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ムズズへの遠い道のり
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私は学生ではないのでこんなことで文句いってはいけないんだけど、ここの学割の手続きは途方もなく不便だ。タンザニアとザンビアを繋ぐ通称タザラ鉄道の駅はダルエスサラームの街なかから数キロはなれた、しかし数キロにもかかわらずバスで行くと30分から1時間ちかくかかる場所にある。そこの駅にいって国際学生証を見せると駅員が、
結局町の中心から歩いて20分ほどの教育省についたのは3時頃だったけど、この国ではお役所というのはけた外れに閉まるのが早いもので、もう大半の職員は机をかたづけて帰宅したあとだった。明日出なおしか〜?と途方にくれていたら幸い忘れ物をとりにきた職員がいたので、私たちはその場でハンコをもらうことができ、しかしながら右往左往してあまりの疲労していたのでもういちど駅まで向かう気になれず、その日の行動はそこまでにすることにした。
翌朝チケットを買い、さらに翌日、私たちはタザラ駅を出発した。タザラ鉄道は午後になって自然の非常によく残ってる地域を通った。同じコンパートメントにいたイギリス人夫妻は前にもここを通る列車に乗ったことがあったらしい。彼らが「そろそろだよ」と言ってから間もなく周辺にシマウマやガゼル、キリンが見え始めたので、これがずいぶんお買い得なサファリ列車だということに気づいた。夫妻によれば、雨季に入る前は鉄道周辺の水溜り目当てでいろいろな動物が集まっていたので象やバッファローも見られたという。いずれにしてもバンコクでたった200円かそこらでつくった偽学生証で電車代を$10もまけてもらったうえサファリのなかを通ってくれるのだからこんなお得なことはない。ケニアやタンザニアでサファリツアーに行けないぐらい貧乏旅行のひとには、乾季にタザラ鉄道をぜひオススメしたい。
![]() タザラの車窓から
列車は鈍行で辺鄙な駅にしばしば停まった。駅がないとこで停まってると思えば上り車両との待ち合わせだったりする。とどめに深夜から早朝にかけてとんでもなく長い間停まりつづけ、どうやらエンジンかなにかにトラブルがあったらしいという噂が流れた。車内放送などというものはいちいちないので誰かが誰かからきいたことを伝言してるだけだから、正確なところはわからなかった。24時間でつくはずの列車は結局30時間弱でムベヤにつき、すでに出発翌日の夕方になっていた。
疲れがたまらないようムベヤには結局2泊し、その翌日はマラウィに向け出発した。1時間ぎゅうぎゅうづめのミニバスで走ってトゥクユで乗り換え、マラウィ国境には10時頃ついただろうか。すぐに両替やがたくさん集まってきたので$10ぐらい両替し、2ドルぶんばかし残ったタンザニアの紙幣をマラウィクワッチャに両替した。タンザニアの紙幣はどれもキリンがついててかわいかったんだけど、貧乏性が嵩じて紙幣を一枚残らず両替してしまい、あとでシマッタと思った。
バスに乗るときに客引きかなんかにさりげなく胸とおしりをなでられて不愉快な思いをした。さらに裸足にぼろをまとったよっぱらいにお金をせがまれたりもした。マラウィって思ったよりも不愉快なところかもしれないぞと思う。しばらく待たされ、バスは乗客がいっぱいになってから出発し、出発してからもさらに何度か客を乗せた。1時間くらいでカロンガにつき、私たちはそこでおろされた。
カロンガからの公営バスは朝8時だけってことだったので、私営のミニバスを待つあいだ、バス停の外の店で串焼き肉4本と焼きバナナを合計20クワッチャ(44円くらい)で食べた。肉はカタかったけど牛肉らしい風味がしておいしかった。アゴと歯ぐきが丈夫になりそうだ。 焼きバナナは、青いバナナの皮を剥くのじゃなく裂いて中身をとりだし炭火でしばらく焼いたもので甘味もなく、味のわるいサツマイモみたいなかんじ。
私が食べてるあいだじゅう、バスにいい席を用意してあげるからとか、もしバスが来なかったらうまいレストランに連れて行くからとかいって客引き少年がつきまとってきた。私たちが彼になにもたのまないとわかると最後に、
ごはんを食べ終わる頃ミニバスが来た。車内がめちゃくちゃ暑いのにガマンして乗りこみ、ほかの客でうまるのを待っていたら、なんか突然車から下ろされて、
このあたりまで私たちは、なんとか今日じゅうにンカタベイに行けるものなら行きたいと思っていたけど、バスが走り出す頃にはすっかりあきらめてムズズまでにしようと決心した。
ところがそのムズズまでも、たやすくはなかった。私たちが「爆撃舗装」と名づけた、このマラウィ北部の路面状況っていうのはすこぶる悪くて、舗装してある部分は穴だらけなので、舗装がない路肩を走ったほうが速いぐらいなんだ。バスはおそらく時速20キロを越えることはほとんどなく、ぼんぼんはねるたびに浅い席に腰掛けたおしりがいたんだ。
さて1時に出発して走ること4時間。ようやく日差しがやわらいだ頃、バスのエンジンはとまってしまった。それから1時間ずっとずっと修理についやし、途中追い越していったバスに乗り換えていったひともいた。修理の甲斐あってやっと動き出してからも、バスはときどき理由もなくとまった。
そしてとどめに9時頃、バスは暗い村に停まった。どうやら検問のようだった。運転手がどっかいってしまい、ヨーロピアンのふたりと私とゴーさんは車のなかで待ちつづけた。そのうち運転手がもどってきたのでヨーロピアンの女の子たちが、
ゴーさんはマラリア蚊に用心して暑いバスのなかで息を殺していたけど、私は退屈してまわりでうろうろしていた。そしたら地元のひとに、
それからしばらくすると運転手がやっと後続のバスをみつけてきてくれた。どうやらこのワゴンはムズズになにか届け物に行くかなんかで、ほんとなら客を乗せたりしないんだけど、運転手の小遣い稼ぎのため安全そうなツーリストだけ乗せてやろうって言ってひきうけてくれたらしい。後続の運転手へのひきつぎと支払いは前の運転手がちゃんとしてくれた。
乗ってみると、この車は中古でこの国にきたものではなさそうだった。内装は見えないけどすべてがつるっとしていて天井にも傷やはげおちたところがない。この国で新車をみかけるのはきわめて珍しいことだ。バスには大概日本語が書いてあってあからさまに日本の中古とわかるものがかなりの数を占めてたから。
車を乗り換えたとたん、突然運がひらけたように、道が上り下り車線のある、穴もあいてない舗装道路になった。車は音もなく、つまり、車体のきしみやエンジンの張り裂けるような叫び、タイヤが砂利をはじく音などもなく、スムーズに走りつづけた。ヨーロッパ人の女の子たちは後部座席にすわっていた。その後ろの荷物置き場には数本のタイヤが置かれていて、そこに投げ込んだ荷物のあいだにうずもれて私とゴーさんがすわり、私はそのうち居心地のいい場所をみつけて少し眠った。
ヨーロッパ人と思っていた女の子たちはまもなくイスラエル人と判明した。年齢は23,4ぐらいで、大学を出たところで、どちらも国際関係かなんかを勉強してたらしい。助手席の男が、
イスラエルに行ったときのイスラエル人の印象についてあまり書かなかったからついでにここに書いておこう。
で、イスラエルに行ってみて、彼らと喋りもしなかったけどその疑問は解けたといってもいいと思う。ユダヤ人差別がどうして起こったのかと、私はながらく不思議に思っていたんだけど、それは逆で、彼らが先に差別してるのだ。彼らは異教徒と喋ったり交流したがらない。よくいえば高潔、悪くいえば尊大ってとこか。
私の日記のなかで、ノアもユダヤ人だったと書いたのを覚えてるひとがいるかもしれないけど、少なくともノアは自分は敬虔なユダヤ教徒ではないと言っていた。ユダヤ教は選民思想に基づくものだから、敬虔であるほど異教徒には差別的になるのだというのはあとから誰かから聞いたはなしだ。
そういえばカイロのスルタンホテルで受付係のひとりのイブラヒムが、
イスラエル人「だから」とかユダヤ人「だから」ってわけじゃないけど、少なくとも威張った旅行者とはつきあいにくい。イスラエル人旅行者に対して「なんでこんなにいばってるんだ?」って不愉快に思ったことが何度かあるから、ヘブライ語が聞こえたら、ちょっと用心してしまうのは事実だ。そういうつきあい方がユダヤの教えどおりならしょうがないけど、少なくともアンネの日記を読んで「理由なく虐げられたかわいそうなひとたち」という見方をしていたらそれも違うな、ということをイスラエルにいる間に思ったのだった。もちろん、だからといって虐殺していいことにはならないけど。
でもまあ、愚痴はこのくらいにしておこう。あと数年してノアが日本に来て勉強したら、この日記も彼の読むところとなるだろう。そんときユダヤ人についてあんまりコテンコテンに書いてると、いくら敬虔じゃないったって、彼が気を悪くするといけないし。
10時半に車はムズズについた。運転手は親切にも私たちをゲストハウスにつれてきてくれた。キリスト教団体の経営するゲストハウスだ。蚊がいたのでゴーさんが蚊取り線香を2本たてた。シャワールームはとても、きたないっていうか荒削りっていうかみすぼらしく、蚊がうようよいてその気になれなかったので、タオルをぬらして軽く体を拭いただけで寝ることにした。明日はンカタベイに着けるだろうか。
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