ガンジスのほとり
 
 バスは6時間でバラナシについた。ほんとに散々な一日だったから、へとへとだった。もう1分でもはやく宿にたどり着きたかった。

 バラナシはガンガー(ガンジス川)を抱く聖地だ。ここにはクミコハウスっていう名物宿があった。クミコハウスは、日本人の久美子さんがインド人のシャンティさんっていう旦那さんときりもりしているバラナシの名物宿だ。私はこの宿について「バックパッカーパラダイス」というマンガで読んだことがあって、奥さんは気さくそうなひとに見えたからちょっと印象に残っていた。でも旅行者に聞くと部屋がいつもあいてないとか、あまり清潔じゃないとか評判が悪かったから、チャンスがあれば覗くだけ覗いて、泊まりはしないつもりだったんだ。ところが一緒にここまで来たカンちゃんが「クミコハウスはここまで有名だからオレとしてはひとつの観光地として行ってみるつもり」って言ったのを聞いて、そういわれるとそんな気になってきてしまった。それで結局3人でクミコハウスに向かうことになった。

 駅前はリクシャーの客引きでいっぱいだった。普段だったらぼったくるに決まっているから駅前のオートリクシャーなんて絶対乗らない私たちだけれど、疲れていたし、運転手にしつこくつきまとわれ、「3人で15ルピーでいい」って言われたから乗ってしまうことにした。でもバラナシのオートリクシャーは、コミッションを稼ぐためにこちらの言ったホテルと違うところに連れていくって有名だった。とんでもないホテルに連れていかれて文句をいうと「おまえの言ったホテルは今日は空きがない」とか「実はそのホテルはつぶれたんだ」とか「実はそのホテルは名前が変わったんだ」とか「実はそのホテルは大雨で流されたんだ」なんて言うって聞いていた。私たちは相談して、あらかじめ牽制しておこうって決めていたんで、乗る前に「いい?クミコハウスに連れて行かなかったら1銭も払わないからね。3人あわせて15ルピーだからね。私たちさっき電話して、クミコハウスに空きがあるのを確認したんだからね。」と念を押した。

 そしたら乗り込んだとたんに運転手がおもむろに後ろをふりむいて「いいか、クミコハウスは2つある」って言い出した。「な〜〜〜〜い!!!!」3人声を揃えて言ったあと怒り狂ってすぐに車から降りた。どうせ近くの全然違うホテルに連れて行って、文句いったら追加料金を取ろうっていう魂胆だったんだろう。運転手は私たちがしぶしぶ払うタイプの客じゃないと悟ったらしくて、追いかけても来なかった。釘を刺しておかなかったらたぶんどこか連れていかれてたに違いない。


ガンガーから見たクミコハウスは
こんな感じ
 もう駅前には期待しないことにして大通りに出て待っていたら、何台かのリクシャーが集まってきた。クミコハウスは駅前ではあまり有名じゃないみたいで、集まった運転手の誰も場所を知らなかった。でも、地図を確認してひとりの運転手が近くのレストランの前まで連れて行くよと言った。こんどのひとはどうしても40ルピーからまけてくれなかった。リクシャーで40ルピーは結構高いけど、交渉を続ける気力も残っていなかったし、もう日も落ちていて、この界隈は危険だって言われていたから乗ってしまった。

 今度のオートリクシャーのおじさんはホントにいいひとで、途中で道がわからなくなっても店のひとに聞きまわって調べてくれて、細い路地の奥の、車が入れるぎりぎりのところまで連れて行ってくれた。私たちは人間不信に陥っていたので、まわりの店に「ここはほんとにクミコハウスの近くか?」って聞いてまわった。商店のおじさんが「余計な心配すんな」って顔でうなずいたので、やっとほっとして運転手にお金を払いリクシャーを降りた。そんなあたりまえのことに、と思うかもしれないけど、昨日から今日にかけてだまされ通しにだまされてきたので、たまにだまされないと逆にひどくうれしくなって、私たち3人は彼と握手して別れた。バラナシの路地は何度通っても迷うよって前に誰かから聞いたけどほんとその通りだ。とにかく暗くて似たような煉瓦敷きの道が入り組んでいた。

 クミコハウスでは久美子さんの入室審査があって、マリファナをやっていそうだったり服装が乱れてたりするような不良旅行者は泊めてもらえないと聞いていたので、私とビンくんはいいとして金髪のカンちゃんは泊めてもらえないんじゃないかと心配していた。実際その入室審査で蔵前仁一さんという旅行記作家が締め出されたことがあるって先述の「バックパッカーパラダイス」の後書きに書いてあったから。けど意外にも私たちはカーテンあけられて一瞬にして久美子さんに笑顔で迎えられた。但しもう部屋の空きはなくてドミしかないと言われた。3人顔を見合わせた。私がドミを避けてるのは2人も承知していた。でももうあと1歩動くのもイヤなくらいクタクタで、ほかの宿をあたる根気も体力も残っていなかったし、せっかくクミコハウスに来たのに中を見ないで行くなんて今となってはタージマハルの門だけ見て帰るようなココロモチだった。多少汚くてもクミコハウスはひとつの観光地だ。私たちはドミに泊まることにした。私にとってはついに初めてのドミだった。

 3Fのドミに上がる階段は幅50cmくらいしかなくて、リュックをかつぎ、スポーツバッグを肩にかけた状態では通ることができず、スポーツバッグを胸に抱いてつっかえつっかえ階段を上った。3Fに上がったらドミはもうひととおりのスペースが布団でうまっていて、テーブルがどんと座った隙間に、湿ってシーツもなくカビのはえたような煎餅布団を自分で敷いて寝なければならなかった。もう後悔しはじめていた。

 久美子さんはりえママを思い起こさせる感じのひとだった。私たちが疲れと落胆で布団を引き出すこともできず茫然と立ち尽くしていると久美子さんがやってきて
「そうじゃないかと思って来てみたんだ。昔のコはさっさーっとできたけど、今のコできないんでしょぉっ!?」って言いながらふとんを出してくれた。私たちは必要以上に礼儀正しく振る舞い丁重にお詫びを述べながら、久美子さんが足でこっちに押しやってくれる布団を適当なスペースに敷いた。私たちの布団でちょうど通路までいっぱいになってしまったので、もうコレ以上誰も入ることはできないなと思ったとき、彼女が、
「また来たら間に詰め込むだけだ。ちょっと窮屈だけど、まいいや。あたしゃ泊めて金とりゃいいんだから」
って言った。


クミコハウスのドミはこんな感じ。

今日はとにかく散々だったから、たどりつくのにせいいっぱいでごはんを食べるひまもなく、空腹も頂点に達していた。クミコハウスは夕食がつくのがひとつのメリットだったけど、残念ながら今日の夕食は終わっちゃっていた。クミコハウスは門限があって、夜8時以降は外出禁止という噂があった。夕食が終わっちゃったという話をきいて落胆のためその場でくずれそうになったけど、
「通りのカドにレストランがあるからいそいで食べいっといで」
とクミコさんのお許しが出たんで言われたとおり私たちは急いで宿を出た。レストランに行って注文したあと安心とか、落胆とかいろんな気持ちが交錯して全員ふーっとため息をついた。

「私、クミコハウスは今日だけでいいから明日となりに移るよ」って言ったら2人とも同感だった。どこのホテルだって本音ではそうかもしれないけど、久美子さんの「あたしゃ泊めて金とりゃいいんだから」っていうのがひっかかっていた。いかにも「大名商売」って感じで、僕はああいう言いかたされちゃうとダメだな、ってビンくんが言った。インドではあのぐらい押しが強くないと生きていけないのかもしれない。久美子さんは単にフランクなタイプなのかもしれないけど、そういうフランクさを、ひとにも許す感じには見えなかったからなんとなくダメだった。

 食事を終えてドミに戻った。最近食べ物がかわったせいか、自分のにおいが変わってきたような気がする。特に朝からの長旅で体から、長いこと洗ってない靴下のような(実際そういうのかいだことはないけど)すっぱいにおいが立ちのぼっていたから、ひとに気づかれないうちにと2Fに降りてシャワー室に入った。服を脱いでトイレにすわっていたら電気が切れた。すぐにつくかと思ってそのままいても電気はぜんぜんつきそうもなかった。発電器が動いているらしく廊下の電気だけはついていた。でもシャワー室の電気はつかなかった。これからいつつくとも限らないし、シャワーを浴びないという選択肢は考えられなかったので、廊下から入ってくる薄明かりだけを頼りにシャワーを浴びた。水栓の取っ手も手探りで探した。シャワーといっても細い水を落とす蛇口が高いところにあるだけだった。

 シャワーを浴びると何人かの日本人の男の子たちが夜のボート観光から戻ってきておしゃべりしていた。私たちが布団を敷いたのは日本人の男の子たちが陣取っている一角だったけど、ひとりだけその中にドイツ人の男の子がいた。彼は最初会話に加わろうと努力していた。でもだんだんに会話は日本語が多くなり、かわいそうに彼は会話のキャッチボールを右・左・右・左、と目で追い、まもなく参加するのはあきらめて寝ることにしたようだった。そしてしばらくすると彼はまぶしいから電気を消してくれって言った。男の子たちは電気を消してロウソクをつけたけど、それはファンで消えてしまうのでファンをとめた。ドイツ人の男の子は結局暑くて眠れないみたいだった。でもそれ以上文句は言わなかった。

 ドミにはどこからか際限なくバッタが入ってきてロウソクに飛び込んでは焼きバッタになっていた。私は安全のためパソコンを出さず、マグライトで照らして日記がわりにメモをつけて寝た。カンちゃんとビンくんと一緒だったからよかったけど、もしひとりだったら今日はこの旅でオーマイガッ度ナンバーワンに輝く1日になっただろう。

* * *


ガンジスから日がのぼる

 翌朝5時に起きた。朝焼けには間に合わなかったけれど、暑くならないうちにボートをチャーターしてガンジス川に漕ぎ出す予定だった。クミコハウスのドミトリーの日本人2人とヨーロピアンの男の人と計6人でボートに乗り込んだ。朝6時なのにガート(沐浴場)には結構沢山のひとがきていた。川岸には火葬場もあって、もう火葬の準備が始まっていた。火葬は一体6000円くらいかかるということだった。まわりに犬や牛やヤギや派手な格好したサドゥ(修行僧)やお土産売りがいっぱいいて賑わっているのが不思議だった。私は舟のふちから手を伸ばしてガンガーの水に触れてみた。これがインドでもっとも尊ばれている川の水。

 水をすくって足にかけ、濡れた手で顔をさわってみた。ぬるいドロ水。誰がこの川を聖なる川にしようって決めたんだ?ありふれた広いドロ水の川の向こう岸は死の世界とされていて、家一軒さえも建っていない。こちらではありとあらゆる生の営みが繰り広げられている。ガートには沐浴するひと、洗濯するひと、石鹸で体洗ってるひと、泳ぐひと。ボートの溜まり場には灰色の芥が浮いてこんもりとふくらんでいた。ここで沐浴するぐらいなら、中野区に住んでたときうちの近所にあった妙正寺川で沐浴するワイ、と思ってしまった。ボートは15分くらい川を下り、それからのぼって合計で30分くらいで戻ってきた。

 ボートから降りてとなりのヴィシュヌレストハウスに行ってみたら一部屋だけダブルが空いていて、ここにエキストラベッドを入れることもできると言われた。まがりなりにもドミの洗礼を受け、もう満足していたので私たちは朝食後にそろってこっちに移った。チェックインするとき受付のおじさんに「うしろの貼り紙をよく読んでおいて」って言われた。そこには注意書きがあって、夜間の外出はダメ、ガンガーでの沐浴はダメっていうようなことが事細かに書いてあった。

 おじさんにどうして沐浴ダメなの、って聞いたら彼はつらそうに首を振って言った。 「この前も日本人の男の子が向こう岸まで泳ごうとして流されて行方不明になってしまったんだよ。両親が来て行方不明の貼り紙を貼っていくのは本当に見るにしのびないよ。ここらの人間なら問題ないが日本人にはこの水は危険だ。私の両親は沐浴するがね、私だってお祭りの日ぐらいしか沐浴はしないんだ」


ボートは約30分。6人で
割ってひとり50円弱だった。
 向こう岸まで泳ごうとは思わないけど、クミコハウスの張り紙でワニや河イルカが出るって書いてあったような川だ。川岸にいたって何かあっても不思議はない。それに、コワイのは川だけじゃない。バラナシはタチの悪い客引きなんかによる犯罪もたえず、おじさんが言ったような行方不明の張り紙がざっと見ただけで各国にわたって10種類以上貼りまくられている街で、年間の行方不明者はわかっているだけでも数十人に及ぶという。

 そういえば、これは本当かどうかわからないけど白人女性の死体があがったときに白人が協力して岸にひきあげポリスに連絡したら、ポリスがその死体を川に蹴りこんで「ノープロブレム。おまえら仕事を増やすな」って言ったという噂もある。これだけ沢山の行方不明者の貼り紙があってはその噂を心から否定することは難しい。実際にあった事件では、ヨーロピアンの女性が悪い客引きについていって身包みはがされ、バラバラにされて捨てられた例もあったそうだ。私の両親が、英語もわからないのに通訳を雇ったりして、ぼったくられて丸裸になりながらバラナシまでやってきて娘の行方不明ポスターを貼る姿は見るに堪えない。私がどんなつらい目にあって死んでいったのか想像して苦しみ、実はどこかで記憶喪失になって誰かに助けられ幸せに暮らしていたりすることに一縷の望みをたくして歩き回る姿も、想像するだけで胸が痛くなる。でも実際に、年間に何人もの旅行者の家族がそういうふうにしてこの街を訪れているのだ。

 バラナシは恐ろしい街だ。聖なるガンジスを抱いたその街の路地のひとつひとつにツーリストの血がしみこんでるような気がしてくる。せっかく道連れができたことだし、夜間の外出はひとりではしないことにして、出会うひとにも用心しよう。こういう「前例」の多いとこでは、臆病になることを恥ずかしがってる場合じゃないのだ。沐浴もやめとこう。蚊に刺された跡にばい菌はいって足止めされたりしたらシャレにならないし。

 ヴィシュヌの部屋は狭く、暗かったけどクミコハウスのドミから来るとすごく落ち着く感じがした。それからこれまでの数日でたまった洗濯物をはじめた。洗濯物は天気がよかったんですぐ乾きそうだった。ただこの宿は洗い場ってもんがほとんどなかった。ビンくんはワイルド派なので、ガンガーに降りて色の濃いGパンとかだけガンガーの水で洗っていた。聖なる河なんていうけどぜんぜん清らかな河じゃないんだガンガーは。はるか彼方を見渡してもひたすら茶色くて、もし白いTシャツを洗ったらベージュに染まるようなところよ。ビンくんはひととおり洗って「やっぱホコリは落ちないねー」といいながら戻ってきた。
ガートの建物にシヴァ神の絵

 ビンくんはカヌーをやるのでキタナイ水に対する耐性にはちょっと自信があるみたいで、ガンガーでも絶対沐浴するつもりだと言っていた。ものの本によれば真水で1日生きられる大腸菌がガンガーの水では数時間で死に絶えるほどの不潔さ(その本には"殺菌効果"、と書いてあったらしい)とかなんとかで、私とかは沐浴するかどうかに迷ってたけど朝ボートのときにちょっと水にさわっただけでもう十分だ、って気になっていた。けど彼は迷うところが全然ちがってて、ガンガーの水でクチをゆすぐかどうか迷ってるということだった。そんなおそろしく浄い水をクチにふくむなんて考えただけでも全身の毛が抜けそうだった。

 午後、クミコハウスのひとたち数人とみんなでラッシーを飲みに行ったあと、快晴の空の下、ビシュヌのテラスでおしゃべりしていたら、ビンくんがおもむろに「僕沐浴してくる」といって駆け下りていった。川岸で服を脱いでパンツ一丁になりおそるおそる川に降りた、と思ったらずるっと滑った。みんなで大笑いして声援を送った。腰までつかるところに行って手や肩に水をかけ、髪を濡らして今度は一気にもぐった。そして起きあがると水をすくってこっちに向き直った。遠くてよくは見えなかったけど彼が水をクチにふくんだのが分かった。私たちは喝采して喜んだ。ビンくんは遠くまで泳いでいくわけじゃなく、間もなく服を持ってもどってきた。


ラッシ−屋の壁には
象の顔の神様ガネーシャの絵

 階段を上がってきたら受付でおじさんに見付かっちゃったらしい。おじさんはキビシイ声で、
「おまえはガンガーに入ったのか。行っちゃいけないってあれほど言っただろう。それなのにどうして行ったんだ?日本に帰りたくないのか?」としかられていた。おじさんは、
「毎年子供を失った両親がやってきて私に『どうして息子はガンガーになんか行ったのでしょうか』と泣きながら訊ねるんだ。私はもうそんな姿は見たくない」と諭した。おじさんの言い方は愛情がこもっているように思えた。私たちも喝采してたのが悪いことに思えて急にシュンとなった。

 ビンくんがもどってきて「クチにふくんだけどころがす余裕はなかったよ」ってな武勇伝を聞いていたら、突然ガンガーの水面が波立ち始めて、風がびゅうと吹きだした。グレーの雲がドンドロドンドロと近づいてきて対岸に20mくらいの高さまで砂煙が上がり、なんか尋常ならぬ雰囲気。あれは砂嵐か竜巻かと思っていたら突然雨が降り出した。雨の神がやってきたのだった。

 洗濯物をカンちゃんがあわててとりこんだ。突然土砂降りになって気温が一気に下がった。私たちはテラスのイスに座ってガンガーを眺めていた。間もなくばばばばと帆の鳴るような音が聞こえはじめ、やがてそれはカミナリの音になって、空がときどき光った。雨の神はガンジスを遡り、岸辺の街を夜の顔に染め変えて行った。

* * *

 翌朝9時ころに部屋を出て表の角のレストランに行って料理を注文した。今日は予定どおりなら昼にチェックアウトし、午後発の電車に乗って3人でデリーに向かうはずだった。デリーで私はイスタンブール行きのチケットを手配して、それが済んだら少しの間、タージマハルなどを見に行くつもりだった。ふたりはビザの手続きをして、とれたら陸路でパキスタン・イランへと向かうのだ。しかし。料理がくる前にカンちゃんが日本にちょっと電話してくるといって電話ブースに入り、間もなく青いカオしてもどってきて頭のヨコを両手でおさえて「友だちが殺されちゃった」って言った。

「オレとうちの彼女と毎週1回は会ってよく飲む女友達が変死体で発見されたんだって。アイツが先週一緒に飲んでて、別れたあと連絡つかないからおかしいと思って見に行ったら死んでてアイツが身元確認したんだって」と言ったあと、彼はしばらく黙りこみ・・・やがて言った。
「オレ帰るわ。犯人つかまってないみたいだし、なんかあってアイツんとこ来たらやだしさ」

 私が少し遅れて部屋にもどると、カンちゃんはカルカッタ行きの電車を時刻表で調べていた。テラスでガンガーを背景に写真をとり、住所を交換した。カンちゃんから借りてたバンダナをベッドの上に置きっぱなしにしてたはずなのになかったから「バンダナどうした?」って訊いたら「もったもった。でもあげよっか?」って言われた。「デリーまで、かわりに連れていくよ」って言ったら「うん、そうしてよ」って彼は笑った。

 バラナシにいるといつ自分が行方不明者の張り紙になってしまうかと背筋が寒くなることも多い。でもそう思っていた矢先、安全なはずの日本でそんな痛ましい事件が起こったと聞かされ、人生ってものの皮肉さっていうか、いかに一筋縄じゃいかないかってことを思い知らされた気がした。駅についてカンちゃんのカルカッタ行きのチケットをとると、もうデリー行きの列車の出発する時間だった。ビンくんが「短い間だったけど楽しかったよ」って言ってカンちゃんと強く手を握った。それ以上何も言わなくても、ビンくんが、ともにアジアを横断する心強い友を失った哀しみを伝え、カンちゃんが自分の果たせなかった野望をビンくんに託していることが分かった。私もカンちゃんと握手をし、彼からもらった青いバンダナを、軽く振って別れた。


左・わたし、中・ビンくん、右カンちゃん

 別れと同時に出会いもまた、途切れることなく続いていた。ホームに行って列車を待っていたらひとりの日本人の男の子が来て、僕もデリーに行くんですと言った。チケット見たら彼も同じ車両で、カンちゃんの席がキャンセルできずに余っていたので私達は、「ひとりよりは安全だろうからここに来ませんか」と彼を誘った。彼は喜んで来るといった。バラナシ〜デリー間。それはインドでも最も盗難が多いことで、悪名高い列車だった。

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