セーターの王様
   6時20分、ノアがごそごそと荷物を持ってドミトリールームを出ていったので目がさめた。私が着替えて部屋を出ると、ノアは荷物を受付に置いてチェックアウトを済ませていた。ノアはご両親と約束があって今日アンマンを経てイスラエルに戻り、それから南下してふたたびエジプトに向かうのだ。ノアは旅の予算ほとんど尽きちゃったから、エジプトに1週間ぐらい居てシナイ半島とルクソールをちょっと見たらもう帰国するって言っていた。

「ノアがいなくなると寂しくなるよ」
っていったら彼はいたずらそうに、
「きみが寂しくなるって?僕がいなくて?まっさかあ!」
って言った。私はなんか恥ずかしいことを言ったような気分になって、
「だってさ、キムといたりノアといたりして、クリスマスからもうかれこれ1ヶ月もひとりになってないんだもん」
っていったら、
「甘やかされてんだね!」
って言われた。
「そうだよ悪かったね」
って意地張って言ったらノアは笑いながらカバンから歯ブラシを出して洗面所にいき、戻ってきてから手元で歯ブラシをちまちま動かして、
「僕だってきみがいないと寂しいよヌーサン」
って言った。
「ウソ言ってるでしょわかるよ」
って言ったら、にやにや笑って彼は、
「だってそういったほうがいいひとに見えるかと思って」
って言った。ヘソ曲がりの彼が、せいいっぱい素直になって言ってくれた言葉だと思って私はそれで満足した。

 まもなくノアの乗るアンマン行きのバスがやってきた。ノアは、
「それじゃ行くよ。気をつけてね。エジプトで会おうね」
っていってきゅー、と今までで一番強く私をだきしめてくれた。私は、
「もしエジプトであえなくても、アメリカできっと会えるよね」
っていいながら、バスのうしろまでついて行ってノアを見送った。ノアは、
「もちろんさ!」
って言ってバスにとび乗り、曇ったガラス窓のむこうから大きい手を振って見せてくれた。ノアは行っちゃった。1ヶ月ぶりにまたひとりになった。キムに会えたらよろしくねっていうの忘れた。朝から青空が見えてる。でも筋肉痛で今日はもうペトラを歩く気はしない。まだペトラのチケットの有効期間が残ってるんだけど、アカバに行こうアカバに。

ヨルダンで壁掛けとして
人気の王様のカーペット

 昨日買っておいたヨーグルトを食べ、チェックアウトの手続きして、部屋から荷物を引きずり出し7時半にはスタンバイした。バスは8時だか7時半だか来る時間がはっきりしなかった。ドミトリーのほかのひとたちに、
「それじゃそろそろ行く時間だから。会えて楽しかった」
って言い、自転車でアジア横断してきたつわもの旅行者ジョンに、
「じゃ、アフリカでね」
って言ってロビーに戻った。バスは7時44分にやってきた。20人乗りぐらいのマイクロバスだ。

 バスは晴天の美しい荒野を走り、少し居眠りして目をさますといきなり目の前に海が見えた。出発から2時間しか経ってない。でもずっと坂を下ってきていたみたいで、バスから降りたら、スイスからスペインについたときみたいにあったかかった。なんていいとこなんだ!

 ホテルの方角をたしかめるためにロータリーに近づいたらタクシーがきた。首を振って「ありがと、いいの」って言っていたんだけど、「道を教えてやるから来い」って言ってるみたい。タクシーに道教えてもらうのもなんだなあとか思いながら寄っていってペトラホテルに行きたいっていったら、ああいってこういってと説明したあと運転手は、
「めんどくさい、きみさえよければ半ディナール(約80円)で連れて行ってやるけど」
っていった。実際走ってもらったら、十分タクシーに乗る価値ある距離だった。でもヨーロッパにいた頃に比べると根性ないよね。筋肉痛のせいもあるけどね。


王様と王妃さまのポスター
 町はにぎやかでとても楽しそうだ。空は青いしあったかい。ホテルにチェックインし、さっそく朝食だ、と思って下に降りた。ペトラにいたときは近所に店のない不便なところに泊まっていて、しかもホテルの食事は高かったから、毎日町で材料を買ってきてはノアと自炊していた。自炊といったってホテルのキッチンを借りてるわけだからたいしたものはつくれない。毎日スパゲティをつくるのがせいいっぱいで、おまけにノアはベジタリアンだから、ソースはノアのぶんをとりわけたあとにトマトサーディンを入れるのがせいいっぱいだった。やっとまともな料理が食べられる、という喜びに町へ繰り出す足取りも軽い。

 下に降りたついでにホテルのスタッフに、中華料理店の場所を聞いた。実はこの街には、アンカラでお世話になった伊藤さんの、お知り合いの銭(CHIEN)さんがやってるレストランの本店があるってことだった。
「アカバに行くときはここに連絡してね、銭さんの奥さんがアカバにもお店を持ってるからお世話してくれると思うわ」
ってアンカラを出るとき伊藤さんちのママから言っていただいていたのだ。この前「私の旅はひとり旅か?」って反省したとこだったから、ひとさまにご厄介かけないようにしよう、と思っていたけど、ノアと離れて急にひとりになって、すごい心細かったこともあってちょっとお邪魔しちゃおうかなと思ったのだった。

 知り合いがそのレストランをやってるんだ、ってホテルのスタッフに言ったらスタッフは早とちりしておもむろに電話かけはじめてしまった。伊藤さんから成吉思汗のママさんにもう連絡してもらってるかわからなかったけどとりあえずママさんがいるかどうかだけでも確かめてみようと思って受話器をうけとった。
「もしもし?銭さんの奥さんいらっしゃいますか」
電話がつながるとまずマネージャーらしい若い女性が出て、そのあと男性にかわった。
「ミスター・チンですけれども」
銭さんの旦那さんだった。

 旦那さんにはアンカラで1度だけお目にかかって、
「この娘は中国の子みたいに見えるねえ」
って言っていただいたことがある。だけどほとんど半年も前のことだしちょっとのことだったから覚えてもらってるかどうかさだかじゃなかった。でももう電話かけてしまったものはしょうがない。アンカラでお会いしたイデノブコですけれども、覚えていらっしゃいますか、と名のってみた。そしたら銭さんは、
「ああ家内から聞いています。家内はいまアンカラなのでここにはいないけど、気にせずお昼を食べにきなさい」
って言ってくださった。


レストランの中で。楊さん(左)と銭さん(右)
 お昼になって銭さんのレストラン中國飯店に行った。入ると旦那がきれいなマネージャーさんとごはんを食べているところで、厨房ヨコの従業員室みたいなところで席をすすめてもらい、食事をごちそうになった。ラーメンと春巻き、ズッキーニのにんにく和えとチンゲンサイのいためもの。久々に食べる中華はたまらなく懐かしい味がした。

 銭さんは、めちゃくちゃ若く見えるけどたしか70歳くらいってことだった。50年前に台湾に移住して、台湾の学校を卒業し、台湾の軍で飛行機のパイロットとして働き、お金をためて25年前にここのレストランを開いたのだそうだ。ここでレストランが軌道にのったあとは、トルコに転勤になったある国の大使の招きでアンカラにも11年前新しいレストランを開き、今日に至ってるんだそうだ。もちろんこのレストランを軌道に載せるまでの苦労は並大抵じゃなかったらしい。初めの頃、地元のひとに中華の味が受け入れられるまでも大変だったけど、たとえば湾岸戦争のときなんかはまわりの店が次々に店をたたんでいく中、銭さんもいつまでもちこたえられるだろうかって真剣に悩んだこともあったんだそうだ。

 逆に調子のいいときはまた極端で、以前はIHIがここに発電所をたててたもんで、40人以上の技術者や作業員が毎日昼と夜をここで食べていたって銭さんは言っていた。IHIは毎日6ディナール(当時約20米ドル)を食費として支給してたんだそうだ。そんなわけで、銭さんはほっといても毎日約1000$がフトコロにころがりこんだ。しかも彼らは夕方早い時間に来て文句ひとついわずビールなんかもばかすか注文してとっとと食べ、「うまかった〜、ありがと〜、しあわせ〜」といって握手して帰っていく。
「それから地元のお客が来るわけだけど、私はドア開ける気にもならなかったね。だって一日の稼ぎはそれだけでもじゅうぶんだったから」
と銭さんはいっていた。

 それからマネージャーの楊さんはこれまたえらい若く見えるけど1970年生まれの30歳。私と同じ年だった。北京の近くの出身で、高校を終えたあと4年間軍にいて、それからアンカラのアメリカンスクールに行ったりダマスカスでアラビア語を勉強したりしてたんだそうだ。すごくキレイなひとなんだけど、生涯結婚しない主義だって言っていた。レストランの采配をまかされるぐらいの才長けたひとだ。たおやかな身のこなしのなかからも、女ひとりでも身をたててやろうっていう闘志みたいなもんが感じられてかっこいいひとだった。

 夕方ちかくまで長々とお邪魔して銭さんと楊さんとおしゃべりをして、さびしい気持ちもうすらいでおいとましようとしたら、
「晩におなかがすいたら好きなときにいらっしゃい。何も心配しなくていいからね。ここはきみの家だから」
って言ってくださった。

* * *

 ここでまた私は、何か銭さんたちのお役にたてることがないかと思って「日本語のメニューいりませんか?」とか、銭さんが肩がこるというんで「肩でも揉みましょう」とか言ったんだけど、
「日本語のメニューがあるとお客さんが日本語で注文しようとしてトラブルがあるかもしれないからいいよ」
といわれ、
「肩は毎日うちのコックに揉んでもらってるからいいよ」
といわれ、
「君はそんなに気をつかわなくていいんだから、自分のしなくちゃいけないことだけしてあとはのんびりしていなさい」
っていわれてしまった。銭さんは若い頃の苦労があって、いまは必要なものはすべて持ってるひとだ。満たされてるひとに何かをして返すことはとても難しい。


銭さんところでつくらせて
もらった巻き寿司

茶碗蒸しは水が大幅にたりなくて
大失敗に終わった

 さてそんなふうで銭さんのところにお邪魔しては、銭さんの昔話を聞いたり、楊さんとおしゃべりしたりしつつ、ごはんをご馳走になっていたある晩、銭さんとこに行ったらなんかいつもと違う雰囲気。銭さんはスーツを着ているし、時計を何度もみたりしてなんか緊張してる様子。スタッフもなんだかあわただしい。
「今日大事なお客さんでもあるんですか?」
って銭さんに聞いたら、
「今日はキンが来るんだよ」
って言われた。はて。きんさんぎんさんのきんさんは亡くなったばっかりだし(ごめんなさい)菅井きんがまさかこんなところへ?キン。はて。個人名じゃないとすると、似た発音で何かありましたかな、キン。キング?
 キングが来るの?

「キ〜ンが来るんですか?」
と力をこめて聞いたら、銭さんが、
「そうだよ。キ〜ンぐっが来るんだよ」
と言った。

「王様を招待したんですか?」
って聞いたら、銭さんは、
「なあに、王様は私の20年来の友達なんだ。王様はよくいらっしゃるんだよ王宮がここにもあるからね」
って言った。おおっ中華系のコネクション強し。先代の王様はつい数ヶ月前に亡くなって新しい王様が即位されたばっかしなんで、今の王様はたしかまだ37,8才。その王様と20年来の友達ってことは、王様が17,8ぐらいからのお知り合いってことになる。

 中国人のコックさんに用意してもらった牛肉ズッキーニ入りラーメン食べながら「絶対写真撮りたい」と私は勝手に決意していた。だってせっかく王さまがこんな近くにいるのに写真のひとつも撮らないで帰るなんて想像しただけでもったいなくて気が狂う。

 でも今日私はみすぼらしいチェックのシャツにみすぼらしい綿パンをはいていた。この格好じゃ王様の前に出られない。まず銭さんに、写真撮らせてもらえるかどうか聞いてみた。ホームページの食べ物情報のページに載せる銭さんの写真は、できれば王様と一緒のところのやつを使いたい。そんなインパクトある写真はないし、私もせっかく王様が来てるのに実物を見ないで帰るのはあまりに惜しかった。


中国人の料理長。ほとんどひとりで
調理場をきりもりしている

銭さんに、
「王様は写真とってもかまわないっておっしゃると思うよ。あとで聞いてみてあげよう」
っていってもらったのであわててホテルの部屋に戻って、シャツを少しマシなやつに替え、髪をとかして試供品のファンデーションぬって、まゆを描いて口紅をぬった。化粧なんかするの、オーストリアにいたとき以来だ。ザッハートルテを食べにホテルザッハーのカフェに行ったとき、すっぴんじゃ恥ずかしいかと思って化粧したんだよね。

 それからまた走っていって、銭さんとこの厨房の裏で、王様の食事が終わるの待った。しばらくしたら王様の接待をしていた銭さんがもどって来て、お茶のみながら私を見て眼をまるくして、
「オー、ユーアービューティフル」
って言ったので笑ってしまった。化粧してきたらビューティフルだと思うなんて、だまされやすいひとだ。

 しばらくパソコンでホームページの編集したりしながら待っていたら楊さんがオイデオイデをするのでドキドキしながらレストランのフロアに入った。ついに王様の写真撮るときがきたのだ。だけど王様がいない。目の前に銭さんが立っているけど王様が見当たらないんだ。銭さんが王様におしり向けてるはずないから銭さんに並べばいいだろうと思ってヨコに並んだら、なんと王様は銭さんのとなりにいた。本物の王様〜!!国中いたるところにポスターや看板が貼ってあって、尊敬され愛されてるヨルダンの王様。王様はまるで庶民みたいな目立たない格好してたので最初わからなかったのだ。

 王様は、セーター着てて身長160cmぐらいの小太りのひとだった。ヒゲはやしてるけどまだ青年って感じで、失礼だけどとってもかわいい印象のひとだ。
「こんばんは陛下、お目にかかれて大変光栄に存じます」ぐらいのことは言うつもりだったのに私はすっかり舞い上がってちーさい声で間の抜けたコンバンハしか言えず、写真を2枚とってしずしずとさがったのだった。楊さんのカメラでも何枚か写真をとっていて、その間に私は撮った写真をデジカメのディスプレイに表示し、王様にお見せした。そしたら王様は、
「すばらしいですね」
と言ってほほえんでくださった。本物の王様の高貴な手からデジカメを受け取るとき、王様の手が私の指先に触れてしまった。おおっ正真正銘の王様の手〜〜!!!私は自分がこんなにミーハーだとは知らなかった。


左)楊さん、中)王様、右)銭さん

 ほんというと、私も並ばせてもらって一枚撮らせてほしかったけど、私のカメラは夜間の撮影にすごく弱くてすぐ埃をキャッチして白いマルがいっぱいうつってしまうので慣れないひとに頼むのは難しいし、それに今日王様は銭さんのゲストだから遠慮した。

 王さまが御用邸に帰られたあと、パソコンに写真をとりこんでたら、銭さんがやってきて写真をのぞきこんだ。銭さんの真後ろにちょうどWCの文字が入っていてちょっと変だ。ここを編集して明日もってきてお見せしますって言ったら銭さんはすごくテンション高くて、
「おぉそうかいそうかい、楽しみにしてるよ!」
っておおよろこびだった。そして、
「これ写真に現像できるかい?」
って言われたので、
「日本の写真やに持っていけばできると思います」
って言ったら銭さんはすごいうれしそうだった。よかった、これで少しだけお世話になったお返しができそうだ。

 それにしても王さま、セーター着てるのも意外だったけど、王さまが来てるというのにその間ほかのお客がふつうに食事してられるというのもおもしろかった。さすが支持されてる王さまは違う。

 アカバは海がきれいなので有名なところだけど結局一日も泳ぎにいかなかった。年末からペトラに至るまでためにためこんでいた日記を書いていたら寒波がきて泳げる気候じゃなくなってしまったんで、残念だけどアカバでの日々はこれでおしまい。銭さんのおかげでヨルダンの最後にすてきな思いでができた。それにいきなりひとりにならずに済んだし、ちょっとリハビリができたと思う。さあ明日はエジプトに渡ろうっと。
王様の写真をとった翌日、余ったフィルムを
使いきるためと称して楊さんがすっとんきょうな
格好していたので ちょっと驚いた