたどりつき、現地でホテルを探すつもりだった。だけど前日、出発直前に、私のもと上司(『旅のきっかけ』で焼き鳥の串のむこうで眉をハの時にしていた上司)の親戚で、アンカラに住んでいる伊藤さんから「シバスでは半年も前からホテルが予約でいっぱいで、当日行ってもまず部屋はとれないでしょう」ってメールをもらい、急遽カッパドキアからのツアーに申し込むことにしたのだった。

 そんなわけで私がその日帰りツアーに申し込んだのは、日蝕前日の午後のことだった。$50で現地での往復のバス代に、昼食とガイド料、そして現地の観光込みというツアーだった。カッパドキアは特に皆既帯の街に数時間で移動できる場所だったから、このあたりの旅行会社は軒並み日帰りツアーを組んでて、インターネットカフェに入ってもバイクを借りても、必ずっていうほどツアーに参加しないかと声がかかった。私はかなりひとのいいオーナー兄弟のやってるホテルに泊まっていて、彼らが「友達のやってる旅行会社でも日蝕ツアーをやってるから連絡して予約とってあげる」というんでそこに参加することにした。

* * *

 バスに乗っているのは13人だった。3人のツアー会社の世話人に、運転手に、乗客が10人。バスが走りだしてみると、なんか知らないけどホテルのオーナー兄弟の弟のほうのアリが、世話人としてアルバイトに来てた。

 バスはちょうど昼頃にシバスについた。そして街のはずれにあるCumhuriyet大学の敷地を抜け、くねくねした登り坂をしばらく行くとシバスの町が見渡せる小高い丘の上に出た。そこにはもう20台くらいの車が停まってて、いくつかのピクニックチェアとかパラソルやじゅうたんが並んでいた。かなりのひとたちが日帰りツアーで来ている客らしかった。
結構立派そうなバス

 バスを降り、ピクニックチェアを並べると、ツアー会社の世話人の、オリーブ色のTシャツを着たお兄ちゃんからサンドイッチが配られた。小ぶりのフランスパンにほぐしたチキンかツナをはさんだだけの簡単なものだ。これが今朝の彼の作ったサンドイッチか。それはとうてい一晩はかかりそうもない、いかにも不慣れなひとが作ったらしい、荒削りなものだったけれど素朴な味わいでおいしかった。


何となく不真面目そうに
見える日蝕グラス
 昼食が終わったらいいかげんな日蝕観察用グラスが配られた。クリスマスに再利用できそうな赤く塗られたボール紙の枠に、銀色のぺらぺらのビニールが貼られていて、これで太陽を覗くと太陽の形はぼんやりとゆがんで見えた。オリーブ色のTシャツの彼が「今夜はパーティだ!みんなこのメガネかけて集まれ!」ってふざけた。私は日本から来て落ち合った友達が持ってきてくれた、日本製の観測グラスを使うことにした。

 パーティめがねを配り終えてひと段落つくと、ツアー会社のふたりはピクニックシート風に敷いたトルコじゅうたんの上に腰をおろしてバックギャモンを始めた。天体望遠鏡やカメラなんかをセットしはじめる人々の間を、テレビカメラを構えたひとたちが歩き回り、バックギャモンやってるふたりの写真を撮ってる私をVTRにおさめていった。


ちゃんとした観測グラス

 バスの陰でアリが暇そうにしていたから隣のイスに座って話しかけた。
「ホテルの仕事しないでこっち来ちゃっていいの?」
そしたら、
「今日はお客もみんな出払っちゃっていないしね」
って彼は答えた。
「でもお兄さんたちもいるじゃない?どうしてアリだけがこっちに来たの?日蝕見たかったから?」
私が訊ねると、
「いや、たまたま手があいてるのが僕だけだったんだ。日蝕なんてテレビでも見られるからそれほど見たいとは思わなかったけどね。」
って彼は答えた。『兄貴たちも日蝕を見たがったけどどうしても宿をあけられないから僕だけが来たんだ』みたいな答えを想像していた私は拍子抜けして、
「あらそうなの」
って言うと、
「トルコではみんなそれほど日蝕なんて興味ないんだ。トルコは経済とか政治とかでみんないろいろ問題を抱えてて、犯罪とかも多いし、事故とかもあるし、それどこじゃないんだよ。わざわざ来て日蝕なんて見たがるのはヨーロッパからのツーリストぐらいさ」
って、彼は浮かなそうに答えた。インドから来た私には、トルコって進んでいて豊かで便利で清潔で、なんちゅうすばらしい国なんだって印象しかなかったけれど、彼らにも事情があって、私なんかがぽっと飛び込んで感じた印象だけじゃ測れないんだなぁとちょっと反省した。

 そういえばこのツアーだって、30人くらい乗れそうなバスなのに客はたった10人。ひとり$50ずつで売り上げはたった$500。それに対し人件費は少なくとも運転手と、アリを含めた世話人の3人に、夕べ寝ないでサンドイッチをつくった彼のぶんで5人ぶん。ほかにピクニックチェアとかバスのレンタル料とか、こまごましたもんではサンドイッチの材料費なんかもあるだろう。これで儲けがでるんだろうかっていうのは私もちょっと心配だった。そっか、そんなこともあって彼は浮かない顔なのかもしれない。

 それからふと思い立って、ほかのグループを覗いてみることにした。広場にはヨーロッパ人の観光客や親子連れのトルコ人などのほかに、日本人も結構いた。広場の一角に席を構えている、50歳台前半にみえる日本人の婦人とその弟さんはすごくって、早くからビデオを設置して構えていて、Tシャツや帽子には前回のベネズエラの日蝕ツアーのロゴが入っていた。婦人は城さんといった。
「何度も日蝕を見にいらしてるんですか?」
って訊ねると、城さんはなんと「これで6回目です」って答えた。今回の日蝕の開始時間とか終了時間とか、皆既日食になる正確な時間なんかを教わりながら、
「城さんは日蝕に魅せられた、って感じですか?」
って聞くと、
「そうですね」
って言い、それから、
「日蝕を口実にすれば出てこれるっていうのもありますけど。もう日蝕があるって言えば行くもんだって主人も思ってますから」
って言うとコロコロコロっと笑った。城さんは前回のベネズエラの前のモンゴルは行ってないけれど、その前のチリのときは行ったと言っていた。そこまで追い求めたくなる日蝕ってどんなもんだろ、と思うと胸が高鳴った。


日蝕を待ち受けるひとびと
 丘の上の広場は野球場一枚ぶんぐらいの大きさだったんじゃないかと思う。私たちがついてしばらくすると車はさらに増え、レモネード売りとか、桃売りなんかもやってきていた。でも日蝕前の準備でみんな浮き足だっていて、ほとんど桃もレモネードも売れていなかった。

 広場の一カ所にはテントを設営してる集団がいて、そこのひとたちっていうのが奇妙なことにどいつもこいつも黒服の背広でサングラスをかけていた。傍らにはリンカーン。テントの中にいるのは、私の推理するところではシチリアのマフィアのボスだ。たぶん彼は用心棒を大勢従えてしばしば天文観測に出かけているにちがいない。手下は「ボスの天文好きにも困ったもんだぜ」とか考えているはずだ。しかし口に出すと消されてしまうかもしれないので誰も口には出さない。リンカーンの脇には救急車まで待機していた。狙撃されるのが心配なら日蝕なんか来ないほうがいいぞ、と思った。


 1時6分。いよいよ日蝕がはじまる時間だ。疑ってたわけではないけど、ほんとにその時刻から間もなく太陽ははっきりと欠け始めた。日蝕がはじまってから、太陽が完全に隠れるまでに1時間25分。1時間半も、と思っていたけれどそれはあっという間だった。デジカメのレンズの前に観測グラスをあてて写真を撮っていたら、少し風が出てきた。じりじりと灼けつくように熱かった日差しは少しずつ弱まって行き、体感気温がはっきりわかるぐらい下がってきた。ふと気づくと影も伸びていないのに、あたりが夕方のように薄暗くなってきていた。雲ひとつない空なのに、この雨の前触れのように不気味な暗さ。観測グラスを覗くと太陽はもう三日月のようにやせ細っていた。


 そして1時31分。太陽は観測グラスの中からまったく姿を消した。背後で口笛が鳴った。「オォッ、ビューティフル」っていうため息混じりの声が聞こえて、私もあわてて日蝕グラスを顔からとった。地平線にそって空が夕焼けになっていて、天空に白い輪が浮かんでいた。月が完全に太陽を隠しているのだった。太陽の炎が月の周りでゆらめき、あたりはこの世の終わりみたいに暗かった。真っ暗闇ではないけど、あきらかにこれは夜が訪れるときの暗さだ。トリハダがたった。ぞっとする感じ。天変地異っていうか・・・見ちゃいけないものを見てるみたい。「神の怒りに触れた」って表現が、この現象にはぴったりくるように思えた。


2分の間、あたりは暗闇に包まれた

 やがてチカっと枠の一部が光った。みるみるうちに光があふれ出し、拍手がわき起こった。ふたたび太陽は姿を見せた。その間たった2分のだったけれど、私たちは太陽を失い、そしてふたたび取り戻したのだった。観測グラスでのぞけばまだ三日月にしか見えない太陽なのに、景色はほとんどもとの明るさを取り戻していた。凍り付いた血液が、陽の光の温度にあたためられてまた流れ出した。わかった。皆既日食は部分日蝕とは全然違うんだ。それはまさに夜と昼ほどに。城さんが魅せられるわけがわかるような気がした。
太陽は完全に月に隠れた

 あたりが完全に昼を取り戻して間もなく、私たちはバスに乗りこんだ。走り出すとオリーブのTシャツの彼が「シバスは人口これこれ、標高これこれという街で・・・」と、街の入り口の看板に書いてあるのと同じことを説明した。ツアーを申し込んだときの話では、日蝕のあとシバスの重要な観光ポイントのいくつかをまわるってことだったから、これから世界遺産のディヴリー・ウル・ジャミーというイスラム寺院を見に行くんじゃないかと思っていた。でもバスは市街におりると町の中央のターミナルを一周しただけで、またもと来た道をすごい勢いで走り始めた。ちょっと詐欺だ、と思わなくもなかった。でもまだ日蝕の余韻にひたっていたかったから、もう世界遺産もどうでもよくなっていた。時刻は4時をまわっていた。日本との時差は6時間。今頃ニュースステーションで日蝕のニュースやってるかな、とふと思った。もしかしてさっき撮影されたVTRが放映されちゃったりしてたらスターだね。帽子がないからかわりにみすぼらしいタオル頭にのせたりしてたし・・・。緊張が解けて、居眠りしている間にバスはまたカッパドキアへと戻ってきた。

 ユルギュップのにぎやかな街を通り過ぎ、ギョレメに近づくとバスは屋外博物館の上の峠にさしかかった。ちょうど日がおちる直前だった。バスを丘の上の道ばたに停まらせて、アリが「さ、サンセットの時間だ」ってみんなをバスから降ろした。カッパドキアの夕日は、オーソドックスなオレンジ色なんだけど、空の色は、どういう具合なんだか、今まで見たこともないようなピンク色だった。

オリーブ色のTシャツの彼が、
「今日は太陽はみんなに見つめられて疲れたから明日はお休みするってさ」
って言い、それから、
「2006年の冬に、こんどはカッパドキアでも日蝕が観測できるんだよ。」 って付けたした。ずいぶん気の長い話だなあと思いながら、
「じゃあ私も次回のホテルの予約して行ったほうがいいね」
って言うと彼は笑いながらまんざら冗談でもなさそうに、
「予約するならうちの会社でね」
って名刺をくれた。

 太陽は燃え尽きて、線香花火の先の玉が落ちるときそっくりに色を変え、「ジュッ」って音をたてて遠い地平のむこうに落ちた。夕映えに細い雲が輝いて、さっきまで太陽がそこにいたことを示していた。太陽があるって素晴らしい。明日もあさっても太陽がお休みしないでくれることを願いながら、私たちは丘をあとにした。本当の夜が訪れようとしていた。


ピンク色に染まるカッパドキアの夕暮れ

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