カン違い

   朝ノアを見送ってからインターネットにつないで飛行機の時間や料金を調べた。ノアんちのあとは、ロスのラフィたちんとこに戻って数日過ごし、それからオレゴンに住んでるシンシアを訪ねる予定だ。いままで見たインターネットスペシャル料金のなかで最安値のチケットは往復で110ドルぐらいだったのでもういちどそのスペシャルが出ないか待っていたけど、もう同じ値段は出そうにないのであきらめて、少し高いけど200ドルぐらいのチケットを買ってしまうことにした。いよいよこれが最後の目的地だ。

   そういえばシンシアと会ったときのことはまだ書いていなかったっけ。彼女はガラパゴスのクルーズで同室になって友だちになったひとだ。年齢は40代なかばぐらい。データベースアナリストをしている。彼女とはガラパゴスではたった3日一緒にいただけだったけど、最初の日から、しゃべりはじめると永遠にとまらないぐらい意気投合して、毎晩遅くまで喋ってしまい「もう話しかけちゃダメだからね」ってお互いに言いながら寝たものだった。別れ際彼女は「よかったらオレゴンまであそびに来て」と熱心に誘ってくれた。家はユージーンというあまり便利ではないところなんだけど、アメリカにはいったら絶対会いにいくつもりでいた。


ゲイ歓迎を表すレインボーフラッグ
 オンラインでチケットの手配が終わると部屋を出た。カストロ通りはあいかわらずのにぎわいだ。駅にむかう途中、何軒かの店に寄りがてらレンタルビデオやにも入ってみた。入り口から近い普通の棚の前にはほとんどひとがいないけど、奥にやけにひとが集まってるところがある。もしや、と行ってみたらやっぱりエロビデオのコーナーだった。

 それにしても昼間っからこのにぎわいはどういうことなんでしょうか。20畳ぐらいのフロアに15かそこらの棚があるとして、それぞれの棚の前にひとりづつぐらい客がいる。ゲイのメッカであるからして、モチロンっていっちゃアレだけど1つの棚をのぞいてあとのすべてがゲイものだった。したがって客は私以外ゼンブ男だ。私の立ってる目の前の棚には「New Meat」と書かれたゲイポルノ・シリーズがずらりと並んでいて、その上にあるモニターではそのうちの1本と思われるビデオが流されていた。私の腕ぐらいある大人のおもちゃが2人の男性の間で行ったりきたりしていた。私がいるんで客はたぶん当惑してることだろう。好奇心も満たされたことなので外に出た。

 地下鉄でダウンタウンに向かい、終点のエンバルカデロ駅からピア39へのバスに乗った。ピア39のへんにはアシカがいっぱいいてクサい。だけど大都会の港にこんだけの巨大なアシカが集まってるってとこなんかは、考えるとなかなか壮観だ。


ピア39にゴロゴロころがるアシカ
 アシカを眺めたりおみやげやをひやかしながら昨日のことを考えていた。過ぎてしまったことはしょうがない。だけど彼女を迎えたときのノアの様子とか、ノーラの最初のさぐるような様子がひっかかっていた。今日も小雨が降ったり止んだりの天気で、憂鬱な気分に拍車がかかった。しばらく迷子のようにぶらぶらしていたけれどふときびすを返してバスでチャイナタウンへ向かった。チャイナタウンで数時間ほど過ごし、店を1軒1軒まわって隅々までまわり私はあるものを買った。それからカストロに戻り、ノアんちの近所のWalgreenっていうドラッグストアでチョコレートとカードを買い家に帰った。

 帰ったらもう家のみんなも大半戻ってきていた。テレビの番組とかについて喋っていたらマットが、
「そういやあさ、この家が日本のテレビで紹介されたことがあるんだよ」
って言って放映された番組のビデオを見せてくれた。それは衛星とかで放映されてるフジヤマっていう番組だった。日本人で、英語まったくできない男の子がとびこみでアメリカの生活や文化を体験してしまうっていうような番組で、ところどころに英会話の基礎知識みたいなものを盛り込んだ内容だ。私もパーフェクTV見てた頃にときどき見たことがあった。彼らが出演した回は、日本人の男の子が彼らの家に突然やってきて住み込み、サンフランシスコの生活を体験するっていうような内容で、当時からここに住んでいたクレスタとエドとナンシーが出ていた。
「どうしてこの家がテレビに出ることになったの」
って訊いたら、
「エドがこの番組のプロデューサーと知り合いで、手伝ってくれないかって言われたらしいわよ」
ってニナが答えた。
「これ飛び込みで家に来たりとかしてるけど、実際こんなだったの」
ってマットが訊いたら、
「ううん、ぜんぶヤラセだって」
ってニナが答えていた。時期的にいえば私がパーフェクTVを見てたのと同じ頃で、もしかしたら私もこの回を見ていたかもしれない。数年前のことでノアは出てこなかったけど、この家のひとたちを、ずっと前に日本で見てたのかもしれないと思うと不思議な感じがした。

 見終わってキッチンにいったらノアが仕事から帰ってきていた。
「これ、バレンタインに遅れたけど」
とWalgreenで買ったチョコレートのはいった袋を渡すとノアは、
「僕に?」
と言って包装をひらいた。そしてカードをひらき、その隅に私が書き込んだ内容を読み上げた。
「無料宿泊クーポン券。無料寿司クーポン券。ノアとその友だちに限り有効。2999年12月31日まで。わあ、ありがとうヌーサン」
ノアは私の肩をふわっと抱いた。私は中東にいたときみたいにノアのほっぺたが私の顔の横に来ることを期待して顔を近づけた。だけど、その瞬間ノアは高速道路で車が車線変更するときみたいにすいっとよけた感じだった。なんか頭のなかでゴワ〜ンとドラが鳴った。私、もしかして避けられてる?!


ノアんちのキッチン
 ノアは何かを思い出すみたいに部屋のほうを振り返ったあと、チョコレートのパッケージを部屋に置きに戻り、またキッチンに出てきて
「おなかすいてる?タイ料理でも食べにいかない?」
といった。ドラの余韻がまだ鳴るなか、私はノアに従ってカストロ通りのタイ料理やに向かった。料理を注文しおわってから、今日なにした、とかいう話しをした。
「ビデオやに行ったよ。New Meatっていうビデオやってた」
と言ったらノアが、
「あぁ、New Meat」
と言った。
「好きなの!」
と訊ねた。
「ち、違うよ、有名なだけだよ。借りたことも見たこともないよ」
とノアはわざとあわてたような態度で言ったのでおかしくなった。
「それからまたチャイナタウンに行ったよ」
と言ったら、
「また行ったの?」
とノアは少し呆れ気味だった。
「うん、これ買ってきたんだ」
と私はバッグから今日買ったものを出した。

「なにこれ」
と手にとってノアはちょっと顔をしかめたあと、
「これ、レモングラス?」
と言った。
「ノーラが探してるって言ったから。近々彼女に会う?」
と私が言うと、
「・・・うーんと。どうかな」
とノアはちょっと困ったような顔をしたように見えた。
「これしばらくは保つと思うからさ」
って言うとノアは、
「そうだね、2,3週間は大丈夫だよね」
と言って受け取った。2,3週間も会わないつもりなのか?もしかしてノアはノーラとのあいだに本格的に亀裂を生じさせてしまったんだろうか。

 スープが運ばれてきて、食べ始めてから、今日ずっと考え続けてきたことを言おうと思いながら緊張してだまりがちになった。長時間緊張して黙りつづけてから言うなんて感じわるいぞ。思い切って、深呼吸したあと言った。
「ノア、ホントのことを言ってもよかったんじゃないの?」
「ホントのことって?」
ってノアが訊いた。
「彼女のことだよ」
「彼女についてホントのことってなにさ」
「ガールフレンド。いるじゃない」
「誰がガールフレンドだって思うの」
そうくると思った、しらばっくれちゃって。
「ノーラ」
っていったらノアは噴き出して、
「なんでノーラなの!ちがうよ。ジェニファの間違いじゃないの?彼女だっていい子だったでしょ」
という。
「うん、ジェニファもいいひとだけど、ノーラでしょ。だって、ノアはノーラに対してすごくスイートだったよ」
って言ったら、
「だって彼女が僕のこと好きだから」
って言う。
「わかってる。でも自分だって好きなくせに And you love her too
って言ったら、ノアは、
「いや、彼女のことは好きじゃないんだ I don't like her
と言った。好き、な、わけではない、じゃなく、好きじゃない、とノアが言ったことがちょっと私を当惑させた。

「でも。とってもスイートだったよ」
っていったら、
「それは彼女のこと好きじゃないからさ」
って言った。そんないいぶんってあるだろうか。料理が運ばれてきて、お皿に盛ったごはんにカレーかけながらノアが、
「彼女どう思った?」
と訊ねた。
「かわいい子だと思うよ。好奇心が強いし頭もいいみたい」
と答えるとノアは、
「彼女は子どもみたいなんだ。彼女がいくつかあててごらんよ」
と言った。
「22ぐらい?」
「28だよ」
「しかも、見えるだけじゃなくて実際そういうふうに振る舞うんだ。最初に彼女と会ったとき20才ぐらいかと思ったよ。まるで子どもみたいなんだ」

「え〜。じゃあどうしてバレンタインに誘ったのさ」
と訊いたら、
「ちがうよむこうから誘ってきたんだ」
とノアがいった。
「それで、家に呼んだの」
「そう。外で食事するとどうしても特別な感じになるから」
・・・じゃあ、アクビしてたのも、お客がいるうちからお皿洗い始めちゃったのも、ジェニファを一緒に呼んだのもそういうわけ?でも、でもまだわからない。
「でも、デートしてるよねえ?」
「してない」
「太鼓のコースの下見行ったって」
なんか私やきもちやいてるみたい。
「それは彼女が好きとかは関係ないじゃない。太鼓はクールだよ。太鼓奏者ってまるで、太鼓たたいてるっていうよりは踊ってるみたいでさ、興味があって見てみたかった。それだけだよ」
とノアは言った。
「アパートのみんなに訊いてごらん、僕があの娘をどう思ってるかわかるから」
ってノアはつけたした。すっかりわからなくなって私が頭をおさえると、
「なんで僕がウソいわなくちゃいけないのさ」
とノアがいった。私は口ごもった。

「だって」
「だって何?」
「私に気を使わせないために隠してるんじゃないの?」
それに、どうしてさっきチョコレートあげたときよけたんだろう。やっぱりノアはほんとのことかくしてる。
「ノア、本当のことを言いなよ」
というと、
「まだわかんないの」
とノアが言った。
「邪魔したことを謝るから」
「邪魔した?邪魔なんかしてないって」
「でも私のこと避けてる」
「避けてないさ」
ノアは言ったあと私が右手に持ってるスプーンを見つめて、
「武器をおけよ。話し合おう」
とふざけた。
「スプーンは武器にならないよ」
「なるさ、ざくっと刺したり」
「誰かスプーンで刺されて死んだひと知ってる?もし殺るときには私ならスプーンを選ばないな」
とフォークに持ち替えた。ノアは、
「まあ待て。ヌーサン冷静に」
と言った。そういいながら
「どうして避けてると思うのさ」
ときいた。

「それは」
さっきハグしたときよけたから、と思ったけど、はずかしくて言えなかった。
「いえないよ」
っていったら、
「いいなよ」
といわれた。言えない、言いなよ、という押し問答を続けたあと、
「あのね、中東にいたときにノアは私をハグするときほっぺたをくっつけたでしょ」
といって、またはずかしくなって、
「言えないよ」
と繰り返した。ノアはまじまじと私を見て、でもおもしろそうに
「言いなって」
といった。
「さっきチョコレートあげたときにね」
と言ったらノアは笑い出した。
「チョコレートあげたときに、前みたいにハグしてくれると思ったけど、ノアは逃げたから」
とまで言ったらなんか恥ずかしくなって涙がにじんできてしまった。ノアはまだ笑っていた。
「ヌーサンごめんでも逃げてなんかいないよ。あのとき携帯が鳴ったじゃない。気づいた?」
「ううん」
私は答えた。
「たぶんあれはナンシーだったと思うけど、僕のと同じ音なんだ。そいで、携帯どこだっけと思ったんだ」
私も笑い出した。
「きみおかしいよ、ガールフレンドがいるとか、ノーラとつきあってるとか邪魔したとか僕がきみのこと避けてるとか」
本当だ。第一、私に気をつかってかくしてたなら、私を避けるなんて矛盾してるもいいとこだ。私ときたら、すっかり早とちりしてわけがわからなくなって、ノアに花をもたせようと思ってレモングラス買ってきたはずなのに、結局ノアを問いつめて、しかも全部勘違いだったなんて。安心したのも手伝って笑いと涙が同時にこみあげてきた。
「たしかに。私ってほんとバカみたい。勝手にこんな妄想をつくりあげてさ」
と言ったらたまってた涙が流れでた。ノアは、
「Oh Noosan、妄想なんかじゃないよ」
と言ったあと、
「カレーそんなに辛かった?」
と言った。私は、
「まって。ちょっと失礼」
といってナプキンで目をふいた。


クリスピークリームドーナツの帽子をかぶったノア
「レモングラス渡さないつもりでしょう」
というとノアは、
「そんなことないよ渡しとくよ」
と言った。
「よろしく言っておいて。私は彼女好きなんだ」
って言ったらノアは、
「うん、心配すんなって」
と言って微笑んだ。

そのあとノアは話題を替えて、
「ヌーサン、日本に行くの楽しみだよ。早くクーポン使いたいな」
と言った。私は、
「東京に部屋借りるまで待ってよね」
と答えた。ウェイターのひとりが会計票をもってやってきた。気がつくともうすっかりほかの客はいなくなって、店には私たちだけになっていた。
「今日は私の番ね」
といってその晩は私がカードで支払った。ノアは最初少し抵抗したけど、やがておとなしく、
「ごちそうさま。ありがとう」
と言った。

 帰り道、カストロ通りのカフェの前でおかまが嬌声をあげていたのでノアが声を落とし、
「New Meat!!」
とささやいた。
「私ほんとにあのビデオ信じられないよ」
って言ったら、
「どうして」
とノアがいうので、
「大人のおもちゃを使ってた男のおケツなんてね、こうだよ」
といってフリースのそでぐちをつまんで縦長にすぼめてみせた。
「いいかいヌーサン、僕はこれ以上は聞きたくないからね!」
とノアが言い、私は、
「どうしてって訊いたのはノアだよ!」
といいながら家にはいった。

* * *

その晩寝る仕度をして電気を消す前にノアが「ふぅ」とためいきをついて言った。
「は〜、ヌーサン、今日僕が誰からメール受け取ったと思う?」
「誰だったの?」
「マロニー」
「誰?」
「マット・マロニー(できごと日記「ゴラン高原」参照)。おぼえてるでしょ、オーストラリアのクロコダイルダンディのやつ」
「ああ、マットの名字マロニーっていうの?」
「そう、ヤツはいつも僕のことレッチョって呼んで、僕はヤツのことマロニーって呼んでたんだ」
「レッチョってなに?」
「名字。僕の名字リチャードソンじゃない、リチャードが訛ってレッチョ。オーストラリア流なんだと思うよ。そいで、何て書いてあったと思う?」
「なんて?」
「reply or die って」

「返事をよこせ、さもなくば死ね?」
私は大笑いした。韻をふんでて、実にセンスがいい脅迫状だ。
「ヤツはいつもこういう怒りのメールばっかなんだ。ぎょっとするよ」
「その後やりとりしてるの?」
「いやむこうから来るばっかだけど」
「何度メールきたの」
「5回ぐらい」
「全部そんな内容なの?」
「いや、最初の頃、一度だけマトモなのがあった。なんか旅行でアイルランドに行ったとかでそっから書いてきたやつ」
「返事しなよ」
というとノアはイスラエルで彼がいかに困った男だったかをいまいちど繰り返して説明した。
「でもそのうち1度ぐらいは返事書くかな」
とノアがしょぼくれていうので、
「なんでそんなに気に入られてんの」
と訊いたら、
「僕だって知るもんか」
とノアは答えた。
「New Meat?」
と訊ねると、
「やめて」
とノアは答えた。

 それからしばらく中東の思い出話をしていた。誰と再会したとか、誰と連絡をとってるとか。そして、ダマスカスのクリスマスパーティの話しになったときにノアが、
「キムをデンマークに訪ねたら楽しいだろうね」
と言った。
 キムを、デンマークに訪ねたら。
 私は、
「でもね」
と言いかけて、黙った。キムには、もう「会いにいく」ことはできないんだ。彼は彼女がいるから、たとえ友だちとしてだって、会いにいったら彼の生活を乱してしまうから、行けないんだよ。だけど、言ってもしかたのないことだから、
「うん、楽しいだろうな」
とだけ答えた。ノアともこうして会えたんだから、望みが全くないわけじゃないさ。
「おやすみ」
ノアが電気を消した。外はまた雨になっているような気配だった。
「おやすみ」
と答えてベッドにもぐりこんだ。昨日遅くまで眠れなかったぶん、私はすぐに眠りに落ちた。