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淡い想い<前編>
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ダージリンで標高約8600mのカンチェンジュンガ見たさにまた1週間も滞在したけど、結局雨のためほとんどその姿を拝むことなく下界の町シリグリに降りてきた。乗り合いジープを降りると自転車リクシャーが寄ってきてどこに行く?って聞かれた。 「プンチェリン行きバス停!いくら?」って聞いたら「20ルピー」だって言う。 「何分かかる?」って聞いたら「2分」だって。 「2分じゃあ乗る必要ないじゃないのよ」っていったら自転車リクシャーの若いお兄ちゃん、額に手をあてて「あちゃー」って態度してて、笑っちゃったのでやっぱ乗せてもらうことにした。乗ってみたら実際には5分くらいかかって、結構場所も遠かった。
![]() 右上に薄く雪をかぶってみえるのがカンチェンジュンガ
リクシャーが連れてきてくれたバス停はBhutan Transportという会社の前だった。受付は建物の2Fにあった。12時発のバスのチケットはもう売り切れで、次のバスは2時半。着くのが遅くなりそうでちょっと不安だった。でもいまチケットを買えば座席番号は1番だよ、と受付のおじさんが言った。バスは前のほうが振動が少ない。座席番号1番ならかなり乗り心地いい席のはずだ。ダージリンからのジープが走ってきたのがくねくねの山道で、多少疲れていたのでほんとはシリグリで一泊しようかと思っていたんだけど、ちょうどあたりにはホテルが見えなかった。ブータン行きのバス会社のある建物に併設されてるホテルは外観からしてとっても貧相だったのでこの町に泊まるのイヤになっちゃったことだし、私は思いきって今日目的地まで一気に行ってしまうことにした。
チケットを買って、とにかく3時間待たなければいけないので荷物をオフィスのイスに鎖でガッチリしばりつけ、地球の歩き方だけ持って出かけた。あたりをちょっと歩いたらブータントランスポートのある通りと平行した通りはすごい栄えていてホテルも何軒かちゃんとしたのがあった。でももういいや。チケット買っちゃったし、席番号1番だし。朝食がまだだったせいでちょっとジープで酔っちゃったけど、ごはんを食べれば元気になるだろう。適当なホテルの食堂に入ってごはんを食べた。食堂の裏にインターネットカフェがあったので行っていくらだか聞いたら1ページ25ルピー(約75円)だといわれた。1泊100ルピーや150ルピーの国でメール1通に25ルピーも払えるか。他のインターネットカフェを探そうとしたけど結局見付からなかった。
結構歩き回ったのでブータントランスポートに行くのにまたリクシャーを使った。今度も若めのお兄ちゃんで、最初10ルピーで話がついたけど、走ってる途中でヤツは振り向き「行き先はどこだっけ?」と聞き直した。
でもここでホントは乗らないほうがよかったのかもしれない。裏通りを5分くらい走って、そしてBhutan Transportのあるビルの前に着いたんだけどこいつときたらこんどまた20って言いだすんだ。私が10ルピー札を差し出しても受け取らない。もう!こういうの一番キライ。「払ったからね!」と日本語で言ってリクシャーの座席に10ルピー置いて逃げてきた。「マダム。ちょっと待ってよ。20だって言ってるだろ。あと10だよ。マダム!」とか言ってるけどシカトして2Fに上がったら追いかけては来なかった。ブータントランスポートの受付からみおろしたらヤツはあきらめたらしく背中を向けて手を振った。
バスの出発時刻はもうすぐだった。受付のおじさんから「下にもうバス来てるよ。その白いバスだ」と言われ、やれやれと荷物を持って降りたら、しかしまだヤツはいた
こういうときは英語で一生懸命対抗しようとするとハラがたってきちゃうし、怒ってしまうとなんとなく相手の術中におちたような格好になるから日本語で言うに限るんだ。「いーやーだ。あーげーまーせーん。べー。」などと笑いながら日本語で言っていたら相手も可笑しくなっちゃったらしくてちょっと笑ったりしてた。それでも敵もさるものでなかなか立ち去ろうとしない。あわよくば1ルピーでもぶんどってやろうっていう魂胆だ。今度私が知らんぷりしてもうしろでしつこく言い続けてた。
私はだいたい無視して、たまに気が向くと日本語で「やだねー。あげないねー」と繰り返して、たまに英語で「絶対あげるつもりないからね。」「だって約束したじゃない10ルピーでいいって」「うそつき」なんて言っていた。あげないってことになんの良心の呵責も感じないし、うるさくされても全然気にもならないって態度で、相手にあきらめさせるのがポイントだってカルカッタで聞いていたんだ。10分くらいしてヤツの要求は「せめて5ちょうだいよマダム」になり、まもなくあきらめて行ってしまった。
人間っていうのは不思議なもので、心の準備が完璧にできていると意外にあまり傷ついたりしないものみたいだ。もし「インドってそういうことが頻繁にあるよ」って聞いていなかったら今頃料金で合意を見るまで言い合いをしたり、最終的には言われるとおりにお金払ったりして打ちのめされて「インドってなんてイヤな国なんだろ」って落ち込んだとこだろうけど、こういうことが起こるよとか、こう対処すればいいんだよとかカルカッタでいろいろ吹き込まれていたから、私はとりたてて怒ることもなくって「追い払ってやったわい」とか思ってすかっとしながら席に座っていた。
さてリクシャー引きがいなくなって間もなく。荷物を席の後ろのスペースにおいておいたら日本人っぽい男の子が来て何か話しかけられた。でもそれは日本語じゃなくって「え?わからないよ」って言ったら英語で「この荷物どけてもいい?ここに座りたいんだ」って言われた。いいよって言ったら彼は「僕が見ておくから大丈夫」といって私の荷物を自分の足元に置いた。
「どこから来てるの?」と聞かれて
私ブータン人と話すの初めてっていったら彼はすごく喜んだ。
走り出したら彼は私の後ろの、席じゃないとこに腰掛けていた。はじめのうち助手席は雨漏りがして冷たかったけど、間もなく雨が止むとこの席は風通しはいいし眺めも抜群だった。バスの中ではインドの映画音楽がひっきりなしにかかっていて、後ろで彼がいい声でくちずさむのを聞いてたら私もなんだか愉快な気分になった。
食堂で喋っていて「今日はどこに泊まるか決めてるの?」と彼に言われてはっと思い出した。そういえばミワちゃんは、ブータン側のホテルに片っ端からあたってみたけど、ビザがないので泊まらせてくれなかったと言っていたっけ。ということは私も国境の手前の、インド側のジャイゴンという町に泊まらなければいけないんだけど、このバスはプンチェリン行きだ。もしビザがないということがわかって辺鄙なところでおろされてしまったらどうしよう。
「私ね、ビザがないからインド側に泊まらなくちゃいけないの。ブータン側に泊まってみたかったんだけどね、他のツーリストから聞いたら無理だったって言われたから・・・」と話したら、彼はちょっと気の毒そうな顔をした。
このとき初めて私は彼の名前を聞いた。ナムギェル・ワンチュク。ナムギェルは仏教徒の名前だって言っていた。彼は最初年齢を聞いたとき19才だと言ったけど、見た目は22、3・・・日本で言うと背広を着て就職活動で歩き回っていそうな年齢に見えた。
ブータンまでの道はボロボロで、時々ものすごいアナぼこあいてた。一度ジャガイモを満載した車が道ばたにつっこんで横転しているのを見た。あるいは路上でカラスが何かついばんでるなと思えば、近づくと犬がミンチになっていた。一番前は見なくていいものまで、いろいろとよく見えるのだった。
国境の門にさしかかると、青い迷彩色の制服を着た衛兵が車内に入ってきて荷物を点検してまわった。どうか私の席まで来ませんように。顔を見られませんように、あやしまれませんように、顔を見られても日本人だってことがバレませんように。わざと最近覚えたインド映画の主題歌のハナ歌でも歌おうかと思ったけどかえって目立ちそうなのでやめた。私は顔を窓の外に向け石仏のように固まっていた。石仏の私にむかってうしろからナムギェルは自信満々で
ほらね全然雰囲気がちがうだろ、って言われて、そう言われるとそうかもしれないと思った。門をくぐったとたんに雰囲気はぐっとおちついて、柄の悪いリクシャー引きもいないしキタナイ屋台とかもない。
彼らはまず私を町一番のいいホテルに連れて行こうとした。でもそこは1泊$50もするホテルだった。それは私の1日の宿泊費予算の10倍だから、あなたたちが泊まるところについていきたいって言ったら、ふたりは町の中心にあるCentral Hotelっていう、やっぱり結構いいホテルに入った。宿泊費はシングルルームで約850円。私の1泊の予算の1.5倍くらい。旅行者だからキレイなところにつれてきてくれたのかもしれないけど、このひとたち結構お金持ちかも。
でも3人が2対1に分かれなきゃいけないのに、
警察官はあっけなく、
一応警察で聞いてきたという既成事実ができたので、ホテルに戻り受付でそのことを告げた。でもやっぱり私が一部屋とることはできないようで、どうする?と考えた末、2人部屋に3人でチェックインし、ベッドを追加してもらうことにした。その段取りが進むなか、私はちょっと心配になってきた。これって絶対やっちゃいけない旅の鉄則犯してるよねー。やっぱりインド側に泊まったほうがよかったのかなぁ。見知らぬ男2人と同じ部屋に泊まるなんて無謀だしこれじゃなにされても文句言えないじゃないか。
それにこのひとたち悪い人じゃなかったらこんなに親切にしてくれるはずないんじゃないかとも思った。田舎のひとから親切にされるっていうのはわかるけどお兄さんもダージリンにお店を持っているビジネスマンだし、ナムギェルも田舎の出身とはいえインドに留学してるいわば都会っ子だもの。まさか下心ナシにこんなに親切なわけがない。地球の歩き方に載っていた数々の犯罪の手口が私の脳裏に浮かんでは消えた。私は片方のポケットに防犯スプレー、片方のポケットに防犯ベルを入れた。
間もなくルームサービスでオレンジジュースがやってきた。もしホテルがグルだったらこれに睡眠薬入ってるかもよ?私は差し出されたオレンジジュースの遠い側の1個をとって飲んだ。オレンジジュースはとりたてておいしくもなかったけどふつうのファンタで変な味はしなかった。私は「途中で睡眠薬いれるのかも」と警戒してずっとグラスを手にもったままで飲み干した。
間もなくチャーハンとダル豆のカレーとサラダが来た。彼らはさっきまでよりちょっと口数が少なくなっていて、なんかたくらんでるんでは?と不安になった。彼らがごはんをほとんど食べなかったので何か入ってるのかもとか思って不安になり私もちょっとしか食べなかった。
8時から10時くらいまで、私はブータンの言葉とか、日本の生活とか仕事の話なんかをした。誕生日を聞いたらナムギェルは1977年と言った。あれ?だったら22才じゃないの?とつっこむと、彼は
バングラデシュのダッカでトランジットしたとき、バングラ人のザモンさんに「バングラデシュには正確な年齢がわからないひとがいるの?」って話をしたら、ザモンさんはとっても決まり悪そうに「うちの国は遅れてるから・・・」と言った。でもナムギェルの「両親は僕たちと同じような教育は受けていない」という言い方には恥ずかしさみたいなものはみじんも感じられなかった。両親は昔ながらの生活をしてるからね、っていう、なんか誇りみたいなものが感じられてちょっと不思議だった。
前にテレビで見たとき、ブータンという国は、ひとびとは日本の着物とよく似た服を着て、左右の重ね方も一緒、数字の数え方も1から5までは日本とほとんど一緒、ソバによく似た料理があり、見た目もブータン人は日本人とそっくりなんだって言っていた。日本でそのことがクローズアップされはじめたのは最近のことだと記憶しているけど、ブータンではそれはずっと前から有名だったのだそうだ。僕たちは先祖は同じ兄弟だからね、と彼が言った。
それから彼は私のお風呂セットを見て妙なことを言い出した。
そんなもろもろの話をしていてわかったことなんだけど、実は彼は大学の中国人の女の子と1年一緒に住んでいるのだそうだ。ブータン人や中国のひとが結婚前に同棲したりすると思ってなかったのでそれはスゴイ意外だった。
よくある質問なんだけど、日本ではだいたいみんないくつぐらいで結婚するの?と聞かれて、男は29、女は26ぐらいかな、って適当に答えた。そしたらお約束どおり、きみはいつ結婚するのって聞かれたので、
11時すぎて話もちょっと尽きてきた頃、彼から ※ 貧しくてやせたひとの多いインド界隈の国々では、太ってることは豊かさの象徴でもあり望ましいこと。したがって「きみって太ってるねぇ」は、ホメ言葉だったらしいことが後日判明した。彼の言った「ダイエットしてんの?」は日本風にいう「やせる」って意味のダイエットではなく原義どおりの「特別なもの食べてんの?」とか「ひとと違うもの食べてんの?」という意味だったと考えられる。 |