レバノンで過ごすお正月
   朝8時頃に目覚ましが鳴って目がさめた。ノアがすぐに目覚ましを止めた。ノアはゆっくり荷物をつくりながら、
「マットたち起きてるといいけど、ゆうべ多分遅かったからまだ寝てるかもしれないな」
ってつぶやいた。ノアは今日マットと、それからイギリス人の女の子と一緒にレバノンに行く予定で、8時にアルハラメインで待ち合わせをしていたのだった。

「多分ノアが行って起こすことになるんじゃない」
って言ったら、
「そうじゃないことを願うよ」
って言ったあと彼は荷物を準備する手をふととめて、
「ねえ、こんなこと言ったらいけないかもしれないんだけど、僕はほんとにレバノンに行きたいんだろうか?レバノンに行く価値あると思う?」
って言った。彼は48時間有効の無料トランジットビザで入国してちょっとだけベイルートを見て戻って来る予定だったけど、その直後にはイスラエルで友達と新年を迎える約束があるらしかった。イスラエルとレバノンはお隣同士だけどレバノンからイスラエルへむけて通過できる国境はないので、彼はレバノンに行ったとするとそのあと一日か一日半ぐらいでシリア、ヨルダンを一気に駆け抜け、イスラエルに至らなければならない。はたしてそこまでして見に行く価値がレバノンにあるんだろうか、と思い始めたみたいだった。

 ノアがまだここにいたらいろいろ話ができていいだろうな。そう思いながらも、
「でも、新しい場所に行きたいとか、新しいものを見たいとかいうのって旅人の本能じゃない?」
って言うと、彼はそれで納得したのか、
「うん、そうだね」
っていって、ふたたび荷物をつめ始めた。

彼にどういうふうに言えばよかったのかわからない。
「私はノアに居てほしいと思ってるよ」
とかいうのは適当じゃないし、
「行きたくないならやめれば?」
って言うのもなんか吐きすてるようだ。しいて言うならどうして行きたくないかもって思い始めたのか聞くべきだったんだろうけど、でもそれはやっぱり私の同じ答えで終わるべき会話にすぎない。多分彼はレバノンも見るべきだったんだ。それでよかったんだろう。

 荷物の支度がおわってノアはみんなに挨拶して出て行った。ノアは、
「のーさん、またレバノンで会えるよね?きっと、僕はきっと街角で写真をとってる君を見かけることになるよね?」
っていって、大きい体をおりまげて、私の耳のへんにほっぺたをくっつけていった。私も明日にはレバノンへ発つつもりだったから、
「うん、ベイルートなんて広くないからきっと会うよ」
って答えた。私の顔がノアの胸に埋まったので、私はノアのかなりくたびれた、でもあったかいベージュ色のジャケットに「smack!」と音たててキスした。

 ホントはノアと一緒に出発するっていう手もあったかもしれない。ただ、キムが、
「上の彼らに招待されてるからそれが終わってからいきなよ」
って言ってくれてたのが気になってた。おなかの調子が悪いんで、ラマダン明けのごちそうが「食べたい」気はしなかったけど、現地のひとんちにお邪魔してみたいっていうのと、どんなごちそうか見てみたいっていうのが私の後ろ髪をぐいぐいひっぱってた。

 その日の午後キムが上のひとと話しにいって、
「お邪魔するのは明日の晩ってことになったよ」
って言った。私は明日レバノンに出る予定なんで、それだと参加できないわけだ。
「そっか、残念」
って私が言ったらキムが、
「何言ってるの、君も呼ばれてるんだよ。君だけレバノンに行かせたら僕が彼らに怒られちゃうよ」
って言ってから、
「いや、無理やりひきとめることはできないけど、あのさもしよかったら、僕とイヴァはベイルートで年越ししようと思ってるんだけど、そんとき一緒に行かない?ひとりで行くよりも楽しいと思うし、僕たちは何度かレバノンには行ってるからいろいろ教えてあげられることもあると思うし」
ってつづけた。イヴァも、
「そうだよ僕らだけで行くよかひとが多いほうが楽しいし」
って言ってくれた。

 年末にキムたちと一緒に?お言葉に甘えすぎのような気もするけど、キムがそう言ってくれるなら急いでレバノンに行くこともない。そうなったらベイルートでノアに会えなくなってしまうけど、ノアは年末年始イスラエルにいたあとヨルダンに戻って観光するって言っていたし、なんかノアにはヨルダンのペトラあたりで会えそうな気がしていた。


すごい原始的な洗濯機で洗濯
 その晩は彼らのために「日本料理」を作ってみた。といっても材料は限られてるので、持っていた「だしの素」としょうゆのパック、わずかな鰹節で少し日本風にアレンジしただけの料理だけれど。から揚げを作ったら、ルナが、
「このフライドチキンすごいおいしい」
ってほめてくれ、
「へえこれってこんな簡単にできんだ」
って感心していた。ルナは料理なんかしたことないらしかった。私が揚げてる間ルナは何度もつまみ食いしにきて、冗談だけど、
「ずっとうちにいてよ」
って言ってくれた。

 翌日の夕方、ラマダンの終わる夕方のお祈りの声(アザーン)が鳴るちょっと前に上の階のひとたちが呼びに来た。
「はやく来てください」
ってちょっとあせってる口調だった。彼らは夜明け前、朝4時頃に朝食をとってからずっと食べてないので、夕食は少なくともアザーンの鳴り響く10分前にはもう手にスプーン握った状態でスタンバイしてアザーンが聞こえ始めたらスグ食べ始めるということになってるらしい。私たちはあわててぞろぞろと階段を上り彼らの居間へ通された。アラブ式の居間は床に座り、食器も床に置くみたいだ。すでに席の中央には色とりどりのごちそうが並んでいた。あげパンのはいったサラダ、グリーンピースごはんの上に煮たチキン、緑の麦ごはんの上に煮たラム、豆のトマトスープ、たまねぎとパスタのはいったチキンスープ、ヨーグルト、うすい大きい丸いパン、パンとにんにくと煮たひよこ豆。ヨーグルトにトマトスープ。

 席にすわるやいなや自分の皿に大量の料理がもりつけられたんで、背中に冷や汗が流れた。食べても食べてもつぎからつぎへと盛りつけられるのでこれが全く減らないんだ。末の弟のレドワンさんに、
「のーさん、きみはぜんぜん食べないねえ」
と言われるのがつらい。食べてるけどそもそも用意した量が多すぎるんだってば。がつがつと食べてるうちに、最初遠慮していたレドワンさんの兄弟たちが料理を食べはじめ、私たちは順にギブアップが許された。

 ルナは4人のなかでは一番アラビア語を話すほうだ。話すっていうか、彼女は子供のように本能で知ってる単語をつなげて喋ってしまう。あとの3人はちゃんとした文法で話そうとするから、ルナよりはちょっとつっかえつっかえ話していた。しばらくルナを中心にアラビア語でみんながおしゃべりを続けていたら、ルナパパが明日の早朝発の飛行機で帰国するっていうんで、ルナと家に戻っていった。


 ルナがいなくなると会話は大半が英語になった。レドワンさんが兄弟たちとの間の通訳になって、そのあと私はしばらく質問の集中豪雨に見舞われた。それからレドワンさんがルツ(楽器)を出してきて、「シリアへようこそ」って自作の曲を歌ってくれた。大家族なんでいちどに写真を撮るのが大変だったけど、記念に撮ったら俺にも見せてくれあたしも見せてって全員でデジカメをたらいまわしにして、電池が切れるまでカメラは戻ってこなかった。結局4時半からお邪魔して、最後は9時くらいまで、みかん食えだのコーヒー飲めだのココアだの紅茶だのともてなしを受け、もとの体重の倍ぐらいになってからやっと私たちは階下のキムのアパートに戻った。

 彼らの過剰とも言えるもてなしのおかげで私たちは翌朝まで胸焼けに苦しんだけど、ここのひとたちはほんとに親切で気立てのやさしい面倒見のいいあったかいひとたちで、
「絶対また遊びにきてね。さっき撮った写真がほしいから言ってるんじゃないよ。毎日でも君たちに会いたいよ」
と名残おしんでくれた。住んでるとこはわずか階段一階ぶん離れてるだけなのに、階段の上まで来て見送ってくれるなんて並大抵の情の厚さじゃない。考えてみればシリアのラマダンの家庭料理やルツ(楽器)などはひとりでただ観光地をまわってればお目にかかれたはずのないものだ。キムに会えてよかった。アパートのみんなに会えて、そしてレドワンさんたちに会えてほんとよかった。ひとつの小さな出会いのおかげで次の出会いがひらけ、次の出会いのなかでまたあらたな出会いがもたらされた。私はわらしべ長者になったような気分がした。

 キムんちの彼らもほんとに気がいいひとたちで、私がいても気を使うでもなし、かといって歓迎しすぎるでもなくて、メールを打つためにパソコン借りにきたり、ウェブメールの使い方や画面の解像度の変えかたとか、私でも迷わず答えられるような質問をしにきてくれたりして、それなりに私がいる生活を楽しんでるみたいだった。

 特にデビッドは私の持ち物に興味津々で、巻き取り式の電話ケーブルやデジカメに入ってるスマートメディアなんかを見ては「日本だねえ」とつぶやいていた。デビッドの持ってるマシンは5年ぐらい前のやつでえらく古いんで、私のマシンを見て触発されたらしい。一度デビッドが突然、
「ほんとにもう君が来ると高くついてしょうがないよ、これで僕は新しいパソコン買わなくちゃいけなくなったろ。それからデジカメも買わなくちゃいけないだろ。ソフトも全部新しくしなくちゃいけないだろ」
って言ったことがあった。もちろん冗談なんだけど、その言い方が、デビッドらしい響きで愉快になった。

* * *

 30日になって私たちはレバノンにむかった。レバノンに無料で滞在できるトランジットビザではレバノンには48時間しかいられない。元旦にシリアに戻るのは日程的にも無理があるので、国境で$15ちょい払って2週間有効のビザをとった。しばらくしてバスがベイルートに着くと、ケンタッキーやマクドナルドとか、シリアでは見られなかったファーストフードがあちこちに見かけられるようになった。海岸通りは椰子の木が並び、気候もダマスカスよりずっと温暖。ホテルにつくとキムと顔見知りのイギリス人のグループがいて、夕食は近所のハードロックカフェに食べにいった。値段もそうだけどこの雰囲気、ヨーロッパの地中海岸とあまり変わりない感じ。ついこの前まで内戦をやっていたはずなのに、短い間にどうやってこんなに立ち直ったんだろうこの国は。

 その晩は散歩してピジョンロック(鳩の岩)と呼ばれる名所を見に行き、宿で遅くまでビールを飲んでから寝た。翌日大晦日は、昼近くなって起きたんだけどイヴァはそれでもまだ寝ていたんで、キムとふたりでマクドナルドに行った。マクドナルドでは、2000年を記念するキャンペーンで2000ポンド(1.3ドル)でビッグマックやチキンマックナゲットが食べられた。

 大晦日といっても日本の、あの、クリスマス以降新年に向けて一気に時間の経つのが加速していくような、さあ新しい年が来るぞ、今日までと明日は違うんだぞっていう焦燥感みたいなものはない。それはこれまで日本を離れてお正月を迎えたことのない私にとって多少ものたりなくはあったけれど、南国めいた海岸でのおだやかな大晦日の雰囲気を、私はゆったりと楽しんでいた。

 マクドナルドで朝ゴハンを食べながら、私はキムの、スペイン人の元彼女の話しをきいた。彼が今日起きてからすでに2回も日本とスペインを言い間違えたんで、彼の心にそんだけ深く残ってる彼女の話をどうしても聞いてみたくなったのだった。
 まず始めに、
「彼女と何語で話してたの?」
って聞いたら、
「英語で話してた、残念ながら」
って彼は言った。
「彼女は最初、英語で自己紹介もろくにできないぐらいだったんで、僕が彼女に英語を教えたんだけど、僕は恋に落ちてたから、それはとても楽しかったよ」
って、彼はその当時を振り返って言った。

どうして「残念ながら」なのか聞くと彼は、
「僕はスペイン語を覚えようとしたんだけど、結局いつも英語のほうがラクだから英語で話してしまって、結局ちゃんと喋れるようにはならなかったんだよね」
と答えた。彼は5年半前はじめて、同じ大学に留学してきていた彼女に会ったのだそうだ。それから1年彼らはつきあって、彼女がスペインに帰ったあとも二人は遠距離恋愛をつづけた。
「僕はときどき学生に戻ったりときどき働いたりしていたから時間は割と自由になったし、彼女は夏休みとか長い休みになれば会いにくるから、時には2,3ヶ月一緒にいたりして僕はこの関係が結構気に入ってたんだ。だって、四六時中一緒にいてケンカばかりしてるひとたちとかよくいるじゃない」
と彼は言った。

   彼女の思い出をいくつか聞いたあと、
「どうして別れちゃったの?」
って聞いてみた。すると彼は、
「実は彼女と別れる半年前にまず僕から別れようって言ったんだ」
と言った。どうしてって訊いたら、
「もう、彼女を、愛してないと思ったから」
と彼はひとことひとこと確かめるように区切りながら言った。
「でも結局そのときはもちなおしたんだ。でも僕が別れようって言ったとき彼女はあらたにアメリカで学ぶ決心をしてしまったんだよね。彼女は卒業したら、デンマークへ来て僕と結婚するはずだったんだけど、結局半年後、彼女はアメリカへ留学してしまった。そして別れようって手紙が来たんだ。いろんなことがあったんだろうね。結局、最初に僕から別れようって言ったのが、間違いの始まりだったんだ」
って彼が言ったので
「今でも間違いだった、って思ってるんだ」
って聞いたら、
「いや、僕はこの人生が気にいってるよ」
と急に笑顔を作って彼は言った。後悔はしてない。だけどなんかキムは彼女のエピソードを夢みるようにとても楽しそうにすることが多かった。彼は心のなかで、まだ彼女と遠距離恋愛をつづけてるのかもしれない・・・なんかそんなふうにすら見えた。

 ちなみに彼は高校のとき、勉強も全然しないでビールばっかのんでたから退学になって、パーティ行ってごろまいたりして1年かそこら暮らしていたのだそうだ。彼はすごくまじめそうなタイプに見えるからこの話はとっても意外だった。そのあと彼はアフリカで植林とかを助ける技術者のための学校にはいったけど、そこでは非常に強いコミュニスティックなイデオロギーが求められたのでそこでもはじけでてしまったらしい。それからしばらくバイトしてたら年末調整が戻ってきたんで、電車とヒッチハイクでイタリアまで下っていった。でも途中でお金がなくなって南フランスにある義理のおじさんの農園を手伝い、おじさんたちが車でデンマークに戻るっていうんで乗せてもらって帰ってきた。この間は彼にとってすごく、いろんなことを考える期間になったんだと思う。それから大学に入るための準備をして、彼はちょっと遅れて大学に入った。彼はやっぱり不器用なひとなんだな、と思う。だけど結局のところ、とても真面目だから、遠回りしてもとの道に戻ってきたんだろう。

 そのあと海岸を散歩し、ベイルート・アメリカ大を抜け、裏通りでインターネットカフェに行った。ここのカフェにはインターネット電話があったんで、私は日本に電話してみることにした。日本はちょうど紅白の終わったぐらいの時間になってた。母がまず出て、それから妹と父にかわってもらった。父と話してるとき、キムに、
「なんか言って」
って言ったら彼が、
「Hello」
っていった。父が、
「いまなんか聞こえたけど?」
っていうんで、いま一緒にベイルートに来てるキムだよ、って紹介した。

インターネット電話の
できるカフェにて

 電話を終えるともうすぐイヴァと待ち合わせの時間だったからホテルにむかった。ベイルートの海岸では太陽がオレンジ色に変わってきていた。コニシ(コルニーシュ)通りの遊歩道沿いの海辺でガードレールに腰掛けて喋っていたら、すぐ近くで子供が爆竹の上ではねまわったり花火を飛ばしたりしていてとても危ない。ここでもいよいよ新年の準備が整いはじめているんだ。なんとなく興奮した雰囲気が町をつつみはじめている。

 日本はさっき電話してまもなく新年を迎えたはずだ。もし2000年問題で何かあったら先に新年を迎えたニュージーランドとかのニュースが入って、さっき電話した時点でもうパニクってたはずだけど、そんな様子じゃなかったから日本でもきっと無事新年を迎えただろう。だけど心の片隅でなにか起こるんじゃないか、っていう気持ちも消えなかった。地球がゆっくりと回りながら、経度の線に沿って毎時電気が消えて暗黒につつまれていく・・・それはとってもこわい想像だ。けど・・・それはとってもキレイであるようにも思えた。多分ひとりじゃないから、そんなこと思えるんだろう。

 突然カメラとレポーターがやってきて、2000年についてあなたが思うことを言ってくださいって言われた。私はカメラに向かって喋れるような英語力じゃないので「喋れないよ」って言ったらキムがふざけて、
「2000年に結婚する予定ですって言っちゃうのどう?」
って耳打ちした。いいよ、って私は言いながら、ニュースステーションで放映されたらどうしよう、とちょっとだけ思った。
だけど、そんなのいらない心配だった。カメラを向けられるとキムは急に緊張して、
「年越しをここで花火でも見てすごすつもりです、願わくは花火に打ち抜かれないように無事新年を迎えたいです」
って言っただけだった。彼らが行ってしまうと、
「どうしてインタビュー受けたのかわからないよ、僕こういうことすごく苦手なのにさ」
と言った。彼らしいと思った。

 宿に戻るとイヴァはロビーで、アメリカ人のガブリエルっていうひととおしゃべりしてるとこだった。ガブリエルは40歳近い世捨てびとで、とっても変わったひとだった。彼とはその後夜明けちかくまで一緒にいたけど、私にだけは名乗りもしなければ、話しかけることもなかった。彼はやっぱりシリアに住んでいるらしいんだけど、シリアには何もないってことを皮肉って、
「シリアで好きなとこはどこか?ベイルートだね」
とか言ったりしていた。キムも彼らに加わって話しはじめたので、その間私はホテルの上のインターネットカフェに行ってちょっとだけアクセスしてきた。日本の友達から、新年を迎える直前と年越し直後発のメールが来ていて、どうやら日本は何事もなく新年を迎えたらしい。大丈夫とは思ってたけどやっぱりちょっとほっとした。

 戻ってきたらみんなで晩御飯に行くことになった。日本は無事だったよって言ったら、ガブリエルがちょっとがっかりしたようなことを言った。ガブリエルは中東の2000年問題の混乱を大いに楽しみにしていたらしい。

 さて年末の晩御飯だからレストランとかで食べるだろうと思ったけど、その予想は大幅にはずれた。私たちはタクシーでショッピングセンターの下のファーストフード街みたいなところに行ったのだ。私はSUBWAYのサンドイッチを買ったけど、ここは正規ライセンスじゃないらしくサンドイッチはなんとなくみすぼらしい。旅の一年をしめくくるにふさわしい夕食と言えないこともなかった。

 そのあとまだ新年まで時間があったのでガブリエルの薦めるカリンカというバーに行き、一晩飲み放題のチケットを買った。ちょうどモスクワが新年を迎えたところで、美しい建物の並ぶいかにも寒そうな広場がめちゃくちゃ明るい照明で照らされて、ばんばん花火が上がるところが映し出されていた。11時45分くらいに一旦外に行きタクシーでコニシ通りに向かうとすごい渋滞だった。路上で爆竹で遊ぶ子供の数が異様に増えてる。遊園地の近くでタクシーを降りるとちょうど屋外ディスコが激しくレーザーで空を照らしはじめた。いよいよ2000年になるんだ。突然ヒョォと音がして花火があがった。花火は次々にベイルートの夜空を照らした。

あけましておめでとう!
ついにここベイルートも2000年を迎えました!


 キムが持ってきたシャンペンを開け、デンマークの新年に食べるお菓子をみんなに分けた。フルーツのぎっしりはいった黒いケーキで、クチにいれるとほんのり洋酒のかおりがして香ばしい。私はひとかけもらってそのあと花火に見とれていたんだけどふと気づくとキムがこのお菓子の最後のひとかけをクチにほおばったとこだった。私が、
「あ」
というと彼は、
「あ、ごめん」
とケーキをクチいっぱいにほおばったままで言った。新年にむけヒゲそったばかりのつるんとしたカオでケーキほおばった表情がやけにかわいい。シャンペンは4人で回し飲みをしてたんだけど、イヴァが「あ、UFO」って空を指差してキムから瓶をとりあげるとキムが「あ、花火」って同じように奪い返したりするんで、こんなことってほかの国でもやってるんだなーと思ったらおかしかった。イヴァがちょっとだけいい気分になって、
「いま家に電話したらなんて言われると思う?『もしもしママ?いまベイルート、ドカンドカン』とかいって」
って冗談いった。



葉巻を吸うキム。後ろでイヴァは
自分の世界に入っちゃってる。
 夜空を鮮やかに照らす花火がしばらく続き、ひときわ盛大な花火が天空を埋め尽くしたかと思うと突然何百?あるいは何千かの風船が海沿いのスタジアムから飛び立った。レーザーが鮮やかに、はるかかなたまで飛んでいく風船の一団を照らし、そうして新年のセレモニーが終わった。私たちはすっかり満足してカリンカに戻った。

 カリンカにつくとキムが、
「うちの方じゃ年越しには葉巻を吸うんだ」
っていうので、バーで1本$10もする葉巻を2本買った。はじめて吸った葉巻はすごくきつくて、翌朝までクチのなかが焚き火の味がした。葉巻は1本で1時間以上もったと思う。私はキムと順番に喫っていたんだけど、最後は早くなくなれ!と思いながら無理やり喫っていた。


 1時になりヴァチカンの年越しの中継が流された。しばらくしてキムにまた「踊ろっか!?」って誘うと彼はまた一瞬たじろいで、それから2,3曲つきあってくれた。実を言えばキムのこのたじろぐ姿が見たくて誘ったようなもんだった。

 イヴァとガブリエルは政治の話とかで盛り上がってるみたいだった。私とキムは酔っ払ってカウンターで紙をもらって箸置きをつくったりしながら飲みつづけてた。バーは盛況で、飲み放題のはずなのにバーテンのおじさんはなかなかこっちに気づいてくれないし、注文してもなかなか飲み物が出てこない。

 退屈してふと思い出した。アンカラで買った2000って書いてあるキャンドルを持ってきたんだっけ。カバンからとりだして火をつけたら、溶けるのが早くて灰皿にどっしりとしたロウのかたまりを作った。そんなときだけバーテンのおじさんは気づいてやってきて、どうしてくれるんだい、って怒られたけど、私たちは酔っ払ってたからあんまり気にしないでそのあともヒマワリのカラを溶けたロウにねじ込んでデコレーションしたりしていた。

 3時過ぎてかなり眠くなり私もキムもしきりとアクビがでるようになった。だけどキムはガブリエルと盛りあがってるイヴァに気をつかって、
「まだ帰れないよ、僕たち(キムとイヴァ)は友達だから」
と言っていたので、朝まで飲みつづける覚悟をした。でもそのうちキムも帰りたくなったらしく、
「ちょっと外を歩く?」
って言い始めたので、
「出ようか」
って言った。キムがイヴァに、
「僕たち行くよ」
って言ったらイヴァは、あそう、じゃあねって言ってまたガブリエルとの話に戻ったんでキムは、
「意外に簡単だったね。僕は彼が『じゃ僕も帰る』って言うと思ってた」
って言った。まったく変な誤解だと思うけど、ヨーロッパ人は「個人主義だから」こんなふうに友達に気を使ったりしないもんだ、と私は思っていたから、彼のこういうとこは私にはとても意外な一面だった。

 コニシ通りの、インタビューをうけたあたりで少し風にあたりながら、私たちはホテルに向かって歩いた。
「今年はキムにとってどんな年になると思う?」
私が彼に訊くと、
「さあねえ、僕は7月までここにいて、アラビア語をもうちょっと喋れるようになって、そいでエジプトをちょっと旅して、スペインに飛んでスペインの友達んとこでちょっと過ごして、それから戻ることになるからだいたい一年が終わっちゃうかもね」
って彼が言った。

「のーさんは?」
って彼が訊くので、
「さあ。出発したときは、2月には日本に帰る予定だったけど、まだ中東までしか来てないから、あと半年は旅行してるんじゃないかな。あとは・・・わからない」
って答えた。10ヶ月以上を経て、私の計算ではもうある程度旅に満足していてもいい頃だった。けど実際にはまだ、これからアフリカに下るところだし、旅の終わりに向けて、決め手になることはまだ全然なかった。

 幸せな出会いに恵まれて、ちょっとだけ、旅の命を延ばしたいと思うようになってきている。旅の命を延ばすためにお金を節約して、何も見ないで通りすぎて行く旅行者になるのだけはイヤだ。だけど、日本で待っている「再就職」とか「生活」とかってことをまだちょっと受けとめたくない気分。私はほんとに、最初に予想したとおり、旅に逃げ込んでるんだろうか。

「私たちって、なんか同じようなところに迷い込んでない?」
私がそういうと、彼は私の言った意味がわかったのかどうか、
「僕は方向音痴だから」
って言った。
 まだ暗い海を見つめながらもうちょっとだけその話を続けて、そして私たちは宿へ戻った。ベイルートを囲む山のむこうから、もうすぐ今年最初の朝が訪れる時刻だった。