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都会育ちのシェドリック
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ゆうべは腰と頭が痛んで10時に寝てしまった。移動がきつかったんだろうか。遅くになってすごい大雨が降り出した。カミナリも半端じゃなく鳴ってた。すごく遠くから近くにむかってとどろきわたっていた。
今朝は7時頃目がさめたんだと思う。目覚し時計を出してなかったからよくわからない。腕時計もみあたらなかった。どうやら昨日腕時計をなくしたらしい。どこでなくしたんだか見当もつかない。綿パンのポケットにいれておいたと思ったんだけど。 朝はだいぶすずしくて扇風機はとめてシーツと毛布をかぶって寝ていた。朝になってもときどきひどく雨が降って、気づくと天井の合わせ目から雨漏りしていた。バスルームのコップをもってきて雨受けにした。しばらくして室内にいくつかの水たまりができていることに気づいた。雨漏りは1ヶ所だけじゃなかった。
おなかがすいたので外に出て、昨日と反対の方向に行ったら小さなマーケットのような集落があった。レストランと書いてある店をのぞき込んだけど、食べ物はないといわれた。落胆して戻って来る途中、
私が、
私は大通りで彼らと別れて昨日のレストランに行くつもりだったんだけど、シェドリックが、 彼のお兄さんの家というのは8畳くらいの居間を中心とした一戸建ての家で、その居間には戸棚や応接セット、テーブルセットがならんでおり、非常にきれいにまとまっている。調度品を見る限りでは、このへんのレベルではお金持ちらしいと伺うことができた。その家族のなかでもシェドリックはいちばんきれいな英語を話し、喋り方にも都会的な雰囲気がある。世界でどんな音楽がはやっているか知っているし、映画やハリウッド俳優の名前なんか私よりもずっと知っているみたいだ。完全に分解されてるのになぜか使えるカセットデッキでシェドリックが音楽をかけはじめた。マライヤ・キャリーだった。
お兄さん夫婦と暮らしていることをふと不思議に思って、
話をしていて彼は27才だということがわかった。もっと若く見えるので、 彼はおもしろがっている私にいくつか舌打ちの「コン」って音のはいっている言葉を聞かせたあと彼の生い立ちを話し始めた。彼は南アフリカで生まれ、ケープタウンに暮らしていたそうだ。彼の都会的な印象はそういうとこから来てるんだろう。1989年あたりにはじめてマラウィに旅行にきて、ケープタウンから比べたらとんでもない田舎だったんで驚いたと彼は言った。 彼のお父さんは彼のお母さんと結婚して南アフリカでずっと働いてたんだけど、お母さんが亡くなってインビテーションがもらえなくなったので、1996年、ビザが切れたときにこちらに戻って暮らしはじめ、彼も電線工事のエンジニアとしてリロングウェで半年ばかり働いてたんだそうだ。だけどその会社が倒産したんでここにひっこんできて、いま車の免許をとろうとしてて、もう4月からリロングウェで働きぐちも決まってると言っていた。それから、話しててわかったことなんだけど、彼のお父さんのホテルpick'n'payは南アの大きなスーパーチェーンの名前だった。それで、「選んで払って」というおよそホテルとしてはふさわしくない名前がついているわけだ。彼のお父さんは南アで暮らしていた往事をしのんでこの名前をつけたに違いない。
ごはんができるまでに多分1時間ぐらいあったと思う。そのあいだ、彼の義理のお姉さんが私に興味をもって、いろいろ話しかけられた。彼女は26才で、先日マラリアになってまだ頭痛が残ってるとかで痛み止めをのんでいた。彼女が、
シェドリックは男2人、女2人の4人兄弟の3番目で、結婚してないのは彼だけなんだそうだ。 ごはんの準備がととのってテーブルにつくと牛の腸の煮こみとほうれん草にンシマというメニューだった。腸は、韓国料理屋でしか見たことがないようなセンマイみたいなちょっとグロテスクな部位まで入っていた。これがおいしいからこれを食べてるのか、安いのかはわからない。ただ、この部位をレストランで見たことはなかった。味はまあいいんだけど、手触り舌触りが不気味だ。
食事中は、日本の文化や、流行ってる音楽の話に花が咲いた。といっても、日本は仏教徒が多いとか、セリーヌディオンはあんな長い顔をしていながら美女のように振る舞うのでキライ、とか、そんな話だ。私の旅の話も少しした。
スーパーに寄って出てきたら物乞いに話しかけられた。シェドリックは物乞いの持ってる1行だけなにかかかれた紙を見ていたと思ったら、
宿の近くで、近所のひとから、 生まれて以来住んできた国、街があって、お父さんはそこで働いていたというのに、現地人のお母さんが亡くなったというだけで、何の保証もなくその場所を追われ、友達も生活もすべてもぎとられ、住んだこともない祖国に戻されるなんて、彼はどんな気持ちがしただろうか。しかも彼自身が少なくとも半分は南ア人の血をひいてるというのに、国籍どころかビザももらえないなんて、どこか間違ってる。1996年といえばそんな昔のことじゃない。そう聞くと、南アの体制は、まだまだ落ち着いたわけではないように思われた。
ホテルについて、彼にコーラをおごった。コーラを飲んでる間に女のひとが彼をたずねてきて、彼と少し話して去っていった。私とひとしきり話をしたあとシェドリックが、
それから部屋で髪を洗ったりいろいろしていたら、夕方、外廊下にひとの気配がした。しばらくしてドアにノックがあって、出たら知らない男で、廊下のテーブルに木彫りの細工がいろいろ置いてあった。男は「自分はビジネスマンなんですが」、と名乗った。商人、と言いたかったのだろうと思う。
翌朝8時半にシェドリックがやってきて
その日は一日町の周辺を散策したりして過ごした。シェドリックがおしゃべりしにくるかと思ったけれど、彼は一度も来なかったようだ。夕ご飯から戻ったあとフィリップおじさんに、
翌朝6時に起き、例によってにごってる水でシャワーを浴びて荷造りをした。宿の近くに実はバス停があり、時刻表によれば7時にバスがあるはずだったので、まだ早かったけれど受付に部屋代を払いに行った。受付にいた目の鋭いマネージャーに、 マネージャーはフィリップおじさんのところにひとをやって、ホテル代から100を差し引く件については了解してもらった。彼らの会話は英語じゃなかったのでわからなかったけど、バーの女の子がお金をとりたてに来たというのがはじめから嘘だったのかもしれない、と思った。100クワッチャといえば2ドルだけれど、その金額でホテルに泊まれるわけだから、ここでの価値は日本で言えば何千円かに匹敵するかもしれない。私が「お金を貸した」と言ったときにフィリップおじさんが疑いもしなかったところから察するに、彼がツーリストから借りて踏み倒すのも、これが初めてというわけじゃなかったんだろう。 荷物をもって、フィリップさんによろしくといってホテルを出た。シェドリックが、「父と住んでると自分がしたいこともいちいち相談しなくちゃいけないし面倒だ」って言った理由が、いまになってなんとなくわかった。礼儀正しく、身勝手なシェドリック。都会的で、南ア人とのハーフだってことをハナにかけてる。南アからの追放とか、彼が経験したことはたしかにつらかったと思うけれど、彼はそれをバネにしたりはしないで、たぶん後ろ向きに自分の身の上を悲しみ、お酒を飲む理由づけにしているんだろう。ムズングと結婚するのが夢で、自分では何も変えられないシェドリック。悲しいけれど、彼がマラウィ人について批評した言葉は、結局彼そのものを批評していたのと同じことだった。彼はそのことを内心わかっているけれど、認めるのがイヤなばかりに、自分の欠点をマラウィ人に投影して嫌っているのかもしれない。
だけど、それを私が責められるだろうか? 目の鋭いマネージャーにきくと、目の前のバス停からのリロングウェ行きの公営バスはいつ来るとも限らないから、大通りの交差点に行って私営バスを待ったほうが確実だ、ということだった。 また重い荷物をひきずって未舗装の道を2キロを歩く。歩きながらさっきまで考えてたことについては、考えなおした。彼に投影して批判しているわけじゃない。自分のなかにある納得いかないものと、向き合うために出てきたわけだから、前進はしてるさ、と。
おとといの晩から全然雨がなかったんで、道じたいは乾いていて歩きやすい。ただし、宿を出てきたとたんに雨雲もくもくで、遠くには虹まで出てるではないか。交差点で1時間近く待ってやっと車が来たと思ったら、サリマ行きのピックアップトラックだった。これをやりすごしてリロングウェ行きが来るのを待とうとしていたら、料金係の男が、
しばらくしたら案の定雨が降り出した。車が止まり、いったん床からどかされたと思ったら、足元にあったボロボロでドロドロで穴だらけの巨大なビニールシートが広げられた、と思うや全員ではじっこつまんでそのドロドロのボロボロを頭からかぶった!しかしどーでもいいけどこの、シート広げてるひとたち、ものすごく楽しそうじゃないか。 8時から9時までの1時間ぐらいでバスはサリマについた。雨はあがっているけど、ここでも降っていたらしく、水はけのわるい路上のあちこちに水たまりができて、バスが泥水をはねあげながら出入りしている。サリマはマーケットがにぎやかな楽しそうなところだ。バスターミナルにはたくさんのミニバスがとまっていて、目に入った限りでは道ばたから3台つづけてリロングウェ行きだった。そのうちの1台に乗ってふと水溜りのむこうを見たら、バスの横っ腹に「まかいの牧場」って書いてあった。
ちなみにあとから聞いた話では、日本からマラウィに送られている援助金の一部は、マラウィが日本の中古車を買い取るのに使われてるんだそうだ。日本では誰も見向きもしないような年季の入った中古車も、マラウィでは立派に現役だ。日本じゃ中古車を処分するにも何かと制約が多いし、解体する費用もばかにならない。でもそれをまとめて売っぱらえば、要らない中古車ともおさらばできるし、政府が援助したお金は企業の儲けになって戻ってくるし、援助したことで感謝されるし、日本にとっては一石三鳥というわけ。日本の政財界のお金の流れの構造と、資源の再処理問題の解決のために利用されてるのに、マラウィではありがたがってゴミを受け取らされているような、そんな気もする話だった。 サリマで乗り換え、2時間くらいでバスはリロングウェに到着した。今日も道はずっとよかった。警報がちこーんちこーんと鳴っていたところをみると、100キロを越えることすらしばしばあったみたいだ。北マラウィから考えると想像もできないことだ。アフリカの南半分は、南アを中心にまわってるので国の大事なものはみな南にあり整備も行き届いていて、逆に北側は整備しない、というのがお約束らしい。ゴーさんによればケニアもそうだったらしいし、そういえばタンザニアの首都もすごく南寄りで、北は閑散としていた。
バスがついたのがどこだかわからなくて、 荷物を運んでくれた添乗員は、受付に荷物を置くとなぜか「俺グインっていうんだ」と名乗った。私が「あんがと」といって小銭を渡すと、彼はこっそりとうけとってお礼をいって去っていった。ここのホテルは悪い部屋(旧館)155クワッチャ、マシな部屋(新館)230クワッチャ。310円と460円か。3泊する予定なので1日150円の差は結構大きいんだけど、部屋を見せてもらったら新館もじゅうぶんに古い感じだったので、旧館を見ずに新館に泊まることにした。
チェックインしたとたんにほかの客にプロポーズされた。またもや昼間から酔っぱらってる輩だ。曰く、 私だって、もうプロポーズはたくさんなんだよ。 |