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ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
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やはり卒業旅行で来ていて、カイロのスルタンで知り合い、アスワンで合流したゴンナミくんはここまでの私と同じようなルートで中東を下ってきているひとだった。彼は私がパソコン使ってるのを見ると関西のイントネーションで、
ゴーさんと会ったのは、シリアのダマスカスのアルハラメインホテルでのことだった。たしかキムと再会する2日くらい前だったと思う。パルミラで具合悪くなってダマスカスでじっとしてるときに、情報ノートにハマムの情報を書きにきていたところに会ったのだった。彼は、数日前に私がアレッポで同じホテルに泊まっていた植田夫妻と2日ほど一緒に行動してたとこで、夫妻から、
彼は私と同じ学区のいっちばん難しい高校の出身で、東大出たあと何回か司法試験を受け、受かった直後から司法試験予備校でつとめはじめ、たった半年の間に予算を全部つくって2年間の世界旅行に飛び出してしまったというツワモノだった。旅に出たいと司法試験予備校の校長に話すと、
ゴーさんとはその日一緒にゴハン食べただけでメールアドレスも交換しないで別れ、彼は私よりだいぶ先に南に下っていったので、もう会えないだろうなーと思っていたから、そのゴーさんの名前がゴンナミくんのクチから出たときにはちょっと驚いた。ゴンナミくんの話によれば、ゴーさんは私がダマスカスやレバノンにいる間にイスラエルからエジプトまでを観光し、その後ヨルダンにのぼったときに、ペトラでゴンナミくんと会ったらしい。ゴンナミくんはペトラでずっとゴーさんに従ってまわってたらしく、ゴーさんのことを「アニキ」と呼んでいた。それからゴンナミくんと別れてゴーさんはアンマンに向かったという。
ナイロビといえば旅行者の間でも、南アフリカのヨハネスブルグ、スペインのマドリッド、南米の数都市と並んで治安が悪いと評判のところだ。できることなら連れ合いを見つけ、アフリカは早めに下りたいと思っていた。私はゴンナミくんからゴーさんのメールアドレスを聞いて、さっそくアスワンからメールを打った。
ゴーさんとはすぐに連絡がついた。ルクソールにいたときだった。ゴーさんはそのメールの翌日からエチオピアに飛ぶ予定で、ナイロビ入りは3月初めになるという。
江島の姐御と会ったのはその翌日だった。「江島」という名は、わけあって仮名だ。実は姐御はとある会社で働いてるんだけども、最近セクハラ上司の面倒を見るのに疲れて体をコワし、静養のためちょっと長い休暇をとったのだそうだ。しかし長い休暇をほんとに静養して過ごせる性格でもないもんで、彼女はふと気づくとエジプト行きの切符をにぎりしめ、成田空港に立っていたらしい。そういうわけで、会社のひとたちは彼女がエジプトに来てることを知らない。したがって残念ながら姐御の写真をここに載せることもできない。いずれ姐御が晴れて上司に見きりをつけてどこかに会社替わったら、写真はあらためて載せることにしよう。
江島の姐御は、一見はかなげに見える小柄な女性なんだけど、私が「姐御」と私が呼ぶぐらいで、さばさばした気っぷのいいひとだった。私と同じくらいの年頃からバックパック旅行を始め、派遣とか短期の仕事でお金を貯めてはあちこちを渡り歩き、アフリカも、「旅行人ノート・アフリカ編」が出る前に旅行したそうだ。アフリカ旅行について投書したのが採用になったんで「旅行人ノート・アフリカ編」の奥付ページに名前が載ってるよというので、見たらほんとに載っていた。
私は年上のひとにあまりタメぐちきくほうではないんだけど、ふと気づくと彼女とめいっぱい意気投合してえらい親しいクチをきき、姉妹みたいな関係に落ち着いていた。ここルクソールで私たちは、やはりカイロのスルタンホテルからほとんど一緒だったオガワくんと、アスワンで会ったシンちゃんとで、観光しながら2、3日過ごした。
![]() メムノンの巨像
その後オガワくんは北部のアレキサンドリアに旅だって行った。シンちゃんと姐御はその後紅海沿いに北上してヨルダンへと、私と逆ルートをたどる予定だったので、私は知ってる情報を少しだけ提供した。シンちゃんと姐御はこのあとバスで海沿いのハルガダに向かい、そこからシナイ半島のシャルムシェイクへの船に乗り、さらにシナイ半島を北上、ヌエバから、私が来たときと逆方向の船に乗ってアカバへ向かう予定だった。私がこのあとゴーさんと落ち合うまで、オガワくんを追ってアレキサンドリアにウニでも食べに行こうか、それともカイロで時間をつぶそうか迷っていると、姐御が、
紅海の美しさには定評がある。紅海といえば色鮮やかな熱帯魚やナポレオンフィッシュが見られることでも有名だ。ヨルダンのアカバにいたとき、海で一日も泳がなかったのは私の大きな心残りだった。ここで泳がなくていいんだろうか。私が自分に問いかける前に、姐御が私に囁きかけた。
そうだ。ハルガダでシュノーケリングしてナポレオンフィッシュと泳ぐのだ。こう見えても私は(どう見えてもなんだか)佐野元春のファンだ。佐野元春のアルバムのひとつに「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」っていうのがある。いま目と鼻の先にナポレオンフィッシュが迫っているのに、泳がなくていいのか。いや、泳ぐのである。そうとも、ナポレオンフィッシュと。
シンちゃんは、ダイビングにとっても興味をもっていたけど、この旅行のあと、大学の友達と温泉旅行が待ってるとかでちょっと急ぎ旅だったもので、私たちより1日早く出発していった。彼はハルガダですぐにシャルムシェイク行きの船に乗るといっていたから、私たちはもうシンちゃんとは会えないと思ってお別れし、彼の出た翌日、ルクソールで知り合った学生さんウメちゃんと一緒に出発した。
ところがそのシンちゃんがいたのだ、ハルガダに。
ハルガダのバスターミナルにつくと、アラスカっていうホテルの客引きが寄ってきて、
サラ・ダイバースにつくとシンちゃんが出てきた。
ルクソールからのバスで一緒に来たウメちゃんはやっぱり大学4年の男の子で、カイロのサファリホテルにいたときにここのダイビングセンターの割引券をもらったとかで、10%OFFの価格で早速アドバンス(上級)コースに申し込みをしていた。彼に続いて申し込めば10%オフで初級コース受けられるよ、と、サラの奥さんのトミエさんが誘惑する。しかも、最近サラではドミトリーをオープンして、このオープニング期間中、ダイビングライセンスコースを申し込んだひとには、無料でベッドが提供されるということだった。どうせザコ寝の体育会長屋みたいなところだろうと思っていたらとんでもない、清潔な2段ベッドの置いてある、床のタイルも真新しい、いかにも快適そうな新築の部屋だ。エジプトに来てから、いや、中東に来てからこんなキレイなところには泊まったことがない。
おまけに、さっきまで、泳げないことと、出発前に体をコワしてたことを心配してた姐御が突如としてライセンスとる決意をして元気よく申し込み用紙書き始めているではないか。シンちゃんもすでに今日から講習の学科に入ってるではないか。私だけ、私だけ、みんながダイビングやってるヨコでシュノーケルつけてさぱさぱ水面を泳いでていいのか〜?
エジプトでは、思ったより予算くっていなかった。イスラエルやヨルダンのペトラでたくさんお金つかってしまったので、エジプトに入ってからすごく予算をひきしめて、毎日生活費に600円ぐらいしか使わない生活をしていたのだ。でもこれって食費も、日課のアイスクリームもいれてだよ。だから決して貧しい生活をしてたわけじゃないんだけどね。でも贅沢しなかったおかげで、当初のエジプト用に準備してた予算と、現在までに使った費用の間にちょうどぴったりダイビングの入りこむ余地があった。それがあまりにぴったりだったから、私にはそれがナポレオンフィッシュの招きであるように思えた。予算が余ったら喜びいさんで使っちゃう。それは台湾を旅してた頃から、いや、働いてる頃から、さらには、子供の頃からの私の変わらぬ方針であり信念だ。(ほんとか?)私の頭の上にはすでにもくもくと雲のフキダシが出ていて、シュノーケリングに大きい×、ダイビングに赤い○がついて点滅していた。ああっ、もうダイビングやらないっていう選択肢なんかとっくになくなっちゃってるじゃないか。私は姐御と並んでオープンウォーター(初級)コースの申し込み用紙にサインをした。
翌朝私たちは限定水域とよばれる、ビーチの浅瀬での講習にむかった。エジプトといっても2月はまだ結構寒い。私たちはウェットスーツを着て足ひれをつけ、しずしずと海に入った。この日の講習はちょっとだけハードときいていたから覚悟をしていたものの、重たい器材を背負い、動きの不自由なウェットスーツで水に入るのは勇気がいった。ゆうべ付け焼刃で覚えた知識で、ちゃんとおぼれずに講習についていけるんだろうか・・・、こころに迷いのあるままで私たちは海にむかっていた。その状態で、普段から泳ぎの得意でない姐御が慌ててしまったのも無理はない。不幸なできごとが、間もなく姐御を襲った。やや深いところでマスクに水が入るのであせっている間に、彼女は出発前からわずらっていた腰をいため、さらに体勢をたてなおそうともがくうちに足ひれを流してしまったのだ。講師サポートとしてきていたスタッフのモハメッドはこのとき彼女の異変に気づいていなかった。彼女はすごいこわい思いをして自力で浜に上がった。足ひれがないから、これ以上講習に参加することはできなかった。
私とシンちゃんと阿部くんが講習を終えて浜に上がると姐御は、
サラのドミトリーには3つの部屋があり、各部屋2段ベッドが2つずつ、計12のベッドがある。私たちがついた日は、このほとんどのベッドが埋まっていた。客はすべて日本人で、その大半が卒業旅行の学生さんだった。ロビーにはテーブルセットとソファがあり、学生さんたちはここにたむろして、就職先の話や旅の話に花を咲かせていた。ここの1Fには、日本語のマンガや小説の、結構リッチなライブラリーがあって、話に参加してないひとも、あるひとはブラックジャックを読み、あるひとはゴルゴ13を読みしてここに集まっていた。
この席にいるひとで最も体がでっかく、もっともでっかい声で喋っているのが通称「カッパさん」だった。彼はここで働いているダイブマスターで、自称24才、たぶんほんとに24才。1年半ほど前にここに押しかけ同然でやってきて働き始め、朝は講習生の朝食のしたくから始まって、ボートダイビングに毎日同行し、地元スタッフでは気づかないこまごまとした世話を焼いているのだそうだ。彼はその見た目からは想像がつかないけど、人一倍さびしがりやなもので、仕事が終わってからも自分のアパートに戻らず、いつも講習生の集まるここに夜遅くまでいてバカばなしをし、大笑いしてるのだった。
カッパさんのみならず、講習受けにきているひとたちもおもしろいキャラクターのひとやおもしろい経歴のひとが多かった。旅行会社に勤めてたけどネパールが好きで、このあいだまでインドの東北部のダージリンに1年近くいてネパール語を勉強していたというひともあれば、1年以上かけて大陸横断してきてここでUターンですというひともいた。先述のウメちゃんは年末のイタリア旅行で睡眠薬入りガム強盗に遭い、危うく病院でミレニアムを迎えるとこでしたと言ってたし、いま頼まれてサラ・ダイバースのホームページを作ってあげてるんです〜という女の子もいた。
さて限定水域の晩、それは私たちにとっては学科をクリアするかどうかの大変重要なときだった。試験はさほど難しくはないと聞いていたけど、なにしろ春休みで次から次へと学生さんがやってくるので、ビデオのある講習室はすでにあとから来た講習生のひとたちがビデオ視聴にはいっていて使えない。かといって寝室でベッドに寝転がりながら勉強しているとほんとに寝てしまうんで、しょうがないので私と姐御はほかの講習生が和気あいあいとおしゃべりしているロビーのテーブルセットで勉強した。そして知識の確認がほぼ完了すると、私たちはそのままその場で試験を受けた。
私たちが問題読んで悩んでる間もほかの講習生はまわりでいつもと同じようにくつろいでおり、目の前の椅子ではカッパさんがあぐらかいて、「歴代の困ったちゃんダイバー」の伝説を語っていた。あるひとはサングラスを港で水中に落としてしまい、素潜りで海底まで取りにいったとか、あるひとは潜水中にウ×コがしたくなりその場でウェットスーツを脱ぎすて、水中で「産卵」してしまったとか・・・。そんな場で試験受けていて私たちが集中力を欠いてたことは言うまでもない。聞いてたらおかしくておかしくて真面目に試験に取り組んでられないのだ。私も姐御もこれ以上深く考えられはしないとあきらめ、ついに見なおしを放棄して採点を頼んだ。しばらくしてトミエさんのクチから結果が発表された。若い衆には完全に遅れをとったものの、一応私たちの点は、合格ラインに達していた。
限定水域の翌朝、姐御は喉が痛むといってついに限定水域講習を本格的に延期する方針をかためた。私と残りの二人は器材の準備をし、ボートダイブの準備にはいった。
ちなみに、ハルガダのダイビングは、エジプトで一番安いってわけじゃない。私たちの申し込んだ初級コースは割り引きされて$225だったけど、実際にはシナイ半島のダハブなんかだと$190くらいで受けられるそうだ。それでもハルガダにひとが集まるのは、ここではボートダイブが一般的だからなのだそうだ。ダハブはビーチからゆっくり遠ざかって特定のスポットに至るのに対し、ハルガダではボートで特定のダイブスポットにいきなり到着して、一気に10mから15mの海底に潜る。特にこのハルガダではイルカの見れるスポットとナポレオンのスポットが目玉なのだという。
揺れる舟の上でウェットスーツを着用、器材の点検をし、ウェイトベルトや浮力を得るためのベストを装着した。それから海に降りて、シュノーケルつけて20mほど移動したら息があがってしまった。少しおちつきたいと思ったのに、休む間もなく潜行開始の合図が出た。ダイビングは、やった人なら知ってるだろうけど、ボンベのチューブは口でくわえてて、目とハナを覆うマスクのなかには空気がいかないんで、最初すっごくハナから呼吸したくなるんだ。いつになったらハナから呼吸できるんだろうって、思ってる間はずっとこわい。ハナから空気吸わなくても苦しくないんだ、と思ったとき初めて落ち着いて海の中に落ちていくことができた。耳の中の圧力がどんどん上がって鼓膜が割れそうに痛くなってくる。何度もハナをつまんで空気を送り込んで、耳の中の圧力と外の水圧を一定に保つようにする。そのうち呼吸が深くなると、いままであがっていた息は正常にもどった。
午前中のダイブの50分は深さ10mくらいの海底を行き来するだけだった。ゆれるいそぎんちゃくの間に魚がクチあいて気持ちよさそうになでられていたり、虹色の魚が海藻をつついたりしている。あんなキレイな魚がいるなんて知らなかった。ダイバーがこんなにたくさんもぐってるのに、どうして魚たちは逃げてしまわないんだろう?きみたち私がこわくないのか?こんなに近くにいるのに逃げなくていいの?・・・・海の中の世界は、私が想像してたよりかなり平和みたいだ。
昼食後、午後のダイブでは、いくつかの項目の講習があった。エア切れのケースの講習では、シンちゃんと阿部くんがペアになった。阿部くんがシンちゃんの予備の空気吸入口を借り、互いの腕をつかみ、上昇する練習をした。彼らがひとつのボンベの空気を共有しながら、海底から、ゆっくりと天を目指して上昇していく。彼らののぼっていくはるかアタマの上に水面が輝いていた。
こんな景色、見たことあるだろうか。ううん、はじめての光景だ。雲間から光がさすように、水面から光が差しこんでいるのが見える。彼らはまるで、天上にのぼっていく天人かのように見えた。彼らの吐き出す息がまるい空気のつぶになって、ゆがんだりひしゃげたりしながらくるくるとまわり、大空の高みに向かってのぼっていく。美しい。テレビでは海底の魚や珊瑚ばかり映していたから知らなかったんだ。魚じゃない。彼らは鳥になったんだ。ダイビングをしていて最も美しいのは、飛んでいるひとだ、と私は思った。
講習が終わると残った時間はしばらく海底を散歩した。海底の岩のあいだに大きいタコをみつけて、カッパさんが全員に見せようと奮闘してるあいだに私は貝をひろったり宙返りしてみたりした。海の世界はすばらしい。
その晩、江島の姐御は咳が出てきたといっていたけど、翌朝は進行して熱も出はじめてしまったみたいだ。できるなら私もちょっと延期したりして、最終日は姐御ともぐりたいっていう期待があったけど、姐御はゆっくり治して体調を完全にしてからというつもりだったようなので、やっぱり今日、シンちゃんたちともぐることにした。昨日イルカのスポットだったから、今日はナポレオンのスポットのはずだった。
準備を済ませて水にとびこみ、水面でいくつかの講習項目をやったあと潜行を開始した。今日はシンちゃんも風邪気味でなかなか耳に空気が通らない。私はバランスをくずしておしりから海底におちていった。そして全員が海底につくかつかないかというとき、カッパさんがふとふりかえり、背後を指差した。
その方向を見ると。
それははじめ、深緑色のいびつな飛行船に過ぎなかった。ジョーズ登場の音楽が鳴りそうな不気味なシーンだ。10数メートルほど離れた、珊瑚のからみあう小高い岩場のむこうから、人間ほどの大きさの飛行船が、こっちへゆったりと浮かんでくる。
青緑色の怪魚。突き出た前頭部、自転車のタイヤのような厚いクチビル。
ナポレオンフィッシュは白いものに反応する。ゆで卵が好物だけど、人間がやたらに餌をやっていたために、ゆで卵の食べ過ぎで死んだナポレオンが続出したので最近では紅海全域でナポレオンに餌を与えることが禁止されてると聞いた。
カッパさんが海底におちていた靴下をひろって振ると、エサとかんちがいしてナポレオンは、羽ばたきながら、ゆらりとこちらに寄ってきた。シンちゃんのアタマのすぐ上だ。手を伸ばしたら届きそう。だけど、そういえば昔、ナポレオンフィッシュに口移しでゆで卵をやろうとして、顔をごっそりかじられたひとがいたって聞いたのを思い出した。こわくてあまり近寄れない。でもじゅうぶんすぎるぐらい近い。
![]() ナポレオンフィッシュ(写真からのコピー)
そのあとカッパさんの合図で移動を始めた。この飛んでる感覚っていうのは、年に何回か夢で見るのと同じだ。手にぐんと力をいれるとふわっと浮かぶ。潜水は得意だけど、素潜りのときと、ダイビングのときとは全然ちがう。飛んでる。飛んでる感じ。ダイビングやったことないのにどうして私はこの感覚を知ってたんだろう。珊瑚の合間に目をやると、金魚がたくさん飛んでいて楽しい。不思議だ。海で魚たちと一緒に鳥の仲間いりするなんて想像もしていなかった。移動していった先にももう1匹、1mぐらいのナポレオンがいて、近づくとぐるぅりと旋回して、ゆっくりとこっちにやって来た。
午後の2本目は50分くらい潜って、最後に浮上の合図が出た。大きなミスがなければ、これで私のダイビング講習は終わりだ。みんなが片手を高く差し上げて光のあふれる空にのぼっていく。さよなら海の世界。いつかふたたび、飛ぶ日まで。
港について荷物をおろしてバスで戻り、器材の水洗いがすんで、ついにコースが終了した。そしてログブック(潜水記録)の記入を完了すると、「おめでとう」といって、サラ・ダイバースの社長からコースの修了証が手渡された。これをイギリスのPADI本部に送ると証明書が送られてくるんだ。
姐御は太っパラで、シンちゃんにもごちそうしてあげるって言っていた。それにはちょっと訳があった。実はサラダイバースに来るとき、シンちゃんはアラスカホテルの客引きの案内で来たんだけど、この国には厄介なシステムがあって、客引きの案内で来た場合、店は儲けの10%を客引きにコミッションとしてあげなくちゃいけないんだそうだ。そうなると店は、さらに客に対して割り引きまですることはできない。シンちゃんはアラスカの客引きにコミッション稼がれてしまい、おかげで割り引きを受けることができなかった。
シンちゃんは、それじゃ、せめてみんなと一緒に居たいから、サラのドミトリーに泊まらせてもらえないかと頼んだけど、それもできなかった。実はサラのドミトリーはまだ宿としての認可を受けてないもんで、ほかの宿から客をうばったとなるとポリスに「あのダイビング会社は未認可で客を泊めている」とタレ込まれてしまう恐れがあるからだった。一旦アラスカにチェックインしたのであればそのまま泊まりつづけて、アラスカからかよってほしいというのがサラのトミエさんの要望だった。従ってシンちゃんは毎日みんなより早くアラスカホテルからはるばる15分かけて歩いてきてコースに参加し、夜は11時か12時までみんなとダベったあとひとりで暗い道を歩いて帰っていった。
ほんとならアラスカホテルの客引きは彼に感謝してもいいはずだった。なんといったって25$ものコミッション稼がせてもらったんだからね。ところがひとつ行き違いが起こった。そのいきさつはこうだ。シンちゃんがサラに申し込んだ翌日、私たちがハルガダに来るのを知っていてシンちゃんは「僕の友達が来るかもよ」って客引きに言ったんだそうだ。客引きはそれを聞き逃さず、友達の名前はなんだと彼にせっついた。シンちゃんは客引きに名前を教えた。それで私たちがバス停についたとき、客引きは私の名前を知ってたんだ。私たちは一旦はアラスカのワゴン車に乗りこんだんで、客引きは新たに$50コミッション稼げるとふんで狂喜した。ところが私たちはアラスカの客引きの思惑とちがい、彼らのホテルに行かず直接サラに申し込んでしまったので、客引きはあらたに2人ぶんのコミッションを稼ぎ損ねたと思った。これでシンちゃんを恨むのはスジちがいというものなんだけど、そこがまたエジプト人のわからないところで、客引きはすっかり機嫌をそこね、シンちゃんがホテルに帰ってもプイとヨコむいてシカトしたりしたらしい。シンちゃんは割り引きはうけられないわシカトはされるわ、ホテル代はかかるわですっかりしょげていた。姐御はそんな彼をみて、可哀想だから最後ぐらいおごってあげようって考えたようだった。
姐御が先にすすめない状態でごちそうしてもらうのはほんとのところちょっと心苦しかった。全員が同時に修了した状態でお祝いできたらほんとによかったのに。でもごちそうしてもらったシーフードうどんはボリュームたっぷりでダシがきいていて、めちゃくちゃおいしかった。ヤンカンは高いレストランだけあって、4種類のキムチやナマスが出てきておかわり自由だった。私たちは久々に気持ち悪くなるまで食べまくりレストランを出た。シンちゃんはその足でシャルムシェイク行きのボートのチケットを買い、翌朝出発していった。
私は出国までまだ時間があることもあって、なんとか姐御の修了祝いをしたくてそのままドミに留まった。コース終了後もサラのドミでは1泊5£で泊めてくれたし、日本語の本もいっぱいあるしにぎやかだし、立ち去りがたかったというのもある。だけど姐御の風邪はなかなかよくならず、数日後にはいよいよ私も出発しなければならなくなった。
翌朝6時に目覚ましが鳴り、バッグをもって部屋を出ようとしたら姐御が起きて見送ろうとしてくれたので、まだ荷物つめなおすからと押しとどめて握手をして部屋を出た。姐御、今日こそは限定水域の講習通過できますように。いま起きちゃったせいで、寝不足でまた出らんないなんてことにならないといいんだけど。
部屋からでるとカッパさんがもう来ていて、玄関まで見送ってくれた。ほんとうに居心地のいいスクールだった。海のなかよりもスクールとドミの居心地のよさが心に残った。思ってもみなかったことだけど、縁あってここでライセンスとってほんとによかった。
こっから先は余談だ。
バスは6時間半で、カイロの、ラムセス中央駅前バス停についた。歩いてスルタンホテルに戻ると受付には見知ったフケ顔の(ゴメン)ハサンがいた。
ここで、「牛」の財布の件について、書いておこう。
私がアスワンに出発する前ここに泊まっていたときのことだ。私の隣にはベルギー人の、たいそう散らかす女の子が泊まっていた。彼女はありとあらゆる荷物をバックパックから引きずり出し、空いてるベッドや通路の床、果てはひとのベッドの足元に散乱させておくクセがあった。自分のベッドの上も隙間なく散らかっているので彼女は旅の資料を開いたりするときは、だいたいひとのベッドの上か空きベッドの上に寝転がって資料を読みふけっていた。大柄な彼女がビスケット片手にかけらをボロボロこぼしながら寝転がって本を読む姿は、牧場の午後、昼寝しようか迷いながらさっき食べた草を反芻している牛によく似ていた。チチが目だってでっかいことも、ひとつの大きな理由だったと思う。私は自分の日記のなかで彼女について言及するときはかならず「牛」というコードネームで呼んでいた。
さてある朝、私が8時頃に起きて、トイレいって戻ってきたら牛がベッドでお菓子を食べていた。私は挨拶して自分のベッドで書き物をしてたんだけど、牛はしばらくするとお菓子に飽きてどこかへ外出していった。そして1時間くらいすると彼女はおおあわてで帰ってきて、毛布を何度もひっくりかえしたりしながら、
彼女が行ったりきたりしてるのを私は見つめながら、内心冷ややかに、”ちらかしてるからだよ。片付ければすぐ出てくるのに”と思ってたけど、しばーらくたってもほんとに見つからないみたいなんで気になってきた。
私はこの件に関しては素人ではない。というか、単純に、この件に関しては経験者だ。まだ働いてた頃、シンガポールに初めて旅行したときにリトルインディアでパスポートごと、クレジットカードごと、財布をすられてしまったという経歴があるのだ。そんなわけでこういうときにまず何をしたらいいか、私はよっく知っていた。彼女が完全に取り乱してるので、
彼女が大柄なので気づかなかったけど、その様子から、彼女は実はずいぶん若いのかもしれないと思った。牛はその後完全に私になつき、出発までの間、ことあるごとに私に話しかけ、相談ごとをもちかけてきた。私が出発したあと、彼女は家族からの送金をうけて、リビア国境近くのシーワオアシスに行ってきたらしい。私がハルガダからもどってきてチェックインした日、彼女は外出から帰ってきて、私が戻ってきたことを知ると大喜びだった。
あいかわらず彼女の荷物はとなりのベッドと足元にぐちやぐちやにころがったままだ。私はこの荷物につまづくのに閉口し、ときどき彼女がいないのを見計らって衣類をたたんであげるクセがついた。こういうことを自分で言うのはアホくさいと思うけど、私はなんか、自分で思ってるよりは、自分ってひとが好いんじゃないかと思えてきた。
その後ゴーさんからはメールが来ない。エチオピアではメールが打てないのかもしれない。とにかく私は2月末でエジプトのビザが切れるので、その前に出国しなければ。この前カイロにいたときにはどうしても1625£を下る金額のナイロビ行きのフライトが見つからなかったけれど、戻ってきてもう一度いくつかの旅行会社を訪ねたら、前回はなかった1370£のフライトが見つかった。
これでまた7500円ぐらい予算が浮いたと思ったのも束の間、インターネットマガジンから、「誌面リニューアルに伴い連載はひとまずお休み」とのメールが来ていた。お休みっていうのはつまり、おしまいっていうのをやんわりと伝える言葉だ。もともと1年の約束で連載させてもらっていたのに14ヶ月書かせてもらったのだからもちろん御の字なのだけど、12ヶ月過ぎた時点で、もしかしたら帰国まで書かせてくれるんでは、と内心期待していたので、ちょっとショックだった。でもまあこれからアフリカでしょ。電気も電話も不自由しそうな地域に入るのに、ちょっと不安を覚えていたところだったから、これも天の采配なんだろう。
それよりこの先ケニアや南アなんかで心配なのはやっぱり治安だ。パソコン盗られたりしたらなにがつらいって、ハードディスクに蓄積してる、これまでの写真がなくなってしまうのが一番つらい。あちこちまわってパソコンショップを探し、ためにためた写真データ傑作もカスもひっくるめて500MBぶんをCD−ROMに焼くかMOにコピーできないもんかと画策したけど、いろいろな障害があってできなかった。やっぱ意地でもこのパソコンは守り抜くしかないね。
関係ないけどハルガダのスーパーで買ったシンガポール製のトムヤムラーメンね。これは実にうまいよ。ある晩これをスルタンホテルのキッチンでつくって食べていたら、歯を磨きに来た日本人の男の子がいたんでちょっと話した。ふとしたはずみでナイロビの話をしたらなんと、彼と彼の友達は私と全く同じフライトでナイロビに向かう予定だったので、現地のホテルにたどりつくまでご一緒しましょうって話がまとまった。どうやらナイロビの宿までの安全は確保できそうだ。予定では私はゴーさんより2、3日前にナイロビ入りすることになる。はたしてゴーさんと再会できるだろうか。
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