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なにせ手元に全然旅行の資料になるものがなにもないもんで、とりあえず観光局に行こう、と決めて出掛けてみた。もちろん観光局がどこにあるのかも知らないでだ。外はまだひともまばらで、開いている店もほとんどない。9時をすぎているつもりで出てきてるのに、商店の時計を見たらまだ7時をすぎたところだった。緯度は同じくらいでも違う国なので、時差があるわけだ。これじゃ観光局見つけたところで2時間は待たされそうだ。何して時間つぶせばいいんだろうか・・・途方にくれながら路上の文房具やでハガキを選んでいたときに彼に出会った。彼はオレンジと紺のコンビネーションのNikeのジャケットを着ていた。
私を見ると近づいてきて、
「何か探してるの?」
と声をかけた。おいでなすった、客引きか?詐欺師か?
「観光局」
と言うと、
「観光に来たの?よかったら僕が案内してあげる。お金なんかいらないよ、友達になりたいんだ」
と言った。いきなりお金なんかいらない、と言うところがアヤシさまるだしではないか。
「いらないよ」
と答えると、
「でも今日は金曜だから観光局は開いてないし」
と彼が言った。しまった。イスラム国は金曜が休日か。
だけど、一般にタダより高いものはないので、
「ありがと、でもいいよ」
とひきつづき断りながらハガキを選んでいた。
私がハガキ買ってるあいだじゅう彼が待っていたのでなんとなく居心地悪く、店を出たらダッシュで宿に戻ろうと思っていたのに、不都合なことに店を出てみたら宿がどっちだったかわからなくなっていた。それでたいへん不本意にも、彼に
「ホテル・デ・サボイ知ってる?」
って聞いたら、彼は私をホテルまで送ってくれた。送ってくれながら彼は、
「旧市街に行くなら、メディナ(城壁にかこまれた、迷路のような旧市街)はもっと迷うし、たくさんのひとに話しかけられるしあぶないよ」
と言うので、じゃあ行かないや、とごかまして部屋に戻った。彼がいなくなったのをみはからってもう一度でていって、近所のレストランでスープをたのんだ。値段がたった30円ちょいだったんでとても気をよくした。やはりモロッコ。ヨーロッパから一歩踏み出しただけで物価がひと桁ちがう。
さて観光局も今日は期待できないことがわかったし、どうするか。また街をふらっと、当てずっぽうに歩きはじめたとたん、第2の男があらわれた。さっきのオレンジと紺の男によく似た感じだけど、服は違う。そしてまた
「メディナに行きたいの?友達になろうよ。タダでいいよ。etc.」
これまたしつこいので、困っちゃったな〜と思っていたら、さっきのオレンジと紺の男があらわれて、あとから来たやつにガウッとなんか言った。そしたらあとのやつはしっぽを巻いてどっかいってしまった。ちょっとホッとした。ほんとは問題がすり替えられただけなんだけど。
「ほらね、言ったでしょ。ああいうやつが四六時中ついてまわるから」
とオレンジと紺の彼が言った。あんたもああいうやつのひとりなんですけど。
「こんどは何探してるの?」
と訊ねられて、
「いや、メディナの地図をね」
って言ったら、彼は「やっぱり行くんじゃない」とはつっこまずに、
「地図だったらそこで売ってるよ。でもメディナだったらタダで案内してあげるけど」
と繰り返した。だからそのタダっていうのが信用ならないんだっつーの。私が、
「いや、私はタダで、というのは信用しないんだ」
って言ったら彼が、
「きみがそうしたいなら、いいんだよ僕にお金払ったって」
と、あっけらかんと言った。それで、なんか急に拍子ぬけした。怪しそうなひとだったら、メディナについてから逃げればいいか。そんなつもりで、
「メディナまで遠いの?」
と訊くと、
「ん〜、すぐだよ」
といって、私がついて行くとも言わないのに彼は歩き出した。
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15分ほど歩いただろうか、時間は15分でもすごい速度で歩いたので気分的には20キロぐらいきた感じだ。大げさか。とにかく当てずっぽうに歩いてもここまでは絶対たどり着けなかっただろうというあたりに王宮の正門広場があった。王宮の正門広場は地元のひとは入れないのか、彼は
「僕はそとにいるから見ておいで」
と言った。
私が正門広場で写真をとっていると、女の子ふたりが寄ってきて写真をとってほしいと言う。はて。地元のひとは入れないのではないんだろうか。私はまたもや警戒して、
「このカメラはインターネット専用だからe-mailがないと撮ってあげられないんだよ」
とひたすら意味不明な説明をしたあと、
「友達が待っているから。ごめん」
といって逃げ出した。「友達が」といったのが聞こえたのか、彼はにこにこして私の感想をきいたあと、またびゅんびゅん歩きだした。
気づくともうメディナのなかにはいりこんでいた。彼が次に連れてきてくれたのはユダヤ人の墓地だった。狭い敷地に枕のように低い墓石がぎっしりと立ち並んでいる。
「いっときコレラが流行って、大勢の赤ん坊が死んだことがあったんだよ」
と彼が説明してくれた。ヨーロッパでコレラが流行したということは、至近距離にあるモロッコでも当然同じことがあったということだ。でもモロッコにこんだけ多くのユダヤ人が住んでいたということがまた意外だ。ここだけ金網が張られているということが、ムスリムとユダヤ人との対立に何か関係しているのかどうかはわからなかった。
そのあと彼はまたメディナの中を通って私をヨーロッパ風の庭園につれていき、庭園の近くの喫茶店で一休みしてゆっくり自己紹介をした。彼は25才で、ラシットと名乗った。
「普段は週に4日のオフィスワークをしてるんだ」
と言った。歩くのは速いけどのんびりした感じのひとで、私のことを寝掘り葉堀り訊くわけでもない。なんでツーリストに声をかけるの?と聞くと「友達になりたいから」と答える。なんで友達になりたいの?と聞くと「いろいろな話しが聞けて楽しいからだよ」と答える。別に不自然なことは何もなかった。・・・『お茶に眠り薬を入れられるから気をつけて』『ニセ・ガイドが警察につかまると厳罰なので手口も巧妙化してるんだよ』『トランプ賭博で巻き上げられたひと知ってるよ』なんて話しを聞いてなかったら、何も不審に思わないところだ。強いて言えば、彼はこのあたりの歴史にやけに詳しくて、なんか訊ねると、だいたいのことは知っていた。をの説明がとても明瞭だったから、ただの一般人にも思えない。詐欺師じゃないとしても、なんか観光をネタに生きてるひとなんじゃないんだろうか。でなければ、王様の末裔か富豪の隠し子で、不自由ない暮らしに退屈してときどき出てきてはツーリストと友達になろうとしてるとか?
「なんでメディナのことよく知ってるの?」
と訊ねると、
「メディナに住んでるから」
と彼は答えた。それから、ん〜、と考えて、
「よかったら僕の家この近くなんだけど寄っていかない?」
と言った。メディナのなかの家ってどんなふうか興味があった。それに、寄らない、といったって、ここがどこだかわからないし、帰ることもできないではないか。二度と出られそうにない細くしめった通路をくねくねとはいっていくと、8畳くらいのレンガ敷きの庭があり、それを囲むように建物が4軒建っていた。彼の家はその庭に面した1階で、部屋は長っぽそい6畳くらいの大きさだった。
部屋の隅にはベンチみたいな物入れがある。そのうえに座布団がひいてあるように思ったけど、あとから考えるとそれらはベッドで、敷いてあったのは布団に違いなかった。彼は派手だけど色のくすんでしまった座布団をうんしょっとおしのけて、私の座る場所をあけてくれた。部屋と庭はレンガでひとつながりで、ドアや窓はない。夜間、庭と部屋を隔てるのは、たてかけている雨戸だけのようだった。建物同士が近接してたっているために日当たりが悪く、煉瓦はしめっていて、カビかコケで黒ずんでいた。決して豊かそうな家には見えない。富豪の隠し子という選択肢にはここで×がついた。
彼はお母さんと2人暮らしで、家につくとお母さんが何か彼に何か怒ってるようだった。東洋人の女の子なんか連れてきてるから怒ってるんじゃないだろうか・・・とちょっと不安になると、彼は察したように、
「ごめん、今日お祈りに行ってないもんだから母がいやがってるんだ。ちょっと行ってくる」
といって出かけて行った。
待ってる間にお母さんがミントティをいれてくれた。昨日バスの昼食休憩で飲んだときは、ミントティって紅茶でいれるものかと思ったんだけど、お母さんはれっきとした漢字の書いてある中国茶の箱をひっぱりだしてきた。ミントティというのはポットにまずお茶を入れてちょっとお湯をかけてお茶っぱを蒸らしつつ待つ。それからお湯をたっぷりそそぎ、ミントの葉をぎっしりつめこんで砂糖をたっぷりいれ、ふたをして、こんどは金属の急須自体を火にくべ、ぐらぐらとわかしてから注ぐ。お茶のにおいがしたのか、近所の女の子がやって来て、ミントティをもらっては何度もおかわりして飲んでいった。
お茶をいただいていたら彼が戻ってきて、モスクとか、メディナの説明をしてくれた。フェズのメディナには門が14個あるらしい。メディナはいくつかの地域にわけられ、すべての地域にモスクと泉とパンやとハマムがあるんだそうだ。ちなみにモスクはメディナじゅうに315個ある。一番大きいモスクは22000人をいちどに収容できるんだそうだ。いったいこの狭い地域に凝縮したメディナに何万人のひとが住んでるんだろうか?それから、パンやはパン生地を練って焼いて売る店だとふつうなら思うけど、ここでは違う。ここでは、各家庭から持ち寄ったパンのたねを焼いて、もとの家に返す店なんだそうだ。焼いているパンはどれも同じように見えるけど、その家のひとが見ればちがうらしい。
「まちがった家のパンが返ってくると大変なクレームになるんだよ。名前が書いてあるわけでもないからパンやはホントに大変なんだ」
と彼がまじめくさって説明してくれた。
 ハンバーガーって、 斬新な呼び方ではないだろうか。
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と、パンのはなしをしていたらおなかがすいてることに気づいた。時間を聞いたらもう1時すぎだ。すると彼は、
「ハンバーガー食べる?」
といってひょいと出ていき、買ってきたケバブのはさまったパンをごちそうしてくれた。いま歩いてきた通路のどこかにそんな店あっただろうか。
ケバブパンを食べながら、彼がこれまでに招いた各国のツーリストの写真や、彼らがくれた手紙を見せてもらった。彼はかなり頻繁にツーリストを家に招いてるみたいで、いま着ている紺とオレンジのジャケットも、Gパンも、そういうひとたちが後日記念に送ってくれたんだよ、と彼は誇らしそうに言った。その言い方がとてもあどけない様子に見えたので、悪いことをしてるひとじゃなさそう、と思った。本人の自由だけど、でもさ、裕福でもないのにツーリストをつぎつぎ家に招いてるっていうのはどういう生活なんだろう?

ラシッドんちの近くのモスク
男性が足を浄めている
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食事のあとラシットのお母さんが水をすすめてくれた。ラシットは、
「それはふつうの水だから君は飲めないよ」
って言ったけど、お母さんはラシットにくってかかってアラブ語で何か言い、私に飲ませようとしたので、私は飲むふりをしてグラスをテーブルの隅に置いた。彼はあとで、
「ごめんよ母はアタマが普通じゃないんだ、もう年だから」
と言った。それから、
「今日は金曜でメディナはみんなお休みだから、明日また来て、ついでにうちの母がつくったクスクス食べるのどう?」
って彼が聞くので、私はちょっと躊躇したけど、OKした。
明日の約束をすると、彼は私と一緒にタクシーに乗りこみ、宿につれてきてくれた。タクシーは結構数キロは走ったと思うけどわずか7ディラハムだった。昨日のバス停からの30ディラハムがいかにぼったくっていたかがよくわかる。私を送りとどけると、彼は、
「じゃぁね、また明日」
といって手をふり、さっさと帰っていった。フム、こういうとこで判断するのもナンだけど、下心があるわけでもないらしい。

モスクの中は男性用の祈祷室と 女性用の祈祷室に分かれている。
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ただ、ほんとのもてなし好きのひとにしては、いろんなとこにつれていってくれすぎるところがしっくりこないといえばしっくりこない。でも、もしなにか盗るつもりだったらとっくに睡眠薬とかで眠らされてるだろうという気もした。
なんか私が勘ぐりすぎてるだけかも・・・
という気がして、私は明日は、そういう先入観をとっぱらって彼と会ってみようと決めた。
* * *
翌朝目覚ましで起きた。夜中に虫さされを掻いたらしく、シーツに血のシミが残っている。バルセロナで泊まっていた関西弁の本格的な旅行者さんが、
「アフリカではぱっとシーツめくると血のあとがついてるとこあって、しもた〜思ってもほかに泊まるところはないやんか。刺されるの承知で泊まんねん」
って言っていたからな。まだまだ本格化してくるのはコレカラだ。でも南京虫ってなにか悪い病気を媒介したりしないんだろうか。

ウェディング用の輿
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支度をして約束の時間に外に出ると10分おくれてラシットがやってきた。小雨がふっていた。タクシーでメディナに向かった。名もない門のひとつをくぐり、目覚めたばかりの迷宮を歩きはじめる。ラシットは、
「見せたいものがあるから、ちょっと遠回りしようか」
といってまず婚礼用の輿とか棺桶をつくってる通り、そして馬の鞍細工をしている通りや銀細工をしてる店の通りにつれていってくれた。鞍細工の通りでは、装飾をほどこした真新しい馬具が発する皮の強いにおいが、路地の隅々までしみ込んでいる。棺桶やなんかが細い通りの両側にひしめきあってるのを見るのは壮観だ。女性用の棺桶っていうのは、つくられた時点では蓋がかぶさっているのだそうだ。前面にある模様は、サイズを示しているんだと彼が教えてくれた。ところで、前から気になってたんだけど、とくに途上国の商店っていうのは、どうして似通った業種をまとめて同じ地域につくるんだろうか。そんなことすると競争が激しくなってかえって不都合なんじゃないだろうか。
さらにしばらく行くとすごいにおいがしはじめた。これって、屍臭じゃないだろうか。ごくふつうの町並みの一画なのに、いったいどういうとこにつれてこられてしまったんだろうか。やや高い壁があって、壁に沿って幅の狭い階段がかけられている。彼に促されるままに、ぬるぬるとすべる階段をあがった。足下が血液のようなあざやかな赤に染まっている。階段のなかばで彼が、
「ここは死ぬところ」
とぼそりと言ったのでぞぞっとした。それって死刑場とか?においが壮絶で気持ち悪くなりそうだ。私はいままで、自分は腐乱死体を見ても吐いたりしないと思っていたけど、それは前提からして大間違いだということに気づいた。腐乱死体は見て吐くんじゃない。嗅いで吐くんだ。この壁のむこうがわにそういうオゾマシイ光景がひろがっているんだろうか。
だけど、階段のおわりのバルコニーに立ったときに、私のクチから漏れたのは驚愕の叫びではなくて、感嘆のため息だった。バルコニーの上からの眺めは異世界そのものだった。眼下に風呂とも壺ともつかない穴がぎっしりならんだ作業場がひろがっていて、ちょっと見た感じ巨大な蜂の巣みたいだ。つれてきてくれたのはタンネリ(皮染め)の作業場だった。彼が言ったのは「死ぬ
(die) ところ」じゃなくて、「染める (dye)
ところ」だったんだ。ABROADの特集ページにも載ってたけど、地図がなかったんで到底たどり着けないだろうと思っていた場所だった。
実際こんな奇妙な眺めはなかった。作業場の片隅には羊の形そのままの皮がたくさん積まれている。羊の皮を漬けて毛をとりやすくする化学薬品の穴、色鮮やかな染料の穴、向こうの建物には何に使うのかしらないけど干してる布がたくさん、その向こうの丘の上にはメディナを囲む城壁、いま歩いてきた通路には羊の皮をたくさん積んだロバ、さらにその手前には無心に羊の毛をむしってる男たち。
私が彼をふりむいて、
「すごい」
って言うと彼は、
「そうとも」
というように満足そうに頷いた。
バルコニーから降りるとき、彼が、
「滑るから気をつけて」
って言ってくれた。といって両側の壁と手すりは赤くてぬるぬるでつかまりたくない。おっかなびっくり歩いていたら、お約束どおりすべった。足を2段すべらして、ラシットに蹴りをくらわしてしまいそうになった瞬間、ラシットはひらりとふりむいて両手で私をうけとめてくれた。そして
「僕の手につかまって」
と私の手をひいて、彼はゆっくりと階段を下りはじめた。

化学薬品のはいってる穴
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雨で濡れた階段にしりもちをついたんで、お尻がつめたくなって気持ちわるい。外に出ると手洗い場があった。水は少しにごってみえたけど、ともかく手をあらいたかった。手を洗って、よごれたジャケットの袖を水で流した。懸命に袖口の染料をおとしている私の横に立っていたラシットが、ジャケットの背中を見て、
「あれっなんかいるよ」
と、赤っぽいゴキブリみたいな虫をはじいてくれた。そして、
「刺された?いまいるホテル大丈夫?」
と訊ねた。南京虫をつれて歩いていたのだと気づいて一気に背すじが凍り付いた。
いまいるホテルは大丈夫だけど、実はバルセロナでひどくやられたんだ、というと、
「バルセロナで?あんな虫はふつう夏しかいないんだけど・・・」
と彼は気の毒そうに言った。このひと、なんて面倒見のいいひとなんだろうか。南京虫を見てもいやがるそぶりも見せないで心配してくれるラシットを、疑っていた自分がだんだんはずかしくなってきた。
タンネリの作業場を出るときに、作業員に通せんぼされた。彼が、
「細かいのある?」
って訊くので、適当に細かいお金をわたした。ラシットはその中から5ディラハムくらいをつまんで彼らにわたした。作業をしてるひとたちは決して暮らし向きの豊かなひとたちには見えなかった。見学者のこまかなチップも彼らの生活の足しになるんだろう。
くずれかけた門からメディナを出ると、たいがいのところでプチタクシーが待っている。プチタクシーは地元のひとの簡便な足として使われている。一台に乗り、グランタクシーの乗り合い場でグランタクシーに乗り換えた。プチタクシーが短距離むけなのに対し、グランタクシーはやや長距離の乗り合いバスのように使われていて、6人客が乗ると出発する。ヨーロッパで売れないぐらい古くなった中古ベンツはみんなモロッコに流れてくるんだろうか。ボロボロだけどこんだけたくさんのベンツが集まるとさすがに壮観だ。というか、日本なんかじゃとくに、ボロボロのベンツというのがそもそもお目にかかれない現象なので、それ自体が壮観でもある。
グランタクシーに乗るとしばらくして「シディ・ハラゼム」という泉についた。ここは温泉のわいてるとこで、しかもそれが飲料水になるんだそうだ。泉のまわりには貧しい人がたくさんあつまっていた。さっきまでコップを差し出して小銭をねだっていた貧しい女の子たちが、そのコップにお湯をくんでもってきてくれ、彼がそれを私に差し出した。生ぬるい温泉で、味もにおいもない。ラシットはコップを女の子たちにかえして1/2ディラハム玉を2人の女の子に渡した。「これをふたりで分けるように」って言ったようだった。
そのあと泉の下の公園を散策して、
「夏にはプールがあってひとがいっぱいなんだよ」とか「あそこのホテルは4スターホテルでいまは改装中なんだよ」とか、「ここのカフェは夏はひとがいっぱいで座るとこ探すの大変なんだ」と彼が教えてくれた。いまはカフェはがらがらで、パラソルだけが風にゆらゆらとゆれていた。そのパラソルの下に座ってカフェオレを頼んだんだけど、それはすぐに大失敗だったことが発覚した。世の中に、マズイ食べものはそこそこあるけど、ぎくっとするものはさほど多くない。これまでの旅のなかではブータンでごちそうになったバター茶がギクっとナンバー1だったけど、この山羊オレも匹敵するぐらいギクっとした。
「これすごい味するねえ」
というと彼は、
「そうかなあ?」
といいながら笑った。かなりうちとけた気分になって、お互いの写真を撮りあいながら私たちはシディハラゼムをあとにした。
「このあと一旦ホテルに戻ってタオルとかを持ってハマムに行って、それからうちでクスクスでも食べて、メディナでおみやげでも探すのどうかな」
と彼が提案した。ハマムというのはとても魅力的な提案だった。ハマムって本当はトルコで行きたかったんだけれど地震騒動のせいで行き損ねたアラブふうの蒸し風呂で、場所によっては垢擦りのサービスなんかもある。彼にまかせておけば、何のガイドブックももってない私でもかなりのモロッコ通になれそうだ。

ラシッド
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いったん宿にバスタオルをとりに帰り、ハマムに行くことになった。プチタクシーでいったんモハメドバイス通りの銀行に連れていってもらって、残っていたドイツマルクを全額両替したら950ディラハム(9500円ぐらい)になった。もたもたしてバッグをあけたまま店を出ようとする私を心配して彼は、
「バッグ閉めて」
といって私にきちんとお金をしまわせてから店を出た。
さてホテルに戻ると、万一のためにパスポートとかカード、さっき両替した現金の大半はすべてリュックの中にしまいこんで鍵をかけ、チェーンでイスにつないで、手元に盗られるものはなにもない状態でハマムに向かった。彼が連れてきてくれたのは、まったく観光のカの字も感じられない、モロに地元のひとの来てるハマムだった。ハマムのシステムって場所によるんだろうけど、ここは時間帯により男用と女用に分かれてるみたいで、いまは女の時間帯だった。いくら面倒見のいいラシットでも、ハマムの中まではついてこれない。彼は入り口から中のおばさんに声をかけておそらくは私の面倒をみてくれるようにいい、私には、
「お金とカメラとか貴重品をひとまとめにして彼女に預けてね」
といった。そしてハタと気づいたように、
「持ってるお金の正確な額を知ってる?」
と訊くので、
「さあ?」
と答えると、
「とられたらいけないからいま数えたほうがいいよ」
とまた彼は心配してくれた。私はもってきたわずかな現金を引っぱり出し、その場で数えてポーチに入れた。
「じゃあ30分後にね。お金は僕が払うから、君がツーリストと知ったら彼女たち、ぼるかもしれないから」
といって彼は出ていった。
階段を下りると、奥におばさんがいて、脱衣場に招き入れてくれた。誰も指図するひとがいないので戸惑っていたら、客のひとりが身振りで脱ぐんだと教えてくれた。結局荷物はあずけないで、荷物置き場の適当なとこに鞄をひっかけ、その上に衣類を載せて、バスタオルを体に巻いた。
すると、ズロースはいてつららのようなお乳をぶらぶらさせ、白髪を振り乱したおばあさんがやってきてオイデオイデをした。もうちょっと暗かったら立派なお化け屋敷だ。おばあさんはタイヤを再利用した空バケツをいくつも持って湯気の奥へ奥へとすすんでいった。奥にすすむにつれ、最初はひんやりした湯気だったのがだんだん熱気をふくんでくる。奥の部屋はタイル張りでいちばん奥に沸いたお湯の出てくる出口があった。浴槽みたいなもんはない。しめったにおいがしていて、かび臭くはなかったけど見ただけで破傷風になりそうに不潔な雰囲気。入浴客は5人ぐらいいて、ひとりを除いて全員が入浴中もパンツはいてる。と、ひとりのお嬢さんがおもむろにパンツおろしてムダ毛というか、ムダじゃない毛まで処理はじめた。(あとからきいたはなしではムスリムのひとは多くの地域で男女とも、毛をそってしまうんだそうだ。)かなり異国情緒あふれる光景に我を忘れていると、おばあさんがバケツにお湯を汲んで私の前に並べてくれた。
ほかの入浴客に指図されるとおりにバスタオルを預け、かがんでバケツのお湯に手をつっこんだら髪の毛がうわっと指にひっかかって極めつけに気持ちが悪かった。さっきのつららのおばあさんがイスを持ってきてくれたけど、サンドバッグを2個下げた豊満なおばさんがやってきて、イスを待つ間もなくぐしゃっと床に座らせられた。と思う間もなくアタマにお湯をザバとかけられ、シャンプーもしくは石鹸でぐしゃぐしゃと2回髪をかきまぜられた。彼女は「洗った」というつもりかもしれないけど、そこらへんが定かでないぐらいいいかげんなまぜかただ。
さらに背中を、どうみてもくつしたに見える手編みの垢擦りでこすられ、そのあといきなり彼女の豊満なももを枕にして寝かされて、おなかもごしごしとこすられた。さらに順番に足がこすられ、最後に腕をこすられた。ももをこすられているとき、彼女の腕があまりに激しく動くのでうっかり変なところに手をいれられるんじゃないかとはらはらした。腕からは、1週間授業をまったく聞かないで一心不乱にねりあげた消しゴムのカスみたいな垢がボロボロ出たのでおばさんが「ホレ見ろこれ」と指さした。
そのあとお湯があびせられ、こんどつららのおばあさんに交替して石鹸で全身洗われ、またお湯がかけられた。私がきょとんとしていると、となりにすわっていたお嬢さんが、
「ラ・フィーネ(おしまい)」
と言ったので、あずけてたバスタオルをもらって戻ろうとしたらこれがまたよく滑る床で、サンドバッグのおばさんが腕を差し出してくれ、私をエスコートして脱衣場まで連れていってくれた。
服を着て階段をあがるとラシットが待っていてくれた。彼の家にむかって歩くみちすがら「ハマムの料金を払うよ。いくらだったか教えて?」
と言ったら彼が、
「あとでいいんだよ」
って言った。
ラシットの家につくと、彼がどっからかクスクスを運んできた。
「うちの母は調子が悪いから、姉の旦那のお母さんにつくってもらったんだ」
といって彼は変わったかたちの容器の蓋をとった。ほわっと湯気があがって、いかにもおいしそうな黄色い料理が現れた。クスクスっていうのは、お米よりもちいさい粒状にしたパスタに、煮込んだ鶏ももとか、野菜なんかを載せた料理で、モロッコ料理のなかでは一番有名なんじゃないかと思う。私が持ってるABROADの記事にも載っていて、近日中に絶対食べようと思ってたものだった。彼は容器をテーブルにおいて、ポテトやサラダをひろげた。とても手のこんだ料理みたいだ。こんなのわざわざ用意してもらっていいんだろうか。
ところがそのときに外から男が入ってきたんだ。この男、昨日ラシットと2度目に会ったときに絡まれてた第2の男そっくり。いや同じ顔だ。ということは、どういうことなんだろう?この男がラシットとグルだったってこと?ただ、ほんとに同じひとか確信が持てない。ラシットは彼を、
「彼はハサン。友達なんだ」
と紹介した。だけど私が、
「昨日会ったよね?」
って訊こうとしたら、このひとは英語が通じなかった。昨日の男はたしか英語が話せたから、やっぱりちがうひとだ。ラシットとも似て見えるし、たぶんこれってモロッコの典型的な顔立ちで、私が見分けつかないだけなんだろう。
クスクスを食べてからハサンと、サハラ砂漠の話しになった。彼は砂漠の地域の出身で、年に半年は休みで残りの半年のうちラマダンまえの4ヶ月は死ぬほど忙しいらしい。ラマダンの準備をはじめる商店に、ラマダンの食事には欠かせないデーツ(なつめやしの実)なんかをおろしたりして生計をたててるんだそうだ。彼のお父さんは奥さんが2人いたので兄弟は全部で16人ぐらいなんだといった。何気なく「奥さんが二人」とか言っちゃうところがいかにもイスラムの国らしい。

ジュラバを着た男
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サハラへはここからアトラス山脈を越えていかなければならない。
「アトラスはもう雪がふりはじめててサハラはとても寒いよ。でもウールのジュラバを着れば平気さ。いいジュラバ屋を知ってるから、あとで連れていってあげる」
とラシットが言った。ジュラバっていうのはネズミ男が着てるみたいなフードつきの上着というかコートで、風や日光を防げるし、寒いときには防寒具にもなる。ハサンが、
「俺はジュラバを着た日本人旅行者を何人も見たことあるよ。みんなこっちでジュラバを買って着てるんだよ。砂漠ではやっぱりジュラバが一番だから」
と言ったらしい。私もなんとなくその気になった。
食事も終わったことだし、じゃあさっそくジュラバを見に行こうってことになり、メディナの中をねり歩いて、商店街らしいにぎやかな界隈にやってきた。まずは、税金も手数料もかからないという、彼の知り合いのベルベル人の絨毯やにやってきた。絨毯やはまず私を屋上に連れていき、メディナ全体の眺めを解説してくれた。もう日が暮れていて、メディナの夕景が浮かび上がり空中都市のようだ。

ベルベル人の工房の糸巻き車
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屋上につづいて毛織物工房を見せてくれ、
「これがブラックシープの毛、これがキャメル、これがサフランで染めたみかん色、これがインディゴの青、これがミントの緑。これがベルベルの男が作ったじゅうたんでこれが女のつくったじゅうたん」
とひとつひとつ手にとって教えてくれた。男の絨毯と女の絨毯は柄の豪快さ繊細さ、パターンに違いがあっておもしろい。どれも色鮮やかでこんな絨毯を床に敷いたらすごくリッチな気分だろう。と、夢見心地に陥りかけたのもつかの間、彼の攻撃がはじまった。
「君はとても運がいいよ、ここは税金もかからないからね」
そして説明の間に、
「どれが気に入った?」
としつこく聞き、
「これが素敵だね」
なんて指さそうものなら彼は目を輝かして、
「これを君には特別に3000ディラハムで売ってあげよう、これは財産だよ、コレを持ってるだけで幸運が舞い込むし、これは日本にないものだから必要なくなってもすごく高く売れるよ」
とすごい熱気。彼の喋るスピードが早くなって、だんだんテンションもあがってきて、やばそうな雰囲気。いきなりナイフとか出てきてもおかしくないかも、とちらりと思った。
だけどここで負けるわけにいかないし、負けようにもろくすっぽお金も持ってきてない。
「そんなもの買ったら夫からめちゃくちゃ怒られるわ」
と急に既婚者になってみたり、
「私の父はウールのアレルギーなの」
と家族を病気にしてみたりして断り続けた。私は階下でお茶飲んで待っていたラシットのところに行って、
「私が買わないと困る?」
と訊いた。もし彼がウンと言ったら、「私が貧乏と知っててどうしてこんな高いところに連れてきたの?」と怒って店を出てもいいと思った。でも彼は、
「強制する気なんかないんだよ、気に入らなければかまわないし 」
って言ったので、私はラシットのうしろに隠れるように店主にお礼を言ってなんとか店を出ることができた。店の戸口で店主は最後に、
「ウールのジュラバはどうだい、200ディラハムでいいよ」
と言った。それはまぁ、法外な値段じゃなかったけど、とりたててほしいとも思えなかったし、ひとつほしいと言えばあれもこれもと押しつけられそうだったので、ジュラバのことにはこたえず、ただお礼だけ言って店を出た。
次に行ったのはスパイス屋で、ハサンがここで虫さされの薬を買うといいと言ったけど私は、
「薬は持ってるからいい」
と断った。店主はいろいろな香料が入ったカレー粉とか、香油のにおいをかがせてくれ、さらに棚の薬をかたっぱしから説明してくれた。カレーのもとはとてもスパイシーな香ばしさだったけど、げんこつくらいの大きさのパックが700円近くもしたし、香油もとってもいい香りだったけど1gで100円以上もしたのでやはり買う気になれない。ラシットが、この店は高いってホントに知らなくて連れてきてくれてるのか、それともそれとも契約ずくでやってるのかわからなかった。私を連れて歩くのにお金を使いすぎて、ちょっとだけお金が欲しいけど、私に直接くれとは言えなくて、コミッションを稼ごうと思って連れてきてるのだろうか。店員はちょっとキレイな顔をした小柄な男で、私が日本人とわかると、ユミコという日本人の彼女がいると言ってうれしそうにした。
「彼女はときどきモロッコに来てはアラブ語を勉強してるんだ」
と彼は自慢していたけど、店の壁に貼ってあったメモを指さして、
「コレはユミコが書いてくれたんだ」
と言ったので急に疑わしい気分になった。そのメモにはのたくった字で、
「この店はスパイスを買うにはよい店です」
と書いてあって、よしんば日本人が書いたとしても女の子の字には見えなかった。

荷を積んだロバが雨の路地をゆく
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次にはいったのは宝石やだった。トラベラーズチェックでもドルでもカードでも受け付けるというたいした店で、こういう店があるから用心してクレジットカードもってこなくて正解だったなと思った。ここにはバンコクのカオサンにあるシルバー卸売店でみたピアスと全く同じものがあった。値段を聞いたら一組で360ディラハム(約4000円)とぬかす。
店員が、
「これはベルベルのデザインでね」
と言うのでとぼけて、
「これがベルベルのデザインだって知らなかったよ、これバンコクで同じの見たもの」
って言ったら彼は少しうろたえたようだった。つづけて、
「でも高いね、バンコクでは10分の1の値段だった」
と言ったら彼は、
「それは本物の銀じゃないんだ」
と言い張った。彼は、
「偽物でいいならこっちにほらこういうのもあるよ」
とあせっていろいろ見せてまわり、
「あなたは学生?だったら学生ビンボープライスで売ってあげる」
と言った。
疲れてきて、
「あまりそそるのがないよ」
と言って断ると彼は、
「いくらだ?いくらなら払えるんだ How much!? How much can you pay?!」
を繰り返し、だんだんに感じ悪くなっていったので、
「いくらでも買わないものは買わない」
と言い、じゃ、と手を振って出ようとした。すると彼は私の手をつかんで、
「わかった君はトモダチだからフレンドプライスにしてやる。ビンボープライスにするからいくらなんだ!!
How much do you price!! You friend BINBO price!」
と繰り返した。こうなるともう文法もなけりゃ日本語も英語もない。ただひたすらに熱気と血走った目のぶつかりあいだ。私はこわくなって手をふりはらい、
「欲しいのがないの」
となかば声をあらげながら店を出た。店主は窓から身を乗り出して、まだ
「How much!?」
を繰り返していた。
店を出て道を一本折れるとラシットが、
「彼は君に買えって強制した?」
って心配そうに聞いた。そのとおりだと思ったけど、心配させても気の毒なんで、
「そんなことないよ」
って私は答えた。
「ただ、私のおみやげの予算は友達にも家族にも10ドルぐらいずつだから、値段が合わなかった」
というと、
「ここらへんは手製のものが多くてハンドクラフトはとても高いから。もちろんとても品質がいいんだけどね。機械製のやつならそのぐらいの値段のものもあるかもしれないけど」
と申し訳なさそうに彼が言うので、私は、
「多分そういうもので小さいものを買うよ」
と答えた。彼はもうどこへも連れていかなかった。

手にヘンナを描いてもらってるママ
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ラシットの家に戻ると、ヘンナ師の女の人がきていて、お母さんが手にヘンナを描いてもらっていた。ヘンナっていうのは数年前日本でも髪にいいとか美容にいいとかいって流行ったと思うけど、こっちではそのヘンナの植物の粉を水で練って粘土状にし、クリームをしぼるみたいに袋から絞り出しながら手に絵をかいたりする。モロッコだけじゃなくて、インドからこっち、お祝いのときなんかに女性が手足にヘンナで絵を描く習慣がは広く伝わっているらしい。私もインドのジャイプールかなんかでへったくそなヘンナ描きのねーちゃんに描いてもらって懲りていたので、ヘンナは遠慮したいなあと思っていたんだけど、私がとなりに座ってのぞき込むと、ヘンナ師はお母さんのほうは書きかけでほっぽらかして、私の手にヘンナを描きはじめた。そうしてもらっても、私はヘンナ師が私のために呼ばれてるとは思わなかった。

コットンでぐるぐる巻き |
私が来る前に描いてもらったらしく、昨日お茶を飲みにきていた近所の女の子が手にコットンをぐるぐる巻きにしてはしゃいでいた。コットンはなにかに触れてヘンナがはがれるのを避けるためだ。30分くらい乾かし、レモン汁を塗ってもらってさらに乾燥させ、私もコットンで巻いてもらった。
そのうちラシットが「スープ食べたい?」って言って鍋を持って出ていった。10分ほどで彼はスープを買ってもどってきた。そして私の手がつかえないのでハサンがパンをちぎってくれ、ラシットがスープをスプーンで私のクチにはこんでくれた。スープはすっぱくて、香菜が入っていてやけにおいしかった。ラシットとハサンが交代で私のクチにスープをはこんでくれて、なんだか雛鳥になったような気分。
「いいよいいよ」
って遠慮すると、ハサンが、
「いいんだよ、君僕たちの妹みたいだ」
って言ってくれてちょっとうれしくなった。ハサンのほうの英語が少しずつなめらかになってきていることにも、私は気づいていなかった。

ゴージャスに描いてもらった手
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スープを食べおわって、ラシットが、
「じゃあ、あしたの朝までこのままにしておくんだよ」
っていうから、ああ、もう帰る時間なんだ、と思って、
「ハマムとヘンナにかかったお金を教えてちょうだいね」
って言ったら、
「そうハマムとヘンナはね」
と彼が一呼吸置いたので、なにか違うフンイキを感じた。
ハサンが紙にハマム、ヘンナ、と書いて、ラシットと相談してるのを見て、あ、来たな、と頭のどこかで警鐘が鳴った。ラシットが何か言うとハサンがききかえした。「そんな高額を?」と言ったのかもしれないし「それっぽっちでいいの?」と言ったのかもしれない。ハサンはハマムの横に150、ヘンナの横に300と書いた。あわせて450ディラハム。5000円だ。
「えぇと・・・、そんな大きい額になるの」
と私は力無く言った。ラシットが、
「でも、わかってるでしょ?僕は商売のためにやってるわけじゃないし、これはお昼に用意したクスクスとかにかかったお金ははいってないよ」
って言った。そんなバカな。たしかにたくさんもてなしてもらった。だけど、クスクスをいれても5000円はかかってるはずがなかった。外食してスープ食べても30円しかかからない国だ。あの庶民的なハマムにいた地元の女性たちが1600円も払ってお風呂に入りに来てるとは考え難かった。だけど、いまここで口論を始めるのはもっとマズい。私はただ
「わかってるわかってる」
と答えた。考えてみればそうだ。全部そうだったんだ。昨日あんなとこで2度も会ったのも変だし、王宮広場で、私だけ観光させて自分は広場にはいらなかったことも、私が行きたいとも言わないのにハマムに連れて行ったのもそうだし、ヘンナを描かせたのも、週4日のオフィスワークというのも、とくにお金持ちでもないのにばんばんタクシーを使ってたことも、やけに歴史的な背景に詳しくてあれこれ説明してくれることも、ハサンが最初英語を話せないフリをして、だんだんはなせるようになっていったことも、変といえばどれも全部変だったんだ。
落ち着いたふりを装いながら、
「じゃあ、ええと、ホテルまでとりに帰らなくちゃいけないんだけどいい?」
って言ったら、
「さっき両替していたじゃない?」
とラシットが言った。
「うん、それが、ハマムで何かあるといけないんで、置いてきちゃった」
というと、
「じゃぁ、ついていかなくちゃいけないってこと?」
って彼が訊ねた。
「うん、よければ」
ほんとはついてきてほしくなかったんだけど一応そう言ったら、彼は
「よし行こう」
と言ってハサンを連れて立ち上がった。無事にホテルまでつれていってもらえるだろうか。もし部屋に押し入られたら、洗いざらい持って行かれてしまうかもしれない。そうなるとスペインにも戻れなくなるし、事態はかなり深刻だ。
「ノーサン、忘れてるよ」
ラシットから呼び止められて、振り向くと、
「僕のママにお別れの挨拶は?」
とラシットが言った。いま私からふんだくろうとしてる詐欺師のお母さんに挨拶していくなんて、とても複雑だった。だけどお母さんはとても楽しそうに私の両頬にキスしてくれ、またおいで、と言ってくれたようだった。たぶん彼女は何も知らないんだ。
また雨が降り出していた。タクシーに乗って彼は、
「大丈夫?楽しかった?」
としきりと聞いた。私は、
「楽しかったよ、もちろんもちろん」
と言ったけれど彼の目を見れない。フロントガラスにぶつかる雨の粒を見つめながら、どうやったらこの場面を切り抜けられるかを必死に計算していた。左手にペッパースプレーをもち、右のポケットから200ディラハムを出して右手ににぎり、小銭を出してそれも右手ににぎった。手のひらから汗が噴き出して、コットンの下でヘンナが崩れていくのがわかった。
タクシーがホテルの前にとまり、ハサンがタクシーの運転手にお金を払っている間に、ドアをあけ駆けだした。雨のなかホテルの入り口がポツンと光を放っている。逃げると思ったのか、ラシットが私のあとを追った。ドアぐちからとびこみ、受付にひとがいるのを確認して彼のほうを振り返ると、まず小銭をわたして、
「これタクシーのぶん」
といい、続いて200ディラハム(約2200円)を渡して、
「これはあなたに。これがせいいっぱいの額だよ。もしこれで満足してもらえないようだったら、私、あなたの写真を持って警察に行かないといけない」
と、彼が反論できないように一気に言った。彼はお金をうけとると、何がなんだかわからないといったようすで、
「どうして?もしかして君、楽しくなかった?だったらお金なんかいらないよ」
と言った。
「いいの。それはいろいろ使ってもらったから」
って言ったら彼は困ったように、
「だったらどうして警察なんて言うの」
と悲しそうに言ったので、私も少しひるんでしまった。私の想像では、彼はここで遠山の金さんのごとく豹変して「オゥオゥオゥオゥ、なめてんじゃねえぜ」とか「誰のおかげでタンネリが見れたと思ってんだこのアマ」とか言うはずだった。
「だって私、ハマムの値段知ってるんだよ」
と私は言った。もちろんハッタリだった。それに対し彼はハマムの値段がウソだったとも、ホントだったとも言わず、
「もし君が不満だったら半分返そうか」
とお札の一枚を差し出した。
100ディラハム返してもらう?一瞬考えた。けど、昨日からずっとつきあってもらって200ディラハムは妥当だ。ここで100ディラハム返させたら、私のほうがちょっとずるい。だから、
「ううん、とても楽しかったから、それはとっておいてね。ハサンとお母さんによろしく」
って言ってあとずさり、階段を一段のぼった。彼は、
「覚えておいてね、写真を送ってね。もし君の妹や友達が来るときはいつでも歓迎するって言ってね」
と言って、心残りそうな視線をなげると、暗い夜の道をふりかえり、ふたたび雨の降り出した街にむかって走り出していった。
彼は、あくまでも友達として去っていった。
部屋に戻ってもしばらくドキドキして、それが去ると急に脱力してベッドの上に仰向けにころがった。
フレンド詐欺は今度が初めてで、ショックだったんだけど、詐欺と思ったあとも私は彼をせめる気持ちになれなかった。もしあの高いおみやげやのどれかで買い物していたら、彼はハマム代にあんなに請求しなかったかもしれない。彼のたくさんの外国人の友達は、そんなふうにしてついに彼が「ニセガイド」だということに気づかずに去っていったんじゃないだろうか。あるいは、彼らはみんな、ラシットが最後にはガイド代を請求してくるということを承知で楽しんで、最後にはお礼を払って去っていったんじゃないだろうか。気づけるタイミングはいくらでもあったのに、私は自分が甘かったせいで気づかないフリをして、起こるべくして起こったことに仰天して、楽しかったはずのことまで蹴散らしてしまったのかもしれない。
お金を請求したあとにも彼の態度が変わらず、最後まで私が楽しんだかどうかを気遣っていたことが逆に私を苦しめた。「警察に通報されないようにっていう配慮だったんだ」と思おうとしても、彼の心残りそうな視線が瞼のウラから消えなかった。
友達になったつもりだったんだ。最後に、そのことに気づいて、悲しくなった。
もうこの街を出よう。
私は荷物をまとめはじめた。
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