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こころに残るクリスマス
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キムんちはアルハラメインホテルからタクシーで10分くらいのバブ・ムッサラという広場の近くにあった。一緒に住んでるのは、25歳のイヴァ、22歳のデイビッド、22歳のルナっていう女の子。私がアパートにお邪魔するとみんなが部屋とか台所から出てきて自己紹介してくれた。彼らはコペンハーゲンの大学にいたときからの知り合いで、アラビア語ダマスカス語域専修で2年勉強したあと、実地に使えるようにするためこっちに留学しに来たのだそうだ。
彼が友達とシェアしてるアパートメントは、格別リッチじゃない地元のひとの住むようなとこで、3畳くらいのキッチン、8畳ぐらいの居間に、8畳くらいのベッドルームが3個あった。でも住んでるのは4人だから、寝室はひとりひと部屋ないことになる。いまはクリスマスのお祝いのためにルナのパパが遊びにきていたんでルナとパパがひと部屋、イヴァとデビッドがひと部屋、それから、キムが私とノアを招待したっていうんでキムとキムのお客、つまり私とノアがひと部屋使うことになってた。
私はヨーロッパのひとたちがアパートをシェアするってもっとお互い干渉しないドライな感じかと思っていたんだけど、キムが私しか連れてきていないのを見てイヴァが、
喋っててほんとに驚いたっていうか困ったのは、彼らがめちゃくちゃ英語がうまいってことだった。なんで困るって、ボキャブラリーが多くて知らない単語が多いうえ、スピードがはやくて聞き取れないんだ。たとえば日本人同士でほかの国のツーリストにわかるように英語で喋るときって、なんか照れがあって、NHKの朝のニュース番組みたいによそよそしい喋り方になっちゃったりするもんだけど、彼らはまるで普段からその言葉で喋ってるかのようにスムーズに話してた。
デンマークっていうのは当然デンマーク語の話されてる国だ。ところが50過ぎのルナのお父さんですら、英語はぺらぺらだった。一度私がトイレに立って、戻ってきたら彼らがデンマーク語で喋ってるのが聞こえたんで、あ、デンマーク語に戻ったんだな、と思いながらドアをあけたらとたんにスイッチ切り替えたように彼らが英語で続きを話しはじめたんで冷や汗流れたぐらいだ。彼らは自分たち同士の会話でも私に気を使ってほとんど英語でしてくれてた。私に気を使って英語で話してくれてるのにわからないのはかなり気まずい。私は話題についていけなくなるとこっそりキムに
豆のクリーム「ホムス」とパンで軽い晩御飯を食べてたら、近所のひとが遊びに来た。チャイを飲んだり水タバコを吸ったりしていたらもう結構遅い時間になった。彼らは実は最近キムたちと知り合ってキムの家に来るのははじめてだったんだそうだ。彼らはデンマーク人の家に遊びにきた感激でときを忘れてしまったようだ。そうでなくてもアラブのひとたちは、ひとんちにあがると結構長い。彼らはルツというアラブの楽器の腕をひとしきり披露して、帰るとき、
って言ったので、いいのかなぁと思いながらなんとなく結論をまた先延ばしにしそうな気配になってきた。こういうときが一番あぶない。誰かにダメって言われないと絶対長居してしまうんだ。
近所のひとたちが帰ったらもう11時をまわっていて、一時は今日の飲みはナシかなと思われたけど、みんなはいそいそと仕度をはじめて、12時近くなる頃にはみんなだいたい準備ができた状態で居間に集まった。
デビッドがおしゃべりの合間に、
ゆうべ3時に帰ってきたので、翌朝はみんな結構ゆっくり起きた。朝食のしたくをしてる間、キムはジャガイモ煮たり、クリスマスのごちそうの下ごしらえしたりしていた。キムは行ったりきたりしてる間にちらかったものをぱっぱっぱと片付けて行くので気持ちがいい。しばらくして12時近くなったので私たちノアを迎えに出発した。
道みち、昨日一緒にクネイトラに行ったときのはなしになって、キムにマットの話とかをした。
ノアをつれて部屋に来ると、ノアが私のひろげた荷物を見て、
![]() クリスマスのごちそうを囲んで
ノアはベジタリアンだから、ポテトサラダとゆで卵を食べて、そのほかにちょっと魚なんかも食べたりしていた。魚のマリネは少し甘いけど、日本のしめさばと近い感じでおいしかった。うん、たぶんサバだったと思う。私が気に入ってばくばく食べると彼らもよろこんだ。デンマーク人はバイキングの末裔と目されてるぐらいで、デンマークは海と船の国だ。そんなわけで、デンマークでは結構魚が食べられてるという。たいしたことじゃないんだけど、これは私たちの共通点だ。お互いの間柄がちょっと近くなった気がした。
ノアは来るなり全員に上手にウェイトを配分してあれこれと質問をし、雰囲気をうまくコントロールした。ノアは私があんまり英語が話せないのを知ってるんで、私に話を振るときはだいたいハイかイイエで答えられるようなことを訊いてくれた。でもこのおかげで私は話題から完全に迷子になることはなく会話についていってたと思う。さすがだ。25歳にしてこれだけ上手に話を仕切ることができるなんて。これはあとから知ったんだけど、ノアはオクスフォードの大学院を出てるらしかった。道理でっていうと変だけど頭が切れるわけだ。しかもノアはすごく礼儀正しかった。お酒をすすめられると彼は、
ルナパパがノアに、
まもなくデビッドがそわそわと仕度をはじめ、デンマーク大使館で働いてるひととかがひらくパーティというのに呼ばれていった。デビッド自身はパーティやひとの多いところは大キライなんだけど、彼はちょっとジムキャリーに似た芸風の持ち主で、シャンペン用のリボンを室内履きにつけて突然タップダンスを始めたり、洗面所で突然奇声を発したかと思ったら歯磨き粉てんこもりの歯ブラシを見せにきたりとなにかとサービス旺盛なひとだったから、そういうパーティには欠かせないひと、と目されてるのかもしれなかった。
![]() (左)デビッド、(中)イヴァ、(右)キム (後左)レドワン、(後右)メルワン
残った比較的しずかなひとたちは、そのあとも国のはなしやクリスマスのことやアラビア語について話したりしながら赤ワインやウォッカなんかを飲んでおしゃべりを続けた。部屋の隅ではさっきデビッドがいたずらして灯油のかわりにウィスキーを入れて行ったせいでストーブがボンボン音をたてて燃えていた。私はおなかがまだ本調子じゃなかったんで、時々部屋に戻って酔いをさましたり休んだりしながらときどき話しに参加したりしていた。私が休んでる間に近所の子供が遊びに来たみたいだったので出ていくと、子供たちは居間でプロペラのおもちゃみたいなのを飛ばしてしばらく遊んでいった。彼らの使うアラビア語は簡単なんで、彼らはキムたちのいい先生なんだそうだ。
ルナはたまに子供たちのサッカーに参加したりするんで人気者らしかった。ルナはキムよりも背の高いかっこいい子で、飲むのが大好き、男の子たちと遊ぶのも大好き、自由に生きる今ふうの女の子だ。流行りものが好きそうなタイプに見えるのに彼女がアラビア語を勉強してるっていうのが不思議でしょうがなかった。
ってパパに言ったんだって。パパはそれをきいて、 「フー、妊娠検査薬があいつのためのもんじゃなくてほっとしたよ」 って言ったらしい。
私んちは、娘ふたりが成人したあたりから両親と下ネタ喋るようになったんでかなりリベラルなほうだと思っていたけど、それはあくまで他人や一般の話題であって自分や友達に関係ある話は冗談でもしない。どういう尺度で測ればいいのかよくわかんないけど、ルナんちはうちの10倍ぐらいはリベラルらしいんで私は漬物石たたきつけられたぐらいびっくりした。
イヴァは日本にはかなり興味があって、「円高」とか「財閥」なんて言葉をよく知っていた。彼はサブカルチャー系の話題にも詳しくて、数年前に日本で流行ったらしい(私は知らなかったんだけど)映像上の架空のアイドル「キョーコ・ダテ」をどう思う?とか、日本でアニメや漫画の文化が発展した理由はなんだと思う?とかいう難しい質問をいろいろされた。彼はなんと北野たけし監督の映画を全部見ていて、
だけどルナパパを含めてあとの4人は日本とか香港とかの区別はかなりつかないみたいで、
夜10時頃になってキムが、
それから全員で、「セルビスタクシー」って呼ばれるバンのタクシーを貸切にしてキリスト教地域のアルメニア人街に向かった。車を降りてちょっと歩くと鼓笛隊のどんちゃかいう音が聞こえて、急いで音のほうに歩いて行くと少年少女鼓笛隊みたいなのがへたくそなラッパでグローリアなんかをぶかぶかと吹き鳴らしていた。道じゅうが、派手じゃないけどクリスマスの電飾でかざられて華やかだ。
まだミサまで時間があったから教会の向かいの喫茶店で少しの時間お茶を飲んで、そして11時半になってミサに行った。訪れたのはギリシャ正教の教会だった。入り口で募金をあつめて胸にピンをとめていたので、ポケットから小銭を出そうとしたらキムが「いいよ」って言っていくらだかのお札を募金箱に入れていた。そいで女の子にピンをとめてもらった。
中にはいるともうミサは始まっていて、私たちは3人ずつ2列にわかれて座った。私は6人のなかで後ろの列の真中で、私の前に背の高いノアがいて、立ってると何も見えなかった。左にキム、右にイヴァ、左前にパパで、右前にルナだったと思う。教会の中はおそろしく明るく天井の隅々まで照らし出されていた。この地域はアルメニア人が多いせいなのか、集まった信者の中には、男も女も目や眉のあたりがラフィ(できごと日記「拾う神あり」参照)に似たひとがたくさんいた。アカペラで「流浪の民」みたいなやや不気味なハーモニーの歌が唄われ、誰かある男性の声がはいるたびに敬意を示してか、会場の信者がいっせいに立ちあがった。私たちも5分ごとに立ったり座ったりしていた。キムはゆうべ遅かったし今朝も早かったんで疲れてるんだろう、そのうちうつむいて手をつねったりして眠さをこらえてるようだった。
店にはいるといきなりアルハラメインホテルにいたお客の面々と顔を合わせた。そのなかに昨日までいなかったスキンヘッドの日本人の男の人がいたんで話したら、彼らも今日どっかのミサに行ってそのあとここに来たんだけどテンション高くてついていききれずに困ってるって言っていた。このひとは34ぐらいで、旭化成でサラリーマンやってるんだけど、年末は大きい休みがとれるんでトルコからモロッコまでを適当に移動する日程で旅行に来たのだって言っていた。年末休み・・・。クリスマスなら当たり前だけど、もうそんな時期かぁ、とふと思った。
私が彼としゃべっていたら、踊りに行ってたマットほか数人が戻ってきて席についた。そうとも、アルハラメインにこの男あり。ビールの席にマットがいないわけがないんだ。マットは私を見つけるがはやいか私のあたまの上にビールを載せて、
私もドイツ人の男の子に踊りにいこうぜって誘われたので、キムに声をかけた。
帰り道、通りに飾られたサンタクロースやクリスマスツリーに見とれながら、
彼らのアパートに戻るセルビスの窓から外を見ながら考えた。これまでで、思い出に残る誕生日はいくつかあったけど、だいたいの年はとても普通だった。たぶん10歳のときは友達呼んでクリスマスパーティをしてたと思う。13歳のときは大好きな先輩ほか数人の友達を呼んでパーティしてた。14歳のときは熱出してたのに無理やり薬で下げて友達とスケート行った。15のときは受験勉強の合間をぬって来てくれた友達とにんにくか鶏肉かわからないぐらい臭いフライドチキン食べながらノイローゼになるほどポールマッカートニーの「No More Lonely Night」ばっかり聴きつづけた。21のときは彼氏がバイト入れちゃったのに腹をたててキャンセルさせて無理やりデートしたっけ。彼はその後遠くへ行ってしまって二度と戻ってこなかったんで、22のときはひとりでいたくなくて自分がバイトいれてた。24のときは仕事がひどく忙しくて休日出勤になったんで、課長と部長にピザとケーキおごってもらったっけ。
でも全部こんなのは普通だ。そのままの流れでいけば、今年も仕事のあとに友達とのみに行ったり、よくても恋人とかを呼んで家でカレーかシチューつくったりして、それはそれで楽しいだろうけど別に普通の誕生日だったと思う。私のこれまでの人生にケチつける気はないけど、でもこれまでの人生のどこを探しても、「30歳の誕生日に、シリアのダマスカスで、デンマーク人とすごす」なんて答えは出てこなかったと思う。私は自分の30歳の誕生日にとっても満足していた。
ミサから帰ってきて、みんなが思い思いに寝るしたくをしてベッドに戻っていったあと、ノアが割り当てられたソファに寝そべって、
30回めのクリスマスが終わった。これ以上望むことの何もない、あったかくておだやかで、ドラマティックなクリスマスだった。
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