ゴラン高原
   ノアは私をみつけるとにっこり笑って飛んできて、
「やあ!石鹸ありがとう。すごいうれしかった。さっそく使わせてもらってるよ。あれからパルミラ行ったの?どうだった?どこに泊まってたの?楽しかった?」
と矢継ぎ早に質問をあびせた。私は、パルミラで3日過ごして、それから熱を出してここで寝こんでたってこと、クリスマスまでここで動かずにキムんちにお邪魔しようと思ってること、すでにキムにはメールを送ったってことなんかを話した。それから、彼はあんまり乗り気そうじゃあなかったよなあと思いつつ念のため、
「クリスマスどうするの?ここでキムんちのパーティに行く?」
って聞くと、意表をついて彼は、
「うん、そうさせてもらうと思うよ。君も行くんでしょ?」
って言った。なんか5日ぶりぐらいで会ったノアは別人みたいに明るくなってた。どうやらアレッポで会ったとき彼はほんとにどうしようもなく具合悪かったみたいだった。

 あくる日の22日、私たちは、ホテルで会ったオーストラリア人のマットと3人でヨルダン大使館にビザをとりにでかけた。でもその前にノアが、
「実は明日ゴラン高原のクネイトラを見に行こうと思ってるんで、許可証をもらいに行かなくちゃいけないんだけどつきあってくれる?」
って言うから、マットと私もついていって、成り行きで一緒にゴラン高原の入域許可証をもらった。

 マットっていうのはおもしろい男で、えらい女好きでビール好き。街できれいな女の子を見かけると匂いがかげそうなぐらい近くを通って、でっかい声で、
「ポイント9.5!胸がいまいち小せえな!」
とか言ってよこした。ヤツはクロコダイルダンディに代表されるようなオーストラリア男気質が気に入っていて、自分でも意識してそういうポーズしてるみたいなところがあった。しゃべればものすごいオーストラリアなまりで、挨拶は決まって「よう相棒!(good day mate!)」だけど発音は「ギダイマイッ!」って感じなんで、ちょっと聞いただけじゃわからない。

(左)マット・(右)ノア
 道で客引きに声をかけられると全員に返事するし、ひと前でおならをぷーぷーするし、あたりかまわずげっぷもする。おまけにくしゃくしゃのハンカチでハナをかむ。こんなヤツでも彼女がいるって言ってたんで、
「彼女の前でもそんなぶーすかオナラするわけ?」
って聞いたら、
「出るもんとめられっか、てやんでえ」
みたいなこと言っていた。

「クリスマスに旅行来ちゃって彼女怒らないの?」
って聞くと、
「なんかぐだぐだ『やーだクリスマスなのにどうしてひとりでどっか行っちゃうのぉ』とか言ってやがったけどな!てめえが休みがとれねえのがわりぃんじゃねえかちくしょーめ。女のために休みにとじこもってられっかべらぼーめ」
みたいなことを言っていたと思う。いや半分は想像だけど。とにかくヤツは自分のスタイルをまったく変えないんだ。私がわかってないの丸出しの顔してても話すスピードをまったく落とさないんで、ヤツとのコミュニケーションはとかく一方通行で終わることが多かった。

 ヤツは私になんか言って、私がわからないのを見るとおもしろがって髪の毛をひっぱったり頭の上にかばんのせたりした。小学校のいじめっ子みたいだ。でもぜんぜん悪気なくやってるっていうのがわかったし、それをオーストラリア人にやられてるってとこがおもしろくて私はヤツにあわせて日本語で「やめんかいワレ!!」とか「アホンダラ!」とか言ったりして、わりかしヤツといるのを楽しんでた。

 それから私たちはヨルダン大使館に向かった。ヨルダンは何カ国かのひとたちに無料でビザを発給していて、それにたまたま日本とオーストラリアが含まれていた。ところがアメリカはというとビザ代の表のなかでも一番高い約5000円という金額がついていた。ノアがあたまをかかえて、
「うわぁ、5000円だって」
というと、マットが、
「アメリカ人はけえれってよっ!」
ってからかった。ノアはビザ代を納めてパスポートをあずけてあとからとりにこなければならなかったのに対し、私とマットのビザはほとんど即座に発行された。2階のビザ発給カウンターから戻ってくると、マットはノアにむかってぎくしゃく歩きながら、
「アメリカ・人を・殺せ〜。アメリカ・人を・殺せ〜。」
ってノアの首に手を伸ばした。
「大使館でそんな催眠術かけられるわけないだろ」
ってノアがいうと、
「ばれたか」
と催眠から戻ってマットはノアの肩をたたいてカカカっと笑った。

 実際マットのこういう明るさは、ノアの気をラクにしていたと思う。実質的にイスラエルを擁護しているって言われるアメリカは、シリアやヨルダンから見れば敵国だ。ノアはアレッポのあと訪れたシリア東部の町であんまりいい歓迎をうけなかった。・・・というか、住人からほとんどシカト状態に遭い、その町にはとどまることができなくてその日のうちに中部のパルミラに戻ったのだそうだ。こういう環境でマットみたいに、アメリカ人であることすらもからかってしまえるひとは貴重だ。マットがあまりに私に気をつかわないでネイティブのスピードでしゃべるもんだからノアは気をもんでいたみたいだけど、私は逆にマットがいてくれてよかったと思った。

 翌23日の朝、私とマットとノアは3人でクネイトラにむかった。ここはすでに30年以上前に死を迎えた街だ。一時は37000の人口を持っていたこの町を、1967年、突如としてイスラエル軍が襲い、そのときこの街の歴史は終わった。イスラエル軍はこの町をきわめて組織的に壊滅に追いやり、ごく一部を除いてほとんどの建物を崩壊させた。イスラエル軍は一時はシリアの首都であるダマスカスをもおびやかした。結局1973年の停戦で450平方キロメートルがとりかえされ、現在国境はクネイトラの町のはずれに設定されているものの、クネイトラには現在もPKOが配置され、緊張した雰囲気を保っている。

 というような話しは、実は全部ノアから教えてもらった。ここにも自衛隊が派遣されてるっていうのに、ぜんぜん知らなくて申し訳ない感じだった。何日か前にここを訪れた日本人の旅びとに会ったけど、この日は天皇誕生日だったせいか、いや、それは関係ないかもしれないけど自衛隊を見かけることはできなかった。


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 それにしても町のやられっぷりは相当だった。地震のあとイスタンブールからアンカラに向かうときに通ったイズミットの道路沿いの建物を思い出した。ここを見学するときには案内人がひとりつく。このひとに先導されて私たちはゴラン病院跡へと向かった。この建物はほんとにボロクソに壊れて銃の穴だらけだったけど崩れていないぶん内部の壊れぶりがよりはっきりわかった。外側の壁は塗った色が残らないほどくずれおちていたし、内装は文字通り蜂の巣のよう。

 建物へ入る階段の隅を見てノアが、
「見てよこれ、昔は大理石張ってあったんだこの階段」
って言った。見るとたしかに大理石の薄い石片が段と段の間にはさまっていたけど、そのわずかな石片を残してすべての段は下の石が剥き出しになっていた。

 いままで廃墟の建物や町を見たことは何度かあるけれど、こんなのははじめてだった。マットはあいかわらずおならをぶーすかしたりしてふざけたことばかり言っていたけど、私とノアだったらほんとに神妙になりすぎてしまっただろうと思う。町のなかをいくら歩いても、あるのは廃墟ばかりだった。枯れた木が一層不気味さを増している。しばらくいくとクネイトラの町のはずれにたどりついた。

 キャンプ場のような壁のむこうにぐるぐるに巻かれた鉄条網があり、そのむこうに果てしなく荒地が続いている。この地域にはいまも膨大な数の地雷が埋められているんだ。私とノアは、ぽかんとしたこの町の空にいつか響いていただろう悲鳴や、道を埋める戦車の地鳴り、銃声を聞いていた。


引きずり倒されたままの建物、右奥にあるのは国連軍の基地

* * *

 ダマスカスに戻ってレストランにお昼を食べに行った。お昼といってももう夕方になりかけていた。病み上がりの私は消化にいいものを選んで少しだけ食べた。ノアはベジタリアンなんで豆とごはんを選んで食べていた。マットだけが、
「てやんでえ、こんなメニュー見ただけで分かっか!」
とかいって厨房におどりこんで、材料とか料理を指差して注文していた。あくまで豪快な男だ。ちなみに私が「てやんでえ」とか「べらぼーめ」とか訳している部分は、彼はだいたい「Fuckin'」とか「Shit」とか言っている。ヤツはずっと喋らせておくとだいたい2分に3回から5回の割合でFuckin'って言っているんじゃないかと思う。私が旅行しながらホームページつくってるって言ったら「くそすげえことしてんな! Fuckin good job」って言ってホメてくれた。こういうのはネイティブのひとが聞いたときどんぐらい下品なのかぜひ知りたいもんだ。

 ホテルに帰ってしばらくすると、キムと名乗る男の子が私をたずねてきた。驚いたことに、彼はアレッポで会ったキムだった。彼はおじさんじゃなかったのだ。彼は今日ひげそってきていて、顔をみたら20代になったばっかの青年みたいだった。そういえばやけに声がわかいなあと思っていたんだ。あとから聞いたら彼は28だってことだった。

 しばらくノアと3人でこの数日の話をしたあとキムが、
「よかったらクリスマスの間うちに泊まりなよ」
って言ってくれた。この前会ったときは、ルームメイトの許可がとれてなかったから泊まりにおいでとは言わなかったんだけど、彼は戻ってからルームメイトにOKか聞いて私とノアがお邪魔できるように段取りをしてくれたらしい。ノアはほかのツーリストと約束があるから明日お邪魔するよ、って言った。私もホームページ書いたりしなくちゃいけなかったから、お邪魔するのは明日にしようかと迷っていたらキムが、
「でも今日は飲みに行こうよ。今日はきみ20代最後の日でしょ」
って言った。そうだった。今晩の12時を境に、私は20代の日々にお別れをするのだ。キムがお祝いの気分たっぷりで来てくれたので、私も自分の20代に敬意を払って今日は20代へのお別れの杯を手向けることにした。ノアとマットに挨拶して私はキムんちに向かった。