フェズ直通

 

ほんとうによく眠れるバスだ。
 エンジンの音がかわったので目が覚めると、バスはアルヘシラス港に着いたところだった。アルヘシラス着は朝9時とパンフレットには書いてあるけど、実際にはまだ8時前だ。港の建物のなかをうろついて時間をつぶした。1階にいくつかの船会社のブースがあって船の料金が書いてある。アルヘシラスからタンジェまでは通常3200ペセタらしい。スペイン国内のバスと国際フェリーと、さらにモロッコ国内のバスのコンビネーションチケットにしたからって格別安くもなければ高くもないようだ。ひとつ言えることは、モロッコ内陸のフェズにまっすぐ行くことで、モロッコの玄関口とも言える港町タンジェの客引きの猛烈な攻勢を避けられるということだ。

 モロッコの客引きのすさまじさは本当にあちこちで名を轟かせていて、トルコからギリシャへのバスのなかで会った女の子は、その激しさに打ちのめされてしまって一日でモロッコから退散してしまったというぐらいだった。
「タンジェにはいって街を歩いてると客引きに腕をひっぱられたり荷物をつかまれたり。相手にしないと突き飛ばされたりしてほんとにイヤになっちゃって」
 モロッコに行くかどうか考えるたびにこの言葉が通せんぼしてどうしてもモロッコへの入り口を開いてくれなかった。私はそういう意味ではとっても打ちのめされやすいほうで、ミャンマーなんかではそういう攻撃にあってすっかり背中をむけてしまったので、とりあえず悪名高きタンジェだけはパスしてフェズまでまっすぐ行くコンビネーションチケットを買ったのだった。

 たくさん寝たのにアタマがぼーっとする。というか、寝過ぎたせいかもしれない。昨日昼の1時にバルセロナを出発してからひたすら眠り続けたから当然だ。考えてみると虫さされの薬の影響もあるかもしれない。バルセロナの安宿で、また結構刺されたので実はまた病院に行って盛大に薬をもらってきたのだった。ちなみに今回の病院はやっぱりあんまり英語が通じないうえ、診療費が2万円もかかったばかりか、とうふ半丁ぶんぐらいありそうな薬をごっそりつくってくれて、しかもこれがあんまり効かない。そのほかに飲み薬を1種類処方してもらったんだけど、もしかしたらこれが眠り薬で、ひょっとすると眠らせているあいだに自発的に治るのを待つのがスペイン流なのかもしれない、と勝手な推測をたてた。

 港の施設のなかは、ギリシャのパトラ港とはちがい、並んだカウンターにはたくさんのひとがいた。バスの運転手のおじさんたちが「あいつに着いていけ」というんで家族連れ乗客について歩いた。パスポートコントロールがあって出国スタンプを押してもらい、そのあとにチケットをちぎってもらって船に乗り込む。船に乗るとすぐレストランみたいなラウンジに出た。さっきついてきた家族からはぐれないように近くの窓際の席に陣取った。船がゆっくりと岸から離れたようだ。寝ようと思えばまだ寝られそうだ。ここは船のなかなんだから考えてみればはぐれようがないのに、どうも行動パターンがねぼけている。

* * *

 


やけにでかくて品数の多い
ジュネーブ駅地下の自販機

イスメットんちを出たあと、私はジュネーブで一旦列車を降り、ミャンマーで会った、スイス人とタイ人の夫婦ヴィンセントとミャウに再会し、それからバルセロナに向かった。スイスでひどい風邪をひき、冷たい雨のなか持ってるかぎりの服をびっしり着込んで深夜駅に向かい、夜行列車に乗った。夜行寝台のチケットを買ったのは実はちょっとした間違いで、ほんとは安いバスに乗りたかったんだけど、結局は寝台にしてよかったんじゃないかと思った。寝台でちゃんと横になって寝たおかげで風邪はかなりよくなったようだった。

 バルセロナは、スイスから来てみるとパラダイスのようにあったかかった。着いてから数日は中心街からちょっと離れたヴァルカルカ駅から、さらに坂道を10分ほどあがった国際ユースホステル協会のホステルに泊まっていた。隣りのベッドにはダフネとイズミという女の子たちがいて、ダフネは南米人とのハーフのアメリカ人だった。イズミは日系3世のブラジル人で、日本語はまったくはなせない。
「イズミなんて男の名前だからイヤ」
としきりというので、誤解をとくのがたいへんだった。イズミちゃんといえばふつう女の子の名前だけどなあ。たぶん誰かが泉重千代さんの名字を名前と間違えてしまった、とかいうオチではないかと思う。彼女に
「私の名前はノブコ」
と自己紹介したら、
「あらぁ!私のおばさんと同じ名前!」
といいながらローマ字で書いてみせてくれたんだけど、ノブコのコの字を「co」と書いてたのがなんかブラジルらしい感じだ。


 イズミのご両親は日系人同士の結婚らしく、イズミは顔はまったくの日本人なんだけど、ノリが東洋人とまったく違う。夜になるとどうも南米の血が騒ぐらしく、9時から12時までひっきりなしに私とダフネのところを行き来して、
「踊りに行こうよ。ねえ行かないの?カモォン、楽しもうよ〜」
と言い続けていた。イズミは日本で言ったらかなり地味系の顔だちで、踊りに行こうなんて金輪際クチが割けても言いそうに見えないんで、そのギャップが不思議でしょうがなかった。ちなみに南米の血(遺伝上の血)は一滴もはいってないのに、ムネやオシリがサンバダンサーのように巨大なところも不思議だった。ちょっと腑に落ちないけど、人間、育った環境の影響は大きいということにしておこう。

 さてこのホステルは快適で清潔だったけど、26才以上だと割り増し料金があって、シーツや毛布代もかかるし、立地が不便で、電話線ももちろん使わせてくれないし、日中は部屋から追い出されるので、イズミたちが出ていったあとに私も出ることにした。中心街のリセウ駅周辺は安宿も多くある。そのなかに、手描きのユースホステルの看板を出している偽国際ユースがあって、行ってみたら日本人経営で、安いし立地もいいので移ることにした。


カサ・バトリョ

 すぐ近所のランブラス通りを歩いていたら、ベルリンのホステルで一緒だったカナダ人の旅行者に偶然会った。先月あたり北のほうを旅していたツーリストは気温の低下とともにみんな南のほうに流れてきてるのかもしれない。

 リセウ駅周辺は実に気分のいいところだ。メルカド(マーケット)は近いしスーパーもあり、インターネットカフェもあるし定食やも多い。大道芸人もごろごろしてるし、おみやげやもあって華やかだ。宿に出入りしてる日本人とも仲良くなったし、宿の旅行者にもだんだん顔見知りが増えた。ただ、問題はここにいつまでいるかってことだ。あと3週間もすると実は妹のちーさんが来ることになっている。妹は3週間スペインを旅行するつもりでくるんで、それまでここで待って3週間、さらに妹と3週間いるとなるとまる1カ月半もスペインづけになってしまう。スペインはいいとこそうだけど、1カ月半はさすがにもったいないような気もする。

 2週間ほど別のところに行くとすればひとつは南フランス。ただ、少し北上することになるんで、また寒いんじゃないかと思うと憂鬱だ。ひとつはポルトガル。ただ、ポルトガルは妹も行きたいと言うかもしれない。もうひとつの可能性はモロッコだった。ここの宿は安いけど、一応先進国だから、3週間もいれば結構な出費になるだろう。モロッコまで行っても交通費はかかるけど、宿代なんかは安いだろう。バルセロナにじっとしてるのとトントンぐらいの出費で行けるなら、モロッコもいいんじゃないかと思って来てみたのだった。

* * *

 そのうち船内アナウンスが入ってひとが並びはじめた。さっきの家族が呼んでくれたんで入国手続きをするんだってことがわかった。パスポートにモロッコの入国スタンプを押してもらう。船にはいったら急にモロッコ人の割合が高くなったような気がする。みんなアラビア語の書かれたパスポートを持っている。

 席に戻ってしばらくしたら日本人らしいひとが通りがかったのでふたことみこと、言葉を交わした。そのひとは入国手続きが終わって私の席に来たのでおしゃべりしていた。彼は27ぐらいだったか、名は内海さんといって、高卒で三菱の発電所関係の仕事の工場にはいったのが、なんの拍子か海外出張にばんばんとばされるようになり、今年はサウジアラビアとシリア、去年はタイとXXとXXX・・・とかいって世界をまたに掛けて仕事しており、全日空のマイル(!!)がたまったのと代休がたまったのをいいことに無理矢理17日の休みをとってスイスとかイタリアとかスペインを旅行して、ついでにモロッコも行っとこうと思い立って日帰りで行くことにしたんだと言っていた。

 しっかし、サウジアラビアなんて、仕事でもないかぎり入れないし、仕事でサウジなんかに行ったことがあるひととこれまでくちをきいたこともない。仕事といい人生といい(飛行機といい)、なんてリッチなひとだろうか。三菱の発電所関係の海外出張なんて、理系の大学を主席で卒業したようなひとばかりが行くのかと思っていたけど、違うんだなあ。彼自身が、希望したわけでもなくなぜかそういう仕事をすることになっていたというから、人生ってどう転ぶかわからないものだ。

 やがて街が見え始めた。モロッコっていうからにはもっとアラブアラブしいところかと思っていたけど、とりあえずタンジェはビルの建ち並ぶ大都会だったのでちょっと意外だ。さっきの内海さんは、船がついて大半のひとが降りてからゆっくり出るというので、私は彼に別れを告げ、さっきの命綱の家族にくっついて船を下りた。港におりたつと、タクシーの客引きが寄ってきたけど、そこそこ英語で喋るひとで、もうフェズへのチケット持ってるから、と言うとしつこくはしなかった。
「どうしてタンジェで泊まらないの?タンジェで泊まってからフェズに行けばいいのに」
というから、
「フェズまで行って戻ってきてからタンジェで泊まるよ」
といったら、彼はそれ以上きかないで、
「バスはあそこにいるからこっちで待てばいいよ」
って待合い場所を教えてくれた。なんだ、タンジェっつったってたいしたことないじゃん、と思った。まあ、もっと攻撃はげしいところは港を出たとことかにあるんだろう。

 ちなみにこれは後日談になるけど、さっきの内海さんもタンジェでそれほどひどい攻撃にあわなかったらしい。拍子ぬけしたような、がっかりしたような書きっぷりのメールをくれた。彼がアラブ環境に慣れているからかもしれないし、あるいは政府が観光業の改善をしたために、状況が変わったのかもしれない。

 船のおなかからバスが出てきた。先進国からの輸入物資なのか、大きい荷物を持ってかえるひとが多いんで、バスは後ろに小ぶりのカーゴをひっぱっている。バスに入るとすぐ、荷物を持って出ろといわれた。税関らしい。ぎょうさん荷物をかかえたひとびとについて行き、税関でさあ荷物検査か、と思ったら、なんのことはない素通りだった。この税関というのは機能してるのだろうか。あっけにとられているあいだにまたバスに乗り込んだ。間もなくバスが動きだし、それからまた昏睡状態に陥った。またバスは高速で走り出す。

 3時か4時頃にラバトという街で停まったときにおなかがすいたんで外に出たけど、そういえばお金を両替してなかった。お金がないと訴えたらバスの運転手が先導してレストランみたいな店につれていかれた。スペインペセタの2000ペセタ札を出したら、運転手が100ディラハムにしてくれた。2000ペセタといえば1400円ぐらい。あとでわかったことは、いま1ディラハムは11円くらいだってことで、計算すると1100円ちょいの通貨を1400円出して買ったことになる。でもまあ背に腹は替えられなかったんでしょうがないか。

 レストランは肉やの店先にテーブル置いただけ、みたいなとこで、店先にはうさぎや羊がだらりんとぶらさがっていてちょっと無惨な光景だ。まだ毛のとれてないふさふさのうさぎを何匹もさげて歩いていくひとがいる。好きなのを選べといわれて、ナマ肉選んでどうするんだろと思いながら言われるままに挽肉を選んだら適当に量を決めてくれ、皿にいれてわたしてくれた。炭火のある焼鳥屋の店先みたいなとこに持っていくと職人が適当な団子に丸めて魚焼き網みたいなネットにはさんで焼いてくれた。この肉は25ディラハム。私は両替で少しぼられてるけど、ホントなら300円しないってことだ。安い。こんなジューシーそうなハンバーグが。

 焼いてる間にトイレに行ったら1ディラハムかかった。しめっぽく衛生状態の悪いトイレだ。しかも紙がない。そうか、しばらくぶりに紙のない国にきたか。イスメットんちを出たときに、
「ティッシュ絶対必要になるから持ってけって。俺にはわかってんだから」
って言ってくれたんで、ポケットティッシュをいくつかもらってきていた。イスメットの言ったとおりだったなあ。昨日まではどこにいっても清潔いっぱい紙いっぱいだったのに、数時間の海を隔てただけで、世界はこんなに違うんだ。

 戻ってきたら運転手がここの席においでって手招きして呼んでくれた。そこには水とミントティが用意されていた。そのうち肉が焼けて、こんがりした、でも中が少しだけ赤い、ちょっとピリカラの挽肉の団子とパンが出てきた。パンはピタをちょっと茶色く焼いたみたいなひらたいやつだ。運転手がミントティを手にとり、スペイン語で
「ブエノ、ムーチョ(うまいよ、すっごく)」
といって勧めてくれる。ミントティはインドのチャイのようにしっかりと甘く、ミルクがはいってないけれどじんわりと濃くてたしかにとてもおいしかった。運転手の向かいにきれいに化粧した女の人がやって来て「ようこそモロッコへ」とほほえんでくれた。

 彼女は少しだけ英語がはなせたので、あれこれ訊こうと思って、
「モロッコで『ありがとう』はなんというの?」
と訊ねたんだけど、なんとしてもわかってもらえなかった。ちょうど私の料理がなくなるころ、ちょうど運転手にも焼いた肉とパンが出てきて、私のがなくなったのを見てまたブエノ、ムーチョ、と、シルベスタ・スタローンみたいなねちっこい声で勧めてくれた。これもまたとてもうまかった。両替のときはちょっとぼったくられたと思ったけど、いいひとじゃん運転手。・・・っていうか私の好感度って食欲に左右されすぎか?

 しかしキレイに化粧したひとが席を立つと、運転手は、
「フェズに家族がいるのか?知り合いがいるのか?」
と聞き始め、「ひとりだ。ホテルを探すんだ」とこたえたら、
「ホテルに一緒に泊まらないか?」
と聞き始めた、ように思う。っていうか、はっきりそう言われたと確信はもてないんだけど、右手と左手のひとさし指をそれぞれたてて、それをひょいっとあわせたので、多分そういったんだ、とにらんだ。ただ確信が持てなかったので、悩みつつ相づちのつもりでウンウンとうなずいていたら運転手は満足そうににんまり笑ったあと私の腿に手をおいて、そのあとそっと手をにぎった。そいで、あっやっぱそうかやべえ、と思ったのだった。

 バスに乗りまた意識が混濁してるうちに6時くらいになった。そこはフェズの1こ手前の街で、もうほとんどの乗客が降りてしまった。それからまた走り出したときにはもう眠らなかった。7時くらいにバスはまた新しい街に入ってきた。ついにフェズについたのだった。

 運転手につれていかれちゃったらどうしよう、とドキドキしながらバスを降りると、当の運転手がたちはだかって
「荷物を持っておいで」
という。いっそうドキドキしながらバスのうしろについてるカーゴに行き、荷物を持って出た。すると、すかさずタクシーの運ちゃんがついてきた。
「ホテルまで連れていくぞ」
という。最初はいらないいらないと言っていたんだけど、考えてみるとこのあたりがどこか全然わからない。おまけにモロッコはこんだけ悪名高いのに実は持ってるガイドといえばだいぶまえの「ABROAD自由旅行」からちぎってきた4枚の特集記事だけ。このままホテル見つからないで途方にくれるのもナンだし、バスの運転手にさらわれても不本意なのでちょっと乗ろうかという気になって、
「いくら?」 って訊いてみた。そしたら、
「40ディラハムでホテルと両替所まで連れていく」
という。4、500円か〜。安いな〜と思いつつ一応値切ってみたら30まで下がったので、手を打った。

 タクシーは相乗りで、suzukiの軽ワゴンだった。うしろにおばさんが相乗りしているままでホテル・デ・サボイとかいう宿に来て部屋を見せてもらった。建物はややヨーロッパ風のつくりで、部屋には木のベッド2個に洗面台、テーブルがあった。バス・トイレは共同。宿賃は50ディラハムと書いてあった。細長い、みすぼらしい部屋で窓の鍵もしまらなかったけど、天井が高く、まずまず清潔そうだったし、もう暗いことだし、ここに泊まることに決めた。南京虫がいるかどうか、まあ賭けだけど、今日に限っては私自身が南京連れの可能性があるので、あまり深くは考えなかった。荷物を下ろして両替所につれてってもらうためタクシーに戻った。タクシーはちょっと走るとおばちゃんをどっかでおろし、仕立てやがかけもち経営してる両替所に私を連れてきた。今度は、余ってたフランスフランから両替したんだけど、両替率はやっぱり悪くて250フラン(5000円くらい)が390ディラハム(4300円くらい)にしかならなかった。

 宿に戻ってきたらタクシー運転手が
「晩ご飯にいかないか、観光にいかないか」
としきりと誘うので 、
「いくら?」
と聴いたら、
「タダでいいんだよ、ノープロブレム」
という。そんな怪しさまるだしの手に乗るか!とお断りして部屋におちついた。荷物をひらき、下に降りて
「お風呂使わせて」
というと、受付の男の子が申し訳なさそうに、
「ホットシャワーは5ディラハムかかるんだけど・・・」
とこたえた。さすがにバルセロナからバスと船に30時間も揺られてちょっと安らぎがほしかったんで、5ディラハム払ってホットシャワーを使った。猛烈に熱いシャワーで、クチが別になってる冷たいシャワーとあわせながら髪を洗った。残念ながらちっとも安らぐことはできなかったけど、そういう至らなさとかも、久々だとなんとなく楽しい。

 お風呂から出てきたらここの住人なのかオーナーなのかわからないおじいさんにつかまり、日本語でいろいろと書かされた。30分もつかまってやれやれだったけど、さばさばしたヨーロッパから来ると、こういうしつこさは、鬱陶しいながらも懐かしい感じだ。おじいさんは英語が話せたんで、「ありがとう」の言い方を教えてもらった。「ショクラン」というんだそうだ。どう考えても同じふうに言ってるつもりなのに、何度も言い直させられた。アラビア語の発音は結構敷居が高いようだ。

 ひとりになって落ち着いたので、今回の虫さされの収支報告をしよう。左足12、右足10、右腕5、左腕46、胸5、クビ3、顔2、背中1。合計84カ所。数では前回には負けるけど、ひとつひとつの大きさで今回のほうがちょっと勝ちかな。というのはつまり、今回のほうがちょっと重症っていう意味だ。でも薬があるのと、慣れたのとで、前みたいにひどくショックは受けなかった。

 そういえば今日、ついにアフリカの大地を踏んだのだなぁ。まだまだアフリカといっても文化的には中東の枠内だけど、アフリカなのかあ、と感慨がわいた。