サンパウロ紀行
   トルコでお世話になった伊藤さんのいとこの、福井さんちにお邪魔したあと、またシウダーデルエステの宿で浅野くんと落ち合って夜行バスにのり、サンパウロにやってきた。目指す宿は日本人街のはずれにある。地下鉄のサンジョアキン駅から急な坂を下って、アパートと小さな商店がひしめきあう界隈に日本人宿のペンソン荒木を探し当てた。呼び鈴の音を聞いてヌーッと現れた日本人のおばさんがペンソン荒木のオーナーだ。小柄なわりにすごく顔が大きいひとだ。その大きい顔が近づいてきて鉄格子と扉を開け、
「どうぞどうぞ。あんたたち荷物ここに置いたらエエよ。そこにコーヒーあるからね。飲んだらエエのよ」
と言いながら、なかの居間に通してくれた。

 荒木のおばさんが気をまわして、
「あんたたちは一緒なんでしょ。カップルなんでしょ。いっしょの部屋がいいんでしょ」
というもんで、浅野くんが、
「いえ、そういうわけじゃなくて、僕たち途中であってここまで一緒に来ただけなんで」
と答えた。するとおばさんは、
「あ、そうなの?一緒じゃなくてエエの?そ。さっきもね、2人で来た男の子と女の子がいてね、バスんなかで会っただけだから別の部屋がいいっていって二つの部屋にわかれて入ったのよ。それじゃネ、あんた(私)はさっき来た女の子の部屋にはいりゃエエわ。そいであんた(浅野くん)はその隣の部屋のほうにはいりゃエエわ」
と決まった。途中で会ったのはたしかだけど、浅野くんとはイースター島や汐見荘にいた頃もあわせるとかれこれ2ヶ月も顔をつきあわせてたことになる。でもそれもこの街で終わることになりそうだ。浅野くんはここで1ヶ月ばかり腰をすえて日系病院で歯を治し、そのまま北上する予定でいる。

 ロビーで荷物を下ろしソファでくつろいで、部屋の準備ができるのを待っていたら、景山くんていうひとに再会した。私がパソコンとられて失意のうちにブエノスアイレスをあとにした日、中華レストランで会ってちょっとだけグチを聞いてもらったひとだ。彼はその後もしばらくブエノスアイレスにいたんで、私がイースター島で会った加藤くんにも同じ宿で会ったそうだ。南米を旅する日本人旅行者は、かなりの確率で情報をあつめに日本人宿に投宿するので、日本人宿をハシゴしてると必ずといっていいほど知ってるひとに会う。お互いは面識がなくても話してみると共通の知り合いがいたりすることも多い。

 ロビーのソファにはほかにちょびヒゲはやしたおじさんが座っていて、自分はこのあいだまで汐見荘にいたと語った。私が出たすぐあとの頃にいたらしい。
「私がいた頃はね、カントクと竹田くんと、シンさんがいましたよ」
といっていた。カントクっていうのは汐見荘に長期滞在してた山元さんてひとで、チリで日本人宿をひらこうとしてお金を貯めてきたけど、来てみたら物価があがっちゃって予算があわなくなって進退を考えてるところだった。竹田くんは前にも汐見荘に長期滞在してた男の子で、私と逆ルートでアルゼンチンから南アフリカに飛んだけど、スペイン語圏を離れたとたんホームシックになって2週間でトンボ返りして、また汐見荘に戻ってきて沈没していた。

 最後に出てきたシンさんはその竹田くんが師と仰ぐひとだ。どのように師かというと、女の子を口説かせたらスペイン語だろうがポルトガル語だろうが英語、中国語、日本語だろうが右に出るものはないかららしい。彼は稀代の二枚目ってわけじゃないけれど気の強さと金まわりのよさで女の子をとりこにするらしくって、落とした女の子の話をさせれば指が30本あってもまだたりない。いま33才だけど30にすら見えない。若い頃はかなり危ない橋もわたってて、少年院にもお世話になってたし、クスリやってるとこを見つかってアメリカでくさい飯を食ったこともある。ブラジルに10才以上年下の内縁のツマがいるのにチリにも彼女がいて、ある日落ち込んでると思ったら、
「彼女のフィアンセが来るから別れた」
とわけわからんことを言ってる。普通ならこんなことひとに言っていいんかっていうようなことをぎゅっと濃縮したような人生だけど、彼の場合別にそういう自分を恥じてるわけでもなんでもなくて、いまの自分に誇りをもってるし、自信もあるんで、特にひとに話したからって困ることもないんだろう。

 ところが私が懐かしく汐見荘の面々を思いだしていると、このちょびヒゲのおじさん、シンさんの話題が出たとたんに
「彼は乱暴者で、喧嘩になるとクチだけじゃなくすぐ手が出るらしいね。あれは金持ちのわがまま息子だね。ほかのペンソンの悪口をいいふらしたりしていたし」
と、悪態をつき始めた。たしかにシンさんは破天荒なひとなんで、飲めば性格が変わることもあるときいている。でも飲み過ぎなければえらいおもしろいひとだし、よく一緒に飲んだりして夜更かししたから私や浅野くんは悪い印象は全然ない。私たちは急に居ごこちが悪くなって、荒木のおばさんが部屋の準備ができたことを知らせてくれると、そそくさと荷物を持って道の向かいの別館に向かった。長期旅行者のなかには、自分が変わり者だって気づいてなくてひとを変わり者呼ばわりするひとがたまにいるけど、このおじさんなんかはいい例だ。シンさんがほかのペンソンの悪口を言ってたかどうかは知らないけど、このひと自分にはシンさんの悪口を吹聴する権利があると思ってるんだろうか。

 さて、本館もそうだったけど、別館もドアと鉄格子の二重扉になっていた。ドアには「ノックされても絶対にドアを開けないように。いままでに2度強盗にはいられています」という貼り紙がしてあった。やっぱここはサンパウロだ。気を引き締めて行こう。ここまでは方角が同じだったので浅野くんとずっと一緒に来たけれど、サンパウロから先は久々に道連れナシの旅だ。浅野くんと道連れになってる間にどうしたって少しは気がゆるんでた部分があるだろうから、ここにいる間にリハビリをしよう。

 やけに天井ばかり高い薄暗い廊下を通り、案内された部屋に荷物をおろした。さっき入ったっていう女の子は外出しているようだ。荷物がベッドのひとつに置いてある。私の部屋は廊下と直結した居間をベニヤ板でむりやり仕切って部屋にしたような格好で窓がない。壁と天井のあいだに隙間があって廊下の物音がすべて聞こえ、天井からはシャンデリアが下がっていたような長いヒモが、まるで首吊りナワみたいにぶらりんとぶらさがっていて不気味だ。この部屋だけはドアも物置のように小さかった。この界隈は建物が密集しているので庭と呼べるスペースもごくわずかだ。浅野くんの部屋をたずねてみてもキッチンにいても、全館が日光に乏しくうすら寒かった。ブラジルなんて全土が生まれてから死ぬまでずっと夏かと思っていたらそうでもないらしい。曇天のサンパウロは肌寒いぐらいで、Tシャツと長袖シャツの上にジャケットを着てちょうどよかった。


日本語で書かれた看板が
駅前商店街の風情を醸す
 リベルダージ大通りを歩いて、リベルダージ駅まで行くあいだに「そごう」をまねたらしい「そご」ショッピングプラザとか、××寿司、××食堂なんていう日本語の看板が次々に目にはいった。リベルダージ駅の界隈には日本語書籍の書店はあるわ日系スーパーはあるわ、どこかの駅前商店街だと言われればそうかも、と思ってしまうようなたたずまい。一本曲がると巨大な鳥居が目にはいった。道の両側に立ってる街路灯はちょうちんの形だ。いやまて。駅前商店街か?こんな街路灯、日本にはない。「日本を真似てる」みたいな感じだぞ。

 スーパーに入ってみるとまたびっくりだった。わかめ昆布ひじき海苔、のりたま、キッコーマンしょうゆ、マルコメ味噌、永谷園のお茶漬け、フジッコのお豆さん、桃屋のごはんですよ、ハウスバーモントカレー・・・ここまで必要かと思うほど日本の食品だらけ。カンロのど飴?ミツカン味ぽん?こんなんホントに買うひといるんだろうか?こっちのもので代用がきかないのか?しかもその値段がハンパじゃない。特に瓶づめのものなんかは重いので確実に日本で売ってる値段の倍はする。
棚にずらりと並んだ日本食の数々

 輸入されてるものばかりじゃない。とにかくありとあらゆる日本食が揃っていた。お米、餅、あんこ、寿司、刺身、おにぎり、たくあん、餃子、ちくわ、まんじゅう、豆腐、納豆。こっちで作られたものは輸入品よりはだいぶ安いようだ。それにしてもここまで揃えるか、っていう品揃え。

 とりあえずおなかがすいたので外食しようとは思ったものの、やっぱり、高い食材使ってる純和食のレストランはそこそこの値段するようだ。日系の「レストランテ佐藤」という食堂にはいって適当に魚のフライ定食をたのんだ。アジかなんかのまるごとフライにかぼちゃの煮付け、トマトとキャベツの炒め物に、フェイジョアンっていうあずきとベーコンの煮付け1皿、ごはんなどが出てきて2ドルぐらい。和食じゃないけど、やや和風でおいしい。テーブル上には「さくら」というメーカーのしょうゆが置いてあった。店を出るとき会計のおばちゃんは、日本語でお勘定をしてくれた。そして、
「コーヒーのんでって」
といって受付のヨコを指さした。そこにはコーヒーのはいったポットがあって、マクドナルドでナゲット買ったときにソース用に渡されるカップをちょっと深くしたぐらいの小さなプラスチックカップが添えられていた。コーヒーは苦くて甘くて香りがつよく、コーヒーの国の面目じゅうぶんのおいしさだ。ちなみにこのコーヒーのサービスは、ブラジルの中級以上のレストランじゃごくふつうのことのようだ。その後何軒かのレストランでご飯を食べるたび、受付の横にこういう無料コーヒーサービスがあるのを見かけた。

 そのあと浅野くんは歯医者の予約に行った。私は街に残り、夕食の材料を買いに歩きまわった。私たちが泊まってる荒木の別館のキッチンには鍋類や食器もかなりあり、冷蔵庫も自由に使っていいようになっている。さっそく日本食の料理を何か作ろうと決めていた。それにしてもなんてエキサイティングな街だろう。こんな変な街見たことないので、寒さも忘れ、夜行でついたばかりの疲れも忘れて歩きつづけた。

 この街はすごい。日系3世、4世の時代になってるとはいえ相当日本語が聞こえる。ところがこの日本語話してるおばちゃんたち、日本語話してる合間に突然わけわからないことを言い出す。よく聞いてたら、前置きなしにポルトガル語と日本語を行ったりきたりしてるんだ。日本語もよく聞いていると少しだけ違う。ひとから何か聞かれて、ふつうなら「違うの」とか言うべきところでいきなり「ノ!」っていって、また普通の日本語に戻る。ごちゃまぜだ。こっちの生活に適した形にブラジリアン日本語ができあがってるんだ。

 興奮しきって街をぐーるぐるぐるぐる歩いていたので、帰ったら夕方だった。浅野くんはすでに戻ってきていた。聞いてた話しによるとここの日系人センターの病院は混んでてなかなか予約が入れられないということだったけど、いまは忙しくない時期らしくて今日からもう治療を始めてもらえたようだ。昼食のあと宿に戻ってあわてて歯をみがいて行ったら、歯はキレイだったけどクチのまわりにハミガキ粉が白く残っていて、きれいな女の先生に鏡を見せられたときに気づいて赤面してしまったそうだ。

 晩ご飯つくろうとしたら、今日私たちが来る前にチェックインしたという女の子と男の子がキッチンにいてちょうど早めの夕ご飯を済ませたところだった。余ったからとおむすびをお裾分けしてもらった。同室になった女の子は知佳ちゃんといい大阪出身、もうひとりの男の子は奈良出身で淳くんと言った。どちらも28才だった。私と浅野くんはポークカレーを作った。その間純くんたちがビールを3本買ってきてたので、私たちもお相伴にあずかった。

 淳くんはちょっと小柄だけど筋肉質で浅黒く、スポーツインストラクターみたいな印象のひとだ。中南米をぐるっとひとまわりするつもりで中米から下ってきて、マッサージ師としてたまに働きながら旅しているらしい。語学学校には何度か入っているらしく、スペイン語はそこそこ不自由しないぐらい話せると言っていた。恋に落ちやすいわりに責任感のある男の子で、マナウスっていう街で25才の現地人の女の子と恋に落ちたけど、相手の女の子が処女だと言ったので不安を感じて指も触れないで逃げてきたそうだ。ホントかどうかは知らないよ。そしてアマゾンを下ってポルタレーザの街にたどりつき、マッサージの仕事を始めたようとしたものの、ブラジルはポルトガル語圏なんでいろいろストレスがたまったらしい。そんなとき最初に来たお客で、彼を支えてくれたのがいま同じアパートに住んでいる1つ年下のブラジル人の彼女なんだという。つきあいはじめていま2ヶ月になり、言葉や習慣の違いで喧嘩したり、彼女のやきもちが原因で別れそうになったこともあったけど、結局もちなおしていまはとってもハッピーなのだそうだ。

 ちなみにこの彼女、なんでも9人兄弟の長女で若い頃から苦労して育ち、いまは体が弱くて仕事には就いていないらしい。結婚したことはないけど、16のときに生んだ11才の娘がいる。彼女はスペイン語がわかるので、最初の頃はずいぶん助けてもらったけど、このままじゃ会話もじゅうぶんじゃないし、ここでしばらく働き続けていくならどうせポルトガル語が必要だから、ポルトガル語の参考書を買うためにわざわざ飛行機でサンパウロまで出てきたのだそうだ。彼のはなしを聞いていて知佳ちゃんが、
「そうは言ってもずっとここに居れるわけじゃないやん。この先どうするつもりなん?」
と訊ねると、
「う〜ん、俺は結婚してもいいと思ってるよ。」
と彼は飄々として答えた。
「でも子供とかいる相手なんでしょ。平気なん?」
と訊くと、
「そういう過去のことは、責める気はないし」
と彼はまたあっけらかんと答えた。そしてぽつりと、
「かわいいヤツやねん」
とつぶやいた。

 いっぽう知佳ちゃんは、かたせ梨乃系の美女で、両耳で合計5このピアスをあけていて、ハナにも1個金色のピアスを光らせ、あとで着替えをしてるときに気づいたんだけどおへそにもピアスを通している。若い頃はたぶんツッパリ(いまはこういうひとはもういないんだろうね)で、高校の頃はグレて家出し、彼氏の家に転がり込み同棲しながら学校に通ったりしていたらしい。それがどういうわけか24の頃に、外国なんか興味もなかったのに友達二人に誘われ、ノリでオーストラリアにワーキングホリデーにいってしまったのだそうだ。それも準備段階で友達二人は次々に渡航をあきらめ、最後には彼女ひとりで出発することになったとか。英語なんかまったくしゃべれず、「オーストラリアは日本語が通じる」となぜか思いこんだ上での暴挙だった。

 まずは空港のイミグレで、聞かれることにすべてイエスと答え、通過するまでに2時間かかった。そして空港から目的地につくまでに3日かかったけど、3ヶ月する頃には日常困らない程度の会話力は身につけた。1年のワーホリ生活のあとはアイルランドに渡り1年半ほどボランティアのプログラムに参加して、自分の道はひとのお世話をすることと見つけたらしい。そのあとイギリスで英語学校に通おうとふたたび渡航したものの、2年半も英語圏で生活しといていまさら学校に通うのもナンだし、と気づいた。そんなこと出発前に気づいてもよさそうなもんだけど、現地に行ってから「このあと看護補助の仕事のため資格をとろうと思ったらもう長い旅行もできないだろうから、それならいま旅行したれ」と思いなおして、直接南米にきてしまったのだそうだ。大阪弁で、物怖じせず、酒豪で、ウォッカ飲ませたら一晩に1本でも平気であける。おまけに下品でげっぷ、すかしっぺなどなんでもアリ。こう書くとどんなヤツやねん、と思うかもしれないけど、行き当たりばったりでなんか勢いがあって、でも気負いがなくて、ひとをひきつけずにおかない女の子だ。

 翌日は荒木の裏通りでマーケットがあるというので朝から淳くんと生魚を買いにでかけた。マーケットの規模自体はたいしたことなく、魚の屋台が1軒、肉の屋台が1軒と野菜の屋台が何軒か、ホットドッグの屋台が何軒かという程度だった。サーモンとまぐろを買って一旦宿に置き、また提灯型街頭の通りを歩いてリベルダージに行って、スーパーでブラジル産日本種米を買った。帰る途中「福島県人会」と書かれたオレンジ色のはっぴを着たひとたちがいるので何があるのか淳くんが聞いた。すると、
「相馬野馬追です」
と相手は答えた。
「今日ですか」
と訊くと、
「はい」
という。
「何時ですか?」
と訊くと、
「2時、ハン」
と彼はぎこちなさそうに答えた。日本語での受け答えに慣れていないせいかもしれない。ブラジルに日本人が移住を始めてすでに1世紀。ここらへんの商店のレジの女の子は日本語での簡単な受け答えはできるけれど、日常日本語を使ってないらしくて、ちょっとものを訊ねると、
「××さ〜ん、××さ〜ん」
といって助けを求めたりする。でもそういうひとたちが支えるなにか日本風の行事があるらしいってことにとても興味ひかれて、食後にもういちどその行事を見に出てくることにした。

 歩きながら話しをきくと、淳くんは、できれば将来のために鍼の資格をとりたいのだそうだ。マッサージだけじゃなく鍼もできれば顧客の幅も広がるし、収入も安定する。結婚するなら彼女と彼女の娘を食べさせて行かないといけないし、そのためにはある程度安定した生活を保障できないと・・・と彼は言った。
「ただね。鍼の資格とるには最低3年かかんねん。しかも600万かかるし」
「その間彼女どうするの?」
と私が訊ねると、
「それが問題やねん。自分だけやったらバイトしながらで食べて行けるけど、彼女・・・。ついてきてくれへんやろしなぁ。ついて来てくれたところで、日本で勉強しながら食わせていくのは無理やろし」
と彼は難しい顔をして言った。目下のところ彼は結婚する気満々だけど、ビザは延長してもあと3ヶ月で切れてしまう。ブラジルのビザは回を重ねるごとにとりにくくなり、場合によっては1ヶ月とか、2週間とかしかくれないこともあるそうだ。つまり今回のビザが切れるまでにある程度将来の展望をたて、彼女を説得したりしておかないといけないわけだけど、それにしても3ヶ月はみじかすぎるので彼はやや焦り気味なのだった。

 戻ると知佳ちゃんがすしめしと魚の切り身、だし巻き玉子をつくってくれていた。浅野くんも2回目の歯の治療が終わってもどってきていた。浅野くんは予想よりもだいぶ歯の治療が早く済みそうだから、10日ぐらいでサンパウロを出られるんじゃないかと言っていた。しゃべりながらみんなでお寿司を握り、直径20cmぐらいはありそうな平皿に3皿もつくって平らげた。ブラジル米は日本で食べる日本米と同じツヤと粘りがあり、歯触り舌触りとも懐かしい日本の味だった。

 食べ終わると相馬野馬追を見物しに外に出た。空はやや雨模様で商店街もグレーに沈んで見える。ところがこの天気にもかかわらず、リベルダージに近づくにつれ商店街がひとであふれはじめた。鳥居のへんはほとんどむこうが見えないような人垣ができている。どうやら道路の両側にロープを張って、その間をパレードしているひとたちがいるようだ。行進について歩く人々がいるのでパレード自体はほとんど見えない。私たちはひとをかきわけてすすんだ。すると突然人垣が切れ、そこには馬にまたがった武者の行列が現れた。


武者装束に身をつつみ
 各武者は鎧かぶとを身にまとい、それぞれにあざやかなのぼりを掲げる姿もいさましい。時折前のほうで「やあやあ我こそは」じゃないけれど、名乗りをあげている声が聞こえる。現地のブラジル人や日系人のほか、旅行者がカメラやビデオをまわして武者行列を撮影している。このパレードを主催している「福島県人会」ってものの存在もまた大きな驚きだった。福島のほかにも町中にはいくつかの「県人会」の事務所があり、日系のひとたちがいまも「自分たちがどこから来たか」を意識し、そのルーツを大事にしようとしていることが忍ばれた。鎧武者たちはよくよく見ればほとんどが壮年から年輩の方たちで、若い人がいないのが気になったけれど、私はむしろ感動していた。だって地球の反対側に来て数世代を経ていながら、いまだに日本食を食べ、鳥居や提灯のついた街路灯をたて、馬追のセレモニーをやってるひとたちがいるなんて。

 と同時に、それはそうだ。この伝統は捨てられない、という声も私のなかで響いていた。毎週水戸黄門や暴れん坊将軍が見られる日本では気づくべくもなかったけれど、この日本の武者の装束、紅葉の柄、家紋のついたのぼり。日本のものは美しい。そのように振り返ればあのけったいなちょんまげアタマですらなんと懐かしく洗練されて思えることか。地球の反対側で私はこの武者行列にめまいを覚えるほど感動し、気がつくとぱらりと涙が出ていたりしたのだった。
南米大神宮、と書かれた横断幕が
あるだけでその下には何もない

 翌日も4人で日曜市を見に行き、月曜になってまた4人でインターネットやに行った。日中のサンパウロは、そう危ない地域という印象はない。マクドナルドで昼食をとり、散歩がてらのんびりとスーパーを覗いたり寄り道をしながら宿の近くまで戻った。淳くんはそのあと、
「勉強のためマッサージ屋にいってくる」
といって日系のマッサージ医院に行った。そこで参考までにマッサージを受けて、うまくいけばマッサージに関する資料を見せてもらい、仲良くなれたらブラジルでの営業展開の方針とか、顧客層なんかについても訊くつもりだ、と言っていた。でも30分もしないうちに戻ってきたので聞くと、そのマッサージやは横柄で感じがわるかったのでマッサージもうけず、はなしも聞かずに帰ってきたらしい。

「そいでもひとつだけ聞いてきた」
と胸はって言ってるので、
「何きいてきたん?」
と訊くと、
「俺の彼女、体弱いやろ。骨とか筋肉の発育が狂って、左右のバランスが崩れてるせいで体悪いねん。それをマッサージで治せるかどうかだけ、訊いてきた。治せるって言うてた」
という。なんだ。結婚まで考えてるんだから生活のこと訊いてきたのかと思ったらそんなこと訊いてきたのか。私と知佳ちゃんは顔を見合わせた。だってそんなのって、実際に体を診なくちゃわからないでしょうに。でも彼はそれでひとまずは満足したようで、
「俺が治してやるからな」
と誰に言うともなく意気込んでいた。

 翌朝起きてしばらくしたら知佳ちゃんが起きてきて、
「すごいコワイ夢で目がさめてん」
という。何やら胸の上がすごく重くて、目がさめて見たらバックパックがベッドの上に載っていて、それを投げたら重くなくなったけど、ふと私が心配になって私の名を呼んだそうだ。
「呼んだの覚えてない?」
と訊かれたけど呼ばれた覚えはない。彼女はときどきネゴト言ってるので、呼んだというのも夢だったんじゃないかと思う。それにしても私たちの部屋は、なにやら暗い雰囲気なのでそういう夢を見たと言われると気になってしまう。知佳ちゃんは不思議なひとで、オーストラリアにもアイルランドにも平気で単身渡るくせに、自分以外のひとの部屋にひとりでいるのがコワイらしい。知らないひとと同じ部屋じゃ寝られないというひとはたまに見るけど、知らないひとでもいいから同じ部屋で寝てほしいというひとは珍しい。旅行に出てもドミトリー以外だとこわくて寝られないので、どうしても個室になってしまったときは朝まで寝ないで起きてるんだそうだ。

 淳くんは明日彼女のもとに戻るので日本食を買い漁ってきていた。いかに日系人の多いブラジルとはいえ、彼の住むポルタレーザではこれほどの種類は手に入らないんだという。淳くんは彼女を喜ばせたくて、
「ブラジル人が喜ぶ日本食って何かな」
とあれこれ考え、浅野くんからアドバイスされて、ふりかけを何本かと、餅米、きな粉なんかを買い込んでいた。彼は彼女にとことん惚れ込んでいるようで、ヌードグラビアを見れば、
「俺の彼女のほうがキレイや」
といい、街を歩いていて女の子とすれ違っても、
「俺の彼女のほうが美人や」
とつぶやく。私たちは(^^;という表情の裏に「どうしたらいいと思う?」って気持ちをしずかに漂わせながら、背中につたう冷や汗の感覚をこらえていたものだった。

 その晩はおでんにきんぴらをつくった。ビールを飲みながらおしゃべりしていたら大雨になり、淳くんは雨漏りが心配だといって8時頃一旦部屋に戻って行ったと思ったらそれきり出て来なかった。翌朝出発は6時半のはずだ。彼、挨拶もしないで行っちゃうつもりかな、と私と知佳ちゃんはクビをひねった。それでもここ数日のことを考えると黙ってお別れもできないので、見送りに起きることにした。それで目覚まし時計を6時にあわせ、夜の12時頃寝る仕度をしていたら、淳くんが、
「おはよう」
といって私と知佳ちゃんの泊まっている部屋に入ってきた。
「もう起きないのかと思った」
と知佳ちゃんが言うと、
「いや、さっき自分の部屋に戻って荷造りしようと思ってたら、ベッドにちょっと横になった隙に寝ちゃって」
といいながら彼は指先で寝癖をなおした。メールアドレスを交換し、住所や携帯電話の連絡先を教えてもらったあと、ちょっと名残惜しそうにしてる彼に、
「明日は彼女と会えるね」
と言ってひやかすと、彼はニヤと笑って、ききもしないのに、
「明日の夜電話せんといてくれな。彼女だいたい11時頃に娘寝かしてから俺んとこ来んねん」
と言った。


左:知佳ちゃん、中央:浅野くん、右:淳くん
 あまりのノロケにまた(^^;こういう顔になって青ざめていると、ふと気づいたように知佳ちゃんが顔をあげ、
「彼女働いてないっていうけど、生活費とかどうしてんの?」
と淳くんに訊ねた。
「これは直接彼女には聞いてへんねんけどな、ブラジルでは結婚してなくて子供ができた場合、旦那のほうが養育費とか仕送りするのはわりと普通らしいねん」
と淳くんが答える。どうやらそこらへんのことは暗黙のタブーらしくて、彼自身聞いていいものかどうか迷っているようだった。

 私たちがつっこんで訊いてみると、彼女の生活費の出どころについて彼が知っている、あるいは推理していることはメチャクチャだった。娘の父親が面倒みてるかどうかも定かじゃないし、逆に、ブラジル人の収入が一般にそうそう仕送りできるほど多くないってことも知っている。彼女は前にヨーロッパ人の旅行者とつきあってたことがあったらしいけど、そういうひとたちがパトロンになっててまだ切れてないって可能性もないとは言い切れないという。

「売春とかやってる可能性はないの?」
と知佳ちゃんが訊ねると、
「いや、売春とかやって自分で稼いでたら生活はもっと質素になるはずやと思うねん。彼女な、電化製品とか家具とかでも結構いいもの持ってんねん。近所の子で売春やってる子はもっと質素な生活してるから」
と、彼はどうやってつじつまを合わせたらいいのやらわからないことを言い、最後に、
「俺は信じてるけどな」
とつけ加えた。そこまで来て私も黙っていられなくなって、
「でも信じたいのと信じられるのとは別でしょ。生活費がどっから来てるかわからないのにどうやって信じられるの?」
とクチを出した。
「それはそうやねんけど・・・」
とくちごもる淳くん。

「どうして結婚したいの?」
と知佳ちゃんが聞いたのは無理からぬ疑問だっただろう。だって、
「結婚したいの?」
と聞いても彼の答えはいつも、
「結婚してもいいなと思ってる
だし、どこが好きなのか聞いても、
「彼女は9人兄弟の一番上で子供の頃からとても苦労してる」
に始まって、
「自分がマッサージの店ひらいたときにすごく支えてくれたしな、彼女がいなかったらいまの自分はなかったと思うねん」
と続き、バックグラウンドの話しが出てくるばかりだったから。

 「美人」「スタイルがいい」はしょっちゅう聞くけど、性格の話しをすると「やきもちやきで喧嘩っぱやい」性格で、そんな彼女のどこに惹かれるのか聞いても、
「そういうのはクチでは言われへんねん」
と答える。クチで言えないのは、たしかにそうかもしれないけど、「惹かれるところ」と訊かれて何も出てこないないってことはないでしょう普通。でもつきつめて訊くと彼の話はいつも「支えてくれた」「存在が大きい」で終わるのだった。なんだかマインドコントロールにでもはまってしまったように、彼女は苦労してて彼を助けてくれたからこんどは彼が助けてあげなければならなくて、彼はそのためにすべてを捨てて単身ブラジルに飛び込もうとしているみたいだった。しかも彼の話のなかに彼女の意思はほとんど出てこなくて、彼女が結婚したがってるかどうかも不明だし、彼女が助けてもらいたがってるのかどうかもはっきりしなかった。

「日本に戻って鍼の資格をとり、スポーツ選手とかに鍼治療を施して一定の収入を得たい」というのが彼の計画だけど、よくよく聞いてみると日本の鍼の資格でブラジルで鍼が打てるのかどうかもわからない。鍼がすでにブラジルで流行っているからそういう計画を立ててるのかと思ったらそうでなく、ブラジルでどのぐらいの需要が見込めるのかもわからないという。私と知佳ちゃんでひとつひとつ問いただしてみると、大半が想像と憶測からできていて、それを期待で塗り固めてるようなあんばいだった。

 最後には彼自身もそのことに気づいて伏し目がちになってきてしまったので、気の毒になって少し励ましたりしてみたものの、状況はあまり彼の結婚に味方してるとは言えそうになかった。とにかく生活費の出どころはどこなのかはっきり聞いたほうがいいよ、と助言すると、彼は最初のノロケモードから一転してしょんぼりと、
「そうするわ・・・」
とだけ答えた。彼を見ていたら心配になっちゃって差し出がましいことをしてしまったけど、その消沈ぶりを見てたら少し気がとがめた。

 この間私はテーブルでパソコンをたたきながら話をしていたのだけど、彼は喋ってる間に私のベッドに座り、そのうちヨコになり、最後には毛布の下にもぐりこんでしまったので私の寝る場所はすでになかった。それに4時を回っていたのでもうこれから寝るということは考えられず、私たちはそのあとも彼の将来について語りあった。6時近くなって彼はベッドを出てシャワーを浴びにいった。6時過ぎて浅野くんが起きてきて、私たちは朝食の準備を始め、昨夜のおでんの残りをおかずにして朝食にした。6時半に淳くんは、日本語の本とポルトガル語の辞書と日本食でパンパンにふくらんだバックパックをかついで出ていった。寝不足で目を真っ赤にしてるのが、決死の覚悟の現れに見えるような顔だった。
「メール書くからね。ポルタレーザに遊びに来てよ」
と全員の手を握って彼は去っていった。彼の行く末が楽しみなような、不安なような気持ちで私たちは彼の後ろ姿を見送った。私はそのまま彼があっためていった布団に入り、昼頃まで眠った。

 その翌日、知佳ちゃんは旅行会社に出かけて行った。彼女は日本を出る前は南米に旅行するなんて考えもしていなかったので、旅行保険にも入っていなかったのだ。でも南米には黄熱病もあればマラリアもある。事故も多いし盗難も・・・と聞いて、やっぱり何か入っておかなくちゃと考えたらしい。最初に行った日系の旅行会社の若い担当のひとはポルトガル語で書かれたパンフレットを出してきて、
「これですけど・・・いやぁ、これ、日本語で説明できないなぁ」
と言うなり奥にひっこんだ。知佳ちゃんが待っていると奥でほかのひとにヘルプを頼んでる声が聞こえたらしい。
「渡辺さん、これ説明してもらえませんか」
「いやぁ、鈴木さんのほうが私よりずっと日本語上手なのにぃ」
「何言ってんですか。僕は渡辺さんの日本語だけを頼りにこの会社で働いてんですからぁ」
「そんなぁ。私なんかいつも鈴木さんに教わってばっかりなのに〜」
というやりとりが聞こえたあと、結局どちらが日本語ができるか決着がつかなかったらしく、
「こちらじゃじゅうぶん説明できませんので直接安田火災に行ってみてください」
といって担当のひとを紹介してくれたそうだ。

 そして先ほどのやりとりとは打って変わった力強さで、
「ポルトガル語でひとを呼び出してもらう言い方わかりますか」
と訊ねられ、わかりませんと知佳ちゃんが答えると紙にポルトガル語とカタカナ両方で書いてくれて、
「はい、じゃこれ言ってみてください」
と言われたそうだ。知佳ちゃんが読み上げると、
「ん〜、もう一度。はい、もう一度」
と合計6回ぐらい繰り替えさせられ、最終的に合格をもらったところでやっと帰してくれたらしい。

 翌朝知佳ちゃんは7時半に目覚ましをかけ、「ポルトガル語でひとを呼び出す言い方」のメモがポケットにあるのを確かめて8時頃でかけていった。安田火災は荒木のあるサンジョアキン駅から3駅ほど先にあるらしい。私は9時頃起きて髪を洗い、洗濯をして、それから朝ご飯を作りはじめた。それができたころにちょうど知佳ちゃんがかえってきたんで、
「どうだった?」
と聞くと彼女はつまらなそうに視線を落としながら、
「も〜喧嘩しちゃった」
といった。紹介された担当者を呼んでもらって、彼女が保険について聞いたとたんに、
「こんなとこまで来て保険はいってもらっても困るんですよねぇ」
って言われたそうだ。

「南米に旅行来るからには病気ぐらいするって覚悟のうえで来てるわけでしょう?」
中年男性のその担当者は彼女を上から下まで眺めながら言ったらしい。
「そりゃ病気はしないほうがいいと思ってますけど」
と答えると、
「えぇ〜っ?覚悟もなしに来てるんですかぁ〜?」
とイヤミを言われた。
「だいたいねぇ、保険にはいるときにこちらで健康状態を見て『元気そうでした』って報告するでしょう。それで一回でも入院なんかされちゃうと儲けがなくなっちゃうから、こっちが無能だって叱られちゃうんですよ」
なんてことまで言うもんで知佳ちゃんが、
「いや私はそちらの儲けがどうとか語り合いに来たわけじゃないんで」
といったら、
「じゃあ何のために来たんですか」
と返してくる始末。もちろん旅行保険に入りに来たんだけど担当者にそう言われては返す言葉もない。おまけに、
「旅行保険っていうのはねぇ、たとえば一週間のハワイ旅行とかで1日2日病気で倒れてしまったらもったいないでしょう、そういうときのためにあるんであって、1年間旅行するとなったら病気で1週間ぐらい入院しちゃおうかと思うでしょう、そうなるとうちはもうまるで儲けにならないんですよ」
と説教までされてしまったらしい。
「期間が長くなるともう旅行者とは呼べないんですよ。私を旅行者と呼べますか」
とその担当者がいうので、
「いやおたくは仕事でしょ」
というと、
「いや期間が長い旅行者のようなもんですよ」
と彼は答えた。彼女は内心(あんたが期間が長い旅行者やったらあたしだって旅行者でええやんか)と思いつつももうあきれて反論する力もなく帰ってきたそうだ。口振りからするにそのひとはこちらの日系人のひとではなく日本から派遣されてるひとらしいけれど、部下のひとはさぞかし苦労してるだろう。保険に入らせて儲けにならないなら相手の気分を害さないように断る方法がいくらでもあるだろうに、そこまで安田火災の評判を落とすようなことをしておいて「無能って叱られちゃう」もなにもないもんだ、と話し合った。

 その晩夕食から戻るとキッチンのへんに見たことある顔のひとがいた。声をかけると案の定、「吟遊詩人、世界を行く」というホームページの作者の梅原さん夫妻だった。私のホームページはYahooの「リアルタイム旅行記」というカテゴリに載ってるんだけど、梅原さんたちのページもその同じカテゴリに載ってるので時々覗いていたのだった。梅原さんたちはYahooInternetっていう雑誌に毎月旅のもようを連載してて、このあいだ日系の本屋さんで立ち読みしていたときに旦那さんの写真を見ていてちょうど顔をよく覚えてたからひと目でわかったのだった。

「ホームページ拝見してます」
って言ったら、旦那さんから、
「いつか読者の方に会うと思ってました」
と言われたので「私もホームページ書きながら世界一周を企てていまして」とは言いにくくなってしまった。梅原さん夫妻は結構プライバシーを大事にしながらホームページを作られてるようだったのでここではあまり詳しく書かないけど、たしか2年間ぐらいで世界一周の予定で出発し北米から下ってきたものの、南米がおもしろくてハマってしまったと言っていた。エクアドルで車まで買ってブラジルを南下してるうちに1年・・・正確には私と会った5日後に出発1周年を迎えようとしているところだった。

 旦那のウメさんはとてもひととうち解けやすいひとで、私もパソコン持ってるって話しから、実はホームページも作ってるんです、と言うと、
「リンクしよう!」
って言われ、ホームページのデータも交換することになった。といっても私のリブレットにはほとんど空き容量がないので、デジカメ用の予備のスマートメディアが保存用のディスクになった。奥さんのケイさんは私のホームページのデータを開くとまず「旅のきっかけ」に目を通し、それからできごと日記の「暗闇の生活」と「怪談」を熱心に読んでくれていた。ウメさんは「吟遊〜」のリンクのページにさっそく私のページを加え、紹介文には「昔このHPを見てうちだって負けないぞ!!と勝手にライバル視していたのですが、出会ってたちまち友達になってしまいました(^_^)」という文を書いてくれた。

 夫妻はいま26才で、出発の1ヶ月前、秋川渓谷で1泊2日、招待客100人に及ぶオリジナル結婚式をやって出てきたそうだ。あまりに大変な計画だったので、挙式1週間前に企画と司会者だかにキャンセルされてしまい当日はてんてこ舞いの大変な式だったそうだ。それでも写真を見た限りは見たこともないような壮大な結婚式で、ふたりの熱意が感じられうらやましくなるようだった。

 梅原さんが来た頃、私たちの出発の時期が近づいていた。知佳ちゃんはこのあとのルートがまったく決まっていなかったので、私と浅野くんでパラグアイ、チリ、ボリビア観光オススメルートをつくってあげた。知佳ちゃんは、保険については安田火災はあきらめ、パラグアイのアスンシオンでもう一度別の会社にアタックすることにしたらしい。でもまずはリオデジャネイロに行って有名なコルコバードの丘のキリスト像だけは見てみたいというので、私と一緒にリオに出発することになった。

 浅野くんは1ヶ月腰を据えてサンパウロにいるつもりが、結局3回の通院ですべて治療が終わってしまったのでちょっと拍子抜けしたような格好だった。サンパウロのあと思い切ってサルバドールまで行ってしまおうかなどと悩んでいたようだけど、思いのほか早く歯の治療が済み同じ日に出発できそうだったので、彼もとりあえずは一緒にリオに行くことに決めた。

 そんなこんなで、ここからひとり旅になる予定だった私は思いがけず3人連れで出発することになり、ひとり旅への復帰はもうちょっと先送りになりそうだ。さあこれで日本食三昧の生活ともお別れだ。さらばリベルダージ。さらば赤い大鳥居。そのスーパーに永久に日本食の姿が消えることのないように。私はスポーツバッグの底に昆布のつくだ煮をしのばせて、リオデジャネイロへの出発の準備を終わらせた。


日本人街に立つ大鳥居