カッコいい旅びと
   浅野くんのようなひとと旅をしていると、欲張りになってしかたがない。

 彼は私と同じ30才。専門学校出たあと6年働いて、仕事を辞めたあとは中国からアジア各国、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、ヨーロッパ、中東、アフリカの北、西、東、南部、そして南米と、だいたい3年ぐらい旅してきている。それでも全然旅にスレていないしあいかわらず好奇心は旺盛だ。彼の旅程を聞いていると「これはめんどくさいからあきらめよう」とか「ここは危ないから回避しよう」っていうことはまずなくて、「行ってみたいな〜、行っちゃおう」という簡単な図式で私があきらめた幾多の都市を経てきている。10人中3人が行方不明になると言われるアフガニスタンなんかに行ってしまうのはたぶん相当アホで命知らずなんだと思うけどそれでも生きているところをみるとおそらくかなり運も強いんだろう。なまじっかそういうひとと道連れになったおかげで私の南米はずいぶんと濃くなり、予定も想像もしていなかったところをずいぶんと訪れることになった。

 浅野くんに旅行者としてふたつだけ欠点を挙げるとすれば、そのひとつは人相が悪いことだろう。これまで1年半旅をしてきて、街角で警官とかにパスポートチェックをされたことなんか一度もなかった私が、浅野くんと一緒に歩いてたときに限って、生まれて初めてパスポートチェックをうけた。浅野くんにとってはパスポートチェックなんか日常茶飯事なんで、イランではただのパスポートチェックのはずが突然逮捕されて警察に連れていかれてしまったこともあるそうだ。そういう彼だから身分を証明することにはかなり気を使っている。たとえばビザ申請中とかで大使館にパスポートを預けてるときも身分証として見せられるよう、パスポートの写真のページをカラーコピーして、ラミネートまでして持ち歩いている。

 というぐらい人相が悪いので、警官ばかりじゃなく一般のツーリストなんかからも誤解される。たまに麻薬の売人と間違われて「いくら?」って聞かれることもあるらしい。トルコでは同じ宿の女の子に「浅野くんって笑いながらひとを殺しそう」っていわれてショックを受けたこともあるそうだ。

 もうひとつの欠点は鶏が食べられないことだ。南米とか中東あたりに行くと鶏はかなり食べられているし、東部アフリカとかを除けばどこでもだいたいほかの肉料理より安いし、移動中のお手軽携帯食なんかにも鶏は多いので、鶏が食べられないのはちょっと不便だ。

 でもこのふたつを除けば浅野くんは、とってもすぐれた、才能ある旅行者だと思う。旅行者としての向き不向きを論ずるなんてばかげてると思うけど、あえてどんな点が向いてるか言わせてもらうとすれば、彼は適応できる環境の範囲がものすごく広い。楽しめる範囲が広いから、旅行を楽しむ姿勢が見ていてすがすがしいんだ。たとえば彼にどこの国が好きでどこがキライかと訊ねれば、ものすごく一生懸命考えてから、
「俺どこにいってもだいたい楽しいからな〜」
と困ったように言う。鶏をのぞけば嫌いな食べ物はないし、新しい食べ物も「チャレンジする」という感じじゃなく気負いなく手を出している。

 おなかもおそろしく丈夫で、これまで約3年旅をしてきて一度もボトルウォーターを買ったことがない。つまりどこにいっても水道水とか井戸水とか、地元のひとの飲む水、あるいは地元のひとでも飲まない水なんかを飲んでるってことだ。ちゃんと熱してから飲んでるかというととんでもなくて、マラウィ湖をカヌーで旅したときはたきぎが間に合わなくて、湖からすくった水そのまま飲んでたそうだ。ただしその水は、数年経ってからいきなり失明とか半身不随とかをひきおこすビルハルジアっていう寄生虫がいるって有名だから私が持っていた虫下しを飲ませたけど。
浅野くんがキャンプ用のマットで
作ってくれたパソコンケース

 体力があるので荷物が増えることも厭わない。
「遊びに来てるんだから楽しまなくちゃ!」
といって常に遊び道具だけはふんだんに持つことを信条としている。チャリダーをやってたときは、水が手に入らないまま汗だくになって移動を続けたりしたので、臭いのも汚いのもかなりのレベルまで平気。でも、多くの国や辺境を旅したことも、生水が平気なことも自分ではとりたてて特別なことだと思ってないらしくて自慢するわけでもない。私から見ればめちゃくちゃ秘境を旅してるように思えるのに、そういう前提で、
「わたしも一回ぐらいどっか秘境を旅してみたいよ」
とか話していると、
「いいね。俺もいつか秘境を旅してみたいなぁ」
なんて口にする。

 とかく行った先を自慢してしまいがちな旅びとたちのなかにあって彼のような存在は珍しい。旅をつらいものと位置づけて自分がどんなにつらい思いをしたかを切々と語る旅びとは、同情はしても「なら帰れば」って思わずにはいられないけど、浅野くんのはなしはどこからどう聞いてもそりゃつらいだろっていう話がたいがい「というわけで、楽しかった」で終わるのだから不思議だ。ひとの悪口もいわないし文句もいわないし、だからって文句を言うひとをいやがったり非難するわけでもない。じゃあ冷めてるのかといえばそうじゃなくて感動するときは静かに静かに感動の波に身を任せているらしい。

 彼は出発前、一日に20時間働かないといけないこともあるような車のエンジニアの仕事をしていたそうだ。その会社を辞めたあと3年近くも旅をしているから、働くのだけはさぞかしキライなんだろうと思っていたら、それもそうでもないらしい。
「このまま旅し続けて『日本に帰れない』ひとになっちゃうのはイヤだから適当なところで区切りをつけて帰るよ。俺、旅も好きだけど普通に働くのも好きだし。前みたいにキツい仕事じゃなかったら、やってみたいこといろいろあるんだ」
という。彼の旅に対する姿勢は彼の人生観であって、彼は人相は悪いがカッコつけないところがとてもカッコいいのだった。

 何度も言っているとおり、私はごく小さなことにもカチンときたり悲しくなったりしやすくて、すぐおなかもこわすし風邪もひきやすいし、新しい土地につくたびに臆病になる。ひとみしりすることも多い。そんな私の旅のありかたはやはり私の人生そのものでもあるんだと思う。彼と一緒に旅して、彼の旅の姿勢を学ぶことができたのは、私にとって大きな収穫だったと思う。

 でも、その彼ともついに別れるときがきた。今日は、そこに至るまでの話だ。

* * *

 リオデジャネイロについて翌日、浅野くんと知佳ちゃんと私の3人は有名なコルコバードの丘のキリスト像を見に行った。

 リオデジャネイロは格別みどころの多い街じゃないので、知佳ちゃんはこれだけ見てしまえば満足の様子で、翌日にはバスの手配をしに行くことにした。彼女は私が来たのと逆方向でイグアスの滝に向かう予定だった。


あまりにも有名な
コルコバードのキリスト像
 物価の高い都会のことなので私も長居は無用。はやいとこボリビアに抜ける国境の街コルンバへのチケットを買いにいくつもりだった。浅野くんはここでビザの延長をしてこのまま北上して「音楽の街」と称されるサルバドールに向かう予定でいたから一緒にチケットを買いにいくことにした。

 さて浅野くんのこれからのブラジルの予定は私たちよりかなり壮大で、サルバドールから北上してポルタレーザで淳くんちを訪ねたあとはベレンに向かい、そこからアマゾン河をのぼってエクアドルにでも抜けようかなどという計画をたてていた。ただし、ひとつ関門があって、私と浅野くんのビザはもともと1ヶ月しかもらえていないので、延長しても1ヶ月までの公算が大きい。浅野くんはもともとが欲張りであれもこれも見ないと気が済まないタチなので1ヶ月やそこらでぶっとばしてアマゾンを上るのはまず不可能といってよかった。
「ちょっとイミグレーションオフィスにいって、ほんとなら1ヶ月のところをなんとか3ヶ月もらえないか交渉してくるからバスのチケット買いにいくのしばらく待ってて」
といって、翌日の午前中浅野くんは出ていった。

 ところが2時間ほどして彼は落胆して帰ってきた。
「どうした?」
ってきくと、
「どうもこうもないよ」
といって彼が言うには、イミグレーションオフィスに行って並んだはいいものの、カウンターの前で列をなしてる人々はただ係官から追い返されるばかりで、まともに話しさえ聞いてもらえない状態だったんだそうだ。リオデジャネイロは近隣諸国からの出稼ぎなんかのひとが多いせいか、ビザの発給に関してはたいへん厳しい。イミグレーションオフィスの役割は実質的にはビザを延長したりすることよりも、これらのひとたちを追い返すことと言っていいようだった。

 浅野くんはこれまでの旅で、入国管理官やビザ発給担当者の機嫌をとるコツはかなり心得ているほうだ。西アフリカなんかは特に悪評高くて、場所によってはソデの下なしでは絶対ビザを発給してくれないような国もある。だけど彼の場合、高額な賄賂を要求されるまえに「まあ一本やってくれ」ってタバコ差し出したり、「まあお茶でも飲んでくれ」って小銭あげちゃったりして友好ムードを築いておいて、「たのむからさ〜」ってな感じで大概はうまく立ち回るという技があるのだ。その彼が、
「なんとかいいムードに持っていこうと思ったんだけど、まったくとりあってもらえなかったよ。こっちに住んでて仕事してるひととかはどうするんだろうな、あんなふうに追い返されちゃったら・・・」
と肩を落として言うからにはよほど強硬につっぱねられたに違いない。

 このビザの発給とか延長のシステムというのは不思議なもので、あるひとつの国の大使館・領事館であっても、どこにあるかで対応がまるっきり違うことがある。たとえばアルゼンチンにあるブラジル大使館では日本人のブラジル入国ビザ代に70ドルぐらいとるという話だけれど、パラグアイにあるブラジル大使館では55ドルぐらいだった。但し最近パラグアイにある大使館ではビザの発給が厳しくなってきて、もともとは90日まで滞在できるビザをくれていたのが、最近では30日しかくれなくなったという。事実私たちもなんとか90日を、と頼んだけどダメだった。期間が短くなったからといって、ビザ代が安くなるわけでもない。これがパラグアイのシウダーデルエステにある領事館になるとさらに悪くて、30日のビザをもらうにも「ブラジルから出国するためのチケットを見せろ」だとか、「現地での保証人をたてろ」だとかあれこれを難癖をつけ、結局くれなかったりするらしくて、旅行者のあいだでも「どこでビザをとるか」がときとして抜き差しならない問題になってくるのだった。

 そんなわけなので、ビザ延長もしやすいところとしにくいところがあり、その難易度や分布も流動的だ。もともと30日滞在のビザを90日延長できるイミグレーションオフィスも、探せばどこかにころがってるのかもしれないけど、残念ながらその情報はサンパウロのペンソン荒木にいる間にも集まらなかった。浅野くんは、
「こうなるとサルバドールまで行ってアマゾンを上っても変なところでビザが切れちゃうだろうから、またこっちに戻ってきてボリビアかパラグアイにでも出国するしかないか・・・」
と悩んでいる。リオからサルバドールまでは往復で$100を超える出費になる。アマゾンまで行けないのにそこまでしてサルバドールだけに行く価値があるのかどうか検討し、結局彼はアマゾンは別の方法でアプローチすると決め、一旦ボリビアに出国して北上することにした。ということは、またこれからしばらくは私と同じルートで、ボリビアに向かうということだ。


コパカバーナ名物ちっちゃい水着
 チケットを買った翌日知佳ちゃんはマラリアの治療薬を買いイグアスに旅だっていった。私と浅野くんはもう一泊して、その日はコパカバーナのビーチに小っちゃい水着を鑑賞しに行った。小っちゃい水着はいたことはいたし、ずりさがった海パンのムキムキおにいちゃんたちもいたけど、コパカバーナの海岸は思ってたほどキレイでもなかった。「やっぱリオは長居するところじゃないな」と了解し、そして私たちは翌日のバスでコルンバへ向かった。

 ブラジルはこんなに広いのにサンパウロとリオと、そしてこのコルンバのたった3つの街しか見ることができずに去るのがとても中途半端で悔しく思えたけど、欲を言えばキリがない。物価の高いところできりつめながら旅をするよりも安いところで余裕のある旅をするほうが私の性には合ってるみたいで、その点で私と浅野くんは旅の趣味が一致していた。

 夜行バスの中は冷凍庫のような寒さで私はすっかり風邪をひいて到着した。でも、コルンバは逆にヤケドするような暑さで私は熱と暑さで中からも外からもゆでられるような具合だった。1日して熱がひいて外に出てみると、かなりの田舎に来たつもりでいたのにコルンバはこぎれいでむしろ都会的な街だ。ここから数キロ先にはあの悪路とホコリに満ちたボリビアがあることが信じられない。
目がマジなとこがこわいオウムの電話

 コルンバからボリビアのキハロへは、日曜に抜けた。日曜にはボリビア側の国境オフィスが開いていない。そのため1日だけ密入国の状態になる。そういうのんびりした国境なので貨物はほとんど素通りだ。この国境はボリビアからブラジルへドラッグが持ち込まれる重要な要所だとも聞いている。ボリビアは南米のなかでも有数の麻薬の産出国なのだそうだ。


キハロからサンタクルズをつなぐ列車
 コルンバからキハロにはいるともう道路はメインストリートをのぞいては舗装じゃなくなった。道に落ちてるゴミも見苦しいし、宿の体裁や値段もまったく違う。ここキハロからは、1ヶ月前パラグアイに行く前に滞在してた街、サンタクルズに向かう電車が出ている。翌月曜には入国スタンプをもらい、サンタクルズに出発した。

 サンタクルズについて、しばらくぶりにメールをひらいてみたら、浅野くんのメールボックスに淳くんからメールが届いていた。
「日本に帰ります。だからポルタレーザにはもういません」
とだけ書いてあったらしい。詳しい事情はわからない。私たちが変な入れ知恵をしたばっかりに、喧嘩っ早い彼女に見切りをつけられたんだったりして・・・。あるいは問いただしてみたら何かショックなことが発覚して、彼自身がピリオドを打ったとか。でも、彼はもともとは仕事したりしながら南米をまわる予定でいたのが、彼女と恋に落ちたんでポルタレーザで留まっていたのだから、もし彼女と別れたのであればそのあとも旅を続けるほうが自然だ。もしかしたら話し合った結果二人とも本格的に将来のことを考えるに至り、結婚の手続きを整えるために帰ることになったとか、あるいはほんとに鍼の資格を取る準備のために日本に帰ったのかもしれない。けどそうだとすれば「もういません」というフレーズがなんとなく不自然だ。とにかく、はっきりしたことは何も書いてないけど、ただ「帰ります」というお知らせのメールだった。

 その後コチャバンバにいるときに、こんどは知佳ちゃんからメールがはいった。イグアスからパラグアイを抜けて無事チリにつき、汐見荘にいるということだった。いまは汐見荘にほかのツーリストはいなくてシンさんとふたりきりで、シンさんが酔っぱらうとセクハラ質問をされるんで困ってるということと、明日からイースター島に行くということが書いてあった。明日出るんじゃ読んでもらえるかわからなかったけど、イースター島に行くならKona Tauっていう宿に泊まれとか、毎朝市場で出るマグロを買えとかいうアドバイスを急いで書いて送ったら、ギリギリ彼女がまだインターネットカフェにいるあいだに届いたらしく「間に合ったよありがとう」という返事が届いた。
真ん中に見えるのが本物のアルマジロ
の皮でできたチャランゴ

 コチャバンバからラパスまではとてもいい道ができていていくつものバス会社がバスを走らせている。競争が激しいので超デラックスバスで7時間ほど走るのにバス代は300円しなかった。

 そしてラパスについたとき、ついにここで、私と浅野くんのルートが枝分かれすることになった。というか、このあとも北上していくルートはだいたい一緒なのだけど、私はちょっと寄り道していく用事があったのだ。それはアマゾン盆地の端の端にあたり、ラパスからはバスで20時間ばかり下ったところ。鬱蒼としたジャングルとパンパと呼ばれる低湿地の境目のあたりで、アマゾンの支流のひとつリオ・ベニ(ベニ河)沿いにあるルレナバケという町だった。「地球の歩き方」にはまだコラムのような扱いしかされていない小さな田舎町で、ここではジャングルやパンパの観光ツアーはまだはじまったばかり。そのためまだツーリストが多く入り込んでいない手つかずの自然が残っていて、その川辺にはジャングルやパンパならではの動物たちを見ることができ、しかもその料金がばかばかしく安いと聞く。蚊帳つきのベッドと食事と交通費コミで一日$30。何よりここの目玉は、淡水に住むというピンクイルカがみれることだった。

 この話しをしたとき、浅野くんは少し迷っているみたいだった。浅野くんは、動物なんかはわざわざ見に行くってタイプじゃなかったけど、もともとアマゾン盆地には興味があったわけだし、このまま北上してたとえばエクアドルからアマゾンにはいる予定といっても、いかんせんブラジルは物価という点で制約が大きいから、ひょっとすると今回の旅ではアマゾン地域に踏み込めなくなる可能性もあった。アマゾンは見ておきたい。それは彼の本音だったと思う。

 だけど、そろそろひとり旅に戻らなくちゃ、という意識がちょっとずつ芽生え始めていた。ほかのツーリストとジョイントしたりわかれたりだったけど、結局私とはもう3ヶ月近くも同じルートで移動してきてて、行動とかもお互いに合わせるのがあたりまえになってきていた。依存してるってんじゃないけどなんとなく、それぞれのオリジナルの旅ができなくなってる感じがしたからだった。

 相談しながら進む旅は楽しい。言葉が通じるのはこころが休まることだ。ずっとまえ、私がつらいことにぶつかったときに思ったとおり、イヤなことはグチったりして半減できるし、嬉しいことはお互いに喜びあって倍にすることができる。ここまで同じルートで来て、晩ご飯の時間とかでちょっとぐらいもめることはあっても喧嘩もせずに旅してきたのは、やっぱり旅の趣味があってたからだし、お互いがいて結構快適だったからだと思う。だけど2人の旅っていうのはどうしても会話とか、意識のベクトルが相手に向かってしまうから、外部との関わりが、ほんとにひとりだったときより、少しだけ希薄になってしまう感じがしていた。

 それに、役割分担ができてしまうことも、便利なようでいて、フラストレーションのたまる原因になったかもしれない。たとえば、浅野くんは頭の回転ははやいけど勉強はキライだ。私はここぞというとこで知恵がまわらないかわり、辞書ひいたり勉強したりするのだけは好きなほうだったから、そうするうちに少しだけリードして、いつのまにか宿の交渉なんかは大概私がするようになっていた。遅れをとった浅野くんはちょっとあせってたんじゃないだろうか。

 二人でいて生活のリズムが崩れてしまうこともある。街でも住宅地でも荒れ地でも、常にアクティブに歩き回らずにいられない性分の浅野くんに対し、私はどっちかというと店とか屋台のないところは好んでは歩かないほうで、「町がおもしろければ町歩き、宿が快適だったらホームページづくり」というのがパターンだった。
 散歩に誘われたときに断って、
「コンピュータ持ってるとそればっかりになっちゃうんじゃない?もっと出歩いて外を見たほうがいいよ」
なんて言われたりするとなんとなくその気になって出かけてしまうけど、あとになって、あ、ホームページつくらないといけなかったのに、と後悔することもあった。

 学ぶことが多かったのはもちろんだ。私は浅野くんから「いたんだTシャツの生地やマジックテープでお裁縫する」っていう趣味を学び、どこに隠しポケットを作れば見つからないか、なんてことも教わった。悪質なポリスに因縁をつけられたらどうふるまったらいいかなんてことも教えてもらった。浅野くんにはパソコンやインターネットやメールのことをいろいろ教えてあげられたと思う。でも二人旅には二人旅のよさがあり、ひとり旅にもひとり旅のよさがあるとしたら、そろそろどちらもひとり旅のよさが恋しくなってきていたのだと思う。だから、二人旅がキライになってしまわないうちに、ここでわかれることにしたのだ。私がルレナバケから戻ってからのルートも似ているから、たぶん、またどこかで会うかもしれないけど、そのときお互いがいい旅をしてるなって思えるようにだった。

浅野式Gパンのウェスト裏型マネーポケット
(お札を二つ、または三つ折りにして隠す)
(閉じている状態) (開いている状態)

 私がルレナバケに向かう日、浅野くんはわざわざ荷物を宿にあずけてバス停まで見送りに来てくれた。乗るべきバスを確かめ、まだ時間があったから路上のスパゲティやで、カレーうどんそっくりのパスタを食べた。食べ終わってお金を払おうとしたらもう浅野くんが払ってしまってくれていた。
「細かいの持ってないんだよ」
と、お札をくずしてもらいおうとしたら、
「いいよ。いつかまたどっかで会ったら、そんとき返してくれればいいから」
と彼は言った。なんだかこれでお別れっていう感じがしないな、と思ったけど口には出さないでいたら、彼のほうが、
「井出さんがラパスに戻ってきたときまだ俺いたりして」
って冗談めかして言った。

 11時発の予定だったけど、荷物の積み込みが終わったのは11時を30分ほどまわった頃だった。浅野くんとバスオフィスの前でとりとめもないおしゃべりをしていたら、やっとバスのエンジンがかかった。私の席は9番だったけど、となりに大きいおじさんが座っていたし、ほかにもあいてる席がたくさんあったので、適当な番号の席に座り窓をあけた。そして顔を出して浅野くんにむかって「いろいろありがとう」って言ったけど、エンジン音が大きくて彼には聞き取れないみたいだった。

 出発のホーンが鳴りひびいた。笑って見送る浅野くんに手をふり返しながら、いいひとり旅をして見せるからね、と思った。またすぐ再会したりしたら恥ずかしいから泣かないようにしたけど、浅野くんがみえなくなるとき、こらえてた涙がちょっとだけこぼれた。