幻のワニ・ステーキ
 
 私とゴーさんは、ムズズに着いた翌日には無事ンカタベイに抜け、のんびりした湖畔の雰囲気をしばし楽しんだ。アフリカにはいってから2週間になろうという頃で、私たちはだんだんアフリカの生活リズムというものに慣れてきて、晩の外出さえひかえればアフリカもじゅうぶん安全に旅行できるという認識をもちはじめた。
バナナボート

 ゴーさんの予定では南アまでにかける日数はトータルで1ヶ月。このままスピードをおとさずビクトリアフォールズまで駆け抜け、さらに一気に南アまで下って3月末には南米に飛びたいという。中東に3ヶ月かけて下ってきた私にとって、アフリカに1ヶ月というのはちょっとものたりない日数だった。そろそろ、かなり慎重派のゴーさんと、わりと非慎重派の私とで旅のスタイルの違いも見えてきていた。安全のため、アフリカはゴーさんと一緒に南下しようと思っていたけれど、どうしてもひとりで旅ができないほどアブナイという印象もなくなった今、ここらで別々のルートをとったほうがいいかもね、と私たちは考えるようになった。ンカタベイに4日ほどいて、ゴーさんは首都リロングウェに向かい、私は同じ日、湖岸を南下してンコタコタという町に向かうことにした。意図的に、少し日程をずらすためだった。


ンカタベイの母子
その朝ゴーさんは6時に目覚ましをならし、荷造りをはじめた。寝ぼけまなこの私に彼は、
「それじゃ気をつけていい旅をしてください。また南米かどこかで」
と言っていつものようにさわやかに、白い歯をキランと輝かせて出ていった。ゴーさんが行ってから、私ものろのろと起きあがり準備をした。不思議とひとりになった不安感はなかった。昨日残した赤バナナ2本を食べ、マラリア予防用のドキシサイクリンを飲んだ。ドキシを飲むとキキッと胃が痛くなり、すぐにトイレに行くのが恒例だ。それだけでもいかに強い薬かってことがよくわかる。

 8時直前ぐらいにチェックアウトして荷物をひきずってバスターミナルにむかった。まだ少し雨が降っていたけどさほどひどくはなかった。ここも雨季にはいったんだろう。毎晩定期的にきちんきちんと降る約束になっているようだ。ミニバスのひとつが、今日の第一目的地ドゥワンガに行くってことだったからとび乗った。こんなにすぐドゥワンガ行きがつかまるとは思っていなかったんでラッキー。とはいえ、ミニバンの一番うしろの列に4人だったのでまたきつかった。走り出してしばらくして何人か前の席のひとが降りた。私の列のひとがひとり前の列に移れば楽になるはずだけど、誰も移ろうとはしなかった。これまでのところ私が見てきたアフリカ人の多くはそんなふうだ。この前見たあかんぼのように、生まれたときから不快な環境に慣らされているから、より快適な環境を求める習慣がないんじゃないかと思う。

 道は北マラウィのような爆撃舗装じゃなく、ちゃんとした舗装道路だった。バスのなかで居眠りしていたら2時間くらいたった頃だろうか、川についた。けど見ると、橋がおちてるではないか。まさか夕べの大雨で橋が流されたのか〜?乗客の多くは降りていくけど、橋のたもとに街があるわけでなし、こんなとこで降りちゃってどうする気なんだろう?川をわたってるように見えるのはジープと、それからトレーラーっていうか、キャンピングカーみたいなのだけだ。歩いて渡れるのか?いや、おケツまでずぶぬれになる。いまきたバスに乗って帰るしかない、と思ったそのとき、いまのバスの料金徴収係がやってきて、
「マダム、向こう岸に渡る舟があるからそれに乗りな」
といった。舟なんかどこにもみえなかったので騙されてるんじゃないかと思ったけど、間もなく降ってわいたように突然木の舟がこっちにわたってきた。
 舟を待ってる間、7センチぐらいの魚を草のつるのようなヒモで縛った束を下げた男の子が説明してくれた。橋が落ちたのは昨日や今日のことではなくて一昨年だかの3月末頃ことだそうだ。爆撃舗装の道と同じで、先進国は、つくるときにはお金を出すけど、なおすことまでは頭がまわらないので、落ちたら落ちっぱなしになっているのだった。

 舟っていうのは、よく公園の池とかにあるボートを5倍ぐらいにでっかくして、3倍くらい深くしたようなシンプルなやつだった。足元には水がたまってて、水をかきだすためとおぼしき鍋がやや沈みかげんで浮かんでいる。この舟は船頭がひとりで櫂でこいでて、落ちた橋から50mくらい上流のところをわたっていた。ここと落ちた橋との中間を少しだけ堰きとめてるので、ちょっと川が広く深くなっていて、流れがゆるくなっているみたいだ。渡し賃は20クワッチャと言われて、さっきの魚の束の男の子にわたしたんだけど、もしかするとそれは彼のぶんもはいってたかもしれない。荷物を手伝ってくれた男の子がそれとは別にいて、その男の子には渡りきってからお金くれといわれ、小銭を渡した。

 魚の束の男の子が、
「ここからドゥワンガまでは40だから、もし50といわれても40といってつっぱねないとダメだからね」
としきりと心配してくれた。こういうのを聞くと、バス代もおおざっぱにみえてちゃんと公定料金があるようだ。

 バスに乗るとまた一番奥の席しかなく、いやに広くあいてるなと思ったら席がずぶぬれだった。雨が漏ったものか濡れたひとが座ったものかわからないけど、じかに座ったら気持ち悪いに違いないので、デイパックからパソコンをつつんでいたビニール袋を出して引き裂き、おしりの下と背中の後ろにしいた。前の席にいたひとがふりむいて、
「どこから来たんだい」
ときく。
「日本だよ。東京からきた」
とこたえると、
「日本って4つの島からできてるんだろ、東京って日本のどの島?」
と尋ねられた。こんな途方もなく遠い国で、よく日本が4つの島からできてるなんてこと知ってるなあと感心してしまった。私だってそう言われて数えてみるまで知らなかったのに。学校で教わるんだろうか。

 で、1時間くらいしてバスがドゥワンガの町につく直前、さっきの前の席のひとが、
「きみどこまでいくんだ」
っていうので、
「シニアメセまで」
って言ったら、
「そこまさに僕が行こうとしてるとこだよ。僕兄に会いに行くとこなんだ。シニアメセだったらここからまだ2キロ先だよ」
と言う。信じていいのかしらと思いつつドゥワンガで降りず、彼が降りるというところまでついていった。

 ところでこのシニアメセというのは旅行人の欄外に書いてあったんだけど、その記述は混沌としていた。
「ドゥワンガのシニアメセでは2ドルぐらいでワニのステーキが、運がよければカバも食べられる」
というもの。今日シニアメセに向かってるのは、このワニのステーキが目当てだった。マラウィはあまり見るもののない国なので、食べるものぐらい珍しいものを食べてみんと、という意図だった。

 だけどシニアメセがレストランの名前なのか、市場の名前なのか、町の名前なのかもわからない。さらに不安にさせることに、彼と降りたところは林のはずれで町も市場もレストランもない。しかも私たちのほかはここで降りる人は誰もいなかった。彼はわたしと同じくらいの小柄の男性で、顔からいって善玉とも悪玉ともつかなかった。しかしなんかまた、ふと、ついてってしまったのだった。

 彼、クレーマーがいうにはそこはシニアメセの裏口への近道で、この先のゴルフ場を過ぎていくとゴルフクラブがあるとかそういうことだった。近道はめちゃくちゃ長く、途中水溜りで道脇の草むらを歩いたりして、早くも「来なきゃよかった」と頭のなかでぐるぐる繰り返し思っていたんだけど、そのときはまだまだ道のりの半分もきてはいなかった。登り坂で、ちょろちょろ流れる小川のつるつる滑るへりを、荷物全部もったままジャンプして落ちそうになりながらやっと渡り15分か20分歩いてゴルフ場をぬけ、たどりついたときには汗だくのへとへと。しかも到着してみると、今日はあいにくワニは入荷してないという。心底がっかりした。

 彼はお兄さんに10分ぐらい会って帰るというんで私は誰もいないバーに行ってコーラを頼み、飲んだ。まずマラウィ自体が辺境なうえドゥワンガなどという途方もない田舎町の、さらに郊外にあるこんなゴルフクラブに、いったい年に何回客がくるんだろうか。もしかするとお金持ちの南アフリカ人の、個人所有のクラブなのかも。

 背後にピアノをみつけのぞき込むと、黒鍵が黒のかわりにヒスイのようなマーブルがかった緑色の不思議なピアノだった。実に豪華だ。カウンターのおじさんに許可を得て、私のレパートリーのたった2曲のうちのひとつ「眠れる森の美女」を弾き始めたら、すぐに同じおじさんに「あっちにお客さんがいるんだった」と止められた。ヘタだったからかもしれない。

 コーラを飲み終えて屋外に戻ると、クレーマーがプール際のレストランでお兄さんと話していた。クレーマーは28才、お兄さんは41才で、
「私は彼とは、父も母も同じ兄弟なんだ」
と自己紹介した。言い方から察するに、片親が違う兄弟というのがかなり多いんだろう。病気になって片親が死んでしまうことが多いからそうなのか、離婚率が高かったりするのか、それとも男性は複数の奥さんをもらうことができるのかはわからなかった。

 クレーマーはどうやらお兄さんが稼いだ生活費をうけとりに来たようだった。そのあと同じ道を通って、さっききた道に戻った。道々はなしてみると、彼はまだ学校を卒業したばかりで、学校で農業とか英語を教え始めて間もないけど、準備が整ったら11月頃には恋人と結婚する予定なんだそうだ。学校の先生か。それで日本列島のことを知っていたこともなんとなく納得がいった。

 これから彼はドゥワンガに戻るところだったのだけど、通る車はドゥワンガ方面ばかりで私が行こうとしてるンコタコタ行きが全然こない。彼は私がひとりになっちゃかわいそうだからと、
「あんたを見送るまでは行かないよ」
といって何台も車をやりすごしていた。やっと1台通ったンコタコタ方面行きは満員でとまってくれなかった。ドゥワンガでひとが集まるまで待って出発するのだから、ここにいても乗れないのだ。やむなくドゥワンガまでもどって車をみつけることにした。トラックを止めて荷台によじ乗ると先客がたくさんいてトラックの荷台の荷物の溝にはいつくばっている。

 ヒッチハイクって、それがあまりにも一般的な交通手段とみなされてる環境の場合、バスに乗るのと何ら変わりないってことに気づいた。トラック運転手は、何かを乗せてどこかに行って、帰りに荷物なしで戻ってくるとガソリン代だけかかって無駄なので、荷台に空きがある限りはごくあたりまえにひとを乗せ、乗ったひともごくあたりまえにお金を払っていく。ドゥワンガについてお金を払おうとしたら間髪いれずに20クワッチャといわれた。やっぱり共通価格があるようだ。クレーマーは私がンコタコタ行きのピックアップトラックを見つけたら安心したようすで、
「じゃあ僕は行くよ」
といって反対いきのバスに向かった。

 あつまったひとは10人くらいになっただろうか、やがてトラックは発車した。荷物が多くて邪魔だったけど舗装がいいせいか乗り心地はまずまずだった。またシニアメセの前を通ったけれど、今度は降りるひともいなけりゃ乗るひともいない。たまたま同じバスに乗り合わせたひとがちょうど同じ目的地に向かっていたなんて、なんだか課長島耕作みたいだ。

 ドゥワンガから、今日泊まろうと思ってるンコタコタまでは57キロ。空が広くて雲がもくもくと遠くへ広がっている。昨日ンカタベイの古着やで買ったばっかり綿シャツの中を、風がびゅるっと抜けていく。このところMP3で聞いているブルーハーツが風景と一緒に流れていった。栄光にむかって走るあの列車に乗って行こう。ワニは食べられなかったけど。

 1時間くらい乗っただろうか。ふと気づくとピックアップトラックから全員が降りようとしてて、
「マダムここがンコタコタだよ」
って笑われた。降りたらパン売りの子供が、
「どこにいくの?」
と寄ってくる。案内を頼むとあとからお礼を払わないといけないので、何もたずねないでpick'n'payっていうホテルを探した。ガイドブックで目をつけていたホテルだ。それにしても、ホテルに「pick and pay」(選んで払って)とは変な名前だ。見回して、街道沿いにpick'n'payを見つけたことは見つけたんだけど、敷地に入るとマネージャーらしきひとが出てきて、部屋はないと断られた。客が大勢入る時期とも場所とも思えないのに。困った顔をしていると彼は、
「もう一軒のpick'n'payに行きな」
と言う。本店と支店があるんだろうか。
「どこにあるの」
と聞くと、彼は言った。
「その子らについていきな」
はい。やっぱりお礼は払う運命にあるらしい。

 この、荷物運びや案内人へのチップについては、
「そんなの、勝手にしてくれただけなんだから、払う必要ないよ」
と助言してくれるひとがたまにいるけど、私はとくにアフリカにきてからというもの、だんだん自主的に払うことが多くなってきた。というのは、ここでは商売と、ちょっとしたバイトの区別があまりに明確じゃないからだ。

 たとえばマラウィなんかじゃ、ヒッチハイクして、ピックアップトラックに乗り込んだときでも、親切で乗せてくれると見なすことはむずかしい。ここらの移動の足としてかなりの割合を占めるピックアップトラックは、現地の乗客だって料金払ってるし、ミニバスに準じて料金表持ってることだってある。気のいい外人好きの運転手がお金もとらずに乗せてくれることもある。でも、バス代は払うけどヒッチしたときは払わない、なんて姿勢はこのへんじゃ通用しないと思ったほうがよさそうだ。

 そう考えると、道案内を買って出てくれる子供だって、払わないでいいという理由はない。本当はパン売りや卵売りなど、自分の商売をやらなきゃいけないのに、仕事をほったらかして来てくれるのは、外国人に対する好奇心や親切ばかりのせいじゃない。そりゃもちろん、好奇心もあるだろうし、シニアメセのクレーマーのように、純粋に親切で案内してくれるひともいるだろうけど、ことお金を請求する子たちに関しては、そこに稼げる仕事があるから来てくれた、と思うほうがつじつまがあう。英語が話せるガイドがついて観光地を訪ねる1日いくらと定められたツアーにならお金は払えるけれど、道案内をしてくれる子供には払わないというのは、
「このぐらいは親切でやってくれるのが普通だ」
「こんなささいなことに値段がつけられるわけがない」
という思いこみがあるからとは言えないだろうか。

 「日本でも何かしてもらったときにお金でお礼をするなんてことはしないし、お礼をお金で払うなんて、(親切でやってくれてるひとに対して)失礼じゃないか」
と、ある学生サンが言ってたことがある。でも、相手が親切でやってくれててお金を期待していないときは、たいがいは雰囲気でわかるので、友達としてやってくれてることに間違えてお金を払ってしまい、相手に不快な思いをさせたようなことはたぶんないと思う。逆に、親切でやってるんじゃないことを親切でやってくれてるはずだと思いこむほうが相手にとっては迷惑なこともたぶんある。

 日本人は得てして「見返りを期待して動くようなひとになってはいけない」といわれて育つんで、自分も期待しないようにしてるぶん、期待されてもなんとなくたじろいでしまう。でも「チップなんか要求するものじゃない」というのは、日本的な美学で、アメリカなんかじゃうっかりチップ忘れてレストランを出そうになると「Tip!」と呼び止められることもある。値段表に載ってはいないし、払わなくても捕まらないけど、それが正当な要求だからだ。もしチップが必要な環境に行ってもなお日本の美学でものを計っていたら「おまえ日本から出んなよ」と言われてしまうだろう。
 発想を転換してみよう。仕事をしてチップを要求することは、機械を売って請求書を書くのと同じでちっともズルいことじゃない。そう考えたら、チップはアゲルもんじゃなく、払うもんだ、と最近では思うようになってきた。

 もちろん、なんでもかんでも払うっていうわけじゃない。「これは親切でやってるんだよ」とだましてサービスなりヘルプなりを受け取らせ、あとから「お金は払ってもらうよ」っていう輩も中にはいる。そういうのは憂鬱なやり方だし、そうして受け取らされたサービスについてはちょっと考慮しながら値付けをさせてもらう。全く不本意な場合には払わないこともある。けど、そうでない場合、たいがいの不要なサービスは、断るのは難しいことじゃない。ガイドブックに載ってて地図もあるときの道案内とか、全然重くないものを手伝ってくれようとするポーターとか、そういう必要ないサービスは、受け取らない。そうすることで、腑に落ちないチップは避けることができる。

 チップはわたさない主義、という旅行者はいっぱいいた。さきほどの「勝手にやってくれるんだから」とかは、理由の代表的なものだと思う。私も、そういう主義になろうっと、と思っていた時期があった。そう決めておけば、払うべきか?という迷いから解放されるからだ。だけど、決めたままでいられなかったのは、「チップが欲しいからかな」と半分予想しつつも何かしてもらっちゃって、払うことを拒絶したときの後ろめたさを解決できなかったからだ。そして、この後ろめたさを回避するためには、チップを期待してではない親切すらも、用心してできるだけ受け取らないようにしない以外方法がないからだ。

 純朴なひとたちが、お金を受け取る習慣に染まることで、お金がからまなければ指一本うごかさなくなってしまったり、ツーリストからならいくらとってもいいんだ!って考えるようになってしまうのは悲しい。「こいつらにたかってれば、たったこれぐらいのことでこんなに稼げんのかよ。まじめになんか働いてらんね〜な」という考え方が浸透するのはどちらにとっても不幸なことだ。だから、ツーリストの側も、やみくもにお金をばらまいちゃイカン、と思う。何もしてもらってないけど、仲良くしてくれたから、とか、かわいそうだ、とかいってお金をあげるのは、援助したようでいても現地での価値観のバランスを崩したり、働くことへの意欲を阻害するからその国にとっても、そのひとにとってもいい影響はない。

 してもらったことの価値を自分で見極め、かつ現地通貨の価値をよく見て、できれば現地のひとが特定のサービスに対していくら払ってるかを確かめ、場所と場合をわきまえて払う。難しいことだけど、そうすることで、「してもらった仕事に対して報酬を払うこと」が「成金がビンボー人の顔をお札ではたくこと」とをイコールに思うジレンマからは解放される。逆に要求された額をそのまま払って、あとから裏切られたような気分にさいなまれることも防げる。

 お金「では」あげない主義、というツーリストは多いし、私も旅の初め頃はそういうのに共感してボールペンいっぱい持ち歩いていた。だけど、むこうが仕事としてやってくれてることに対し、私はお金ではあげない主義、といってボールペンあげても、意味はないような気がしてやめた。彼らはそれを市場にもっていって、物やお金に換えるだけだっていうことを知ったからだ。

 一緒に楽しい時間を過ごしたチビっこたちから最後にお金くれ、ってせがまれるのはせつないもんだ。お金めあてでついてきたの?とその日一日の笑顔がお芝居だったかのように思えてしまうし、「こういうふうにツーリストを楽しませてあげれば、お金がもらえるんだ」という動機で、親切なフリ、楽しんでるフリなんかしてほしくはない。彼らにそこのところはきっとあまり重要じゃなく、もちろん意識してやってもいないだろうけれど、こちらにとってその違いはけっこう大きい。その差は、恋に落ちたと思っていたのに、実は娼婦だったケースなんかに置き換えてみるとわかりやすい。

 そういうとき(いや、娼婦のときって意味じゃなくて、チビっことかと遊んだときとかにね)、自分は楽しい時間をお金で買ったんじゃない、という意思を示すために、現金じゃなく、ペンとかかわいい消しゴムとか、ちょっとしたプレゼントを贈るのはいい方法だと思う。彼らにとって私が、「与える余裕のあるお金持ち」に見えることに違いはないとしても、その笑顔を買ったという事実だけはつくらなくて済むから。ただ、私たちが注意しなくてはいけないのは、本当は彼らがいい時間を過ごすためにやってくれたんじゃないことまで、勝手に親切にカウントしてしまい、お金を要求されて勝手に憤慨してしまうケースだ。で、私はこの卵売りボーイたちについては、親切やいい時間のために来てくれたんじゃないと確信していた。だから、案内してもらうからには払うハラをきめていた。

「あんまりあげてると、もらいグセがついてよくない」という言い方をすることがあるけれど、それこそ「他人をしつける」側に自分を見立てた、上から見た言い方じゃなかろうか。これまで見返りを要求しなかったひとたちも、たくさんのツーリストに接することで、「この行為は報酬に値する」と気づき、要求するようになることは無理ないことだ。それを、昔のままでいてほしいからといって、すでに手助けによって稼いでるひとに払わないようにするとしたらそれは搾取だ。そういう意味では、旅は盗まれないことにだけ目を光らせておけばいいというわけじゃなく、自分が盗んでいないかについても、神経をとぎすましておく必要があるんだと思う。

 これに関連して、思い出した話があるのでついでに書いてしまおう。ヨーロッパにいたとき、南欧を3ヶ月ほど旅してた旅行者に会った。

 たぶん当初は彼女も、いかにカモられないでフェアに旅行するかを考え、地元のひとと交流するよろこびを感じながら旅をしていただけなんだと思う。でも私が会ったときはそれが高じて、いかに親切にしてもらうか、というよりは、いかに親切にしてもらってお金を節約するかをいつも考えていた。言い換えれば、いかにひとにタダで何かしてもらうかを、つねに考えて行動するようになっていた。たとえば、居酒屋に行ってどういうふうに振る舞えば地元のひとがおごってくれるか、通りかかる車の前でどういう態度をすれば、目的地までつれてってくれるか、等々だ。

 私がアムステルダムで、手違いから高いホテルに泊まることになった話をしていて、そのホテルが8500円だったというところまでさしかかったときに、彼女は目を丸くして、
「そんなに!私が旅先で3000円以上のホテルしか見つからなかったら、民家のドアをたたくね」
と言った。彼女は旅の計画当初レンタカーを借りて旅行することを考えていたぐらいで、おそらくは予算が非常に限られてるというわけじゃなかったと思う。3000円に対する価値観が、私と彼女で同じとは限らないけど、ヨーロッパを旅行する日本人にとって3000円は致命的な出費っていう額じゃない。せいぜいがとこ、旅の期間が、長くて2日縮まるぐらいのものじゃないだろうか。泊まるところがなくてとかじゃなく、ひととふれあいたいというわけでもなく、現地の生活を知りたいとか、言葉を学びたいとか、そういうんでもなく、自分の出費をセーブするだけのために、見ず知らずのひとに泊めてくれって頼むつもりだ、と言う彼女の姿勢に、ウヘッと思ってしまった。

 彼女の言い分を聞くと、むこうだって外国人に対して親切にして楽しく過ごしてるんだから、いいんだそうだ。つまり彼女は現地のひとに楽しい思いをさせて「あげてる」かわりに、おごってもらうとか、泊めてもらうとか、そういう見返りを稼いでいるわけだ。
「かなりエゲツないね〜」という言葉を飲み込んで黙って聞いていた私を、彼女は「どう?」というように誇らしげに見た。彼女にとって、旅慣れていくということは、狡猾になって、いかに得になる道をわたっていくか、そのことに尽きるのだろう。「旅行者たるもの高潔でなければ」などという法則はないし、彼女の旅を裁く権利は私にはないけれど、もし彼女みたいな腹づもりで私の家の戸をたたくものがあったら、悪いけどbitch!と呼んでおひきとり願うだろう。もちろん、そういう心づもりでおります、と言わないから、たちが悪いんだけどさ。

 たしかに親切にしてもらうことは旅の大きなよろこびのひとつだ。だけど、親切に慣れて、親切にしてもらうことにいじきたなくなったり、無料の親切をどう引き出すかを計算したりするのはどうなんだろうか。
 親切でやってくれたんだったら、嬉しかったのにな〜、とか、あっちの国ではこのくらい親切だったのにな〜、あのひとに頼んだら見返りは要求されなかっただろうにな〜、と思っちゃうことはある。でも、そう思う心、期待する心がもし、親切をあたりまえに要求するあつかましさへと育っていくとしたら、それはツーリスト自身に悪いクセがついてるとは言えないだろうか。

 親切をもらうクセがついて、自分が親切を受け取る権利なんか全くないのに親切を期待するようになったり、親切にしてもらっても感謝できなくなったり、私は旅行者なんだからこのくらい親切でやってよね、と思うようになるのはこわいことだ。親切の美しさや貴重さを見失ったり、感謝がわいてこなくなったら、旅はカラカラにかわいたものになっていくだろう。

 もちろん、こういうことってひとくちには語れない。時により、場合により、いろんなケースがあって、親切なひとと、お金がほしいひとがまざってたときなんかにどうするのかとか、ほんのちょっとしたことにとんでもない額を請求されたときは、とか、「おまえはツーリストだろう、金もってんだろうが」って態度で来られたときそれでも払えるのか、とか考えはじめると悩みはつきない。ただ、してもらったことに対して感謝があって、その感謝がお金の形をとらなきゃいけないときには、お金で払う。それは、今は、私にとってはひとつの原則だ。これまで旅してきたなかで、払ったほうがスッキリすることもあることがわかってからは、私は結局払うクチに入ったのだった。

 なんか熱く語ってしまった。旅に出ると、ボラれた話やチップ払うかどうかとか、物乞いにお金あげるかって話しには誰しもひとこと意見を持つようになるものみたいだ。え〜と、道案内の話に戻ろう。

 子供たちは3人も来てしまった。できればひとりにしてほしかったんだけどね〜、お礼払わなくちゃって思ってるだけに。
 子供たちは裏通りをじゃんじゃん歩き始めた。裏通りというか、けもの道というか、ひとんちの裏庭だったり、灌木の茂みを縫ったり、小川をわたったりだ。私はカートを引きずってるのでこういうところは、気が狂うほど歩きにくい。子供たちは身軽にすいすい歩いていくのでついていくのが大変だった。何度か集落を通るたび「ここか?」と期待するけど、歩いても歩いても歩いてもつかない。さっきから道が少しだけ下っていて、「もし空き部屋がなかったらこれをまた歩いて戻るのか?死んだほうがマシだな」と思いながら何度も時計をみた。もう3時半をまわっていて、この町で宿が見つからなくても今からリロングウェに行くのは無理だ。そうなったらドゥワンガに戻るか?でもあそこだってロクな町じゃなかったしな・・・とだんだんに不安になる。でも、そのドゥワンガでもこの町よかマシだったかも。街道沿いにいくつか店が見えただけで、町とも呼べないような町なんですものンコタコタって。

 20分ほど歩いた頃だろうか、やっともう一軒のpick'n'payについた。「たった20分で大騒ぎするな」と言うなかれ。ギンギン照りの太陽に髪の毛チリチリ焦がされながら、いくつかの小川をわたり、力のはいらない砂地をカートひきずりながら蛇行するのは並大抵じゃないのだ。

 pick'n'pay入り口の階段の塗り替えをやっていて、塗りたてのペンキを踏まないように脇から段をのぼると、ひとのよさそうなオーナーが迎え入れてくれ、目のするどいマネージャーが部屋に案内してくれた。なるほど、ロンリープラネットに載るだけのことはあるかもしれない。シングルを見せてもらったら部屋はシャワートイレつきなのに50クワッチャ(1ドル強!)という。ただし、室内に電源がない。電源ある部屋ない?って聞いたら、2個ベッドがあって扇風機も置いてある部屋に通され、これが150と言われた。この部屋は角部屋で10畳くらいあり、一応窓が2個あって、トイレもついてるしバスルームも広々。それを交渉の末100クワッチャにしてもらい、泊まることに決めた。新しくはないけど清潔そうだ。こんなすばらしい部屋がたったの250円!カイロのスルタンホテルのうるさくてせまくてホコリっぽいドミトリーと同じ値段だよ!

 これまでいろんなところで、客引きが客を連れてきたら、ホテルはツーリストに要求する宿泊代をつりあげて、客引きに手数料を払うというシステムを見てきたけれど、ここにはまだそんなシステムはない。私が部屋を決めるまでの間、さっきの子供たちは表で待っていたようだ。私が荷物を持って部屋にはいっていくのを見ても、別に何もいわずに立っていた。宿のマネージャーが、
「マダム、子供たちがいるけどどうする?」
と聞きにきた。何もなかったような顔してほっとくわけにもいかないのでマネージャーに、
「案内してもらったんだけどこういうときっていくらぐらい払えばいいんだと思う?」
と聞いてみた。
「ひとり10ぐらいあげればいいんじゃないかな」
と言われ、「宿代が100で案内が30は高いな」と内心思いつつ、子供たちにお金を渡した。実際これは高かったと思う。30もあればゆで卵が6つも買えるんだから!・・・っと、あんまりせこいことを言うのはやめよう。彼らは無表情にお金を受け取ると、また大通りへと、売り子の仕事をしに戻っていった。

 さて、と。今日はバナナしか食べてないので部屋にはいってすぐ外にとびだし、レストランもあるさっきの大通りまで歩いた。大通りまではさっきの裏通りじゃなくてもちゃんと車の通れる道を通って行くことができるのだ。さっきのがちっとも近道じゃなかった証拠に、道路を歩いて行ってもやっぱり20分かかった。カートをひっぱるならこっちの道のほうが全然ラクだったろうに、恨むよ売り子の小僧たち。おかげで腕がこんなにぱんぱんになっちゃって。あ、これはもとからか。

 大通りでふらりと入ったオープンスタイルのレストランではビーフ&ンシマ(牛肉の煮込みとトウモロコシを餅状に練ったもの)が食べられた。味はまあまあ・・・ちょっとコゲくさいかな。どうしてマラウィに入ってからの料理はコゲくさいんだろう。それに砂が多い。野菜、ちゃんと洗ってから煮てくれてるか?食べ終わり歩いていたらあっという間に影が長くなってきたので、明日の朝のために屋台でバナナを買い、あせって歩いてもどった。歩いてる子供にバナナちょうだいとか、お金ちょうだいとか言われる。そのことには答えず、「こんにちは」とか「元気よ」とか答える。

 宿の近くまで来たとき、子連れのおじさんがいた。子供は2,3才ぐらいで、おじさんから2、3mうしろに立ち止まって不安そうにこっちを見ている。
「ハローマダム。この子あんたが怖いんだ。He is afraid of you
と言われておもしろくなって、
「たぶん私が」
白いからねといいかけてなんとなくやめて、
「ずいぶん違うからね」
って言ったら、
「そう」
っておじさんは言った。坊やがあんまり不安そうにこっちを見ているので笑って近づいたらその子は火がついたように泣き出した。そうか、白い顔はそんなに怖いか。私は謝りながら子供から離れた。おじさんは子供を抱いて向こうにむかった。子供は私が角を曲がるまで大泣きしていた。おじさんが遠くから手をふってくれた。

 ホテルに戻ってシャワー浴びようとしたら水がでない。夜まで水が止まってるんだそうだ。宿のオーナーのフィリップおじさんにたのんだら大ダライに1杯水を用意してくれたので、それで体を洗った。こういうときのために汲み置きの水があるんだろう。夜遅くになって水が出始めた。さっきくんできてくれた水は透明だったのにどうしてこれはうすっ茶色いんだ?もしかすると、さっきのは井戸水なので清らかで、水道水は錆がはいるから茶色いのかもしれない。