淡い想い<後編>
   朝6時頃、ナムギェルがカーテンを開けて、まだ寝てるの?と言った。

 無事だ。知らないひとと同じ部屋で、私もよく朝までいっぺんも目を覚まさず眠ったもんだ。お兄さんも目をさまし、ナムギェルとこれからの予定を確認しはじめた。彼らの実家はここからまだ1日バスに乗った先にあるので、いつ出発するか相談してるみたいだった。
「きみはいつシリグリに戻るの?」と聞かれ、
「私はまだ数日このへんにいるつもり」と言ったら、
「じゃあ僕らもきみが行くまでいるよ。ブータン人はいいひとが多いけどここらへんはインド人も多くて危険だから」とナムギェルが言った。
でも私はまだ完全に彼らを信頼したわけではなかったし、ひとりで歩き回ってもみたかったので、

「そこまでしてくれなくても大丈夫、先にいっても平気だよ。わたしこれまでもずっとひとりで旅してきたんだから」と遠慮した。彼らはしばらくあれこれ検討して、結局今夜出発することにしたみたいだった。話がまとまるとお兄さんが、
「よし、じゃあきみはひとりじゃこのホテルに泊まれないから今日はまずインド側のホテルに移ろう。それからごはん食べて観光行くぞ」って言った。

山の上のお寺。名前は知らない

   荷物をまとめてチェックアウトしたら、大きい方の荷物はナムギェルが持ってくれた。キャスターに載せなよって言ったけど、
「ブータン人は荷物を運ぶのぐらい何ともないんだ。きみはデイパックとキャスターだけ運んでよ」って言ってすたすた歩き始めてしまった。国境の門をくぐらないで短い石段を上がったら、ここはもうインドだよって言われた。国境の石段の近くには日本人そっくりな顔立ちの警備兵が何人も立っていて、インド側からスイと入ろうとするインド人がいると、門を通れといって追い返していた。ブータン側からインドへは門を通らずに自由に行けるけど、インドからは昨日とおった門をくぐらないといけないのだそうだ。ナムギェルによればインド側はブータンに比べてはるかに治安が悪く、不法侵入したインド人がブータン内でいろいろと犯罪を引き起こしているのでブータン側では入国者を取り締まっているんだということだった。実際門から入ろうとするひとでも身なりのよくないインド人はたまになんのために入国するのか聞かれたり、追い返されたりしていた。

 インド側のホテルをちょっとあたったら2軒は空き部屋がなく、階段を上り下りするのにナムギェルはだいぶ疲れたんではないかと気をもんだ。でも彼は「このぐらい平気平気。」ってやっぱりキャスターにも載せずに荷物を運んでくれた。「ブータン人の誇り」はかなり彼を意地っ張りな男に育ててるように見えた。私たちは3軒めでやっと部屋を見つけた。

 朝食にブータン側のホテルのレストランに入って唐辛子入り卵焼きとチャイを頼んでから、 「昨日のホテル代いくらだった?」ってきいた。ナムギェルが
「ルームサービスとか何とかいれて500ルピー(約1500円)ぐらいだったんじゃない?」って言うから、
「お兄さんに払えばいい?」って聞いたら、
「そんなの払わなくていいよ」ってナムギェルは言った。
「悪いよ」って言ったら、
「きみはこれからまだネパール行ってずっとその先も旅行が続くんでしょ?とっときなよ」と彼はウィンクした。お兄さんは朝ご飯もごちそうしてくれた。


マニ車。1回廻せば
1回お経をよんだことになる
 レストランから出たらタクシーに乗せられ、山の上のお寺に連れて行ってもらった。お寺はチベット仏教形式らしかった。ブータンのお寺はみんなこの形式で、ブータン人は全員仏教徒なんだってお兄さんが言った。

 お寺の本堂の中は特定の日しか公開されないので入り口の網の外からのぞくだけだったけど、お堂の中央には金色の顔に青い髪の仏様が鎮座していてすごくきれいだった。本堂の外には大きいマニ車(1回まわすと1回お経をよんだのと同じことになるというありがたい車)が設置してあって、3人でぶんぶん回しながらお寺を一周した。


   雨がぱらぱら降ってきていた。
「さてここらへんはあんまり見るところもないし、これからどうしようか?」ってナムギェルが言った。私もこの界隈については何も知らなかったから何が見たいってこともなかったし、彼らは今日出発するのでここにいる間にすることがあるんじゃないかと思って
「もし買い物とか行くならついてくよ」って言ったら、よしそうしようって彼はいい、彼らの実家へのおみやげを買いに行くことになった。

 再び国境の門をくぐりインド側の古着や街に来た。ここでお兄さんの息子と、ナムギェルのいとこの服を買うのだと彼らは言った。古着やには、日本からのものと思われる中古衣類がたくさんあって、特に中学や高校のジャージ類が多かった。中には高校のマークとかネーム入りのジャージ、背番号入りの野球のユニフォームなんかもあった。


この田畑さん、この高校マークにお心当たりの方はメールを。

 彼らの服の選びかたは大胆だった。服は店の奥に並べてあるっていうか積んであるっていうか、とにかくおおざっぱにたたんでヒモでしばって置いてあり、たぶん「子供服」とか言うと店主がその束を出してくれるみたいだった。そうするとヒモをほどいてその束を2人で半分にわけ、1枚1枚確認する。そしておめがねにかなったものだけ手元に残し、あとはたたみもしないで山積みにするのだ。
彼らがあまりに無作為に選んでるように見えたので、
「それあんまりかわいくないよ」って私が言ったら、
「僕たちそんなのは気にしないんだ。僕の実家のある地方は、ダージリンみたくとても寒いところだから、とにかくあったかそうなのを選ぶんだ」とナムギェルが言った。
 よく見れば彼らの選び方は無作為ではなく、手元に残すのは、丈夫な素材であたたかく、汚れにくい色で傷のないものばかりだった。気に入った服が何枚か見付かると最後に枚数を数えて代金の交渉に入る。


これなんかまさに日本から
来てる!って感じ
 最初の店では店主と値段交渉で折り合いがつかなかった。2軒目で子供用のズボンを数枚、トレーナーを数枚買っていた。3軒目での買い物は上下あわせて7着ぐらいで600円くらいだと言っていた。日本にも古着やはあるけど、ここにあるのは傷はなくても色あせていたりして日本では誰も買わないようなものだ。それがここにくると600円もの価値になるのか。彼らの実家はここからまだ1日かかる場所なんで、地元で作れないものはなんでももっとずっと高いという。

 そういうものはインドとか首都から運んでくるので輸送費とかがジャンジャンかかってしまうからだそうだ。大人は同じものをずっと着られるからいいけど、子供たちは成長が早いから服はすぐ着られなくなってしまう。だから彼らは実家に帰るときには必ず子供服をまとめて買って帰るのだった。

 選んでる最中、
「これが僕たちの買い物の仕方だよ。日本とは違うだろ?」って彼が訊ねた。
「うん、全然違うね」って言ったら、
「きみ退屈してないといいんだけど」って彼が顔をあげた。
「ううんすごいおもしろいよ!」って私が答えるとナムギェルは、
「ほんと!よかった。きみそのうちエッセイ書くといいよ」って冗談めかして言った。
「うんそうするよ」って私は笑ってこたえた。


服の山積みになった古着や

   古着を新聞紙でつつんでもらうと、今度はおじさんちに行くけど行く?って聞かれた。おじさんちまでは国境からタクシーで5分くらいだった。おじさんはこの近くのマンションに住んでいて、政府関係の仕事をしてるってことだった。おじさんはエリートで、ナムギェルと同じようにダージリン大を出てしばらく官僚として働いていた。そしたら政府がお金を出して彼をロンドンの大学に送り博士課程をとらせたらしい。そんなわけでおじさんは政府の寮みたいなとこに住んでいて、それが日本の団地並みのハイクオリティ・マンションだった。

 おじさんちには、ベッドルームが2部屋あって台所があって水道も完備してて、結構広いバスルームがあって、バスルームにはひょうたん型の和式トイレがついていた。居間にはソファがあり、ソファの向かいには、政府の仕事で日本に行ったときに買ってきたっていう25インチのソニーのテレビがあってBBCなどが入った。ブータンにはテレビ局がないと聞いていたから家にテレビを持ってるひとがいたのはとても意外だった。でもこれはやはり政府の仕事をしている特権階級のひとだからなのかもしれない。お金持ちのひとはこうして衛星放送を見てるんだなーと思った。

※ ちなみに後日会った学生さんが持っていたブータンの英字新聞にはブータンに最初のテレビ局開局!というニュースが載っていた。ブータンにも時代の波が押し寄せてるってことがわかった。学生さんたちは素直にそのテレビ局の開局を喜んでるみたいだった。どちらかというと伝統的な生活重視派のナムギェルはどう思ってるんだろう・・・と聞いてみたくなった。
 全然関係ないけどその英字新聞の1面にはいきなり小渕総理の写真が出ていた。なんでもブータンの大臣が日本を訪ねて日ブ関係の強化に合意したっていうものだった。小渕総理ちょっとやせたなーと思った。

 おじさんちにはインド人のお手伝いさんがいて月300ルピーで雇ってると言っていた。1ヶ月の人件費が900円!ちなみにこのマンションは月約4000円なんだと言っていた。4000円でこんな広いちゃんとした家に住めるのか。

 でもそれを言ったあとナムギェルは、
「きみから見たらそんなに高くはないでしょ?」って言った。言ってもいいかな、と迷った。ときどき、私たちが日本でどのくらいお金をもらい、どのくらいお金を使っているか話すと「うわぁあきみはなんてお金持ちなんだ!!」って言われて急に関係が対等じゃなくなってしまう時があるから、先進国のツーリスト以外とはできるだけいつも給料や家賃の話はしないんだ。
 けど、彼は「ブータン人はほかのひとの持ち物を見てもうらやましいなんて思わないし、自分たちの生活にも国にも誇りを持ってる」って堂々と言っていたから、本当のことを言おうと思った。

政府関係者の家族用マンション

「うん、安いね。東京のアパートに住んでるとき私は月600ドル払ってたから。しかもほんの小さなアパートだった」って言ったらナムギェルはさほど驚いた態度も見せず「へえ」と言ったので私はほっとした。そしてそのあとお兄さんに「家賃月600ドルだってさ」と通訳したらしく間もなくお兄さんが目を丸くして「600ドル!?600ドルって24000ルピーだろ?うわーあ!」と驚いていた。日本のいいマンションに月いくらかかるのか知らないけど、たとえば30万円くらいしたとして、どこかの国のひとがそれの20倍近い金額、たとえば600万円を毎月アパート代に払ってるって聞いたら私なら仰天すると思う。それを聞いて驚かなかったナムギェルはさすが誇り高いブータンの男だ、と思った。

 マンションで、おじさんが昼休みに戻ってくるのを待っていたけど、おじさんは忙しいらしく戻って来なかった。ヒマだから郵便局にハガキ買いに行くのつきあってくれる?って聞いたらナムギェルは傘を用意して連れて行ってくれた。10分くらい歩いて郵便局についたら彼は、
「僕ポロシャツに綿パンだから入れないから行っておいで」って言って外で待っていた。暑いので、ここらへんでこそ彼らはポロシャツなんかを着てはいるけれど、ブータンは役所など公式な場所では「ゴ」という民族衣装を着なければならなくて、首都ティンプーなどでは「ゴ」を着ていないとそれだけで逮捕されてしまうのだ。


   郵便局の中にはいると切手は奥の事務室だと言われた。事務室に入るとえらそうなおじさんが掃除用具入れみたいなロッカーからハガキのセットと切手を出してくれた。ブータンの写真ハガキはなぜかシンガポールで印刷されてた。国内にこれだけの品質の印刷のできる設備が1個もないってことはないだろ。と思ったけど、でも実際にシンガポールで印刷されてるんだからほんとにないのかもしれない。輸入されてるせいかハガキセットは17枚で約300円もした。17枚ぶんの切手を買おうとしたらおじさんから「どれがいい?」って、切手が乱雑に入ったアルバムを手渡された。いいのかそんな大事なモノ旅行者に渡して?ごまかそうと思えばいくらでもごまかせそうな感じ。ブータン人ってひとがよすぎる。ブータンは温室だ。もし外敵が入ってきたらいっぺんでこわれてしまう美しい花園だ。この花園を守ろうとする王様はエライと思うし、それをホコリに思う国民もスゴイと思う。でもこの花園は危険すぎる。この美しさは汚れを克服した美しさでなく、ケガレに触れたことのない、強さを感じさせない美しさだからだ。

 切手はブータンの名産品だ。そういうことにしようって誰が考えたんだろ?あたまのいいひとだ。記念切手なんかをときどき発行するので、各国の切手収集家にはすごく人気があり、それ自体がひとつの輸出産業になってるんだって聞いた。それでかこんな辺鄙な町の郵便局でもいろいろな種類の切手があって、しかもどれも適当な枚数がなくて迷った。選ぶのに結局20分くらいかかってしまったかもしれない。やっと選んで買ったらおじさんがにこにこして「アリガト!」と言った。あまりに時間がかかったので表に出るとナムギェルは心配そうに待っていて、相合い傘でおじさんちに戻った。しばらくするとインド人のお手伝いさんがインゲンでブータン風のカレーを作ってくれた。このカレーはインゲンとタマネギを炒め、唐辛子とバターを加えて煮込んだような料理で、辛いけどとってもおいしかった。

 お手伝いさんが私にだけはスプーンを出してくれた。でもその横でナムギェルとお兄さんが手を使って器用にごはんを食べ始めた。インドでも安食堂なんかでは、一般のひとたちはだいたいカレーとかごはんを手で食べてるみたいだったけど、私はまだ試したことがなかったので、今が覚えるチャンスだと思って手を使って食べはじめた。ナムギェルがおもしろがって、
「そうそう!ブータン人はスプーンなんか使わないからね!」って言った。


左上の手はもう
食べ始めてるナムギェルの手
 手で食べるのは想像した以上にめんどうだった。もし日本のお米みたいにぺたぺたしたお米だったらくっつけるのはそれほど難しくないかもしれない。でもこのお米はぽろぽろで、そのうえバターの入ったカレーを載せて食べるから指先でどうまとめようとしてもクチにもっていくまでにぼろぼろっとこぼれてしまう。私が四苦八苦している横でナムギェルたちは実に器用にごはんをひとくち大にまとめてクチにほうりこんでいた。私が失敗してこぼすのを見るたびナムギェルがおもしろそうにクスクスと笑った。

「スプーンつかってもいいんだよ」ってナムギェルが言うのを、
「いいの!手で食べるんだから」と意地はって食べ続けていたらもうお兄さんも食べ終わって、私は見せ物状態になりながら懸命に手でごはんをクチに運んだ。ナムギェルたちが食べ終わるのにはるかに遅れて私も食べ終わった。ナムギェルによくがんばりました、と言われて、なんかまた1個また小さなハードルを跳んだような気がした。

 食べ終わるとおじさんの家を出てにぎやかな商店街を歩きながらまた彼らはおみやげを探した。ブータンの商店街をひととおりと、インド側の商店街をひととおり歩き終わって彼らの実家へのおみやげがだいたい揃った頃、ちょうど私のホテルの前にたどりついた。お兄さんはナムギェルに待ち合わせの時間を言い、荷物を持ってすぐに出ていった。ナムギェルは、私にシリグリへの戻りのバス停の場所を教えて、それから僕も行くよと言った。


   ふと思い出して私はカバンから、七福神のプリントされた手ぬぐいを出した。実家のある埼玉の越生のお寺で買ったものだった。
「これ、いろいろお世話になったから、お礼。」って言ったら彼は、
「そんなのいいんだよ」とちょっと遠慮した。
「ナムギェルに持っててもらいたいんだよ」ってもういちど差し出すと、
「僕、何もお返しにあげるものがないよ」って彼が言う。
「とんでもない、いろいろ教えてもらったし、すごく親切にしてもらったからそのお礼なんだから」っていうと、
「当たり前のことをしただけだから」って彼はちょっとはにかんだように見えた。自分たちの予定を変えてあんないろいろ世話やいてごちそうまでしてくれておいて、何も期待しないで当たり前のことだって言うの。親切すぎるよナムギェル。
「これどうやって使えばいいのかな」って彼が言うから、
「タオルと同じように使ってもいいけどタペストリーとして壁に貼ってもいいんだよ。これは日本の7人の神様で幸運を呼ぶんだよ。これが長寿の神様で、これが商売の神様でね・・・」って説明した。彼は珍しそうに手ぬぐいを何度も開いたりたたんだりして、最後にお礼を言って大事そうにリュックにしまった。

 それから彼はホテルのスタッフに料金を確認するといい、宿帳を出させてナニゴトか喋っていたと思ったら、彼はヒンズー語で、
「彼女は日本からのツーリストでひとりきりだからよく面倒みてあげるようにね。もし何かあったら彼女は警察に駆け込むからね。今日100ルピーの保証金払ってるから今日のぶんの残りは80のはずだからね。彼女は沢山のツーリストと会うからもしいいサービスをすればこのホテルは沢山もうかるけど、もしサービスが悪ければ悪い噂がたって客足が途絶えるからね」と、かなり念入りに言っていたらしい。言われた受付スタッフは、
「アチャ。アチャ。アチャアチャアチャ。(アチャはイエスの意)」とリズミカルにただひたすら返事していた。宿を出てから、
「食事はあそこで頼めば用意してくれるように言っておいたから」と彼は付け足したのだけど、そのおかげで私はその後そこに滞在してた数日の間じゅう、受付のお兄ちゃんたち全員と顔を合わせるたびに「ディナー?」「ランチ?」と聞かれ続けた。

 バス停までは歩いて20分くらいかかった。途中川が道を分断しているところがちょいちょいあった。雨季で増水した川が枝分かれして民家の間を流れてしまっているのだった。足の踏み場になる中州のある川もあったけど、中州も飛び石も全くないとこもあった。建物と建物の間が一番川幅が細く、でも深くて落ちたらカメラもろとも死にそうだった。ナムギェルがそれを見て「リクシャに乗ればよかったね。つかまえようか」って言ったんだけどジャンプしたり手をひいてもらったりしてなんとか渡った。ナムギェルの手は大きくて力強かった。

 やっとのことでバス停についた。バスターミナルについてカウンターで後日のバスの予約をしようとしたら、受付の男の子はくたばった5ルピー札をきれいに貼り合わせることに専念していて聞いても答えもしなかった。インドでは破れたり欠けたりしたお札はいやがられて使えない。(だいたいそういうお札は安食堂とかに集まってくるので、そういうところでお釣りをもらうとババヌキのようにキタナイお札の押しつけあいになる)だからって客より5ルピー札(約10円)の修理ほうが大事か・・・と脱力した。ほかのひとに聞いてまわって結局予約はできないことがわかり、私たちはタイムテーブルだけを調べた。戻りの道は上り坂で往きに渡ってきた川を渡れそうになかったので、私たちは自転車リクシャーに乗った。リクシャーは2人のったらぎゅうぎゅうで、私たちは肩をくっつけて席に座った。

 リクシャーの狭い座席で、ナムギェルはこっちに向き直り「きみみたいにフレンドリーな日本人に会えてよかったよ。必ず手紙書いてよ。絶対連絡とりつづけようね。僕はきみがエージェントを通さないでビザがとれるようにできるだけのことしてみるからいつか絶対ティンプーに遊びに来てよ」と言った。
山の上のお寺の仏塔

   彼はどうもテンポ狂っちゃうんだ。昨夜の「僕と結婚する?」発言といい、なんかサバサバしてて、ちょっとからかってるのかな?と思うときがちょくちょくあった。しゃべり方もドライだし割とずばずばものを言うから、もしかしたら悪いひとなんじゃないかと思うこともあったんだ。・・・でも。悪いこと考えてるひとっていうのは安心させるために得てして話を合わせたり持ち上げたりしていいひとぶろうとするもの。そう考えて振り返れば、警察に問い合わせに行ってくれたことにしたって山の上のお寺に連れていってくれたことにしたって、実家に帰る途中なのに私のために長々時間割いてくれててあまりに親切だし、買い物とかおじさんちに居る最中とかも「退屈じゃない?」って気にかけてくれてるし、すごい情が厚いようにも見えた。

 私はナムギェルの顔を間近で見てるのがはずかしくなってなんかリクシャーこぎのおじちゃんの背中ばっかり見ていた。リクシャーのおじちゃんは自転車こぐのにすごい全身の筋肉使っていて、肩の筋肉がモリモリと上がったり下がったりしていた。途中は登り坂があったり川があったりで、おじちゃんはほとんど自転車降りて手でひっぱってた。自転車と座席部分だけでもかなり重いと思うのに、そのうえ2人のひとが乗ってるんだからよほど大変だと思う。ホテルの前について10ルピー渡したら、昨日のリクシャーよかずっと大変だったと思うのにこんどのおじちゃんはつべこべ言わなかった。ナムギェルに昨日の最後までつきまとって20ルピーよこせって言ってたリクシャーこぎの話をしたら、
「そうだろ。インド人ってそうなんだよ。僕は日本人とか韓国人ツーリストに見えるから僕だってインドを移動するのは大変なんだ」って言った。

 ホテルにもどってきたら彼はロビーのイスに腰掛けて「ちょっと休むね。疲れたよ」って言った。私は誰もいない受付のカウンターにもたれていたんだけど彼が来てほしそうにしてる気がしたので彼のヨコに座った。そしたらナムギェルはすごくうれしそうにした。彼のドライな態度やしゃべり方から想像できないかわいさで、なんか気持ちがうごいた。

 私が横に座ると彼はこっちを向いて私をみつめた。昨日とはちょっと違う。私の気持ちもナムギェルの気持ちも多分。なんかナムギェルは別れを惜しんでる感じだった。私はナムギェルに、今日出発しちゃってもいいって言ったことを少しだけ後悔しはじめていた。
「いまちょっとブルーな感じ」って私が言うと、ナムギェルは、
「どうして?」って訊ねた。
「ナムギェルが行っちゃうと思うとね」って私が答えると彼は、
「僕も同じ気持ちだよ」って応えた。

 ちょっと沈黙があって、
「でもね」と私は続けた。「この感覚だって、旅の恵みなんだよね」
するとナムギェルは、
「ほんと僕もそう思うよ」って言った。
その言葉は私の気持ちをとてもラクにしてくれた。
私たちは同じ感覚を分かち合ってるんだなぁと、実感できたからかもしれない。
「ナムギェル好きだよ。(I like you Namgyal.)」と私が言うと彼も、
「僕もきみのこと好きだよ。(I like you too.)」って応えた。
 このとき彼と私の感覚はほんとに同期していたので、彼との会話は私の記憶の中でまるっきし日本語での会話と同じ印象で残っている。言葉が意味とか論理を離れて感覚の中に位置づけられる不思議な瞬間だ。
 彼はブータン人だし中国人の彼女がいるし、正確にはわからないけど少なくとも5つ以上年も離れてるし学生だし、私は旅行者だし、好きだからといってどうだというわけでもない。だから、なんか近くにいてちょっとどぎまぎしちゃうんだけど、「love」じゃなくて「like」なんだ。そこんところを彼もよくわかっていて多分同じように応えてくれたんだと思う。彼のことをとっても大事だと思ったし、彼もそう思ってくれてるという確信があった。私はあたたかな寂しさにつつまれた。

 ほどなく彼は私の右手を固く握り、「元気でね」と言い残して去っていった。私は部屋にもどってベッドに座って天井のファンを見上げた。誰もいない部屋はとっても落ち着くけどガランとしてむなしかった。

 急に夢から醒めたように、私はダージリンでため込んでいた洗濯物を洗いはじめた。何かしてないと部屋のなかにぷくんと浮かんでしまいそうだった。洗った洗濯物をファンの下に干したら停電になった。昨日と今日の日記をパソコンにたたきこんでいたらバッテリーも切れて本格的にすることがなくなった。何分だか何時間だか部屋の中で荷物を出したり入れたりしていたら夕方になった。


   ナムギェルはもう出発しちゃったかなーと思いながらまたブータン側に行って、小さいホテルの食堂に入りジャシャマルーという料理の中身を聞いた。ウェイターが「わたし知りません」とか無責任なこというので、わからないならなんでもいいや、じゃあチキンエマダシっていうのくれって頼んだ。するとチキンエマダシとジャシャマルーが両方出てきた。エマダシはししとうとタマネギをチーズ味に煮たような料理だった。ししとうは味がピーマンの親戚なので私はあまり好きじゃない。でもししとうはともかくチーズがきわめておいしかった。量が多すぎて「ふたり分だなこりゃ」と思った。食べながらふと顔をあげたらその瞬間、おもてをナムギェルが歩いて行ったような気がした。こんな狭い町だから、まだ出発してなかったら絶対会うに決まってる。追いかけてここにいるよって言いたくなってしまった。でも言ってどうする?興ざめだからいいや。こういう切ない感じもいいよね。


ジャシャマルー(奥)・エマダシ(手前)

 部屋に戻るのがイヤで、明るい間は外にいようと思ってぶらぶら歩いた。ぶらぶら歩いてるつもりでも目がナムギェルを探してしまった。ぽかんとした感じ。さびしい。歩いていたらマーケットがあって、チーズらしきものを売っていた。これ食べられるのかなと思いながらひとかたまり買ってみた。お店のお姉ちゃんは英語はわからない。ブータン人はかなり英語できるなんてナムギェルが言っていたけどそうでもないじゃん。そばにいた少し英語のわかるおじさんに、これそのまま食べられる?って聞いたら「食べられる」っていうんだけど、説明を聞いてると「〜と料理して」って聞こえる。ナムギェルに聞いてみたいなとか思いながら、お姉ちゃんの目の前でひとかけら口に入れてみた。これでもしよせって止められたら食べられないんだ。お姉ちゃんはおもしろそうな気の毒そうな不思議そうな顔をして私を見つめていたけど止めなかった。味は少し濃い味のカッテージチーズって感じだった。

 日が暮れてもう帰ろうかなーと歩いていたら、うしろから歩いてきたポロシャツ着たインド人のヒゲおやじに手を触られた。おやじは振り向いてニヤリと笑ったのでものすごい不機嫌になった。ひとがさびしい気持ちをどこに整理しようかなーと夕暮れの町を歩いているときになんでそういう邪魔するかなー。おやじを避けて行ったり来たりしていたらおやじはそのたびについてきた。気色悪い!今度ついてきたら絶対文句言ってやる!と思ってエクソシストのようにクビだけ180度後ろ向いたら、そこにはナムギェルがいた。ナムギェルは私の表情に一瞬たじろぎ、そのあと照れくさそうに笑った。

 急に顔がゆるんで、
「まだ出発してなかったんだ」って言ったら、
「うん、もうしばらくしたら」って彼は言った。
「いまこわいカオしてたけど」って彼が言うので、
「さっきあのインド人のおじさんに手を触られたんだよ」って訴えたら、彼は私をなだめながら、部屋まで送ってくれると言った。
「大丈夫だよ。ちょっと不愉快だっただけだから。もう一度来たら蹴りくれてやるから送ってくれなくても平気」って言ったら、
「ううん、まだ少し時間があるし、喋りたいんだ。歩こう」と宿までついてきてくれた。

 歩きながら彼は、
「あんまりブータンのほうに行きすぎないほうがいい。入国管理局に見付かったら罰金をとられるかもしれないから。国境警備兵は入国手続きについてはそんなに教育されてないから、もし見付かってなにか質問されたらシリグリに住んでるとか言えば大丈夫のはずだけど、万一入国管理局に見付かってビザなしがバレたらちょっとコトだからね」と言った。そして、
「明日ハガキ出しにいくときにはタクシー使ったほうがいいよ。タクシーはBP(ブータン・プライベート)ナンバーのやつに乗れば適正価格で行ってくれるからね。WB(ウェスト・ベンガル)ナンバーのタクシーはインドのやつでぼるかもしれないから気をつけてね」などと注意して、最後に私の両手を彼の大きな手でつつみこんで、それから肩に手をまわして顔を少し近づけ、思い直したように背中をポンポンとたたいて去っていった。西洋風のぎゅーと抱きしめるお別れをしようかと、一瞬多分ふたりとも思ったんだけれど、彼も私もそういう流儀に慣れていなかったから、気恥ずかしくなって手だけ握ったのだった。私は一度宿に戻るふりしてバイバイって言って、それからブータン側に戻っていく背の広い後ろ姿をずっと見ていた。

 いつかきっとまた彼と会うだろう。ティンプーか、どこかで。そのときは彼も私も誰かと結婚したりしてるかもしれないけど、それもいい。このブータンの端の小さな町で感じた思いを、ふたたび会うときまであたためて置こう。大切にずっと。