都会育ちのシェドリック
   ゆうべは腰と頭が痛んで10時に寝てしまった。移動がきつかったんだろうか。遅くになってすごい大雨が降り出した。カミナリも半端じゃなく鳴ってた。すごく遠くから近くにむかってとどろきわたっていた。

 今朝は7時頃目がさめたんだと思う。目覚し時計を出してなかったからよくわからない。腕時計もみあたらなかった。どうやら昨日腕時計をなくしたらしい。どこでなくしたんだか見当もつかない。綿パンのポケットにいれておいたと思ったんだけど。

 朝はだいぶすずしくて扇風機はとめてシーツと毛布をかぶって寝ていた。朝になってもときどきひどく雨が降って、気づくと天井の合わせ目から雨漏りしていた。バスルームのコップをもってきて雨受けにした。しばらくして室内にいくつかの水たまりができていることに気づいた。雨漏りは1ヶ所だけじゃなかった。

 おなかがすいたので外に出て、昨日と反対の方向に行ったら小さなマーケットのような集落があった。レストランと書いてある店をのぞき込んだけど、食べ物はないといわれた。落胆して戻って来る途中、
「すいませんマダム、少しお話しさせていただいてもいいでしょうか?Excuse me madam, would you mind if I talk to you a little?
と声をかけられた。こんな田舎でこんなド丁寧な話し方をするのは誰だ、と振り返ってみると、道ばたに長靴をはいた、鼻の高い、かっぷくのいい男の子がいた。少し話して彼が、pick'n'payのフィリップおじさんの息子だということがわかった。彼はシェドリックと言った。

 私が、
「ごはんを食べに大通りのほうに行こうと思って」
というと、彼もちょうど大通りのほうに用があるから、といって一緒に大通りにむかった。途中、彼の親戚のエドという男の子もやってきて彼に合流した。彼らはお兄さんの家で一緒に住んでるんだそうだ。

 私は大通りで彼らと別れて昨日のレストランに行くつもりだったんだけど、シェドリックが、
「僕らもごはんたべに戻るとこだから一緒に来ない?」
と誘ってくれたので、またついていってしまった。途中食料や生活用品を売るマーケットをぬけたので、昨日の「ンコタコタは町とも呼べない町」という認識は間違っていたことがわかった。ンカタベイには及ばないまでも、一応、町と呼ぶにふさわしい規模のマーケットだった。

 彼のお兄さんの家というのは8畳くらいの居間を中心とした一戸建ての家で、その居間には戸棚や応接セット、テーブルセットがならんでおり、非常にきれいにまとまっている。調度品を見る限りでは、このへんのレベルではお金持ちらしいと伺うことができた。その家族のなかでもシェドリックはいちばんきれいな英語を話し、喋り方にも都会的な雰囲気がある。世界でどんな音楽がはやっているか知っているし、映画やハリウッド俳優の名前なんか私よりもずっと知っているみたいだ。完全に分解されてるのになぜか使えるカセットデッキでシェドリックが音楽をかけはじめた。マライヤ・キャリーだった。

お兄さん夫婦と暮らしていることをふと不思議に思って、
「どうしてお父さんとじゃなくお兄さんと暮らしてるの?」
と私が尋ねると、
「父と住んでると自分がしたいこともいちいち相談しなくちゃいけないし、面倒だから」
と彼は答えた。少しワケありなんだろうか。

 話をしていて彼は27才だということがわかった。もっと若く見えるので、
「黒人も若く見えるんだね、アジア人も若く見えるってよく言われるけど」
っていうと、シェドリックは、
「そうだろ。でも特に、僕は南アフリカ人の母の血がはいってるからね」
って言った。南アフリカ人はその他の国のひとと何か違うんだろうか。それとも人種が違うっていう意味だろうか。
「あなたのお母さん白人?」
って聞いてみたら、
「いや、母はハーフカラードだった」
ってこたえ、続けて彼は、
「母は*コイの出身だから。」
と、彼は「コイ」、の前に突然不思議な音を出した。舌打ちというか、でもチェッっていうんじゃなくて、「コン」みたいな音だ。そういえば、子供の頃だったんでよく覚えていないけど、映画ブッシュマンに出てた部族の言葉もこういう音を使ってたんじゃなかったか。たしか吸打音と呼ばれて、原始的な言語にしか残っていないと言っていたような。そういえば「ブッシュマン」はのちに差別用語ということになったとかで「コイ・サン族」と呼ぶようあらためられたときいたけど、この「*コイ」というのはコイ・サンのコイだろうか。この音は「部族」という意味なのかもしれない。で、このコイのひとたちは、ほかの黒人よりも色が薄いのだそうだ。

 彼はおもしろがっている私にいくつか舌打ちの「コン」って音のはいっている言葉を聞かせたあと彼の生い立ちを話し始めた。彼は南アフリカで生まれ、ケープタウンに暮らしていたそうだ。彼の都会的な印象はそういうとこから来てるんだろう。1989年あたりにはじめてマラウィに旅行にきて、ケープタウンから比べたらとんでもない田舎だったんで驚いたと彼は言った。

 彼のお父さんは彼のお母さんと結婚して南アフリカでずっと働いてたんだけど、お母さんが亡くなってインビテーションがもらえなくなったので、1996年、ビザが切れたときにこちらに戻って暮らしはじめ、彼も電線工事のエンジニアとしてリロングウェで半年ばかり働いてたんだそうだ。だけどその会社が倒産したんでここにひっこんできて、いま車の免許をとろうとしてて、もう4月からリロングウェで働きぐちも決まってると言っていた。それから、話しててわかったことなんだけど、彼のお父さんのホテルpick'n'payは南アの大きなスーパーチェーンの名前だった。それで、「選んで払って」というおよそホテルとしてはふさわしくない名前がついているわけだ。彼のお父さんは南アで暮らしていた往事をしのんでこの名前をつけたに違いない。

 ごはんができるまでに多分1時間ぐらいあったと思う。そのあいだ、彼の義理のお姉さんが私に興味をもって、いろいろ話しかけられた。彼女は26才で、先日マラリアになってまだ頭痛が残ってるとかで痛み止めをのんでいた。彼女が、
「黒人と結婚するのどう?アフリカ人の男の子に興味ないの?」
としきりときくので、はぐらかしていると、
「あなたは彼氏いたことあるの?」
ってきかれた。
「あるよ」
っていうと、まさかと思うようなことを訊ねられた。
「彼とベッド・インしたことある?」
ぐっ。初対面のひとにこんなストレートな質問をされたのは初めてじゃなかろうか。
「な、ないよ」
と答えたら彼女は、そんなはずないのになあ、という顔をして、
「そう」
と言ったあと、
「マラウィではね、結婚前にベッドをともにするのは法律で禁じられてるのよ」
と言った。法律で!?そんなことを!?年齢とか関係なく!?
「もしバレたらどうなるの?逮捕されるの?」
ときくと、
「逮捕はされないけど罰金よ」
って彼女は言った。でもバレるって、どうやって?

 シェドリックは男2人、女2人の4人兄弟の3番目で、結婚してないのは彼だけなんだそうだ。
「彼はムズング(白いひと)と結婚したがってるの。あなたが日本に帰ったら彼にインビテーションを書いてくれないかしら。お金をためたら二人で結婚してマラウィに住むのはどう?」
と義理のお姉さんからプロポーズされた。

 ごはんの準備がととのってテーブルにつくと牛の腸の煮こみとほうれん草にンシマというメニューだった。腸は、韓国料理屋でしか見たことがないようなセンマイみたいなちょっとグロテスクな部位まで入っていた。これがおいしいからこれを食べてるのか、安いのかはわからない。ただ、この部位をレストランで見たことはなかった。味はまあいいんだけど、手触り舌触りが不気味だ。

 食事中は、日本の文化や、流行ってる音楽の話に花が咲いた。といっても、日本は仏教徒が多いとか、セリーヌディオンはあんな長い顔をしていながら美女のように振る舞うのでキライ、とか、そんな話だ。私の旅の話も少しした。
「お金を節約しながら旅行してるのに、日本人というとお金持ちと思われることがつらい。」
という話をしたら、シェドリックが、
「わかるよそれ。僕も南アフリカから来たっていうと金持ちと思われて困ることあるんだ」
と深くうなずいた。
 ごはんが済んでしばらくまだおしゃべりしたあと、お姉さんが一休みするというのでおいとましようと腰をあげると、シェドリックも一緒に宿のほうに戻るといって歩きだした。

 スーパーに寄って出てきたら物乞いに話しかけられた。シェドリックは物乞いの持ってる1行だけなにかかかれた紙を見ていたと思ったら、
「彼に1クワッチャやってくれる?」
と言った。私はおとなしく財布からお金を出してあげた。彼は、
「どうして彼らが物乞いしてるかわかる?」
ときき、私が答えるのを待たずに、
「働きたくないからさ」
といった。
「でもさ、働きたいと思ったら仕事はみつかる?」
って聞いたら、
「それはたしかにもうひとつの問題だね。・・・でもはじめから探しもしないんだからもちろん見つかるはずないさ」
と言い、
「これだからマラウィ人は好きじゃないんだ」
と続けた。どうして彼に1クワッチャやってほしいと言ったんだろう、と考えた。彼は、彼らの態度にいらだちをおぼえながらも、彼らの境遇に同情していたのかもしれない、と思った。

 宿の近くで、近所のひとから、
「ようねえちゃん、オレの兄弟と結婚したんか」
と話しかけられた。彼は昼間っから酔っぱらっていた。
「彼いつもあんなふうなの?」
とシェドリックに訊くと、
「ああ、ときどきね。僕だってそうだよ。いろいろ考えると、飲みたくなっちゃうときもあるんだよ。仕事のこととかさ、南アのことを思い出したり」
と彼が遠い目をしたので、その胸のうちを考えたら私もかなしい気分になった。

 生まれて以来住んできた国、街があって、お父さんはそこで働いていたというのに、現地人のお母さんが亡くなったというだけで、何の保証もなくその場所を追われ、友達も生活もすべてもぎとられ、住んだこともない祖国に戻されるなんて、彼はどんな気持ちがしただろうか。しかも彼自身が少なくとも半分は南ア人の血をひいてるというのに、国籍どころかビザももらえないなんて、どこか間違ってる。1996年といえばそんな昔のことじゃない。そう聞くと、南アの体制は、まだまだ落ち着いたわけではないように思われた。

 ホテルについて、彼にコーラをおごった。コーラを飲んでる間に女のひとが彼をたずねてきて、彼と少し話して去っていった。私とひとしきり話をしたあとシェドリックが、
「さっきのバーの彼女、僕がゆうべツケにしといた100クワッチャを返してくれないかって言いにきたんだ。もし余分に100もってたら、今だけ貸してくれない?明日の朝返すから」
と言われた。彼女はすでにあきらめて行っちゃったんだし、断りようはいくらでもあったけど、いろいろ話してごはんまでごちそうしてもらったのに、ここでお金を貸してあげないと信用してないみたいなので、私はそのお金を彼に貸した。

 それから部屋で髪を洗ったりいろいろしていたら、夕方、外廊下にひとの気配がした。しばらくしてドアにノックがあって、出たら知らない男で、廊下のテーブルに木彫りの細工がいろいろ置いてあった。男は「自分はビジネスマンなんですが」、と名乗った。商人、と言いたかったのだろうと思う。
「あなたに見せてみればきっと高く買ってくれるって聞いたもんですから」
と言うので、
「誰がそんなこと?」
って聞いたら、
「シェドリックが」
とそのビジネスマンは答えた。シェドリックが?私に売りつけろってそう言ったのだろうか。ついさっき「節約して旅行してる」という話をしたところだっていうのに?
 宿のスタッフが、
「安いよ、買いなよ」
とけしかけ始めたので、なんだか押し売りされているような気分になった。ほんというと魚の形の耳飾りには興味あったけど、ひとつでも興味もったところを見せると断るのが難しそうだと思ったので値段は聞かなかった。

 翌朝8時半にシェドリックがやってきて
「朝ごはん用意したから食べにおいでよ」
と言う。昨日のおみやげ売りの言った言葉がひっかかっていたので、ちょっと迷って話を切りだした。
「昨日おみやげ売りが来たんだよ。私のこと話した?」
と聞くと、
「え?う〜ん、知らないけど?何のことを言ってるわけ?」
と彼がごまかしたのが逆に、はっきり肯定されたよりも事実を物語っていて、私はなんだかがっかりした。
「あ、そういえばさ、いま宿代払いに行こうと思うんだけど」
と暗に昨日貸したお金のことにふれると、彼は借りたお金のことは全く思い出さないような様子で、「それが?」という顔をした。言い出しにくくなって黙っていると、彼は、昨日の酔っぱらいのご近所さんに、また私との結婚について聞かれてどうしたこうしたという前置きをして、
「君はどうなのさ、アフリカ人の男に興味はないの」
と尋ねた。そして私から芳しい返事がないと見てとると、急に朝ご飯のことは忘れたかのように立ち上がり、
「じゃあ午後また様子みておしゃべりしにくるよ」
といって去って言った。

 その日は一日町の周辺を散策したりして過ごした。シェドリックがおしゃべりしにくるかと思ったけれど、彼は一度も来なかったようだ。夕ご飯から戻ったあとフィリップおじさんに、
「彼きた?」
と尋ねたら、
「来てないよ。あとから来るんじゃない?」
と答えた。
「実は彼に昨日100クワッチャ貸したんだけど」
って言ったら、おじさんは一瞬むむっ、と額に皺を寄せてだまりこみ、それから、私から頼まないうちに、
「じゃあ私から返さないとなるまいね」
といった。
 まだ時間が早かったし、彼が返しに来てくれないと決まったわけではないと考えなおし、とりあえずまだ彼を待ってみる、と言って部屋に戻った。でも、このときにはもうほとんど結論はわかっていた。お金を貸してしまったのが、私の不注意だった。その晩結局彼は来なかった。

 翌朝6時に起き、例によってにごってる水でシャワーを浴びて荷造りをした。宿の近くに実はバス停があり、時刻表によれば7時にバスがあるはずだったので、まだ早かったけれど受付に部屋代を払いに行った。受付にいた目の鋭いマネージャーに、
「お金払いたいんだけど」
というと、マネージャーは、
「3晩だったね。それと、ここで飲んだコーラ代をいれて・・・」
と計算しているようすだったので、
「実はシェドリックにお金を貸してあって・・・」
と言った。マネージャーは目をあげて、
「なぜお金を彼に貸したんだい」
ときいた。
「彼が飲み代のツケを返すために貸してほしいっていうから。昨日の朝返すって言ったんだけど、来なかったの」
っていうと、彼は首を振ってため息をつきながら、
「シェドリックはね、よくないんだよ」
とつぶやき、「それで昨日も飲んでたのか」とつけたした。

 マネージャーはフィリップおじさんのところにひとをやって、ホテル代から100を差し引く件については了解してもらった。彼らの会話は英語じゃなかったのでわからなかったけど、バーの女の子がお金をとりたてに来たというのがはじめから嘘だったのかもしれない、と思った。100クワッチャといえば2ドルだけれど、その金額でホテルに泊まれるわけだから、ここでの価値は日本で言えば何千円かに匹敵するかもしれない。私が「お金を貸した」と言ったときにフィリップおじさんが疑いもしなかったところから察するに、彼がツーリストから借りて踏み倒すのも、これが初めてというわけじゃなかったんだろう。

 荷物をもって、フィリップさんによろしくといってホテルを出た。シェドリックが、「父と住んでると自分がしたいこともいちいち相談しなくちゃいけないし面倒だ」って言った理由が、いまになってなんとなくわかった。礼儀正しく、身勝手なシェドリック。都会的で、南ア人とのハーフだってことをハナにかけてる。南アからの追放とか、彼が経験したことはたしかにつらかったと思うけれど、彼はそれをバネにしたりはしないで、たぶん後ろ向きに自分の身の上を悲しみ、お酒を飲む理由づけにしているんだろう。ムズングと結婚するのが夢で、自分では何も変えられないシェドリック。悲しいけれど、彼がマラウィ人について批評した言葉は、結局彼そのものを批評していたのと同じことだった。彼はそのことを内心わかっているけれど、認めるのがイヤなばかりに、自分の欠点をマラウィ人に投影して嫌っているのかもしれない。

 だけど、それを私が責められるだろうか?
 シェドリックを見て、私が憂鬱になってしまうのは、何も変えられない自分へのいらだちを、彼に投影して批判してるとは言えないだろうか?

 目の鋭いマネージャーにきくと、目の前のバス停からのリロングウェ行きの公営バスはいつ来るとも限らないから、大通りの交差点に行って私営バスを待ったほうが確実だ、ということだった。

 また重い荷物をひきずって未舗装の道を2キロを歩く。歩きながらさっきまで考えてたことについては、考えなおした。彼に投影して批判しているわけじゃない。自分のなかにある納得いかないものと、向き合うために出てきたわけだから、前進はしてるさ、と。

 おとといの晩から全然雨がなかったんで、道じたいは乾いていて歩きやすい。ただし、宿を出てきたとたんに雨雲もくもくで、遠くには虹まで出てるではないか。交差点で1時間近く待ってやっと車が来たと思ったら、サリマ行きのピックアップトラックだった。これをやりすごしてリロングウェ行きが来るのを待とうとしていたら、料金係の男が、
「ここからリロングウェ行きはほとんどないからサリマに行って、リロングウェ行きに乗り換えたほうがいい」
と言う。ピックアップにはもうほとんど乗る場所なんかないのに料金係が無理やり荷物をどこかに積んでくれ、さらに無理やり私をほかの客の足元の隙間にねじこんでくれた。スペースがないので足が痛い。トラックが走り出し、横座りしていて足がしびれて、ダメだ!もう耐えられない!と思った瞬間に前の隅に座っていた女のひとたちが降り、少しスペースを確保できた。助かった。だけどまた腰が痛くなってきている。そういえば、中東で会った世界旅行中の夫妻の奥さんも、アフリカ旅行中に腰を痛めてヨーロッパに戻ったとか聞いた。やはりアフリカの旅はそれなりにハードだ。

 しばらくしたら案の定雨が降り出した。車が止まり、いったん床からどかされたと思ったら、足元にあったボロボロでドロドロで穴だらけの巨大なビニールシートが広げられた、と思うや全員ではじっこつまんでそのドロドロのボロボロを頭からかぶった!しかしどーでもいいけどこの、シート広げてるひとたち、ものすごく楽しそうじゃないか。
・・・・・まてよ。
たしかにこの状況は可笑しい。トラックの荷台に大のオトナが大勢のりこんで、ドロドロのビニールシートにかくれてるなんて、ふざけてるとしか思えない。シートの青黒い傘の下、目だけがきょろきょろと動く黒い顔たちにまぎれて、私の顔は何色に見えてるんだろうか。周りのひとがはしゃいでいるのに巻き込まれて、気づくと私も声を出して笑っていた。私と、となりに座ってる女の子は荷台の一番端にいるので運転席の屋根から流れ込む水で背中がびっしょりぬれてしまう。それでもなんだか、あまりに不出来なこの状況がおかしくて笑っていた。

 8時から9時までの1時間ぐらいでバスはサリマについた。雨はあがっているけど、ここでも降っていたらしく、水はけのわるい路上のあちこちに水たまりができて、バスが泥水をはねあげながら出入りしている。サリマはマーケットがにぎやかな楽しそうなところだ。バスターミナルにはたくさんのミニバスがとまっていて、目に入った限りでは道ばたから3台つづけてリロングウェ行きだった。そのうちの1台に乗ってふと水溜りのむこうを見たら、バスの横っ腹に「まかいの牧場」って書いてあった。


まかいの牧場のワゴン車
 これだけ日本の中古が来てるからには、私の知ってる会社や店の車が1台ぐらいあるだろうと思って見ていたら、まかいの牧場ときたか。私が会社にいた頃、毎年社内で運動会みたいな親睦会みたいなイベントがあったんだけど、まかいの牧場は、ある年そのイベントで行ってバターつくったりした牧場だった。日本にまかいの牧場が2軒ないとは限らないけど、おそらくは私の行ったまかいの牧場だろう。こんな遠くで、まかいの牧場のワゴンが第二の人生を送っていたか、となんだかしみじみする。

 ちなみにあとから聞いた話では、日本からマラウィに送られている援助金の一部は、マラウィが日本の中古車を買い取るのに使われてるんだそうだ。日本では誰も見向きもしないような年季の入った中古車も、マラウィでは立派に現役だ。日本じゃ中古車を処分するにも何かと制約が多いし、解体する費用もばかにならない。でもそれをまとめて売っぱらえば、要らない中古車ともおさらばできるし、政府が援助したお金は企業の儲けになって戻ってくるし、援助したことで感謝されるし、日本にとっては一石三鳥というわけ。日本の政財界のお金の流れの構造と、資源の再処理問題の解決のために利用されてるのに、マラウィではありがたがってゴミを受け取らされているような、そんな気もする話だった。

 サリマで乗り換え、2時間くらいでバスはリロングウェに到着した。今日も道はずっとよかった。警報がちこーんちこーんと鳴っていたところをみると、100キロを越えることすらしばしばあったみたいだ。北マラウィから考えると想像もできないことだ。アフリカの南半分は、南アを中心にまわってるので国の大事なものはみな南にあり整備も行き届いていて、逆に北側は整備しない、というのがお約束らしい。ゴーさんによればケニアもそうだったらしいし、そういえばタンザニアの首都もすごく南寄りで、北は閑散としていた。

 バスがついたのがどこだかわからなくて、
「カウンシルゲストハウスに行きたいんだけど知ってる?」
って言うと、バスの料金係が、
「オレがつれてってやる」
といって荷物を運んでくれた。マーケットを抜け、なんか立派なレンガの塀を入ると奥にカウンシルゲストハウスがあった。ロンプラに載っていたリロングウェの宿のなかでは2番目にいいとこで、少し高いけど、バス停から近いのがとりえだった。バス停の近くには安いゲストハウスもいっぱいあるみたいだったけど、「旅行人」によれば、あまり清潔ではないそうな。

 荷物を運んでくれた添乗員は、受付に荷物を置くとなぜか「俺グインっていうんだ」と名乗った。私が「あんがと」といって小銭を渡すと、彼はこっそりとうけとってお礼をいって去っていった。ここのホテルは悪い部屋(旧館)155クワッチャ、マシな部屋(新館)230クワッチャ。310円と460円か。3泊する予定なので1日150円の差は結構大きいんだけど、部屋を見せてもらったら新館もじゅうぶんに古い感じだったので、旧館を見ずに新館に泊まることにした。

 チェックインしたとたんにほかの客にプロポーズされた。またもや昼間から酔っぱらってる輩だ。曰く、
「おりゃぁもうマラウィはたくさんだ、日本にいきてえよ。オレと結婚してつれてってくんねえか」

 私だって、もうプロポーズはたくさんなんだよ。