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淡い想い<後編>
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朝6時頃、ナムギェルがカーテンを開けて、まだ寝てるの?と言った。
無事だ。知らないひとと同じ部屋で、私もよく朝までいっぺんも目を覚まさず眠ったもんだ。お兄さんも目をさまし、ナムギェルとこれからの予定を確認しはじめた。彼らの実家はここからまだ1日バスに乗った先にあるので、いつ出発するか相談してるみたいだった。
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荷物をまとめてチェックアウトしたら、大きい方の荷物はナムギェルが持ってくれた。キャスターに載せなよって言ったけど、 「ブータン人は荷物を運ぶのぐらい何ともないんだ。きみはデイパックとキャスターだけ運んでよ」って言ってすたすた歩き始めてしまった。国境の門をくぐらないで短い石段を上がったら、ここはもうインドだよって言われた。国境の石段の近くには日本人そっくりな顔立ちの警備兵が何人も立っていて、インド側からスイと入ろうとするインド人がいると、門を通れといって追い返していた。ブータン側からインドへは門を通らずに自由に行けるけど、インドからは昨日とおった門をくぐらないといけないのだそうだ。ナムギェルによればインド側はブータンに比べてはるかに治安が悪く、不法侵入したインド人がブータン内でいろいろと犯罪を引き起こしているのでブータン側では入国者を取り締まっているんだということだった。実際門から入ろうとするひとでも身なりのよくないインド人はたまになんのために入国するのか聞かれたり、追い返されたりしていた。
インド側のホテルをちょっとあたったら2軒は空き部屋がなく、階段を上り下りするのにナムギェルはだいぶ疲れたんではないかと気をもんだ。でも彼は「このぐらい平気平気。」ってやっぱりキャスターにも載せずに荷物を運んでくれた。「ブータン人の誇り」はかなり彼を意地っ張りな男に育ててるように見えた。私たちは3軒めでやっと部屋を見つけた。
朝食にブータン側のホテルのレストランに入って唐辛子入り卵焼きとチャイを頼んでから、
「昨日のホテル代いくらだった?」ってきいた。ナムギェルが
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雨がぱらぱら降ってきていた。 「さてここらへんはあんまり見るところもないし、これからどうしようか?」ってナムギェルが言った。私もこの界隈については何も知らなかったから何が見たいってこともなかったし、彼らは今日出発するのでここにいる間にすることがあるんじゃないかと思って 「もし買い物とか行くならついてくよ」って言ったら、よしそうしようって彼はいい、彼らの実家へのおみやげを買いに行くことになった。
再び国境の門をくぐりインド側の古着や街に来た。ここでお兄さんの息子と、ナムギェルのいとこの服を買うのだと彼らは言った。古着やには、日本からのものと思われる中古衣類がたくさんあって、特に中学や高校のジャージ類が多かった。中には高校のマークとかネーム入りのジャージ、背番号入りの野球のユニフォームなんかもあった。
![]() この田畑さん、この高校マークにお心当たりの方はメールを。
彼らの服の選びかたは大胆だった。服は店の奥に並べてあるっていうか積んであるっていうか、とにかくおおざっぱにたたんでヒモでしばって置いてあり、たぶん「子供服」とか言うと店主がその束を出してくれるみたいだった。そうするとヒモをほどいてその束を2人で半分にわけ、1枚1枚確認する。そしておめがねにかなったものだけ手元に残し、あとはたたみもしないで山積みにするのだ。
そういうものはインドとか首都から運んでくるので輸送費とかがジャンジャンかかってしまうからだそうだ。大人は同じものをずっと着られるからいいけど、子供たちは成長が早いから服はすぐ着られなくなってしまう。だから彼らは実家に帰るときには必ず子供服をまとめて買って帰るのだった。
選んでる最中、
![]() 服の山積みになった古着や |
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古着を新聞紙でつつんでもらうと、今度はおじさんちに行くけど行く?って聞かれた。おじさんちまでは国境からタクシーで5分くらいだった。おじさんはこの近くのマンションに住んでいて、政府関係の仕事をしてるってことだった。おじさんはエリートで、ナムギェルと同じようにダージリン大を出てしばらく官僚として働いていた。そしたら政府がお金を出して彼をロンドンの大学に送り博士課程をとらせたらしい。そんなわけでおじさんは政府の寮みたいなとこに住んでいて、それが日本の団地並みのハイクオリティ・マンションだった。
おじさんちには、ベッドルームが2部屋あって台所があって水道も完備してて、結構広いバスルームがあって、バスルームにはひょうたん型の和式トイレがついていた。居間にはソファがあり、ソファの向かいには、政府の仕事で日本に行ったときに買ってきたっていう25インチのソニーのテレビがあってBBCなどが入った。ブータンにはテレビ局がないと聞いていたから家にテレビを持ってるひとがいたのはとても意外だった。でもこれはやはり政府の仕事をしている特権階級のひとだからなのかもしれない。お金持ちのひとはこうして衛星放送を見てるんだなーと思った。
※ ちなみに後日会った学生さんが持っていたブータンの英字新聞にはブータンに最初のテレビ局開局!というニュースが載っていた。ブータンにも時代の波が押し寄せてるってことがわかった。学生さんたちは素直にそのテレビ局の開局を喜んでるみたいだった。どちらかというと伝統的な生活重視派のナムギェルはどう思ってるんだろう・・・と聞いてみたくなった。
おじさんちにはインド人のお手伝いさんがいて月300ルピーで雇ってると言っていた。1ヶ月の人件費が900円!ちなみにこのマンションは月約4000円なんだと言っていた。4000円でこんな広いちゃんとした家に住めるのか。
「うん、安いね。東京のアパートに住んでるとき私は月600ドル払ってたから。しかもほんの小さなアパートだった」って言ったらナムギェルはさほど驚いた態度も見せず「へえ」と言ったので私はほっとした。そしてそのあとお兄さんに「家賃月600ドルだってさ」と通訳したらしく間もなくお兄さんが目を丸くして「600ドル!?600ドルって24000ルピーだろ?うわーあ!」と驚いていた。日本のいいマンションに月いくらかかるのか知らないけど、たとえば30万円くらいしたとして、どこかの国のひとがそれの20倍近い金額、たとえば600万円を毎月アパート代に払ってるって聞いたら私なら仰天すると思う。それを聞いて驚かなかったナムギェルはさすが誇り高いブータンの男だ、と思った。
マンションで、おじさんが昼休みに戻ってくるのを待っていたけど、おじさんは忙しいらしく戻って来なかった。ヒマだから郵便局にハガキ買いに行くのつきあってくれる?って聞いたらナムギェルは傘を用意して連れて行ってくれた。10分くらい歩いて郵便局についたら彼は、 |
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郵便局の中にはいると切手は奥の事務室だと言われた。事務室に入るとえらそうなおじさんが掃除用具入れみたいなロッカーからハガキのセットと切手を出してくれた。ブータンの写真ハガキはなぜかシンガポールで印刷されてた。国内にこれだけの品質の印刷のできる設備が1個もないってことはないだろ。と思ったけど、でも実際にシンガポールで印刷されてるんだからほんとにないのかもしれない。輸入されてるせいかハガキセットは17枚で約300円もした。17枚ぶんの切手を買おうとしたらおじさんから「どれがいい?」って、切手が乱雑に入ったアルバムを手渡された。いいのかそんな大事なモノ旅行者に渡して?ごまかそうと思えばいくらでもごまかせそうな感じ。ブータン人ってひとがよすぎる。ブータンは温室だ。もし外敵が入ってきたらいっぺんでこわれてしまう美しい花園だ。この花園を守ろうとする王様はエライと思うし、それをホコリに思う国民もスゴイと思う。でもこの花園は危険すぎる。この美しさは汚れを克服した美しさでなく、ケガレに触れたことのない、強さを感じさせない美しさだからだ。
切手はブータンの名産品だ。そういうことにしようって誰が考えたんだろ?あたまのいいひとだ。記念切手なんかをときどき発行するので、各国の切手収集家にはすごく人気があり、それ自体がひとつの輸出産業になってるんだって聞いた。それでかこんな辺鄙な町の郵便局でもいろいろな種類の切手があって、しかもどれも適当な枚数がなくて迷った。選ぶのに結局20分くらいかかってしまったかもしれない。やっと選んで買ったらおじさんがにこにこして「アリガト!」と言った。あまりに時間がかかったので表に出るとナムギェルは心配そうに待っていて、相合い傘でおじさんちに戻った。しばらくするとインド人のお手伝いさんがインゲンでブータン風のカレーを作ってくれた。このカレーはインゲンとタマネギを炒め、唐辛子とバターを加えて煮込んだような料理で、辛いけどとってもおいしかった。
お手伝いさんが私にだけはスプーンを出してくれた。でもその横でナムギェルとお兄さんが手を使って器用にごはんを食べ始めた。インドでも安食堂なんかでは、一般のひとたちはだいたいカレーとかごはんを手で食べてるみたいだったけど、私はまだ試したことがなかったので、今が覚えるチャンスだと思って手を使って食べはじめた。ナムギェルがおもしろがって、
「スプーンつかってもいいんだよ」ってナムギェルが言うのを、 食べ終わるとおじさんの家を出てにぎやかな商店街を歩きながらまた彼らはおみやげを探した。ブータンの商店街をひととおりと、インド側の商店街をひととおり歩き終わって彼らの実家へのおみやげがだいたい揃った頃、ちょうど私のホテルの前にたどりついた。お兄さんはナムギェルに待ち合わせの時間を言い、荷物を持ってすぐに出ていった。ナムギェルは、私にシリグリへの戻りのバス停の場所を教えて、それから僕も行くよと言った。 |
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ふと思い出して私はカバンから、七福神のプリントされた手ぬぐいを出した。実家のある埼玉の越生のお寺で買ったものだった。 「これ、いろいろお世話になったから、お礼。」って言ったら彼は、 「そんなのいいんだよ」とちょっと遠慮した。 「ナムギェルに持っててもらいたいんだよ」ってもういちど差し出すと、 「僕、何もお返しにあげるものがないよ」って彼が言う。 「とんでもない、いろいろ教えてもらったし、すごく親切にしてもらったからそのお礼なんだから」っていうと、 「当たり前のことをしただけだから」って彼はちょっとはにかんだように見えた。自分たちの予定を変えてあんないろいろ世話やいてごちそうまでしてくれておいて、何も期待しないで当たり前のことだって言うの。親切すぎるよナムギェル。 「これどうやって使えばいいのかな」って彼が言うから、 「タオルと同じように使ってもいいけどタペストリーとして壁に貼ってもいいんだよ。これは日本の7人の神様で幸運を呼ぶんだよ。これが長寿の神様で、これが商売の神様でね・・・」って説明した。彼は珍しそうに手ぬぐいを何度も開いたりたたんだりして、最後にお礼を言って大事そうにリュックにしまった。
それから彼はホテルのスタッフに料金を確認するといい、宿帳を出させてナニゴトか喋っていたと思ったら、彼はヒンズー語で、
バス停までは歩いて20分くらいかかった。途中川が道を分断しているところがちょいちょいあった。雨季で増水した川が枝分かれして民家の間を流れてしまっているのだった。足の踏み場になる中州のある川もあったけど、中州も飛び石も全くないとこもあった。建物と建物の間が一番川幅が細く、でも深くて落ちたらカメラもろとも死にそうだった。ナムギェルがそれを見て「リクシャに乗ればよかったね。つかまえようか」って言ったんだけどジャンプしたり手をひいてもらったりしてなんとか渡った。ナムギェルの手は大きくて力強かった。
やっとのことでバス停についた。バスターミナルについてカウンターで後日のバスの予約をしようとしたら、受付の男の子はくたばった5ルピー札をきれいに貼り合わせることに専念していて聞いても答えもしなかった。インドでは破れたり欠けたりしたお札はいやがられて使えない。(だいたいそういうお札は安食堂とかに集まってくるので、そういうところでお釣りをもらうとババヌキのようにキタナイお札の押しつけあいになる)だからって客より5ルピー札(約10円)の修理ほうが大事か・・・と脱力した。ほかのひとに聞いてまわって結局予約はできないことがわかり、私たちはタイムテーブルだけを調べた。戻りの道は上り坂で往きに渡ってきた川を渡れそうになかったので、私たちは自転車リクシャーに乗った。リクシャーは2人のったらぎゅうぎゅうで、私たちは肩をくっつけて席に座った。
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彼はどうもテンポ狂っちゃうんだ。昨夜の「僕と結婚する?」発言といい、なんかサバサバしてて、ちょっとからかってるのかな?と思うときがちょくちょくあった。しゃべり方もドライだし割とずばずばものを言うから、もしかしたら悪いひとなんじゃないかと思うこともあったんだ。・・・でも。悪いこと考えてるひとっていうのは安心させるために得てして話を合わせたり持ち上げたりしていいひとぶろうとするもの。そう考えて振り返れば、警察に問い合わせに行ってくれたことにしたって山の上のお寺に連れていってくれたことにしたって、実家に帰る途中なのに私のために長々時間割いてくれててあまりに親切だし、買い物とかおじさんちに居る最中とかも「退屈じゃない?」って気にかけてくれてるし、すごい情が厚いようにも見えた。
私はナムギェルの顔を間近で見てるのがはずかしくなってなんかリクシャーこぎのおじちゃんの背中ばっかり見ていた。リクシャーのおじちゃんは自転車こぐのにすごい全身の筋肉使っていて、肩の筋肉がモリモリと上がったり下がったりしていた。途中は登り坂があったり川があったりで、おじちゃんはほとんど自転車降りて手でひっぱってた。自転車と座席部分だけでもかなり重いと思うのに、そのうえ2人のひとが乗ってるんだからよほど大変だと思う。ホテルの前について10ルピー渡したら、昨日のリクシャーよかずっと大変だったと思うのにこんどのおじちゃんはつべこべ言わなかった。ナムギェルに昨日の最後までつきまとって20ルピーよこせって言ってたリクシャーこぎの話をしたら、
ホテルにもどってきたら彼はロビーのイスに腰掛けて「ちょっと休むね。疲れたよ」って言った。私は誰もいない受付のカウンターにもたれていたんだけど彼が来てほしそうにしてる気がしたので彼のヨコに座った。そしたらナムギェルはすごくうれしそうにした。彼のドライな態度やしゃべり方から想像できないかわいさで、なんか気持ちがうごいた。
私が横に座ると彼はこっちを向いて私をみつめた。昨日とはちょっと違う。私の気持ちもナムギェルの気持ちも多分。なんかナムギェルは別れを惜しんでる感じだった。私はナムギェルに、今日出発しちゃってもいいって言ったことを少しだけ後悔しはじめていた。
ちょっと沈黙があって、
ほどなく彼は私の右手を固く握り、「元気でね」と言い残して去っていった。私は部屋にもどってベッドに座って天井のファンを見上げた。誰もいない部屋はとっても落ち着くけどガランとしてむなしかった。
急に夢から醒めたように、私はダージリンでため込んでいた洗濯物を洗いはじめた。何かしてないと部屋のなかにぷくんと浮かんでしまいそうだった。洗った洗濯物をファンの下に干したら停電になった。昨日と今日の日記をパソコンにたたきこんでいたらバッテリーも切れて本格的にすることがなくなった。何分だか何時間だか部屋の中で荷物を出したり入れたりしていたら夕方になった。 |
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ナムギェルはもう出発しちゃったかなーと思いながらまたブータン側に行って、小さいホテルの食堂に入りジャシャマルーという料理の中身を聞いた。ウェイターが「わたし知りません」とか無責任なこというので、わからないならなんでもいいや、じゃあチキンエマダシっていうのくれって頼んだ。するとチキンエマダシとジャシャマルーが両方出てきた。エマダシはししとうとタマネギをチーズ味に煮たような料理だった。ししとうは味がピーマンの親戚なので私はあまり好きじゃない。でもししとうはともかくチーズがきわめておいしかった。量が多すぎて「ふたり分だなこりゃ」と思った。食べながらふと顔をあげたらその瞬間、おもてをナムギェルが歩いて行ったような気がした。こんな狭い町だから、まだ出発してなかったら絶対会うに決まってる。追いかけてここにいるよって言いたくなってしまった。でも言ってどうする?興ざめだからいいや。こういう切ない感じもいいよね。
![]() ジャシャマルー(奥)・エマダシ(手前)
部屋に戻るのがイヤで、明るい間は外にいようと思ってぶらぶら歩いた。ぶらぶら歩いてるつもりでも目がナムギェルを探してしまった。ぽかんとした感じ。さびしい。歩いていたらマーケットがあって、チーズらしきものを売っていた。これ食べられるのかなと思いながらひとかたまり買ってみた。お店のお姉ちゃんは英語はわからない。ブータン人はかなり英語できるなんてナムギェルが言っていたけどそうでもないじゃん。そばにいた少し英語のわかるおじさんに、これそのまま食べられる?って聞いたら「食べられる」っていうんだけど、説明を聞いてると「〜と料理して」って聞こえる。ナムギェルに聞いてみたいなとか思いながら、お姉ちゃんの目の前でひとかけら口に入れてみた。これでもしよせって止められたら食べられないんだ。お姉ちゃんはおもしろそうな気の毒そうな不思議そうな顔をして私を見つめていたけど止めなかった。味は少し濃い味のカッテージチーズって感じだった。
日が暮れてもう帰ろうかなーと歩いていたら、うしろから歩いてきたポロシャツ着たインド人のヒゲおやじに手を触られた。おやじは振り向いてニヤリと笑ったのでものすごい不機嫌になった。ひとがさびしい気持ちをどこに整理しようかなーと夕暮れの町を歩いているときになんでそういう邪魔するかなー。おやじを避けて行ったり来たりしていたらおやじはそのたびについてきた。気色悪い!今度ついてきたら絶対文句言ってやる!と思ってエクソシストのようにクビだけ180度後ろ向いたら、そこにはナムギェルがいた。ナムギェルは私の表情に一瞬たじろぎ、そのあと照れくさそうに笑った。
急に顔がゆるんで、
歩きながら彼は、
いつかきっとまた彼と会うだろう。ティンプーか、どこかで。そのときは彼も私も誰かと結婚したりしてるかもしれないけど、それもいい。このブータンの端の小さな町で感じた思いを、ふたたび会うときまであたためて置こう。大切にずっと。
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