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でっかいさんかくのまうえから
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おとといの夕方だったと思う。外を歩いて戻ってきたら彼、梁井(やない)くんがが受付にいて、まるで知り合いに会ったみたいに私に、 「いまいやな目にあっちゃった」 っていった。 「どうしたの?」 ってきいたら、 「部屋代を払ったときに1泊分ちょいのお金をごまかされたみたい」 って彼が言った。あやしいことがあるんだったら通訳とかちょっとヘルプしようか?って聞いたけど彼はそれ以上追及しないで「まあいいや」って言って受付の前のソファに座ったんで、私もちょっと座って話しこんだ。彼は九州の鉄道会社で駅員として働いてるひとだった。かなり休暇に融通のきく職場にいるもんで、年に2回2週間ぐらいの休みをとって旅行したりしてるんだそうだ。今回はその2週間でイスラエルとヨルダンとエジプトを旅行中なんだって言っていた。
さてその日ダンスを見にいく前にホテルの近所のレストランにごはんを食べに行ったんだけど、そのレストランにたまたま、私たちの泊まってるホテルの上の方の階のサファリ・ホテルに泊まってる男の子が食べにきていた。
サファリ・ホテルって、世界各地を旅してるスジガネ旅行者があつまってることや沈没旅行者が多いんで有名なところだ。私が情報ノートを読みにここにお邪魔したときに3ヶ月ここに泊まってるっていうひとと喋ったんだけど、実はそのひとはまだまだ序の口で、後日7、8年ここに泊まってるっていうひとにも会った。最近じゃあ私自身が長いほうの旅行者になってきたので、日本人宿にも沈没旅行者にも慣れてきたけど、もし最初の頃にここを覗いたらやっぱちょっとひいてしまったかもしれない。ひとから聞いたとこではここに泊まってるひとがメインになって、ときどきピラミッドに登りに行くひとたちがいるというんで、さすが長期旅行者には物好きもいるもんだなあと、他人事と思って私はきいていた。
さてところが他人事はひょんなことから自分の身の上にふりかかるもので、このレストランで会った男の子が、私たちを日本人とみると突然、
梁井くんの今回の旅行はイスラエルのエルサレムと、ヨルダンのペトラと、エジプトのピラミッドを見るっていう目的があって、それを今日までに果たしたからもう悔いはないって言っていたけど、彼の帰国までにはまだあと明日一日あって、それを何の観光にあてようかって彼は考えていたとこだった。ピラミッドに登るなんて思ってもみなかったことだけど、登れるものなら登ってみたい。彼の胸はピラミッドの天空を吹きぬける風でいっぱいになってしまったようだった。
ダンスを見終わってアイスを食べながら戻ってきたら梁井くんはもう決心かたくなっていた。サファリホテルに打ち合わせに行く前に彼は、
朝っていうか真夜中。仕度をすませてロビーに出たらまだ3時半だった。ポケットには11ポンド。万一ツーリストポリスにつかまった場合にあまり多くお金を持っているとバクシーシとしてまきあげられてしまうからだ。カメラには、やっぱり万一の場合にとりあげられてもいいように容量の少ないほうの2メガのスマートメディアを入れてきた。それも、遺跡で不正に写真をとるとフィルムだけ取り上げられることがあるって聞いていたからだった。梁井くんは寝坊したらしく少し遅れて用意を済ませて出てきたけど、ぎりぎり約束の時間にはサファリ・ホテルまで階段をのぼった。私は6階まで上がっただけでもう血のにおいのする息が出た。やっぱりピラミッドに登るのは私には無理だ。・・・そう思いながら、頭の片隅に「やっぱ登ってみたい」っていう欲望がふくらむのも私は感じていた。
![]() 左から梁井くん、私、ミラン、ヨン、大輔くん
今日の発起人は昨日声をかけてくれた大輔くんだ。サファリでは準備万端で彼が待っていた。順に隣のホテルからスロベニア人のミランと韓国人のヨンがやってきた。サファリではまだ起きてるひとたちがいて、頼んで全員の記念写真をとってもらう。サファリのひとたちに見送られて宿を出た。タクシーに乗るときにヨンが私に助手席をすすめてくれたんでお言葉に甘えて乗ったものの、後ろの席は男4人でえらいきゅうくつそうだ。大輔くんは、発起人としての責任感からか、なんかちょっと緊張しているみたいに見えた。彼は、
まずはピラミッドの近くの立派なホテルの前について、タクシーをおりたら、運悪くすぐ先に交番があった。警官が出てきて、
裏道というのはこのまえ馬に乗って通った道だった。ピラミッド地区への壁をのりこえるとき、私だけが腕の力で壁を越えることができなくてみんなに助けられた。やっぱこれじゃ登れないよなあ。そのあと壁づたいに移動したんだけど、みんなでコシを低くして、真面目な顔して「シーッ、静かに!急げ!」とかよく響く声で言い合ってるのが、まるでドリフの忍者ものみたいでとってもおかしい。
この道からピラミッドへの行き方は、まえにピラミッドに来て馬に乗ったことがあるミランと私だけが知っていた。ここは墓地を通る道だ。ひとさまの墓のうえを真夜中に歩くのは精神衛生上すごくよくないけど、それはまあいいとしよう。いまから行こうとしてるピラミッドからしてひとさまの墓なんであるからして、そこにいきつくまでに何人の墓を踏み荒らしたところで1人たたられるも100人たたられるのも一緒だ。それはいいとしても(ほんとはよくないが)、このあたりはやたら野犬がいて、ふと気づくと進路をふさがれてたりするのがまたおそろしい。大輔くんが「犬はかまないから大丈夫」とかって気休めを言ったけど、そうかな〜、そうは思えないけどな〜と思った。だってこの時間に大勢の人間にナワバリをうろつかれたら犬もナーバスになるだろうし。私は、狂犬病の注射打ってるから狂犬病自体については大丈夫かもしんないけど、どっちにしたって噛まれたら痛いし、梁井くんなんかはすぐには仕事に戻れなくなっちゃうだろう。
曇ってるせいか空がもう明るく感じた。これじゃすぐみつかってしまうだろうから彼らも登ることはできないだろう。野犬を避けて迂回しながら、ちらっとだけ、ピラミッドの頂点に立って「ここまで来れるとは思ってなかった」って言ってる自分の姿を想像してみた。いやいや、そんなことはありえないな。砂地に出て、石切り場を遠回りして歩きながらやっとピラミッドについたときにはかなり体力を使い果たしていた。
私はここでもう一度決断に迫られた。実はさっき来る途中のタクシーんなかで、
登り始めると、最初の数段はちょっと高い段だったけど、彼らがさっさと行ってしまわず手伝ってくれるようだったので本気で登る気になってきた。
気がつくと私も膝ついてぐいぐい登っていた。最初の数段をクリアすればあとはほとんどが50cmか80cmぐらいの登り易い段差だ。表面がくずれてるから高い段でも足場はやすやすとみつかった。50mくらい来たところでつかれて一旦とまって水を飲んだ。ハイペースで登ってたので大輔くんが、
梁井くんがちょっと遅れていたから、彼が来るまでに少し休み、それからまた出発した。ちょっと高い段を気合いれて上った瞬間、モモの後ろがびっと音をたてた。どうやらこの旅に出発したときからはいてた綿パンのもものあたり、このあいだから薄くなって気になってたとこがやぶけたらしい。うしろから来てるヨンが気になった。
さらにかなりのぼって100mぐらいまであがったと思う。でもここでまたひとやすみしたら梁井くんがずいぶん低いところにいることに気づいた。しかも彼は一段のぼるごとに下を見てすごいナーバスになってる様子。私たちが止まってるのを見て彼は少しペースをあげたみたいだったけど、声をかけても、
かなり近くまで来たけど、彼はもうとても先へすすめそうにない感じ。私は少し降りて彼の様子を聞いてみた。そしたら、
100mも登ってきてそんなふうになったら、自力でおりることはできなくなってしまうだろう。私は彼と一緒に降りるべきなのかもしれない。私がほかの3人にそう告げると、ミランが、
彼に、
頂上にたどりつくとほかの3人が歓迎の拍手をしてくれ、4人で手をとりあった。飛ばされそうってほどじゃないけど風がびゅるっと吹いて、服をはためかせていく。やってやった〜って気持ちがぷわっと胸のなかでふくらんだ。子供の頃「なるほど・ザ・ワールド」とかで見たピラミッドの上にいるんだ。あの上にいま立ってんだ!
みんなが「日の出みなくていいの?」って言ってくれたけど、梁井くんは今も恐怖とたたかいながらひとりで降りてるんだ。彼をひとりにしといちゃいけない。そう思ったのは、彼が後輩に似てるせいもあるだろうけど、それだけじゃなく、もし私が高所恐怖症になったら、彼は絶対私と一緒におりてくれたにちがいないって思ったからだった。彼らに、
慎重に足元を確かめながら梁井くんとこまで下ったら彼はまだほとんど降りてなくて、
「じゃゆっくり下りようか」
降りてきた梁井くんの手をみたら、親指切って血がにじんでいた。頭ぶつけたときに、手もやってしまったって彼は言った。ひたいにもコブができてる。彼、かなりあぶなかったんじゃないだろうか。来るまえすごいやる気十分だったのに途中で急にペースが落ちたのは、もともとの高所恐怖症のせいじゃなくて、途中でよほどすべりおちそうな状況になったからなんじゃないかと思った。やっぱピラミッドはあぶない。昼間登れないからって夜中に登ったりするのは無謀なんだ。
あやしいポリスはあまり英語の話せないひとだったけど私のカメラを見て、
しかも、このままだと帰りのバス代もないんで、私はバス代、といってポリスから自分と梁井くん用に1ポンドずつお金をとりかえした。ポリスはとりたてて不愉快そうにもせず8ポンドだけをポケットにいれ、カメラはケースから出しもしないで返してくれた。カメラを預かるって言ったのは、ツーリストポリスらしく見せるための演出だったんじゃないかと思えた。
やっぱりこのポリスは本物のポリスじゃない。ツーリストポリスだったらもうちょっとぐらい英語がはなせないとつとまらないんじゃないかと思うし制服を着てないのも変だ。それに私たちをつれてピラミッド前の守衛小屋を通りすぎるとき、ちゃんと制服着た守衛が出てきて、
とにかくにせポリスのおかげでピラミッドから無事脱出することができた。ほんとならピラミッドのまわりでヨンたちと落ち合う予定だったけど、ピラミッドの近くにいたら何度もつかまってしまいそうだったのでとりあえずバス停までおりることにした。途中地元のひとの通るような細い裏道を通り、ガイドをやってるっていうおじさんにつかまって、ちょっとセクハラされたりしながらも道を教わってバス停についた。セクハラおやじは別れ際に梁井くんのほっぺに一発キスして、そのあと私の両頬に2発のキスをかました。梁井くんは、
私たちはそこで2時間くらいほかの3人を待っていたんだけど3人は全然もどって来なかった。もう先に帰っちゃったんだろうか。それともどっかでまだ拘留されてるんだろうか。待ってる間にとってもおなかがすいたし寒くもなってきた。でももうバス代しかないから、パンはおろかお茶のむこともできやしない。私は予備にかくしといた1ポンドと、さっきとりかえした1ポンド持ってるだけだし梁井くんも1ポンドもってるだけだ。そういえばつかまったときに身元がばれないようにっていう配慮でパスポートも宿にあずけてきちゃった。
![]() 日中のピラミッドを下から見たところ
らくだやロバが出勤する時間になっていて、地元のひとたちが私たちにひっきりなしに声をかけていく。学校へ行く通りすがりに手を差し出して「バクシーシちょうだい」って言っていく子供もいる。この子たち、ピラミッドの下で毎日暮らしてんだな〜。ヴェルサイユの近くにも、タージマハールの近くにも、ヴァチカンにも、ピラミッドの近くにも住んでるひとがいる。観光地でひとの生活を見るのってなんか不思議な感覚だ。
大輔くんたちはほんとに来る様子がなかった。ほんもののポリスに拘束されてないか心配だったけど、彼らを迎えに出頭しても、もうバクシーシ払うお金もないのでとりあえずバスに乗って帰ってきた。ホテルにもどり、上のサファリに直行したら、時間はもう10時過ぎていた。サファリにつくと、
起きると梁井くんがもどってきてたので晩御飯を食べにいき、近所のアイスやで日課になってたアイス食べたら彼はもう空港へ向かう時間だった。彼が荷物持って出てきたので下まで見送った。
「井出さんとはまたどっかで会えそうな気がするねえ」
私たちはホテルの入り口で握手した。彼が、
11時にヨンがやってきた。hotmailにヨンのメールアカウントをつくってあげる約束だったのだ。ついでに自分のメールを受信したらついにノアからメールが来ていた。実をいうと、カイロにこんなに長居してたのはノアの帰国前にもう一度会っておきたかったからだった。だけど残念ながら、ノアはもう1週間近くも前にエジプトを発ったあとだった。少なくとも1日か2日はカイロでニアミスしてたはずだけど、多分彼と偶然遭うっていう運はイスラエルにいたときに使ってしまったんだろう。また半年ぐらいしたらカリフォルニアで会える。そんとき会えなくても1年したら日本で会える。そりゃ、ちょっとがっかりしたけど、いまはこの寂しい気持ちをゆっくりかみしめるときなんだ。
友達は際限なく増えていく。別れが待ってるとしても、出会うことはとても幸せなことなんだ。悲しくない別れなんて味気ないもんだよ。キムのことも、悲観的に捉えるのはよそう。ひとの間は縁がつなぐもんだから、また会えるとか会えないとか、私がいま考えてもはじまらないことだ。会えるって、信じていればいいんだよ。信じるしかないことなんだよ。いまはとってもつらいけど。
ヨンは大学出たあと数ヶ月バイトしてお金をつくってイスラエルに行き、不法にバイトしたりしてからエジプトにきてて、このあとヨーロッパ方面を1年くらい旅しようと思ってるって言った。彼はすごくお金を節約する旅行者なんでまだ出発してから2ヶ月で$1000ぐらいしか使ってないらしい。ヨンが数日後にアスワンに向かうっていうから、一緒に出発することにした。
しばらくぶりに、後輩にメールでも書こうかな。そいで、あと2週間ばかりエジプトを旅したらとうとうケニアに行くんだ。
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