金色の羽根のキム
   起きてすぐイヴァが、
「二日酔いだ〜」
とつぶやく。キムが、
「あれからどのぐらいで帰ってきたの?」
って聞いたら彼は、
「ん、1時間くらい・・・でももう朝だった」
って言っていた。

 私たちは元旦からマクドナルドで朝食だか昼食だかをとった。ベイルートの元日はあったかで、海は青いし海岸線に植えられたやしの木は緑の葉をのびのびと茂らせている。イヴァが上着を脱いで半袖になりながら、
「デンマークの夏みたいだ」
って言った。それを聞いてキムが、
「いいこと思いついた」
って言った。
「これから海岸で写真とらない?」
彼はデンマークで寒い新年を迎えてる友達にメールで、あたかも南国で過ごしてるかのような写真を送ってうらやましがらせようっていう魂胆だった。

 コニシ通りを歩きながら写真のためのベストスポットを探し、適当なところを見つけるとキムは岩場に下りた。暑い雰囲気を演出するために、からっぽなのにわざわざ持ってきたマクドナルドのジュースのカップをヨコに置き、彼はTシャツと靴下を脱いで岩場にすわった。そのうしろ姿に私の目はくぎ付けになってしまった。

 は。羽根がある。彼の背中にぴかーと光る金色の羽根がついてるのだ。振りかえった彼の胸も金色の羽毛に覆われている。
「こんなポーズでいいかな。椰子の木も写真に入るかな」
と彼が言ったので、はっと我に返って手元のデジカメのスイッチを入れた。

 羽根じゃなかった。彼の上半身は、半端じゃないくらい深い毛に覆われてるのだった。だけど、日本人でいう毛深いっていう印象とは違う。胸といわず肩といわず、髪と同じ明るい金色の毛で覆われていて、こんなこと言ったら変かもしれないけど神々しいようだ。背中の毛というのを見たのも初めてだけど、それも羽根に見えるなんて。なんてかっこいいんだろう。驚きを隠して、私は彼のトロピカルショットを何枚かカメラに納めた。


キムの背中の金色の羽根

* * *


サイダの十字軍の城の前で撮った写真に
魚やで見かけたトビウオ(?)を合成
 ベイルートを拠点に毎日レバノンの南部や北部を観光し、撮ってきた写真を編集しては子供みたいに笑いころげる、という日々を私たちは数日過ごした。そして、そのあと私たちはシリアに戻ることになった。

 さて、レバノンからシリアに再入国する際、以前旅行者はあらかじめ再入国ビザや再入国許可証を取っておく必要があったんだけど最近その制度がなくなって、国境に行って再入国ビザ代として265£支払えばいいだけになったらしい。


 シリアとレバノンの間には現在3つの国境が開いている。1つめは海沿いのトリポリ=ラタキアライン。2つめはベイルート北部にあるバールベックからシリアのホムスに抜けるライン。そして3つめはベイルートから最短距離でダマスカスに戻るラインだ。この最後のラインは私たちがベイルートに来るとき通ってきたルートで、ほんとなら私もここを通りたいところだった。

 だけどひとつ問題があった。これまでに会った旅行者の話によると、この1番目と3番目のラインでは、指定銀行での両替受領証が必要らしいのだ。しかもこの銀行では市場レートの1/5っていうとっても悪いレートで両替されてしまうってことだった。市場レートなら265£の再入国ビザ代は6ドルにも満たない。それなのにその銀行で両替すると265£は25ドル相当に計算されてしまうんだという。国境の選び方ひとつで20ドルの差になってしまうのだ。
ベイルートの街なかにいまも残る内戦の傷跡。
キムは弾痕のある車が走ってるのを見たとか。
 貧乏旅行者にとって20ドルは、時として一日の生活費を上回る。シリアの居住許可証を持っているイヴァとバスターミナルで別れ、私とキムは、2番目のバールベック=ホムスラインを抜けるバスに乗った。

 ところが3時間ばかりうつらうつらしたりしていたらキムが「変だな」って言い出した。窓の外に海が見えている。どうやら海沿いの道をきてるみたいだ。ベイルートから海沿いで3時間も来ちゃったら、海沿いのトリポリ=ラタキア間の国境をとおってしまう。そういえば昨日イヴァがデンマークの実家に電話していたときに「レバノン北部でテロがあったってニュースで言ってる」ってご両親が心配していたらしい。もしかするとそのせいで、バスは迂回して勝手に海辺のラインを来てしまったのかもしれなかった。

 やがてバスの添乗員がやってきてピンク色のレバノンの出国手続き用紙をくれた。やっぱりもうすぐ国境なんだ。25ドル払わされる海沿いの国境。何のために遠回りして最短コースを避けて北部に来たんだろ。でもいまさら引き返す方法もない。私たちはあきらめてレバノンの出国手続きをした。

 つづいてバスに乗ってシリアの入国手続きにたどりつくと、バスの添乗員がやってきて私たちにまたレバノンの出国手続きのピンク色の用紙をくばった。あれっこんどはシリアの入国手続き用紙をくれなくちゃダメでしょう?普通なら突っ返すところだったけど、キムがとにかくこれに書こうというんでなんとなく書いてしまった。私たちはバスの添乗おじさんに連れられてシリアの入国手続きにいき、パスポートとそのピンクの出国手続き用紙を出した。

 そしたら係員のおじさんはパスポートと出国用紙にはんこをぺたぺたんと押してよこした。なぜだか再入国ビザ料金についてはなにも言われない。私たちのビザを、複数回入国できる「マルチエントリービザ」と勘違いしたのか、それとも再入国にはビザ代かからなくなったのか・・・でも聞くだけ野暮だ。思い出さないでくれるならそのほうがよかった。

 そっと窓口をはなれようとしたら添乗員のおじさんが私たちを呼びとめたので、一瞬「やっぱり払うのかな」と思ったけど、おじさんは別の窓口でほかのひとのパスポートを受け取るあいだ待てって言っただけで、それを受け取ると私たちをつれてバスに戻ってきた。

 地元のひとたちが税関で荷物の検査をされているけど私らの荷物はバスに乗ったまま税関を通過してしまっていて、私たちはカスタムの横を歩いて通りすぎただけだった。さっき入国手続きのためバスを出る前に、税関でパソコン見つかって申請しろとか言われたらめんどくさいと思って、パソコンを覆うように服とかをぐちゃっとかぶせておいたけど意味なかった。

 バスはそのまま走り出し、もうホムスまで停まることはなかった。何かの間違いだったのか、それともなるべくしてなったことなのかわからない。とにかく私たちは25ドルどころか5ドルすらも免れてしまった。

 国境を過ぎたあたりで、キムはうしろのシリア人のおじさんから、
「あんたら日本人かい?」
って聞かれていた。多分私のパスポートを見て勘違いしたんだろう。シリアやヨルダンやレバノンは黒髪のひとも金髪のひともいるし、ヨーロッパ顔のひともアラブ顔のひともいる。そういうミックスされた国にいると、日本には基本的に黒髪でアジア顔のひとしかいないなんてことは信じられないのかもしれない。それで金髪碧眼のキムも日本人と思ってしまったんじゃなかろうか。キムは訂正するのがめんどくさかったらしくて、適当に、
「そうだ」
って答えていたけど、そのあとあれこれ根掘り葉掘りきかれて、彼は四苦八苦しながら日本人らしい答えを探していた。そこまではよかったんだけど、最後にうしろのおじさんが、
「シリアのあとはどこに行くんだ?」
って聞いたとき、彼が、
「イスラエ・・・」
って言いかけてはっとやめて、
「えっと、なんていうんだっけな、イ、イージプト(エジプト)!」
って答えてたのでなんか私はちょっと冷や汗をかいた。イスラエルはゴラン高原の件(できごと日記「ゴラン高原」参照)でまだシリアとはにらみあってる状態だ。イスラム教の聖地でもあるエルサレムを「とられた」ってことで、エジプトやヨルダンを除くアラブ諸国では、パスポートにイスラエル入国のスタンプがあっただけで入国を拒否されるぐらいの嫌いようなのに、このあとイスラエルに行くなんて言ったらどんな目でみられるかわからない。シリアに住んでるって言えばいいのに、どうしてイスラエルなんて言おうとしたんだろう。

 不思議に思ってる私に向き直って、彼はなんか決心したように、
「きみイスラエルには行かないの?」
と訊ねた。
「え?・・・うん。多分。ほんとはちょっと興味はあるんだけどいろいろ理由があって」
というと彼がどうして?と訊ねた。
「イスラエルは国境の審査が厳しくて、『荷物を全部ひっくりかえして見られるうえ勝手にぽいぽい詰められる』って聞いたから。パソコンを手荒に扱われたらと思うと心配だし・・・」
私が言うと、彼は、
「ほんとなの?イスラエルはテロに気をつかってるとはいえ進んだ国だしそんな乱暴なことをするとは思えないけど・・・」
っていった。
「でも旅行者はみんなそう言ってる」
っていうと、
「そうなんだ。でもこんなに近くまで来てるのにイスラエルを見ないのはもったいないんじゃない?」
彼が言った。
「そうなんだよね」
私が言うと彼が続けた。
「君がイスラエル行くんだったら一緒に行けたんだけどね」
「イスラエル行くの?」
私が声をひそめて尋ねると、
「実は僕たちあと数日であのアパートを引き払って、僕は近いうちにイスラエルに引っ越すことにしたんだ」
といった。

 それはちょっとショッキングな告白だった。
 つい最近来たルナを除く、キム、イヴァ、デビッドの3人は、デンマークを出るときから一緒に住もうって計画してこちらにきた。だけど、やっぱり他人と共同生活をするっていうのはある程度距離を置かないとむずかしいものだったのだ。彼らの共同生活が始まって、最初にデビッドがキレはじめたらしい。彼は家の中がきちんとしてないと気がすまない性格なので、台所がちらかってるとかゴミがたまってるということが耐えられなくなってほかのひとたちにも整理整頓するよう協力を求めた。キムはそういうのを聞いて彼の意向に添うように努力したけど、家事なんかもともとしたことないイヴァはデビッドの言うようにはできなかったらしい。それで最後にはデビッドもあきらめてキッチンの掃除とかもしなくなった。それで彼らの家ではキムだけがほとんどひとりで家事をやっていたのだ。

 イヴァはまあ気難しいところはなかったけれど、例によって家事が苦手なので、回り持ちでしなくちゃいけないことに支障をきたしたりもしたらしい。これはキムから聞いた話だから、キム自身のことは聞かなかったけど、キムはあのとおり人あたりのいい性格なんで、私を誘ったみたく誰かを招待しちゃったり、ほかのひとたちがゆっくりしたいときに近所の子供たちや知り合いを招いたりして彼らの不評を買ったこともあったんじゃないかと思う。彼らは冬のはじめに彼らは別々に住むことを決意し、1月の上旬にはそれぞれ引っ越していくことになったのだそうだ。

 ルナは知り合いのシリア人の家に住ませてもらうことにし、イヴァは前から興味を持っていたイスラム教シーア派教徒の多く住む地域の、バストイレやキッチン共同のアパートへ移ることになった。デビッドはひとりで住むのにちょうどいいアパートを見つけたと言っていた。キムもそのままダマスカスに住むことも考えたけれど、そんなときデンマークの友人から「イスラエルでボランティアとして働いてみれば」という誘いを受けたらしい。

 まだアラビア語をしばらく使い込まないとモノにならないと思っていた彼にとってそれは朗報だった。イスラエルはユダヤ教徒のひとたちの建国した国といっても公用語にはアラビア語も入っている。このボランティアっていうのは、デンマークのキリスト教団体が出資する学校で子供たちに英語を教えたり、体の不自由なひとの手伝いをしたりする仕事で、食事や住まいを心配する必要はないし、月々わずかだけど手当ても出る。現地のひとたちと話せばアラビア語を訓練することもできる。彼はこのボランティアに志願した。

「まだ返事は来ていないけど、志願者がそんなに大勢いるとは思えないし、彼らが志願を却下する理由は思いつかないから、多分僕はそこで働くことになると思うんだ。もし君がイスラエルに行くんだったら一緒に出発して、仕事がはじまるまで少し観光できたかもしれないんだけど」

 彼のこの勇気と情熱はどっから出てくるんだろう。私なんかにしてみると、留学してほかの国に住むというのもずいぶん勇気がいることのように思えるけど、こんどは知り合いもいないイスラエルに移りボランティアの仕事・・・。彼はなんでもスマートにこなすひとじゃないんだ実際。その彼がどうして故郷からこんな離れたアラビアでつぎつぎと居を移し、目的に向かってまっすぐに進んでいけるんだろう・・・。


イヴァの目が赤目になっていたので
ハエとレーザーを書き足してみた
 イスラエルは私にはとても縁遠く、イメージのわかないところだった。テロが多くて、新しい国だけれど歴史の古い街がたくさんあって、ソフトウェアの開発が盛んで、物価が高い。私の愛読書のバックパッカーパラダイスの著者の夫婦も訪れていないその場所を、訪れてみる価値があるのかどうかわからなかったし、それにも増して、国境の荷物検査はこわかった。ガイドブックがなければ歴史のある街のよさはわからない・・・それはヨーロッパで痛感したことだった。

 でも、もし道連れがあるとなったら旅の趣はまったく変わってくるに違いない。私はイスラエルについてはもう一度検討することにして、少なくともヨルダンまでは、彼と行動を共にすることにした。

 バスはそのあとも数時間走り、結局9時頃にダマスカスについた。

* * *

 レバノンから戻るとイヴァが、
「おかえり。僕もいましがた帰ってきたとこだよ」
って言った。ベイルートからダマスカスの最短ラインのバスは途中の山地で振り出した雪でとんでもない渋滞にまきこまれ、普通の倍以上かかってやっとダマスカスに戻ってきたのだそうだ。

 ふと気づくと、デビッドはもう新しいアパートに移っていったあとだった。ちょっと気難しいところもあるひとだけど、やっぱりムードメーカーの彼がいなくなるとさびしい。

 それから数日の間にキムのアパートはあわただしくかたづいていった。夜遊び好きなルナは、知り合いの家にころがりこむ計画を見直してアパートを探しはじめ、少しずつ荷物をかたづけはじめていたし、イヴァも移動の準備を着々とすすめていた。調理器具とかお皿やカップの類は、ダマスカスにこのあとも住みつづける3人で均等に分けられ、2,3日うちには台所の食器はほとんどなくなった。キムが冷蔵庫のなかの、クリスマスから残っていたサラダとかテリーヌなんかをごみ箱にかたづけ、キッチンの棚の上でちっこい魚が泳いでいた金魚鉢はデビッドが新居に持っていった。私はここにずっと以前から住んでいたかのようにさびしい気持ちに襲われた。

 お別れパーティみたいなものが計画され、ルナを除く3人に私が加わって、デビッドの家に集まってビーフステーキを焼き、彼らの好物のバネーズソースをかけて食べた。デビッドの新しい家は、かなりいい家だった。ただし、雨が降るとルーフテラスから水が流れてきて居間に小さい川をつくって玄関にある排水溝に流れ込むってことや、どんなにきっちり閉めたつもりでも20分くらいたつと居間の扉が勝手にギイと開いちゃうことを除けばだ。毎月1万円で、10畳くらいある居間に3畳くらいあるキッチン、6畳くらいある寝室と、ルーフテラスがあるアパート。確かにこの条件はよかった。特に「僕んちは本物のトイレがあるんだ」っていうのが彼の自慢だった。今までのアパートはアラブ式、つまり和式みたいなトイレがついていて、バケツに水をためて流す手動水洗だったから、彼はどうしてもなじめなかったらしい。

 数日経つとイヴァも次のアパートへ移るというのでみんなで引越しを手伝った。引越しといったってたいした荷物じゃなくて、小型のトラックをどっからか呼んで来て全財産を載せて、私とデビッドとキムが乗っても荷台はガラすきだった。イヴァの新しいアパートっていうのはほんとシンプルっていうか、がっかりするようなさびしいところだった。キッチンやバスルームは共同で、彼のプライベートスペースは10畳くらいの居間ひとつだけ。備え付けの家具もベッドもなくて部屋の隅に彼のマットレスを置いてなかったらなんか留置場みたいな印象だ。しかも夜6時から8時くらいまでは毎日停電があるっていう地域だった。彼のお母さんは歯医者さんだしお父さんは建築家で、デンマークでもどっちかっていえばお金持ちの家のひとなのにどうしてこんな家でがまんできるのかなあと思ったりした。
キムをカエルにしたらイヴァが
「これでキムもちょっとは
マトモに見えるな」って言った。

 イヴァもいなくなるとキムのアパートはがらんとしてほんとに寂しくなった。そしていよいよキムの番だった。最後の晩、例によってルナ以外の全員が集まって、近くに住んでる知り合いのスウェーデン人の教授のうちに挨拶に行った。そこで一杯ひっかけたあとキムのアパートに戻ってきて、イヴァとデビッドは最後の荷物をひきとると、キムとデンマーク語で何か話し、お互いの肩を抱いて別れを惜しんでいた。

 もめたりしたこともあったかもしれないけど、やっぱり一緒に学んできて、一緒に暮らしてきた3人だ。やむを得ず別れることになったとはいえ、私にはわからない絆が彼らの間にはあるんだ。彼らは日常の瑣末なことでこの絆が崩れてしまうことを恐れて別れることを決意したに違いなかった。彼らの別れの挨拶を見ていたら、彼らが決してせいせいしてるわけじゃないことがわかった。それで私は少しだけ安心したのだった。

 彼らは、それから順に私のアタマを右の胸に抱くようにして、
「東京までは高いからなかなか行けないとは思うけど、メール書いてよ」
「ホームページに載せたらページのURL教えてよ」
と言って去っていった。

 翌日、私とキムはヨルダンに向けて旅立った。