丘の上の戦場
 
 カンボジアってどんな国でしたか?って言われたら困ってしまう。だって私が訪れたカンボジアはほんのはじっこ。街もホテルもない、ただ遺跡だけの場所だったから。

 和平が実現してから約1年。カンボジアには行ってみたいけれど、生々しい内戦の爪痕をひとりで見てくる勇気がない私は「タイから行けるカンボジア、ビザなしお手軽一日体験」を決行することにした。場所はタイ最東部のウボンラチャタニからさほど遠くない「カオプラヴィハーン遺跡」。アンコールワットとかと同じクメール時代に建てられた神殿で、実際に地図上で距離を測るとアンコールワットからも150kmくらいしか離れていない。そんな遺跡をタイから日帰りで見に行けちゃうんだからこれはおトク。


門の装飾が美しいカオプラヴィハーン遺跡


参道の入り口
 「地球の歩き方」とかの受け売りなんだけど、この遺跡は実は長年に渡ってカンボジアとタイで領有争いを続けていたものなのだそうだ。1962年に国際法廷で正式にカンボジア領とされたけれど、その後長くポルポト派がこの地域に潜伏し、この遺跡も占拠状態だった。おかげでこの遺跡に続くカンボジア西部は地雷てんこ盛りでカンボジア側から観光するルートが今もできておらず、タイ側からしか観光できないというちょっと特殊な場所なのだ。ポルポトが死んで、クメールルージュがカンボジア政府に投降したのが昨年の初夏の頃の話なので、正式に観光地としてオープンしてからもまだ1年たってないぐらいだとか。

 カオプラヴィハーン遺跡へは、前夜会った旅行者の話によれば、途中バスを2回乗り換えて、片道計2時間半程度らしいってことだった。彼女は2回目の乗り継ぎが悪く時間が遅くなってしまって行けなかったそうなので、私は朝7時半からやる気満々で宿を飛び出した。

 ところがこの情報はどこかに誤りがあったらしくて、2回目の乗り継ぎで言われたとおりのバスに乗ったにもかかわらず、私は遺跡につく前におろされ、そこらへんの商店のおじさんと交渉して最後の11キロをバイクで送ってもらうことになった。乗車賃は300円ちょい。200円で、鈍行列車で6時間先の街まで行くことができるタイではこの程度の交通費がめちゃくちゃ高く思える。バイクの後ろに乗ってカオプラヴィハーンへの道をひた走る。道は片側1車線ずつあって新しくてすごくいい舗装だった。それでも両側ののどかな田園風景がジャングルに変わってきた頃、道が閉鎖されてて警察官が何人かいた。パスポートを見せ、番号をひかえられる。これがタイの出国審査らしかった。

 それから10分ほどで遺跡に着いてバイクのおじさんと別れると時刻はもう11時半になっていた。途中すごく乗り継ぎがよかったのに片道4時間もかかってしまった。カオプラヴィハーンは想像してたよりめちゃくちゃ遠かった。

 遺跡へは土曜なので地元タイの観光客が結構来ているようだった。駐車場の出口から数百メートルの距離をシャトルが走っていて、20円くらい払ってそれに乗った。隣に座ったタイ人のおじさんは英語が話せるひとで、ここの神殿は1100年ほど前から約300年かけて建てられたものなんだよって教えてくれた。シャトルを降りるともう目の前はカンボジア国境。路上で片足のないおじさんが義足を転がしてすわり、お供え物の蓮の花と金箔を売っている。

 ここらへんは地雷原だった場所だから、手足がなくなったりして普通の労働ができなくなったひとが多いのだ。カンボジアの地雷はひとを殺すためではなく、働けない人口を増やして扶養するひとたちの負担を大きくして経済力や戦力を落とすために、わざとダメージが少ないように作られているんだと聞いた。だからこのへんの地域では手がなかったり、脚がなかったり目がなかったりするひとがやたら多いんだ。

 金網の門みたいのを通って小さい橋をわたった。どっかのHPによればこの小さい橋のかかっている、幅わずか50cmくらいの非常に細い川がカンボジアとタイの国境なのだそうだ。少し坂を上がると広場におみやげ屋がいっぱい。


無造作に吊してある毛皮
 ちらちら見た限りではぴっかぴかの偽物宝石とか、とっても質の悪い透明感ゼロの本物ルビーとか、やたら軽い「90パーセントゴールド」のブレスレットとかのアクセサリー屋が多かった。でもそういうのにまぎれて、タイでは絶対売っていそうにない無修正エッチビデオとか、ワシントン条約にひっかかりそうなクマの毛皮、シカの頭の皮に、なんかヒョウ柄の小さい毛皮とかも売っていた。やっぱりここはカンボジアなんだ。

 お土産やの一角で入場券を売っている。入り口の兵士みたいなひとに入場券を渡し、けっこうキツイ階段を上ったらすぐ第一の神殿というか門のようなものがあった。

 それはいいとして、そのヨコでなんか小さい宇宙船みたいなのが転がってるじゃないか。なんでカンボジアに宇宙船?人工衛星か?と思ったら、まだほんとに真新しいヘリコプターだった。炎上とかしてなくて原型をとどめているので、上空から落ちてきたというんじゃなく、着陸ミスか離陸ミスで壊れたみたいだった。しっぽが折れて20mほど先のところに落ちている。羽根は全部根本から折れていた。これを見て急に実感したのだ。ここはついこのあいだまで戦場だったってことを。


ヘリコプターの胴体

切り取られた操縦席

前方に落ちていた尾の部分

 神殿はさらに後ろへ続いていた。門をくぐるとその後ろにながい坂の石畳がある。階段も石畳もところどころくずれてて、両側の灯籠みたいな柱もほとんど倒れ、長い時を感じさせた。それからまだ階段を上ると最後の神殿にたどり着く。神殿の中央は完璧にくずれていて四角い石が山積みになっている。よくこれだけの丘の上にこの石を運んで来たなあと感心してしまう。崩れずに残った建物の入り口には美しい彫刻が施されていて往時の美しさがしのばれた。


壁に不自然にあいた穴
 ところでこの神殿の石にはところどころ直径5cmくらい、深さも5cmくらいの穴が開いていて、途中まで「老朽化してんだなあ」とか私は思っていた。しかしだ。火山岩とかじゃなくてしっかりした石にだよ。どうして老朽化したからって直径5cmの穴が開くと思う?これって砲撃のあとじゃないのか?そう思って見ると変な穴はほかにもいろいろあった。石畳の一カ所に丸い穴があいてて、妙に放射状に石の表面がえぐれてる。これって地雷の爆発のあとじゃないの?階段の下には不規則に直径40cmくらいの深い穴があいて水がたまっていて、中でおたまじゃくしが泳いでいた。これは爆弾落ちてきた跡なんじゃないのかー?でも真相を教えてくれるひとはいない。

 神殿の裏は絶壁になっていて、眼下はとことん大平原。絶壁は脚がすくんで立ち上がれないくらい高かった。ここに神殿を建てたくなるキモチ、ちょっとわかる。すごく遠くからでも眺めることができるし、すごく遠くまで見渡すことができるもの。風が吹きわたっていく岩壁の上に座っていると、くっきりとした雲の影が、平原とその向こうの樹海の上を駆けていく。それはほんとに美しくて、豊かな自然に満たされているように見える。・・・でも違うんだよ。ここは立ち入ることのできない魔の森なんだよね。だってここにはまだ無数の地雷が埋まっていて、拓くこと、耕すことはおろか、歩くこともできないんだから。
雲が影を落とす平原

 シャトルに乗ったときに隣に座ったタイ人のおじさんがやってきたので、さっきの疑問をぶつけてみた。「神殿にちょこちょこ穴があるでしょう。あれって砲撃のあとですか?」そしたら「いや、あれは石を運ぶためでしょ。あの石は多分すごい重いからね。」とおじさんは答えた。おじさんは建築家だって言っていたので、その手の話には詳しそうだった。そういわれてみればそんな気もする。それでちょっと安心した。

 喋ってたらポリスって書いたワッペンのついた制服風の服を来たニセポリスがやってきた。ニセポリスは、「眼下の右のほうに行く道はカンボジアのシェムリアップとかタイのアランヤプラテートに続いていく道で、あっちのはるか彼方に見える小さい山のへんにプノンペンがあるんだ」って言ったらしい。タイ人のおじさんがそれを英語にして私に教えてくれた。ニセポリスは簡単な説明をしたあと、「おみやげにカンボジアの紙幣買わないか」といってきれいなお札をポケットから出した。そう言うまでは親切なおまわりさんだなーと思っていたのだ。いや、そう言ったからニセポリスだと思っただけで、実は本物のお巡りさんがお小遣い稼ぎをしていなかったとは限らないけど。

 何枚でいくら、とか言ってるようで、タイ人のおじさんが値段を訳してくれた。ゼロが何個もついてる高額紙幣に見えるのに、ニセポリスはそれを何枚もまとめて60円とか、20円ならどうだ、とか言った。私がいらないっていうと、タイ人のおじさんはポケットから20バーツ(70円くらい)を出し、カンボジアのお札はうけとらずにニセポリスにわたした。

 私が「説明料として20バーツ払ったんですか?」って聞いたら、おじさんは、アンコールワットの方角に続くという道に目を落としながら「そんなとこだね。まあチップとしてかな」と答えた。そして「カンボジアのひとたちはとても貧しいから、あんな商売でもしないと稼げないんだよ。心が痛むね」と言ったあと、タバコに火をつけて「じゃあそろそろ行くね」といって去っていった。視界からひとが消えると平原は前よりもっと広く見えた。
紙幣を売っている子供もいた

 何個めかの雲が私の上で日を遮ったあと、緑に覆われた不毛の大地を眺めるのにやっと飽きて私は立ち上がった。どんなに見つめても地雷が減るわけじゃなし、地雷のありかが見えるようになるわけじゃないしね。感傷なんかなんの役にも立たない。私が地雷について考えてる間にもニセポリスは生きるために必死に紙幣を売ってまわってるんだ。


機関砲が設置されていた
 高台の一角に、大砲っていうか、機関砲みたいなものがあった。多分ついこの前まで使われていたものだ。

 戻りながら神殿をよく見たんだけど、神殿に開いてる穴はやっぱり石を運ぶためのものじゃないと思った。だって、そりゃあね、石畳みたいなとこに定期的に穴があいてるならわかるけど、この穴って、全然不規則だし、開き方も「くずれた」って感じじゃなくってほんと、ポコ!ポコ!っと同じような大きさで同じような深さであいてる。それに、もしほんとに石を運ぶためだったら、せっかく彫った神殿の装飾の彫刻のド真上に穴あけないでしょう。やっぱりこれって砲撃の痕なんだ。その証拠に、運んできたわけじゃないただの大岩にも同じような穴はあいてた。


 神殿の外の崖のフチを歩いていてちょっと邪魔だった鉄条網をどかして歩いたら指を切った。有刺鉄線じゃなくて、ちょっと鋭い刃みたいなのがついてる変わった鉄条網だった。

 こんな傷は簡単に治る。でもカンボジアについた傷はまだまだ治らない。この神殿の上で何人兵士が死んでいったんだろ?あのヘリに乗っていたひとは助かったんだろうか。この鉄条網の向こうを何メートル歩いたら脚がふっとぶんだろ?どうして、ひとが生きていけない土地をつくってしまったんだろ?・・・こんなはじっこを見ただけでカンボジアの苦しみが分かった気になっちゃいけないんだろうけど。


装飾の真上にあいた穴

放射状にえぐれてる石畳

***

 帰りがまた大変で、乗り継ぎはすごくよかったけどまた4時間かかってしまい、ウボンラチャタニに戻ると時刻は5時半をまわっていた。「カンボジア」にいた時間は2時間にも満たなかったと思う。でも行った価値はあると思った。神殿自体はまだ全然修復されていないし瓦礫の部分も多くてダイナミックさっていう意味ではもうひとつなんだけど、まがりなりにも、内戦の一端をかいま見ることができたから。私が見るのをおそれていたカンボジア。見ないつもりでいたのに、カンボジアの戦争は丘の上で待っていた。いつになるかわからないけど、カンボジアも、ちゃんと訪れなければならないと思った。

 ちなみにこの遺跡へは、バンコクの旅行者横町「カオサン通り」の旅行会社が何ヶ所もツアーバスを出している。金額的には3000円か5000円くらいはしてしまうと思うけれど、とっても行きにくいところだから、どうしても来てみたいひとはそのバスを利用したほうがいいかもしれない。


神殿は二つの歴史を語る

※ 最後に、ここの神殿と、落ちてるヘリに興味あるひとのためにウボンラチャタニからの行き方をまとめておきます。

How to approach from Ubon
  • ウボンラチャタニ → 町はずれのバスターミナル
    白いバスのNO.2で3キロほど。5バーツ。ムーン川の橋を越えて1,2kmほどで左手にバス数台が止まっているターミナルが見えたらブザーを押して降りる。

  • バスターミナル → カンタラーラKantalarak(バスターミナル)
    約2時間。25バーツ。確認できているのは朝8時発の便。それ以降30分間隔程度で出発しているらしい。

  • カンタラーラ → コミュニティポリス前
    カオプラヴィハーン「方面」行き大型ソンテウで24キロ。10〜20バーツ。確認できているのは朝10時半発。毎日あるかどうかは不明。カオプラヴィハーン「直行」のソンテウがあるかどうかも不明。

  • コミュニティポリス → カオプラヴィハーン遺跡
    売店のおじさんに100バーツ払うか、ヒッチハイクするか、ブンサラン発カオプラヴィハーン行きを待って乗り、カオプラヴィハーンへ。

    ※ カンタラーラからモトサイ(バイクタクシー)で交渉すれば300バーツ程度で送迎してくれるそうです。カオプラヴィハーンから直行でカンタラーラ行きはないらしいので往復で約束して待ってもらったほうがいいかも。

    ※ カンタラーラは私の持っている「地球の歩き方97〜98年版」には載ってませんが、大きな市場のある比較的にぎやかな田舎町です。バスターミナルから少し離れた市場付近でHotelと書かれた看板を1個だけ見ました。料金・設備とかは確認してません。


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