|
レバノンで過ごすお正月
|
|
朝8時頃に目覚ましが鳴って目がさめた。ノアがすぐに目覚ましを止めた。ノアはゆっくり荷物をつくりながら、 「マットたち起きてるといいけど、ゆうべ多分遅かったからまだ寝てるかもしれないな」 ってつぶやいた。ノアは今日マットと、それからイギリス人の女の子と一緒にレバノンに行く予定で、8時にアルハラメインで待ち合わせをしていたのだった。
「多分ノアが行って起こすことになるんじゃない」
ノアがまだここにいたらいろいろ話ができていいだろうな。そう思いながらも、
彼にどういうふうに言えばよかったのかわからない。
荷物の支度がおわってノアはみんなに挨拶して出て行った。ノアは、
ホントはノアと一緒に出発するっていう手もあったかもしれない。ただ、キムが、
その日の午後キムが上のひとと話しにいって、
年末にキムたちと一緒に?お言葉に甘えすぎのような気もするけど、キムがそう言ってくれるなら急いでレバノンに行くこともない。そうなったらベイルートでノアに会えなくなってしまうけど、ノアは年末年始イスラエルにいたあとヨルダンに戻って観光するって言っていたし、なんかノアにはヨルダンのペトラあたりで会えそうな気がしていた。
翌日の夕方、ラマダンの終わる夕方のお祈りの声(アザーン)が鳴るちょっと前に上の階のひとたちが呼びに来た。
席にすわるやいなや自分の皿に大量の料理がもりつけられたんで、背中に冷や汗が流れた。食べても食べてもつぎからつぎへと盛りつけられるのでこれが全く減らないんだ。末の弟のレドワンさんに、
ルナは4人のなかでは一番アラビア語を話すほうだ。話すっていうか、彼女は子供のように本能で知ってる単語をつなげて喋ってしまう。あとの3人はちゃんとした文法で話そうとするから、ルナよりはちょっとつっかえつっかえ話していた。しばらくルナを中心にアラビア語でみんながおしゃべりを続けていたら、ルナパパが明日の早朝発の飛行機で帰国するっていうんで、ルナと家に戻っていった。
ルナがいなくなると会話は大半が英語になった。レドワンさんが兄弟たちとの間の通訳になって、そのあと私はしばらく質問の集中豪雨に見舞われた。それからレドワンさんがルツ(楽器)を出してきて、「シリアへようこそ」って自作の曲を歌ってくれた。大家族なんでいちどに写真を撮るのが大変だったけど、記念に撮ったら俺にも見せてくれあたしも見せてって全員でデジカメをたらいまわしにして、電池が切れるまでカメラは戻ってこなかった。結局4時半からお邪魔して、最後は9時くらいまで、みかん食えだのコーヒー飲めだのココアだの紅茶だのともてなしを受け、もとの体重の倍ぐらいになってからやっと私たちは階下のキムのアパートに戻った。
彼らの過剰とも言えるもてなしのおかげで私たちは翌朝まで胸焼けに苦しんだけど、ここのひとたちはほんとに親切で気立てのやさしい面倒見のいいあったかいひとたちで、
キムんちの彼らもほんとに気がいいひとたちで、私がいても気を使うでもなし、かといって歓迎しすぎるでもなくて、メールを打つためにパソコン借りにきたり、ウェブメールの使い方や画面の解像度の変えかたとか、私でも迷わず答えられるような質問をしにきてくれたりして、それなりに私がいる生活を楽しんでるみたいだった。
特にデビッドは私の持ち物に興味津々で、巻き取り式の電話ケーブルやデジカメに入ってるスマートメディアなんかを見ては「日本だねえ」とつぶやいていた。デビッドの持ってるマシンは5年ぐらい前のやつでえらく古いんで、私のマシンを見て触発されたらしい。一度デビッドが突然、
30日になって私たちはレバノンにむかった。レバノンに無料で滞在できるトランジットビザではレバノンには48時間しかいられない。元旦にシリアに戻るのは日程的にも無理があるので、国境で$15ちょい払って2週間有効のビザをとった。しばらくしてバスがベイルートに着くと、ケンタッキーやマクドナルドとか、シリアでは見られなかったファーストフードがあちこちに見かけられるようになった。海岸通りは椰子の木が並び、気候もダマスカスよりずっと温暖。ホテルにつくとキムと顔見知りのイギリス人のグループがいて、夕食は近所のハードロックカフェに食べにいった。値段もそうだけどこの雰囲気、ヨーロッパの地中海岸とあまり変わりない感じ。ついこの前まで内戦をやっていたはずなのに、短い間にどうやってこんなに立ち直ったんだろうこの国は。
その晩は散歩してピジョンロック(鳩の岩)と呼ばれる名所を見に行き、宿で遅くまでビールを飲んでから寝た。翌日大晦日は、昼近くなって起きたんだけどイヴァはそれでもまだ寝ていたんで、キムとふたりでマクドナルドに行った。マクドナルドでは、2000年を記念するキャンペーンで2000ポンド(1.3ドル)でビッグマックやチキンマックナゲットが食べられた。
大晦日といっても日本の、あの、クリスマス以降新年に向けて一気に時間の経つのが加速していくような、さあ新しい年が来るぞ、今日までと明日は違うんだぞっていう焦燥感みたいなものはない。それはこれまで日本を離れてお正月を迎えたことのない私にとって多少ものたりなくはあったけれど、南国めいた海岸でのおだやかな大晦日の雰囲気を、私はゆったりと楽しんでいた。
マクドナルドで朝ゴハンを食べながら、私はキムの、スペイン人の元彼女の話しをきいた。彼が今日起きてからすでに2回も日本とスペインを言い間違えたんで、彼の心にそんだけ深く残ってる彼女の話をどうしても聞いてみたくなったのだった。
どうして「残念ながら」なのか聞くと彼は、 |
|
彼女の思い出をいくつか聞いたあと、 「どうして別れちゃったの?」 って聞いてみた。すると彼は、 「実は彼女と別れる半年前にまず僕から別れようって言ったんだ」 と言った。どうしてって訊いたら、 「もう、彼女を、愛してないと思ったから」 と彼はひとことひとこと確かめるように区切りながら言った。 「でも結局そのときはもちなおしたんだ。でも僕が別れようって言ったとき彼女はあらたにアメリカで学ぶ決心をしてしまったんだよね。彼女は卒業したら、デンマークへ来て僕と結婚するはずだったんだけど、結局半年後、彼女はアメリカへ留学してしまった。そして別れようって手紙が来たんだ。いろんなことがあったんだろうね。結局、最初に僕から別れようって言ったのが、間違いの始まりだったんだ」 って彼が言ったので 「今でも間違いだった、って思ってるんだ」 って聞いたら、 「いや、僕はこの人生が気にいってるよ」 と急に笑顔を作って彼は言った。後悔はしてない。だけどなんかキムは彼女のエピソードを夢みるようにとても楽しそうにすることが多かった。彼は心のなかで、まだ彼女と遠距離恋愛をつづけてるのかもしれない・・・なんかそんなふうにすら見えた。
ちなみに彼は高校のとき、勉強も全然しないでビールばっかのんでたから退学になって、パーティ行ってごろまいたりして1年かそこら暮らしていたのだそうだ。彼はすごくまじめそうなタイプに見えるからこの話はとっても意外だった。そのあと彼はアフリカで植林とかを助ける技術者のための学校にはいったけど、そこでは非常に強いコミュニスティックなイデオロギーが求められたのでそこでもはじけでてしまったらしい。それからしばらくバイトしてたら年末調整が戻ってきたんで、電車とヒッチハイクでイタリアまで下っていった。でも途中でお金がなくなって南フランスにある義理のおじさんの農園を手伝い、おじさんたちが車でデンマークに戻るっていうんで乗せてもらって帰ってきた。この間は彼にとってすごく、いろんなことを考える期間になったんだと思う。それから大学に入るための準備をして、彼はちょっと遅れて大学に入った。彼はやっぱり不器用なひとなんだな、と思う。だけど結局のところ、とても真面目だから、遠回りしてもとの道に戻ってきたんだろう。
電話を終えるともうすぐイヴァと待ち合わせの時間だったからホテルにむかった。ベイルートの海岸では太陽がオレンジ色に変わってきていた。コニシ(コルニーシュ)通りの遊歩道沿いの海辺でガードレールに腰掛けて喋っていたら、すぐ近くで子供が爆竹の上ではねまわったり花火を飛ばしたりしていてとても危ない。ここでもいよいよ新年の準備が整いはじめているんだ。なんとなく興奮した雰囲気が町をつつみはじめている。
日本はさっき電話してまもなく新年を迎えたはずだ。もし2000年問題で何かあったら先に新年を迎えたニュージーランドとかのニュースが入って、さっき電話した時点でもうパニクってたはずだけど、そんな様子じゃなかったから日本でもきっと無事新年を迎えただろう。だけど心の片隅でなにか起こるんじゃないか、っていう気持ちも消えなかった。地球がゆっくりと回りながら、経度の線に沿って毎時電気が消えて暗黒につつまれていく・・・それはとってもこわい想像だ。けど・・・それはとってもキレイであるようにも思えた。多分ひとりじゃないから、そんなこと思えるんだろう。
突然カメラとレポーターがやってきて、2000年についてあなたが思うことを言ってくださいって言われた。私はカメラに向かって喋れるような英語力じゃないので「喋れないよ」って言ったらキムがふざけて、
宿に戻るとイヴァはロビーで、アメリカ人のガブリエルっていうひととおしゃべりしてるとこだった。ガブリエルは40歳近い世捨てびとで、とっても変わったひとだった。彼とはその後夜明けちかくまで一緒にいたけど、私にだけは名乗りもしなければ、話しかけることもなかった。彼はやっぱりシリアに住んでいるらしいんだけど、シリアには何もないってことを皮肉って、
戻ってきたらみんなで晩御飯に行くことになった。日本は無事だったよって言ったら、ガブリエルがちょっとがっかりしたようなことを言った。ガブリエルは中東の2000年問題の混乱を大いに楽しみにしていたらしい。
さて年末の晩御飯だからレストランとかで食べるだろうと思ったけど、その予想は大幅にはずれた。私たちはタクシーでショッピングセンターの下のファーストフード街みたいなところに行ったのだ。私はSUBWAYのサンドイッチを買ったけど、ここは正規ライセンスじゃないらしくサンドイッチはなんとなくみすぼらしい。旅の一年をしめくくるにふさわしい夕食と言えないこともなかった。
そのあとまだ新年まで時間があったのでガブリエルの薦めるカリンカというバーに行き、一晩飲み放題のチケットを買った。ちょうどモスクワが新年を迎えたところで、美しい建物の並ぶいかにも寒そうな広場がめちゃくちゃ明るい照明で照らされて、ばんばん花火が上がるところが映し出されていた。11時45分くらいに一旦外に行きタクシーでコニシ通りに向かうとすごい渋滞だった。路上で爆竹で遊ぶ子供の数が異様に増えてる。遊園地の近くでタクシーを降りるとちょうど屋外ディスコが激しくレーザーで空を照らしはじめた。いよいよ2000年になるんだ。突然ヒョォと音がして花火があがった。花火は次々にベイルートの夜空を照らした。
ついにここベイルートも2000年を迎えました!
キムが持ってきたシャンペンを開け、デンマークの新年に食べるお菓子をみんなに分けた。フルーツのぎっしりはいった黒いケーキで、クチにいれるとほんのり洋酒のかおりがして香ばしい。私はひとかけもらってそのあと花火に見とれていたんだけどふと気づくとキムがこのお菓子の最後のひとかけをクチにほおばったとこだった。私が、
1時になりヴァチカンの年越しの中継が流された。しばらくしてキムにまた「踊ろっか!?」って誘うと彼はまた一瞬たじろいで、それから2,3曲つきあってくれた。実を言えばキムのこのたじろぐ姿が見たくて誘ったようなもんだった。
イヴァとガブリエルは政治の話とかで盛り上がってるみたいだった。私とキムは酔っ払ってカウンターで紙をもらって箸置きをつくったりしながら飲みつづけてた。バーは盛況で、飲み放題のはずなのにバーテンのおじさんはなかなかこっちに気づいてくれないし、注文してもなかなか飲み物が出てこない。
3時過ぎてかなり眠くなり私もキムもしきりとアクビがでるようになった。だけどキムはガブリエルと盛りあがってるイヴァに気をつかって、
コニシ通りの、インタビューをうけたあたりで少し風にあたりながら、私たちはホテルに向かって歩いた。
「のーさんは?」
幸せな出会いに恵まれて、ちょっとだけ、旅の命を延ばしたいと思うようになってきている。旅の命を延ばすためにお金を節約して、何も見ないで通りすぎて行く旅行者になるのだけはイヤだ。だけど、日本で待っている「再就職」とか「生活」とかってことをまだちょっと受けとめたくない気分。私はほんとに、最初に予想したとおり、旅に逃げ込んでるんだろうか。
「私たちって、なんか同じようなところに迷い込んでない?」
|