通しチケットだけはおよしなさい
 
 荷物を整理していたら、バッグの中にいた足のついたアーモンドと目が合った。全長5cmくらいある巨大なやつだ。一旦バッグから誘い出しておいて、殺虫剤をざっぷりかけたらベッドの下に逃げこんだ。懐中電灯で照らすと、昨日退治した小ぶりなやつがあおむけになっており、いま戦闘中のやつも奥で黒光りしていた。バッグの中にいたのはさすがにショックだったけど、部屋のなかにゴキブリがいることにはだいぶなれた。ここはポカラ。ネパールで二番目に大きい都市。ということになってはいるけど、客観的に見れば牛フンもかぐわしいただの田舎町にすぎない。

 私がブータンの町プンチェリンから戻り、インドのシリグリを経て、カカルビッタ国境からネパールにはいって、ほとんど2週間が過ぎようとしていた。インド・ネパールは盗難なんかで結構あぶないことが多いんで、ひとり旅同士でも不思議と自然に道連れになることが多い。カトマンズで知り合った湯浅くん、カンちゃん、タカシくんと私の4人、連れだってポカラのダムサイド地区の入り口にあるこの宿にやってきたのが数日前。このポカラはヒマラヤに囲まれた極楽みたいなところだってマンガの「バックパッカーズ・パラダイス」に書かれていたんだけど、一年にたった3ヶ月しかない雨期にドンピシャで来てしまったおかげで、ここにいる間もヒマラヤはアンナプルナII峰のてっぺんのちいさな三角が、雲間にほんの一瞬見えただけだった。だけど、私は2週間有効のシングル・エントリービザで入国したので、もうここを出る時期にきていた。私はホテルのスタッフのミンって男の子に手配してもらってインドのバラナシまで、バスとホテルのコンビネーションの通しチケットを買い、出発は明朝の予定だった。

 室内が殺虫剤くさいので外に出ると、ちょうど首都カトマンズで会ったYさんが歩いてるところに出くわした。別にたいした偶然でもなく、ネパールにとってカトマンズとポカラとは、家における台所とトイレのようなもので、誰かと知り合ってカトマンズにいなければポカラをさがせば見つかる、といった程度のものだ。Yさんがこっち方面にむかったのは知っていたから、再会してとりたてて驚くこともなかった。このYさんはもうかれこれ20年近くもバックパッカーやっていて、インド・ネパール方面には非常に長い経歴をもっており、もう観光地なんかを巡ったりしない。そういうのは若い頃にじゅうぶん見たので、近年は、インドなんか一旦はいったら、見所なんかなくて宿代の安い農村にこもってビザの切れる半年ぎりぎりまで出てこないようだ。その間は本を読んで暮らしてるのでおそろしく博識だし、時間がふんだんにあるんでカセットテープから歌詞を書き起こして、意味も知らないヒンズー語の流行歌をすらすらと歌う。・・・そういうわけでYさんはカトマンズやポカラについてはツーリストの行かないような隅々まで手に取るように知っている。Yさんはこのところ、ある「秘密の」穴場でガンジャを摘んできては喫っていたそうだ。ついでにいうと、「秘密の」穴場っていうのは、ポカラ空港のフェンスの前だそうだ。

 明日出発だということをYさんに告げると
「チケットもう買ったの?」
と訊かれた。
「バラナシまでの通しチケットを」
と答えると、
「ええっ、通しチケットを買ったの?・・・・そう。あれは、いまは大丈夫なのかなあ」
と気になることを言われた。この通しチケットの評判が悪いというのは知っていた。ただ、どう悪いのかは知らなかったから、泥棒が多いとか、そういうのだろうと思っていたのだ。幸い、カトマンズから同じバスできたカンちゃんと、そのカンちゃんがカトマンズで知り合ってたビンくんてひとが同じ頃に出国予定で、同じバスでバラナシまで行くから大丈夫だと思う、というとYさんは多少気の毒そうな表情を残したまま
「ああそうですかあ、気をつけて」
とだけ言ってまた散歩に出ていった。

 その晩はヤドに予約をしてあった。ヤドというのは、泊まってたホテルの近くにあるホテル&レストランで、ここのおばちゃんの作るダルバートは旅行者の間でおいしいと評判だ。ダルバートっていうのはネパールのベーシックなお食事セットで、ごはんと、ダル豆のスープに、野菜のカレー煮とかチャツネ、ヨーグルトなんかがついている。ネパールじゃ近隣諸国に比べると日本食のレベルが高く、安くておいしい日本食が食べられるので、旅行者の人気は日本食レストランに集まりがちだったけど、ここは味・量とも別格だった。一緒に行った、どっちかっていうと日本食派のひとたちもこのダルバートには狂喜していた。

 さて、ポカラのレストランに多いのは、「おなかがすいたら行く、注文したらつくる」という一般的なプロセスをふむ店じゃなくて、「朝から注文しといて、予定の時間になったら食べに行く」というパターンだ。そうすると、お店としてもいろんな料理の材料を準備しておいてムダになるのを防げるからだろう。ここのメニューは「夕食」と「カード(ヨーグルト)」と「チャイ」ぐらいだったけど、毎日違うオカズのはいったダルバートが食べられるので飽きるということはなかった。

 さて、日が暮れてまもなく大雨になった。予約してあった夕食に行こうとしたら道が水びたしになっていた。ふだん道を歩くときは牛フンをフンでしまわないように注意するのだけど、こうなるともうフンもクソもあったもんじゃなく、ただひたすら水たまりの中を歩くのみだ。ヤドについてみると料理はちょうどステンレスのプレートに盛りつけられたところだった。たまにベジタリアン料理の日もあるけれど、今日のダルバートはチキンいりで、オクラの生姜醤油あえにナスの甘辛煮付けがついていてかなり和風仕立てになっている。今日も例にもれず驚異の美味で、ごはんをおかわりしてもまだ食べ終える気になれず、ダル豆とポテトカレーとごはんをもらってやっとギブアップした。しかしながら、食べ終わってから、予約してたヨーグルトのことに気づき、それを食べてチャイまで飲んだら具合わるくなるぐらいおなかいっぱいになった。

 ごはんを食べてる最中にもまったく雨足は弱まらず、雷も鳴り出した。ヤドのレストランはトタン屋根のついたガレージみたいなとこに8席のテーブルが窮屈そうに置かれているだけなんでトタンに落ちる雨音に遮られて会話がほとんどなりたたない。私たちがお互いに叫びあいながら食事をしていると不意に空がピカと光り、ガシャゴンという音とともに電気が消えた。ロウソクたててチャイをすすりながら喋っていたけれど雷はどんどん頻度を増し、しばしば昼間のように明るくなった。雷は日本の雷雲のように近づくとか遠ざかるということなく、あっちの空でもこっちの空でもいい気になって鳴り続ける。待っていても雨はやみそうにないので、どしゃぶりだけど帰ることにした。

 ヤドのおばちゃんにお金を払い外に出てみると、同じ宿の湯浅くんが
「うわ、道が溢れちゃってる」
と奇抜なことを言った。道は通常あふれたりするものではないのだけど、道が川になってしまって、かつあふれてしまってるんだ。停電のため道も、両脇のホテルの窓も真っ暗だけど、雷のためにときどき足元がはっきり見えた。道はレイクサイド方面から、こちらのダムサイドに向かって下っているのでみごとな濁流になっていた。道は入ってみるとそう深くはないけど雨自体が激しいので綿パンが腿まで濡れてしまった。私たちはどんぶらこどんぶらこと歩いて泊まってる宿に戻った。

 11時頃まで私たちはロビーで喋っていたけど電気も回復しそうにない。その間、ホテルのミンがすり寄ってきて、しきりと私と話したがった。彼は和風の顔立ちの一見誠実そうな男の子で、幼く見えるけれど20才だって言っていた。ここに泊まっているあいだじゅう、何かと理由をつけては私を誘いだそうとしていたけど、ある日みると「女をその気にさせる法」っていうハウツー本を図書館で借りてきて真剣そうに読んでいた。大学に行くために勉強してるとか、親戚のコネを使わないで自分の力でいい仕事をみつけたいとか、まじめそうなことを言っていたけど、いっぺんそういう本を読んでるとこ見せられちゃうと、「それも本に書いてあったんじゃないの〜?」とどうしても思えてしまう。

 そういえば、ネパールに来てからこの手のアプローチに一層拍車がかかったような気がする。カカルビッタの町ではロマンって男の子に迫られかけたし、カトマンズでもちぎっては投げちぎっては投げの大人気。ネパールはアジアでもトップクラスに貧しい国なんで、彼らにとって日本人と結婚することは成功への第一歩、かつ、一番実りが大きく、しかも実現が簡単な夢であるらしい。私がカトマンズにいる間にも日本人女性と現地男性の結婚式が一度あったぐらいで、そういうカップルは増えつつあるんだと思うけど、いくらなんでも「女をその気にさせる法」の実験台になるほど物好きじゃないんで、停電は回復しないけど部屋に退散することにした。

 ロウソクを1本新しくもらい、ロビーの燭台を勝手に借りてきて、もともと部屋にあった1本にも火をつけてそれぞれ洗面台とサイドボードと、枕元の台の上に置いた。土砂降りとひっきりなしの落雷にろうそく3本の湿っぽい部屋なんて不気味以外のなにものでもないけど、心細いという気分にはまったくならなかった。暗いところは苦手だと思ってたのに、誰もいない、明かりのない部屋でひとりで戻ってきて眠るなんて、自分がこんなに勇気があると思わなかった。同じ建物に友達になったひとたちが大勢いるっていうものあるだろうけど、不気味さも度を超すとなぜか痛快になってくる。

 ロウソク3本の明かりで私は髪を洗い、荷物のパッキングをだいたい済ませた。外では恐ろしいくらい雨がふっている。これまでは雨は長くて1日降れば止んだけれど、ここでは雨季にはたまにこの調子で1週間降り続くそうだ。空ではジェット機がとぶようなゴーという音がやむヒマなく鳴り続け、切れかけた蛍光灯のように天はびかびかと光りつづけている。明日出発しても崖崩れで明日じゅうに国境のスノウリにつけるかどうか怪しいんじゃないかとさえ思えた。雨期になると地盤がゆるみ、きちんと整備してない道路脇の山が簡単にくずれるのだ。そういえばYさんはカトマンズから来るとき5回のがけくずれにはばまれて、早朝出て夜中までかかったと言っていたっけ。3人で行動することになったのがせめてもの救いだ。

* * *

 朝。かろうじて雷はやんでいたけど、雨はあいかわらずのどしゃぶりだった。

 カトマンズに戻るタカシくんと湯浅君を見送って、私たちもタクシーで彼らとは違うバス乗り場に向かうことにした。宿のミンはゆうべ寝る前に
「明日は出発が早いけど、僕が起きてタクシーのアレンジをして行き先を言ってあげる」
と言ってくれていたけど結局今朝は姿がみあたらず、受付にはオーナーのおじさんがいるだけだった。タクシーを呼んでって言ったら、おじさんは雨の中傘をさして外へ出た。電話で呼べないの?ってきいたら無理だという。考えてみれば私もどうかしている。ネパールのタクシーに無線つんであるとでも思ったんだろうか。やっとつかまったタクシーはバスのりばまで120ルピーと言った。ミンの話では40くらいで行けるってことだったけど、朝が早くてまだあんまりタクシーがいないので足もとを見てるのだ。本当に話が違いすぎる。

 もたもたしていたらバスの集合時間になってしまった。私たちはまだビンくんを途中でひろわなければならない。タクシーの運転手はそれを幸いと
「途中でピックアップするなら距離によってはもっと金を出せ」
って言う。交渉をしてるヒマはないんだってば。
「どうせ通り道でしょ」
って言ったらやっと走り出した。交差点で敏くんをひろったらタクシー運転手はUターンしてダムサイドに戻ろうとした。でもミンの言った乗り場はレイクサイドの「味のシルクロード」レストランの前ってことだったから、とにかくそっちに行ってもらった。ついてみるとシルクロードレストランの近くにバスはいない。すでに出発しちゃったんだろうか。と、更に走ってもらったら数百メートル先にバスが何台か停まっていて、奇跡的にその中の1台がシリグリ行きの目的のバスだった。ミンの言ってた発車場所が間違ってただけだったんだ。私たちが乗ったら即座にバスは走りだした。聞いた集合場所に遅れてついたから、もう行っちゃったのかと思ってそこで降りなかったけど、もし私たちが遅れずに着いて、言われたとおりのところであのまま待っていたらどうなったんだろうか?ほんとに、ほんとに話が違いすぎる。

 9時頃にトイレ休憩があって、降りてトイレどこって訊いたら、レストランの2Fにつれていかれた。だけどそこのトイレは誰かが入っていて、バスの運転手のおじさんは私を3Fの上の屋上に連れていくと、ブロックでかこってあるだけのスペースを指さして「 ノープロブレム」と言った。囲いはもしかしたらお風呂場かなんかかもしれなかったけど排水口は見あたらない。屋上からは道路を歩いてるひとや向かいの民家などが見えたけど私は今日スカートをはいていたのでとりあえずここでしゃがんでも誰からも見られるおそれはなさそうだった。囲いだけの、排水溝のない青空トイレ。しかもビルの上。今日、まずここで1回私は人間の尊厳を捨てた。

 私の尊厳を屋上に置き去りにしてバスは出発した。ここまでの間、私は隣の席に荷物を置いてたんだけど、途中バスが混んできたので荷物は膝の上にかかえた。すると、前のほうの席から若い男がきた。彼は眉毛のはっきりした、ととのった顔をしていたけど、なぜか目がイヤだった。変にぎらぎらしていて、私を見るなり衣服やもちものにさっと目を走らせた。しばらくしたら、
「きみは日本から来たのか?」
とか、
「ネパールにはどのくらいいるのか?」
とか聞きはじめ、たいして会話もはずんでいないのに藪から棒に
「きみは日本のお金持ってる?よかったら見せてくれないか僕は見たことないから」
って言った。うさんくささに拍車がかかって、
「それは上に積んだ荷物にはいってるからいまはない」
と言ったら、
「そう、ないんだ」
と残念そうにいった。あきらめたか、と思ったら、依然会話もはずんでいないのにノートを出して「手紙を出したいんだ」とか「日本人の友達がほしい」とすらも言わず、
「これに住所を書いて」
って言われた。でたらめを書いて、一応メールアドレスだけは、使ってない転送アドレスを書いた。もしメールくれても誰だかわからないなと思ったけど、友だちになりたいとは思わなかったので聞きもしなかった。彼も名乗りもしなかった。

 そのあとしばらく私は寝ていたんだけど振動で窓にあたまをガンとぶつけて目がさめた。通路の向こう側にいたカンちゃんと目があって照れ笑いすると、カンちゃんは、
「後ろの席があいてるからこっちにうつりなよ」
とやけにすすめる。言われたとおりに移動したらカンちゃんは席から身を乗り出して後ろをむき、
「なんでのーさんをこっちの席に移らせたかっていうとね、なんかコイツがあやしい動きをしてたんだよ。のーさんが寝てるときのーさんの顔をじっとのぞきこんで、手とかもなんかこうあやしくてさ。触ろうとしてんのか、なにか盗ろうとしてんのかわかんなかったけど。オレがじっと睨んでたらそのうち気づいて『なんでもないなんでもない』ってな態度してたけどね」
って言った。

 11時に食事休憩があって私は念のためデイパックのポケットから盗まれそうなものを出し、チャックには錠前をつけ、デイパックの背中のあたる側を上にしてワイヤーで席にくくりつけ、デイパックの置き方、チャックのとまってる位置まで記憶して席を離れた。

 まずトイレにいったらほかのひとが入っていた。トイレの裏にまわってみるととうもろこし畑。誰もいないのをいいことに私はここでも人間の尊厳を捨てた。もうミャンマーで洗濯物の裏で用を足してたひとたちを責められない。(あ、でも私はちゃんと紙で拭いたからね。念のため。)

 食堂にもどったら挙動不審青年がダルバートを食べていたので私もビンくんたちと一緒に食事にした。しばらくしたら挙動不審青年はバスにもどっていった。私たちも間もなく食べ終わって席に戻ったら、デイパックは私が置いたとおり背中のあたる側が上にはなっていたけど、私がおいたときとは上下が逆になっていた。デイパックをひっくりかえしてポケットを見たらチャックのとまってる位置が違う。中身をたしかめたら何もなくなってはいなかったけど、ポケットをさぐられたこと、その瞬間をおさえられなかったことがとてもくやしかった。大事なものがはいっている荷物は、やっぱりおいて出るべきじゃなかった。

 しばらく走っていくうちに、挙動不審青年はいなくなっていたので少し気が楽になった。なにもなくならなくてホントによかった。彼がおりたあたりに町らしい町はなかったし、たいした荷物を持ってるふうでもなかったから、彼はもしかしたら用もないのにこのルートをいったりきたりして旅行者のバッグをあさってるのかもしれない。

 バスは何度か土砂崩れの跡を通った。一カ所ではまだ復旧作業がつづいていて、乗客はバスからおろされた。バスのよこっぱらには誰かが窓からげぇと吐いたあとがあった。山岳民族っぽい、ハナにきれいな金のピアスしたおばあちゃんがいたんだけど、このひとがどうやらバスに酔ったみたいだ。道が悪く、かなり揺れるんで無理もない。この土砂崩れはさほど大きくはなくて、復旧作業にさほど手間はとらず、しばらくたって通過できるようになった。一カ所の崖崩れのあとは復旧作業をしてなくて崩れた土の上を何台もの車が無理矢理通ったような轍があった。私たちのバスも谷にむかってななめにつもった土の上を傾きながら通った。窓から谷底が見えて一瞬ぞっとする。

 

ブッダホテル。写っているのはビンくん

 スノウリには3時くらいについた。国境につづく道の両側200mぐらいがこの町の全貌だ。このチケットについて、ミンの言ったことはたったひとつだけ正しかった。バスが停まったらその目の前が私たちの泊まるブッダホテルだといわれたこと、それだけ。部屋は、牢屋みたいだった。天井まで4mくらいあって空間は広いんだけど窓は鉄格子のはまった廊下向きの窓1個と、外向きだけど高いところにあって日もささなければ外も見れない、網はっただけの窓が1個。その高い窓からは雨水が流れ込んだあとが壁にだらだらとついている。ベッドにはシーツはなく、室内はしめっぽく、カビと雨漏りと汚れでピンクの壁はむらむらになっており、床は泥っぽく砂っぽくホコリっぽく、バスルームからはほのかに消毒剤のにおいが部屋まで漂った。幸い3人部屋があったので一緒にチェックインしたけど、ひとりだったら夜泣きしてしまいそうな部屋だ。

 

 翌朝は6時半に目がさめたけど眠くもなかった。夕べはすることもないし、疲れて10時には寝てしまったから。雨が少し降っていた。ビンくんがすぐに受付に行ってバスの番号を聞いてこようとしたんだけど、
「バスはまだ来てない。かわりのバスを用意するので7時半まで待て」
と言われてとりあえず朝食をとった。宿で提供される朝食は、ちっとも黄色くない卵をぺらっと焼いただけのオムレツとバタートーストだ。7時半に受付にもう一度行ってバス番号を確かめようとしたらこんどは、
「雨のせいでバラナシからの道がわるくなってバスは来てないんで、夜11時までホテルで待て」
と言われた。でもそんなに待ちたくない。なんとかならないかと聞いたら、
「追加料金50ルピーでゴーラクプール行きの9時発のバスと、ゴーラクプール3時発8時バラナシ着の列車に振り返られるけど」
と言われ、そうしてもらうことに決めた。

 9時のバスに乗るためあわてて国境をこえた。イミグレのオフィスに「追加1日と1日ぶんのペナルティ100%追加料金」と、意味のわからないことが書かれた案内板が立っていた。私のビザの有効期限は昨日までだったんだけど、あれこれのガイドブックに書いてあった話ではビザは出国の前日ぶんまであればよいということだったから昨日出発したわけだった。ところがイミグレの担当者は案内板を指さして
「おまえのビザは昨日で切れている。超過料金の1日ぶんとして2ドル払え」
という。実はネパールは入るときは、別の国境だったけどビザ代を5ドル上乗せして請求されていてネパールのイミグレの担当者についてはまったく信頼していなかったのでこれも絶対インチキだ、と思ったけど、たぶんゴネたらスタンプを押してくれないつもりだろう。急いでいて、ここで口論している場合ではなかったのでやむなく2ドルを払った。

 ほんの少し歩くとすぐにインドのイミグレがある。インドの入国手続きをはじめると、私がならんだ係員のおじさんだけやけに時間をとった。カンちゃんとビンくんはすぐに終わったのに私だけ、
「結婚してるのか?あれは彼氏か?」
とプライベートなことをきいてくる。友だちだ、と言ったら「そうか」とかいって、カンちゃんたちを先に行かせようとするかのようにおもむろにノートをひらき、ものを調べるフリをしたりして時間をかける。
「バスの時間が9時だから急いでるの」
って言ったら、
「バスはいつも遅れるからノープロブレム」
なんて言ってちっとも手続きを進めない。やきもきしながら何分も待たされてやっと解放された。

 バス停まではスノウリのホテルから400mと言われていたけど、倍はあったと思う。途中巨大な水たまりがあって両側に商店が出てるので避けて歩きようがなく、スポーツバッグのせたカートを持ちあげて、水たまりのなかを歩いた。水たまりはどす黒くにごっている。となりは空き地だけどごみためになっていて、そこから水が流れ込んでいた。スカートの裾が水につかってびしょびしょになった。今日も何かを捨てたような気分になった。

 バスに乗る前にできれば足を洗いたいと思ったけど、バスについてみたらそれどこじゃない。たどりついたらバスはとんでもないローカルミニバスで、すでに大勢のひとが乗り込んで座るとこすらもなかった。荷物は上にあげろ、と言われて渡すと
「1個につき35ルピー」
という。バスは天井が低くてずっとかがんでいなければならず、ぎっしり混んでいてつかまるところもなく、もちろんよく揺れ、ちょっとした拷問にあってるような格好だった。だけどバスに乗ってしばらくしたら、私の前に座ってたおじさんが席を譲ってくれた。おじさんは休暇でカトマンズに行ってパシュパティナートにお参りした帰りだと言った。カトマンズからの道は、川が氾濫して進めなくなったりして、20時間もかけてスノウリに来て、そのあと乗り継いだんだそうだ。とても疲れているはずだったのによく譲ってくれたもんだ。私が女性だから譲ってくれたらしかったけど、インド人でも外国人女性をただのセクハラの対象として見るのでなく、大切にしようって考えのひとがいること、インド人にもこんな親切なひとがいるってことに変に感動してしまった。これまで出会ったひとでインド人にはロクなひとがいなかったので、完全に色めがねで彼らを見るようになっていた。

 11時半にバスはゴーラクプールに着いた。席を譲ってくれたおじさん同様、カンちゃんとビンくんにとっては地獄の2時間半だったはずだ。スノウリで紹介された旅行会社に向かうと開口一番、
「どうしてバラナシ行きのバスに乗らなかったんだ?」
と聞かれた。しかも、
「おまえたちがスノウリで聞いたとかいう3時の電車はないぞ。夜6時発の便なら夜11時にバラナシに着くが、それがイヤなら深夜1時発のやつに乗って早朝つく便をとってやるからうちの付属のラージホテルでしばらく休め」
と言われた。やられた。私たちは顔を見合わせた。そういえば、スノウリからゴーラクプールまでは両側の水田のあぜ道が水没してて、たしかにかなり降ったように見えたけど、道自体は全然問題なくって「いったいどうしてバラナシからのバス来んかったんじゃいーっ」って感じだったんだ。スノウリの旅行社でだまされたわけだ。今朝の7時半まで待てって言われたのもそう考えると怪しい。もしかしたらわざとその時間のバスを逃すように仕組まれたんじゃないか?事情を話すと、旅行社のターバン巻いたおじさんは、
「ネパールの旅行会社は嘘つきばっかりだ」
と言った。

 こっちの旅行社が嘘ついてることもありうるし、スノウリの旅行会社の言ったことが全くのウソだってことがなかなか信じられなくて、ビンくんの持っていた時刻表を見てみたら3時発の列車は存在することになっていた。ターバンのおじさんに、
「調べたらあるって書いてある」
って言ったら、
「それは古い時刻表だからだ」
と素っ気なく言われた。で、近所の旅行会社にカンちゃんが行って聞いてみたら、
「その便は今日(火曜)はない」
って言われたらしい。前のスノウリの旅行会社に連絡とって確認してもらえないかと頼もうとしたら、何度も疑ったのでおじさんは怒って、
「なんで私がそんなことしなくちゃならないんだ。調べたかったら自分で駅でも何でも行って調べればいいし自分で電話すればいいだろう」
って言いはじめた。もうめんどくさくなって、
「じゃあバラナシ行きのバスはないか」
って言ったら、
「ある」
というので、
「いつ」
ときくと、
「今だ」
って言われた。

 いつまで調べまわっててもらちがあかない。日本の感覚でいけば提携してる旅行会社の責任はこの旅行会社の責任ってもんだけど、こっちじゃそんなのは通用しないんだ。バラナシへのバスの振り替えにかかる料金いくらって聞いたら150ルピーと言われた。一瞬難色を示したらそれが100に下がった。
「どこで乗るの」
と訊いたら、他の男がつきそってリクシャーに乗せられた。
「リクシャーはいくら?」
って聞いたら最初シークのおじさんは、
「オレが払うオレが払う」
と言っていたのが途中から気が変わったらしくて結局15払わされることになった。
 バス停は数キロ離れた橋のたもとだった。またもや熱が出そうな完璧なローカルバスだ。バスに乗る前にリクシャー代15ルピーを20ルピー札で払おうとしたら、
「おつりがない。ノープロブレム」
と言われた。冗談。
「だったら10でもノープロブレムでしょ」
といって渡しかけた20ルピー札をひったくって10ルピー札を出そうとすると
「それは困る」
と言う。こっちもいいかげんキレかけているので、
「じゃあんたがおつり作って来ればいいじゃん」
とかいってもめていたらカンちゃんが近くの売店でキャンディを買ってお金をくずしてきてくれた。

 走り出してから、ここでもまたやられた、と思った。たぶん3時の列車はあったに違いない。もし自力で行って調べてきたら、むこうも間違いを認めたかもしれない。でも、カンちゃんがほかの旅行会社に行ったら「火曜はない」って言われたぐらいだから、旅行会社同士はもちろんのこと、もしかしたら駅員だってグルじゃないとは限らない。むこうはツーリストが夜発や夜着を嫌うのを知っていて、わざとそういうチケットにしか振り替えられないと言ってツーリストを困らせる。通しチケットをまったくフイにするのはもったいないので、ツーリストは追加料金を払ってでも日中のバスに乗ろうとする。要は、ツーリストはわざわざ戻ってきて文句を言ったりしないから、しぼりとって送り出したモン勝ちというわけだ。そういえばポカラの旅行社も、
「インドの旅行会社はウソつきばっかりだ」
と同じことを言っていたっけ。あんたらみんな一緒なんだよ。

 今度のバスは3人掛けのベンチシートがちゃんとあって、一応座れた。ただし狭いベンチシートだ。イスにクッションのクの字もないし、背もたれは席に正確に直角にとりつけられていて、この背もたれが倒れるときはバスごとあおむけにひっくり返るときだ、と思われた。座席も、3人ぶんのお尻の幅はあるけど、肩が並ぶだけの幅はない。3人窮屈に肩を互い違いにして、なんとか席におさまっていた。

 今日は朝のオムレツとトースト以来なにも食べていなかった。ひもじくてひもじくてバスの中で
「いまとびきり新鮮なハマチの刺身とキリリと冷えた生ビールにホカホカの炊きたてササニシキがあったら、いくらまでなら払う?」
なんて私たちは日本食の話ばかりしいた。それでも安い物価に慣れているので、日本で払うような1000円とか1500円っていう価格は出てこなくて、
「140ルピーは出せるかな」
「それインドルピー?ネパールルピー?」(インドルピーは3円、ネパールルピーは2円ぐらい)
なんて言い合っているんだから世話はない。決して手に入らない空想のハマチに飽きると、こんどは食べものだけのシリトリなんかをしていた。

 一度、後ろの席のおにいちゃんと目が合って、少しだけ会話をしたんだけど、おしゃべりのついでに、
「このバスいくらだった?」
って聞いたらダマってしまい、見つめあったままなんだか妙な雰囲気になった。ダメだこりゃ。なんかインド人全員がグルになってダマされてるような感じ。私が世界征服したら、まっさきにインド人の性根をたたきなおす。
 と思ってからすぐにその考えをあらためた。だって、よけいストレスたまるだけだもんね・・・。

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