ひろう神あり
   いつものように無賃乗車してトラムで駅に向かった。片手にはブリュッセルへのチケット。ちょっと寒くてウィンドブレーカーの前を閉じる。また雨が降り出しそうな天気だった。

 昨夜は4時までできごと日記を書いていた。結局あのホテルに泊まったのは正解だったみたい。殺虫剤を一本、文字通りカラにして全部の衣類から虫を撃退することができたし、落ち着いて日記を書くことができたから。占有できる電源と、勝手に消されない電気。プライバシーや広いベッドよりも、今の私にはほんとにこれが必要だったみたいだ。朝9時に起きて昨夜スーパーで買ってきた夕食の残りを食べ、日記の見直しをしたらもう11時をまわっていた。

 宿をチェックアウトしたその足で、荷物を持ってインターネットやに行った。店長のおじさんがいないのでちょっと不安だった。昨日店長がいたときは自分のマシンを持ってきてアクセスしても構わないって言ってもらえたけれど、今日は店番の女の子だけ。ヨーロッパに入ってからこのかた、責任者がいなくて事情のわからないひとが店番をしているときはほぼ100%「上司に聞かなくちゃ」で断られてきたから、今日もダメかと思った。

 ダメもとのつもりで、
「昨日店長のおじさんが私に電話線を使わせてくれるって言ったんだけど」って説得をしてみたら店番の彼女は、10分ぐらい店長と連絡とろうと試みたあと、
「わかったわ、店長と連絡とれないし、私はやりかた知らないけど、とにかく店の電話線を貸してあげればいいのね」
といって電話機から電話線をひっこぬいて貸してくれた。なんか昨日までと違う手応え。

 そこで無事日記をアップしおえて駅にやってきた。アムステルダムでは本当に何も観光しなかったのが少し悔やまれるけど、まあいいや、どっちかっていうと夜の街みたいで、いずれにせよ私には縁の薄い街だったんだ。高いドーム型の天井のわりにしんみりと少しだけ暗い駅のホームに立って、コーラを買ってから列車に乗り込んだ。席に落ち着くと、きらびやかな衣装にアフロヘアの、和田アキ子みたいに背の高い、ココア色の肌の女の人がやってきて、私の前でくねりと立ち止まった。彼女はこってり口紅をぬった唇をひらくと
「ねぇ、アナタ英語わかる?」
と訊いた。私が、
「わかるけど・・・」
と答えると、
「あらそうよかった。私おカネなくって今夜泊まるとこないの。少しだけ小銭わけていただけないかしら」
と言った。そういう風体にみえないけど物乞いだったんだ。私が緊張しながら、
「小銭はホテルのひとにあげちゃった」
とウソを言うと、彼女はあきらめて花から花へと小銭を求めてはばたいていった。は、びっくりした。巧妙に化けてはいるけど彼女は男だ。最後までアムステルダムはギョッとする街だった。

 しかし出発が間もなくと思われる頃、電車の中で「2」とか、「ブリュッセル」とかいう言葉の含まれたアナウンスが流れた。もしかしてこの車両はブリュッセルに行かないから2番目の車両に行かなくちゃいけないのかと思って近くにいるひとに聞いてみた。そしたら彼は、
「事故のせいでこの列車はブリュッセルに行かないから、2番線に行かなくちゃいけないらしいよ」
って教えてくれた。またか!あわてて私は荷物を列車からひきずりおろし、階段を駆け下って2番線の階段を駆け上って別の電車に乗った。これは直行じゃなくてドコソコで乗り換えなくちゃと言われたけど乗換駅の名前は覚えられなかった。ちゃんとブリュッセルに着けるかしら。私が乗ったらすぐに電車は出発した。

 2等の席はほとんどいっぱいだった。というか、空いてる席はあったけど荷物を置いてるひとが多い。席あけてって頼めばいいんだけど、アムステルダムで落ち込んでる間にめちゃくちゃ引っ込み思案になってしまった私。誰かに席をあけてくれるように頼もうか、それとも乗り換えまで通路でじっとしてようかと思いながら歩いていたら、連結部の、なんか倉庫みたいな場所でちょっと濃い顔のおじさんたちに「ブリュッセルに行くの?」って呼び止められた。

 そう。って言ったら、じゃあ俺たちと一緒だな、といって彼らは私をよびいれ、場所を空けてくれた。
「どこから来たの?」
って聞かれて、
「日本から」
って答えたら、ああやっぱりね、いまそうじゃないかって話してたとこだったんだ、と彼らは言った。
「あなたたちは?どこから?」
って聞くと、
「当ててごらん、10個いっても絶対あてられないよ」
とおもしろそうにニヤニヤする。シンガポール?インド?ケニヤ?ブラジル?とかいって本当に適当に10個いってみたけど、違う、といわれた。答えを聞いたら、彼ら二人はアルメニア出身のシリア育ちのいとこ同士で、10才ぐらいのときに両親がアメリカに移住したんでいまアメリカ国籍なんだそうだ。
 これからベルギーにいるシリア人の友達を訪ねるとこなんだ、と彼らは言った。私はアルメニアってどういうとこか知らなかったけど、どうやらトルコの北らしい。そういえばトルコ人と似たような顔立ちだなと思った。

 でも、トルコ人と似てるね、って言いかけてた私は、彼らがそこらへんにいたドイツ人の女の子と喋ってるのを聞いてグっと言葉を飲み込んだ。アルメニアは今世紀の初め頃一度トルコに攻め込まれて200万人が殺されたっていう歴史を彼らが彼女に説明していたからだ。彼らのおばあちゃんは17人家族のなかでただひとり生き残ってシリアに逃れ、そこで結婚して彼らの親を育てたんだ、と彼らは言っていた。トルコに攻め込まれる前、アルメニアはトルコの東半分、ノアの箱船を戴くアララット山を領有する大きく豊かな国だった。けど、その後は海を失いとても貧しい国になってしまった。彼らはトルコがとっても嫌いみたいだった。

 彼らの片方は少し白髪のまじった太ったおじさんで年齢は39才、サッコと言った。もうひとりは髪がくりくりの天然パーマのさらに太ったおじさんで、名前はラフィ。でも年齢を聞いたら34才ってことで、私から見れば5才しか違わないんで、ホントはアニキとでも言うべきだろうか。サッコはちょっと控えめなタイプだったけど、ラフィは四六時中冗談を言ってるようなひとで、喋っているとなにかにつけ、その話題にからんだジョークを言っては私を笑わせたんで、最初コメディアンでもやってるんじゃないかと思った。たとえば彼と寿司レストランの話をしてて、
「男と女が寿司レストランで食事をしてました。そこへ蜂が飛んできて女のスカートの中に入り、何かを刺しました。さて、何を刺したでしょう!」
なんてクイズを出して、私がわからないというと彼は、
「男の手だよ!」
なんてさも得意そうに言ったりした。そんな冗談を聞いてるうちに私はすぐにうち解けた気分になった。ちなみにコメディアンじゃなくて、実はふたりとも機械デザインかなんかをやってる技術者だった。

 彼らが住んでるとこはロサンゼルスの北のへんだと言っていた。関係ないけど私は2,3年前の旅行中、ロサンゼルスの北のへんで一度、偶然通りかかった寿司レストランに入ったことがあった。パサデナのコロラド通りというところだ。話していたら彼らはその寿司レストランの常連だということがわかって、乗り換えまでひとしきり寿司の話で盛り上がった。私がすっかり乗り換えを忘れていたら、彼らは途中でサッコの手のひらに書いてある駅名を確認して、ここで乗り換えだよと言い、次の電車へ先導した。ブリュッセルまではもう一度乗り換えしなくちゃいけないという話をサッコが駅員から聞いてきた。

 この電車のなかで、アジア人の見分け方について喋っていたら、ふとラフィが、
「日本人って、韓国人と間違われるとイヤなんだろ?」
って言った。
「うーん、日本と韓国はまだ2次大戦の問題をかかえてて、それは私たちがやったことのせいだから、私たちがそう思っちゃいけないんだけど、間違われると複雑な気持ちがするね」
って私は勇気出して正直に答えた。

左からメロ、サッコ、ラフィ

 戦争について幼い頃私は「満州からの引き上げ」を経験した祖母から「被害者」みたいな体験を常に聞いてきた。祖母は飢えや病気で子供をふたり失っているし、確かに被害者だったという一面はあるかもしれない。でも「日本人」としての私が、被害者として語ることって許されない。「戦争で起こったこと」じゃなく「戦争でやったこと」についてちゃんとした教育受けてきてない私たちにとって、戦争に関係あることを話すのはやはり勇気のいることだ。

そのあと、
「どこの国にも少しぐらいそういうことってあるでしょ?だから、私もさっき当ててごらんって言われたときすごい躊躇したんだよ。だってたとえばもしあなたトルコ人?って言われたらちょっとイヤな感じするんでしょ。」 って私が言うと、彼は、
「そうだな」
といった。

 彼が結構はなしのしやすいひとだったのでその話題に私達は深くのめりこんでいった。
「いつかトルコ人のことを許せると思う?」
って聞いたら、
「無理だな」
って彼は言いきった。
「許すかどうかっていうのは償いが済んでから考え始めるべきことであって、奴らは俺たちの土地を奪って何も返そうとしないし、殺したひとについても詫びもしない。俺たちはおばあちゃんから実際にそのときの話を聞いてるからね。あれは戦争じゃあないんだぜ。戦争っていうのは両方が武器を持っていてお互いに殺し合ったら初めて戦争って言えるんだ。奴らは突然やってきて殺して奪っただけだ。アルメニア人は手向かうこともなく殺されて行ったんだぜ」
といった。

 そんな話でちょっと深刻になったあと、彼が急に話題をかえて、
「きみ日本人だからうまい寿司つくれるだろ?」
って言った。ええっスシ〜?って言ったら彼がまたふざけて、
「おお、そうか君がつくれるのはまずい寿司だけか?」
っていうんで、
「いや、たまにしか作らないけど・・・作ればうまいよ」
って見栄はって言うと、
「俺はロスにいるときゃいつも週2回は寿司を食いに行ってるんだよ。寿司。ウーン懐かしいねぇ。旅行に出てからもう1ヶ月も食ってないよ。俺たちこれからベルギーの友達んとこに行くからそこでマグロとかサーモンが手に入るか聞いてみるからさ、それで手に入るって言われたら寿司作りにきてくれよ」
って彼が言った。

 電車が止まろうとする頃、ところできみ名前なに?ってラフィが聞いた。私は「ノブコ」、と名乗ったけれど、覚えられそうにないのでいつものように「のーさん」って言ってみた。でも彼らにはそれも少し覚えにくいみたいだった。じゃあ、「のーさん」と音が似てるからチャットとかで「ナンシー」って言うこともあるけど、って言うと、そうだ、それがいい、といい、電車がとまると彼らは私に「おいでナンシー」と、犬でも呼ぶみたいに呼びかけた。

 最後の乗り換えで、サッコがサンドイッチとコーラを買って持ってきてくれた。電車のなかでもう一度ラフィが寿司つくりに来る?って聞いたので、ノリで「もちろん、いいよ」って言ってしまったら、どこに連絡すればいい?って彼が訊ねた。私はメモを開いて、予約してあったユースホステルの電話を教えた。これまでとっても孤独な思いをしてきたから、もし彼らが悪いひとたちでもちょっとぐらい、飛び込んでみようかなと思っていたのだった。

 彼らは喋ってる間に友達と約束したノルドガーデン駅で降り損ねたみたいで、私と一緒にブリュッセル中央駅で降りた。そこで私がお金を替えに行こうとしたらサッコが、
「もしよかったら友達んとこにきみも泊まれないか頼んでみるけど」
って言った。
「古いアパートだし、決して広くないけど君が泊まる場所ぐらいあると思うよ」
えっ。そこまで飛び込んでしまっていいのかなぁ。ちょっと悩んだ。
「そんなこと、友達がびっくりするんじゃない?」
って聞いたら、
「うん、まあ聞いてみてからだけど、彼は独身だから気にするひともいないし」
と彼は言った。なんか、アタマのなかで、乗ってしまえーという声がした。乗ってしまおう。このままじゃヨーロッパは景色と教会見ただけのとてもつまらない思い出になってしまいそう。誰かとかかわらなければ私の心の中にヨーロッパを残す手がかりがなくなってしまうから、たとえそれが詐欺師でもいいと思った。

 そしたら彼らは、
「そうと決まったらもっと率のいい両替所が街のなかにあるからきみはいまは両替しなくていいよ」
といった。いいのかしら。無一文で万一のことがあったときどうやって逃げるのかしら、ということがチラとアタマをかすめた。お利口な旅行者はここで賭けに出ない。でもアホな旅行者でそれなりに得もしてきてる私はここで、彼らが別に悪い人じゃないってほうに有り金全額賭けてみた。

 ラフィが友達に連絡するために電話をかけにいった。両替して、カードを買って、ノルドガーデン駅で待ってる友達の携帯に電話して戻ってきて、
「俺らがいまから行く友達んちっていうのは電話やをやってるんだぜ。なんでテレホンカードなんか買わなくちゃならんのだ」
って憤慨していた。しばらくしたら彼らの友達が彼らを迎えにやってきた。その友達っていうのはメロといって、シリア人だってことだったけどなんかハナがでっかくて細い顔立ちでわりと色白で、私のイメージではイタリア人、って感じだった。

 ラフィが彼に私のことをちょっと話すと、彼は、
「どうぞよろこんで。ぜひ遊びにきてください」
といって私の手をにぎった。彼らはちょっと古そうなワゴンに乗りこんで、そのまま私を王宮広場に連れていき、それからその近くのギリシャ人街で夕食となった。
「寿司は明日か明後日でいいよな。」
ラフィがそういった。明日も明後日もお邪魔してていいのかぁ。いいひとたちだったらこんなにいいお話はないなぁ。私は鶏肉のソテーとサラダとポテトのセットを頼んだ。お金を両替してないから、いくらなのか見当もつかない。運転をするメロだけがワインを頼んだ。

グランドプラス。入り口が
建物の中心線とずれている。
そのためにこの設計者は
のちに自殺したという

 なぜか当たり前のように晩ご飯ごちそうになってしまったあと、車はメロの店についた。メロの店の電話やというのはトイレみたいに小分けされたブースのある店で、自分の国に国際電話をする出稼ぎアフリカ人のひとたちなんかがよく利用してるみたいだった。せっかく電話やさんに来たので、ちょっと電話借りていい?って聞いたらどうぞどうぞ、タダでいいよ、って自分の店でもないのにラフィが答えた。

 パソコンを彼らに見せていいかちょっと迷いながら、でも何日かお邪魔するのに見せないこともできないだろうと思って鞄から取り出してメールを受信した。市内のアクセスポイントの調子が悪くて市街のアクセスポイントにかけたので、終わってから、
「やっぱ両替してからあとで払うよ」
って言ったら、今度は店長のメロが、
「そんなのいいんだよ私にはタダなんだから。君はお客さんなんだし」
と言った。勝手についてきてしまった得体の知れないアジア人の娘をお客さんなんて言ってくれるなんて、なんて言っていいのか言葉につまった。

 それからまた車に乗って2分ぐらいのところで降りると、そのすぐ近くがアパートだった。メロのアパートというのは古い建物の3Fで、古びた居間にソファが3個、そのほかに少し狭いベッドルームがあった。

 夜結構遅い時間になって、メロとサッコだけが、メロの兄弟のところに行くといって出ていった。あとから考えればラフィは私をさびしがらせないために残ってくれたんじゃないかと思う。で、その間にラフィと私で寝る場所について極限までモメた。ラフィは、
「どうせ誰かが床で寝なくちゃならんのだから俺が床で寝る。おまえは気にしないでベッドで寝ろ」
と言った。居間には大きいソファが2個と小さいソファが1個あって、大きいソファのひとつは開くとちゃんとしたベッドになるみたいだった。小さいソファは私が寝るにも小さそうだった。私は、
「ソファのベッドにメロ、奥のベッドにラフィ、大きいソファにサッコが寝てちょうだい、私は床で寝るから」
と言ったけど、ラフィは、
「アルメニア人はお客を床で寝かせたりはしない。お前が奥のベッドで寝ろ俺は床で寝るから」
と言ってきかなかった。

 でも私は、
「ここはメロんちで、お客はあなたでしょ。日本人は誰かをさしおいてベッドで寝たりはしない」
って言い張った。そしたら、
「だったらお前と俺が奥のベッドで寝ればいい」
とラフィが言ったんで、ちょっとたじろいだ。
「そんなことできない」
と私は言った。
「なんでだ。奥のベッドが一番大きいだろ。大きいヒトと小さいヒトの組み合わせなら広さもちょうどいい」
って彼が言う。ふざけてるようにも聞こえるけどマジにもみえる。のーさんピンチ。
「ダメだ。とにかく私は男のひとと同じベッドで寝たりはしない!」
って言い張った。ひゃー、ちいさい頃あれだけ「チョコレートあげるって言われても知らないひとについてっちゃダメよ」っておかーさんが言っていたのに。いいつけを守らなかったからついにこんなところで食べられてしまうのかしら。

 「じゃあこうしよう、お前のルールはなんだ?誰も床で寝させないことと?男と一緒に寝ないこと?俺のルールは、キッチンのとなりの部屋で寝ることと、それからもうひとつは俺も男と一緒に寝ないことだ。でも俺はキッチンのとなりで寝るっていうのを放棄するからお前も1個放棄しろ」
と彼が言った。
「ヤだ」
って私はいいつづけた。そいで、ためしに居間のソファベッドをひらいてみたらちょうど私の身長にちょうどいいぐらいの平らなクッションが4つ余った。それを床に並べて、
「私はここで寝る!」
って言い続けたら彼は最後には、
「好きにしろ」
って言った。彼が折れたので私が少しはしゃぐと、彼はちょっと皮肉そうに
「おまえわかってるだろうな、 I'm feeling this much」
といって指をちーさく開いてみせた。私はその言い方を知らなかったので、
「"feeling this much"ってどういう意味?」
って聞いたら、
「ちょ〜不愉快ってこと」
と彼は言った。私ははしゃぐのをやめて「ゴメンネ」と言ったけど、なぜだか彼が別に怒ってないのがわかっていた。私はテーブルと小さいソファの間にクッションを並べてシーツをのせ、枕を1個のせて毛布を広げた。


メロんちの居間。このテーブルの
手前に私はクッションを敷いて寝た。
「寒かったら替わってやるから、夜中に起こしてもいいからな」
そういってラフィは隣の部屋に寝にいった。

 やっぱ悪い人じゃない。まだ出血してる虫さされにかゆみ止めを塗って、毛布をかぶって眠った。深夜12時過ぎ、メロとサッコが帰ってきたときには、気づかないぐらいぐっすりと眠っていた。