私の旅ってひとり旅?
   ノアの目覚ましが鳴る前に目がさめた。部屋にはストーブがなかったんで夕べは異常に寒くて喉が少し痛んだ。でもアンマンからペトラまではまっすぐ行けば3時間くらいの距離だ、観光してもそれほどひどくはならないだろう。でも外は雨。
「雨降ってるよ」
って言うと、
「分かってる」
ってノアがくやしそうに言う。

* * *

 今日のツアーの運転手カリッドと会ったのはおととい、昼ご飯を食べてるときだった。私たちがペトラ遺跡への無料入場許可証がとれなくてがっくりしてたときだ。


運転手カリッド
 インディジョーンズの第3作の舞台でおなじみのペトラ遺跡はヨルダン最大の見所だ。それだけのことはあって、ヨルダンではかなり自信もってめちゃくちゃ高い入場料を設定していた。1日20、2日で25、3日券で30ディナール。ホテルに600円ぐらいで泊まれるこの国で、1日券が3000円ちょいとは貧乏旅行者にはかなりきつい。ところが「地球の歩き方」とかロンリープラネットによると、建築学科の学生は観光省でペトラ遺跡の無料見学許可証が出るというような記述があるんでノアはそれを狙っていた。

 ノアはオクスフォードの院で人類学をやる前に、大学時代は建築学科にいたんだそうだ。それで学位も取ってるし、証明書なんかも持ってきて、それらしく見えるようアラビア語で添え状なんかも書いてもらっていた。しかし観光省に行ってみるとその制度は数年前に廃止になり、もうその許可証は発行されてないってことだった。

 彼はイスラエルにいる間にかなり予算をくってもうすぐ帰らないととか言っていたから、この許可証をどうしてもいそいでとりたくて、そのためにイスラエル国境からもバスを待たずにタクシーに乗ってアンマンに戻ったりしていた。だから、許可証がとれないって観光省で言われたときは、そうとう落ち込んだみたいだった。そういうときに偶然を装って私たちの隣にきた男がその許可証の話をしはじめたんで、私たちはこれこそ天の助けかと思って彼の話にききいった。

 彼の話によれば、彼の知り合いでその許可証の取り方を知ってる女性がいるから、よければその女性に話を聞いてみないかってことだった。彼は人助けが好きなんだって言い、その女性んとこまではタダで乗せていってあげるっていうんで彼のタクシーに乗った。もしキムと一緒だったらこんな話には乗らない。でもノアは中米やアフリカで暮らしていたことがあるぐらいで世間知らずじゃないから、反対しないで私もついていくことにした。

 カリッドはちょっと調子いいおもしろい男だった。「俺は商売人だからよ、俺は商売人だからよ」としきりと言い、自分はペトラとかのツアーをやってるからそれを薦めるためにあんたらに近づいたんだ、って隠しもしないで言った。彼は観光省に似た別の管轄部署にもつきあってくれたけど、そこへ向かう間、車のエンジンがかからないとノアを降ろして車を押させたり、ガス欠になってエンジンかからない車で坂道を下ってガソリンスタンドまで走ったりしてた。彼は彼のタクシーを、
「俺の女房だ。サラってんだ」
って紹介し、サラの調子が悪くなると、
「頼むよかあちゃん、機嫌なおしてくれよ」
って言った。サラはほんとにポンコツで、走ってるうちに後ろのブレーキランプがトランクの中にめりこんでしまうし運転席は斜めについてるし、後部座席は座っているとシートが前にずり落ちてしまうし速度計は回らなかった。

 ほんとなら、許可証がとれなかった時点で、
「その、『許可証のとりかたを知ってる女性』ってのはどうなったんだ」
って思うべきだったと思うけど、私たちは気づいたときには彼とうちとけていた。カリッドは、自分のツアーの宣伝をするものの決してしつこくはせず、かといって私たちがツアーには行かないよって言ってもあきらめて去ってくわけでもなくて、なんだか知らないけどついてきて、ほしいものはないか?必要あったら言えよ、と気さくそうに声をかけたからだったかもしれない。

 私たちはふと気づくと毎食彼と食事の約束をしてしまっていて、朝晩顔を合わせていた。でも、そのうちなれなれしく私の肩やひざをさわるようになったので、私は例によって恋人がいます宣言をし、ものしずかな女の子のふりをしてあまり彼とは喋らなくなった。だけどノアは、
「あの運転手おもしろい男だよね」
って言って、わりかし気に入ってるみたいだった。セクハラなんて断れる立場にある以上はたいしたことじゃないんで、とりたててノアに言ったりもしなかった。そしたら2日目の晩ごはんたべてるときに、カリッドのもとにオーストラリア人カップルが現れた。

 このカップル、私を見ると、
「あら」
「やあ」
と声をかけた。なんと、私がイスラエルにいたときに死海を見に行くツアーで一緒に参加してたひとたちだった。ノアがそれにも増して親しそうに話してるんで訊いたら、
「彼らトルコにいたときに会って、それからシリアにいたときにも会ったんだ」
って言った。とにかく旅びとの世間というのは狭いんだ。

 カリッドは、
「この二人は明日ペトラまでの道のり、キングスハイウェイっていう道上の見所をまわるツアーを予定してるんだけどおまえたちも乗らないか?そしたらひとり10ディナールになるぞ」
と言った。ノアが、
「ヌーサン、どう思う?」
って訊いた。私はカリッドのポンコツがちょっと気になったけど、明日にはペトラに行く予定だったし、ペトラに行くにはバスでもどうせ3ディナールかかることを知っていた。差額7ディナールは日本円にして1000円ぐらいのもんで、それで見所がひととおりまわれるなら安いもんじゃないかと思った。それで私たちはこのツアーを組むことになったのだ。

* * *

 朝ゴハン済ませて集合時間の9時に約束のレストランに行くと、幸い雨はだいたいやんでた。例のオーストラリア人のカップル、カレンとマークも朝ゴハンを終えてもう約束の場所に来ていた。9時ってのはまあそういう時間だ。だけどタクシーに乗って走り出したら、まもなくカリッドが朝ゴハン食べるというんでレストランに停まった。何で早起きしてわざわざ食べてきちゃったのかしら、とカレンとマークが顔をみあわせた。

 彼が食べ終わるのを待ってる間にカリッドが私に、
「ロザンナ、マダバみたいだろ?」
って訊いた。カリッドは私の名前がノから始まることがどうしても覚えられないみたいでいつも私をロザンナと呼んでた。

 マダバはこのツアーで2番目に訪れる予定の場所で、モザイク画が床に100mにわたって描かれてる教会があるんだそうだ。でも私はさほどって感じだった。っていうのは、昨日私がアンマンにいる間にノアはバスを使ってここに行っていたし、カレンとマークもすでに行ったって言っていたからだ。
「今日のツアーはおまえたち次第だ。見たいところはどこでも寄れるし見たくなければ素通りしてもいい。何でも俺に言え」
ってカリッドは昨日言っていた。もし見所を1ヶ所省けば1ヶ所見れるところが増やせるってことになるだろう。

 ほかのひとが見たとこをわざわざ待たせて見に行きたいってほどモザイクの床に興味はなかったんで私は、
「別に」
って答えた。そしたらカリッドは、
「別にってこたあないだろ。すげえきれいだぞ。100mもあるんだぞ。ほかのみんなが見たからって遠慮するこたぁない。見たければ見たいって言え」 ってせっついた。カレンたちも、
「気を使わなくていいのよ。モザイク結構よかったわよ」
って言ってくれて、私は積極的に断る理由が見つからなくて、
「じゃあ行こうかな」
って言った。

 マダバの前に、まずネボ山っていうとこの教会についたのでノアと私だけ降りて中を見に行った。ノアが教会の前に立ってるラテン語の碑文の意味を教えてくれた。彼は高校で4年もラテン語をやったんだそうだ。

 教会のなかでノアが、
「ここで写真とってもいいと思う?」
っていうんで、まわりをみわたしたけど撮影禁止の札は見当たらなかった。


ネボ山の教会
「いいんじゃない?」
って言ったあと、ノアが撮ってるときにラテン語の文字の入ったモザイク石版の展示品を指さして、
「ああっここに写真撮っちゃいけないって書いてある!」
って言ったらノアがへへへーって笑って、
「おもしろいねヌーサン!」
って言った。

 外に出ると曇りだけどかろうじて死海が見えた。ボードにこっちの方角がエルサレム、こっちが死海、こっちがベツレヘムって書いてあった。雨あがりの空はぼんやりと霧がかすんでイスラエルのほうの山までは見渡せない。あの向こうにキムがいる。ベツレヘムの方角を指さしてノアに、
「キムが見える」
って言ったら、
「ほんとだ」
ってノアが言った。
「まだ寝てる」
っていうと、ノアはまたへへーって笑った。

 言わなくてもノアは私がちょっとカリッドを避けてるのを知っていた。タクシーに戻るとき、
「マダバの教会、見たい?」
ってノアが訊くから、
「さほど」
って言ったら、ノアがカリッドに、
「教会は別に見なくていいって」
って言ってくれた。そしたらカリッドが、
「さっきは見たいって言ったのにどうしてだ」
ってまたせっつくので困ってしまった。山の上は寒かったので、私は、
「寒いから」
とだけ答えた。別に見ても見なくてもどっちでもいいんだけど、興味ない、とか、見たくない、とかっていってしまうと「よかったわよ」って言ってたひとたちに失礼になるような気がした。ほかに見たいものでもあれば「はやく切り上げてコレに行きたい」って言うこともできたろうけどあいにく「地球の歩き方」の記述はこの地域にあんまり詳しくなかったんで、その理由は使えない。私に決断権があるなら「寒いから」でじゅうぶんだろう。そう思ったけどカリッドはその理由に不服だったみたいだ。
「なんでコロコロ言うことを変えるんだ」
といって不機嫌そうになった。さっき行くか行かないかは私次第だって言ったじゃないの。さっき寒くなくてもいま寒いってことはあるでしょ。何が気にいらないのさ、と思った。

 

カフィーヤをかぶって
 そのあと地層の見えた乾いた山の間を縫ってしばらく行ったら、カリッドの友達がやってるカフェがあるっていうんで、景色のいい山の上のカフェに行った。ひとなつっこい犬4匹と機嫌のいいでっかい猫がいて、お茶もそこそこにしばらくあそんでいた。おみやげのカフィーヤを売ってたんで、かぶった姿で写真を撮ってもらった。マークは旅の予算半分つぎこむんじゃないかってぐらい写真をとるひとで、私が猫を抱いてるの見て、
「撮っていい?」
っていってカメラを向けたけど、角度からいって多分猫しか撮ってなかったと思う。カフィーヤをかぶった日本人のほうが、ただのでっかい猫よりおもしろいと思うんだけど。

 「これまでフィルム何本くらい撮ったの?」
訊いたらカレンがあきれて教えてくれた。マークは、出発してからの4ヶ月で47本も撮ったんだそうだ。私は、彼のカメラがフィルムを巻き戻す音を今日だけで2回聞いた。ちなみにカレンの弟が仙台でサッカーやってるんで、彼らの旅の出発は日本からだったらしい。東京では秋葉原のホテルに泊まったって言っていたから、私そのへんで働いていたよっていったらカレンは、
「あそこってほんとすごいわよねー!楽しいわよねー!」
って興奮していた。日本には10日ほどいたらしい。

 その喫茶店にしばらくいて、最後にはカリッドが話をきりあげるのを全員が待ってるような感じになって、やっと出発することになった。そのあと山の上のカラク城を訪れ、レストランで昼食をとった。
カラク城

 昼食後走り出すと葬式の行列のせいですごい渋滞で、カリッドの車はわき道へそれた。そのとたんにカリッドは車をいきなり道の真中に停め、おみやげ屋に入っていった。豪快っていうか迷惑っていうか・・・。カリッドは店頭にあった銅版画が気に入ったらしい。値段を聞いたら、ツーリスト用だと思ったらしくて150ディナール(25000円くらい)とふっかけられたそうだ。俺のだって言ったら30か40とか言われたんだって。そうか、ツーリストだと4・5倍ふっかけるのか。交渉する間もなく後ろの車がクラクションを鳴らし始めたのでカリッドは戻ってきた。そしてまた走り出した。

 しばらく行くったら、こんどカリッドは突然車を修理工場に入れた。どうもどっか故障したみたいだ。っていうか、この車この前からほとんど自力でエンジンがかからない状態だったんだけど、問題はバッテリー自体というより、バッテリーのすわりが悪いらしい。ボンネットを開けてバッテリーを鉄の棒でたたきこんでいたらエンジンがかかるようになった。その間また数十分足止めされた。今日は車内が狭いのでパソコンをトランクに入れていたんだけど何の用だかしきりとトランクを開け閉めする音がするので不安だった。おまけにトランクは鍵がしまらない。それどころかどこのボタンも押さなくてもふたを上にあげるだけでトランクは開いた。トランクに入ってる荷物は偶然無事みたいなもんだ。私は後ろのほうで音がするたびにやきもきした。

 カリッドはペンチを車の屋根の上に置いたまま走り出したらしい。そのあとガソリンスタンドでガスを入れてるときに「おお、置きっぱなしだった」とかいってペンチを運転席のドアポケットに放り込んだ。ノアが、
「返しにいく?」
って訊いたら、
「いやいいさこんなもん」
ってカリッドは言った。

 カリッドはあちこちで「おーう元気か?」「よーう久しぶり」って羊飼いやら管理人やら警察官に会うたびに降りていっては立ち話をした。ヤツが降りていくたびにカレンが、
「またなの?いいかげんにしてよ」
ってつぶやく。ヤツが私らを観光につれてきてるのか、ヤツの里帰りに突き合わされてるのかわからない。そのたびに私たちは10分かそこら待たされるのを余儀なくされた。まだ道のりは半分ちょいぐらいしか来ていないのにもう3時を回っていた。

 そのうちカリッドが、
「この丘の上におれんちのベドウィンキャンプがあるんだけどここのじいさんに会いたいんだ。お茶ぐらいごちそうになれると思うけど行くか?」
って言った。これ以上里帰りにつきあわされるのがいやだったので全員顔を見合わせたらヤツは、
「そうか、ほんとなら寄っていきたいとこだし、行けば写真もとれるし、見ればおもしろいとこなんだがおまえたちが行きたくないならしょうがない」
といって走り出した。かなり私たちを責めてる口調だったのが不愉快だったし、「写真が撮れる」って言うことで、マークの気をひいてウンと言わせようとしたところがなんかみんなカチンと来てたと思う。車内はなんとなく気まずくなった。そうこうするうちに日が落ち始めて、マダバに行かなかったにもかかわらず、キングスハイウェイの見所の残り4つぐらいは行けそうもなくなった。カリッドが、
「『タフィーラ』を見たいか?」
って言ったけど、
「もう暗くなるし・・・」
ってカレンが言ったんで、結局町を素通りしただけだった。

 『ダナ』の町が近くなる頃には完璧に日が暮れて、真っ暗になった。だけどダナの手前でカリッドは、
「ダナに知り合いがいるんでちょっと寄っていかないか?お茶ぐらい飲めると思うしいいところなんだ、10分かそこら」
って言った。かなり機嫌が悪くなっているカレンや私には訊かずにノアや、マークにだけ訊くところが感じが悪かった。しかも彼は、
「行きたくないっていうんだったらそこでおしまいだ、このあととっとと走ってあとはペトラに行くだけだ」
って、断ったらさもこっちが気を悪くして彼と縁を切りたがってるみたいに聞こえる言い方をしてイヤと言えない状況をつくりだしていた。私はイヤって言おうかと思ったんだけど、やっぱ悪者にされそうなあの言いまわしがこわくて言わなかった。そんなんで、とにかくマークとノアが「まあ行ってもいいんじゃない」みたいなことをしぶしぶ言ったのでカリッドは暗い道をダナへまっしぐらに下り始めた。

 ダナは感じのいい古い町だった。正確に言うとすれば、日が落ちる前、こんなに寒くならないうちに来れば、いい写真も撮れただろうし町の雰囲気をたっぷり楽しむことができたかもしれない。ヨルダンという国自体は、第2次大戦後にイギリスの委任統治下になるまではほとんど影も形もなかったところなので、独立後に建てられた家々は、まがりなりにもヨーロッパ型の素材を使った現代的な建物が多い。でもここは小さい町ながらも建物は石造りだしこの地方独特の歴史の感じられる家並みを見ることができた。町の後ろには高い山がそそり立ち、反対側のはずれにはどうやら谷川があるみたいに見えた。
「わーすごい眺め!・・・だったかもね昼間に来たら」
ってカレンが気がぬけたように言った。

 谷川らしきものを暗闇のなかでなんとなく認識して戻ってきたら、カリッドは地元のひとの家の戸口でなにやら喋っていた。そして、
「お茶でも飲んでいきなよ俺の知り合いんちなんだ。いいだろ10分かそこら」
って繰り返した。家の中は薪を燃やすストーブがあって、土間だけどあったかだった。家にはいたずらな10歳ぐらいの男の子と目の大きいかわいい妹、それからちょっと年とって見えるお母さんと白いひげのお父さんがいた。中に入ったけどなんか変な雰囲気で、お茶はしばーらくたっても出てこなかった。ストーブとお父さんのターバンが気になって、写真撮らせてもらおうとしたら、
「おしゃべりして楽しんでからだ。あとあと」
といってカリッドに制された。えっ、10分ぐらいで帰るんじゃなかったの?


ベドウィンのうちの子供たち
 両親はそれほどでもなかったけど子供たちは外国人が来るのが楽しいみたいで、特にカレンは女の子にとっても歓迎を受け、髪を櫛でとかされたり、英語を教えてくれってせっつかれたりして大変だった。この子はすごいかわいい子で黒い瞳をくるくるさせながらひとの顔をのぞきこむので、カレンは夢中になって英語を教えたりアラビア語を書きとめたりしていた。マークはその間することもなく映りの悪い白黒テレビ眺めたりしていた。私は男の子が私の荷物に興味を持って手を出そうとするのを制して興味の矛先をそらそうと努力をしていた。ノアもなんとなくぼーっとカレンのほうを見ながら所在なさそうにしていた。

 カリッドが、
「彼らが飯食っていけって言ってるよ」
と言い、カレンがそれもいいわね、って言ったけど食事は出てくる様子がなかったんで、これってやっぱ歓迎されてる感じではないよなーと思った。

 カレンと女の子の通訳をしながら時々カリッドが、
「どうだい楽しいだろう!?」
って言い、マーク、楽しんでるか?ノーサン、疲れたか?ノア、元気か?と声をかけた。みんなは「もちろん」とか「元気さ」とか答えたけど、当然「いやつまらないよ」とは言えない状況だった。盛り上がってないの、わかってるんだろうに。でも私も「平気よ」って答えた。

 カレンが、
「これってとっても素敵な経験だわ」
って言って持っていたペンを妹のほうにあげた。妹だけずるいっていってお兄ちゃんがマークにせっつきはじめたので、カレンは別のペンを出してお兄ちゃんにもあげていた。お兄ちゃんがまだマークにからんでいるのでカレンはバッグからスニッカーズみたいなお菓子を出して、お兄ちゃんと妹それぞれにあげていた。

 さっきまでカレンが一番機嫌悪かったから、ここで彼女だけでも楽しめてよかったかな、とちょっと思った。それにしてもさっきの車の中からカリッドがひっきりなしにタバコを喫っていたせいで、喉の腫れが大きくなったみたい。やめてって言えばいいんだけど、言いだせなくてずっと我慢していた。

 カリッドは両親と話を盛り上げるために、あるいは、盛り上がってる雰囲気を演出するために、なんかむきになってる感じだった。私とノアは途中からチャイを断りつづけていたんだけど、カリッドはそのうちなんか、ここに前に連れてきたオランダ人の女の子たちのことをくりかえし話すようになった。カリッドは直接には私やノアには話してなくて、こっちに背を向け、カレンにだけ説明しているみたいだった。オランダ人の彼女たちが泊まっていったときに何を見に連れていってやったんだとか、このあたりにあったかい設備のいい山小屋があって朝はすごくきれいだぜとか説明しているのが聞こえる。
「よかったら泊まっていかないか?楽しいぜ、彼らも歓迎してくれるって言ってるし」
とカリッドは繰り返し繰り返しカレンに説明している。そうか。オプショナルツアーの商談に入ったんだ。

 カレンが小さい声で、
「でもほかのひとに聞いてみないと」
って言ってるのを訊いてノアが、
「なに?何を決めようとしてるの?」
って言ったらカリッドが、
「2分待って。いま説明するから」
といってまたカレンに山小屋の夜明けがどんなにすばらしいか説明し始めた。さっきからずっとそうだ。ノアが、
「彼らはなんて言ってるの?」
って訊いても、
「2分待って。いま説明するから」
でカリッドはカレンに決断させるのにかかりきりだ。


家のご主人(右)と、
奥さんが3人いるお金持ちのおじさん(左)
 そのうち近所の、奥さんが3人いるっていうお金持ちのおじさんやおばあさんが尋ねてきた。お金持ちのおじさんは昔ながらの装束を着ていて、このひとが来るなりマークがカフィーヤをかぶせられ、アラビアのロレンスに変身した。そのあとやっとカリッドから写真をとる許可がおりた。なんでさっき「あとでだ」って言われたかなんとなくわかった。どうやらこのおじさんは、写真撮影のために呼ばれてきたんだ。

 ああ、これってよくある手だ。ツアー料金をすごく安くしておいて客をつかんで、なんかの不備で時間稼ぎをしてオプショナルツアーを買わせるっていう。カリッドの計算じゃ、ベドウィンのテントに連れていってこの商談をするつもりだったんだ、多分。それで私たちが行きたがらなかったから、機嫌悪かったんだな、と思った。カレンを責めるのはお門違いなんだけど、カレンは4ヶ月も旅をしていてこんな用意された出会いが本当に楽しいんだろうか、と思ってしまった。

 呼ばれてきたひとたちが全員タバコを喫うもんで、唾がのみこめないぐらい喉の腫れが大きくなってきた。さっきまであったかかったのになんか歯ががちがちいう。ここに来てからもう2時間経ってる。ノアもなんか調子わるそうに眉をひそめているんだけど、私の異変に気づいて、
「ヌーサン大丈夫?」
って声をかけてくれた。
「なんか風邪ひいたみたいだよ」
って言ったら、
「タバコのせいじゃないかな?僕も喉が痛いよ」
って言った。それで、カリッドが元気か?って10回目ぐらいに訊いたときにノアが、
「ちょっともうそろそろ切り上げたほうがよくない?ヌーサン風邪ひいちゃったって」
って言った。私ももうつきあいで笑っていられなくなったので、
「ごめん喉が痛くなっちゃって」
って言ったらカリッドは、
「そうか、風邪ひいちゃったのか?薬は持ってるか?ちょっと待てあと30分か1時間で出発するから」
って言った。ふえー30分か1時間?でも反論する元気もないし、カレンたちが泊まるかどうするか決めるまで黙ってることにするか、と思っていたらノアが、
「いやもう彼女かなり具合悪いみたいだし、遅くなったから出発しよう」
って言った。ノアはちょっと怒ってる感じだった。それでカリッドもついに気づいたらしくて、
「ちょっとまてあと3分な」
といって、でもまた長いこと家族と挨拶して、カレンに、
「あしたまた来よう。彼らは歓迎してくれるって言ってる」
って言って立ちあがった。

 それからタクシーに乗って、来た道を登る間に彼はまた2回、知り合いとの挨拶に出て行った。
「俺は友達が多いんだ。行った先々でみんなが俺を歓迎するんだ」
が彼の口癖だった。ほんとに彼を歓迎してるように見えるひとも、まあそれなりにいたことはいたけど、中には「なんだこいつテンションたけえな」って顔でしぶしぶ挨拶してるように見えるひともいた。カリッドは道行くひとに無理やり挨拶して、自分がいかに歓迎されてるかってことを証明してるようにも見えた。

 1時間ぐらいして私たちはカリッドの薦めるホテルについた。私は歯の根が合わないのでノアと一緒に自動的にドミトリーに運ばれてきた。ところが私が荷物を開いてる間にノアがどっか行ってしまった。刷り込みされたアヒルの子じゃあるまいしお母さんみたいにノアを探すなよ、と自分で思いつつロビーに出てみると、建物の外でノアがカリッドになんか話をしてるのが見えた。ノアはかなり怒ってるようだった。

 しばらくしてカリッドが戻ってきた。チェックイン手続きのときに彼らの話の始まりを目撃してたみたいで、カレンとマークも同席して食堂に入りなんか話し合いが始まった。カリッドがツアーの時間をちゃんと考えずに自分の行きたいとこばっかり行ってたんでノアが怒ってるのかと思ってたら、ノアはどっちかっていうと、オプショナルツアーの商談に執心して私が具合が悪くなったのにまったく配慮しないでいたことのほうに腹をたててるみたいだった。

 カリッドは、
「具合が悪かったなら言えばいいじゃないか。俺は何度も元気か?ハッピーかって訊いたろ?」
って言った。ノアが、
「あの状況で、あんたの『友達』が大勢いる前でハッピーじゃないって言えると思うのか?あんたが言えない雰囲気にしてたんだろ」
って反論すると、カリッドは、
「まず俺の話を聞いてくれ」
って言い、いかに自分が正しいかっていう演説が始まった。
「俺はご存知のとおり結婚してないけどな、これまで2年半一度も女に手を触れていない。その前は女・女・女の人生だった。だけどそんなのは空しいと気づいてママに誓ったんだ。俺はこれから仕事一筋に生きる。友達を助けるために身を粉にして働くって」
から始まり、
「そしてロザンナと会ったんだ。覚えてるだろ?一昨日のことだよ。ロザンナは俺の写真を撮ってホームページで紹介してくれるって言った。彼女が俺の仕事の手助けをしてくれるっていうなら俺も彼女になにかしてやりたい」
とつづき、
「俺はこれまでで生涯に一度だけ忘れられない日本人の女の子がいる。俺は彼女のためになにかしてやりたいと思って彼女を砂漠のホテルに連れて行った。そして一緒の部屋で寝たんだ。だけど一晩中彼女に指一本ふれなかった。どうだい、わかるだろ。俺はまちがったことはただひとつだってしないんだ」
というよくわからない論法で彼の話はしめくくられた。

   ノアが話そうとするたびに彼は、
「2分だけだ。これだけは言わせてくれ」
といって際限なく同じ話を続けた。彼がその話をしている間に従業員がなんかメモを持ってきた。
「お世話になりました。とっても楽しかったわ。帰ったら写真を送るから楽しみにしていてね。ノナ」
と書かれていた。カリッドは英語が読めないんでマークに読んでもらって、それから、
「ノナ?ノナ・・・・誰だったかな」
と従業員に聞いた。従業員が、
「イタリア人だよ」
って答えた。そのあとカリッドは手を打って、
「ああイタリア人のあの娘か。このまえホットスプリングに連れて行ってやった。ああ、あの子がメッセージをね。そう」
と言ったあと、
「これを見ろ!ほら誰もが俺に感謝してる!俺が悪いやつだったらこんなことを書いてくれる子はいないはずだろ。俺はこうと決めたらまっすぐ道を曲げない人間だ。みんながそれを買ってくれてるから俺はどこにいっても歓迎されるんだ」
 何度も折り返された跡のある紙で、私はなんとなく、これはなにかあったときに持ってくるよう話ができてるんじゃないかと思った。なんかできすぎたタイミングだった。

 ノアは彼の同じ話を全体で2回ぐらいずつ訊き、これ以上新しいことが出てこないとわかると、
「いいかい、2分2分って言われて僕はかれこれ20分君の話を聞いてる。そろそろ僕に喋らせてくれ」
って話しはじめた。
「だいたいあんたの話は『女には手を触れてない』とか『誰があんたを歓迎してる』とか『誰が自分を好きだ』とかそんな話ばっかりだ。あんたはいつも自分がどんなすばらしい人間でどんなに立派ですごいかってそんなことばかり言ってる。だけど結局あんたは自分のことしか見てないんだ。今日ヌーサンが具合が悪くなったときに、大丈夫よ、元気よって言いながらどんどん元気がなくなって行ったのを知ってたか?あんたがほんとに彼女を助けたいと思って、彼女のことを見ていたらちゃんとわかったはずだよ」

 するとカリッドは話を私に振った。
「俺はなにか悪いことをしたかいロザンナ。君は今日楽しくなかったのか?俺の仕事はじゅうぶんじゃなかったかい?」
って訊いた。
 ほんとは言わないつもりだったけど、ここで、
「いや楽しかったよ」
なんて言ったらノアの立場がない。キングスハイウェイの半分しか見れなくてひどいやと思っていたこともある。思いきって、
「正直言って今日は失望したよ」
って言った。
「どうして」
ってカリッドが言うので、
「行くべきところに行かないで、修理工場や朝食や友達への挨拶につきあわせたからでしょう」
って言った。ノアは私のことで怒ってくれてたけど、私は具合悪いって言おうと思えばいつでも言えたわけだから怒る筋合いじゃなかった。だけど「女には手を触れない」って言いながらぺたぺた触る彼、「おれは仕事に生きる男だ」って言ってるわりにはやってることが中途半端な彼が許せなかったのだ。

 でも彼はしらばっくれて、
「どうしてそれがいけないんだ。車が故障するかなんて前もってはわからないし、腹が減ったら飯を食うのはあたりまえだ。友達んちの近くを通ったら挨拶しようって思うのは人情だ。そんなの俺の勝手だ」
って言った。それは矛盾してる。ひとのために仕事をするって言っておいて、それじゃ仕事に名を借りて好きなことやってるってことじゃないか。それに予定してたとこに行けなかったんだから仕事だって完遂してない。と言えたら言いたいと思ったけどそれは言葉にならなかった。ノアは、
「そんなの自分勝手だと思わないか?」
とだけ言った。

カリッドは、
「おまえは俺のやった仕事にいちゃもんをつける気なのか?いままで俺はこの仕事を2年やってきて文句いわれたことは一度もねえ。みんな満足していったんだ。それは俺が彼らのためを思って心から努力した成果だ。俺をけなすヤツはゆるさねえ。俺はまちがったことはひとつもしねえ男だ」
といきりたった。
「あんたが『みんな満足してる』って思ってるのは、みんながほんとに満足したかどうか見てないからだよ。現に僕らは満足してないのに、あんたはそれを理解しようとしてないじゃないか」
とノアが言うとカリッドは、
「わかった。今日のことは忘れてくれ。俺たちの間はもうこれで終わりだ。俺は俺の友達のうちに今日おまえたちを友達として連れていった。ふつうベドウィンはな、お客が来たときは奥さんが旦那の隣に座ったりはしないんだ。だけど今日おまえらは奥さんが旦那の隣に座っていたのを見たろ?それは俺があんたらを俺の友達だって紹介して、ひいては彼らがあんたらを自分たちの友達だってみとめたからだ。だけどおまえは俺のやった仕事にケチをつける。だったら俺はもう友達とは思わない。俺のことは忘れてくれ。おまえがユダヤ人みたいなやりかたでくるなら、俺はおうおまえとはかかわりたくない

「なんだって?」
ノアの声が少しだけかわった。このときにヤツは気づくべきだった。でもカリッドは続けた。
「ユダヤ人みたいなやり方で俺に近づくなっていったんだ。ヤツらはいつもそうだ。今日友達になりましょうって握手をしても、明日には裏切ってサヨナラだ。奴らはそういう人間どもだからな」
「あんたは僕がユダヤ人じゃないと思ってるんだろうが」
ノアが言った。
「そうとも」
カリッドが答えると、ノアが言った。
「僕はユダヤ人だ。僕の身内がなんだって?」
カリッドはそれには驚かなかったふりをして、
「ユダヤ人ふうのやりかたで俺に近づくなってことを言ってるんだ」
と言ったけど、彼はそのあとしどろもどろになっていた。彼はほんとにノアを怒らせてしまったみたいだった。

 けど、ノアは完全に頭に血が上った、という感じではなかった。彼はひとつひとつのことがらをあげ、それがどういうふうにほかのひとにとって不愉快か、彼がどういうふうに彼の仕事をこなすべきだったか、怒っていたけどちゃんとひとつひとつ話した。カリッドはそのたびにとぼけたり、カレンに応援を求めたり、マークを仲間にひきこんだりしようとした。時間の無駄だ。彼はビジネスが成功してると思ってるみたいだから、それは失敗だったってことをわかってもらわないと全体がわからないと思い、私は昨日カリッドからもらった、誰かの手書きのツアーの一覧を持ってきた。彼が実際にどことどこに時間を使いすぎてどことどこに行けなかったかちゃんと数を数えて確認してほしいと思ったのだ。

 彼が理解してくれないなら、行けなかった場所の数を計算して払い戻しを要求するつもりだった。私は「日本人はやさしいから好き」という言い方できれいなオブラートにつつんで食い物にするヤツがキライだ。いいかげんな扱いを受けたときにNOと言ってちゃんと仕返しをしていく日本人もいるってことを示しておきたかったのだ。

 そしたらカリッドは、
「その紙は俺んだから返せ」
と言い出した。私は、
「もらったもんだから返せない」
と言ったけど、
「おまえと俺はもう終わったんだからもうおまえは友達じゃねえ、だからそれはやれないから返せ」
と言った。私は意地でも返さなかった。するとカリッドは、
「それを使ってインターネットに俺のことを載せようっていうんだろう」
って言い始めた。
「もし私たちの言うことを心を開いて理解してくれたら載せない。でももし理解しようとしないなら多分載せるよ」
って言ったら彼は、
「俺のことはどう書こうと勝手だ。俺はただひとりでも俺のツアーに満足しないやつがいたらもうこの仕事はやめる。俺はパスポートを持ってるからどこでも行けるんだ。来年にはヨーロッパでタクシーの運転手を始める。おまえの国にだって行くぞノア。おまえは来年ぐらいにおまえの町でタクシーを運転してる俺を見ることになるぞ」
彼はそれが脅しになるとでも思ってるかのように誇らしげに言った。
「だけどな、俺の友達に迷惑をかけるのはゆるさねえ。俺が書いた住所はレストランのだから、それがインターネットに載ったらレストランに客が入らなくなるだろう。それだけはやめろ。俺は俺のせいで友達に迷惑がかかるのは我慢ならねえ」
彼はこんなときだけ友達思いになった。

 まだしばらく話は続き、彼はそのあとも数回「女に一本も指を触れてない」という話を繰り返した。でも彼があまりにわからずやなので私はしまいには払い戻しとかいう話をするのもめんどくさくなってしまった。お金返してもらったところで彼は誠意までは返してくれない。このひとはとてもうぬぼれていて、私がどういったって変わらないんだ。それなら彼の何が悪かったかなんて説明するのはやめて、「地球の歩き方」に投書でもしたほうがマシだ。ノアもあきれて最後にちくりと、
「わかった、あんたが理解する気がないのはよくわかったよ。今日はツアーそのものは僕は非常に楽しんだよ。感謝してる」
といって立ちあがった。カリッドは単純な男だから、多分このひとことでノアも「満足したお客」のひとりに計上したことだろう。私はそれを言う気にはなれなかったんで、
「さよなら」とだけいって立ちあがった。

 カリッドは、
「ちょっとまてフレンド」
と言って私をひきとめたけど、内心「フレンドじゃないって言ったとこじゃんか」と思って振り向かなかった。でもそのあとカレンたちにイヤな思いをさせたな、と思って食堂に戻ってお詫びを言った。カレンたちは、
「気にしないでいいよ、私たちも言いたいと思っていたから」
って言ってくれた。カリッドはもう一度私をひきとめたけど私はシカトして部屋に戻った。

 洗面所でノアに、
「今日のベドウィンのひとたちはただの『親切なひとたち』だと思う?」
って訊きかけたら彼から逆に、
「あのさ、きみあのひとたちに興味あった?」
って訊かれた。
「ううん、私あのひとたちは商売でやってると思う。よくある手だよね多分、地元のひとんちに連れて行って触れ合いを演出して泊まらせておいてあとでお金とるっていう」
って言ったら彼も、
「僕もそう思う」
って言った。
「ただ、さっきそのことを暴露することはできなかったよ。カレンたちにイヤな思いをさせたくなかったからね」
って彼は言った。

 今日話し合いになったとき、カレンたちはどっちかっていうときょとんとした感じだった。多分カレンたちは最後の出会いをほんとに楽しんでたんだと思う。たしかにそうだ。もし私とノアも、彼らの歓迎がニセモノだと思っていなかったら、
「最後にいいところへ連れていってもらって楽しいツアーだったね〜」
で終わっただろう。カレンたちは、明日ダナの町へ戻って彼らの山小屋に泊まるって計画もあったみたいだけど、それは結局見送ったようだったんで、彼らの歓迎の裏にどういう期待があったか知ることはこの先もずっとないだろう。でも私とノアだって、ほんとに裏があったかどうか、それはこの先もずっとわからないことだ。

 彼らにわかってもらうために、
「あのひとたちほんとに歓迎してくれてたように見えた?」
って言う必要はなかった。そんなのは自分の立場を弁解するだけのことで、見苦しいことだ。だけど結局カリッドにクレームつけてしまったことで、彼らには不愉快な思いをさせた。多分カレンたちには、どうして私やノアが怒ってるのかわからなかっただろう。彼らだけがあの家で歓迎を受けて、私とノアがとりのこされて、おまけに具合悪くなったから怒ってる、と思ったかもしれない。

左から、カリッド、カレン、ノア、マーク

 でも何も言う必要はない。もうなにも変えられないから。ただ、イヤな思いをさせたことを謝ることしかできなかった。

 私はノアにも謝っておきたかった。私は自分が悪者になるのがイヤさに意思表示を先延ばしにした。そいで、結局彼に頼ってやっと自分の意見を言った。一番悪者になってしまったのは彼だ。翌朝起きて、同室の女の子たちが食堂に行ったのをきっかけにノアが、
「昨日は眠るの大変だったよ、僕あいつにはすごい怒っちゃってさ」
っていった。
「ごめんね、私が意思表示をちゃんとしないで黙ってたのがいけなかったんだよ」
って言うと、私を気遣って
「君のせいじゃないよ。彼が悪いんだ」
ってノアは言ってくれた。

 でも私はひとつ疑問に思うことがあった。ノアが、彼をどうしたくてああいう席を設けたかわからなかったのだった。
「ノアはさ、彼にどうしてほしかった?謝ってもらったらよかったと思う?」
って訊いたら、
「うーん、分からないよ。僕バカなんだよね。誰かが気に入らないことをしたら言わないと気がすまないっていうか。きわめてアメリカ的な性格だと思うんだけど」
って彼が言った。

 ペトラは高低差の激しい遺跡群で、体調が万全でないときにまわろうとするとちょっとキツい。私はまだ調子が悪かったんで一日ペトラ観光を延期することにするよって言った。彼はわたわたと歯を磨き、
「ヌーサン、部屋で大人しくしてなよ。僕のものを盗るなよ。オレンジを食べてビタミンCをとれよ。オレンジは皮ごとリンゴみたいに食べるんだぞ」
ってふざけて言って出ていった。ノアはいいやつだ。アタマも切れるし、やさしいし、強い。

 毛布にくるまりながら、私はほんと誰かに頼ってばっかしだ、と思った。いつか誰かの役にたちたい、いつかいつかと思いながら、誰かに助けてもらったり頼ったりしてばっかしだ。イスラエルからヨルダンのアンマンに戻ったとき、久々に自分のサイトを開いたら、掲示板に誰かが「いまのあなたは甘えすぎ」って書いていた。ぎくーっとするひとことだった。ヴェルサイユでお世話になったユウコさんがフォローしてくれていたけど、確かにこのところ私はフォローに値しないぐらい甘えてる。読んでがっかりしたって言われるのはとてもつらい。でもそれは、もちろん私に原因があるんだ。

「こんな旅をするために世界一周へ出たワケじゃないでしょ?」
と、そこには書かれていた。
 こんな旅。こんな旅・・・。私はどういう旅をするつもりだったんだっけ。そう、旅に揺さぶりをかけてもらって、もっと成長したかったんだ。なんでもいいから私をつつんでいた厚い殻から飛び出したかったんだ。それなのに旅のさなかにありながら、誰かを頼って新しい殻にくるまろうとしている。

 成長してないんだ・・・。出発してから11ヶ月もたって、あんなにたくさんのひとにあって、あんなにたくさんのものを見たのに?
 残り数ヶ月だけど、まだ3つの大陸がひかえてる今、たしかに見つめなおす時期に来てるのかもしれない。