サンフランシスコ最後の日

   出かけようとしていたら、ちょうどノアが仕事から帰ってきた。
「ああ、いまから行くの?」
と声をかけられ、
「うん」
と返事した。
「4年ぶりだっけ?」
「そう。いや。4年半」
 自分の声がやけにリキんでいるのがわかる。靴のヒモを結びなおしてドアをひっぱった。あかない。
「ヌーサンこのドアを開けたいなら押したほうがいいよ」
とノアがつっこむ。
「そんなに緊張すんなって」
とみんなが言ってくれたけどこれが緊張せずにいられるかってんだ。歩き慣れたカストロ通りもなんだかいつもと違って見える。マリオットホテルにマル印のついた地図を片手ににぎりしめ、地下鉄にとびのった。ほんの数分で電車はサンフランシスコのダウンタウンに到着する。パウエル駅でドアを出て、エスカレーターで地上に出る。気持ちがあせって小走りになっている。緊張するのもムリはないんだ。なにせ4年半ぶりにジェイソンに会いにいくのだから。

* * *

 ジェイソンは私がはじめて友達になったアメリカ人だ、というのは前に書いたっけ。
 ジェイソンと会ったのは私のいたサークルでのことだ。私のいたサークルはよくいえばカバー範囲の広い、悪くいえば毒にも薬にもならない、フォークとロックの中間みたいな音楽サークルで、大学本部の7号館という建物の、ロビーの一角に巣くっていた。このロビーの正面には6号館があって、正面の出口は国際部という学部の出入り口になっている。国際部っていうのは、世界各国から留学してきた学生が集まって日本語や日本の文化を学ぶ学部だった。この学部に留学してきていたジェイソンが6号館を出てまっすぐ7号館に吸い込まれ、サークルにちょくちょく来るようになったのがたしか91年の終わり頃のことだったろうか。私は秋の学祭ですでにサークルを引退していたのだけど、サークルにはよく顔を出していたのでジェイソンともときどき顔を会わせるようになった。

 ちょっと話しが前後するんだけど、当時私はちょっと手痛い失恋でアメリカに対して心を閉ざしている状態だった。当時私は大学3年。2年生のときからつきあっていた1コ下のサークルの後輩が、アメリカ旅行に行って失踪したばかりだった。最後の手紙によれば、韓国から来ている、とある宗教団体に勧誘され、のこのこワークショップまでついていってマインドコントロールにはまったらしかった。彼の好奇心を恨み、彼自身をを恨み、さらには宗教を恨んだり、韓国を恨んだり、いろいろ恨んだうちの一環として、私はアメリカという巨大な国までその憎しみの対象にしていたようだった。

 最初ジェイソンと知り合ったときはそういう状態だったので別に「あのアメリカからきたひとか」ぐらいの意識しかなかった。利己的で個人主義で冷たくて高慢なんだろう、といった印象だ。だけど、顔をあわせるうちにジェイソンが私のイメージにあるアメリカ人とはちと違うことに気づいた。そんとき私のイメージにあったアメリカ人像というのが根本的に間違ってる、ということがわかるのはまだそれから数年後のことだけど、たとえ私が当時から正しい(ゆがんでない)アメリカ人像を持っていたとしても、ジェイソンはそこからさらにちょっと日本よりのアメリカ人だったと思う。情が厚く、納豆が好きで、野球よりはサッカーが好き。自分は人一倍努力家なのに、日本人学生のだらだらした学生生活を批判するでもなし。溶け込もうとしてやってるふうでもないのに、なにやら自然に溶け込んでいた。一緒にギター弾いたり唄ったりしてるうちに友達になって、たまに英語の教材選ぶのを手伝ってもらったり、ジェイソンのレポートを手伝ったりするようになった。ジェイソンと喋っていて「あ、やっぱりガイジン」と思うことは全然なかった。ジェイソンは、私の頭のなかでいつも日本人として位置づけられていた。

 ジェイソンは一年の留学を終えて夏に帰っていったけど、その後もときどき手紙のやりとりをした。アメリカに戻ってからの生活はどうだとか、私の就職活動はこんな調子、とか。私はたまに英語で書いて、ジェイソンに採点してもらったりもしていたと思う。そうするうちに就職先が決まり、卒論が終わって最後の春休み。私は卒業旅行にアメリカに行くことにした。かたくるしいことを言えば、「就職のため。ソフトの技術はみんなアメリカから流れてくる。この業界でアメリカに心を閉ざしていては仕事にならない」と考えたというのがひとつ。でも正直なところを言えば、単に好奇心がまさったといったとこだろうか。

 当時バックパック旅行を知らなかった私は友人とレンタカーを借りて西海岸めぐり、というリッチな旅の計画をたてた。だけど現地での段取りにあれこれ不安もある。ジェイソンに手紙を書いていろいろ聞いたりしてたら、「まずはうちにおいで」と言ってくれた。ジェイソンは空港まで迎えにきてくれ、私と友人をロングビーチにある自宅に連れていってくれた。ロングビーチといえば、けっこうなお金持ちの住む地域だ。ジェイソンちは地下室もいれると5階建てで、ビリヤード台まであった。バスルームは全階あわせて5つ。デパートじゃないよ個人の家だよ。おまけにメイド部屋もある。メイドさんはヒスパニック系のひとで英語が通じないけどジェイソンは中学高校でスペイン語をやってたので、メイドさんになにか頼むときはスペイン語で話していた。

 ジェイソンは当時日本人の彼女とつきあっていて、その彼女が訪ねてきたりしてたそうで、ジェイソンのご家族は日本人の客にもなれたもんだった。ジェイソンはサンタモニカやベニスビーチや、バスケットの試合などに連れていってくれ、彼の大学の寮に泊めてくれ、学生同士のパーティに連れていき、友達の家に連れていき、授業にも参加させてくれた。当時はいまの半分も英語が話せなかった私にとって、日本語ぺらぺらのジェイソンの存在は心強かった。ジェイソンは私たちの旅行プランにも力を貸してくれ、私たちは3週間の旅行のあいだに砂漠から山をへて海まで、何一つトラブルなく旅をすることができたのだった。

 初めてみるアメリカは、テレビを通してみる姿とは全く違っていた。広大で、色鮮やかで、便利で、快適で、安いし安全だし、第一親しみやすかった。私は180度見方がかわり、すっかりアメリカの虜になって日本に戻った。思えばジェイソンは私が旅好きになったのと大いに関係のある人物かもしれない。

 ただ、それからの数年、私にとって「旅」=「アメリカ」でしかなかった。社会人になって数年後には会社の友達同士でまた西海岸ドライブ旅行に行き、翌年は4人でまた同じあたりを旅した。そのどちらともジェイソンには連絡をとり、1日ずつだけど会って食事に行った。3回目のアメリカ旅行でジェイソンとは最終日、空港近くのホテルのロビーで待ち合わせをした。ジェイソンは車でやってきて、駐車場側の入り口からはいってきて、受付の前に立ってる私と目が合った。1年ぶりの再会だったから、アメリカ人同士だったら肩を抱き合って挨拶するところだろう。そういう挨拶をしてみたい、という気持ちはあった。もしできたらいいな、とその日は朝から思っていた。けど、実際にジェイソンと顔を会わせたら足がすくんで動かなかった。結局2,3歩近づいて、握手するのがせいいっぱいだった。

 ところでこの頃私は仕事の都合上、英語でインド人技術者とメールをやりとりしたりしていたので、英語を伸ばすことがちょっとしたマイブームになっていた。TOEICも受けたりして、想像してたよりはだいぶいい点をとったりして、自分なりにそこそこ伸びたというつもりもあった。それで、ジェイソンと会ったときも英語で話そうとしてみたけれど、どうにも通じない。ジェイソンの発音は実に単語同士がよくくっついて流れるようで、何を言ってるのかまるで聞き取れなかった。私にとって、ジェイソンと英語で話す、というのは長年の夢のひとつだった。

* * *

 そのジェイソンと今日ついに会う。ジェイソンはさっきまでマリオットホテルで開催されてた就職フェアに参加しているはずだった。地下鉄のドアがひらき、階段をのぼって駅を出る。道行くひとのなかにスーツ着た日本人が異常に多いのは、この就職フェアにたくさんの日系企業が参加しているからだろう。「どこか食べにいきますか」「いや明日が本命なんで」という日本語の会話が断片的に耳の横を通り過ぎていく。私はいかにも場違いな、ノアから借りてるオリーブ色のだぶだぶジャケットを着たままマリオットの回転ドアを抜けた。

 とたんにひとの多さと、暖房でむっとする空気につつまれた。やわらかいオレンジ系の照明のロビーをぐるりと見渡した。待ち合わせしたのは受付の前。さっと手を挙げたスーツ姿。ジェイソンだ。数年ぶりなのにすぐにわかった。心の中で、ちょっとだけど緊張がはしる。
 目標までの距離距離20m。ハグできるかな、という考えがあたまをよぎった。
 距離15m。ジェイソンは紺色のスーツに身を包み、ビジネスマンらしく、きりっとした格好で立っている。
 距離10m。ちょっとひるむ。でも勇気を出してやってみようか?
 距離8m。微笑んでるジェイソンの口もとから真っ白な歯がのぞいている。
 距離5m。いや、ジェイソンは私のなかでいつも日本人だったんだ。やっぱできない。
 距離3m。でも長年の夢だったんだよね。思い切って手を広げてみた。それをみて、
 距離1m、ジェイソンも大きく手をひろげた。
 0m。私はジェイソンとがっぷり四つに組んで、知り合っていらい10年めにして初めて抱きしめる挨拶をした。記念すべきハグがおわって、向かい合うとジェイソンが口をひらいた。
「ノーサン、ほんとにお久しぶりですネィ!」
 あれっ?

 ・・・数年ぶりに会ったジェイソンはすっかりビジネスマンらしく(といってもしばらく学生をやっていたのでビジネスマンらしく、というのは妥当じゃないかもしれないけど)見た目もたくましく男らしくなっていた。ジェイソンは前回会ったときには大阪に本社のあるの日本企業に勤めていた。それが、しばらくたってから会社をやめてご両親の会社を手伝うようになったけれど、そこでの仕事に満足できなくなり、アリゾナのビジネススクールに1年半行って、MBAという資格をとったそうだ。そして日本語と留学経験を武器にしてこのほど日系企業にアプローチしようとしてこの就職フェアに参加することにしたらしい。だけどナマの日本語に触れる機会が少なかったためだろうか、ジェイソンは少し日本語が不自由になったみたいだった。

 同じビジネススクールから、日本人のノリコさんというひとも来ているというので、彼女と待ち合わせして一緒に中華街に晩ご飯を食べることにした。ジェイソンは、むかしは自分のこと「僕」と呼んだのに、「私」と呼ぶようになっていた。ジェイソンが日本語に不自由してるのを見るのはちょっと不思議な感じだった。それと同時に、話し方が少し他人行儀になってるのがもどかしくなって私は英語で話しはじめた。
「今日の面接どうだった?」
とか、
「どことどこの会社にアプローチしたの?」
とか最初はとりあえずカンタンなことから。それにあわせてジェイソンも英語で話しはじめた。
「今日はまあまあかな。まだ明日続きがあるんだけど。日立の面接があって、そのほかにも何社か」
お。私が言ったこと通じてる。しかも、あんなに聞き取りにくかったジェイソンの言葉が聞き取れる。
「ここで採用になった場合日本で働くの?」
と言ってみた。
「うーん、ただほら、日本に留学してたのはもう8年も前のことじゃない。あのときは学生だったし。日本で働いてみたいっていう気はあるんだけど、日本で、社会人としてやっていけるかどうかって考えるとちょっと不安。まあ、企業が日本での仕事があるっていった場合には行くこともできますって言おうと思ってるんだけど」
とジェイソンがこたえた。わ〜、全部わかる。
「うそみたい!私ジェイソンと英語で話してる!」
興奮して私が言うとジェイソンが、
「ほんと、ノーサンの英語すごい上達してる。とってもクリアだ」
と言ってくれた。お返しに私は、
「ジェイソンこそ、英語で話してるとまるでアメリカ人みたい」
とほめたんだかよくわからないことを言った。それにしても、この英語の上達っていうのは、ほとんど期待していなかったことだけどやっぱこの旅のひとつの成果だろう。よくよく考えてみると、たしかにシンガポールなんかにいた頃はほんとにカタコトで、日本語タイプライターのしくみを説明するのもひと苦労だったわけで、あのころはちょっとした誤解を解くこともできない程度の英語だった。それがいまは曲がりなりにも会話になってるではないか。

 まもなくノリコさんと合流してチャイナタウンに夕食に行くことになった。自己紹介したり雑談したりしながら私たちはチャイナタウンの一軒のレストランにはいった。ノリコさんというのは、もう、ひとめ見て「デキる女性!」って感じだった。いや、そういう能あるところをひけらかした印象じゃなくて、「できた女性」と言うべきだろうか。会話もうまいし、物腰がやわらかだし、心遣いがこまやかで、気取ったところもない。私と年齢はほぼ同じで、以前はたしか銀座のへんで大手の、商社だったか金融だったかで総合職とかでばりばり働いていたんだそうだ。だけど働くうちに日本ではまだ女性の地位はひくく、職場でまかされる仕事についても納得がいかなくなってきた。それで彼女は、それまでの便利で高給で快適な生活をすべて捨てて日本を飛び出し、アメリカでもういちどチャレンジするべくアリゾナのビジネススクールを目指したのだそうだ。アメリカで1年も学んで、現地のひとと同じ講義をうけて対等にやっていけるわけだから当然といえば当然だけど、ノリコさんの英語はほんとにパーフェクトで見事だった。私がうまく説明できないところはノリコさんが英訳してジェイソンに話してくれ、ジェイソンがうまくはなせないところはノリコさんが通訳して私に教えてくれて会話もはずんだ。


ジェイソンとノリコさんと。
 テーブルをかこんでビールを飲み、餃子をつついたり炒め物をつまんだりして私たちはおなかいっぱいになるまで飲み食いし、おしゃべりを楽しんだ。もちろん私の旅行の話しもいろいろしたけど、いよいよ私も帰国が迫ってきて働くことも考えなくちゃいけなくなってきたので、話題はもっぱら就職のことに集中した。ジェイソンとノリコさんは、これから立ち向かう就職試験や面接に不安を抱く一方で、これまで学んできたことに対する自信に輝き、自分が選んだ仕事への希望にみちていた。一番印象に残ったのは、「自分が、誇りをもち、かつ楽しんで、満足できる、意義のある仕事をやりたい」という意思が彼らからひしひしと伝わってきたことだった。

 プログラマとして働いていた頃、私に誇りはあんまりなかった。会社も環境もとてもよかったし、会社にいくことがつらいと思わなかったのは人間関係に恵まれていたからだけど、自己紹介をするとき「プログラマです」とか言うことにはいつもうしろめたさがつきまとった。仕事は困難で、立ち向かおうとするたびに迷路にまよいこみ、何に立ちむかったらいいのかわからない。最後にはどうやって迷路から抜け出すかってことばかり考えていた。私にとって、仕事っていうものの印象はどっちかというと憂鬱で途方に暮れてしまうもの、だった。だけど、サンフランシスコに来てから私の仕事に対する印象はかなり矯正された。それは、ノアのアパートにいるニナの気楽な態度を見ていてもそうだし、ノアについてもそうだった。

 ノアの就職についてはまだ触れてなかったけど、あれは南米にいたときだったろうか、ノアが、
「就職決まったんだよ!web制作会社のコンサルトエンジニアだよ」
とメールをくれたことがあった。ノアは北欧への留学の奨学制度を蹴ったか落ちたかして、そのあとサンフランシスコに住み、オンラインの就職情報サイトに「あることないこと書いた履歴書を載せた」んだそうだ。「そしたら1週間で100万件ぐらい(本人談)の問い合わせがあって」そのうちの数件の面接に行ったらしい。面接に通り、そのあとじゃあ契約しましょうという段になって会社側から提示があった金額は、この初心者にむかって年俸4万ドル(500万円)!!」最初ノアは
「four・・・」
という言葉を聞いたときに
「やった!1万4千ドル(fourteen thousand dollars。175万円程度)だ!」
と内心喜んだんだそうだ。

「それが最後まできいたら4万ドル(fourty thousand dollars)だって言うじゃない。前見た映画の主人公を思いだしたね!コーヒー会社に就職が決まるときにさ、相手が百万ドルとかのすっごい金額を提示しようとしてるんだけど、その前に『系列店でのコーヒー生涯無料と・・・』って言うんだ。主人公はそれだけで喜んじゃって『手を打った!(deal!)』って言っちゃうの。
 ま、僕がまるきり無経験のゴクツブシだってむこうが1週間後に気づいたとしても、僕のポケットには1000ドルが転がり込むってわけ!1週間経験すりゃこんどはもう冗談ヌキで経験者だからね、そうやって経験つんできゃいつかホントのエンジニアになるさ」
 とノアはじつに軽いノリだった。そして、もちろんいっぱい勉強したんだろうけど、ノアはそこの会社で順調に仕事をこなし、いまはさらに給料もあがったそうだ。毎日ラフな格好でゆっくり出ていくわりには、きっちりやることはやってるみたいだし楽しんでもいるみたい。もちろん飲み込みの早いノアだからできることなわけだけど、しりごみしないでぶつかっていくという姿勢には私も学ぶべきものがあるかもしんない、と思ったのだった。

 そしていま、仕事と面接にプレッシャーを感じながらも意気揚々とアメリカ各地を歩いて自分に見合ったポジションを探しているジェイソンとノリコさん。彼らを見ていると、意外と「働く」ってことは、楽しいことかもしれないぞ、と思えてきた。私にはあれができないから、これができないから、こういう性格じゃないから、といってしりごみし続けるのは勝手だけど、私だっていつか直面しなくちゃいけないことなわけで、いつまでも物陰にかくれて様子をうかがうようなことはやめ、もうちょっと楽しめるものとして、期待もって考えはじめてもいいんじゃないかという気がしてきた。私がこういう印象を持った、という話しをすると、ノリコさんが、
「6年もプログラマやったんだったら絶対それが役にたつことがありますよ〜。どうしてもプログラマをまたやらなければいけないってわけじゃないんだし」
と明るいはきはきした声で励ましてくれて、なんだかすっかりその気になった。私たちは2時間だか3時間だか話していたあいだに4年半のブランクをうめ、ノリコさんともすっかりうちとけ、ビールのほろよいも手伝って上機嫌で店を出た。

 私は、ノリコさんていうのはジェイソンの彼女なのかと思っていたけどそういうわけではないらしい。ただよく話したりはする間柄のようで、中心街へのみちみちお互いに、
「ジェイソンは昔からがんばりやさんだから、絶対いい彼女ができるよ」
とか、
「のぶこさんどうですか、ジェイソンはぜったいいい旦那さんになると思うんですけど」
とか、
「ノリコさんこそ、ジェイソンなら家庭と仕事を両立できる家庭をつくれますよ」
とかススメあったりして、最後には、
「じゃあ、ジェイソンが日本で働くことになったらのぶこさんに」
「じゃあアメリカで働くことになったらノリコさんぜひ」
まで言い出したものでジェイソンに、
「僕、なんか第三者みたい」
と苦情を言われたりして、笑いながら歩いたのだった。ジェイソンたちはそのまま、履歴書をコピーするために24時間営業のレンタルオフィス&印刷会社にむかっていった。私はジェイソンたちの乗り込んだタクシーを見送ると地下鉄で家に帰った。

* * *

 翌朝はサンフランシスコでの最終日だった。ノアが
「朝ご飯にいいところがあるんだけど、行こうか」
というので行くことにした。ノアが顔洗ってるあいだにクレスタが、
「コーヒーでもどう?」
といってくれたけど、
「私とノアはこれから朝ご飯食べにどっか行くつもりだから」
とことわったら、
「『私とノア』〜♪」
と彼女はうたうように繰り返した。バレンタインの日にクレスタに、
「日本のバレンタインはね、女の子たちが男の子たちに愛を告白する権利があんだよ」
って説明していたのがいけなかったみたいだ。そのあとノアにチョコレートをあげたもんだから、クレスタはすっかり勘違いしちゃったみたいだった。
「義理チョコっていうのもあるんだよ」
と説明したんだけど、なんかほほえましそうな視線が気になる。

 徒歩で家の近くの緑地を歩いてレストランBoogalooまで行った。緑地からは高層ビル群がみわたせて美しい。夏にはここの緑地の土手状になったところに半裸のゲイ男性たちが日光浴に訪れ、ずらりとスキマなく横たわるで壮観なんだそうだ。レストランにつくと店はいっぱいで、店の前にもたくさんのひとたちが並んでいた。ここは地元のひとたちに人気で、土日になると夕方まで「朝食」をとりにきたひとたちでにぎわうんだそうだ。席待ちリストに名前を書いたあとノアは
「たぶん40分待ちぐらいだから歩こうか」
といってMissionの街なかに連れていってくれた。雑貨やをのぞいてぐるりと町なかを歩き、ついでに同性愛主義女性むけのオトナのおもちゃやさんにも寄った。(※ この前からこんなことばかり書いているから誤解するむきがあるかもしれませんが、この手の店が珍しいんでとくに書いてるだけで、こういう店ばかり選んでのぞいてるわけじゃありませんので念のため・・・。)

 店の窓は外から見えないように白い紙でカバーがされていたけどなかは明るくふつうの雑貨店のようだ。休日の朝っぱらからかなりにぎわっている。ただし男性はノアのほかにはひとりかふたりしかいなくて、女性同士のカップルで来ているひともいる。ある棚にはモロにオトナのおもちゃです〜っといった道具類もあるし、ファンシーな入れ物の香水(潤滑剤?)なんかもあれこれ置いてあった。ノアはくっついてまわって「これは香りを試してもいいやつだよ」とか世話を焼いてくれるのでちょっとはずかしい。でも考えてみると一応「女性むけ」という店だし、ノア自身が居心地悪かったのかもしれない。ある棚には日本のロリコンマンガが完全に英訳されておいてあったし、意外にごくふつうの本みたいなものや、健康マッサージのハウツー本、人種別の写真集やエロビデオなんかも置いてあった。

 店を出てレストランに行く途中、さっきのオトナのおもちゃやさんにいた男の人がでっかい紙包みを抱えて前のほうを歩いていた。
「あのひと何を買ったと思う?・・・あわかった、人形だ」
と言ったら、
「僕はあのビデオやとかでも売ってる大人のおもちゃだと思うけど」
とノアがいった。
「ストレート(ノンゲイ)のひとたちはああいう店には行かないんだ」
というので、
「じゃあ彼のおケツの穴はこんな感じ」
とまた袖口をすぼめてみせるとノアはもうわかったから、というように苦笑して
「きいてみなよ」
と言った。

 さっきのレストランにつくと同時に私たちの名前が呼ばれた。席に通されて私はほうれんそうとチキンとブルーチーズのオムレツにコーンマフィンとコーヒーをたのんだ。料理が来るまでのあいだおしゃべりしていて、ジェイソンA(ノアの友だちのジェイソン)はノアを通じてナンシーとつきあいはじめたということを知った。ノアとジェイソンAは10才ぐらいんときからの友だちなんだそうだ。ノアはもともと、住んでるとこの友だちと、外で知り合う友だちを分けるほうで、ジェイソンAはいつも外の友だちをつくりに行くときの仲間だった。
「だけどいまはジェイソンとナンシーがつきあいはじめたんで、外の世界と中の世界はごっちゃになってきてるんだ。つきあいが狭くなっちゃってさ、いまはとてもやりにくいんだ。こんなことは、僕の勝手なわがままなのはわかってるけど」
とノアは言った。
「もしナンシーとジェイソンが別れたりしたららもっときびしいね、ジェイソンは尋ねてこれなくなるだろうし」
と言ったらノアは、
「そうなったら僕は引っ越すよ。でもそうなってほしくないな。いまの家のひとたちすっごい好きだからさ〜」
とノアは言った。
「わかるよ。私もノアんちのひとたち大好き。明るくって親切でさ。それに、みんながボランティア精神があって、自分がほかのひとより少しだけたくさん家の仕事することでみんなのバランスがとれることがわかってるんだよね」
とこたえた。ノアは深く頷いた。

 おなかいっぱいになったあと地下鉄でダウンタウンに行った。雨になってて、外を出あるく天気じゃなくなっていたのでソニーの複合映画館ビル「メイトリアム」に行き、トムハンクスの映画「Cast Away」のチケットを買った。映画の上映時間までのあいだに、明日の朝の空港行きのシャトルバスを予約し、無料の3D映画を見たり、アーケードでプリクラを撮ったりした。ほどなく映画の時間になり、映画館の席についた。映画の料金は今までいたどの国よりも高くて9ドルぐらいしたけれど、それでも日本に比べれば40%も安い。席はおおきくてふっかりと分厚く、少しだけゆりかごのようにスィングしておしりの重心を移動できるようになっていた。

 さてここで観た映画「Cast Away」は、日本ではなんていうタイトルになっていたか知らないけど、無人島に置き去りにされたまま年月をすごした男の話だった。そういう話なので全編通じて会話が少ない。ノアが会話の少ないストーリーを選んでくれた、のだと思う。そのせいもあったかもしれないけど、ストーリーについていくのはあまり難しくなくて、しかもたまにあった会話でもわからないところがほとんどなくて、自分でもちょっとおどろいた。これまで、ひととの会話にはいっていこうとしてわからないから後込みしていたのはいったいなんだったんだろう?もしかしたら、私は「わかるはずないや」っていうフタで自分の心の扉を閉じて、ほんとならわかるはずのことにも耳をふさいでいたのかもしれない、と思ったのだった。

 映画が終わり、サンフランシスコで心残りのないように少し街をうろついて、新バージョンのスウォッチを買って、Beavis&Butt-head(数年前に流行ったMTVのアニメのキャラクター)のビデオを買って、ロスのサッコとラフィへのお土産にワインを買って、それからノアの家に戻った。もうすっかり日が暮れていた。晩ご飯はノアが用意してくれた。ゆでたポテトをつぶしてバターをまぜこんだマッシュポテトに、ニンニクバターでいためたブロッコリー。しょうゆとタマネギで照り煮にした鮫の切り身に、インスタントみそ汁。夕食をとりながら、今日の映画について喋り、夕食後の片づけは私がやった。


サンフランシスコの高層ビル群

 片づけが終わるとノアはもう寝る支度をはじめていた。私は荷物をだいたいパッキングしたあとパソコンをひっぱりだし、メールを受信した。いくつかのメールのなかにキムからメールがはいっていることに気づいた。上から順に読んで、最後にキムのメールをひらく。先日私がノアのバレンタインを台無しにしちゃったと思って泣き言を書いたんで、それに対する返事だった。キムは私をなぐさめて、
「ノアの好きなひとについて心配してるみたいだけど、そんなこと、あまり気にしなくても平気だと思うよ。ノアのことを見損なっちゃダメだよ。彼は太っ腹なひとだし彼が本気になれば女の子のひとりやふたり落とせないわけないさ」
と書いていた。そして「一方僕はと言えば」と彼はつづけていた。

「一方僕はといえば。バレンタインにはバレンタイン・カードを1通だけ書いて、誰も夕食には誘わなかったよ。
 デンマークではバレンタインのイベントはあまり盛んじゃないんだ。知ってのとおり僕らの国はすごく保守的だから、新しい習慣はなんでもばかばかしいってことになっちゃうみたいで、特に年輩のひとたちはそういうのをイヤがるんだよね。若い世代は少しずつ受け入れてるみたいだけど。
 でも、きみに書いたかどうか忘れたけど、僕もまた独り身になっちゃったから、僕も誰かひとりかふたり食事にでも誘ってみるべきだったかもな」

 独り身?

 ・・・・・・・独り身?
 それが、「キムが彼女と別れたということだ」と気づくまでにしばらく時間がかかった。

 独り身。  何があったんだろうか。書いたかどうか忘れたけど、なんて。いったいいつのこと?どうして?
 彼に彼女ができたということについて、実はすごくショックをうけている、ということをうち明けてから、キムは彼女のことにほとんど全く触れなくなったから、ふたりがどうなっているのか私にはわからなかった。でも、年末には一緒にドイツに行くって言っていたのに。それともそのときになにかあったんだろうか。キム。彼女とこの先どうなるかみてみたい、と言っていたのに。あのときからまだ8ヶ月しか経っていない。

 メールを読み終わって、なぜかひどく落ち込んでいることに気づいた。
 寝袋のなかで雑誌読んでるノアに、
「キム、彼女と別れちゃったんだって」
と言ったら、ノアは、
「彼女は嫌いだ I hate her.
といきなり言った。
「どっちが振ったかわかんないのに?」
ときいたけど、
「そう、嫌いなの! Yes, I hate her!
と言った。それで、
「ノアったら・・・」
と笑いながら私はキッチンにコーラのみに行って、歯を磨きに行って、部屋に戻って、布団にくるまって、
「おやすみノア。今日はあちこち連れてってくれてありがとね」
と声をかけた。
「おやすみヌーサン。こちらこそ楽しかったよ。目覚ましかけるの忘れずにね」
と答えた。私は目覚ましをたしかめ、電気を消した。なんかコーラのかたまりが、喉につかえていた。