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ラフィはきわめてふざけた男だ。だいたい彼に何か質問をして真面目に返事が返ってきたというためしがない。私が歯を磨き始めると「歯ブラシもってないから貸してくれ」っていうし、冗談がすぎるから膝をひっぱたくと「ヒザが、ヒザがぁ!!!」って大声あげてヒジを押さえてうずくまるし、朝サッコを起こすときはまず靴下を脱いでサッコの鼻先にぶらさげることから始めるってな具合。私はそのやりかたで起こされることがないように、毎朝絶対彼より早く起きるようにしていた。
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 ラフィ。フランスパンを 1食に2本たいらげる男
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朝ごはんはだいたい、サッコがスーパーに材料を買いにいって、フランスパンと数種類のハム、2,3種類のチーズにトマトやピクルスでサンドイッチを作って食べていた。ラフィは極端によくピクルスを食べるひとで、一食で500mlくらいの容量の一瓶を全部たいらげた。
ラフィはひとのテンポをくるわしてひとの気持ちのなかにデンと座り込んでしまうのがとても上手だった。たとえば私が自分のサンドイッチ用に切ったトマトを見ると彼はすぐ、
「ありがとありがと、切ってくれたのか」
といって持っていってしまう。
「自分のために切ったんだよ」
って抗議すると、
「切ってくれたんだろ?」
って彼は言う。ふつうこういうときっていうのは「冗談だよ」って言って返してくれるもんだ。またふざけてると思って、返してくれるのを待ってたら、彼は、
「食べないと思ったろ?はずれ」
といいながら私が切ったトマトをガツガツ食べ始めた。こういうおふざけっていうのはとっても親しい間柄じゃなきゃ普通しない。私は彼に上手にテンポをくるわされて、彼の妹みたいに扱われ、自分もなんとなくそういう感じにふるまうようになっていた。
ところで彼は、日本女性というのは、今でもひとの言うことをとてもおとなしくハイハイときく生き物だと信じていたらしくて、初日の晩、全員の寝場所を決めたとき、私が意地でも譲らないもんで、
「最近の日本女性は変わりすぎた。日本政府に抗議してやる」
と息巻いていた。
「オールドジェネレーションは退屈だよ」
って言ったら、
「石頭とどっちがマシか・・・」
ってさも「嘆かわしい」って態度で頭を振っていた。
ある日の朝食のときは、2度ほどジュースをついであげていたら、彼があまりにすぐ消費するので、3度目はついであげないでボトルを目の前にドンと置いた。そしたらまた、
「日本政府に抗議してやる。まったく今日びの日本女性ときたら2,3回やってくれたと思ったらあとはおまえがヤレおまえがヤレってマッタク」
とぶつくさ言った。2,3回やってあげたからこんどは私のためにヤレって言ったならともかく、自分のために自分でヤレって言っただけでしょうに。彼はそういう子供っぽいとこがあって、それがまたおもしろかった。
* * *
虫さされは、ベルギーについた翌日、メロが車でAIU保険の提携病院に連れていってくれたおかげですこぶるよくなった。病院では英語も日本語も通じなかったし、キャッシュレスの医療はまたうけられなくってAIUについてはもー言いたいことがまた100こぐらいたまってしまったけど、メロがいてくれたおかげで無事診察を受けることができた。ドクターが薬を出してくれたとき、アムステルダムでもらったかゆみ止めのことが頭をよぎって、
「これかゆみ止め?それとも治療する薬?」
って聞いたらドクターは、
「どっちもだよ。君の症状にぴったりの薬だよ」
って言った。この薬っていうのがほんとによく効く薬で、その晩までにだいたいの掻きこわしからの出血が止まり、今朝にはぐっと腫れもひいていた。
実は、メロんちについたとき、「南京虫にやられた」なんて言ったら、もしかしたらイヤがられるかな、と思ってなかなか言い出せなかった。アムステルダムでほんとに徹底的に害虫駆除やってきたからもういないという自信はあったけど、
「南京虫かぁ、とんだ虫つき娘を拾ってきてしまったもんだ」
って思われたらイヤだな、っていう不安もあった。でも私が言う前に手のかさぶたに彼らが気づいてどうしたの?って聞かれたから、答えないわけにいかなくて、
「実はベルリンでひどくやられて」
っていう話をしたら、彼らは、自分たちに虫の危害が及ぶことを心配するそぶりも見せず、私の手をとって、
「かわいそうに、明日病院に連れていってあげるよ。いい薬がもらえるといいね」
って言ってくれた。
メロは仕事がかなり忙しかったのに無理矢理時間を割いて病院につれていってくれたみたいで、私を家に連れて帰るとその足で仕事場に行ってお客をさばいたり、電話会社に問い合わせしたりしていた。
 観光に連れていってもらった 日本寺の五重塔
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ある晩は、ご飯食べに行こうよってメロの電話やまで呼びに行ったら、店番の弟が帰ってこないから出られないんだっていってお客に次々呼ばれながらてんてこ舞いしていた。アフリカなんかから出稼ぎに来てるひとたちはだいたい仕事が終わって8時とか9時とかに集中して来るんで、いつもは片岡鶴太郎そっくりの弟が一緒に店番してるんだけど、今日は鶴太郎がどっか行ってしまったのだそうだ。鶴太郎はシリアから来たばっかでベルギーが気に入らないみたいだ、ってことだった。待っても待っても彼は帰ってこず、メロの電話やで結局私達は何時間も待ってた。
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11時になってメロがやっと店を閉め、それから晩ご飯を食べに行けることになった。外は雨で、もう開いてる店はほとんどなく、メロは適当に、ケバブとフライドポテトと野菜をフランスパンにはさんだようなファーストフードの店に入った。ケバブはしょっぱすぎ、フライドポテトは量が多くてとうていフランスパンの間にはさまっていられないような量だったんで、私は半分ぐらいしか食べられなかった。家に戻ってからメロのいないときに、鶴太郎のことをちょっとだけ愚痴ってからラフィはこう言った。
「でもそのことで俺たちゃ文句いわないだろ?ほんとはここだって、泊まるにはちょっと狭い。俺たちはカネに困ってないから、泊まろうと思えばホテルだって泊まれるしそのほうが便利で快適なんだ。でもそんなことをしたらメロが気を悪くするだろ。今日のレストランだって、俺はほんとはもっと雰囲気のいいとこが好きなんだ。でもメロが連れていってくれたところだから俺は文句言わないんだ。メロがこれがいいと思って連れていってくれたんだから」
彼は、常日頃ふざけてる割にはすごい律儀っていうか、友達思いでもあるみたいだった。
* * *
ブリュッセルはずっと雨だったから私たちはさして観光も行かず、メロがいない間もメロんちでだらだらしてばかりいた。
「はーぁ、雨ばっかだなぁ」
とサッコがため息をつく。サッコは関節痛もちなので、雨が多いと節々が痛むらしい。
「ルーマニアはよかったよ。俺たちこっちに来る前はルーマニアに行ってたんだぜ。青い空、明るい日差し、うまいメシ、安い宿、よかったねぇルーマニア」
サッコがあまりに繰り返し言うので、
「でもルーマニアって治安悪いんでしょ」
って私が訊くとサッコは真顔で、
「あれはトルコ人がやってるんだ」
って答えた。
部屋でだらだらしてるとき、ラフィは決まってアルメニア人の歌手のテープをかけた。彼はこう説明してくれた。
「アルメニアの歌っていうのはね、どれも誰かのことを想って歌う歌なんだ。アルメニア人は住む土地を失って世界中に散らばっていったからね、好きなひとがいても近くにいない。両親は遠くはなれてる。兄弟は異国にいる。いとこ同士でも言葉が通じない。そういうときとっても切ないだろ、旅のそらのおまえならわかるよな。アルメニアの歌っていうのは遠くにいる誰かとか、帰れない故郷のことを想うとっても哀しい歌が多いんだよ」
アルメニア人の歌っていうのは、楽器もトルコのに似てるし、曲の感じもそっくりだ。私は敢えてそのことをクチにしなかったんだけど、サッコがカセットのジャケットを見せて、
「この楽器トルコにいたとき見たことあるだろ」
って言った。
「うん、ある。日本人ファミリーの奥さんと、カッパドキアのベリーダンス見に行ったとき、弾いてるとこ見せてもらった」
って言ったら、
「そう。これは俺たちの楽器なんだ。奴らがマネしてるだけなんだよ」
って彼は言う。
そしてサッコが思い出したように、
「ナンシー、君はどうしてトルコに1ヶ月もいたの?」
って聞いたので、どきっとしてしまった。私はトルコでもとってもいいひとたちと出会ったし、ヨーロッパにいる間には、スイスに住んでるトルコ人のイスメットにも、できれば会いに行きたいと思ってる。でも彼らはトルコが大嫌いだから、言ったらとっても気を悪くするだろう。
「最初は2週間ぐらいの予定だったけど、地震があったり、アンカラの日本人ファミリーのとこに遊びに行ったりしていたから・・・」
考えた末こう答えた。私は卑怯だ。ここでちゃんと、トルコのひとたちは親切だったよ、悪い人もいるかもしれないけど、いいひともちゃんといるよ、他の国と同じだよって言わなくちゃいけなかった。でも勇気がなかった。
「トルコではどこに行ったの?」
と彼が聞いた。
「カッパドキアとパムッカレに行ったよ」
って答えると、
「よかった?」
っていうので、
「すごくキレイなとこだったよ」
って答えた。
「そうだろう。あれは・・・俺たちのものなんだ」
って彼がすごく寂しそうに言った。
* * *
そろそろ寿司をつくるかってことになって、街へ買い物に出かけた。ブリュッセルの中心街には「亜細亜超級市場」っていう、中華系のアジア物産専門のスーパーがあって、中に入ると日本食の材料もよりどりみどり。お米からしょうゆから、みそ、S&Bの生わさび、海苔、お茶漬けのもと、ダシのもとまで。日本食の材料ばかりじゃなくタイ風カレーの缶詰、ベトナム料理の材料なんかもずらりと並んでいて、華僑パワーを感じる店だ。メロは交通量の多い店の真ん前の道路の、よりによって道のカドに路上駐車して待っていたので急いで材料を買って店を出た。ネタはエビとスモークサーモンにゆでたイカ、カニカマしか手に入らなかったけど、海苔もあることだし、十分寿司らしく見える材料が揃った。
 日本寺の隣の中国寺にて
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メロの家に帰ってから、階段下のキッチンにこもってごはんを炊き、しょうゆ味の肉団子のスープや、キュウリの塩もみなんかをつくって、ごはんができたら寿司をにぎり始めた。鍋でご飯を炊くのもだいぶ慣れてきた、と気を抜いたら、とりかえしがつかないぐらい鍋の底を焦がした。でも上のほうのごはんは大丈夫。焦げ臭いとこは、ゴマでにおいをごまかしてスモークサーモンを載せればなんとかなりそう。にぎり寿司を30個も作るころには載せる皿がなくなって、あとは手巻きにしてもらうことにした。
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ちょうど準備ができたころ、メロとサッコが帰ってきて、ショートカットでつるっつるの肌をした、かわいいお嬢さんを紹介してくれた。私が寿司を部屋に運ぶと彼女は「わぁ!今日誰かの誕生日?」と声をあげた。彼女は17才のポーランド人で名をケイティといい、ここらへんで働いているんだと言った。
彼女は英語がとっても上手だけど、ここらへんの公用語のフランス語は話せない。
「フランス語できなくても不自由しないの?」
って聞いたら、
「仕事は英語でじゅうぶんできるし、必要なものは指させば買えるから平気よ」
って言ったあと、
「ポーランド語は彼と話せるからいいのよ、ねー」
「ねー」
とメロと声をあわせて見つめ合っていた。
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その後もメロがやたら彼女の肩に手をまわしたり頬寄せたりしてるのでナニゴトだろこのふたり、怪しいんじゃないのと思っていたら彼ら恋人同士だそうだ。いやびっくりした、だってメロは40才ですよ。そんなのスケベオヤジじゃないですか。とにかくメロはすごいモテる男なんだ。彼の棚の上のおみやげの置物についてひとつひとつ聞くともっと驚く。「これは2年前のフランス人の彼女とギリシャに行ったときの」「これは3年前、スイス人の彼女とスペインに行ったときに買った」「これは3年半前中国人の彼女とイギリスに旅行したとき」って具合で、彼は置物か彼女かで近いうち世界制覇しそうだった。
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 左より、メロ、ケイティ、サッコ、ラフィ。
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さてその飲み会の最中、例によってラフィはたくさんのジョークを並べてみんなを楽しませた。彼のクチから直接聞かないとおもしろくないかもしれないけど気に入ったのを書いておこう。
ある会社にアメリカ人のサラリーマンと、日本人のサラリーマンと、メキシコ人のサラリーマンがおりました。
ある日の昼休み、メキシコ人のサラリーマンはお弁当を開けて「アァ!また豆のお弁当だ。もう豆なんか見たくもない。明日また豆だったら窓から飛び降りて死んでやる」と嘆きました。
一方日本人のサラリーマンは自分のお弁当を開け、「アァ!また米だ!もう米なんか見たくもない。明日また米だったら死んでやる」と嘆いています。
一方アメリカ人のサラリーマンは自分のお弁当を開け、「アァ!またホットドッグだ!もうホットドッグなんか見たくもない。明日またホットドッグだったら死んでやる!」といって嘆きました。
翌日メキシコ人がお弁当を開くとまた豆で、彼は言ったとおり窓から飛び降りて死んでしまいました。
日本人がお弁当を開くと、彼のお弁当もやはりまた米で、彼も言ったとおり飛び降りて死んでしまい、アメリカ人のお弁当はまたホットドッグで、彼もまた窓から身を投げて死んでしまいました。
翌日三人の葬式が行われ、3人の妻たちが泣きながら嘆いていました。
メキシコ人の妻は「あぁ、彼があんなに豆をいやがっていたなんて知らなかったわ。そんなにイヤなら言ってくれれば他の料理をつくったのに」といって泣きました。
日本人の妻も「あぁ、彼がそんなにイヤなら他のものをお弁当にしたのに」といって泣きました。
そしてみんながアメリカ人の妻に注目すると、彼女は顔をあげて言いました。「あらちょっと待ってよ、主人は自分でお弁当をつくってたのよ私を見ないで」
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こんなのを聞きながら、寿司をつまんだり巻いたりして盛り上がってるうちにずいぶん夜おそくなっていた。11時半頃ケイティの携帯に友達から電話がかかってきた。ケイティは友達を訪ねる約束を忘れていたみたいで、友達は「待ってるのにどうしたの、もう眠いから寝ちゃうわよ」って言ってるようす。彼女は友達に、
「コーヒー飲んで待ってて。え?じゃあ倍の濃さにして飲んで。じゃあ砂糖もミルクも入れないで飲んで。2杯のんで」
と細かく指示して待たせておきながら、そのあとも結局ラフィのジョークをたっぷり聞かされて、30分も引きとめられていた。ケイティは出ていくとき、
「それじゃまたね」
って言いながら、藪から棒にいきなり顔をちかづけてきて、私の頬にやわらかい頬をくっつけて耳元でチュと音をたてて行った。突然のことだったので私は呆然としてどうしたらいいのかわからなかった。でもおかげで、あのタイミングでチュとやればいいんだってことがわかって、この次はできるかもしれない、と思った。
* * *
サッコたちがメロのうちを出るという前日、メロの電話やでインターネットにつないでいた私のもとに一通のメールが届いていた。それは、インターネットマガジンに載せてもらっているコラムの、前の担当さんだった青木さんからのものだった。私は青木さんがそういう予定があるってことちっとも知らずにいたんだけど、実は先日入籍されて旦那さんといま新婚旅行にきていて、「いまスイスにおります〜、明日からパリなので近くにいるようだったら会えますか〜?」って書いてあった。
この前まで、パリには、別に行かなくてもいいかな、って思っていたんだ。これまであまり首都ばかりめぐりすぎてきて、物価高にもうんざりしていたしたまには田舎も見てみたかった。両方見るには時間とお金の折り合いがつかないからフランスは田舎だけにしようかと思ったわけ。でもこの前、アムステルダムへのバスで会った前衛芸術家の彼女が、
「パリはいいですよー。私1ヶ月も居てしまったんですけど、楽しかったわ。とてもいいところだからぜひ行ってください」
と勧めてくれたあたりで、すごく印象に残ってしまったので、行かないと後悔するかな、と思い始めていた。それに加えて青木さんがメールをくれたので私の心は決まった。パリに向かおう。
出発の朝、7時に目覚ましが鳴って目覚めた。私のバスは8時発。ベルギーの10月っていうのは、朝7時でもまだ夜が明けてない。暗いなか荷造りをしていたらメロも起きてくれて7時半には部屋を出た。まず奥の寝室に行ったらラフィはいびきをかきながら、
「もう行くの。(フガァ)気をつけて行けよ。(フガァ)ロサンゼルスに来いよ」
と言った。私はラフィのだだっ広いほっぺたにキスをし、でっかい唇に自分の両のほっぺたを順に押し当てた。ラフィはそのときだけチュッ、チュッって音をたてた。それからサッコには昨夜のケイティと同じ要領で両の頬をあわせてチュッチュッって唇をならすキスをして部屋を出た。
結局ブリュッセルの地図も手に入れないまま滞在していたので、私がいたのはどのあたりだったのかさっぱりわからなかった。駅について、メロが荷物をおろしてくれ、それじゃあね、といって両の頬を順にあわせてチュッ、チュッ、とやったんだけど、なんかはずみで3つ目、唇にもキスされた。やらしい感じのキスじゃなかったから怒るほどのこともないけど、「あれっやられた」って感じだった。さすが17才をカノジョにもつ男、挨拶のキスにも油断がならない。メロはしっかり手を握って去って行った。近くで日本人らしき男の子がそれを見ていた。ちょっと気まずい。同じバスじゃないといいんだけど。
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