サバンナをゆく
 

 心理的な遠さに比べて、実際のナイロビはなんて近いんだろう。乗り込んですぐ夕食が配られて、それからたった3時間しか寝ていないのに、飛行機はもう降下しはじめた。まわりのひとたちも、目を覚ましてざわめき始める。シートベルトのサインを無視して荷物棚をあけようとして、スチュワーデスに怒られてるひとがいる。日本人だ。というより、待てよこの飛行機に乗ってるひと、1/3は日本人なんじゃないだろうか。

 春休み。アフリカにも学生さんの出陣するシーズンだ。スルタンホテルで会ったやっぱり学生さんの森重くんと林くんと共に、ついに私はナイロビに向かった。去年の今ごろミャンマーの日本人宿で、ツワモノ旅行者の学生さんたちに囲まれ「世界一周する」って恥ずかしくて言い出せなくってただ「できれば1年ぐらい旅行を」みたいなこと言ってはアドバイス受けたり励まされたりしていたのが懐かしく思い起こされる。最近では汚れた綿パンも板につき、飛行機に乗る態度もすっかりふてぶてしくなっていっぱしのバックパッカーらしくなってきた。他のひとが出てから余裕かましてのんびりと機外に出て、少しだけ両替し、入国カウンターに向かった。

 実はカイロの空港でエジプト航空のカウンターにチェックインするとき、
「あなた片道航空券しか持ってないじゃない。ケニア入国できるかわからないよ」
 と言われたのでちょっとナーバスになっていた。私はケニアから陸路で南下する予定なんで出国用の航空券なんかもちろん持ってない。ケニアで片道航空券しかないと入国させてもらえないという噂は聞いていなかったけど、ケニアでビザがいらなくなったのがつい去年だかのことなんで、状況は流動的かもしれないし、場合によっちゃ、「出国用の航空券もってるひとに限りビザなしでもOK」みたいな追加条件があるかもしれないと思っていた。

 両替してたせいで入国審査にはもうすでに誰もいなかった。学生さんたちがさきに進んで行くのをみて、出国用のチケットを要求されるかどうかドキドキした。後ろから覗き込んでた限りでは、学生さんたちは出国チケットを見せろとは要求されてないみたい。いよいよ私の番だ。これまで貯めに貯めたスタンプをじろじろと見られた時にはちょっとピリピリしたけど審査官は問題なくスタンプを押してくれ、入国審査は無事通過できた。ああよかった。国によっちゃ、出国用チケットがないとほんとに送り返したりすると誰かから聞いたから、ほんと緊張した。まさかここまできてエジプトにかえされたりしたらたまんないもんね。

 それから、もうひとつナーバスになっていたことがあった。実はキムの友達がナイロビ空港にパソコン持ちこんだとき、税関でとりあげられて、知り合いという知り合いあたってコネを探して空港のお偉いにクチをきいてもらうまで返してもらえなかったんだそうだ。キムはイスラエルにいた頃それをことさら気にしていて、
「ナイロビ空港の税関を通る前にはパソコンをカバンの奥にしまってね。その上に汚れた服とか靴下とか歯ブラシとかゴミとか、とにかく税関のスタッフがさわりたくなくなるようにひろげて隠すんだよ」
 と口がすっぱくなるほど言われたのだった。それで言われたとおり、よれよれのTシャツと靴下をパソコンの上にかぶせてカムフラージュしてきたわけだけど、階段をおりて、ターンテーブルの上のスポーツバッグひろい、税関のグリーンのラインを通ったら、荷物チェックもぜんぜんなかった。あれっ?

 ・・・税関でつかまりやすいひとというのはたしかにいるけど、この税関、ただのひとりだってつかまえてチェックしてる様子がないよ。キムの友達ってのはこんないいかげんな税関でどうしてつかまったんだろう?その友達って聞いたところによればかなりツイてない男で、彼女に振られた直後にケニアに出張にきて、ディスコでかわいい女の子と知り合い、いい関係になってから彼女の職業を聞いたら「あたし?娼婦。」って言われてがくっときたというエピソードがあったぐらいなんで、まあそのときはたまたますっごく星のめぐりがわるかったんだろうね。

 シャバに出たら学生さんたちがほかのツーリストにタクシーをシェアしようともちかけられた。そのタクシーっていうのがどっかのサファリツアー会社のまわしもので、客引きのでっかいおねえちゃんと運転手がついていた。タクシー代は普通より安くしてくれるっていうけど、途中にツアー会社に寄ってツアーの説明を聞けっていうのが条件だった。ふつうの乗用車ですでに運転手と客引きのお姉ちゃん2人乗ってるところへ私と、学生さんたちと、もうひとりのツーリストが乗ったわけで、ぎゅうぎゅうで苦しいったらなかった。旅行会社に行って説明をひととおり聞いてから、
「エチオピアにいってる友達と、数日後にナイロビで落ち合う予定があるから、いまは決められない」
 と言って断ろうとしたら、さっきまで1日あたり70ドルだったツアー料金が60ドルに下がった。でもまあ安くしてくれても決める気はないので再度断ると、無理やりツアーに参加させられることもなく、予定していたイクバルホテルにつれていってもらうことができた。タクシーの中で、シェアを持ちかけてきた旅行者に、
「友達と落ち合うっていう話ほんとですか?」
 と訊かれ、
「え?ホントですよ」
 と答えると、
「ああ、そうなんだ。とっさに思いついたならスゴイなと思った」
 と言われた。そして、彼はホテルの入り口のところでタクシー代の1/4を私に手渡すといきなりどこかへ消えたので、もしかして彼は旅行会社とグルだったのじゃないかと思った。

 さてイクバルホテルに着き、チェックインしていたら階段を下っていこうとする男性に見覚えがあった。
「ゴーさん?」
 声をかけてふりかえったのはまさにそのひとだった。ダマスカスで会ったときよりいくぶん痩せているように見えるけど、間違いなく2ヶ月半前ダマスカスで会ったゴーさんだ。握手して、
「どうしてもうナイロビにいるんですか」
 ってきいたら、
「実はエチオピアで体調くずして、10日でケニアに下ってきてしまったんです」
 と彼は言った。パンヤオも避けた、あの危険なケニア北部を彼はバスで下って来たのだった。

「何日ぐらいここにいる予定ですか」
 ってきくと彼は、
「実は昨日ついてすぐサファリの申し込みをしてしまったんで、ちょうど今日30分後に出てしまうんです。いま軽く食事すませてこようと思って」
 と答えた。どうやら彼は、私が最後にルクソールから送った、ゴーさんにあわせてケニア入りしますという内容のメールは受信してなかったらしく、私がもうケニアいりしてるものと思って来たらしかった。

「まあサファリから戻ってきてもビザとりやなんかで1週間ぐらいはいると思いますんで、そのあと一緒に南下しましょう」
 そうは言われたけど、積もる話もあることだし、どうせ私もサファリは行こうと思ってたんだし、この際だからサファリ行ってしまうか?半徹明けのわりに体力が残っていたので、私はチェックインをキャンセルしてゴーさんの参加するツアーに飛び込んだ。ここのツアーは1日あたり$50だった。ここからツアーのバスに乗りこんだのは3人。私とゴーさんと、ほかに玉井くんという大学4年の男の子だった。彼は北海道在住だけど出身は大阪だとかで、喋っているうちにすぐ私をボケ役にしてツッコミの地位を確立した。いや、私が勝手にボケ役におさまっただけかもしれないけど。

 ミニバスはまずスーパーに行って、水なんかを買いだしして出発した。そして1時間ほど走って停まったおみやげやで私たちはイギリス人3人のグループと合流し、さらに走って間もなくお昼になった。イギリス人のグループは丸顔のポーリンと彼氏のガイ、それから友達のマークだった。明るくてつきあいやすそうなひとたちだ。お昼はとうもろこしの粉をねってふかした「ウガリ」とビーフ&ポテトのスープ「カランガ」を食べた。まさかケニアについて最初の食事をこんなところまできてとるとはね。屋外のカフェでは風がさわやかに吹きぬけ、日差しがまぶしく木々の葉の間を貫いて地面に水玉の模様を落としている。エジプトと全然ちがう。ここは初夏の空気だ。

 しばらく走るともう周りに野生動物が見られるようになって一行は興奮しはじめる。道路沿いなのに、シマウマやガゼルが日陰でつったって休んでたり、ダチョウのつがいが歩いていたりした。彼らがあまりあたりまえみたいにそこらへんにいるんで、餌付けされてるか、もしくは飼われてて、木につながれてるんじゃないかと思ったぐらいだ。


快適なテントサイト

 ミニバスは4時頃にテントサイトについた。テントの中には2台のベッドがあってマットレスもしいてありじゅうぶん快適そうだった。トイレは清潔な小屋に水洗式の洋式トイレがありシャワールームもそれなりに清潔。2人ずつ組になってそれぞれのテントに落ち着いた。

 荷物を置くとゲームサファリに出発した。新たに乗りこんだバンは天井があくようになっていて、風がはいりさわやかだ。走り出して間もなく、まず、さっき木陰で休んでたのとは比べ物にならない、シマウマの団体さんにであった。ゆるやかな丘にはさまれた地帯で、むこうの丘からこっちの丘までの野球場2枚ぶんぐらいのスペースに、少なくとも野球チームが6チームぐらいできそうなシマウマが散らばっている。シマウマが原だ。
天井が開くサファリ用のバン


見渡す限りのシマウマが原

 それにしてもシマウマってなんてキレイなんだろうか。ビロードの毛並み、くっきりした白と黒のストライプ。ちょっと寸詰まりの脚、ぷりっとしたおシリが愛嬌あってかわいらしい。でも遠くにいてもはっきりわかるその模様は、肉食動物にどうぞ食べてくれといわんばかりだ。私が草食動物だったらこんな目立つ模様に進化するのはゴメンだと思う。シマウマの模様はただひたすら芸術的だ。


走るキリン
 次にキリンが現れた。キリンの模様もまた芸術だ。玉井くんが、
「キリンってなんで耳4つあるんですかねぇ」
 と口走り、私が、
「あれ角だよ」
 と、珍しく突っ込んで返した。玉井くんは北大の理系学部行ってるぐらいだからしてかなりアタマのいい子だと思うんだけど、ボケるときは心底ボケているからおもしろい。耳4つのキリンのアタマは木の間からにょっきり出ていて、こちらを見つけるとおもむろに走りだす。だけど、首の重さのせいか彼らの走り方はすごくスローモーでなんか優雅だ。

 しばらく行くと草原で道草くってる象を見つけた。遠くにいるけどなんてでっかいんだろ。潅木の茂みのむこうにいるんだけど、まったく隠れてないところがその巨大さを現してる。草をハナに巻きつけてバチバチッとむしりとってる音も聞こえそうなぐらいリアル。
むしる象


ソーセージツリー
 サバンナにはソーセージツリーとよばれる意表をついた木がところどころに立っていた。フランスパンみたいな実がたくさん下がってる不思議な木だ。そんな木とか、たまにヒョウが座ってる木を除けばサバンナは、本当になだらかな丘とところどころに木があるだけで隠れるところが全然ない。ここで暮らすことを考えたらとても落ち着かない気分になって、人間は森から来たんだということをひしひしと感じた。

 でもこの風景、どっかで見たことがある。遠い記憶のなかにある風景。そうか。「はじめ人間ギャートルズ」だ。(近年「はじめ人間ゴン」という名でリメイク版アニメが放映されていたから若いひとはそっちの名前で知ってるかも)

 だだっ広い草原で、むこうのほうにうつろなほら穴があり、その中に住んでる石斧持ったゴンと家族。そういえば、人間の祖先はアフリカから来たらしい、というのはテレビで見たんだっけ、なにかで読んだんだっけ・・・。サバンナじゃないだろうけど、この大陸のどこかに、私たちのルーツが隠されてるかもしれないんだなぁ。
 私がそんなことを考えていたちょうどそのとき、ゴーさんが、
「のーさん『ギャートルズ』見てました?」
 って言った。そしたら、玉井くんも、
「あ、今僕もそれ思い出してました」
 って言った。

 日が西に傾きはじめていて、空の色が変わり始めている。とろりと大地のフチに溶け落ちるように太陽が地平線に吸いこまれて行くのを見てもうひとつ思い出した。日曜の夜、毎週見ていた「すばらしい世界旅行」だ。それを口に出すとゴーさんも、
「僕もそれを考えてました」
 って言った。日本人にサバンナのイメージを与える情報源はとっても少なかったと見える。それにしても、むかしあの番組がとても好きだったのに、後年中学や高校に入ってから地理がだいっキライだったのはとても不思議なことだ。そして、いま実際に世界旅行に出て、中高で怠りつづけた勉強をいまあらためてやりなおしているなんて、人生ってほんとに不思議なもんだ。
 太陽をのみこんだのと反対の地平を振り返れば空にいくつかの星が姿を現しはじめている。

 なんにもない なんにもない まったくなんにもない・・・。

 ギャートルズのエンディングテーマがサバンナの夕景にこれほどハマるとは思わなかった。

 サバンナは乾燥してみえるけれど、名もない草と、木々と、小さな爬虫類や草食動物、水場に集まる鳥たち、そしてたまに見かけられる肉食動物とか、生きてるものでぎっしりと埋め尽くされている。私が生活していた街はどうだったろう。生きていないもので道も河もきっちりとフタをされている。そして生きものが生きられない水を飲んで暮らす生活。ああここは私が暮らしていた街とは全然ちがう。私自身がここで暮らしていくことはできないけど、来ておいてよかったと思った。そして、なぜだか、この星に生まれて正解だったな、とふと思った。


面倒見のいいプロの運転手、
ベルナッドおじさん
 戻りがけ運転手のベルナッドおじさんが車をとめて、ちょっと枯れた乾いた木をひろいはじめた。戻って焚き木にするためだ。私は一番後ろのちょっと降りにくい席にいたんで、誰かが降りて手伝おうかって言い出すのを待っていた。待っていたっていうか、誰かが手伝おうって言ったら手伝えばいいやと思っていたんだ。そしたら結局誰も言い出さないまま10分か15分、ベルナッドおじさんはひとりで焚き木をひろい、バスの後ろに積みつづけた。焚き木ひろいなんて、私たちは客だから、やる必要のないことだ。だけど薪ひろうのも、やったら楽しそうだと思った。これを手伝わなかったことで私はなんかとっても後悔した。電車にのってて、ちょっと離れたとこにいかにも疲れてそうなおばあさんがいて、譲ろう、譲ろうと思いながら結局言い出せなくておばあさんが降りるのを見送ってあぁあ、って思っちゃったときのような。

 戻るともう真っ暗でお風呂に入るのは無理みたいだった。シャワールームのヨコではさっきの薪が燃やされてドラム缶にシャワー用のお湯があたためられている。でもシャワールームに明かりがないから誰も入ろうとは言い出さなかった。夕食は最初パンとスープに大量のスパゲティが出され、立派なミートソースに舌鼓を打った。ごはんのあと11時まで話がはずんで、全員で食堂でおしゃべりしていた。


テーブルを囲んで。屋外だけど
意外に蚊はいない。

 この時期ここらへんは毎晩9時か10時になると雨が降るのが普通みたいでいっときは10m先のテントにもどれないほどの大雨になった。イギリス組とはときどき会話が交差するぐらいだったけど、私たちは3人ずつバランスよく、どちらも鬱陶しく感じることなく別々の会話を楽しんでいたと思う。寝る前、水道なんかないんだろうな、せめて顔だけでも洗いたいな、と思いながら手をみたら爪が真っ黒になっていた。見なかったことにしてそのまま寝た。

* * *


清潔なシャワールーム
 翌朝6時に目覚ましが鳴ったけどまだ暗い。うつらうつらしている間にソーセージツリーの夢をみた。「ソーセージツリーのソーセージは夜明け前の30分だけ木からぶらさがったまま激しく動くんだよ」という説明を受けた夢だ。我ながら奇怪な夢を見たもんだ。そのあとテントサイトの一隅にそのソーセージが置いてあるのをみつけた。それが持とうとしたら1個が3,4キロはありそうな重さだった。そんなものをたくさんぶら下げてる木はさぞかしつらかろうと思う。

 6時半ちかくなってあかるくなったので起き出してシャワーをあび、髪を洗った。誰か早起きしてお湯をあっためてくれたみたいで朝から熱いくらいのホットシャワーだ。さすが1日$50のツアーだけのことはあって贅沢だ。

 実はカイロにいたときに長期旅行者のたまり場のサファリに3ヶ月泊まっているという美容師さんがいて、10£(300円ぐらい)で髪を切ってくれると張り紙がしてあったので切ってもらいに行ったんだ。ずいぶん盛況みたいで2人予約待ちだというので2時間ほど待って切ってもらった。おかげでシャンプーの量がすごく少なくて済むようになった。


トイレもほらこんなにキレイ。
便座ないけど。


<タンザニア | ケニア>
 テントサイトの一角には水道もあった。水道といったって、こんなサバンナのまんなかに水ひいてるわけないから涌き水だ。これが結構な水量あって、水道のクチに小さいペットボトルをかぶせて、水が出っぱなしになるのをふせいでいた。朝食まえに洗濯もすませた。朝食はパンとジャムとバターにソーセージ、目玉焼きだった。食事が終わると、バスにのって本格的にサファリに向かった。

 しばらく走るとタンザニア国境についた。マサイマラ国立公園は国境のすぐ手前にあるんだ。そのすぐ近くの川にごっちゃりいた。カバだ。ほとんど目と耳しか出してなかったけどときどきぶつかっちゃあブホーッブホーッと不満いいながらカバは水面に現れる。小さい目でみんなこっちを見ている。あまり大勢いるんで、こっちが見てるんだか見られてるんだかわからなくなる。
カバ。

 車がたくさんとまってる木の下にいくと、木の上にはヒョウがいた。あまりまわりに車がたくさんとまってるんでヒョウはちょっと気が立ってるらしく一度ゴアッって声を出しながら幹のまんなかまで下りてきて別の枝に跳びうつった。ベルナッドおじさんは木の下に入って一旦エンジン切ってじっとしていたけどヒョウの声をきいたとたんにエンジンかけて準備した。ヒョウは全く襲ってこないとはかぎらないんだろう。それにしてもあの軽くしなやかな身のこなし。一瞬だけど私たちの目の前にさらした全身のつややかな毛並みとか、柔軟な姿はたしかに野生の美しさを保っていた。

 2時くらいにおなかすいてランチの場所を探そうっていってたんだけどしばらくいったらライオンをみっけてしまった。ライオンもライオン、本物のオス(誠二・仮称)とメス(美知子・仮称)のつがいのライオンだ。草原にはいくつかの、完全に草の生えてない道と、轍がふかくなって道みたいになっちゃったとこがあるんだけどこんときいたのは道らしい道の上だった。美知子はその道のへんに来るなりすわりこんだ。誠二がそのうえにすわろうとしたので全員おおっと身をのりだしたけどそれ以上のことははじまらなかった。ああドキドキした。


美知子に拒まれる誠二
 2頭はちょっと歩いて、それからバスのすーぐ近くでのたっとすわったきりアクビしたりしてまったく動かないこと20分ちかく。やっと動き出したと思ったらうちのバスの3mばかし先でまた美知子がすわりこみ、その後ろからまたもや誠二がアプローチ。美知子を後ろから抱きすくめ、首筋にキスして関係を迫ったものの拒絶され、カッとなって大きな声をたてるが美知子譲らず。2頭はまたあてもなく歩き出したのであった。ちょうど誠二が美知子の上にのしかかろうとしてるところを写真にとった。我ながらすばらしいシャッターチャンスを捉えたもんだ。できれば「首筋にキス」も撮りたかった。鼻血もんですな。富士サファリパークあたりで若いオスライオンに高く売れそうだ。

 それからひきかえし、やっと木の下で昼食になった。さっき他のツーリスト一行がランチとっていた場所だ。誰もいなくなってるのを見て、
「たぶんあの木の上にヒョウがいて全員食べられちゃったね」
 なんて言い合う。昼食はパンと豚のサラミ、鶏のフライにバナナだ。ブタなんて食べるのは、多分クリスマスにキムんちで、ポークハム食べて以来のことだと思う。ベジタリアンのマークは、こんときだけは食べるものがあんまりなくて気の毒だった。テントサイトでは料理人が気をつかっていつもベジタリアン用の料理をひと品用意してくれてるんだけど、ランチだけは気が回らなかったみたいだ。マークは糖尿のため、サファリ中にゆれるバスんなかでもときどき指先を切って血糖値を調べてはわきばらに注射うったりしていたので、見ていてとてもはらはらした。

 今日走っていて見かけた動物はほんとに数え切れないぐらいだった。ベルナッドおじさんはこの道では信頼できるプロだと思う。たとえばほかのバスの運転手は、ヒョウのいる木の下でもちょっと停まるとすぐどっか行ってしまう。客がよく見えようが見えまいがあんまり関係なさそうだった。ところがこのベルナッドおじさんに限っては、木の下を何周もまわってどのポイントが一番見えやすいか探してくれるし、走っていてほかのバスとすれ違うときは、どこらへんに何がいるかとか情報交換を欠かさない。象とかチーターとかを見つけたときは、轍をはずれても動物の死角をついてかなり近くまで行って、私たちに楽しませようと心を砕いてくれていた。

 さてそのベルナッドおじさんが宿に戻る前にまた車をとめて薪をひろいはじめた。私は今日は迷うべきじゃないなと思った。ガイにたのんでドアをあけてもらい外に出て、ベルナッドおじさんに「私もひろうよ」って言って乾いた木をひろいはじめた。慣れてないせいか私が拾う木は、形がそろっていなくて小さくて、薪としてはあまりよくなかったかもしれないけど、私も焚き木ひろいは昨日よりか格段早く済んだ。焚き木拾いは楽しかった。私が手伝いはじめたことで、ほかのひとたちがちょっと強制されたようなイヤな感じをうけてないといいけど、っていうのがちょっと心配だったけど、みんなひがみっぽい考え方をするタイプのひとには見えなかったから私はちょっと安心した。

 今日は日のあるうちにテントサイトにもどり日暮れまでにはみんな入浴をすませた。今日の夕食はカレーライスだ。お米にシンがあって食べにくかったけど、ルーの味はとってもいい。


見るからにウマそーなカレー。でも
香辛料が違うから日本のカレーの味はしない

* * *

 翌朝6時に目覚ましが鳴った。今日は早朝ゲームサファリで6時半出発の予定だったのに、夕食のあと10時半まで喋っていた。玉井くんの悩みを聞いたり、猥談したりだ。まだ暗かったけどトイレにいき、それから水道で顔をあらった。気分がハイになっている。6時半ころまで荷造りをしていて、それからみんなあつまってサファリにむかった。

 朝はうまくいけば肉食動物の狩りが見られる見こみだったけど鳥や草食動物のほかはあまり収穫はなかった。そういえばサイを見てなかったなー。でもいいや、それ以外のものは十分見たし、ほんといいツアーだったから悔いはない。

 戻りがけ、テントサイトの付近に象のフンが落ちているのに気づいた。ほんとにサバンナの真っ只中で私たちは2日間過ごしてきたんだなあ、と実感させられる。野生動物がここまで安心しきって人間のいる環境に近づいてこれるっていうのは長年の保護の成果なんだろう。だけどふと、ここまで慣れてしまうぐらい保護したんでは、ほんとに飼い慣らしているのと変わらない、これじゃ動物園と同じじゃないかという気もした。

 とはいえ、自然のままで保護せず放置したんでは、サバンナは密猟者の天国になって崩壊してしまう。これだけ広大なサバンナといっても、もはや全く保護しないままの自然を放置しておくことはできないんだ。ひとの手のはいった自然。私が見てきた光景は、そういう複雑な背景をもった自然だった。

 キャンプサイトに戻り、朝食後、ポーリンとマークとガイと、メールアドレスを交換した。そして、まだ1日ここで過ごす予定のイギリス組と、ナイロビに帰る私たち日本組は別々のバスに乗って出発した。


左から、ポーリン、ガイ、マークと、
さりげなく玉井くん


密猟を取り締まるレンジャー
 帰りもバスは途中のお土産やで休憩した。私が土産やのなかをかんたんに覗き、それから外に出て犬と遊んでいたら店員の男の子がやってきて話しかけてきた。この犬は僕んだよ、と彼はいった。その犬は立派に成犬のサイズだったけど、彼によればまだ8ヶ月で、だいたい毎朝1頭のガゼルをしとめてくるといっていた。そういわれてたしかに犬の足を見ると血で真っ赤だった。うちの実家の、猫相手にいばってるコロとは大違いだ。おなかをなでていたら南京が1匹出てきた。みやげ屋の彼はそれをひょいとひろって石でつぶした。

 よこでちょこちょこしてる子供がいて、かわいらしかったので話しかけていたらそれはみやげ屋の彼の弟で、年齢をきいたら2才半だというんでおどろいた。だってどう見たって4才のサイズなんだその子って。アフリカではなんでも発育が早く育ち具合が大胆なのだった。土産やの22才の彼は手の面積が私の手の倍ぐらいあった。


 バスは4時くらいにはナイロビについた。それからゴーさんと薬局に行き3ヶ月ぶんのドキシサイクリンを買った。ドキシサイクリンって、現在のところ一番強いマラリアの予防薬だ。実はタイであちこちまわり苦心して買っておいたクロロキンとプログアニルっていう予防薬を持ってはいるんだ。だけど、最近では予防薬に耐性をもつマラリア原虫が現れてて、耐性の原虫持ってる蚊にやられるとわたしが持ってる予防薬は7、80%ぐらいしか効き目がないと聞いて、一番強いやつを買いなおすことにした。ほんとは危険地域に入る2週間程度前から飲みはじめないといけないんだって。ナイロビは都会でまだマラリアの危険地域に入らないから、ナイロビに入ってからと先延ばしにしていたら、急にサファリに行くことになったりしたもんで、ここ数日はゴーさんからわけてもらって飲んでいた。

 ナイロビの街を歩いてみて、とりたてて怖い印象はなかった。日中だったせいもあるかもしれない。でもやっぱ、たぶん私は危険について鈍いほうなんだと思う。お金が足りなくなったので一旦宿にもどりUSドルを厳重にポケットに隠しケニヤッタアベニューに行ったけど、もう夕方なんで開いてる両替所がみつからない。これ以上歩き回って夜になってしまうと危険だから、今日のところはあきらめてゴーさんからお金を借りた。

 イクバルの寝室には電源がない。夜になって、ツアーデスク部屋で電源を借りてここ3日ぶんの日記をつけた。同室の女の子が、日が暮れてからスーパーにいこうとしたらアスカリ(警備員)のお兄ちゃんにとめられたそうだ。「あぶないからひとりでは行かせられない」って言われたらしい。ゴーさんたちと同室の男の子で、実際に強盗に遭ったっていうひともいたようだ。ゆうべ9時頃にケニヤッタアベニューを歩いていたら、複数連れの男にかこまれ、機関銃みたいなものをつきつけられてお金を奪われたんだって。持っていた金額自体が少なかったので被害額は大きくはなかったけど、そのせいか彼は鉄パイプで手をたたかれてケガもしたらしい。私には感じられない危険がこの町には渦巻いているんだ。

 玉井くんが今日会った男の子の話しっていうのが一番コワかった。実はその彼はこの前まで西アフリカを旅していて、数日前のフライトでこっちに来てナイロビで彼女と落ち合う予定だったんだそうだ。ところが彼女は海外旅行は初めて。彼はちょうど空港で落ち合うか、あるいは先にナイロビに入ってて迎えにいくかなんかのつもりで来たらしいけど、飛行機にのり遅れてしまい今日ついた。しかし約束していたこのホテルに来ても彼女は影もかたちもない。彼が西アフリカから、
「万一ホテルがいっぱいだったら別のホテル調べてどこに泊まるかメールいれておいてよ」
 と送ったメールには返事なし。彼は今日も彼女をさがしまくっているのだそうだ。彼は心配で心配でおかしくなりかけてて、私もインターネットカフェで会ったとき、いきなり挨拶もなしに、
「松本××子さんて知りませんか」
 って訊かれたんでのけぞった。おそろしい。でももし無事でも、初めての海外旅行でナイロビにひとりで来させるような彼とは別れたほうがいいんじゃないかなぁと思ったりもした。

 このまえサファリに行く前に会った女の子で、ここに半年いていま具合がわるく熱が上がったり下がったりしていると言っていた彼女は、今日ついに入院したそうだ。ナイロビはいろいろとこわいなあ。

* * *

 サファリから帰ってきた翌日、すなわち昨日と、それから今日は、ゴーさんとマラウィ大使館にビザをとりに行った。マラウィ大使館は月水金しかビザ発行をしてなくて、昨日は木曜だったから今日出直したんだけど、今日また鉄の門をたたいて門番に、
「ビザとりに来たよ」
 って言ったら、今日はマラウィのホリデーだからダメだといわれた。昨日来たとき、
「じゃあまた明日出なおすね」
 って言ったんだから、そんときに教えてくれてもよさそうなものだけどなあ。ビザはタンザニアのダルエスサラームでも取れるし、あまり悪い噂ばかり聞いててナイロビで来週まで時間をつぶす気になれないので、タンザニアでとることに決定した。宿にもどってからゴーさんとインターネットカフェに行った。

 インターネットカフェではモザンビークの洪水情報を少し調べた。あちこちからメールが来ていて、モザンビークが洪水だから、頼むから、気をつけてね、事前に調べてねって書いてあったので。そういう調べものしても私は30分でおわったので私はゴーさんと別れて先に宿に向かった。イクバルの手前の角でソーセージロールを食べ、甘くて辛いジュースをのんだ。ちょっと離れた席に大きい東洋人の男性がいて、日本人だろうなぁと思ったけれど背中を向けていたから話しかけなかった。

 部屋で、イクバルの蔵書のゴルゴ13とか、ガイドブックを読みながらごろごろしていた。エジプトのハルガダにいたときからどうもゴルゴにははまってしまっていけない。ゴルゴは世界をマタにかけた殺し屋なので、ときどき通ってきた街とかが描かれていてつい夢中になってしまうんだ。

 夜になってごはん食べにいこうとしたらゴーさんが、お昼に見かけた男性としゃべっていた。紹介してもらったら、なんとそのひとは、旅行人の富永さんだった。富永さんといえば、旅行者の間ではちょっと有名な、月刊「旅行人」に地図書いてるひとだ。ちょっと話して、立ち話もなんだからっていうんで、ホテルからちょっと離れたレストランにご一緒させてもらった。

 実は富永さんは私がネパールのカトマンズに居た頃にもニアミスしてて、
「いま旅行人の富永さんが来てるらしいよ」
「オレ会った」
「俺も見た」
 って噂を聞いてたけどついに会うことができなかったひとだった。私でも名前を知ってる有名な地図の会社に勤めていたけど、あるとき旅の世界に身を投じ、あちこちの情報ノートに地図を書いていたら、ひとづてに知り合った旅行人の蔵前仁一さん(バックパッカーの間では「深夜特急」と並んで定番の「ゴーゴー・インド」を書いたひと)から依頼されて、旅行人に地図を書くことになったんだそうだ。

バッファロー。背中に
トリが載ってるとこに注目。

 「ほんとは僕だっていい地図があってそれを見て歩けるならそのほうがいいんだけど、いい地図がないから、しょうがないんで自分でつくってんですよ」
 と富永さんは言った。富永さんは84年に26才で旅をはじめたというからいま年齢は40ちょいってとこだろうか。旅にはいつも高度計と方位磁石を欠かさず、どんなつらい移動のときも高度計とにらめっこして、乗客の誰もがうんざりしてるときに「おっいま高度2000mを越えそうだ」とひとりで興奮したりして楽しむことができるんだという。旅行人の関係者誰もがメールアドレス持った今もインターネットとは無縁。とても不器用そうな、実直そうなひとだった。

 私がカトマンズにいた頃聞いたうわさのひとつに、この富永さんが「『地球の歩き方』にひっぱられてる」というものがあった。旅行人でのサラリーはあまりよくないけど「地球の歩き方」ならその点は心配ない。たしかに地球の歩き方は、辺鄙なとこに行けば行くほど地図がいいかげんという定評があるから、富永さんみたいに情熱かけて、好きで地図つくってるようなひとをひっぱりこめたら当面こわいものなしって気がしないでもない。

 私は不躾ながらその噂の真偽について聞いてみた。それは、本当だけど、と富永さんは言った。
「ホントだけど、断ったんですよね。旅行人では私にあそこ行けとかどこ行けとかそういう指図はまったくしないんですよ。だから僕は、行きたいところ行って、書きたいところの地図を書いて、それを載せてもらってるだけ。もし『地球の歩き方』に行っちゃったら、お金はいいかもしれないけど、あっち行けとかこっち行けとか言われて自分主体で旅ができなくなっちゃうかもしれないでしょう」
 富永さんは、あくまで自分のスタイルで、自分の速度で旅をすることにこだわりつづけ、あえてその申し出を拒否したのだそうだ。でも旅行人での収入は、いまの旅の生活には十分じゃなく、実際には働いてた頃の貯金をじわじわと食いつぶしながら旅を続けているから、いまの生活を続けられるのも時間の問題じゃないかって思っているみたいだった。

「もし今みたいな地図を書きながら年収150万ぐらいもらえたら、いまみたいに旅をしてあちこち行ってもじゅうぶんに暮らせるから、それだったらずっと続けてもいいなぁと思っちゃうんですけどねぇ」
 と富永さんは繰り返し言った。富永さんは旅のそらに永住したいのだなあと思った。それぐらい旅を愛してるのだ。ほんとに不器用そうなひとで、日本では間違いなく生きていけなそうな(ごめんなさい!)少なくとも日本にずっといて日々の生活を楽しんで送ることはできなそうなひとだったから、こういう生き方を見つけられてよかったなあと思う反面、まったく大きなお世話だけど、ほんとに貯金が尽きちゃったらどうなっちゃうんだろうと心配にもなった。

 最後にちょっと部屋にお邪魔して、富永さんが描いた、アフリカのとある町の地図と、ロンリープラネットの地図や、「地球の歩き方」の地図を見比べさせてもらった。私はそれらの町に行ったことがないから、地図を見ただけで富永さんのが正しいなんて結論は出せないわけだけど、少なくとも富永さんがどれだけいい地図をつくることにこだわってるか、その町に対する愛着のすべてをそそいで地図を描いてるかってことがわかる下書きだった。
左から富永さん、私、ゴーさん

 私はミーハー根性だして、富永さんの地図が一個も載ってないにもかかわらず前バージョンの「旅行人ノート・アフリカ編」にサインしてもらったんだけど、そのサインていうのが、まるで自分の持ち物に書くような楷書体の名前と日付だけだったから、富永さんがほんとただひたすら実直な、「職人」なんだってことが裏付けされたように思えた。

 地図と、旅か。
 富永さんと会って、私はどうだろう、と考えた。私は、もちろんじゅうぶんな蓄えがないから、帰らなきゃいけないに決まってるけど、もしなんかの方法で自分がやっててめちゃくちゃ楽しいことして少しだけ稼いで、1年の大半を旅して過ごし、その生活をずっと続けるという選択肢があったとしたら私は旅を続けるだろうか。そう考えたとき、私はそうはならないだろう、そうはしたくないだろうと思った。
 いつか帰りたい。友達や家族の待つ、便利で清潔で快適で高くて忙しい日本。そのイメージをはっきりと思い描いたわけではないし、これから下るアフリカに恐れをなしたわけではないけれど、私は旅の生活を生きたいのではなく、旅を生活に生かしたいのだ、と思った。私の帰るところは旅ではなく日本だ、私は帰りたい、なぜかそう、強く思ったのだった。

 タンザニアに向かい出発する、前の晩のことだった。