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アマゾンの奥地に幻のピンクイルカを追え!!<1>
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ボリビアの首都ラパスは、文字通りすり鉢状の盆地のなかにある。その盆地のなかほどにあるバスターミナルを出発してから、バスはしばらくすり鉢のきつい斜面を登り続け、やがてなだらかになった坂をなお2時間ほど登り続けた。ラパスの中心地が標高3600mぐらいで、すり鉢のフチがだいたい4000mちょいということなので、そこからさらに登ったということは4500mぐらいはあるんじゃないだろうか。道はちゃんとした舗装道路だ。民家がなくなってしばらくすると両側の景色はとんでもないごっつい岩山になった。どういう具合でこうなったのか、どの山もナナメに地層が走って、ところどころが崩れ落ち、それぞれの岩が剣のようにとがっている。標高のせいだろう、木なんか一本も生えていなくて、岩にまとわりついた草がこけのように見える。空はどんよりと曇り、寒々とした岩と草だけの斜面にたまにぽつんぽつんと羊が枯れ草を喰んでいたりする。Tシャツの上に長袖のシャツとジャケット着ているけど少し寒いのでトレーナーを出して膝にかけた。サンダルはいて来てよかったのかな、スニーカーはいとくべきだったんじゃないだろうかと思う。美しい岩山に見とれてるあいだにやがて上り坂はおわり、下り坂がはじまった。間もなく道路は未舗装になった。
車掌がチケットの点検に来た。ほんとうは9番の席なのに適当な席に座ってるんで、席番号が違うことについて何か言われるかなとドキドキしていたけど、車掌は私のチケットを見て「9番ね」と言って手にもった乗客名簿をチェックしただけで通り過ぎていった。車掌にとっても席番号は、整理番号ぐらいの意味しかもたないようだ。
岩山の斜面にはりついたような道路を走ってしばらく下っているうちだんだんに灌木が多くなり、そのうちふつうの高さの木も見られるようになってきた。少なくともラパスぐらいの標高には下ってきたようだ。手持ちの地図によれば、ここから明日の朝までには標高500m以下のとこまで行くわけだから、このあとはずっとずっとずっと下りのはずだ。
最初にとまった村は、時間からいって昼食休憩だと思ったので、屋台を物色しながらまずはトイレを探した。ボリビアでは公衆トイレは商売でやってるみたいなもんが多くて、大概のところで50センタボ(8円ぐらい)のお金がかかる。でもここのトイレは、ボリビアに入ってから今までで最安値の30センタボ(5円ぐらい)だった。建物の前でお金を払い、適当な長さで切ってたたまれたトイレットペーパーをもらって、女性用と書かれた入り口から建物の中にはいった。そしたら、いきなりしゃがんでるおばちゃんと目があった。三つ編みして独特の帽子をかぶり、ふかっとしたスカートの上にエプロンかけたインディヘナのおばちゃんとか、子供とかがこっちむいて用をたしている。そこはドアのない、ついたてだけのトイレだった。それぞれの仕切りの間には、ブツが流れていく穴と、その両脇に足を置く場所があるだけ。
こういうトイレっていうのは、中国なんかに行くと結構一般的と聞くけど、私は中国に行ってないのでこういうトイレは初めて。強いていえばミャンマーとかインドで何度か見たことはあったけど、そのときは、ほかにドア付きの個室が2つ3つあったりして使わなくて済んだのだった。とはいえ、バスの移動中には青空トイレなんかもときどきはあるわけで、いまさらついたてのトイレがコワイわけあるか、と堂々と用を足したのだった。でもさすがに入り口の真ん前の、外から見えるとこは避けた。いつかはこういうトイレも経験するだろうと思っていたけど、意外に抵抗なくできたことにちょっとだけ驚いた。たぶん、しゃがんでるひとたちがあっけらかんとやってるからだろう。でも、一応断っておくと大ではなかった。大だったらちょっと、躊躇しちゃったかもしれない。
すっきりして出てきてみると大勢のミリタリーポリス(こっちだとポリシア・ミリタリア)が高い階段にのぼってバスの上の荷物をさぐっていた。ここに停まったのは、昼食休憩じゃなくて荷物検査の検問だったんだ。バスんなかに入るとそこにもひとり検査官がいて、あんたの荷物みせてねっていう。私の荷物そこだよ、って、床に置いて、チェーンかけてあるデイパックを指さした。パソコンの入ってるデイパックだ。見られたらめんどくさいな、とちょっと緊張した。だけど軍人の青年はそれには全く興味を示さないで、
さて、デイパックの検査を免れたのはいいものの、肩掛けバッグをあけて、中のポーチのなかのカメラまで見せたとき、
説明書きは英語だけど、その冒頭にある「強力刺激物」という単語を指さして、
前の席にいたオーストラリア人夫婦の旦那のほうが心配して、
さて詰め所に行くと、上官が出てきてデスクの前にすわらせられた。ヨコに下士官っぽい男もくねくねした恰好でデスクに肘ついている。上官が何か訊ねるけど、何て言われてるのかさっぱりわからない。私がわからないという顔をするたび隣のクネクネが肘をついたままスペイン語で通訳する。おまえの通訳は私の知識にかすりもしないので、ややこしくなるだけだからちっとだまっとれ!といいたいのを必死にこらえる。ペッパースプレーは上官の手にしっかり握られてしまって、いまにも机にかたづけられてしまいそう。焦りながら、
「これはいくらするんだ」 って聞いたんだ、と彼は言った。 「やつら荷物検査にかこつけてひとのもの盗るんだよ」 なるほど彼らが物色してるのは主にツーリストスタイルのバックパックとかばかりで、麻袋とか、地元のひとが荷物を入れてる安っぽいスポーツバッグには見向きもしない。長い旅の月日の間にすっかりささくれだった私のエレッセのスポーツバッグも彼らのお眼鏡にはかなわなかったらしく、摘みあげられた次の瞬間には、検査済みの荷物の上にどかと置かれていた。しばらくして荷物検査が終わり、どうやらオーストラリア人夫妻の荷物も無事検査を通過したようだった。バスはまた坂を下りだした。
浅野くんの持っていたFoot Printシリーズのガイドブックを読ませてもらったとき、「ラパスからルレナバケにバスで行くときは左がわに座れ」って書いてあったんで、意識して左に座ってるのに、景色がよさそうなのは右ばかり・・・と思っていたらやがて岩のカーテンがひらいて、突然はるか彼方の濃いグリーンの山に彫刻刀で切り取ったように茶褐色の道路が刻まれているのが見えた。この時点でバスは谷を左側にして走り始めた。すばらしいスペクタクル。1000mはあろうかという山の、かなり急な斜面の中ほどを切り取って作った絶景の道路だ。
しかしこの道路、最初はなんとすばらしい眺めであろうかと思ったけど近づいて行くにつれ助けてくれと思うようになった。斜面は時としてきわめて90度に近くなり、道路の上にも下にも土砂崩れの痕跡が見える。しかも斜面のひだにあわせてぐるぐると走ってるうちにこの道路がだんだん狭まってきてることに気づいた。右の山側はもう岩膚すれすれのところを走ってるというのに左の谷側は余裕がぜんぜんない。たまに花がいけてあるのってどういう意味だ。どうかんがえても道路がえぐれたから修理したとしか思えないコンクリの補強があって、ここを通った車はどうなったんだ、と考えざるを得ない。ガードレールなどというものはないので左側に座っている私の顔の真下が数百mは下かと思われる谷底だ。その状態でも道に凹凸があるのでバスはときにぐらりと左に傾いたりしてくれるわけで、私はそのつど谷底をばっちりおがんで背中をケバだたせたりしていた。
だけど考えてみればもうここまで来てしまった以上私にできることは何もない。いまここではらはらしても落ちる確率が減るわけでなし、こうして下を眺めて寿命を縮めていては、バスが落ちなくても着くころには死んでしまう。と思って、私は眺めるのをやめ、眠ることに決めた。
目がさめるとコロイコという町を通過するところだった。コロイコはラパスの中流クラス以上の市民に人気のあるリゾートでツーリストも結構来るという話だ。バスを待ってるツーリストのなかに東洋人ぽいひとひとりがいて、乗ってきたところへ挨拶したらやはり日本人だった。
そのひとは私の隣に座り、バスが出発してからしゃべり始めた。彼は昨日あの彫刻刀道路を自転車で6時間ぐらいかけて下るツアーに参加して、ゆうべはコロイコで、眺望がよいので有名な5つ星ホテルに泊まったんだそうだ。
さて、彼はアメリカ人女性と結婚しロスに住んでてCGアニメーターをやってるタケヒロさんというひとだった。3週間の休みがとれたんで、ペルーをメインにひとりで旅行してて、いまはちょうどそのフィナーレを迎えるところらしい。ほんとはウユニまで行きたかったけど、それだと3日ぐらいバスの中になってしまってもったいないから、とりあえずコロイコとルレナバケに行こうと思ったんだと言った。でもあと5日後にはペルーのリマからの便に乗らないといけないから、あす早朝ルレナバケに着いたら、その足でジャングルツアーに行くのだそうだ。ジャングルで1泊し、ツアーからもどってルレナバケで1泊したら飛行機でラパスにとって返し、そこからバスでリマまで一目散に戻って、リマからロスへ帰るのだという。ウユニに行かなくても十分な強行軍だ。短期旅行のひとはタフだなぁ、と思ってから、3週間って昔は短期だと思ってなかったがなぁ、慣れって不思議なもんだなぁとまた思った。
コロイコぐらいからかなり暑くなってきてて、私は長袖を脱いで半袖だけになった。それからもしばらくはかなりあぶない崖っぷちを、バスは走り続けた。ずっと前に台湾でも東西奔貫公路っていう、こんな山道を走ったことがあったけど、なんつったって未舗装なので台湾のそれとはあぶなさがちがう。
それにしてもこのバス、いつまでも昼ご飯に停まらない。出発が11時すぎだったから、済ませてることを前提に走ってるのかもしれない。4時くらいにやっと次の町に着いたのでここで何か買おうと思った。といっても、まずはトイレを優先し、そのあと近くの売店でフライドチキンを買った。ほんとはタケヒロさんも同じものを買おうとしたんだけど、売店のおじちゃんがひと袋めをのんびり詰めてる間にバスが動きだしてしまったので、あせって戻って結局1人前を分けることにした。このバス、車掌いるくせに人数確認もしないでほんとに走り出しちゃうんだから冗談キツイよ。
8時ちかくなってバスがまた荷物検査にとまった。コロイコからツーリストが何人か乗ってきてバックパックの数が増えたので、検査官たちはずいぶんと楽しそうにバックパックをひらいている。その様子を心配げに眺めながら白人ツーリストたちは、
そういやボリビアじゃ、いま政府あげてドラッグのシンジケート壊滅運動の真っ最中なんだそうだ。それで検問が強化されてるのかもしれないけど、それにしたってツーリストがドラッグを売りさばいたり大量に輸送したりはしない。なのにツーリストのバッグばかり念入りに調べるのは、ツーリストのバッグからマリファナでも見つかったら罰金というかたちで賄賂がとれるからなのだろう。「これはなんだ!」「へへ〜すいません、これでお許しを」という段取りだ。ドラッグが見つかれば賄賂がとれるし、MDを見つけたら着服してしまえるし、どっちにしても検査官たちにはツーリストのバッグを漁っていたほうがイイ小遣い稼ぎになるので、彼らはお上の意思とはうらはらに、シンジケートの流通経路をさぐるよりはツーリストの荷物をさぐるのに熱心というわけだ。
どうやら今回も私の荷物は検査の魔の手を逃れたらしい。タケヒロさんの荷物も無事だったようだ。荷物検査が終わると夕食休憩があり、それから走り出すともう真夜中までバスはノンストップで走り続けた。もう相当標高の低いところまで来たようで、窓を閉めているとおそろしく暑い。だけど窓をあければすごい砂埃が吹き込んでくる。手も顔もクチのなかもじゃりじゃりとしてキモチがわるい。砂を噛むような思い、というのはこういうのを言うんだろうか。
夜中2時頃だろうか、バスは仮眠休憩みたいなんで小さな町の道路端に1時間くらいとまった。タケヒロさんは後ろのあいてる席に移動していった。前にも後ろにも長距離トラックやらバスがとまって運転手たちは仮眠してる様子だ。近くのカラオケからスペイン語のヘタな歌がきこえた。
仮眠休憩が終わって走り出してから先もずっと壮絶な悪路だった。窓によりかかろうにも頭がガンガンぶつかるし、窓から砂がふきつけるし、暑いしでほとんど眠れない。4時頃からはまったく眠れなくなり外ばかり眺めていたけど、見えるのは黒々とした椰子やバナナの木のシルエットだけだった。6時台になって明るくなり、7時過ぎてやっとバスはルレナバケについた。
バス停におりたらタケヒロさんが旅行の予約票を出して、
![]() ルレナバケの町並み
でも実際には心配は無用で、町の中心に向かう途中、ちょうど具合よく彼の旅行会社の客引きに声をかけられた。客引きは彼をインカツアーズという会社にひっぱっていった。彼がツアーに申し込んだのはラパスのスカイボリビアという会社だったけど、こちらの引き受け会社はこのインカツアーズらしい。彼が予約票を持って来て見せるその時まで、こういう客がいるとも知らなかった様子で、戻りの飛行機の予約もできてるものやらさだかじゃなかった。
のぞいたついでに、私が参加しようと思っているツアーの値段も聞いてみた。実は、この町から出てるツアーにはセルバ(ジャングル)ツアーとパンパ(低湿地)のツアーと二種類あり、どちらでピンクイルカがみれるのか私は知らなかったのだけど、ここで聞いたらピンクイルカがみれるのは、どうもパンパツアーのようだった。値段を聞いたら噂どおりひとり一日$30。今日出発するツアーがあるから行かないかとしつこく訊かれた。交通費やガイドに支払う給料は、ツーリストが何人であっても同じだから、ひとつのツアーにできるだけ大勢詰め込んだほうが旅行会社としてはお得なんだ。でも、精神的にも体力的にも消耗戦だった昨夜のバスのあとにとてもそんな気になれなかったので断った。
インカツアーズで確認してみると、タケヒロさんの出発は9時ということだった。まだ1時間半ほどある。タケヒロさんは、できれば今のうちに明日泊まるホテルを決め、荷物を預かってもらってシャワーを使わせてもらいたい、という。たしかに夕べの蒸しバスと砂塵で肌の表面に1ミリぐら泥の皮膜ができていた。
ここに泊まることに決めてみたものの、パソコン盗難の一件以来、日本人宿以外のドミトリーにはちょっとアレルギー反応があって、荷物が心配でしょうがなかった。おまけにこの暑さなのにこのドミトリーには4人部屋に1つ小さい扇風機があるだけで、その扇風機ったら首振り機能が壊れてる。いまはまだほかのツーリストがいないからいいけど、満員になったら扇風機の争奪戦になることは間違いない。そのうえベッドの上にはダニだかクモだかアリだかわからないスピードの速い虫が走り回っていた。こりゃ先が思いやられるぞ、という気がした。
私が部屋に荷物置いて受付に戻ると、タケヒロさんが英語で、
彼がシャワー浴びて荷物を預け、ツアーに出発して行ったあと、町をちょっと散策した。とてもアジアっぽい感じのする町だ。いつか見たメコン川沿いの、タイやミャンマーやラオスの田舎町の感じに似ている。熱帯の川沿いの町ってどこもこういう印象なんだろうか。日差しが強くて汗が吹き出る。昨日までいた高地と違って、空気がとても湿っている。バナナの葉で屋根を葺いたような家がたくさんあって、町の通りはベニ川に沿った1本をのぞいてすべて未舗装だ。
バス旅の泥ヨゴレを落としたあとテレビをつけてみたら映るチャンネルは1つしかなくて、しょーもないバラエティをやっていたので電源を切った。快適なでっかいファンの下で、私はひとときの安らかな眠りについた。
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