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サバンナをゆく
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心理的な遠さに比べて、実際のナイロビはなんて近いんだろう。乗り込んですぐ夕食が配られて、それからたった3時間しか寝ていないのに、飛行機はもう降下しはじめた。まわりのひとたちも、目を覚ましてざわめき始める。シートベルトのサインを無視して荷物棚をあけようとして、スチュワーデスに怒られてるひとがいる。日本人だ。というより、待てよこの飛行機に乗ってるひと、1/3は日本人なんじゃないだろうか。
春休み。アフリカにも学生さんの出陣するシーズンだ。スルタンホテルで会ったやっぱり学生さんの森重くんと林くんと共に、ついに私はナイロビに向かった。去年の今ごろミャンマーの日本人宿で、ツワモノ旅行者の学生さんたちに囲まれ「世界一周する」って恥ずかしくて言い出せなくってただ「できれば1年ぐらい旅行を」みたいなこと言ってはアドバイス受けたり励まされたりしていたのが懐かしく思い起こされる。最近では汚れた綿パンも板につき、飛行機に乗る態度もすっかりふてぶてしくなっていっぱしのバックパッカーらしくなってきた。他のひとが出てから余裕かましてのんびりと機外に出て、少しだけ両替し、入国カウンターに向かった。
実はカイロの空港でエジプト航空のカウンターにチェックインするとき、
両替してたせいで入国審査にはもうすでに誰もいなかった。学生さんたちがさきに進んで行くのをみて、出国用のチケットを要求されるかどうかドキドキした。後ろから覗き込んでた限りでは、学生さんたちは出国チケットを見せろとは要求されてないみたい。いよいよ私の番だ。これまで貯めに貯めたスタンプをじろじろと見られた時にはちょっとピリピリしたけど審査官は問題なくスタンプを押してくれ、入国審査は無事通過できた。ああよかった。国によっちゃ、出国用チケットがないとほんとに送り返したりすると誰かから聞いたから、ほんと緊張した。まさかここまできてエジプトにかえされたりしたらたまんないもんね。
それから、もうひとつナーバスになっていたことがあった。実はキムの友達がナイロビ空港にパソコン持ちこんだとき、税関でとりあげられて、知り合いという知り合いあたってコネを探して空港のお偉いにクチをきいてもらうまで返してもらえなかったんだそうだ。キムはイスラエルにいた頃それをことさら気にしていて、
・・・税関でつかまりやすいひとというのはたしかにいるけど、この税関、ただのひとりだってつかまえてチェックしてる様子がないよ。キムの友達ってのはこんないいかげんな税関でどうしてつかまったんだろう?その友達って聞いたところによればかなりツイてない男で、彼女に振られた直後にケニアに出張にきて、ディスコでかわいい女の子と知り合い、いい関係になってから彼女の職業を聞いたら「あたし?娼婦。」って言われてがくっときたというエピソードがあったぐらいなんで、まあそのときはたまたますっごく星のめぐりがわるかったんだろうね。
シャバに出たら学生さんたちがほかのツーリストにタクシーをシェアしようともちかけられた。そのタクシーっていうのがどっかのサファリツアー会社のまわしもので、客引きのでっかいおねえちゃんと運転手がついていた。タクシー代は普通より安くしてくれるっていうけど、途中にツアー会社に寄ってツアーの説明を聞けっていうのが条件だった。ふつうの乗用車ですでに運転手と客引きのお姉ちゃん2人乗ってるところへ私と、学生さんたちと、もうひとりのツーリストが乗ったわけで、ぎゅうぎゅうで苦しいったらなかった。旅行会社に行って説明をひととおり聞いてから、
さてイクバルホテルに着き、チェックインしていたら階段を下っていこうとする男性に見覚えがあった。
「何日ぐらいここにいる予定ですか」
「まあサファリから戻ってきてもビザとりやなんかで1週間ぐらいはいると思いますんで、そのあと一緒に南下しましょう」
ミニバスはまずスーパーに行って、水なんかを買いだしして出発した。そして1時間ほど走って停まったおみやげやで私たちはイギリス人3人のグループと合流し、さらに走って間もなくお昼になった。イギリス人のグループは丸顔のポーリンと彼氏のガイ、それから友達のマークだった。明るくてつきあいやすそうなひとたちだ。お昼はとうもろこしの粉をねってふかした「ウガリ」とビーフ&ポテトのスープ「カランガ」を食べた。まさかケニアについて最初の食事をこんなところまできてとるとはね。屋外のカフェでは風がさわやかに吹きぬけ、日差しがまぶしく木々の葉の間を貫いて地面に水玉の模様を落としている。エジプトと全然ちがう。ここは初夏の空気だ。
しばらく走るともう周りに野生動物が見られるようになって一行は興奮しはじめる。道路沿いなのに、シマウマやガゼルが日陰でつったって休んでたり、ダチョウのつがいが歩いていたりした。彼らがあまりあたりまえみたいにそこらへんにいるんで、餌付けされてるか、もしくは飼われてて、木につながれてるんじゃないかと思ったぐらいだ。
![]() 快適なテントサイト
ミニバスは4時頃にテントサイトについた。テントの中には2台のベッドがあってマットレスもしいてありじゅうぶん快適そうだった。トイレは清潔な小屋に水洗式の洋式トイレがありシャワールームもそれなりに清潔。2人ずつ組になってそれぞれのテントに落ち着いた。
![]() 見渡す限りのシマウマが原
それにしてもシマウマってなんてキレイなんだろうか。ビロードの毛並み、くっきりした白と黒のストライプ。ちょっと寸詰まりの脚、ぷりっとしたおシリが愛嬌あってかわいらしい。でも遠くにいてもはっきりわかるその模様は、肉食動物にどうぞ食べてくれといわんばかりだ。私が草食動物だったらこんな目立つ模様に進化するのはゴメンだと思う。シマウマの模様はただひたすら芸術的だ。
でもこの風景、どっかで見たことがある。遠い記憶のなかにある風景。そうか。「はじめ人間ギャートルズ」だ。(近年「はじめ人間ゴン」という名でリメイク版アニメが放映されていたから若いひとはそっちの名前で知ってるかも)
だだっ広い草原で、むこうのほうにうつろなほら穴があり、その中に住んでる石斧持ったゴンと家族。そういえば、人間の祖先はアフリカから来たらしい、というのはテレビで見たんだっけ、なにかで読んだんだっけ・・・。サバンナじゃないだろうけど、この大陸のどこかに、私たちのルーツが隠されてるかもしれないんだなぁ。
日が西に傾きはじめていて、空の色が変わり始めている。とろりと大地のフチに溶け落ちるように太陽が地平線に吸いこまれて行くのを見てもうひとつ思い出した。日曜の夜、毎週見ていた「すばらしい世界旅行」だ。それを口に出すとゴーさんも、
なんにもない なんにもない まったくなんにもない・・・。
ギャートルズのエンディングテーマがサバンナの夕景にこれほどハマるとは思わなかった。
サバンナは乾燥してみえるけれど、名もない草と、木々と、小さな爬虫類や草食動物、水場に集まる鳥たち、そしてたまに見かけられる肉食動物とか、生きてるものでぎっしりと埋め尽くされている。私が生活していた街はどうだったろう。生きていないもので道も河もきっちりとフタをされている。そして生きものが生きられない水を飲んで暮らす生活。ああここは私が暮らしていた街とは全然ちがう。私自身がここで暮らしていくことはできないけど、来ておいてよかったと思った。そして、なぜだか、この星に生まれて正解だったな、とふと思った。
戻るともう真っ暗でお風呂に入るのは無理みたいだった。シャワールームのヨコではさっきの薪が燃やされてドラム缶にシャワー用のお湯があたためられている。でもシャワールームに明かりがないから誰も入ろうとは言い出さなかった。夕食は最初パンとスープに大量のスパゲティが出され、立派なミートソースに舌鼓を打った。ごはんのあと11時まで話がはずんで、全員で食堂でおしゃべりしていた。
![]() テーブルを囲んで。屋外だけど 意外に蚊はいない。
この時期ここらへんは毎晩9時か10時になると雨が降るのが普通みたいでいっときは10m先のテントにもどれないほどの大雨になった。イギリス組とはときどき会話が交差するぐらいだったけど、私たちは3人ずつバランスよく、どちらも鬱陶しく感じることなく別々の会話を楽しんでいたと思う。寝る前、水道なんかないんだろうな、せめて顔だけでも洗いたいな、と思いながら手をみたら爪が真っ黒になっていた。見なかったことにしてそのまま寝た。
車がたくさんとまってる木の下にいくと、木の上にはヒョウがいた。あまりまわりに車がたくさんとまってるんでヒョウはちょっと気が立ってるらしく一度ゴアッって声を出しながら幹のまんなかまで下りてきて別の枝に跳びうつった。ベルナッドおじさんは木の下に入って一旦エンジン切ってじっとしていたけどヒョウの声をきいたとたんにエンジンかけて準備した。ヒョウは全く襲ってこないとはかぎらないんだろう。それにしてもあの軽くしなやかな身のこなし。一瞬だけど私たちの目の前にさらした全身のつややかな毛並みとか、柔軟な姿はたしかに野生の美しさを保っていた。
2時くらいにおなかすいてランチの場所を探そうっていってたんだけどしばらくいったらライオンをみっけてしまった。ライオンもライオン、本物のオス(誠二・仮称)とメス(美知子・仮称)のつがいのライオンだ。草原にはいくつかの、完全に草の生えてない道と、轍がふかくなって道みたいになっちゃったとこがあるんだけどこんときいたのは道らしい道の上だった。美知子はその道のへんに来るなりすわりこんだ。誠二がそのうえにすわろうとしたので全員おおっと身をのりだしたけどそれ以上のことははじまらなかった。ああドキドキした。
それからひきかえし、やっと木の下で昼食になった。さっき他のツーリスト一行がランチとっていた場所だ。誰もいなくなってるのを見て、
今日走っていて見かけた動物はほんとに数え切れないぐらいだった。ベルナッドおじさんはこの道では信頼できるプロだと思う。たとえばほかのバスの運転手は、ヒョウのいる木の下でもちょっと停まるとすぐどっか行ってしまう。客がよく見えようが見えまいがあんまり関係なさそうだった。ところがこのベルナッドおじさんに限っては、木の下を何周もまわってどのポイントが一番見えやすいか探してくれるし、走っていてほかのバスとすれ違うときは、どこらへんに何がいるかとか情報交換を欠かさない。象とかチーターとかを見つけたときは、轍をはずれても動物の死角をついてかなり近くまで行って、私たちに楽しませようと心を砕いてくれていた。
さてそのベルナッドおじさんが宿に戻る前にまた車をとめて薪をひろいはじめた。私は今日は迷うべきじゃないなと思った。ガイにたのんでドアをあけてもらい外に出て、ベルナッドおじさんに「私もひろうよ」って言って乾いた木をひろいはじめた。慣れてないせいか私が拾う木は、形がそろっていなくて小さくて、薪としてはあまりよくなかったかもしれないけど、私も焚き木ひろいは昨日よりか格段早く済んだ。焚き木拾いは楽しかった。私が手伝いはじめたことで、ほかのひとたちがちょっと強制されたようなイヤな感じをうけてないといいけど、っていうのがちょっと心配だったけど、みんなひがみっぽい考え方をするタイプのひとには見えなかったから私はちょっと安心した。
今日は日のあるうちにテントサイトにもどり日暮れまでにはみんな入浴をすませた。今日の夕食はカレーライスだ。お米にシンがあって食べにくかったけど、ルーの味はとってもいい。
![]() 見るからにウマそーなカレー。でも 香辛料が違うから日本のカレーの味はしない
翌朝6時に目覚ましが鳴った。今日は早朝ゲームサファリで6時半出発の予定だったのに、夕食のあと10時半まで喋っていた。玉井くんの悩みを聞いたり、猥談したりだ。まだ暗かったけどトイレにいき、それから水道で顔をあらった。気分がハイになっている。6時半ころまで荷造りをしていて、それからみんなあつまってサファリにむかった。
朝はうまくいけば肉食動物の狩りが見られる見こみだったけど鳥や草食動物のほかはあまり収穫はなかった。そういえばサイを見てなかったなー。でもいいや、それ以外のものは十分見たし、ほんといいツアーだったから悔いはない。
戻りがけ、テントサイトの付近に象のフンが落ちているのに気づいた。ほんとにサバンナの真っ只中で私たちは2日間過ごしてきたんだなあ、と実感させられる。野生動物がここまで安心しきって人間のいる環境に近づいてこれるっていうのは長年の保護の成果なんだろう。だけどふと、ここまで慣れてしまうぐらい保護したんでは、ほんとに飼い慣らしているのと変わらない、これじゃ動物園と同じじゃないかという気もした。
バスは4時くらいにはナイロビについた。それからゴーさんと薬局に行き3ヶ月ぶんのドキシサイクリンを買った。ドキシサイクリンって、現在のところ一番強いマラリアの予防薬だ。実はタイであちこちまわり苦心して買っておいたクロロキンとプログアニルっていう予防薬を持ってはいるんだ。だけど、最近では予防薬に耐性をもつマラリア原虫が現れてて、耐性の原虫持ってる蚊にやられるとわたしが持ってる予防薬は7、80%ぐらいしか効き目がないと聞いて、一番強いやつを買いなおすことにした。ほんとは危険地域に入る2週間程度前から飲みはじめないといけないんだって。ナイロビは都会でまだマラリアの危険地域に入らないから、ナイロビに入ってからと先延ばしにしていたら、急にサファリに行くことになったりしたもんで、ここ数日はゴーさんからわけてもらって飲んでいた。
ナイロビの街を歩いてみて、とりたてて怖い印象はなかった。日中だったせいもあるかもしれない。でもやっぱ、たぶん私は危険について鈍いほうなんだと思う。お金が足りなくなったので一旦宿にもどりUSドルを厳重にポケットに隠しケニヤッタアベニューに行ったけど、もう夕方なんで開いてる両替所がみつからない。これ以上歩き回って夜になってしまうと危険だから、今日のところはあきらめてゴーさんからお金を借りた。
イクバルの寝室には電源がない。夜になって、ツアーデスク部屋で電源を借りてここ3日ぶんの日記をつけた。同室の女の子が、日が暮れてからスーパーにいこうとしたらアスカリ(警備員)のお兄ちゃんにとめられたそうだ。「あぶないからひとりでは行かせられない」って言われたらしい。ゴーさんたちと同室の男の子で、実際に強盗に遭ったっていうひともいたようだ。ゆうべ9時頃にケニヤッタアベニューを歩いていたら、複数連れの男にかこまれ、機関銃みたいなものをつきつけられてお金を奪われたんだって。持っていた金額自体が少なかったので被害額は大きくはなかったけど、そのせいか彼は鉄パイプで手をたたかれてケガもしたらしい。私には感じられない危険がこの町には渦巻いているんだ。
玉井くんが今日会った男の子の話しっていうのが一番コワかった。実はその彼はこの前まで西アフリカを旅していて、数日前のフライトでこっちに来てナイロビで彼女と落ち合う予定だったんだそうだ。ところが彼女は海外旅行は初めて。彼はちょうど空港で落ち合うか、あるいは先にナイロビに入ってて迎えにいくかなんかのつもりで来たらしいけど、飛行機にのり遅れてしまい今日ついた。しかし約束していたこのホテルに来ても彼女は影もかたちもない。彼が西アフリカから、
このまえサファリに行く前に会った女の子で、ここに半年いていま具合がわるく熱が上がったり下がったりしていると言っていた彼女は、今日ついに入院したそうだ。ナイロビはいろいろとこわいなあ。
サファリから帰ってきた翌日、すなわち昨日と、それから今日は、ゴーさんとマラウィ大使館にビザをとりに行った。マラウィ大使館は月水金しかビザ発行をしてなくて、昨日は木曜だったから今日出直したんだけど、今日また鉄の門をたたいて門番に、
インターネットカフェではモザンビークの洪水情報を少し調べた。あちこちからメールが来ていて、モザンビークが洪水だから、頼むから、気をつけてね、事前に調べてねって書いてあったので。そういう調べものしても私は30分でおわったので私はゴーさんと別れて先に宿に向かった。イクバルの手前の角でソーセージロールを食べ、甘くて辛いジュースをのんだ。ちょっと離れた席に大きい東洋人の男性がいて、日本人だろうなぁと思ったけれど背中を向けていたから話しかけなかった。
部屋で、イクバルの蔵書のゴルゴ13とか、ガイドブックを読みながらごろごろしていた。エジプトのハルガダにいたときからどうもゴルゴにははまってしまっていけない。ゴルゴは世界をマタにかけた殺し屋なので、ときどき通ってきた街とかが描かれていてつい夢中になってしまうんだ。
夜になってごはん食べにいこうとしたらゴーさんが、お昼に見かけた男性としゃべっていた。紹介してもらったら、なんとそのひとは、旅行人の富永さんだった。富永さんといえば、旅行者の間ではちょっと有名な、月刊「旅行人」に地図書いてるひとだ。ちょっと話して、立ち話もなんだからっていうんで、ホテルからちょっと離れたレストランにご一緒させてもらった。
「ほんとは僕だっていい地図があってそれを見て歩けるならそのほうがいいんだけど、いい地図がないから、しょうがないんで自分でつくってんですよ」
私がカトマンズにいた頃聞いたうわさのひとつに、この富永さんが「『地球の歩き方』にひっぱられてる」というものがあった。旅行人でのサラリーはあまりよくないけど「地球の歩き方」ならその点は心配ない。たしかに地球の歩き方は、辺鄙なとこに行けば行くほど地図がいいかげんという定評があるから、富永さんみたいに情熱かけて、好きで地図つくってるようなひとをひっぱりこめたら当面こわいものなしって気がしないでもない。
私は不躾ながらその噂の真偽について聞いてみた。それは、本当だけど、と富永さんは言った。
「もし今みたいな地図を書きながら年収150万ぐらいもらえたら、いまみたいに旅をしてあちこち行ってもじゅうぶんに暮らせるから、それだったらずっと続けてもいいなぁと思っちゃうんですけどねぇ」
私はミーハー根性だして、富永さんの地図が一個も載ってないにもかかわらず前バージョンの「旅行人ノート・アフリカ編」にサインしてもらったんだけど、そのサインていうのが、まるで自分の持ち物に書くような楷書体の名前と日付だけだったから、富永さんがほんとただひたすら実直な、「職人」なんだってことが裏付けされたように思えた。
地図と、旅か。
タンザニアに向かい出発する、前の晩のことだった。
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