| 丘の上の戦場 | |||||||||||||||||||||||
カオプラヴィハーン遺跡へは、前夜会った旅行者の話によれば、途中バスを2回乗り換えて、片道計2時間半程度らしいってことだった。彼女は2回目の乗り継ぎが悪く時間が遅くなってしまって行けなかったそうなので、私は朝7時半からやる気満々で宿を飛び出した。
ところがこの情報はどこかに誤りがあったらしくて、2回目の乗り継ぎで言われたとおりのバスに乗ったにもかかわらず、私は遺跡につく前におろされ、そこらへんの商店のおじさんと交渉して最後の11キロをバイクで送ってもらうことになった。乗車賃は300円ちょい。200円で、鈍行列車で6時間先の街まで行くことができるタイではこの程度の交通費がめちゃくちゃ高く思える。バイクの後ろに乗ってカオプラヴィハーンへの道をひた走る。道は片側1車線ずつあって新しくてすごくいい舗装だった。それでも両側ののどかな田園風景がジャングルに変わってきた頃、道が閉鎖されてて警察官が何人かいた。パスポートを見せ、番号をひかえられる。これがタイの出国審査らしかった。
それから10分ほどで遺跡に着いてバイクのおじさんと別れると時刻はもう11時半になっていた。途中すごく乗り継ぎがよかったのに片道4時間もかかってしまった。カオプラヴィハーンは想像してたよりめちゃくちゃ遠かった。
遺跡へは土曜なので地元タイの観光客が結構来ているようだった。駐車場の出口から数百メートルの距離をシャトルが走っていて、20円くらい払ってそれに乗った。隣に座ったタイ人のおじさんは英語が話せるひとで、ここの神殿は1100年ほど前から約300年かけて建てられたものなんだよって教えてくれた。シャトルを降りるともう目の前はカンボジア国境。路上で片足のないおじさんが義足を転がしてすわり、お供え物の蓮の花と金箔を売っている。
ここらへんは地雷原だった場所だから、手足がなくなったりして普通の労働ができなくなったひとが多いのだ。カンボジアの地雷はひとを殺すためではなく、働けない人口を増やして扶養するひとたちの負担を大きくして経済力や戦力を落とすために、わざとダメージが少ないように作られているんだと聞いた。だからこのへんの地域では手がなかったり、脚がなかったり目がなかったりするひとがやたら多いんだ。
金網の門みたいのを通って小さい橋をわたった。どっかのHPによればこの小さい橋のかかっている、幅わずか50cmくらいの非常に細い川がカンボジアとタイの国境なのだそうだ。少し坂を上がると広場におみやげ屋がいっぱい。
お土産やの一角で入場券を売っている。入り口の兵士みたいなひとに入場券を渡し、けっこうキツイ階段を上ったらすぐ第一の神殿というか門のようなものがあった。
それはいいとして、そのヨコでなんか小さい宇宙船みたいなのが転がってるじゃないか。なんでカンボジアに宇宙船?人工衛星か?と思ったら、まだほんとに真新しいヘリコプターだった。炎上とかしてなくて原型をとどめているので、上空から落ちてきたというんじゃなく、着陸ミスか離陸ミスで壊れたみたいだった。しっぽが折れて20mほど先のところに落ちている。羽根は全部根本から折れていた。これを見て急に実感したのだ。ここはついこのあいだまで戦場だったってことを。
神殿はさらに後ろへ続いていた。門をくぐるとその後ろにながい坂の石畳がある。階段も石畳もところどころくずれてて、両側の灯籠みたいな柱もほとんど倒れ、長い時を感じさせた。それからまだ階段を上ると最後の神殿にたどり着く。神殿の中央は完璧にくずれていて四角い石が山積みになっている。よくこれだけの丘の上にこの石を運んで来たなあと感心してしまう。崩れずに残った建物の入り口には美しい彫刻が施されていて往時の美しさがしのばれた。
シャトルに乗ったときに隣に座ったタイ人のおじさんがやってきたので、さっきの疑問をぶつけてみた。「神殿にちょこちょこ穴があるでしょう。あれって砲撃のあとですか?」そしたら「いや、あれは石を運ぶためでしょ。あの石は多分すごい重いからね。」とおじさんは答えた。おじさんは建築家だって言っていたので、その手の話には詳しそうだった。そういわれてみればそんな気もする。それでちょっと安心した。
喋ってたらポリスって書いたワッペンのついた制服風の服を来たニセポリスがやってきた。ニセポリスは、「眼下の右のほうに行く道はカンボジアのシェムリアップとかタイのアランヤプラテートに続いていく道で、あっちのはるか彼方に見える小さい山のへんにプノンペンがあるんだ」って言ったらしい。タイ人のおじさんがそれを英語にして私に教えてくれた。ニセポリスは簡単な説明をしたあと、「おみやげにカンボジアの紙幣買わないか」といってきれいなお札をポケットから出した。そう言うまでは親切なおまわりさんだなーと思っていたのだ。いや、そう言ったからニセポリスだと思っただけで、実は本物のお巡りさんがお小遣い稼ぎをしていなかったとは限らないけど。
何枚でいくら、とか言ってるようで、タイ人のおじさんが値段を訳してくれた。ゼロが何個もついてる高額紙幣に見えるのに、ニセポリスはそれを何枚もまとめて60円とか、20円ならどうだ、とか言った。私がいらないっていうと、タイ人のおじさんはポケットから20バーツ(70円くらい)を出し、カンボジアのお札はうけとらずにニセポリスにわたした。
何個めかの雲が私の上で日を遮ったあと、緑に覆われた不毛の大地を眺めるのにやっと飽きて私は立ち上がった。どんなに見つめても地雷が減るわけじゃなし、地雷のありかが見えるようになるわけじゃないしね。感傷なんかなんの役にも立たない。私が地雷について考えてる間にもニセポリスは生きるために必死に紙幣を売ってまわってるんだ。
神殿の外の崖のフチを歩いていてちょっと邪魔だった鉄条網をどかして歩いたら指を切った。有刺鉄線じゃなくて、ちょっと鋭い刃みたいなのがついてる変わった鉄条網だった。
こんな傷は簡単に治る。でもカンボジアについた傷はまだまだ治らない。この神殿の上で何人兵士が死んでいったんだろ?あのヘリに乗っていたひとは助かったんだろうか。この鉄条網の向こうを何メートル歩いたら脚がふっとぶんだろ?どうして、ひとが生きていけない土地をつくってしまったんだろ?・・・こんなはじっこを見ただけでカンボジアの苦しみが分かった気になっちゃいけないんだろうけど。
帰りがまた大変で、乗り継ぎはすごくよかったけどまた4時間かかってしまい、ウボンラチャタニに戻ると時刻は5時半をまわっていた。「カンボジア」にいた時間は2時間にも満たなかったと思う。でも行った価値はあると思った。神殿自体はまだ全然修復されていないし瓦礫の部分も多くてダイナミックさっていう意味ではもうひとつなんだけど、まがりなりにも、内戦の一端をかいま見ることができたから。私が見るのをおそれていたカンボジア。見ないつもりでいたのに、カンボジアの戦争は丘の上で待っていた。いつになるかわからないけど、カンボジアも、ちゃんと訪れなければならないと思った。
ちなみにこの遺跡へは、バンコクの旅行者横町「カオサン通り」の旅行会社が何ヶ所もツアーバスを出している。金額的には3000円か5000円くらいはしてしまうと思うけれど、とっても行きにくいところだから、どうしても来てみたいひとはそのバスを利用したほうがいいかもしれない。
![]() 神殿は二つの歴史を語る
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