ホテルパラゴンの面々
 
 インドは飛行機から降りてくるための階段からしていいかげんだ。最後の2段は片側溶接がとれて壊れかけていた。フラフラの2段をとばして地上に降り立って、そして見上げた空港の建物には「NETAJI SUBHAS CHANDRA BOSE INTERNATIONAL AIRPORT CALCUTTA」って書いてあった。チャンドラ。月の神の名前だってどこかに書いてあったと思う。(※)そこからとったのかどうか知らないけど、私の壊れかけたパソコンの名前と同じだ。
カルカッタのとてもキレイな一面

※ その後の調べでChandra Boseはインドの自由化運動を行ったひとの名前だということが判明しました。

 市内へは「ぼったくりがないので安心」といわれる前払いタクシーで行こうと思っていた。インドはとにかくタクシーだとかリクシャー(人力車)だとかが常に旅行者を狙っているので油断しているととんでもない額をふっかけられると聞いていたからだった。入国審査を通り、両替を済ませ、タクシーカウンターの前に立つとそこには係員然とした態度の男がひとりいた。
「プリペイドタクシーに乗りたいんだけど。」私が言うと彼は
「タクシーだったら1キロ25ルピーで行くよ」と言った。
 あれ?前払いタクシーっていうのは行き先ごとに値段が決まっていてあらかじめそのエリアを指定してお金を払ってから乗るんでしょ?空港から市内までは13kmもある。1キロ25ルピーだったら300ルピーを超えてしまうじゃないか。私の本には空港から市内まで100ルピーを超えることはないって書いてある。ちょっと古い本だといったって、インドでそんなインフレがあったと聞かないし、3倍になってるってことはないんじゃないか?もう一度「プリペイドタクシーに乗りたいの」って言ったら、男は2つならんだタクシーカウンターの片方に連れていき係員の背後の表を見せて、
「ほら、市内は380ルピーって書いてあるだろ。こっちに乗ったほうが安いぞ」と言った。

 見て一瞬あっそうなのかな、と納得しかけたけど、このカウンターには「高級車」って但し書きがついてる。なら隣の「普通車」はどうなのよ。
「私は普通のタクシーに乗るからこっちで聞くよ」って言ったら、
「あぁそうかい、聞いてみるがいいさ」といってそっぽ向いてしまった。もしこっちも同じ値段だったら13キロ325ルピーのほうが安いからさっきのヒトに謝ってやっぱし乗せてくださいって言わなくちゃかなぁって思いながらカウンターで市内までの値段を聞いたらあっけなく「135ルピー」というこたえがかえってきた。さっきの男は決まり悪いそぶりを見せるでもなくスグ後ろでまた次のターゲットを探している。なんてとこだろ。プリペイドタクシーカウンターの係員も、こんな男をここに立たせておいたら商売あがったりだろうに。ほっとくのはきっとグルだからなんだな。

 プリペイドタクシーカウンターでピンク色のクーポンをもらって外に出ると「TAXI?TAXI?」と高らかな呼び声。でも前払いタクシーじゃなくて普通の「交渉するタクシー」のひとたちだ。背後からすいと現れた緑のポロシャツを着た男が「プリペイドか?」といって私のスポーツバッグを持ってスタスタ先導しはじめた。グレーの制服を着た男にピンクのクーポンを渡しタクシーに乗り込んだらその緑のポロシャツは運転手じゃなくてただのポーターだった。
街なかの商店の軒先にでっかい
犬いると思ったらヤギだった

 私を車に乗せると緑のポロシャツは窓から車内を覗き込んで「I'm a service man. Give me money」っていう。運転手はグレーの制服を着たほうで、「彼はポーターだからお金を払って」と、私が払わなければ出発しない構えだったのでしかたなく2ルピー渡した。緑のポロシャツは「ちぇっ、たったの2ルピーかよ」と悪態をつきながら去って行った。

 それから運転手が乗車手続きに行って待ってる間に、子連れの物乞いママたちがやって来てバングラデシュのお金をください、この子に食べさせるモノがないんですって身振りでせがまれた。でもさっきのポーターに細かいお金はあげちゃったし、バングラデシュでは一銭も両替してないから私はバングラマネーは持ってないのよね。持っていてもあげなかったとは思うけど、持ってないから「あげようかどうしようか」って迷うまでもなく、私はあげないっていう態度をしていた。そしたら今日は、今までの国とは違って車内に手が伸びてきた。暑かったけどしかたなく私は窓を閉めた。

 窓をコツコツたたいてる物乞いママを見て見ぬふりしていたらやっと運転手が戻ってきてタクシーは走り出した。空港外の草地に牛が寝そべっている。カラスが多い町だ。結構交通量のある通りの交差点を平気で横断してるひとがいる。Uターンしようとしてる車が路面電車をさえぎってる。ものすごくクラクションがうるさい。インドの車で真っ先にこわれるのはクラクションなんじゃないか?

 45分くらいでホテルのあるサダルストリートについた。カルカッタを訪れるバックパッカーのすべてがここを目指す、というと言い過ぎかもしれないけど、ここはタイでいうカオサン通りのようなもので、安宿や旅行会社が並んでいる場所だ。パラゴンというホテルの前でタクシーは停まった。


 パラゴンを選んだのはたまたま私の持っていたガイドブックのトップにこのホテルが紹介されていたからだった。ホテルの紹介欄なのに「ホテルの横でお土産やをやってる『サトシ』は日本語ペラペラ」ってホテルとは関係ないことが書いてあって、なんか印象に残っていたのだった。着くなり「サトシ」はホテルの従業員のような顔をしてあらわれて、なめらかな大阪弁で「タクシー代もう払ったんか?パラゴン泊まるんやろ?」と言った。
「サトシ」。おみやげ代もぼらないし、
通訳や交渉など何かと頼りになる。

 サトシに促されて中に入ったら、タイで会ったクボさんって女の子が奥のベンチに座っていた。先にクボさんが私に気づいて「あーー!!」って声をあげた。私も目をうたがってしまった。ラオスに行く前だから、2ヶ月も前に会った旅人にまたカルカッタで会えるなんて。うれしくなってしまって荷物も置かずにこれまでの旅のルートなんかをちょっとお喋りしたあと、迷惑そうに私を待っている従業員に気が付いてやっと部屋を見せてもらうことになった。

 最初に見せてもらったシングルの部屋は140ルピー(約420円)だった。室内は暗く、トイレみたいに狭かった。料金はどうせ大した違いじゃないのでダブルの部屋を少しまけてもらって泊まることにした。部屋の中には細いベッド2台と電灯と、天井から吊されたギーギーいうファンがあるだけ。コンセントもない部屋だ。

 荷物を置いてクボさんと再会を喜んで一緒に昼ご飯を食べに行った。ちょうどそのときインド映画の話でもりあがって、近いうち行こうかってはなしになったので明日どう?って聞いたら、彼女は少し悩んで
「んー、でもなー。わたし明日は銀行に行くっていう大きな目標があるからなぁ」って言った。えっ、まる一日の目標が銀行に行くこと?

後日行った映画館


 彼女に限らず、ここはそういうとこらしかった。私も数日するとやっとわかってきた。「インドで悠久の時の流れを感じる」なんていうのは旅行会社のパンフレットなんかでいかにもありがちなコピーだけど、ダマされちゃいけない。インドっていうのは恐ろしく時が早く流れるところだ。体感時間30分ほどの間に時計の針が2回くらい平気でまわってしまう。あっという間に一日が終わって「今日どこ行った?」「サンドイッチ買いに行った」、とか「今日なにした?」「洗濯した」などという会話がこともなげに毎日なりたってしまうのだった。

 そんな国なのでここのホテルにいるひとは得てして旅行期間がめちゃくちゃ長い。旅行期間が1ヶ月とかいう「短期」のひとはまれで、他の人に「忙しいねぇ」とか気の毒そうに言われたりする。長いひとはもういつ「帰る」って感じじゃなくて、次に日本に「行く」のはいつにしようかなーって感じだった。たとえばインドのビザは長いのは6ヶ月なんだけど、そろそろ俺ビザきれるからネパールあたり行って新規に6ヶ月のビザとりなおして、それが切れたらいいかげん日本戻るかなー、とか。「僕もうすぐ帰らなくちゃだから」って言ってるのでいつ帰るのか聞いたら1ヶ月先だったりとか。

 そのように長らくインドで暮らしているひとは、金銭感覚もすでに日本のものじゃない。ドミトリー(共同部屋)にいるひとと喋っていて、泊まってる部屋の話になったとき、私が「130ルピーの部屋は風通しが悪くてクサかったから180ルピー(約540円)で窓がふたつあるダブルに泊まってる」って言ったら「へーぇ、お金持ちなんだねーえ」って言われてしまった。

 そしてある朝目覚めるとクボさんもパラゴンからいなくなっていた。あとで通りで会って聞いたら1泊130ルピー(約390円)の部屋は高いので、よそのホテルの1泊65ルピーのドミトリーに移ったんだって。彼女は出てきた時に考えていたよりも旅行期間を延ばすことにしたのでそのぐらい切りつめないといけないらしかった。でも130ルピーの部屋から65ルピーのドミトリーに引っ越して1ヶ月過ごしても節約できる金額は6000円弱。日本でまあまあの店に1回飲みに行ったら消えてしまう額だ。


サトシの店。この葉書ペラペラだね、って
言ったら「安モノやさかいナ」って言ってた。
 ちなみに私はまだドミトリーに泊まったことがない。1泊に200円くらいしかかからないのは魅力だけど、やっぱりパソコンとかもってるし、これを盗まれたり、あるいは誰かに不用意に落とされたりしたら一巻の終わりだから、「ドミトリーか野宿か?」っていうときでなければ泊まらないことにしようって思ってる。実際ドミトリーに泊まっていたら2万円のカメラ盗まれちゃったので、結局なんの節約にもなんなかったよ、というひとにも会ったしね。

 でも、本当をいうとパソコンを盗まれないためにっていうのは言い訳みたいなもんだ。たしかに治安ということもあるけれど、知らないひとと寝るドミトリーは気兼ねもあるし、荷物を置く場所は少ないし、いつでも誰か泊まってるわけだからそうじもあまりされないし、したがってノミ・ダニ・南京虫みたいなカユーい虫もわきやすい。どこのドミでもそうってわけじゃないけど、私が泊まっていたときも、やっぱりドミトリーでは南京くんが繁殖してて、イギリス人の男の人なんか背中じゅう虫さされだらけになってた。

 虫はプライベートルームでもいるときゃいるわけだし、トイレ・シャワーが共同なことには変わりないし、どっちにしても部屋でくつろげるほどの広さはないんだからとドミのひとは言うけど、そうはいっても、服もおおっぴらに着替えられないドミトリーに私はちょっとなじめない。

 でも私は快適で清潔でプライバシーの保たれてる部屋に泊まるといつもこのことで悩むんだ。誰からつきつけられるわけでもないけど、なぜか旅に出ると清潔さ・快適さを求めることは悪いことであるかのように感じてしまうときがある。それは「いつ選択肢がなくなって馬小屋で寝ることになろうともその場に順応できるだけの忍耐力をつけておかねばならない」っていう旅びとの本能のようなものかもしれなくて、おおかたのひとがこの本能に忠実に、不潔なものや不快なものに順応していっているように見えるからかもしれない。

 もっと強く、もっと耐えられるようになりたいっていう気持ちもありながらも、どっちかっていうと私は「多めにお金を払って、たとえ旅の期間が短くなったり行き先が少なくなったりしても快適な旅をしたい」っていう気持ちも強い。馬小屋でも快適に過ごせるようになればそれはそれでいいけど、私はちょっと自信ない。だから、不快だったら不快だったで順応できない自分に悩むし、快適だったら快適だったでなんか甘やかしてるような気がして悩むんだ。

 スジガネ入りの旅人になるっていうことは快適さとか清潔さに未練がなくなるってことなんだろうか。どんな環境でも快適に感じられるぐらい最低の状況にまで落ちてみるってことだろうか。一年も旅するからには覚悟を決め、私も一日も早く南京ドミトリーの洗礼を受けてそういうものに未練のない強靱な旅人にならないといけないんだろうか・・・って。

* * *


ヤスの好きなパラゴンの風景
 お金や時間や快適さの感覚に限らず、そのほかにもここには今まで見なかった「濃い」旅人が多かった。

 たとえば沈没する旅びと。
 ヤスっていう26才の男の子はこれまで香港、タイを経てきて、インドのあとは中東に向かい最終的にはヨルダンからイスラエルへ迷彩服で抜けたいという大きくてアブナイ目標があるんだけど、1階のベンチに陣取ったまま動けなくなってパラゴンの主と化していた。雨でも晴れても日がな通路の上の黄色い壁を「この角度すげぇ景色いいなぁ」とかいって幸せそうに眺めていて、少なく見積もっても数週間はどこへもいきそうにない。


 あるいは笑う旅びと。
 この街ではガンジャ(マリファナ)がすごく安く手にはいるらしい。私もマーケットを歩いていたら、客引きの顔してさりげなーく近づいて来た売人に「ハッパ買うか?」と日本語でもちかけられた。一応コソコソしてはいるけれど、誰にも気づかれないようにって感じではない。そういうものの売り買いがこの街では結構当たり前みたいだ。ガンジャはちょっと見にはタバコと変わらないけど、ふと気づくとガンジャで「キマっちゃってる(酔っぱらっちゃってる)」旅行者がどこかの部屋でキッキッキッキッキってブキミな笑い声をあげてたりする。

 あるいは告げ口する旅びと。
 40才か50才くらいの「大将」って呼ばれてる小柄な痩せたおじさんは、いずれタイに住む予定らしくて若い旅行者が集まって喋ってる横でときどきタイ語の練習してたりする。このおじさんがあるときハガキを手に持ってAIR MAILの綴りを教えてくれって来たから覗いたら、ハガキを横に置いて上1/3に宛名、下2/3に内容が書いてあって、宛先が「成田空港警察署長」。こっちでガンジャをやってるひとを密告するハガキだった。

 ちょっと変わり種では働く旅びと。(旅びとじゃないか?)
 19才でマザーテレサハウスっていう、病気のひとのお世話をしたりする施設でボランティアで働いてる女の子がいた。彼女は先月までそこでボランティアをしていて、一旦は日本へ帰ったのに毎日施設の夢を見るのでまた飛んできてしまったとか。

 あとすごかったのはキレやすい旅人。
 水田くんていう男の子と、ケンさんってひととカーリー寺院というところを見にいったときのことだ。境内に入って間もなくケンさんが急にインド人の胸ぐらをつかんで何か怒鳴り始めた。そりゃもうすごい剣幕で相手のインド人はタジタジになっている。仲裁に入ったインド人に「ノープロブレム、ノープロブレム」と言われて「何がノープロブレムだ!」って怒り狂っている。


ホテル前のチャイ屋の小僧。
カメラを向けたら髪をとかし、靴をはいて腕時計をはめた。

 もし大ごとになってインド人に囲まれたら日本人は彼ひとりなので私と水田くんで仲裁しなくちゃかと思って固唾を呑んで見守っていたら彼は私に向かって急に普段どおりに「大丈夫だから先行ってて」といったのでそんな、手がつけられないほど血がのぼっているわけじゃないんだなと思って、言われるままに先に行って待っていた。水田くんが目撃したところによれば、どうもすれちがいざま、ちと強くおしのけられたかどつかれたからしいんだよね。

 でも聞いた限りでは胸ぐらつかんで怒るほどのことじゃないみたい。相手のインド人も何が悪かったのかわからないようすで泣きそうな顔になっていたし。間もなくケンさんが追いついてきた。仲裁に入ったインド人が、話を聞いて相手に加勢しはじめたので途中で文句を言うのをやめたとか。

 帰りの地下鉄の駅では、駅員がチケットを放ってよこすことに彼はまたカチンときたらしい。お釣りがないと言われてたみたいなので私がこまかいの持ってるよって言ったら「いや、いい、いい」って言うから待っていたら、他のお客が来ておつりができるまで待たされていた。どうして私から細かいの借りるの遠慮したのかなと思ったらホームまで来て「あーまた意地はっちゃった」って。ほんとは細かいのあったのに態度が悪かったから、っていうのと、ほんとはおつりあるのに出さないだけなんだと思ったから、意地でもおつりくれるまで待ってたんだって。

 彼は今までも一日1回はキレてたんだそうだ。カルカッタのニューマーケットでは大勢の客引きがいて私なんかもぶらぶらしてるときにずいぶんうるさい思いをしたもんだけど、彼もこのまえニューマーケットに買い物に行ったら建物に入るなり「よう旦那、何買うの?何買うの?」とついてくるヤツがいて、それでついキレて相手の肩口のをつかんでぶんぶん振りながら「よう旦那!何買うの、何買うの!?よう旦那、何買うの、何買うの!!!」って叫んだんだって。相手はおびえて彼が手を離すと青い顔をして立ち去り、彼はそれきり誰からもつきまとわれなかったそうだ。
カルカッタのニューマーケット

 ついでだからもう一個聞いたエピソードも書いて置こう。彼がバングラデシュでバスに乗ったら車掌が「(荷物を置いても)かまわんよ」と言うんで荷物を隣の席に置いていたけどそのうち満員になってしまったんだって。でも動けないくらい満員になっちゃったから荷物をどけるわけにもいかずそのまま座っていた。そしたら間もなく車掌が集金に来たので10タッカわたすと、料金4タッカのはずなのにいつまで待ってもお釣りをくれない。お釣りをくれって言ったら「お前は荷物が1席とってるから倍だ」と言われたんだって。もう終点近くだったけど彼は荷物を持って立ち上がってこれで4タッカでいいだろうって言ったそうだ。そしたら車掌は「いやいやここまでもう乗ってきちゃったんだからダメだ」と言った。そこでも彼は胸ぐらつかんで「何だと!お前が最初に『置いてもかまわんよ』って言ったんだろうが!」とかなんとか怒鳴ったらしい。まわりのひとがおどろいて仲裁に入った。バスも止まっちゃった。で、彼はまわりのひとにこういうわけだと説明した。席2こぶん料金とるにしても少なくとも2タッカはお釣りがあるわけなのに、全然お釣りをくれないんだからそりゃ車掌が悪いわな、ってんでまわりのひとも彼に加勢し、車掌からお釣りを返させた。でもそんとき彼はもう完全にぶちキレちゃってるからお金を受け取って車掌の顔になげつけたそうだ。そうなるともういいかげん周りの人も「早く発車させてくれよ」と言い始め、彼はこんなバスのってられっかとバスから下りた。同じバス停で下りたひとが彼の投げたお金もってきてくれて彼に渡してくれたけど、彼はそれをうけとって「金なんかいらねぇんだバカヤロー」と走っていくバスに向かってなげつけたそうな。ゼェゼェ・・・。

* * *

 そんなふうで、はっきり言ってカルカッタは町自体よりもホテルの中の方が私にとっては衝撃的だった。日本としばしば連絡をとったり、ガンジャを見たことなかったり、日本円に換算してお金の勘定したりしてる私はここではかなり異質な存在だった。日本で勤め人としてはみ出して飛び出してきたと思ったら、インドで旅行者としてまたはみ出すなんて思ってもいなかった。


「イカレポンチ」のポール・沈没のヤス・太鼓の水田くん

 でも、はみ出してるなりに毎日は楽しかった。日本人が半分を占める宿だけど、残り半分は欧米人や韓国のひとだった。ベンチに座ってしょうもないお喋りに花を咲かせ、オーストラリア人のポールって男の子に「イカスゼ!」とか「イカレポンチ!」なんて言われるのはほんとに愉快だった。

 晩ご飯は近くのレストランに何人かで連れ立って行ったり、外で買ってきて宿でみんなで食べたりもした。韓国人のミンちゃんと金さんと、ポール、日本人のヤスや通称リクシャーさん(リクシャーひきのおじさんたちと同じような格好してることから名付けられた)なんかと、串焼きの羊肉をチャパティという薄焼きパンで巻いたロールケバブなんかを買ってきて、ホテルの2階の共同スペースで飲んだくれながら食べた。
ロール用のパンを焼くおじさん

 ドミトリーではパンクの男の子が楽器店街で1500円で買ってきたギターを弾いていた。食事が終わったころに、テーブルの足元で水田くんが買ってきたばかりの丸い太鼓の演奏を始めた。うしろの部屋ではヨーロッパ人がマリファナをくゆらせ、下ではインド人スタッフがクリケットの中継を見て異常に盛り上がっている。
 トゥム、トゥンと、やわらかに響く太鼓の音が、スモッグに覆われて星のないカルカッタの夜空に染み込んでいく。

 体感時間2日の間に1週間が過ぎた。私にはまだインドの実体が見えない。インドのテンポがつかめない。ただごちゃごちゃとして、いままで見てきたもののなかでもっとも変わったものばかりが寄せ集められたような場所。のんびりとしているうちにあっという間に過ぎ去ってしまう時間。
 これ?これがインドの感覚なのかな?

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