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我が世とぞ思ふ望月の
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早朝、宿の受付でリクシーという乗合タクシーを呼んでもらって駅にむかった。宿では、ここ数日夕食をシェアしたりして世話になった日本人旅行者の女の子が見送ってくれた。ケープタウンに来て以来雨はほとんど降らなかったのに今日は珍しく降りだしそうな曇天だ。駅について、珍しく運転手にチップをはずんだ。今日は心配事があるので、自分でも無意識に縁起をよくしようと喜捨をするようなつもりだったんじゃないかと思う。
駅の裏手にはインターケープのオフィスがあって、8時発の空港行きのバスのチケットを買った。機内持ちこみのデイパックと、預け荷物のスポーツバッグの最終確認をする。スポーツバッグからシャツを1枚取り出そうとしたら、このまえからまがってきていたジッパーの取っ手の片方が折れた。なんて縁起わるいんだろ。ひとがこれから南米に旅立とうっていうときに。でもまあ、できるかぎりの準備はしたから、ダメなときはそのときだ。結果は1時間以内に出るから、あまり考えて緊張せず、さりげなくいこう。
カウンターのスタッフに促され空港行きのバスに乗りこんだ。バスはミニバスで、乗りこんでみると客はわたしひとり。ミニバスといってもこれまでの、世界各地をわたってきた日本車の中古のふきだまりみたいなマラウィやタンザニアなんかのミニバスとはわけがちがう。どっしりとしたクッションのきいた立派なシートが9席ぶんぐらいしかないミニバスで、私はそのどまんなかに腰掛けた。走り出すと雨になった。
空港までは20分か30分だったと思う。ケープタウン郊外を抜ける高速道路は高級住宅地をとおり、しばらくは芝生もさわやかな大邸宅を両側に見ながらバスは進む。でもさらにいくと、道沿いにトタンと棒切れでつくられた、物置小屋のような建物がぎっしりと建っている地域があった。この物置小屋はアパルトヘイトの名残でいまも黒人の居住地区なのだそうだ。
南アに来て最初に入ったプレトリアでは、その景観の美しさと同時に、夜のひとかげのなさに驚いたものだけど、結局私が見てきたのは白人居住地域の南アの美しい側面に過ぎなかったのだということが、このトタンの家々から想像された。実をいうとプレトリアからはソウェトツアーといって、観光客が安全にそういう有色人種地域を観光できるツアーがあるということだった。そういう地域の生活を、見てみたい気はあったものの、それを生業として見世物にしている生活っていうのがどこまで真実に迫っているのかなんとなく疑問が湧いて結局行かなかった。でもいまこの高速道路沿いに延々とつづいている物置を見ていて、ひとつの参考としてでも、見ておけばよかったかもしれないと思った。
ともあれそんな風景が終るとまもなくミニバスは空港についた。
前にできごと日記にも書いたことがあると思うんだけど、私の旅の構想というのは、石橋憲人さんというひとのホームページからとても影響をうけている。石橋さんんは、私の知る限りでは、世界でたぶん初めて、モバイルマシンを持ってホームページをつくりながら世界一周をしたひとなんじゃないだろうか。出発前わたしはこのひとのページ「リアルタイム世界旅行記」の熱心な読者で、そのひとのホームページに載ってる日記を自分パソコンの中に保存してるぐらいだった。
で、たまたまメールをもらったので、石橋さんのダウンロードしてあるホームページを読み返してみようかと思ってケープタウンの日々のページを開いたらえらいことが書いてあった。
アルゼンチンは数年前から、空路で入国する旅行者に対しては、同様に空路で出国するチケットの携帯を義務付けるという方針にきりかえたらしい。といってもこれは建前だけの話で、実際にアルゼンチン入国のときに空路出国チケットを求められたとか、持っていなかったから送り返されたという話はこれまでほとんど聞いたことがなかった。それで私も片道チケットを買ったんだけれど、その同じチケットで南米にわたろうとした石橋さんが痛い目にあっていたのだ。しかもアルゼンチン入国のときでなく、ケープタウンの空港から出発のときに。
石橋さんが、出国当日マレーシア航空のカウンターに行ってチェックインをしようとすると、
普通、ある国に到着して、入国審査で出国チケットが求められた場合はその場で航空会社のカウンターに行ってしかるべき出国チケットを買えばだいたいは入国させてくれるものだ。タイとか、アメリカなどで入国審査にひっかかったときはそうせよという話はいままでいくらでも聞いたことがある。多分アルゼンチンだって、そうだと思う。入国が認められなかった場合は航空会社が責任をもってもとの国に連れ戻さなければ行けないと言う約束もあるらしいが、その場合でも航空会社は責任を負いませんという書類にサインをさせて、本人責任で乗せるという方法もあるし、万一追い返されたときに備えて戻りのチケット代を払える財力があるか、現金とかカードを確認しておくというのもよくある方法だ。ところがマレーシア航空の係員は、
石橋さんは結局、
払い戻しされるといってもこれが、手数料だのなんだので実際に返ってくるのは支払い金額より35ドルばかり少なくなるときかされていたから石橋さんの怒りはかなりのものだったと思う。しかしそれでは済まず、もう一発パンチをくらった。アルゼンチン側の南ア航空のオフィスを訪れると、なんとこのチケットは南アでなければ払い戻しできないという。そんなことってあるだろうかと落胆したけどどうにもならない。結局払い戻しは日本まで持ち越しせねばならなくなった、という話だった。
これを読んで「私も同じことが起こる」、と思い鳥肌がたった。このルートで既に飛んだはずのひと、マラウィまで一緒に下ったゴーさんとか、それからケープタウンで一緒にテーブルマウンテンに登ったマサといった旅行者を知っているけど、彼らからメールは届いていないから、もしかしたらもうそういう制度は廃止されたのかもしれない。でも場合によっては彼らはそれを知ってて往復チケットを買って飛んだかもしれない。私の片道チケットに同じクレームがつく可能性はじゅうぶんあるんじゃないか?
私はあわてて対策を考えた。最悪アルゼンチンからのチケットを買うことになっても、空港で買わされるのだけは避け、確実に払い戻しできるチケットをあらかじめ買っておくか。でもできれば面倒な手間は避けたいので、アルゼンチンからの出国チケットを買わされずになんとか済ます方法はないものかと頭をめぐらせた。
それでとりあえずインターネットカフェに行き、インターネット予約サイトをいくつかのぞいてみて、アルゼンチンからのチケットはどこ行きがいくらぐらいするか、払い戻し可能な正規チケットはいくらか、どういう手続きがいるか、などということを調べた。結果、やはりチリ行きが一番安く、払い戻し不可のチケットは13000円、払い戻し可能なやつは17000円ぐらいするらしい。
でも調べてみて最後にわかったことは、インターネット経由で「アルゼンチンで確実に払い戻しできるチケット」を手配するには今からじゃ遅いってことだった。まずインターネット経由で予約するにはクレジットカード番号をこのサイトに登録し、それからフライト名時間などから便を選択し、予約をいれる。それを購入するという操作をしたら、そのあと直接、このホームページから検索できるオフィスに行って発券手続きをしてもらわなければならない。でもその前に払い戻し手続きについて確認しないと意味がないし、このサイトにメールを送って返事をもらうのによくても一両日。それからオフィスに行って発券するという日数はもう残されていなかった。
そういうわけで実際にチケットをとるのは無理だから、なんとかカウンタースタッフの目をあざむく方法がないか考えた。ここのサイトではとりあえずどの便に空席があるかを調べることはできる。何曜日の何時に何航空の何便がブエノスアイレスから飛んでいるかを調べると、いくつかの便の詳細を示す画面が現れた。
ふと悪い考えが頭のなかをよぎった。インターネットで予約すれば、発券をどこの旅行会社でするかは本人の自由だ。南アですることもできるけど、アルゼンチンですることもできる。その知識がマレーシア航空のカウンターにあれば・・・いや、なくても、予約があると見せかければ、あるいは「出国便の手配済み」ということで乗せてくれるんじゃなかろうか。
私は便の詳細画面を部屋にもちかえってエディタでひらいてHTMLをひねくりまわし、
これが役にたつかどうか。それが今日の運命を分ける大きなポイントだった。
カウンターに行く前にまず税金還付手続きをした。南アで買ったもので、外国人が国外に持ち出すものはみな14%の税金を還付してもらうことができる。それを目当てに南アでは、ここまでの旅でよぼよぼになった持ち物を新調する旅行者も少なくない。私も例に漏れず、ヨーロッパ以降ずっと履きつづけてぼろぼろになっていたスニーカーと、最近洗ってもどうしてもニオイがとれなくなったサンダルを新調し、南米のガイドブックのぶんなど込みで20$ほどの還付をうけられることになった。
そのあといよいよ難関のマレーシア航空のカウンターだ。受付嬢は非常に愛想よく応対してくれ、チケットとパスポートの確認まではごく普通にすすんだ。もしかして聞かれないか?一瞬期待がよぎった。しかし彼女はパスポート番号を端末に打ち込みながらとても当たり前のように訊いた。
来た。できるだけさりげない様子で、
通過だ!小躍りしたいような気分だった。なんと、こんなもんで通過できてしまうとは。彼女は私の搭乗券の発券手続きをガンガン進めているように見える。ここまできたらもう大丈夫だ。私は好奇心を押さえられなくなってつい訊いてしまった。
しまったぁ・・・言わなきゃよかった。雉も鳴かずば撃たれまい。あのままだまって発券を済ませてもらえばよかったものを、下手なことを聞いたもんだから彼女はあの予約が確かなものか確認しに行ってしまったにちがいない。データベースにアクセスするか、エールフランスに照会して私の予約が影も形もないってことに気づき、
私は抵抗の文句を考えながらその場で立ちつくしていた。彼女はどこかに行って何かを確認して、そして予約確認書を手にもどってきた。ああっどうしよう。英語がわからないフリしても無駄だろうし、アルゼンチンに確認とってくれとか無茶言ってもダメだろうし。
彼女はカウンターにつくと言った。
でもそのあと彼女は、
そのあとはとんとん拍子だった。飛行機に乗ると、機内はガラすきで私の座った席の並び2席にはお客が来なかった。機内上映の映画は、そのうち観たいと思っていたジョディフォスターとチョウユンファの「王様と私」だった。機内放送ではかねがね聴いてみたいと思っていたプッチモニを聴くことができた。アルゼンチンに着き、入国審査では出発チケットなど全く訊かれることもなく簡単に通過できた。
そのあともまだいいことがつづいた。街に向かうバスのチケットを買って待っていたら、そのバスがいつまで待ってもこなかった。ソレ自体はよくないんだけど、そんときバスを待っていたカナダ人のおじさんと喋っていたら、そのひとがまたすごくおもしろい明るいひとで。しかもむかし柔道やってて6段もってるとかで日本の文化にも日本人にもすごく興味があるらしくて話がはずんだ。
このおじさん、今回仕事でアルゼンチンに来ているけど、スペインとかチリとかに出張が多いのでスペイン語はぺらぺらで、タクシーの運転手からいろいろ聞き出して観光情報なんかを教えてくれた。道端の木がばたばた倒れているんでどうしたのか聞いてもらったら、
そんなふうに喋っていてしばらくしてタクシーが市街につくころにおじさんが、
そのままひとづてに聞いたホテルまで行ってもらい、そこで私は荷物を下ろした。ホテルは古くて天井の高いヨーロッパふうの雰囲気のたてもので、受付でドミトリーありますかって聞いたら、英語がまったく通じないおじいさんはしばらく悩んでいたけど、ツインの部屋に連れて行ってくれた。どうやらドミトリーはやめてしまったか、空きがないかのどちらかのようだ。でも料金は噂にきいたドミトリーの値段と同じだったから、どうやらそのツインを他のひととシェアする形で使わせてくれるらしい。あとから誰かきたらここに寝るからね、と説明されたようだった。言葉は全然通じないし、おじいさんはきわめてゆったりとことを進めるひとだったけど、経過自体はとても順調で、今日はほんとにツイてる、と思った。
荷物を開いてしたくをし、ブエノスに無事ついたということだけ書いたメールいくつかをフロッピーに保存してヒルトンに向かった。ミゲルおじさんはやらしい感じのひとではなかったけど、もしかして詐欺師とか睡眠薬強盗だったらいけないと思い、カードやパスポートは持たず、パスポートのコピーとわずかな現金だけ持ってホテルを出た。
ヒルトンホテルでは、広々とした吹きぬけのあるロビーに麗しく整った身なりのひとがそぞろ歩き、こきたないチノパンとくすんだジャケットで受け付けに行くのはいかにも場違いで気がひけたけど、私が呼び出すとミゲルは同じぐらいラフで場違いな格好で出てきたので安心した。
さてそれで食事が終ると、私は時差ボケでそろそろ眠くなってきた。南アとアルゼンチンの時差はたった5時間なんだけど、移動の疲れと緊張もあったのでそろそろおいとまするころあいだった。ミゲルは、
ブエノスアイレスの街はいい。なにがいいって、夜もひとが歩いてるとこがいい。ケープタウンではバーやクラブの開いてるあたりを2、3人連れが急ぎ足で歩いていくことを除けば夜ひとが出歩いているなんてことはほとんどなかったから、私は久々にとても開放的な気分になった。アルゼンチンが安全っていうのは本当らしい。私はエジプトを出て以来の自由な夜の散歩を楽しんだ。
宿に戻ると部屋にはまだ誰もいなくて、ツインをひとり占めかあと思ってしばらく上機嫌だった。今日は初めから最後までとてもいい日だった。私は最高にツイてる。出会いにも運のめぐりあわせにも。明日はタンゴショーの場所を確認して、ミゲルに連絡して、街を出歩いて、また楽しい一日になるだろう。
だけど、夜もうかなり遅く、11時くらいになって、私がデイパックからお金を引っ張り出して残金の確認をしようとしてたとき、ドアにノックがあった。私の運にかげりが見えてきたとしたら、このときだったろうと思う。私は現金の袋とパソコンをデイパックにつっこんで鍵をあけた。そしたら宿のおじいさんと女の人がのぞきこんでいた。女の人はこの部屋のもうひとつのベッドにチェックインした。どういうひとなんだか、アルゼンチン人なんだと思うけど、荷物はビニール袋1つ。田舎から買い物にでも来て、終電終っちゃって帰れなくなったんだろうか。オレンジ色のハーフコートを着て黒のスラックスをはいている。年は、私と同じくらいだろうか。
私は1時間くらいお小遣い帳をつけたり荷物を整理したりして床についた。同室になった女のひとはしばらくタバコをふかしていたけど、12時すぎて出ていったような気配があった。何時間かたった真夜中に目をさましてトイレに行ったときには彼女は戻ってきていて、私がふたたびベッドにはいると、
電気が消えて、私は深い深い眠りに落ちた。
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