最終日の朝食後、一行はミニジャングルツアーに出発した。雨季だと最終日はこの先の川をのぼってナマケモノや猿のすみかを見に行くんだけど、いまは水量が少ないのでそこまで舟では行けないんだそうだ。そのかわりに乾期にはジャングルツアーの一部をパンパツアーにとりこんで、ジャングルを探検してクスリになる木とかを探すことになってるようだった。上流の動物たちの住処を見にいけないのは心残りだったけど、乾季も悪いことばかりでもない。パンパの真夏、雨季も1月くらいになるとこのあたりでは蚊が増え、キャンプサイトあたりはまだしもちょっと木の多いへんになると蚊がクチの中に飛びこんじゃって飛びこんじゃって、喋れたもんじゃないんだそうだ。そういう意味ではいまはパンパ観光には、いいシーズンと言えそうだった。舟で少し川をくだって、私たちはパンパのはずれの小さいジャングルに潜入した。
ジャングルにはいってまずカルーソーが「一番大事な木」というのを教えてくれた。彼はまず木の白いまだらの肌をそいで赤い幹をえぐり、全員ににおいをかがせた。ツーンともジーンともつかないニオイがハナをつく。カルーソーがニヤっとして、
「これはキミに役にたつんじゃないか?」
とジュリアンに言った。
「これはビアグラというんだ。英語だとバイアグラ。もうわかったろ?これを飲むと、アレがしたくなるんだ」
言い終わるか終わらないうちに、ポーランド人の彼女が、
「それほしいわ!」
といってジュリアンの首に飛びついた。全員の目がテンになった。このお嬢さん金髪のショートカットが清楚な印象でとてもそういうことを言いそうには見えないのに。ジュリアンは抱きついてくる彼女をうけとめて「マイッタな」という顔している。彼女はおかまいなしに、
「どのぐらいで効くの?ねえこれもらっていきましょうよ。どのぐらい飲めばいいの?わたし今ほしいの」
などと、とめていいのやらつっこんでいいのやら、誰も暴走する彼女をとめることができない。
「これを5分ほど煮るとワインみたいな色になるんだ。これを1杯飲むと2時間ほどで体が熱くなる」
カルーソーがそう説明すると、ジュリアンの彼女はつまんなそうに、
「なんだ、そんなにかかるの。2杯飲めばどうなの」
と訊いた。質問の姿勢もいつになくものすごく熱心だ。川で泳ぐのも躊躇してたぐらいだからどんなお嬢さんかと思ってたのにハシタナイ。いやあるいはジュリアンのソッチの状況がそれだけさしせまっているのかもしれないけど・・・。
「いや2杯は飲み過ぎだ」
カルーソーが答えた。
「まえに男2人だけのグループのときがあってね、俺がこれを説明したらおもしろがって試してみようって、そいつらは2杯飲んだんだよ。でも2杯も飲んだら一晩中眠れなくなるんだ。そんときツアーの炊事係は女だったんだけど、そいつら夜じゅうギンギンで『やらしちくれ〜!』って追いかけ回してたよ。飲み過ぎはよくないんだ。体が熱くなりすぎてアタマがおかしくなるから」
説明のあいだじゅうポーランド人の彼女は目を輝かして彼の手にあるその木の皮をみつめていた。
「いまはクスリやでクリームを売ってるけどね、こいつのほうが効くよ。ただパンパの男は強いからね。俺たちゃこんなの必要ない」
と言って彼が木片を落としパンパンと手を払うと、ジュリアンの彼女はしばらく名残惜しそうに落ちた皮を眺めていた。
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 バイアグラの木
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その次に紹介されたのは毒のある木だった。その木は幹全体に画鋲のようなトゲがはえていて、樹皮にも樹液にもたいへんな毒があるんだそうだ。カルーソーは私たちを木から少し遠ざけたあとこの幹をナタで傷つけた。するとたらたらと白く濁った樹液が流れ落ちた。この幹から出た液が目にはいれば目はつぶれ、肌につけば肌はただれ、液を飲めば1分で死んでしまうんだそうだ。そんな強烈な毒をもつ木が身近に生えているなんて、やっぱりアマゾンだなあ、と認識をあらたにした。
ちなみにインディヘナのひとたちだけは狩りのためにこの樹液を使うのだそうだ。この樹液を矢につけて動物を射ればたちどころに動けなくなり間もなく死んでしまう。ただし動物は射てから2分以内に矢のまわりの部分をくりぬかなければ全身に毒がまわって食べられなくなってしまうという。毒矢というのは用いる側にも危険の伴う道具だ。うっかり毒のまわった肉を食べれば自分も毒に冒されてしまうし、加工にも気を配らなければならない。彼らは漁にもこの毒を使うという。この幹を×印に切ると樹液がほとばしり出るので、それを容器にとり湖に行って流す。すると20分ほどしてピラニアが浮いてくるという大胆な漁法だ。水に毒を流したんじゃ食べられないんじゃないか、という心配はこの場合いらないらしい。水は身までははいりこまないからエラと内臓を取りだして食べれば問題ないんだそうだ。
パンパの男たちもこの木を使うことがまれにある。それは舟だ。この木はとても堅くて舟にとても適しているのだとか。この木を切るときは全身をカバーする服を着て覆面をし、樹液が目にはいらないよう目をかばって切り倒す。そしてそのまま2ヶ月放置すると毒がなくなるので、それから加工して舟にするのだそうだ。
 食べられるアリのアリ塚
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毒の木から林の奥に少しまわりこむと頭上に丸い要塞があらわれた。地上から4mぐらいのところに、木の幹に貫かれるように浮かぶその要塞は巨大なアリ塚だった。直径は1mちょいぐらいあるだろうか。
「このぐらいの大きさのアリ塚になると100年ものなんだぜ」
とカルーソーは言った。カルーソーはパンパやジャングルにいるとき本当に生き生きとしている。そして木やいきものの説明をするときは自分の兄弟たちを紹介するかのように誇らしげだ。パンパで生まれ育ち、この土地を愛しているからなんだろう。
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カルーソーはおもむろにナタをとりだすとツカを握って、アリ塚から地面まで木の幹を這うアリのトンネルをカンカンと割り、
「このアリは食べられるんだ」
と言った。トンネルからたちまちあふれ出るアリにスイス人のジェインの指を無理矢理つっこんで何匹かたからせ、これを食べてみろという。ジェインはちょっとためらってクチにつっこんで、カルーソーに言われるままに噛んでみていた。
カルーソーは、
「甘くてフルーティな味がするだろ?これは俺の好物だ。ジャングルで食べるものがなくなったときでもこれがあるから俺は生き延びられる」
といった。最初ウエーという顔をしてたひとたちも、ジェインがわりとすんなり味見してみせたもんで意外に次々とアリを指にたからせてクチに運んだ。何人かに続いて私も食べてみた。たしかにやや甘くて、蜜みたいな味がしないこともない。アリの炒ったやつとか羽根アリの揚げたやつをアフリカやタイで食べたことはあったけど、生で食べるのは始めてなのでドキドキした。私の後にジュリアンが試そうとしたら、清潔好きな彼女が、
「そのクチで私にキスしないでね」
ってあわてて予防線を張った。ジュリアンは男らしいとこを見せようとしてか、彼女の反対にもかかわらずアリのたかった指をクチに運び、さっと振り返って、
「さあキスしようか」
って言った。彼女は、
「最低よ!ほんっと最低!! 」
と連発していた。
アリ塚の木の隣の大木からはツタが下がっていた。
「これはターザンの使ってたツタだよ。前はここにターザンがいたんだけど俺と戦ってヤツは逃げてったんだ。ほんとさ。パンパの男はターザンなんかより強いぜ」
とカルーソーが言った。
「この蔓はとても丈夫だからジャガーが出たときはこれにのぼることができれば逃げられるんだ」
といいいながらカルーソーは器用に腕だけでのぼってみせた。それにつづいてジュリアンがツタのぼりに挑戦したら、ジュリアンは足でツタを挟むようにして、カルーソーより上手に5mばかりするするとのぼっていった。同時にポーランド人の彼女が、
「ダメよそんなに高くのぼっちゃ!」
と悲鳴をあげた。ジュリアンの一挙手一投足ごと、ジャングルに彼女の悲鳴がこだまするのがおかしい。
次にカルーソーが木の実をひろってきた。その実はまだ熟れていなかった。これはパンパの林檎と呼ばれて熟れれば甘いけど、いまはまだ食べられない。食べられるのは再来月、11月あたりからが旬なんだそうだ。ただ、まだ熟れてない実は入れ墨に使えるという。肌に描くだけでよく、描いて2時間ほどおくと本物の入れ墨みたいな青黒い色がつくんだそうだ。
「5ヶ月ほどで消えるけど誰か試してみないか。俺はこうみえてもパンパの入れ墨師として名高いんだぞ」
というんで私が実験台になった。カルーソーは実をふたつに割って、ほかの木の枝でペンをつくった。
「なんのガラがいい?」
ときくんでラコステのワニのマークを描いてもらうことにした。
彼はまず肌のヨゴレを落とそうとして腕をこすった。そしたらぼろぼろっと黒い垢が落ちたんでみんなが笑った。
「すごいキタナイねえ」
ってカルーソーが言って、もうひとこすりしたらまた垢がおちた。みんなの笑いがちょっと静かになった。そいでもうひとこすりこすったら、まだ落ちた。こんどはもう誰も笑わなかった。我ながら情けなくなった。けど、ちょっとだけ言い訳させてもらいたい。私だって一応キャンプには石鹸ももってきたけど、やっぱりイルカのいる川で石鹸使うのは気がひけたんで、昨日もおとといも水に浸かってヨゴレをおとすだけにした。若いから、といえば見栄になるけど、暑いから新陳代謝も盛んになる。水はもともと泥色だし、毎日日焼け止めや虫よけをつけてるから、クスリや皮脂や泥がかたまって、ある程度の垢がたまるのはしょうがないと思うんだ。みんな、いますぐ自分の腕をこすって試してみるんだ!と心の中で私は叫んだ。
カルーソーはときどきリンゴにペンの先をつっこみながら描いてくれた。ラコステの絵は想像したよりかなりでっかく仕上がったらしく、彼が描き終えたとき、肩から二の腕全体に木のペンでひっかいた跡が残っていた。ちなみにこの入れ墨はしばらくすると私の腕にはっきりと浮き上がってきたけど、できあがりを見てかなり落胆した。このワニ、ハナが大きく胴が太くて、しっぽの長いカピバラみたいだ。何がパンパの入れ墨師だい!あとからカルーソーに苦情を言ったけど、
「え?立派にワニじゃないか。かっこいいぞホラ」
と言われただけだった。パンパの男の美的感覚はわからない。5ヶ月ということは日本に帰る前か帰ってから間もなくには消えてくれるとは思うけど、こんなものと半年ちかくもおつきあいしなければならないのかと思うとなんともやるせない気分に襲われた。
そのあと「頭痛に効く水の採れる木」とか「カウボーイが牛を捕まえるとき使うツタ」なんかを探していたら時間が来た。私たちは舟でキャンプサイトに戻って昼食をとり、荷物をまとめてキャンプサイトを出た。
出発するとき、今日またボートが川辺に乗り上げすぎてるらしくてカルーソーが、
「みんな舟を揺らして。せえの」
と声をかけた。昨日の夕方ぐらいから、みんなずいぶんうちとけて、カップルで参加したひともグループで来たひとも、もともとのグループに関係ない組み合わせで並んで座りはじめていたから、先頭にいたエドワードの彼女のシェリーと、スイス人のジェインがうしろをふりむいて、みんなとアイコンタクトをとりながら体を左右に揺すり始めた。2日間のあいだで、いったいいつのまにみんなの心はひとつになっていたんだろうか。2,3度からだを左右に揺すったあいだにみんなの動きはひとつになり、舟はみんなの動きにあわせて左右に大きく揺れだした。舟の下に水がはいり、それにあわせてカルーソーがモーターをまわした。舟はモーターの力だけで水中に浮かんだ。みんなの間から拍手が起こった。
もとの舟着き場について荷物を舟からおろす作業もいままでで一番はやかった。バケツリレーで荷物をすべて陸にあげ、迎えにきた車の天井に荷物を積み上げ、準備ができたとき、ビビアンが、
「全員の写真とろう!」
って言い、炊事係の男の子にカメラを渡した。そしたら集まったみんなが「僕も」「私も」とカメラを差し出し、炊事係と車の運転手が手分けして撮ってくれた。デジカメは私のだけだったから、私が、
「こんな感じ」
って撮れ具合を確かめると、みんながのぞきにきて口々に、
「いいね」
「いい写真だ」
「ホームページに載せてね」
「楽しみにしてるよ」
と声をかけていった。
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写真撮影がおわり、みんなバスに乗り込んだ。カルーソーとドリオと食事係の二人は、行きに昼食をとった家で降りていった。みんなが手を振って、口々にお礼やお別れを言った。そして来たときと同じほこりっぽい道を3時間半。夕方5時か6時頃ルレナバケについた。こちらでは雨が降ったらしく道がぐちゃぐちゃになっていた。数十キロしか離れていないパンパで一滴の雨も降らないでくれたのはひとつの奇蹟だったかもしれない。
旅行会社の前につき荷物を出しおわると、みんなお別れの挨拶をしてそれぞれのホテルへと戻りはじめた。私もオスタルベニに戻ろうとしたら、トマスが私を呼び止めて、
「きみのホームページのURLを教えてくれない?僕たちもこれからホームページつくろうと思ってるんだ。それに僕たちもこれからアフリカに旅しようと思ってて、参考になることがあるかもしれないし」
と言った。紙にURLとメールアドレスを書いて、
「私のページは日本語だけだから参考になるかどうかわからないけど・・・でももし私のホームページで、今回のツアーの写真のなかに気に入ったのがあったら自由にあなたたちのホームページに使ってね」
と言ったら、
「楽しみに見せてもらうよ」
って彼は言い、マリアと一緒に手を振って自分たちのホテルに向かっていった。
私はオスタルベニに戻る前に、Tuichiホテルの受付を覗いてみた。受付のお兄ちゃんにタケヒロさんから借りた「地球の歩き方」を託してあったけど、ちゃんと返してくれたかどうか心配だった。
「私のアミーゴに本をわたしてくれた?」
って訊いたら、一瞬何のことかわからないって顔したあと曖昧に、
「え?ああ、渡した渡した」
と言われただけだった。ほんとに渡してくれたんだろうか。あれがないとタケヒロさんはペルーに戻るためのガイドブックは何もなかったはずだ。預けた荷物に入っていなかったら受付で訊いてくれたと思うけど、訊くといってもスペイン語の得意じゃない彼のことなので、英語で一生懸命訊いてしまったかもしれず・・・もしそんなことになってたらほんと悪いことしたなぁ、と不安が膨らんだ。
(※タケヒロさん、もしこれを読んでいたら連絡ください。無事リマに戻れたかどうか心配しています。)
旅行社の前にまだ残ってた何人かとメールアドレスを交換したりして、それからオスタルベニにチェックインした。全身ものすごく汚かったので、とにかくお風呂にはいることにした。バスルームにはいって髪を洗ったら、一回目は泡が茶色かった。全身をくまなくあらって部屋に戻る。近所の定食やで夕食をとり、部屋に戻って日記でもつけようかと思ったけど、ほとんどチカラが残っていなくて、その晩は8時か9時に寝てしまった。
ルレナバケでは朝方はいつも停電でファンがとまっている。翌朝は7時前に目がさめた。蚊にもさされてるけど、そのほかにもあちこちかゆい。キャンプサイトでノミかなにかもらってきたみたいだ。7時になって電気がきてから起きあがり、殺虫剤をベッドに撒いた。私ぐらい殺虫剤を必要とする旅行者も少ないんじゃないだろうか。ここまで1年半の旅でそろそろ3本目の殺虫剤がなくなろうとしている。虫と縁が深いかどうかは個人差があると思うけど、私の旅はとりもなおさず虫との闘争の旅でもある。最初の頃こそ刺されるたびにおおさわぎしていたものの、あまりに回数が多いのでもう最近では慣れてしまった。それでも虫を服の中に飼うのはイヤなので、虫がついたときには必死に洗濯や虫除けや殺虫剤で駆除をする。
殺虫剤のあと、山ほどの泥だらけの服を洗濯した。いま着てる服も脱いだら、ベッドの上に2つばかり草の種みたいなものが落ちた。あ〜あこんなのくっつけて来ちゃって。洗濯にあたっては泥も頭のいたい問題だった。泥の岸辺に座ったもんで、水着のおしりのあたり繊維に土の小さい粒がはまりこんじゃって洗ってもなかなかとれない。Tシャツの襟元にも粉みたいな泥が入り込んでこすってもこすっても茶色い色がとれなかった。パンパのツアーは後始末がたいへんだ。
ラパスへの帰りは飛行機にしようって決めていたから、害虫駆除と洗濯のあと航空会社のオフィスに向かった。南米では軍が航空会社を兼業してる国がいくつかある。ボリビアも例外じゃなくて、TAMっていう航空会社の名は、ミリタリー空輸っていう意味の言葉の頭文字をとったものだ。オフィスはバス会社みたいに小さいカウンターひとつあるだけだった。このルレナバケ=ラパス間は予約がはいりにくいと訊いていたけど、オフィスに行って翌日の便の予約がとれるか訊いたら噂どおり、予約のとれる便は5日後という返事がかえってきた。5日間もルレナバケで何をしてればいいんだろう。言葉が不自由なのでキャンセル待ちができるかどうかもわからない。
それでしょげていたら、ちょうど今日の便で出発することになってたマリアとトマスが通りがかった。私が、
「5日後の飛行機になっちゃったの」
と話すとマリアは気の毒がって、
「ちょっと訊いてきてあげようか」
といって受付にいった。マリアはスペイン人なんで、スペイン語でこまかいやりとりができる。担当の女性とふたことみこと交わしただけで突然明日の便に空きができた。どんな魔法をつかったのかと私があっけにとられていると、
「予約だけいれてお金を払ってない客がいたみたいよ」
って彼女は言い、役にたってよかったわって微笑んだ。
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 チケットもバスの切符みたい
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マリアたちと別れて、12人のツアーも悪くなかった、と思った。もし失敗していたらとても孤独なツアーだったかもしれないけど、結果的にみんなと仲良くなれて一気に11人の友だちを作ることができたから。出発まえ、この町は知らない顔ばかりでとても心細かった。だけどいま、この町には11人の友だちがいて私はもうひとりじゃなかった。
* * *
さらに翌日。TAMのオフィスにいくともう集まってるひとたちがいて、順々にチェックインがはじまっていた。スウェーデン人のアイーダとカレンも来ていた。チェックインのときに犬の写真のついたテレホンカードみたいなものを渡されたから、なんだろコレってアイーダたちと見せあった。3人とも違う柄だったけど、どう見てもただの犬のテレホンカードだ。ただだいぶ使い古されてくたびれてる。3人して考えて、結局ボーディングパスだろうって結論に落ち着いた。ふつうボーディングパスっていうのは搭乗口とか搭乗時間とか出発時間とか席番号なんかが書いてあるものだ。でもこのカードは使いまわしなので、今日の搭乗に必要なことは何も書いてない。こんな田舎の飛行場だから搭乗口が2つ以上あろうはずもないけど、席番号も出発の正確な時間もわからない。
シャトルバスとは名ばかりの、極端にエンジン音のうるさい中古バスはガタボロガタボロと15分ぐらい未舗装道路を走って空港についた。空港とは言ってもここって、埼玉のど田舎にある私の実家の最寄り駅と同じぐらいの設備しかない。のりきらなかったひとを乗せるためバスはもう一度もどっていって、結局1時間ほどもたってから戻ってきた。私はそのあいだカレンとアイーダとおしゃべりして時間をつぶした。アイーダはこのあとチチカカ湖沿いのコパカバーナまで行き、それからコチャバンバに戻ってまた看護婦の研修を続けるんだそうだ。カレンはまだしばらく夏休みなのでアイーダとコパカバーナに行ったあとペルーのプーノで知り合いと落ち会い、クスコからマチュピチュ遺跡を目指すんだという。
 ルレナバケからの飛行機
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しばらくして飛行機が飛んできた。このルート、どうも毎日同じ機がラパスからルレナバケを折り返してるらしい。飛んできたやつが客を降ろして、そのあとすぐに客を乗せる準備をしていた。プロペラが両側に一基ずつついてるやけにちいさい飛行機だ。
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果たして犬テレカはやはり搭乗券だった。飛行機は60人のりがいいとこだろう。ジェット機の数分の一ぐらいの大きさしかないので階段も10段ぐらいしかない。テレカを渡してなかにはいるとなんと自由席だった。遊覧飛行とかじゃないのに自由席なんて初めてだ。私はアマゾン盆地からアンデス山脈までの景色が見たくて窓際に座ったけど、窓つったってマスクメロンみたいにいっぱい傷がはいってて外がほとんど見えない窓だった。もの凄く旧型の飛行機の、ものすごく年季のはいったやつがどこかの国からボリビアに払い下げられてきて、完全に動かなくなるか落ちるまでこのルートを飛び続けるんだろうと思う。そういえばはじめてコチャバンバからラパスにはいったとき、すり鉢盆地の上に空港があるのが見えたけど、その一角には飛ばなくなったとおぼしき飛行機が何機かうちすてられてあった。どうして、ただ「停めてあった」のでなく「うちすてられてあった」と思うかというと機体がサビサビで傾いているのがはっきり見えたからだ。ボリビアは、よその国で始末に困った型おくれとかの飛行機の墓場かもしれない。
あいてる席がみつからず、
「オレって立ち席なの?」
とかいいながら通路を行ったり来たりしてるひとがいるのにエンジン音があがった。シートベルトの確認もなしで飛行機はうごきはじめた。空港敷地内とはいえ芝生の上を歩くような速度で飛行機は滑走路に向かう。タイヤの下の地面の凹凸がはっきりわかる。これでどうやってスピードあげるんだろ?飛ぶのか?第一、滑走路はどこなんだろうか。飛行機はエンジン音を上げたり落としたりしながらぐねぐねと走りまわり、やっとホントの滑走路についた。ただしそこが滑走路だと気づいたのは、飛び立ったあとだった。というのは、そこがやっぱり芝生だったからだ。
離陸のときスピードあげないでも飛ぶようになってるのかねこの飛行機は・・・と外を眺めやっているとぎゅいぃぃぃんと気圧の調節がはじまって、そのあと飛行機はものすごい勢いで走り出した。芝生の上でもこんなに速く走れるんだ!でもって飛行機は、だぁーーー!!っと駆けたあとうんしょ、という勢いで浮いたのだった。ほんとに飛んだ、と感心しているうちに高度があがり、マスクメロンの向こうに濃い緑のジャングルが見下ろせた。やがて飛行機はいくつかの茶色の川を越えた。川はだんだん細くなっていって、濃い緑のあいだを蛇行する茶色いスジや、いくつかの三日月湖が見えるようになり、やがてそういう景色も雲の下にきえた。ときどき前の席に座ってるカレンたちと言葉を交わしながら、私は遠くなるルレナバケを見つめた。
それにしてもよく揺れる飛行機だった。揺れるたび命が縮まるので、その点ルレナバケまでのバスといい勝負だ。しばらく乗ってるうちにキモチが悪くなってきて、アタマも重くなってきた。一度、カップにちょこっとだけコーラのサービスがあったので飲んだけれど気持ち悪さ倍増だった。40分ほどで遠くに雪をかぶった山が見えるようになり、高度が下がりはじめる感覚があって、ふたたび雲にもぐったとき、おそろしく機体がゆれた。ジェットコースターに乗ったときに味わうような、下腹に風が通るような感覚を味わい、何度か手に持ってたガイドブックに遺書を書こうかと思った。本当にこの飛行機があのバスより安全なのか私は最後まで確信がもてなかった。
揺れはともかくやはり飛行機は速い。ひとがルレナバケまでの道のりどんな思いで20時間バスに乗り続けたかも知らず、飛行機はラパス空港までほんとに1時間でついた。結局12時半に集合したのに出発は3時間後で、ラパスに着陸したのが4時半。アイーダとカレンはできれば今日のうちにコパカバーナに行くつもり、といってタクシーでバスターミナルに向かっていった。私が街の中心行きのバスを求めて空港の敷地を出ると、親切な空港の警備員が、職務だとでもいうようにあたりまえの顔してバスをとめてくれた。荷物を預けてある宿にたどりついてチェックインし、夕食には浅野くんと一緒にいたときいつも食べに行ったサンアントニオ・レストランにいって、いつも食べてたカツ定食を頼んだ。
ボリビアもトータルでずいぶん長くなった。実をいうと南米にはいるまえは場所も知らなかったボリビアだけど、まわった都市・町は10カ所にものぼった。これから11カ所め、チチカカ湖沿いの町コパカバーナに行ってちょっとサカナを食べたら、次は南米でもコロンビアに次いで危ない、と名高いペルーだ。
ところで、最後にひとつキモチ悪いことを報告しなければならない。虫の件だ。
ラパスから出発するにあたり、荷物をひととおりまとめてベッドの上を見たら黒いテンがあった。あっ、これ、どっかで見た。キャンプから戻ってルレナバケのオスタル・ベニで1泊したあと、着替えしたらベッドの上におちた草の種だ。まだついてたのか、と手にとってしげしげと眺めたら、跳び蹴りくらった衝撃が走った。草の種と思った粒からは細い足がいっぱい生えていて、わやわやと動いているではないか。ダニだった。まだ駆除がじゅうぶんじゃなかったのだ。
それから数日まだ闘いは続き、新しく闘いに加わった虫も含めて完全に駆除が終わるまでには、ペルーに入ってからまだ数週間を要することになる。
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 苦手なひとはクリックしないで
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