淡い想い<前編>
   ダージリンで標高約8600mのカンチェンジュンガ見たさにまた1週間も滞在したけど、結局雨のためほとんどその姿を拝むことなく下界の町シリグリに降りてきた。乗り合いジープを降りると自転車リクシャーが寄ってきてどこに行く?って聞かれた。
「プンチェリン行きバス停!いくら?」って聞いたら「20ルピー」だって言う。
「何分かかる?」って聞いたら「2分」だって。
「2分じゃあ乗る必要ないじゃないのよ」っていったら自転車リクシャーの若いお兄ちゃん、額に手をあてて「あちゃー」って態度してて、笑っちゃったのでやっぱ乗せてもらうことにした。乗ってみたら実際には5分くらいかかって、結構場所も遠かった。


右上に薄く雪をかぶってみえるのがカンチェンジュンガ

 リクシャーが連れてきてくれたバス停はBhutan Transportという会社の前だった。受付は建物の2Fにあった。12時発のバスのチケットはもう売り切れで、次のバスは2時半。着くのが遅くなりそうでちょっと不安だった。でもいまチケットを買えば座席番号は1番だよ、と受付のおじさんが言った。バスは前のほうが振動が少ない。座席番号1番ならかなり乗り心地いい席のはずだ。ダージリンからのジープが走ってきたのがくねくねの山道で、多少疲れていたのでほんとはシリグリで一泊しようかと思っていたんだけど、ちょうどあたりにはホテルが見えなかった。ブータン行きのバス会社のある建物に併設されてるホテルは外観からしてとっても貧相だったのでこの町に泊まるのイヤになっちゃったことだし、私は思いきって今日目的地まで一気に行ってしまうことにした。

 チケットを買って、とにかく3時間待たなければいけないので荷物をオフィスのイスに鎖でガッチリしばりつけ、地球の歩き方だけ持って出かけた。あたりをちょっと歩いたらブータントランスポートのある通りと平行した通りはすごい栄えていてホテルも何軒かちゃんとしたのがあった。でももういいや。チケット買っちゃったし、席番号1番だし。朝食がまだだったせいでちょっとジープで酔っちゃったけど、ごはんを食べれば元気になるだろう。適当なホテルの食堂に入ってごはんを食べた。食堂の裏にインターネットカフェがあったので行っていくらだか聞いたら1ページ25ルピー(約75円)だといわれた。1泊100ルピーや150ルピーの国でメール1通に25ルピーも払えるか。他のインターネットカフェを探そうとしたけど結局見付からなかった。

 結構歩き回ったのでブータントランスポートに行くのにまたリクシャーを使った。今度も若めのお兄ちゃんで、最初10ルピーで話がついたけど、走ってる途中でヤツは振り向き「行き先はどこだっけ?」と聞き直した。
「ブータントランスポートだよ!」って言ったら、「それなら40だ」とか言われた。カバン持ってなくて身軽だったから「なら乗らないよ」といって飛び降りたら「まあ待て。乗れ乗れ」とかいって「今のは冗談だよ」みたいな顔をした。
「10ルピーだろうね?」って確認したらもちろんって感じでクビをひねる。インドの頷き方っていうのは独特で、アゴをちょっとひねるっていうか、クビをかしげるみたいな感じだ。「もちろんだとも」と言ってるようにも見えるけど日本人には「さあね」って言ってるみたいにも見えちゃう。「マジで?約束する?」って言い続けたらクビをかしげながら乗れ乗れっていうからとにかくまた乗った。

 でもここでホントは乗らないほうがよかったのかもしれない。裏通りを5分くらい走って、そしてBhutan Transportのあるビルの前に着いたんだけどこいつときたらこんどまた20って言いだすんだ。私が10ルピー札を差し出しても受け取らない。もう!こういうの一番キライ。「払ったからね!」と日本語で言ってリクシャーの座席に10ルピー置いて逃げてきた。「マダム。ちょっと待ってよ。20だって言ってるだろ。あと10だよ。マダム!」とか言ってるけどシカトして2Fに上がったら追いかけては来なかった。ブータントランスポートの受付からみおろしたらヤツはあきらめたらしく背中を向けて手を振った。

 バスの出発時刻はもうすぐだった。受付のおじさんから「下にもうバス来てるよ。その白いバスだ」と言われ、やれやれと荷物を持って降りたら、しかしまだヤツはいた
「20だよマダム、10ルピーくれよ」とヤツは執拗に迫る。無視して私はバスに乗った。1番の席って助手席だった。すごいいい席!足元も広々だし景色もいい!やった。と喜んだのもつかの間、またリクシャーこぎがやってきた。わざわざバスに乗り込んできて私の後ろに立って10ルピーよこせとうるさい。無視していても手を差し出して「マダーム。マダーム」ってうわごとのようにつぶやきつづけている。やめてよもう。

 こういうときは英語で一生懸命対抗しようとするとハラがたってきちゃうし、怒ってしまうとなんとなく相手の術中におちたような格好になるから日本語で言うに限るんだ。「いーやーだ。あーげーまーせーん。べー。」などと笑いながら日本語で言っていたら相手も可笑しくなっちゃったらしくてちょっと笑ったりしてた。それでも敵もさるものでなかなか立ち去ろうとしない。あわよくば1ルピーでもぶんどってやろうっていう魂胆だ。今度私が知らんぷりしてもうしろでしつこく言い続けてた。

 私はだいたい無視して、たまに気が向くと日本語で「やだねー。あげないねー」と繰り返して、たまに英語で「絶対あげるつもりないからね。」「だって約束したじゃない10ルピーでいいって」「うそつき」なんて言っていた。あげないってことになんの良心の呵責も感じないし、うるさくされても全然気にもならないって態度で、相手にあきらめさせるのがポイントだってカルカッタで聞いていたんだ。10分くらいしてヤツの要求は「せめて5ちょうだいよマダム」になり、まもなくあきらめて行ってしまった。

 人間っていうのは不思議なもので、心の準備が完璧にできていると意外にあまり傷ついたりしないものみたいだ。もし「インドってそういうことが頻繁にあるよ」って聞いていなかったら今頃料金で合意を見るまで言い合いをしたり、最終的には言われるとおりにお金払ったりして打ちのめされて「インドってなんてイヤな国なんだろ」って落ち込んだとこだろうけど、こういうことが起こるよとか、こう対処すればいいんだよとかカルカッタでいろいろ吹き込まれていたから、私はとりたてて怒ることもなくって「追い払ってやったわい」とか思ってすかっとしながら席に座っていた。

* * *


プンチェリンの町の中央
にあるサンドペルリ寺院
 ブータンに行ってみようと思ったのは、カルカッタにいたときホテルパラゴンで会ったミワちゃんっていう女の子から聞いていたからだった。ブータンって普通はビザ代に1日200ドルかかるっていうんで貧乏旅行者は避けて通る聖地だ。そのブータンに彼女はビザなしで行ってきたというんで聞いてたみんなも興味津々だった。彼女は旅行人社の「旅行人ノート・チベット編」っていう本でその町を知り、行ってきたってことだった。その本によればその町はインドとの国境に位置し、正式な入国管理事務所に至るまでのフリーゾーンのようになっているので、その町に限っては旅行者もノーチェックで入ることができるってことだった。

 さてリクシャー引きがいなくなって間もなく。荷物を席の後ろのスペースにおいておいたら日本人っぽい男の子が来て何か話しかけられた。でもそれは日本語じゃなくって「え?わからないよ」って言ったら英語で「この荷物どけてもいい?ここに座りたいんだ」って言われた。いいよって言ったら彼は「僕が見ておくから大丈夫」といって私の荷物を自分の足元に置いた。

「どこから来てるの?」と聞かれて
「日本から。今朝までダージリンにいたの」って答えたら彼は
「えっほんと。僕も今朝ダージリンから来たんだよ」と言った。
「ブータンに旅行しに行くの?」ときいたら、
「ううん僕ブータン人だよ。ダージリン大に留学してる」って彼は言った。
 私が生まれて初めて目にした、生まれて初めてクチをきいたブータン人だった。ブータン人がインドを歩き回ってると思っていなかったし、ましてや留学なんてしてるとは考えてもみなかった。ブータンには独特の伝統衣装があるって聞いていたから、ブータンのひとは全員それを着ていると私は勝手に思っていたんだけど、彼はあか抜けたモノトーンのポロシャツとベージュの綿パンを着ていた。彼は日本のドラマに出しても売れそうな、大柄でハンサムなひとだった。

 私ブータン人と話すの初めてっていったら彼はすごく喜んだ。
「あなた日本人みたいね」って言ったら、
「きみこそブータン人そっくりだよ。最初ブータン人かと思ってぼくブータンの言葉で話しかけたんだ」と彼は言った。

 走り出したら彼は私の後ろの、席じゃないとこに腰掛けていた。はじめのうち助手席は雨漏りがして冷たかったけど、間もなく雨が止むとこの席は風通しはいいし眺めも抜群だった。バスの中ではインドの映画音楽がひっきりなしにかかっていて、後ろで彼がいい声でくちずさむのを聞いてたら私もなんだか愉快な気分になった。


ナムギェル
 私はときどき後ろを向いて彼と喋った。ダージリン大で何を勉強しているの?とか、実家はどのへんなの?とか。バスは途中で休憩があり、降りたら彼が食堂の同じテーブルに席をすすめてくれた。彼には連れがいて、全然顔が似てないし年が離れすぎてる感じだったけど、それは彼のお兄さんだった。彼は日本人ぐらい色白できれいな顔だちなんだけど、お兄さんは、一種独特のドス黒い肌で、ハナの上に大きな切り傷の跡があって、歯がヤニで茶色く、なんていうか、ほんと悪いんだけどどう猛な顔だちだった。お兄さんと似てないね、って言ったら兄は母に似てるけど、僕は父似なんだよねって言っていた。どう猛なお母さんと端正なお父さんかぁ。お父さんよくお母さんと結婚したね、と思ってしまった。いいんだけどね。

 食堂で喋っていて「今日はどこに泊まるか決めてるの?」と彼に言われてはっと思い出した。そういえばミワちゃんは、ブータン側のホテルに片っ端からあたってみたけど、ビザがないので泊まらせてくれなかったと言っていたっけ。ということは私も国境の手前の、インド側のジャイゴンという町に泊まらなければいけないんだけど、このバスはプンチェリン行きだ。もしビザがないということがわかって辺鄙なところでおろされてしまったらどうしよう。

「私ね、ビザがないからインド側に泊まらなくちゃいけないの。ブータン側に泊まってみたかったんだけどね、他のツーリストから聞いたら無理だったって言われたから・・・」と話したら、彼はちょっと気の毒そうな顔をした。
「多分国境の手前で私はおろされちゃうでしょ?」って聞いたら
「いや、このバスは国境の先が終点だからきみもプンチェリンで降りることになるんだよ。ホテルがうんというかわからないけど、きみ僕の初めての日本人の友だちだからブータンで泊まれるように協力するよ」って言ってくれた。

 このとき初めて私は彼の名前を聞いた。ナムギェル・ワンチュク。ナムギェルは仏教徒の名前だって言っていた。彼は最初年齢を聞いたとき19才だと言ったけど、見た目は22、3・・・日本で言うと背広を着て就職活動で歩き回っていそうな年齢に見えた。
「私はのーさん」って名乗ったら
「いい名前だね!」と彼は言った。のーさんのどこがいい名前なのかつっこんで聞かなかったけど、後日のーさんっていう名前は彼と同じ仏教徒の名前のひとつなんだってことがわかり、それで彼は誉めてくれたんだと知った。休憩のとき食べたカレーとチャパティ(インドの薄焼きパン)とチャイはお兄さんがごちそうしてくれた。

 ブータンまでの道はボロボロで、時々ものすごいアナぼこあいてた。一度ジャガイモを満載した車が道ばたにつっこんで横転しているのを見た。あるいは路上でカラスが何かついばんでるなと思えば、近づくと犬がミンチになっていた。一番前は見なくていいものまで、いろいろとよく見えるのだった。

 バスは出発からおよそ4時間で国境の町ジャイゴンに到着した。午後7時に近づき、ほとんど日も暮れかけていた。
「さあここからあと1キロでブータンだよ」と彼が背後から、私の鼓動が速くなるのを知ってか知らずか秒読みをはじめる。「もうあと500mで着くよ」
カドを曲がると、前方の薄暮の中に巨大な門が立ちはだかった。
「あれが国境だよ」・・・たしかにインドとは全然ちがう、ちょっと中華風ともいえるような、でも独特の配色とカタチをした門が私たちのバスを見下ろしていた。

この門の向こうにブータンが

 国境の門にさしかかると、青い迷彩色の制服を着た衛兵が車内に入ってきて荷物を点検してまわった。どうか私の席まで来ませんように。顔を見られませんように、あやしまれませんように、顔を見られても日本人だってことがバレませんように。わざと最近覚えたインド映画の主題歌のハナ歌でも歌おうかと思ったけどかえって目立ちそうなのでやめた。私は顔を窓の外に向け石仏のように固まっていた。石仏の私にむかってうしろからナムギェルは自信満々で
「ブータンはインドとは全然違うよ。安全だし、清潔だし、ブータン人はインド人と違ってだましたりしないし心から平和を愛する国民なんだ」って語りかけつづけていた。いま緊張してるんだから話しかけないで!
 祈りが通じたのか衛兵は一番前の席まではやってこなかった。国境の門をくぐりブータンに入る。

 ほらね全然雰囲気がちがうだろ、って言われて、そう言われるとそうかもしれないと思った。門をくぐったとたんに雰囲気はぐっとおちついて、柄の悪いリクシャー引きもいないしキタナイ屋台とかもない。

 彼らはまず私を町一番のいいホテルに連れて行こうとした。でもそこは1泊$50もするホテルだった。それは私の1日の宿泊費予算の10倍だから、あなたたちが泊まるところについていきたいって言ったら、ふたりは町の中心にあるCentral Hotelっていう、やっぱり結構いいホテルに入った。宿泊費はシングルルームで約850円。私の1泊の予算の1.5倍くらい。旅行者だからキレイなところにつれてきてくれたのかもしれないけど、このひとたち結構お金持ちかも。

 でも3人が2対1に分かれなきゃいけないのに、
「ひとりでシングルがいい?それとも弟と一緒の部屋に泊まる?」と聞かれて、内心あれ?と思った。あなたたちは兄弟なんだし、私は旅行者で女の子なんだからそんなん迷うとこじゃないでしょ、もしかして襲うつもりかー?とちょっと不安になった。ただ私がひとりでシングルに泊まるには問題があった。私の名前でシングルルームにチェックインしようとすれば多分パスポートの提示とか求められて、チェックインはできないだろうってことだった。
「じゃあ念のため警察に行ってきみが泊まるってことOKしてくれるかどうか聞いてみよう」といって、彼らは2人部屋にだけチェックイン手続きをして警察に行った。


ブータンナンバーのトラック。
なぜにトラックに目を描く
 警察署は国境の門のすぐ近くにあった。警察に言ってしまったら、OKは出るはずなんかないなと内心私はあきらめはじめていた。インド人とブータン人の往来は結構自由だけど私は日本人だ。いくらブータン人と顔が似てるって言ったって話せばわかってしまう。とりあえず日本からのツーリストだって言うと向こうも警戒するといけないので、私は留学生で、シリグリの町に住んでて、今日知り合ったんじゃなくもとから彼らの友だちで、観光をしにきたということにしようと口裏をあわせた。警察署に入っていって下っ端警察官みたいなひとに2人して矢継ぎ早に私が泊まっても問題にならないっていう安心材料を挙げて、最後に
「彼女がブータン側に泊まってもいいでしょうか」って聞いたみたいだ。

 警察官はあっけなく、
「インドのビザ持ってるの?じゃあ・・・・・・いいんじゃない?」って言った。彼はインドビザの確認すらしなかった。本当はそんな許可を出すか出さないかは入国管理局の仕事なんで、警察で聞くべきことじゃないんだけど、入国管理局はこの町のはずれにあって、そこから先の町は入国管理局の管理エリアなんだけどこの町に限っては警察が管理してるみたいだった。

 一応警察で聞いてきたという既成事実ができたので、ホテルに戻り受付でそのことを告げた。でもやっぱり私が一部屋とることはできないようで、どうする?と考えた末、2人部屋に3人でチェックインし、ベッドを追加してもらうことにした。その段取りが進むなか、私はちょっと心配になってきた。これって絶対やっちゃいけない旅の鉄則犯してるよねー。やっぱりインド側に泊まったほうがよかったのかなぁ。見知らぬ男2人と同じ部屋に泊まるなんて無謀だしこれじゃなにされても文句言えないじゃないか。

 それにこのひとたち悪い人じゃなかったらこんなに親切にしてくれるはずないんじゃないかとも思った。田舎のひとから親切にされるっていうのはわかるけどお兄さんもダージリンにお店を持っているビジネスマンだし、ナムギェルも田舎の出身とはいえインドに留学してるいわば都会っ子だもの。まさか下心ナシにこんなに親切なわけがない。地球の歩き方に載っていた数々の犯罪の手口が私の脳裏に浮かんでは消えた。私は片方のポケットに防犯スプレー、片方のポケットに防犯ベルを入れた。

 間もなくルームサービスでオレンジジュースがやってきた。もしホテルがグルだったらこれに睡眠薬入ってるかもよ?私は差し出されたオレンジジュースの遠い側の1個をとって飲んだ。オレンジジュースはとりたてておいしくもなかったけどふつうのファンタで変な味はしなかった。私は「途中で睡眠薬いれるのかも」と警戒してずっとグラスを手にもったままで飲み干した。

 荷物をほどいたりしてしばらくするとお風呂でもどうぞと言われた。室内に荷物を置いておくのは不安だったので、日用品の入ったバッグはそのままにして貴重品とパソコンのバッグはシャワールームに持って入った。もし悪いひとならこうしてる間に日用品のバッグだけ持っていなくなってくれーとか願いながら。貴重品のバッグさえ残っていれば日用品は買い直すことができるからね・・・。でもお風呂から出ても彼らはどっしりとくつろいでお喋りしていた。ナムギェルは私が出てきたのを見ると「晩ご飯、もう疲れたから出かけないでしょう?ルームサービスを頼んだよ」って言った。
宿泊したCentral Hotelの室内

 間もなくチャーハンとダル豆のカレーとサラダが来た。彼らはさっきまでよりちょっと口数が少なくなっていて、なんかたくらんでるんでは?と不安になった。彼らがごはんをほとんど食べなかったので何か入ってるのかもとか思って不安になり私もちょっとしか食べなかった。

 8時から10時くらいまで、私はブータンの言葉とか、日本の生活とか仕事の話なんかをした。誕生日を聞いたらナムギェルは1977年と言った。あれ?だったら22才じゃないの?とつっこむと、彼は
「僕、大学一年だから19って言うことにしてるんだ。僕たちの両親は僕たちみたいな教育は受けていないから正確な生年月日はわからないんだよ」と言った。

 バングラデシュのダッカでトランジットしたとき、バングラ人のザモンさんに「バングラデシュには正確な年齢がわからないひとがいるの?」って話をしたら、ザモンさんはとっても決まり悪そうに「うちの国は遅れてるから・・・」と言った。でもナムギェルの「両親は僕たちと同じような教育は受けていない」という言い方には恥ずかしさみたいなものはみじんも感じられなかった。両親は昔ながらの生活をしてるからね、っていう、なんか誇りみたいなものが感じられてちょっと不思議だった。


ナムギェルの田舎に住むおじいちゃん、
おばあちゃん、ひいおばあちゃんの写真
 お兄さんは顔も凶悪だしあまり英語も上手じゃないのでちょっとこわいかんじだった。そのお兄さんがしばらくすると先に寝てしまい、私はちょっとほっとした。合計8時間のバスとジープの移動でちょっと疲れていたけど、ナムギェルが日本の話にすごく興味もってきいてくれて「きみまだ眠くないといいんだけど」と言うので私たちはまだしばらく起きてお喋りし、ブータンの数字の数え方なんかを教えてもらったりした。

 前にテレビで見たとき、ブータンという国は、ひとびとは日本の着物とよく似た服を着て、左右の重ね方も一緒、数字の数え方も1から5までは日本とほとんど一緒、ソバによく似た料理があり、見た目もブータン人は日本人とそっくりなんだって言っていた。日本でそのことがクローズアップされはじめたのは最近のことだと記憶しているけど、ブータンではそれはずっと前から有名だったのだそうだ。僕たちは先祖は同じ兄弟だからね、と彼が言った。

 それから彼は私のお風呂セットを見て妙なことを言い出した。
「日本人はほんとにお風呂が好きなんだよねぇ。きみたちって家にすごく大きなお風呂があってさ、食事する前とか出かける前とか、とにかく何かする前にはかならず家族全員でお風呂に入るんでしょ?」
 誰だ?そんなウソ教えたのは。私は目を丸くして、
「そんなことないよ。家にあるのはふつうのバスタブだよ。家にそんな大きなお風呂があったら水代がかかって大変。大きなお風呂は温泉とかお風呂やさんとかにあるけど男と女は別々だから家族一緒に入るわけじゃないし。若いひとは仕事に出かける前にシャワーをあびることもあるけど食事の前に必ず入るひといないんじゃないかなぁ」と答えると、彼はちょっとがっかりしたように
「じゃあ僕の聞いた話がまちがってたみたいだ。」と言ったあと「でも毎日お風呂にはいるでしょ?」って聞いた。
「うん、だいたいのひとは毎日入るね。ブータンではどうなの?」私が逆に訊ねると 「ブータン人はお風呂なんか一年中入んないよ。彼らは牛や豚や鶏やヤクの世話があって、畑仕事もしないといけないし忙しいんだ。だからお風呂なんか入ってるヒマないんだ」って、どっちかというと嬉々として答えた。

 そんなもろもろの話をしていてわかったことなんだけど、実は彼は大学の中国人の女の子と1年一緒に住んでいるのだそうだ。ブータン人や中国のひとが結婚前に同棲したりすると思ってなかったのでそれはスゴイ意外だった。
「彼女と結婚するの?」って聞いたら
「まだ先のこともあるからわかんないけど、彼女が結婚したいって思ってたらしたいな。僕は彼女のことすごく好きだから」って言っていた。彼女と何語で喋ってるの?って言ったら
「英語で喋ってるよ。でも彼女は、きみみたいで、英語がそんなにうまくないんだ」って彼は言った。「きみみたいで」だけ余計だい、と思ったけど彼がそういうのも無理はなかった。彼はすごいなめらかに英語を喋るひとで、しかもブータンの言葉と英語のほかに、完璧じゃないけどヒンズー語とチベット語とネパール語ができるって言っていた。でも彼がそんなに喋れても彼女と共通なのは英語しかなくて、英語は彼女はあまりうまくない。それでもつきあえて、同棲までできちゃうのってすごいなあと感心してしまった。

 よくある質問なんだけど、日本ではだいたいみんないくつぐらいで結婚するの?と聞かれて、男は29、女は26ぐらいかな、って適当に答えた。そしたらお約束どおり、きみはいつ結婚するのって聞かれたので、
「いまは旅行中だしそんなことわからないよ」って言ったら、
「旅行が終わったら僕が日本に行って結婚しようかな」って彼が言うのでまた驚いてしまった。茶化すような感じでいうならまだわかるんだけどそうでもなかった。結婚しようかと思う彼女がいるのにそんなこと言うなんて、ずいぶんドライなひとだ。彼は二枚目なのでそういうこと言って許されてきたのかな、と思った。

 11時すぎて話もちょっと尽きてきた頃、彼から
「きみって太ってるねぇ。ダイエットしてんの?」って直球をくらってムカっと来た(※)のをきっかけに、
「そろそろ遅くなったので寝る前に日記書いてもいい?」って言って私は日記をつけはじめた。彼は私が日本語で日記を書くのをおもしろそうにしばらく眺めていた。普段ならパソコンで書くからそんなに時間はかからないんだけど、今日はパソコン持ってることをさとられないためにルーズリーフにボールペンで書いていたし彼が見てるので緊張してやたら時間がかかった。しばらくしたら「ずいぶんいっぱい書くねえ」と彼が言うので「いまからあなたたちと会うところ書くの」と言ったら「僕先に寝るよ」って彼は毛布かぶって寝始めた。あれっ寝ちゃうんだ。っていう感じだった。襲われるの期待してたわけじゃないけど、このひとたち本当に親切なだけなのかな。間もなく私も日記が終わって寝ることにした。電気を消したら襲われるかしら。目が覚めたら荷物も何もかもなくなってたりするのかしら。でもお兄さんも彼も、私が寝る頃にはすやすやと安らかな寝息をたてていた。

※ 貧しくてやせたひとの多いインド界隈の国々では、太ってることは豊かさの象徴でもあり望ましいこと。したがって「きみって太ってるねぇ」は、ホメ言葉だったらしいことが後日判明した。彼の言った「ダイエットしてんの?」は日本風にいう「やせる」って意味のダイエットではなく原義どおりの「特別なもの食べてんの?」とか「ひとと違うもの食べてんの?」という意味だったと考えられる。