三代目・リブレット60
   盗まれたパソコンの代替機として「ともも」さんから提供していただいたリブレット60は、私がチリに到着して数日後には、信頼するリブレットユーザーの友達の家に届いた。イースター島行きの準備をしている間にはインストールするソフトの選定がおわり、イースター島に行っている間に、ひととおりのソフトは友達の手によってリブレットにセットアップされた。予定どおりいけば私がイースター島観光を終える頃には日本人宿「汐見荘」に届いているはずだったから、それを見込んでイースター島ではスマートメディアがいっぱいになるまで私は写真をとりまくり、すぐにも吸い上げられるものと期待して本土に戻った。リブレットとの対面の瞬間がまもなく来ようとしている。汐見荘についたらまずは手書きで書きためた日記を打ち込み、イースター島の写真を吸い上げ、出会ったひとたちのことをホームページにアップしよう。そんな期待に胸ふくらませ、私はサンチアゴの空港に降り立った。

 だけどその頃、日本ではちょっとした手違いが起こっていて、リブレットはまだ日本を出発してもいなかった。忙しい合間をぬってインストールを終え、厳重に箱詰めしたリブレットをたずさえて友達が郵便局に行ってみると、汐見荘のあるビーニャデルマールはEMS(海外むけ速達郵便)の受け取り地域になっていないというのだ。友達は送り先に困って私に問い合わせのメールを送ってきた。私が汐見荘に戻って最初に受け取ったのは、残念ながら小包でなく、このメールだった。

 私は毎日丘の上の汐見荘から街に降りてきては、暗いインターネットカフェの片隅にあるマシンで友人とのやりとりを続けた。私がイースター島に行っている間にチリ本土では本格的な雨季にはいり、この前まで海沿いのリゾートらしいさわやかさをいっぱいにふりまいていたビーニャも、ねずみ色の冬の顔を見せはじめていた。ビーニャデルマールはチリのなかでも決して小さいほうの街じゃない。そのビーニャでEMSが受け取れないというのはどう考えてもおかしかった。結局何度かのやりとりの末、彼が小包を持ち込んだ郵便局支局の受け取り地域リストが古かったことがわかり、私が本土に戻って数日後、リブレットはやっとチリへの旅路につくことになった。

 EMS郵便はさすが、普通の郵パックなんかよりお金がかかってるだけあって、いま小包が、私に届くまでのプロセスのどこのチェックポイントで確認されてるか、インターネットで調べることができる。友達が小包の受け付け番号を送ってくれたので私は郵政省のホームページにアクセスして、小包の輸送状況を確認した。

 通常EMS郵便は世界中のどこの国にでも、早くて2日、長くて4日で届くとされている。小包は受け付け当日の夕方には税関を通過し、翌朝の便で成田を発ったようだ。さらに翌日にはサンチアゴの空港で確認されている。小包は郵便局の手違いの埋め合わせをするかのように、地球を半周の距離を、発送からわずか1日半でまたいでしまった。サンチアゴからビーニャまではバスで2時間の距離だから、税関でのチェックに少々かかったとしても2・3日もすれば届くだろう。私はリブレットのおおよその姿っていうのは知っていたけど、使い心地とか処理速度なんかはまだ全然知らない。明後日かしあさってにはその、まだ見ぬリブレットが私の手元にとどく。

 ・・・だけど喜ぶのはまだはやかった。ちょうどそのころ、雨季にはいったばかりのサンチアゴは地下鉄駅が水に沈むような洪水で混乱していて、そのせいかどうか、待てどくらせど荷物は来なかった。郵便局が洪水に沈んじゃったなんてことはないよね・・・。洪水で洪水で濡れちゃって壊れてるなんてことはないだろうね。だんだん悪い想像が私の頭を占領しはじめた。

 外で車の音がするたびに、汐見荘の表玄関の開く音がするたびに、私は居間に通じる階段の上にたって外の様子をうかがった。今日来るはずだ。毎日そう思いながら私は街まで降りて郵政省のホームページにアクセスした。だけど5日たっても1週間たっても輸送記録は更新されないまま。所在なく濡れた歩道を歩き、スーパーで食料を買ってとぼとぼと帰る。そんな日々が続いた。

 送られてくる荷物には、カレールーを1こいれてもらっており、それがもう届くかと期待が高まるあまり、発送10日目ぐらいから牛肉と野菜とかを煮始めていたけれど、それもいいかげん煮返しすぎてじゃがいもの姿も消え失せるほどになっていた。一緒にイースター島に行った浅野くんによれば、彼が実家からEMSでチリに送ってもらった郵便が届かなかったという前例があるから、あまり遅いようだったら問い合わせしたほうがいいんじゃないかという。・・・まさか、来ないなんて。輸送途中でなくなっちゃうなんて、そんなこと、まさかね。

 想像はだんだん最悪の方向へとすすんでいく。それでもう、いよいよ今日問い合わせようか、明日問い合わせようかと思っていたある大雨の日、例によって灰色のビーニャの街から戻って汐見荘の居間のドアをあけると、浅野くんが、
「荷物受け取った?」
とニコニコ顔で迎えた。私がしかめ面して、
「まだ」
というと、
「あれ?届いてるみたいだけど?」
と、彼は古びたテレビの上に置いてあった通知をとりあげて、私に差し出した。私あての小包引換証だった。

 なくなってなかった・・・!発送から2週間目にしてついに来た。幸いまだ時刻は2時になったばかり。私は街で買ってきたワインなんかを床に放り出して、乗り合いタクシーに飛び乗った。


数日間の大雨のため猛烈な
雨漏りが汐見荘を襲った

 郵便局にたどりつき、正面玄関の重たいドアを押した。郵便局の建物の天井の高いホールは、蛍光灯の冷たい明かりで照らされている。床には雨漏りでしたたった水を吸わせるため、おが屑が散らばっていた。警備員に指さされるままにたどりついたカウンターで引換証を見せると、係のおじさんは台帳を調べ、それから何か手続き用紙をだしてきた。パスポートを見せて身元確認をしてもらい、台帳にサインをする。待ちに待ったそのときがきた。さあ、いよいよご対面だ!

 と思ったらそうは郵政省が卸さなかった。係のおじさんは手続き用紙の右下のシカクを指さして無情にも、
「US$で101.65ドルね。銀行でおさめてきて」
と宣告した。
 101ドル!!それってもしかして送料よりも高いんじゃないか?でもこんなところで値切りはきかない。私はマネーベルトをさぐった。パソコンを待ってるだけのビーニャでの生活は、インターネットカフェとスーパーと汐見荘の三角形で成り立っていて、大金を持ち歩く必要はない。汐見荘にとりに戻って明日出直ししなければならないんだろうか。

 だけど幸いにもマネーベルトにギリギリ100ドルがはいっていた。銀行の場所を聞いて、郵便局のドアを出た。雨を集めたビルの谷間をバスが走っていく。通り沿いに見つけた銀行はドアが半分しまっていた。
「窓口は2時に閉まりましたよ、明日またどうぞ」
と門番は事務的に言った。やっぱり明日出直しなのか・・・、と郵便局に戻ると、こっちはこっちで、
「そりゃ違う銀行だ。窓口は3時まで開いてるはずだ」
と言う。言葉がよく通じないので道順がよくわかっていなかったのだ。1回目に行った銀行は郵便局指定の銀行じゃなかったらしい。

 バスが派手に水しぶきをあげていく。降りしきる雨のなか、歩道を走って2軒目の銀行にはいり、窓口にならんだ。こんどは正しい銀行だった。だけどマネーベルトからドル札を出したら、
「USドルじゃダメだ。チリペソじゃないと」
という。だってUSドルで101.65って書いてあるのに!しかもその場では両替もできないようだ。
「101ドルは、チリペソだと××ペソだから」
といわれ、水たまりのなかを走って両替商にとび込んだ。早く早く。早くしないと銀行が閉まっちゃう。ふたたび銀行の窓口に戻ってお金をおさめた。この頃には靴下までびしょぬれになっていた。手続き用紙にハンコをもらって郵便局に戻る。おが屑をふみわけてカウンターへと進んだ。カウンターのおじさんは「よくぞ試練にうち勝ってきた」とでもいうように不敵な笑いを浮かべ、青い箱を私にさずけた。私はうやうやしく箱をうけとった。この箱のなかにリブレットがいる。

 荷物には中身を見た形跡はなかった。いったいなんのために税関を通過してからここまでに2週間近くもかかったんだろう。荷札の「内容物」の欄には「パソコンのパーツ、食品、商品価値0円」って書いてある。手数料だか税金だか知らないけどこの100ドルという金額は箱の大きさと重さから適当に想像して適当に決めたんだろうか。かなり無理してイースター島に行ってきたあとだけに、いまの100ドルは正直言ってとってもイタい。

 だけど、決めた。パソコンを無事受け取れたっていう事実で、そういうことは全部帳消しにしよう。パソコン盗まれてからここまで、文字通りひとの力だけを借りてきた。望みすぎてはいけないんだ。小包を大事にジャケットで隠し、ふたたび乗り合いタクシーを探した。冬に近づく雨のチリはかなり冷える。ひと通りのあまり多い道ではなかったから、タクシーはなかなか通らなかった。ガタガタ震えながらやっと乗り合いタクシーをつかまえ、汐見荘に向かった。

 雨で滑りやすくなった階段をのぼり、汐見荘の居間のテーブルの上に小包を載せた。ハサミを探す手間ももどかしく、くくってあった紐をはずす。隙間なくはったガムテープをたんねんにはがしていく。梱包材にはったセロテープをはずし、クッションになったタオルをほどいた。そうして、ついにパソコンと向き合った。
 このときの感激を私は忘れることができない。私が考えるにこの感覚は、10才も年下の嫁さんをもらった新郎が、新婚初夜を迎えたときの気持ちに似てるんではないかと思う。どこからさわったらいいんだか躊躇するような、宝ものを手にいれたことに狂喜するような、これからの日々の幸福に期待をいだくような、そんな感覚。パソコンに見た目は関係ないとはいうものの、私の目の前につんと澄まして鎮座したリブレットは、今日まで店にならんでいたもののようにキレイで、キーボードにもヨゴレひとつついてない。「ともも」さんはよくこれを使わせてくれる決心をしてくださったなぁとあらためて感謝した。

 ケーブルを束ねている針金をほどいてコンセントに差し、マシンに電源を入れてみる。処理速度を重視するためシステムは更新しなかったので、ウィンドウズの95が立ち上がった。画面には一点の曇りもない。長旅にもめげず、ほんとによくぞ無事届いてくれた。セットアップしてくれた友達によれば、リブレットは電車の網棚から落としてもこわれない丈夫なマシンなのだそうだ。

 画面中央に友達からのメッセージのテキストがはいっていて、それを見ればどういうソフトがどこに、どういう形でインストールされているかが一目瞭然だった。セットアップは完璧で、すぐにも今日から使い始められるようになっていた。

 興奮にうちふるえながら、指を揃えて小さいキーボードの上に置いてみる。さすがに1辺が1センチほどと、各キーがとても小さいので最初は指がこわばってしまう。DELキーとかバックスペースの位置がすぐには覚えられない。ポインタデバイスが画面横にあるので、カーソルを移動したいときにすぐに手がいかない。どうしても、指が前のマシンのポインタデバイスの位置を探してしまい、「はっ、違うんだった」って我に返るたび、少しだけ悲しい感覚が胸をよぎった。

 でもその感覚は、毎日このマシンに一日のできごとを語りかけてるうちに、やがて消えていくことだろう。このマシンはほんとにすばらしい!数年前に発売されたものなので、もっとずっと動作も遅いものと覚悟していたんだけど、ソフトの立ち上げをじりじりするほど待たされることもないし、ハードディスクの容量が少ないかなと思ったものの、必要なソフトはひととおり入って、さらにデジカメから写真を保存する容量も確保できた。前のマシンより小ぶりだから、ひと目につかないよう隠すのも易しそうだ。

 友達からの差し入れのニッキ飴をなめながら、何通か手馴らしにメールをしたためたあと、私はイースター島編のできごと日記にとりかかった。荷物に入れてもらったカレールーで煮込みはじめたカレーが、キッチンからいいにおいを漂わせている。

 贅沢なことだ。こんな贅沢なことはない。
 今日からこのリブレットを旅の道連れに、私にできる最高の旅をして、私にできる最大のレポートをしよう。アジアでこわれたリコーのチャンドラII、アルゼンチンで盗られたIBMのThinkPad240につづいて三代目の相棒となる。
 イースター島から戻って3週間近くが過ぎようとしていた。チリも長くなったことだし、ホームページの更新が終わったら、そろそろ次の国に出発しよう。次なる目的地は、トルコでお世話になった伊藤さんのふるさと、パラグアイ!

今日から相棒のリブレット60