赤鼻のシンデレラ
   できごと日記のなかでも何度か書いてきたけど、私はときどき、めちゃくちゃ精神状態悪いのに意地でもホームページをアップデートしようとしてることがある。そういうときは決まって、読んでくださってる方たちから「そんなに無理しないでいいからね」ってメールをもらうんで、私はすごく励まされてるんだけど、もしかして、その方たちからみると、私がどうしてそんなにむきになってホームページをアップデートすることにこだわってるかってちょっと不思議に思うときがあるんじゃないだろうか。

 Yahooとかの検索エンジンから飛んできてる方たちは知らないかもしれないけど、それは、私のホームページがジューシィ・キューティというサイトに登録されてることと関係がある。ジューシィ・キューティっていうのは、プロバイダのジャストネットが、女性向けのコンテンツとしてつくっているサイトの名前だ。ジューシィキューティからたどってきてくださった方は、一介のユーザーの私のホームページが、リンクとかじゃなく、コンテンツの一部として登録されてることに疑問を感じたこともあるんじゃないかと思う。今日は、私のホームページがそこに登録されるようになったそのいきさつを、ちょっとお話しようと思う。

* * *

 まず話は私とインターネットとの出会いにさかのぼる。あれはたしか一昨年だったか、私が当時勤めていた会社で、社内の昇格試験にあたる論文を提出しなくちゃいけないとき、そのテーマに当てずっぽうに「インターネット上の有害情報について」だかなんだかという話題を選んでしまったあたりのことだった。

 それまでパソコン通信でメールをやりとりするぐらいのことはあったけど、自宅のマックもホコリかぶしたまま週に1度立ち上げるかどうかっていうぐらい研究不熱心な私。そんなテーマ選んではみたもののインターネットなんてどういうものか知りもしなかった。そんな私を見かねてか、テーマを選んだ直後のある昼下がり、直属の課長が私を呼んで、「コレに参加しとくとなんか役に立つんじゃない?」と、会社のホームページを制作するワークグループへの申込書を差し出した。

 論文の先行き見通し暗かった私は、すぐさまそのワークグループに参加を決めた。初心者の私にも役割分担が決められ、間もなく制作作業がはじまった。論文の役に立つかどうかはともかく、このワークグループに参加してる間に私は、まがりなりにもHTMLの書き方とかイメージの扱い方なんかを覚えていった。幸い当時、私はある大手メーカーのスキャナを動かすソフトをつくってて、手元にスキャナのテスト機がゴロゴロあったんで、そのうち写真とかをスキャンして、自分のホームページに旅行記を載せるようになっていた。ちょうどアジア旅行にはまりはじめた頃(「旅のきっかけ」参照)だった。

 ワークグループへの参加で特に魅力的だったのは、自分のマシンからwebの閲覧ができるようになるってとこだった。論文をなんとか通過したあともこの特典ほしさに私はワークグループのメンバーを続けた。そして仕事のあいまに気分転換と称してはひと目を盗んでインターネットの大海に泳いでいった。もちろん落ちこぼれプログラマの気分転換は長時間に及ぶのが常なので、多分私の後ろにいた部長とかからは「ひと目もはばからずコヤツは」と思われていたことだろう。私の「お気に入り」のブックマークは日に日に膨らんでいき、その多くは旅に関連するものだった。旅行に役にたつ情報を仕入れるため、Yahooで検索して旅に関するページはすみからすみまで訪問した。

 私のお気に入りは主に海外の旅行会社や航空会社のページだったけど、中には頻繁に訪れる国内の個人のページもあった。特にYahooの検索エンジンで「リアルタイム旅行記」というグループに分類されている「リアルタイム世界旅行記」というページはお気に入りだった。このホームページの書き手っていうのは石橋憲人さんという男性なんだけど、学生時代からよく旅行しているひとで、ついにあるとき思い立って2年間の世界一周に旅だってしまったらしかった。携帯マシンには東芝のリブレットを持ち、デジカメで写真を撮り、毎日起きたできごとをことこまかに日記にしたためながら、彼は世界じゅうの秘境とよばれるようなところまでたんねんにたんねんに旅してまわっていたのだった。

 旅はひとからひとへと自分を転写していくウィルスだ。感染したひとは気づかないままにいつしかそのロマンに発熱し、自ら旅の大海原へと身を投じていく。ちょうどこの時期私の手元には、旅をしたひとたちの記録がなぜだか次から次へと舞い込んできていた。「深夜特急」の沢木耕太郎さんが「何でも見てやろう」って本から感染したように、そしてたくさんの若者が彼の「深夜特急」から感染し、感染者のひとりであるプロデューサーが「猿岩石」を生みだし、さらに多くの若者へと感染させていったように、私もまたリアルタイム世界旅行記に感染し、自ら旅びとへと変質していった。

 やがて感染の初期症状があらわれはじめた。電波少年も猿岩石やドロンズまでは見ていなかったのに、パンヤオだけはいつの間にか熱狂して見るようになってた。ちょうど仕事で行き詰まっていたこともあって私はどんどん旅にのめりこんでいって、そして夏の2週間の旅をぶじ終えてきたあと、末期症状が現れた。タイへのその初めてのひとり旅の、写真と旅行の記録を自分のホームページにアップしたあと、私も石橋憲人さんみたくパソコンもって長い旅をする可能性を問い始めていたのだった。

 ただ、旅のきっかけでもお話ししたとおり私は自分のいた会社がとっても好きだったから、出発についてはずいぶん迷っていた。それに、実を言うと準備できた予算はちょっと中途半端で、モバイルマシン一式をそろえるには不十分だった。海外からアクセスする「ローミングサービス」には、どこのプロバイダを使っても1分数十円なりなんなりのお金がかかる。モバイルマシンやデジカメなど一式揃えたうえアクセス料を払ったら、旅行自体にかけられる予算はとてもじゃないけど十分とは言えない。

 そんなときふと思い出したのが、石橋憲人さんのホームページに書いてあったひとことだった。石橋さんのページは、毎日1枚の写真を載せてるもんで、そのうち写真を置いておくエリアがなくなったんだろうか、多分途中で前の方の写真を消そうかとかいう話になったんだと思う。で、あるとき彼のページに「(あるプロバイダの付属の旅行サイトから申し出があって、)写真用のエリアが提供されたから写真が消える心配はなくなった」というようなことが書いてあった、と記憶している。その後も彼のページにはそのプロバイダのロゴがずっと貼ってある状態だった。当時私は仕事についていけないストレスとか、会社への未練とか旅行症への感染とかでかなり思考回路が暴走してる状態だったので、ある日そのロゴを見てて、予算の不足とエリアの提供というアイデアがいきなりアタマの中でドッキングした。

 スポンサー・・・。
 私のホームページに広告を載せるからスポンサーになってもらえませんか?アクセス料補助してくれるだけでも、ホームページのエリアくれるだけでも、メールアカウントくれるだけでもいいです。
 ・・・突然キーボードの上で手が踊ってそんな内容のメールが目の前に現れた。まともな状態だったら、恥ずかしくておいそれと他人様に出せるメールじゃない。でも当時ぶっ飛んでた私は、どんな恥ずかしいことをクチに出すのも平気だった。

 そうだ、どのぐらいぶっ飛んでいたかを示すのにちょうどいい例がある。私はたしか、このときジャストネットを含む3社くらいのプロバイダのwebmaster宛にメールを書いたんだけど、そのうちの2社に「ジャストネット御中」ってメールを書いてしまったのだ。2社に出したんだからもちろん片方はジャストネットじゃない。日本でもかなり老舗の大手プロバイダのwebmaster様にむかって「ジャストネット御中」だって!出したあとに気がついて書き直し、「すいません、いまのメールはなかったことに」とか書いたけど、その時点でその1社のことはあきらめ、他からの返事を待つことにした。

 でもまあ待つといったって、実ははじめからあきらめているようなものだった。だって、突然どこの馬の骨とも知れない一介の落ちこぼれプログラマが「旅行に出るけどお金足りないの。ホームページのエリアちょうだい」と言ってきたからってそうそう大手プロバイダがとりあってくれるわけはないじゃない。だから本気で待ってるわけじゃなかった。
 ところが来たのだ返事が。わずか4日ばかしで。話を聞こうじゃありませんか、って。

 ご存じかと思うけれど、ジャストネットって、一太郎とかATOKで有名なジャストシステムを母体とするプロバイダだ。青山にあるジャストシステムの東京支社の扉をたたくと、そこには私と同じ年頃の女性T木さんK林さんと、そのひとたちの上司らしい男性U田さんが待ち受けていた。彼らは私を迎え入れるとさっそく言った。

 「実はこれから20〜30代の女性むけのコンテンツを作ろうと計画しているんですが、井出さんのおっしゃる旅行というのがちょうどこの年齢層のひとたちにアピールするんじゃないかと考えていまして、よろしければ具体的にどういう旅行をされて、どういうホームページを作ろうと考えていらっしゃるか詳しいお話をお聞きしたいんですが」

 私は赤鼻のトナカイだ。毎日ハナをビカビカさせてボヘーとしていたら、ある日突然サンタがやってきてオマエのハナがぼくらのコンテンツに役に立つのさと私に言った。私はほとんどうわの空で、自分の旅の計画や、つくろうとしているホームページのスタイルを説明した。幸い以前から作っていたホームページをもとにしてつくる予定だったので、私はそれを見てもらった。突然の初顔合わせは、とても具体的な打ち合わせとして展開した。

 コンテンツの担当のT木さんとK林さんは女性らしいイマジネーションを働かして、興味をひきそうな内容を次々提示してくれた。食べ物の情報、ホテル情報などの実用情報のほかにプレゼントコーナーも作ったらどうでしょう。掲示板もつくって、成り行きを見守るリーダーの方たちも旅に参加できるようにしては?彼女たちはすごい気さくでフランクなひとたちで、まるで自分自身がその旅に参加するかのように、あるいは、自分自身がそのページの読者になったように夢中になってそのページをふくらますアイデアを考えてくれた。

 そしてその日の打ち合わせの最後に、U田さんは言ったのだった。
「では井出さんの旅行記をコンテンツとして使わせていただくということでよろしいでしょうか。こちらからはホームページエリアとメールアドレスを用意させていただきます。アクセス料については微々たるものですからいくら使っていただいてもかまいません。それから、掲載料というわけでもないんですが、『プレゼント企画と現地からの送料』という形で毎月いくらかの予算を提供させていただきますので」!!!!

 ・・・即決のうえ、アクセス自由ばかりか掲載料!?狐につままれたんじゃなかろうか。
 渡りに船、棚からぼた餅、ウソから出たまこと、etc.etc...・・・。webmaster宛に突然とびこんだ馬の骨のメールをひろって、コンテンツとして一気に実現まで持っていくジャストネットの風通しのよさとフトコロの広さ。そして自分の身に降って沸いた幸運に、めまいすら覚えながら、私はジャストネットのビルを出た。北風が吹いている時期だったけど、全身がほてってた。歯車がゴトンゴトンと動き出す音が聞こえた。

* * *

 実はプロバイダにメールを書いたのとだいたい時期を同じくして私はいくつかの出版社にもメールを書いていた。石橋憲人さんのホームページエリア提供について思いついたのと同じ頃、もうひとつ思い出したことがあったのだった。それは、ずっと前、っていうか最近も連載していたのかどうか知らないけど私がずっと前読んだ、「辻バードの旅先通信」っていうASCII系の雑誌に連載していたコラムだった。

 この辻バードさんっていうのは、何を隠そう私の父が昔勤めていた会社の社長してたひとだ。辻さんっていうのは旅行の好きなひとで、とにかく一年のうち半年は海外を歩き回って過ごしている。辻さんのコラムは、ホテルとかからパソコン通信とかチャットをする方法と、旅の話を組み合わせてつづったものだった。

 暴走しているので、私はこのことがまた、思い出してすぐに予算の欠乏とリンクした。私の通信歴は辻さんに比べれば天と地ほども開きがある。でもモノは試しだ。もしかして物好きな編集者がいて私に何か書かせてくれたり、ちょっとした取材ぐらいたのんでくれるかもしれない。私はすぐさまメールを書いて、いくつかの雑誌に送信した。それが旅行雑誌の「abroad」と、「地球の歩き方」と、そして「インターネットマガジン」だったのだ。今回もネジがはずれてるもんで、インターネットマガジンの編集長宛になんの配慮もなく、タイ旅行記のうちの1ページを送りつけた。100キロバイトもあるファイルのかたまりだったから、受信したときはあまりの重さにいたずらメールだと思われたんじゃないだろうか。こんなのほんとに編集長が読むわけないや。そう思ってた私のもとに、3日後「インターネットマガジン」の編集長から直々のメールが届いた。
「具体的にお話を聞かせてもらえないでしょうか?」
うそっ!
 最初に編集長宛にメールを送ったあと、数回の打ち合わせを経て連載が決まった。それが実は、出発を決意した晩(「旅のきっかけ」参照)、あの獅子座流星群の夜の、翌日のことだった。

* * *

 ジャストネットでの2回目の打ち合わせにはインターネットマガジンの担当となった青木さん(できごと日記「パリの迷い」参照)と一緒にジャストネットを訪れ、インターネットマガジンのコラム側にはジャストネットのサーバにある私のサイトのURLを記載し、私のサイトにはインターネットマガジンのバナーを置いて、相互タイアップでアピールすることで話がまとまった。ジャストネットから提供されることになった予算は、プレゼント企画の賞品を買って送ってもまだ余るぐらいの金額になった。打ち合わせのあと青木さんと2人で入った喫茶店では、原稿料の提示があった。当初半ページの予定だったコラムは後日誌面のリニューアルのため1ページに格上げされ、出だしの数回はカラーページで扱われることになった。原稿料もそれを機に値上げされた。いままでぼけナスプログラマを6年もやってたけど、そんなの書いてた経験ないんだよ。旅行もいままで2、3週間ぐらいのしかしたことないし、モバイルもこれから買って準備するんだよ。そんな私が書いたコラムを、国内で同ジャンルのなかで最大の売り上げはじきだしてる天下のインターネットマガジンが、そんなに大きく扱ってしまってもいいの!?

 ・・・トナカイじゃないや、シンデレラだ。何もかもが必要以上に、期待以上にいい方へいい方へ運んで、全てのことが私を旅立たせる方向で動いていた。もうここまで来て迷うことは全然ない。費用の問題は一気に解決され、おまけに会社の同期の仲間13人がお金を出しあって餞別にデジカメまで贈ってくれた。必要とするものが全部揃った。そうして勢いよく、旅立ちの準備が始まった。

* * *

 ここまでが、落ちこぼれプログラマのシンデレラストーリーの全貌だ。余談だけど、ジャストネット御中でメール書いてしまったもうひとつの大手プロバイダからは後日、数万円ぶんのアクセス料免除というかたちでスポンサーになりましょうっていう返事をいただいた。でもそのときはもうジャストネットの掲載が決まってしまっていたあとだったし、条件ではコンテンツとして採用という方がどれほどメリットが大きいかわからないので、本当に失礼なんだけど「決まってしまいました」といってお断りした。そしたらその担当のひとはほんとに心の広い方で「残念ですがしょうがない、気をつけてよい旅をしてください」と丁寧なメールをくれた。このオファーは最初のメールを送ってから1ヶ月以上あとのことだったから、私のメールに目をつけてそこまでの段取りを整えてくれたひとはきっとずいぶん駆け回って根回しをしてくれたんじゃないかと思う。最初に送ったメールでの失礼のこともあってほんとに心がいたんだ。

 ジャストネットの掲載料とインターネットマガジンの原稿料は、旅の費用をまかなえるほどではもちろんないんだけど、あわせるとスペイン程度の物価の国なら1週間ぐらいは無理なく暮らせる額になった。もちろんこういう約束をして出てきたからには果たさなくちゃならないギムもある。どんなに少なくても2週間に1回はホームページの更新をしなくちゃいけないって決まっているし、インターネットマガジンのほうは毎月の締め切りがあるから、連絡のとれないところやインターネットの使えない国には長居できない。話題も滞っちゃ困るから、これから先も1ヶ月以上同じところに沈没することはできないだろう。あんまり辺鄙なとこには行けないし疲れてもじっとしてることはできないんだ。

 でも私はこういう旅の制約について、残念に思ったことは一回もない。そりゃあ、地の果てまで、臆することなく旅できるひとを見るとうらやましいとは思うよ。でもどんなに秘境に行こうとしたって私の旅は1年ってもう決めていたから(この決意はいまもう破りつつあるけど)、行ける先にははじめから限度があるんだし、ブッとんでても根は臆病だから、誰も見たことのない地域を目指して旅のパイオニアになるなんてことは、私にはできそうもなかった。それに、逆にこういう約束をして出てきたおかげで毎月のリズムがあるから旅にハリがあるし、コンテンツに登録してもらったおかげでホームページを見てくれるひとも予想よりずっとずっと多いし、メールをいただいて知り合ったひともたくさんいるし、何か落ち込んだことがあったとき応援をいただいて、力づけられたことは数えきれない。私にとって旅の制約は、よかったことの影にかくれてほとんど姿を現すことはない。

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 そういえば夏にトルコでパソコンを交換してからそのことについて何もお知らせしていなかったっけ。このパソコンの交換についてはシンデレラストーリーと大いに関係があるので、ついでだからそのことも書いとこう。

 インドのデリーにいた頃、私のパソコンはいよいよ具合が悪くなって、立ち上げてから十数分は表示が出なくなったりしていた。アジアの旅で、高温多湿と重なる移動での振動にさらしつづけた結果だったと思う。ちょっとだけ予想していたことだけど、一年つきあっていこうと決めていたマシンだっただけに症状がひどくなってきたときはショックだった。このまま旅を続けて、壊れた時点でジャストネットもインターネットマガジンもお詫びしてあきらめるか?日本に帰って修理して復帰するか?でもそういえばこのマシン、買う前からちょっと筐体が弱いんで有名だったんだ。それを修理してこの先一年使い続けられるんだろうか・・・。

 そんなとき、新たな運が私をささえた。夏休みトルコに来る予定だった友だち数人が「必要なら新しいやつ買っていこうか?」って声をかけてくれたのだ。それはもちろん、勇気のいる決断だった。そもそもいっちばん最初の予算だったらできるわけない出費だった。でも・・・ジャストネットとインターネットマガジンの収入っていうのは私の手元にあるはずなかったお金だ。それをほとんどまるごと投入すれば、新しいマシンで、修理とかの不安なくこの後の旅を続けられる。それを全部投入しちゃったとしても、アクセス料をジャストネットで持ってくれてるわけだから、私の予算はそれでもだいぶ助けられてることになる。

 この先こんな申し出はありえない。友だちは同じ業界に勤めてるんで、ソフトのインストールからひととおりのテストまで信頼できるひとたちだった。結局私はマシンの選択と準備を友だちに依頼し、その出費に踏み切った。だって、たとえひからびたパンしか食べられないことになっても、途中であきらめたくなかったんだ。インターネットマガジンの青木さんは、初心者で要領を得ない私に「どうすればツボをついた文章を書けるか」ってことを締め切りのたびに的確な指摘でたたきこんでくれたし、ジャストネットのU田さん、T木さん、K林さんの努力のおかげで私のホームページにどれだけたくさんのひとが訪れてくれてるかわからない。このホームページとコラムは、このひとたちと約束して出てきたことだし、ここで私が話してる見聞の記録は、つまんないことかもしれないけど、ほんとに恩のあるひとたちへ、私がただひとつできるお返しなんだ。

 そうしてこのマシンに交換して、いま4ヶ月が経とうとしている。前のパソコンに最初に異常が出始めたのは出発から3ヶ月してからのことだった。今度のマシンは、キーボードにプリントされた文字が弱くてもうKとNが消えちゃったけど、表示や動作に異常はない。もう一度同じことが起こったら、もう次は買い換える予算ないし、修理しに帰る余裕もないけど、でもたぶん今度は大丈夫・・・なんかそんな予感がする。遠くにいるけど、私はほんとにたくさんのひとたちに支えられているから。