| 永楽観光・バスの旅 | |||||
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「永楽観光」のバスは午後3時にヤンゴンのバスターミナルを出発した。日本の中古の観光バスだった。バガンへは16時間の予定だった。バスの料金は700円。外国人旅行者は私ひとりだけだった。
これまでで私の一日の移動の最長時間記録は14時間。スラタニからバンコクまでの寝台車だった。そのときは電車だったから歩き回ることもできたし、寝台だからもちろん足を伸ばせたし、トイレも好きな時間に行けた。それでも14時間、横揺れの激しい電車に揺られるのは結構つらくて、降りたときには食欲もなくなっていた。ところがこんどの永楽観光のバスはトイレもないし、席も狭くて身じろぎする隙間もないうえ16時間だ。これは、ちょっと、しんどそうだと思った。
私の前の列には女の人とおばあさんが座っていた。おばあさんは喋るときは上品な声を出すひとだったけど乗ってきてまもなくぐぉーと大音量でげっぷをした。そのあともたてつづけにげっぷを5、6回くりかえしていて、数時間後にもやっぱり同じようにげっぷをくりかえしていたので、本当にげっぷなのか、げっぷが出すぎる病気なのか、もしかしたらげっぷにそっくりな音のせきばらいなのかわからなくなった。よく聞くとげっぷの音はそのおばあさんだけじゃなくそこらじゅうから聞こえた。タンを切る「こぁーーっ」って音もしばしば響いた。車内ではそういう音をうち消すようにミャンマーポップスがガンガン流れた。
隣の席は40才くらいのおじさんだった。しばらく走るとおじさんは眠り始め、ヒジがだんだんこっちにはみだしてきた。足ひらいて眠ってるので膝があたって居心地悪い。でもこっちが窓側にちぢこまっていると安心していっそう足ひらいて寝るのでもうあきらめて膝があたったまま座っていることにした。ヒジも邪魔なのでこっちにはみ出してこれないよう私もヒジをふんばっていたら、おじさんはわざわざ私のヒジをよけて、腕を私の腕の上に載せた。これってセクハラじゃないのー?と思ったがそんなの序の口だった。ひと眠りして足がシビレるので目をさましたら彼は私の足を踏んで寝ていた。
バスは一応エアコンバスだった。でも出発してまもなく運転席のヨコの助手が何か言うと、乗客がいっせいに窓をあけはじめた。オーバーヒートでエアコンが入らなくなったのだ。私の前の席は窓のたてつけが悪いらしくて簡単に開かず、バスの助手がスパナで金具をひっぱたいて無理矢理こじ開けていた。私は日のあたる側にいたのでカーテンを閉めていたけど、窓を開けてからは風が入ってカーテンがばたばたと私の顔の上でおどった。カーテンはいつもこういう目にあっているらしくてすりきれてボロボロのうえ土ボコリで汚れて真っ黒だった。
2時間くらいしたらもう道は舗装道路じゃなくなった。窓から見ると、おそろしく深い轍があるように見えた。バスはときどき街を通過した。一応ハイウェイバスということだったしときどき料金所もあるけど、ハイウェイの脇には民家が建っていた。ときどき道ばたを自転車が走ったり犬が歩いたりしていて、よけるためにバスは急ブレーキをかけた。
道は舗装されていた頃から1車線ぶんしかないから、反対行きのバスが来るとバスはひっきりなしにクラクションを鳴らした。鳴らしてどうなるもんでもないと思うのに、バスはクラクションで相手を威嚇してぎりぎりまで全速力でつっこみ、目前になっていきなりスピードをおとして、道路からはみ出すようにむりやりすれ違う方針みたいだった。
夜7時くらいにサービスエリアに着いた。3軒くらいレストランがあるところだ。サービスエリアといっても、日本の感覚で想像してはイケナイ。レストランなんて名ばかりの、草で屋根をふいたようなあばらやなのだ。裏にトイレがあったのに、大半のひとはトイレじゃないところでしていた。ミャンマーのひとは男も女もロンジーという巻きスカートのようなものをはいている。女のひとはロンジーを肩までもちあげて、家のひとの服がほしてある物干しの前でひとり、物干しの後ろにかくれてまたひとりとしゃがみこんだ。だからさー、ひとの洗濯物が干してあるんだってば。トイレが目の前にあるのにどうして並ばないんだ。
トイレの中は、結構明るかったのでほっとした。ミャンマーのトイレは自分で水溜からひしゃくで水をすくって自分で流す。トイレットペーパーは使わないのでお尻はやっぱりこの水で洗う、はず。でも水溜の水は泥水。水をすくうひしゃくの中にも泥が沈んでいた。私の前に入った女の子がこれを使ってお尻洗ったとは考えにくかった。洗濯物のヨコにしゃがむ人たち同様で、とにかくここのひとたちは洗いもしなきゃふきもしないのね。それでいいのね・・・。
蚊が多いなあと思って見渡すと天井にはいくつもの蜘蛛の巣がはっていて、壁には狭い室内にもかかわらずヤモリが5匹ほどいた。ヤモリはキライではない。でも狭いトイレの個室の中で大小とりまぜて5匹もいると背中がゾワゾワっとする。
レストランのほうは、わらぶき屋根の下にたくさんのテーブルがおいてあって、それぞれの上に香りの強い野菜やキュウリのきざんだのやつけものなどが乗っていて、ひと皿につき数匹ずつハエが止まっている。
食事休憩の間に前の席の窓は閉まっていた。助手が外から無理矢理閉めてくれたらしい。でもこの窓は走っている最中に振動で少しずつ開いてくるらしく、その後も一眠りするたびに開いていた。風でカーテンがはためいて髪がからむのが気になるらしく、前の女のひとはバスが止まるたびにヒステリックに櫛で髪を梳きまくって後ろの私の頭に櫛をブンブンぶつけた。
走り出して9時間。夜12時頃からお尻がシビれてきた。限界に達しそうになった午前2時頃に一旦サービスエリアに止まり、パンクしたタイヤの交換が始まり、1時間かかってようやく交換がおわった。バガンまではたった600km。それを16時間もかけて走るというのにはこういう時間も含まれてるのだ。
バスはしばしば止まって、助手が様子を見に降りた。夜中になってからもスピーカーはたびたび大音量で音楽や、祈祷だか演説のようなものを流し続けた。音楽がとぎれても一瞬の静寂のあと前にも増して大きな音で新しいカセットがかけられた。そのたびに子供が目を覚まして泣き叫んだ。げぷーっ。こぁーっ。ジャジャーン。ギャピーッ。私はめまいがしてきた。
夜になってからはエアコンがまた動き出した。窓はその後も勝手に開いて、明け方には冷たい風が吹き込んだ。寒くなって長袖を出して羽織った。エアコンの吹き出し口からはしばしば水滴が落ちてきた。
予定より大幅に早く、たったの15時間でバスはバガンの検問に到着した。
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