虫さされ
   朝5時前に、ベルリンからのバスはアムステルダム中央駅についた。あたりはまだ真っ暗だった。隣に座っていた、現代アートをやってるっていう女のひとが、先にバスを降りて肩をちぢこめている。彼女はトルコでの美術展に選ばれて作品を出したあと、友達を訪ねて少し旅行してる、と言った。

 彼女は、いかにも現代アートのアーティストらしい、変な柄のトレーナーを着てた。白地に青い炎が散っていて、その上を劇画調大きい馬が走ってるイラストがいくつも描いてある。
「これ、変わってますねぇ」
って指摘したら、
「そう、コレ変でしょう。たぶん60年代とかのもので、すごく安くて、とっても変でよかったから買ってしまったの」
って言っていた。彼女には「変」っていうのがすごく素敵なことに思えるらしかった。彼女の展示作品っていうのがまたそのセンスを如実に表しているすごいやつで、髪を結んだ女の子の後頭部にタバコの箱が2個、後頭部の中央から微妙にずれて並んでる写真が1枚。女の人の足の指の間にタバコの箱が1個置いてある写真1枚。それから、全裸の男女が無表情でぎゅちゃっと抱き合ってて、それをやや足のほうから撮ってる写真が1枚。なんか、あまりに私にわからないものを見たのでなんていったらいいかわからなくて、
「なんかゾクっとする感じですね」
といったら、彼女は関西弁のイントネーションで、
「そうぉ?ありがとぉ」
と言った。あっ、やっぱ「ゾクっとする感じ」はほめ言葉なんだな、と思った。

 アムステルダムにはもう冬が来始めているみたいだった。駅の中で暖をとろうとしたら、まだ駅は閉鎖されてて、まわりにひとがたくさんブラブラしていた。どうにも寒くてジャケットと登山用の保温シャツを出して着た。5時になったら駅のシャッターが開いたからとりあえず構内に入った。彼女は地下鉄に乗って行くつもりだって言っていたから、私も地下鉄の走り出す時間を待つことにした。

 お金を両替してから適当にそこらへんに座って時間をつぶしていたら、白人の男の子や女の子や黒人のおじさんなんかが混じった数人がやってきて私たちのとなりでマリファナを喫い始めた。この街は個人での使用に限り、5gまでのドラッグの所有が容認されてる。そいで、こんな朝早くから(というか彼らにとっては現在まだ「夜遅く」、なわけだけど)駅にたむろして堂々とマリファナをやってるんだ。

 そんな集団の近くにいて危なくない?って思うかもしれないけど、別に彼らはここらへんじゃ変わった存在じゃないらしく、まわりのひとたちも彼らを凝視したりはしていなかった。ここは俗に言うフリードラッグの街。各種ドラッグが政府公認のコーヒーショップで売られてるのだ。日本で言えば居酒屋でお酒を出してるような感覚で店先に堂々とドラッグの名前が掲げられてる。酒屋でビールを買ってきて街角で飲んでるひとと同じように、このひとたちもただちに危ないということはなさそうだった。(ただし、あとから駅の構内を歩いていたら、黒人のおじさんが長〜い間、「なんって分からず屋なんだおまえは畜生!」って感じででっかい身振り手振りを加えて、スナックの自販機を説得していた。どういうドラッグでキレちゃったのか知らないけど(ひとり会話してるひとは日本にもいるといえばいるけど)、ああ、こういうひとは危なそうだなぁと思った。)


日本人をターゲット
にしたコーヒーショップも

 ちなみにアムステルダムがフリードラッグの街と呼ばれるようになったことについてあとから訊いた話。アムステルダムでは以前、麻薬中毒者による犯罪がすごく多かったのだそうだ。ドラッグを買うお金ほしさのあまり彼らは盗み、ひとを傷つけた。また注射器の共有によるHIVの蔓延も大きな問題だった。取り締まっても取り締まっても陰で蔓延していくドラッグ。そのために増える犯罪とHIV患者。彼らは確実に街を死に近づけてく。それに歯止めをかけるには180度の政策の転換が必要だった。ドラッグで少しずつ死んでいくか?HIVと犯罪で急いで死んでいくか?勇気のいる決断だけど、オランダ政府は検討の末、自ら無償でドラッグを配る道を選んだ。毎日午後五時に広場に行くとドラッグが配られる。日本出身の私には「そんな極端な」と思えるけど、この政策転換によってアムステルダムの治安は格段に向上したんだそうだ。

 話はもどって、私の傍らで彼らが喫ってるマリファナは、私が煙をかいだだけでちょっとクラっとくるような、かなり強そうなやつだった。そばにいるぐらい大丈夫だと思ってそのままいたらちょっとまわってしまった。マリファナに酔う、という感覚はひとによって違うと聞いているけど、私の場合、体が大きくなり、手や足がブヨンと長くなったように感じた。私はそういう感覚がおもしろいとは別に思わないんで、アムステルダムでそういうものを楽しもうとか思っていなかったのに、うっかりしていたらちょっとクビが長くなってしまった。

 それにしても、これまで訪れたどの国でも、白人と黒人はお互いがいてもいないように生活してるのが普通で、彼らが混じって遊んでる集団をほとんど見たことがなかった。それが、ここでは白人も黒人も混じったグループがあちこちにいて、ごく自然に一緒に歩いたり遊んだりしてるのが、とっても不思議な感じだった。黒い肌と茶色い肌をしたカップルが白人の子供を連れてあるいてたのも見かけた。アムステルダムは移民の街だ、と聞いていたけど、こんなに調和しているとは知らなかった。

 現代アーティストの彼女と地下鉄が走り出すのを待ちながら、ぽつりぽつりと話をして時間をつぶした。そのうちトイレに行きたくなってホームに探しに行ったら掃除中でカギがしまっていた。掃除が終わって扉が開いたので中に入ったら、トイレ利用料は50セントで、さっき替えた大きいお札ではおつりがないからくずしてこい、とヒゲのじいさん係員に言われた。すごくトイレ行きたいのに我慢してホームから降り、チケットカウンターでお金くずしてって頼んだらおばさんにぶっきらぼうに「なんでよ」って言われた、おずおずと「トイレのため・・・」っていったらなんとか替えてくれた。カラフルでおもちゃみたいなお金。


黄色のヒマワリの柄も鮮やか
 替えてくれた小銭を持ってじいさん係員のところに行ったら、「ダメだダメだ。細かいの持ってこないと」って言われた。「替えてきたってば」と言って渡して奥に入ろうとしたら、相棒の長髪のおじさん係員にもまた「ダメだって言ってるだろう」って言われた。この時間にお金くずしてくれるとこなんかないに決まってると思っていながらくずして来いって言ったんだな。ほんと感じ悪いトイレだ。

 私がトイレ行ってる間にアーティストの彼女が地下鉄の時間を聞いてきて、8時からだって言われたらしい。彼女は友達のうちにタクシーで行くことにしたので見送り、私はトラムの停留所に行って始発を待つことにした。彼女に手を振ったら、ドラッグで酔っぱらってるらしい白人のお兄ちゃんたちがどさくさにまぎれて一緒に手を振った。ちょっと愉快な気分になった。

 でも、トラムの停留所に行ってまたガクっとした。始発の時間を確かめてみたら、平日は5時台だけど土曜は6時台から、日曜は7時台からで、今日はばっちり日曜じゃないか。しょうがないか。地図を見ても2キロぐらいだ。道順を確かめて予約してあったユースホステルに向かった。レンブラント家と呼ばれる建物の前の広場を、路上清掃車が楽しそうにぶんぶん走っていて水をかけられた。まだ真っ暗なのに、なにをしてるんだか道の片隅に座ってる黒人のおじさんとかが「ハロー」って声をかけてきた。私もこたえながら、しばらく歩いてユースについた。

 ユースのカウンターに立つと、もう7時なのに、
「チェックインは7時からだから」
って言われ、それからまだ20分くらい待たされてやっとチェックインできた。お金を払ってシーツを借り、荷物をロッカーに入れた。自分の荷物とはいえ、階段をあがるときには相当憎しみが沸いてくる。しかも部屋は4Fだった。

 

 朝食を食べていいわよって受付の赤毛の女の子が言ったから、まず朝食を食べた。標準的なユースホステルの朝食だとは思うんだけど、ぺらっとしたハムとチーズにパンぐらい。昨夜は途中バスの乗り継ぎがあってほとんど寝られなかったから、朝食のあと、ベッドで寝てたら「実はもっと豪華な朝食がこれから用意されるとこだったのよ」っていう夢を見た。ヨーロッパに入ってから予算的な理由でロクでもないものを食べることが多くて、ちょっと飢えてるみたいだった。

 9時になって目が覚め、受付に行って、電話かしてもらえないか聞いたけど答えはNOだった。OKだったら急いでホームページ更新するところだったけどとりあえず保留だ。ここのユースにはパソコンじゃないインターネット専用機があって、テレカを入れると使えるようになってたけど、日本語は読めないし書けないし、フロッピーを入れるところもない。インターネットカフェを探さなくちゃいけないみたいだった。

 さてだけど、今日はまずその前に行きたいところがあった。話せば長いことながら、とあるいきさつで病院に行かなければならなかったのだ。

〜・〜・〜 話せば長いいきさつ 〜・〜・〜

 アムステルダムには、私の入ってるAIU保険の病院が2軒あって、日曜にあいてるのは日本語の通じない総合病院だけだった。病院への手配をするオフィスというところに電話をかけて、
「アレルギーが出てるみたいなので、保険(インシュアランス)払いで看ていただきたいんですが」
って言ったら、言い方が悪かったのか通じなくて、
「ドクター・インシュランスは現在この病院におりません」
って言われてしまった。そいで、
「いえ、ドクターなら誰でもいいんですが」
って言ったら、直接おいでください、と言われた。何のために電話したのかよくわからなかったけど、来いといわれたんだからとにかく出かけた。

 土日の急患外来カウンタでかなり待たされたあと、
「はい、どうしましたか」
って言われたので腕を見せて、
「アレルギーみたいなんですけど。AIUの保険で看ていただきたいんですが」
って言ったらしばらくして診察室に通された。

 10分ぐらいしてドクターが来た。やさしそうなふとった女のドクターで、腕を見て、
「アレルギーの特徴出てないわねぇ。寝てる間になったの?寝てるときはパジャマ着てるの?」
と聞かれた。
「いやこんなTシャツとかで寝てます」
と言ったら、
「ああやっぱり。それで見えてるとこだけやられてるのね。多分これノミか南京虫でしょう。」
と言われた。そういえばそうだこのTシャツ。最初に”じんましん”が出たときに、万一虫さされだった場合のため虫除けをかけまくって、その後毎晩着てたから、虫は中まで入ってこなかったんだ。ノミなら日中も血を吸う。南京虫は夜働く。夜寝てる間にだけ盛大にやられたってことは、どうやらついに南京虫にやられたようだ。あとで調べたら、南京虫の刺し跡は2つ並んで残ることが多いらしい。ドンぴしゃだ。私の多くの刺し傷は2,3ミリの間隔をあけて並んでるじゃないか。

 彼女は落ち着きのないドクターで、
「とにかく、もういまは違うホテルなんでしょ?かゆい?かゆいわね。かゆみ止めの薬処方しといてあげますから」
といって処方箋をとりに行ったあと、長い間戻ってこなかった。処方箋を持ってやってきたと思ったら、「あとは受付の彼女が説明しますから」といって落ち着きなく去っていった。まだ虫がいるかもしれないと思って避けられたのかも。あぁ、私は不潔。世界中から嫌われたような気分になった。

 受付嬢が、薬屋さんの場所と支払いについて教えてくれ、
「薬やは歩いて行ける距離です。診療の請求書はあなたの家に送りますから」
と言われた。
「私は来年まで日本に帰らないんで、家に送ってもらっても支払いが当分できません。いま病院に委任する手続きをして保険会社から払ってもらいたいんですが」
といったら、
「急ぐ必要はないから、帰国後に払って申請すればいいのよ」
と言われた。病院の支払いがそんな先延ばしにできるものなのだろうか。でもそれ以上つっこんで聞くことができなかった。彼女は忙しそうだったし、私の英語にも彼女の英語にも限界があって、これ以上、どうしてそういうやり方が成り立つの?とか聞くことはできそうになかった。

 腑に落ちないまま歩いて公園を通り抜けた。南京虫かよ・・・。長い旅の間、何度かは虫に襲われるだろうって覚悟はしていたけど、できれば避けたいと思って殺虫剤まで持ち歩いてるのに、やられてて全然気づかないなんて。公園では広い芝生にペンギンとカラスの中間みたいな鳥が飛んだりはねたりしていていい感じだったけど、このボコボコのヒジを考えるとトリハダたって、ゆっくり散歩を楽しむどころじゃなかった。じんましんだったらまだよかったのに。憂鬱な気持ちだった。別に日本に帰りたいとか、どうしてこんな旅に出てしまったんだろうとか、そういうことを思うわけじゃなかったけど、かゆくて気持ち悪くて情けなくて泣きそうだった。

 薬局に行ったら、透明のすっとする塗り薬のすごいでっかいチューブを2本つくってくれた。どのぐらい塗ればいいのか、どのぐらいの頻度で塗ればいいのか聞きたかったけど、英語は少しも通じなかった。この英語の通じないことがまた私をイライラさせた。

 これまでの国で「言葉が通じない」と思うことはとても少なかった。それは、大概の地域で英語がとてもよく通じたし、あるいは英語が通じなくても、いろいろなシステムがとても曖昧で、曖昧なだけに土地の事情をよく知らなくてもやっていけるような、融通のきく仕組みになってたからだと思う。それがここへ来て、急に知らないじゃすまされないことがとても増えてきた。列車の席の予約のあるなしとか、スーパーに入って、特に買うものがないときに出てくる出口とか、そういうのがいちいち私にはわからなくて、つまづくたびに孤独になった。

 そこへ持ってきてよりによって南京虫か。かゆみ止めしかもらえなかったってこともまたがっかりだった。それって、かゆみを止めて勝手に治るまで待てってことでしょう。なんか「治療」する方法はないんだろか。

 ネパールに置いてあった日本の「旅行人」っていう月刊誌で、
「マレーシアで南京虫にやられたので病院行ったら注射をされて、一晩できれいさっぱり跡が消えた」
って書いてあったけど、そういうのは南京虫の被害の多い地域じゃないと置いてないのだろうか。それとも今日の急患外来のお医者さんは皮膚科には明るくなくて、かゆみ止めしか対処できなかったのだろうか。

 私はややアレルギー持ちなので、蚊に刺されても後日何度か腫れるような体質だ。南京虫に刺されたら普通のひとでも半年は残るって聞いている。こんな腕と日本に帰るまでずっとつきあい続けていくんだろうか。

 ヨーロッパに入ってつらいことばかりだったとは言わないけど、地図がないとか、宿がないとか、言葉が通じないとか、バスの乗り方がわからないとか、次にどこの街に行ったらいいかわからないとか、そういうことが積もり積もってかなり追いつめられた状況になってた矢先だけに、追い打ちかけて南京虫はつらかった。しかも、あまりにたくさん刺されたせいか、発熱もしてるみたいだった。ずっと頭痛がしていてボーっとしてた。

 栄養つけないと治らないだろうと思って、ケバブ料理みたいのある店に入ってサラダとかポテトのついたケバブ料理を食べたら1300円ぐらいした。普通に食べても1000円を超えてしまう物価高がまた私をあせらせた。

 それからインターネットカフェを探して街の中をぐるぐる歩いた。街の中にはカジノみたいなゲーセンみたいな店も多いし、マジックマッシュルームって堂々と書いてあるカフェもあったし、裸の男の客のポラロイド写真がべたべた貼ってあるゲイ専門のディスコもあったし、昼間からおとなのおもちゃ売ってる店もあった。ドラッグだけじゃなくて、性的にも解放された街、っていう印象だ。そういえばユースにも「セーフ・セックスのすすめ」みたいな小冊子が置いてあって、コンドームの使い方の図解とかばかりじゃなく、各国語での愛のささやき方まで書いてあった(ちなみに日本語はなかった)。安全を説いてるようでいて、不特定多数とのおつきあいを推奨してるみたいな変な冊子だった。・・・この街、見た目はベネチアみたいに運河だらけで、ヨーロッパらしいたたずまいの建物も多くてきれいに見える。でもトラム通りを歩いていると素っ裸にTバックの革パンしかつけてない男が両腕で胸をかくしながらインラインスケートで走っていく。なんか変な街だここは。

 頭痛がひどくなってきて、ユースに戻ろうとした途中でインターネットカフェを見つけた。おじさんに、
「パソコンもってきてここでアクセスしていい?」
って聞いたらOKって言われた。なんとかアムステルダムにいる間に更新しなくちゃ。

 ユースに戻ってきて、休み休み4Fに上がったらさっき敷いたはずのシーツがなかった。誰かが持って行っちゃったんだろうか。どうしてこういう、動揺しちゃうことばかりあるんだろう。いや、普段だったらこのぐらいのことでショックはうけないんだろうけど、今日は、多分体の調子悪いからきっとこんなにショックなんだ。

 さっきの病院の支払いの件がちょっと心配だったので、ユースのロビーの電話からAIUのパリセンターに電話してみた。でも、あとから来た女の人からせかされて、中途半端にしか聞くことができなかった。

 お風呂に入ってから、イソジンで消毒したアーミーナイフで虫さされのひどいところを切って水を出し、消毒して軟膏ぬって絆創膏はった。以前、母がブヨにさされまくって皮膚科に行ったときに医者がそうやって治療してくれたと聞いていたから。我ながらワイルドになったもんだ、と思った。でもヒジには刃がとどかないし、数限りなく腫れてるから切ることもできなくてかゆみどめを塗った。あとで数えられるところだけ数えたら、左腕だけで90カ所ぐらい刺されていた。90、というのは正確にはウソだ。90数えた時点で、もうそれ以上数える気が失せたのだ。いつまでかゆいんだろう。考えると憂鬱だった。

 受付でシーツがなくなっちゃったって説明し、新しいシーツをもらってベッドに敷いて、うとうとしていたらもう6時頃で、もう暗くなりかけていた。今朝夜が明けきったのが8時過ぎだったっていうのにずいぶん早い日暮れだ。むっくり起きあがってよくよく考えてみるに、ここでホームページの更新作業に取り組むなんて不可能だと気づいた。室内に電源もないし、廊下には何カ所か電源あるとこもあるんだけど人通りがはげしくてあぶなすぎる。TVルームにもロビーにも電源はなかった。

 

 持ち帰ってきた昼のポテトの残りを食べながら考えた。ギリシャ以降ドミトリー続きで多分とても気疲れしてる。ヨーロッパのドミの部屋は概してキレイだから、インドのバッタ屋敷(できごと日記「ガンジスのほとり」参照)にいたときみたいに「不快だ」って思ったことなかったけど、荷物を蹴られないかとか盗られないかとかいうことではいつも気が張ってるし、どこの街に行ってもホームページの更新もできなくて、精神的にすごくまいってる。2,3日ひとりになれる部屋に入って好きな時間まで起きてちょっとまとめてホームページつくって、朝は誰からも起こされずゆっくり眠ったほうがいい。刺された虫がまだいるかもしれないから衣類に虫除けをかけまくって完全駆除しなくちゃだけど、ユースじゃそれもできないし。

 ホテルを探そう。そう思って外に出て、上着と地図を忘れたことに気づいた。戻って部屋にかけあがったら私のベッドに誰か寝ていた。やだなあこのひと間違えてるよ。起こそうかしら。でもここほんとに私のベッド?まわりにあるものも何か違うみたい。

 ベッドの配置は同じだけれど、下の階の部屋だった。よその部屋におどりこみ、他人のベッドを自分のベッドと間違えて、ひとを起こそうとしてたのだった。ほんとに注意力の残高が残り7%ぐらいになってて、頭のなかで警報が鳴りはじめていた。らせん階段をぐるぐるぐるぐると下っていって、必要のない迷宮に迷い込んで、一層落ち込む原因を自分で増やそうとしてるみたいだ。

 自分の部屋に戻り上着を着て地図をもち、外に出て、運河沿いに歩く。わりと近いところの安そうなホテルで値段を聞いてみたら、シャワーつきの部屋が150ギルダー(7800円)だよと言われた。そのほかにバスなしだったら85ギルダーというのもあるけど・・・と言われ、バスなしの方を見せてもらうと、高さの違うベッドが3つもある半分地下の部屋で、ややカビくさいにおいがしたけど広かった。部屋のにおいは運河に面した窓を開ければなんとかなりそうだ。ネパール・クラスだなと思った。ただしネパールだったらこのぐらいの部屋は300円だったけど、ここでは4000円以上もする。

 受付で、ここに泊まったら電話借りてインターネットやらしてもらえる?って聞いたらそれはできないと言われた。ほかのホテルに聞いてみて、もしいいところがなかったらまた電話するからといって外に出た。雨が降り出していて、雨宿りしながら地図を見ていたら、酒臭い、でもちょっとかっこいいお兄ちゃんが、
「何をさがしてんだい?」
って寄ってきて地図をのぞき込んだ。
「安いホテル」
って言ったら、
「ツーリスト・インフォメーションにいきな。それが確実だ。」
と彼は言った。ただの酔っぱらいにからまれただけだけど、それでもひとに相手にしてもらえてうれしかった。ヨーロッパに入ってから、道に迷っていても誰も気にとめてくれないことが多かったから・・・というのは、これまでの国では、街角で地図を開けばだいたい誰かが来ては何かしら教えてくれてたというだけのことだけど、私はそういう何気ない親切を当たり前と思って、それに甘やかされてきてたんだなぁと思った。

 それからまた迷い、雨をしのぎながらツーリスト・インフォメーションにたどりついたら、日曜のせいか、それとももう夕方過ぎてたからかあいてなかった。もうダメだ。今度何かうまく行かないことあったら絶対地べたに倒れてヨヨヨと泣くぞ。近くのホテルをのぞいてみたけど満室、満室って書いてあるばかりだった。一応明日はどうかな、と思って聞いてみたけど予約いっぱいだよ、と言われただけだった。

 私の持ってる、7年くらい前の「地球の歩き方」のコピーでも、この界隈のホテルはシャワー共同で「3500円から」ってかいてある。ってことは今の相場は少なくとも「4000円くらいから」、に上がってるだろう。さっきの宿は近くにインターネットカフェがあるから、受付で電話を貸してくれなくても、部屋に電話がなくてもかまわない。いま泊まってるユースからも近いから移動もラクだ。これ以上歩いて、いまのユースの近くで、1泊4000円以下で、電話があってもっと快適な宿とか、受付で電話線貸してくれる宿とか、インターネットカフェに近くてシャワーつきの宿とかを望むのは無理だと思った。雨が強くなっていてGパンがびしょびしょになった。靴も冷たくなってきていた。

 もうさっきの宿に決めよう。なんか注意力がなくなってさっきも車にプッってならされたし、今日この精神状態で歩いていると絶対車とか路面電車とかにはねられる。これまでユースばかり泊まり歩いてかなり予算的にはセーブしてきてるから、ここで数日4000円の宿に泊まったところで大丈夫。そう考えてさっきの宿の下まで戻った。もう一度立ち止まって歩道の上で考えていたら、車から水をバシャンとはねあげられ、通りすがりのおじいさんにグイと腕で押しのけられた。あっもう泣いちゃうかもしれないぞ、と思ったら、宿の受付のおじさんが階段の上に出てきてて、
「おぅ、他のホテルあたってみたのかい」
と訊ねた。
「ツーリスト・インフォメーションに行ってみたけどしまってた」
って言ったら、さほどイヤミな感じもさせずに、
「そりゃ残念だったな」
と言われた。このおじさんは、さっきも部屋を見せてもらって保留にしたときも、イヤな顔ひとつしないで最後ウィンクして見送ってくれたんで、悪い感じしなかった。

 何日か泊まるなら割引してくれる?って聞いたら「いいとも」って言ってくれた。とりあえず明日のぶんだけお金を払って、
「ユースのチェックアウトは10時だから、そのあと来るね」
って言ったら、
「いいとも。うちのチェックアウトタイムは12時だが、もし部屋が空いてれば朝から入れてあげるよ。空いてなくても受付で荷物あずかってやるし」
と言ってくれた。

 領収書をもらい、それからびしょぬれになってユースに戻った。ロビーにはたくさんのひとたちがお喋りしていた。部屋に戻ったら、みんながロビーのへんでたむろしてたわけがわかった。部屋が真っ暗だからだ。夕方から寝始めてるひとたちがいて、電気は消されてるのだった。ここの部屋は24人の大部屋だ。大人数の部屋の不便なところは、数人が早起きすればその部屋の大勢のひとが起こされてしまうし、数人が早く寝るとなればほかのひとたちは、電気消えた不便な夜を余儀なくされるってことだ。私は廊下に出て、明日のために日記をつけはじめた。

 結局晩ご飯は食べられなかった。今日は、ブータンとかインドネシアとかカンボジアもいれて(でも飛行機のトランジットで1時間しかいなかったアラブ首長国連邦は入れないで)記念すべき20カ国目に突入した日だ。でも感傷にひたってるどこじゃないよ実際。腕がカユくて。

* * *

 キツいことが続いても通常はこのぐらいで終わりだ。朝8時半に目がさめ、とりあえず食堂に行って、食費を浮かせるためできるだけたくさん(といっても薄切りパンを3枚とハム1枚とチーズ1枚)朝食を食べ、荷造りした。クビとかがとてもカユい。今日ここにチェックアウト時刻まで長居しても得になることは全然ないので、昨日のホテルに行った。

 チェックアウトのとき、昨日電話をせかした女の人が、
「私もおりてくところだからちょっと手伝ってあげようか?」
って言って荷物を手伝ってくれたので、今日は絶対ツイてる日だと思った。外は雨だった。でもとにかく今日はあのホテルでゆっくりホームページづくりができると思っていた。

 昨日のホテルの受付に行ってみると、今日は黒人のやさしそうなおじさんで、
「10時から掃除婦がくるから10時半までには準備できるけど、その前から荷物を部屋にいれとく?」
って訊かれたんで、荷物を運んでもらって部屋に行った。そいで、部屋には洗面台があって、トイレは廊下の先で、って教えてもらったあと、
「シャワーは?」
って聞いたら、
「ないよ」
と言われた。
「えっ?共同シャワーは?」
と聞き返すと、
「ないよ」
と言う。
「そのことは昨日うちの同僚が説明してると思うけど・・・」
と言われ、
「いや、トイレの場所とかは聞いたけど、シャワーがないとは・・・」
って言って言葉につまっていたら、彼は、
「受付に誰か来てるかもしれないから」
っていってさっさと受付に戻ってしまった。バスなしの部屋があるのに共同シャワーがない。そんなホテルってあるのか。


ホテルの前から見える運河
 しばらくショックで言葉もなかった。もう、まだこんなことあるのか、ってあきれるぐらいだ。ここまで歩いてくるだけでとてもしんどくて、もう動きたくなかった。昨夜も、よく眠ったとは思うけどこれまでの疲れが全然とれてないんだ。今朝ユースをチェックアウトするときもまた忘れ物して部屋にとりに戻ったぐらいだから。まだ熱もあるみたいで、頭がはっきりしない。

 この部屋に泊まるぐらいだったら昨日のユースに戻ったほうが、シャワーが浴びられるだけまだよさそうだった。でもさっき、今晩と明日の予約をキャンセルしちゃったから戻ってももう泊まれるとは限らない。この部屋をキャンセルして駅まで荷物持って戻って、ツーリスト・インフォメーションに行ってホテルを紹介してもらって泊まる?

 そうしよう。雨の中駅まで行くのはしんどいけど、駅まで行けばホテル紹介やってる旅行会社もいっぱいあるから、とりあえず行ってみよう。受付に行って、
「悪いけどこの部屋キャンセルしたいの」
って言ったら、やさしそうな黒人のおじさんは、
「キャンセルはできるけど僕はお金の払い戻しはできないよ」
って言った。
「お金の払い戻しができるひとはいつ来るの?」
って聞いたら、
「いや、悪いけどそれはできないと思うな。昨日の収支は昨日で締めちゃってるから」
と彼は言った。そんなことがあるか?と思ったけど、ここはあらゆることが気合いと説得でなんとかなってきたアジアの国々とは違うので、ダメなのかもしれない、と思った。

 彼に、
「もしよければ150ギルダーの部屋に泊まれば?」
ってそそのかされた。下の85ギルダーの部屋で「体と心を休める」ことができるか?多分できないな。2,3日と思っていたけど、今晩シャワーを浴びなかったら多分明日の朝からは、かゆみ止めの薬がべたついて、情けない気持ちでいっぱいになるだろう。80ギルダーもう払っちゃってて、それを捨てて次のホテルなり、次の街なりに行くか?それとも上の部屋に移るか?

 結局70を余計に払って、私は上の部屋に泊まることに決めた。部屋は、明るくて清潔で、テレビも椅子も電話も石鹸もシャンプーもタオルもあった。ただし窓から見える景色も反対側の建物の窓だけだし、電話はRJ−11のジャック式じゃなくって室内からのアクセスはできず、7800円の価値は全然なかった。でも、もう今日はこれ以上なんの選択肢もない。ここでできるだけのことをするだけだ。まだ手がふるえているのは雨に濡れて寒いせいなのか、熱のせいなのかよくわからなかった。今日できることを考えよう。紙にちゃんと書かないとなにを間違えるかわからなかったから、とりあえず書いてみた。

 ほんとはこのあたりであと2泊するつもりだったけど、ここで150ギルダーも使ってしまったから、明日はもうここにはいられない。てことは、

  • 今日中にホームページを更新する。
  • 明日のベルギーのユースの予約をする。
  • 電車の予約をする。
  • さっき部屋代に全財産払っちゃったからお金おろしにいく。
  • 昨日中途半端になってしまったAIUの保険のカウンターに連絡して、日本語のできる医師のいる病院に再診に行ってもいいかきく。いいって言われたら病院に電話して、虫さされの場合にかゆみ止め以上の治療はないのか聞く。あるようだったら病院に行く。
  • まだ服に虫がいるといけないから殺虫剤で全部の服から虫を駆逐する。

     でもそんなことしていたら一日が終わっちゃいそうだ。虫の駆逐は別としても、電車の予約とか病院とか、そんなことだったらユースにいてもできた。ゆっくりやりたいのはホームページの更新だ。たとえ腕がかきこわしで血まみれになってもとにかく今日はホームページを更新するんだ。

     ほとんど自動的に、次のベルギーでの滞在地はブリュッセルに決まった。ほんとはユースの紹介本でオススメって書いてあるゲントという街に行こうと思っていたんだけど、もう一度、日本語のできるお医者のいる病院で、急患としてじゃなくちゃんと皮膚科にかかりたくて、その条件がそろうのはベルギーではブリュッセルだけだったから。それに、昨日今日でものすごくミスが多くなっていて、途中乗り換えのあるゲント行を選んだら、失敗しちゃいそうだった。朝からまだいくらも経ってないのにもうすっかり疲れてた。

     明日のブリュッセル行きのチケットを買うために駅に行った。駅までの間に手頃そうなホテルの看板や紹介所の看板がいくつも目に入ってくやしくてくやしくてしょうがなかった。でももう考えないようにしよう。

     駅のカウンターで、クレジットカードで切符買えます?ってきいたら、
    「クレジットカードでの支払いはあっちの国際カウンターだけよ」
    ってわりと丁寧に言われた。ぶっきらぼうに言われなかっただけでどうしてこんなにありがたいんだろう。相当私はヨーロッパに来てからひどい目にあってるんじゃないだろうか。起きたことはもう忘れてしまったけど、かなり参ってる。疲れてるだけなのか?

     この前、私のホームページを見てくれたひとから、「最初世界一周と聞いたときはうらやましいと思ってましたが『できごと日記』を見ていると・・・」とメールをもらってた。つらいことの方がいいことよりもインパクト強いからどうしても日記ではつらいことの方が多くなってしまう。でもほんとはいいこともとても多いんだ。東南アジアでもインドやネパールでも、もうたくさん!っていうぐらい不愉快なことはいっぱいあったけど、でも実際はイヤなことよりはいいことの方がずっと多かった。だから疲れても飽きもしないで旅を続けてられるんだ。そのことが言いたくて、だから今度書く日記は絶対楽しい話にしたいと思ってた。でもダメだ。早くこの腕が治ってくれないと、この重苦しい感覚から抜け出せないんだ。