玉井くん、やられる
  ノアとペトラにいた頃、私が、
「アフリカに行ったらやっぱキリマンジャロ登ったほうがいいかねえ」
といったら、ノアは
「キリマンジャロなんて標高が高いばっかで景色もよくないし、高山病になっててっぺんまで登れないひとも多いし、ポーターは高いし、いいことないよ。僕の当時の彼女も、トライしたけど頂上までは登れなかったんだ」
 と言っていた。ノアは19の頃初めての海外旅行でタンザニアを中心にアフリカに1年もいたんで、東アフリカには結構詳しい。
「それよりマラウィにもっといい山があるよ。近くまで行った頃にまたメールして教えてあげる」
 と彼はつけ加えた。マラウィに入ったいま、そろそろ連絡が来る頃だった。

 リロングウェで久々にメールを開いたら、やっぱりノアからメールがきていた。

「ヌーサン、もうマラウィまで行ってるの?すごいや!マラウィってすっごいいいとこでしょ?アフリカでも、あんな平和でのんびりしてほがらかでいいとこってちょっとほかにはないよ!」
 とノアは書いていた。私は国境でおシリとか触られたり、挨拶したばっかの子供に「お金ちょうだい」ってしょっちゅう言われることを思いながら、「ノアはこれでもマラウィがスキだったのかな、それとも時代は変わったのかな」と思った。

 ノアはそのメールでムランジェの山について触れていた。その山はムランジェ中央山塊とよばれ、約1000mの山の上は広大な平野のようになっており、花咲き乱れ、蝶は舞い、まるで熱帯のスイスだよ、とノアは言っていた。

 正直いって、山登りはスキなほうではない。というか、どっちかというと嫌いだ。キリマンジャロの話も実は冗談でクチにしたようなもんだった。山に登れば景色はきれいだし空気は澄んでるし爽快なことはたしかだけど、残念ながら山に登るめんどくささにその爽快さや感動が見合うと思ったことがない。だから山に登りに行くなんてもってのほかなんだけど・・・、でもノアがそこまで言うんだから行こうかなぁと思った。山に登らなくても景色はいいだろうし、それにマラウィは安全らしいし、物価も安いんでちょっと長居するのにはよさそうだと思ったのもある。
ンカタベイの呪術やさん

 ところがだ。
 次のメールに目をやると、玉井くんからメールがきてるじゃないか。ケニアのサファリで知り合い、ザンジバル島で別れた玉井くん。もう日本に帰国したんだなあと思いながらひらくと、大変なことが書いてあった。そのメールは私とゴーさん宛で、以下のような内容だった。(原文はローマ字)

   のーさーん、ゴーさーん、お元気ですか?玉井伸哉です。
ケニアからザンジバルまでお世話になりました。
今ごろはマラウィを抜けたぐらいでしょうか?

 別れてからのことを話すと、僕はあれから実は大変な目に遭いました。
マラウィで睡眠薬強盗に遭ってしまったのです(T_T)

 まずマラウィから国境の町カロンガを経てムズズへ行くバスのなかで黒人の男と知り合いました。彼は僕とおなじくムズズまで行って、翌日ンカタベイに行くといっていました。そして、ムズズではどこに泊まるんだ?ときかれ、決めていない、と答えると、それなら俺の泊まるホテルに行こうと言われました。

 彼は見た感じこぎれいにしているし、お金ももっているようなので、僕は少し信用してしまいました。そしてムズズについたとき、とても疲れていたことと暗かったこともあって、彼とふたりでホテルを探すことにしました。

 最初シングル2つならば大丈夫だろうと思っていたんですが、結局シングルがないホテルに泊まることになってしまいました。そのとき僕が思ったのは「やばいかな、ホモだったらどうしよう?」ということでした。しかし彼はすぐに宿のひとにオンナの値段をききはじめ、それでかなりホッとしたのを覚えています。連れこみ宿っぽい宿でした。

 ある程度安心した僕はシャワーを浴び、日記を書いていました。そこで事件は起きました。彼がオンナを待っているとかいって部屋にいる間に、ビスケットをすすめてきたのです。事実彼はホテルに別の部屋をとり、オンナを待っていたふうでしたが、それはカムフラージュだったかもしれません。

 僕はおなかいっぱいだったけどビスケット1枚ぐらいなら・・・と思ってそれをクチにいれました。「えらいまずいなぁこれ、レモンなんとかって書いてあるけどほんとかなぁ?」などと思いながら食べたのを覚えていますが、それから記憶がありません。気づいたときには朝で、お金、カメラ、TCなどがとられていました。ただパスポートと航空券、クレジットカード、そして命は無事でした。ほんとに幸運でした。

 そのあと警察につれていかれ、さらに新事実が発覚しました。実は僕が寝ていたのはひと晩ではなく、30時間だったということでした。しかも寝ている間に一回病院へも連れていってもらったそうです。起きたときは同じホテルでしたが、違う部屋にいました。僕も何回か海外には行ったことがありますが、こういった強盗に遭ったのは初めてです。やられましたね。

 だけども思うのは、命がたすかってよかった、ということです。
あのまま林とか森の中につれていかれてほっぽられていたなら・・・
ぼくは行方不明の紙になるだけで、日本に帰ることもできなかったでしょう。本当に背すじが寒くなる気がしました。

 その後は、たまたま警察が止めた車に日本の青年海外協力隊の隊員がのっていて、ちょうどリロングウェまで行く車だったのでのせてもらい、そのひとにJICAの知り合いを紹介していただいて、お金を借りたり、宿を借りたりしてなんとかナイロビに戻り、インドを経由して日本に昨日帰ることができたんです。

 本当に気をつけてくださいね!
 マラウィで安心していたわけではないのですが、意外なところ落とし穴はあると思います。ふたりならかなり防げると思いますが、特にひとりになったときは気をつけてくださいね!これから南米などに行かれますが、無事帰ってきてください。

 

 また必ずメール送ります、というひとことで、メールはしめくくられていた。なんと、これまで南米ほか世界各地を旅してきた玉井くんがついにやられてしまったとは。やはり時代はノアが来た頃とは変わったのだ。私はゴーさんと離れてしまったことを少しだけ後悔した。でも、あと半月でアフリカ通過はいくらなんでも早すぎる。強盗は無理やり睡眠薬をクチに入れてくるわけじゃない、気をひきしめていれば防げることだ。

 私はメールを閉じた。先日の8時間にわたる爆撃舗装道路のバスですっかり腰をいためていたので、立ち上がるのにちょっと痛みがはしる。ムランジェに行くまでに治るだろうか。というか、治らなかったら登らなきゃいいんだからそれはそれでかまわないけど。まあ登るかどうかはともかくとして、とりあえずムランジェに行ってみよう。それで山を見てから決めてもいいだろう。

 翌日早朝のバスで、私はムランジェを目指した。