ムズズへの遠い道のり
 
 ザンジバルに3日ほどいて、私とゴーさんはふたたび船で本土にもどり、列車でマラウィ方面に向かうことにした。列車が走っているのは国境に近いムベヤという町までで、そこまででも24時間ほどかかる。私たちは寝台車に乗ることにした。
ダルエス港の朝焼け

 私は学生ではないのでこんなことで文句いってはいけないんだけど、ここの学割の手続きは途方もなく不便だ。タンザニアとザンビアを繋ぐ通称タザラ鉄道の駅はダルエスサラームの街なかから数キロはなれた、しかし数キロにもかかわらずバスで行くと30分から1時間ちかくかかる場所にある。そこの駅にいって国際学生証を見せると駅員が、
「じゃこれを教育省に行ってハンコもらってきて」
といってぴらっとした印刷物を出してきた。その紙を持ってまた1時間かけて市内にもどるでしょ、教育省なるものの場所を探すのにまずツーリストインフォメーションを探すでしょ、でもそれが私たちの持ってるどの地図の場所ともちがって全然みつからないでしょ。それで捜索は難航し、最終的にインフォメーションで教育省の場所をきくまでに出発からだいたい5時間くらい経ってしまった。

 結局町の中心から歩いて20分ほどの教育省についたのは3時頃だったけど、この国ではお役所というのはけた外れに閉まるのが早いもので、もう大半の職員は机をかたづけて帰宅したあとだった。明日出なおしか〜?と途方にくれていたら幸い忘れ物をとりにきた職員がいたので、私たちはその場でハンコをもらうことができ、しかしながら右往左往してあまりの疲労していたのでもういちど駅まで向かう気になれず、その日の行動はそこまでにすることにした。


駅の待合室にいた奥様がた
 インドにいるときに「今日の目標は銀行にいって両替をすること」と誰かが言ったのを聞いて「一日の目標がたったそれだけ!」と驚いたことがあったけど、ここじゃ列車のチケットとるのに2日がかりだ。まあここの場合、のんびりしてるということよりも、手続きがまわりくどいということがが大きな原因だけど。いずれにしても、とかく旅は根気がいることが多い。

 翌朝チケットを買い、さらに翌日、私たちはタザラ駅を出発した。タザラ鉄道は午後になって自然の非常によく残ってる地域を通った。同じコンパートメントにいたイギリス人夫妻は前にもここを通る列車に乗ったことがあったらしい。彼らが「そろそろだよ」と言ってから間もなく周辺にシマウマやガゼル、キリンが見え始めたので、これがずいぶんお買い得なサファリ列車だということに気づいた。夫妻によれば、雨季に入る前は鉄道周辺の水溜り目当てでいろいろな動物が集まっていたので象やバッファローも見られたという。いずれにしてもバンコクでたった200円かそこらでつくった偽学生証で電車代を$10もまけてもらったうえサファリのなかを通ってくれるのだからこんなお得なことはない。ケニアやタンザニアでサファリツアーに行けないぐらい貧乏旅行のひとには、乾季にタザラ鉄道をぜひオススメしたい。


タザラの車窓から

 列車は鈍行で辺鄙な駅にしばしば停まった。駅がないとこで停まってると思えば上り車両との待ち合わせだったりする。とどめに深夜から早朝にかけてとんでもなく長い間停まりつづけ、どうやらエンジンかなにかにトラブルがあったらしいという噂が流れた。車内放送などというものはいちいちないので誰かが誰かからきいたことを伝言してるだけだから、正確なところはわからなかった。24時間でつくはずの列車は結局30時間弱でムベヤにつき、すでに出発翌日の夕方になっていた。

 疲れがたまらないようムベヤには結局2泊し、その翌日はマラウィに向け出発した。1時間ぎゅうぎゅうづめのミニバスで走ってトゥクユで乗り換え、マラウィ国境には10時頃ついただろうか。すぐに両替やがたくさん集まってきたので$10ぐらい両替し、2ドルぶんばかし残ったタンザニアの紙幣をマラウィクワッチャに両替した。タンザニアの紙幣はどれもキリンがついててかわいかったんだけど、貧乏性が嵩じて紙幣を一枚残らず両替してしまい、あとでシマッタと思った。


国境のイミグレ小屋
 タンザニアの出国手続きの建物は木こりが住んでいそうな小さな小屋だった。国境の川をわたり、マラウィの入国手続きをすませると時差の関係で時間は1時間もどり、朝の9時半になった。そこから客引きにひっぱられてマーケットの裏手でカロンガいきのミニバスに乗った。ヨーロッパ人らしい女の子2人も乗ってきた。

 バスに乗るときに客引きかなんかにさりげなく胸とおしりをなでられて不愉快な思いをした。さらに裸足にぼろをまとったよっぱらいにお金をせがまれたりもした。マラウィって思ったよりも不愉快なところかもしれないぞと思う。しばらく待たされ、バスは乗客がいっぱいになってから出発し、出発してからもさらに何度か客を乗せた。1時間くらいでカロンガにつき、私たちはそこでおろされた。

 カロンガからの公営バスは朝8時だけってことだったので、私営のミニバスを待つあいだ、バス停の外の店で串焼き肉4本と焼きバナナを合計20クワッチャ(44円くらい)で食べた。肉はカタかったけど牛肉らしい風味がしておいしかった。アゴと歯ぐきが丈夫になりそうだ。 焼きバナナは、青いバナナの皮を剥くのじゃなく裂いて中身をとりだし炭火でしばらく焼いたもので甘味もなく、味のわるいサツマイモみたいなかんじ。

 私が食べてるあいだじゅう、バスにいい席を用意してあげるからとか、もしバスが来なかったらうまいレストランに連れて行くからとかいって客引き少年がつきまとってきた。私たちが彼になにもたのまないとわかると最後に、
「お願いがあるんだ。お金くれないか。おなかがすいてるんだよ。25クワッチャでじゅうぶんだから」
 とせがまれた。『私が20クワッチャのメシくってるときに25でじゅうぶんとはよく言った』と思いながらことわった。

 ごはんを食べ終わる頃ミニバスが来た。車内がめちゃくちゃ暑いのにガマンして乗りこみ、ほかの客でうまるのを待っていたら、なんか突然車から下ろされて、
「この車はディーゼルなんだけどこの近くの店が軽油を扱ってないんで今日は走らない」
 って言われた。おいおいと思いつつまた汗をだーらだらかきながら30分ばかし待っていたら、走らないはずのディーゼル車はガスもいれないでなぜか突然また客を集めはじめた。

 このあたりまで私たちは、なんとか今日じゅうにンカタベイに行けるものなら行きたいと思っていたけど、バスが走り出す頃にはすっかりあきらめてムズズまでにしようと決心した。

 ところがそのムズズまでも、たやすくはなかった。私たちが「爆撃舗装」と名づけた、このマラウィ北部の路面状況っていうのはすこぶる悪くて、舗装してある部分は穴だらけなので、舗装がない路肩を走ったほうが速いぐらいなんだ。バスはおそらく時速20キロを越えることはほとんどなく、ぼんぼんはねるたびに浅い席に腰掛けたおしりがいたんだ。

 それにしてもマラウィのあかんぼは辛抱強い。カロンガから同じバスに乗ってきた若い奥さんと上半身ハダカの赤ちゃんがいて、この赤ちゃんが、どんなに暑くてもどんなに車がはねても文句ひとつ言うでもなくぐずるでもなく、天井にあたまぶつけられても泣くでもない。この赤ちゃんを見てたら、『もしかしたらここらへんのひとはこういう道でもバスでも苦痛に思わないのかもしれないぞ』と錯覚するぐらいだった。日本育ちの自分がどれだけヤワかってことを痛感せずにいられなかった。
タンザニア・マラウィ国境の川

 さて1時に出発して走ること4時間。ようやく日差しがやわらいだ頃、バスのエンジンはとまってしまった。それから1時間ずっとずっと修理についやし、途中追い越していったバスに乗り換えていったひともいた。修理の甲斐あってやっと動き出してからも、バスはときどき理由もなくとまった。

 そしてとどめに9時頃、バスは暗い村に停まった。どうやら検問のようだった。運転手がどっかいってしまい、ヨーロピアンのふたりと私とゴーさんは車のなかで待ちつづけた。そのうち運転手がもどってきたのでヨーロピアンの女の子たちが、
「私たちここに泊まるわけ?」
 ってきくと、
「いや、いま替わりのバスを探してるから」
 といわれた。女の子が
「いまどのあたり?」
 ってきいたら、運転手は、
「いまカロンガから100kmぐらいのとこだから、まだあとムズズまで100から130kmぐらいある」
 って運転手が言った。8時間も走ってきといて100kmしか来てないの!!いままでの移動のなかでも、それって最遅記録だ。このバスは最終的にモザンビークの手前、マラウィの最も南に位置するブランタイヤまで行くらしいので、ほんとに今日はここで泊まるのかもしれなかった。だってその調子で走りつづけたって、ムズズまで朝までかかるってことだよ。でもとにかくバスの運転手は私たちツーリストにだけは引継ぎのバスを探してくれるみたいだった。

 ゴーさんはマラリア蚊に用心して暑いバスのなかで息を殺していたけど、私は退屈してまわりでうろうろしていた。そしたら地元のひとに、
「よう元気か?」
って声かけられた。近くにいたヨーロッパ人らしき女の子は返事もしないでそそくさと車にもどった。私はその態度が気に入らなくてつい意地をはってしまい、
「OKだよ I'm OK.
って言ってしまったんだけど、そしたら男は、
「OKとはなんだ」
って言った。なんか怒らせた感じか?暗くてよくわからないけど手になんか持ってる。やばい、返事しないで逃げたほうがよかったかも、と思いつつ、
「私は元気だけど、バスが動かないから、よくもわるくもないんでOKなんだよ」
 っていったら、
「ああそういうことか」
 って男は言った。よく見たら手にもってるものはこわれたビーサンだ。別に追いはぎとかじゃなかった。男は、
「それじゃいい旅をな」
 といって去っていった。
 ああ緊張した。彼らの黒い肌は闇夜に沈みやすいけど、そういうなかで白目と歯だけはひときわ白いんで、ときどき彼らは暗闇に笑顔だけで浮いてることがある。それが、慣れない私の目にはひどくおそろしく見えて、いらない緊張をしたりもするのだった。

 それからしばらくすると運転手がやっと後続のバスをみつけてきてくれた。どうやらこのワゴンはムズズになにか届け物に行くかなんかで、ほんとなら客を乗せたりしないんだけど、運転手の小遣い稼ぎのため安全そうなツーリストだけ乗せてやろうって言ってひきうけてくれたらしい。後続の運転手へのひきつぎと支払いは前の運転手がちゃんとしてくれた。

 乗ってみると、この車は中古でこの国にきたものではなさそうだった。内装は見えないけどすべてがつるっとしていて天井にも傷やはげおちたところがない。この国で新車をみかけるのはきわめて珍しいことだ。バスには大概日本語が書いてあってあからさまに日本の中古とわかるものがかなりの数を占めてたから。

 車を乗り換えたとたん、突然運がひらけたように、道が上り下り車線のある、穴もあいてない舗装道路になった。車は音もなく、つまり、車体のきしみやエンジンの張り裂けるような叫び、タイヤが砂利をはじく音などもなく、スムーズに走りつづけた。ヨーロッパ人の女の子たちは後部座席にすわっていた。その後ろの荷物置き場には数本のタイヤが置かれていて、そこに投げ込んだ荷物のあいだにうずもれて私とゴーさんがすわり、私はそのうち居心地のいい場所をみつけて少し眠った。

 ヨーロッパ人と思っていた女の子たちはまもなくイスラエル人と判明した。年齢は23,4ぐらいで、大学を出たところで、どちらも国際関係かなんかを勉強してたらしい。助手席の男が、
「なるほどなあ、だから外国旅行してんのかあ」
と言ったら、彼女たちのひとりがぶっきらぼうに、
「旅行したいからしてるのよ」
って答えた。そんな言い方ないだろ、だから嫌われるんだよイスラエル人、と思った。別に気にしないんだろうけどさ。

 イスラエルに行ったときのイスラエル人の印象についてあまり書かなかったからついでにここに書いておこう。
 イスラエルに行こうかどうしようか迷っていたとき、私がどうしても見てみたかったのはイスラエルの歴史でも遺跡でもなく「ひと」だった。というのも、それまで旅してきた国々、特にアジアの国々ではイスラエル人はとびきり嫌われていて、どうしてそこまで彼らがケムたがられるのか、彼らと会って喋ってみなきゃならんという気がしていたからだった。

 で、イスラエルに行ってみて、彼らと喋りもしなかったけどその疑問は解けたといってもいいと思う。ユダヤ人差別がどうして起こったのかと、私はながらく不思議に思っていたんだけど、それは逆で、彼らが先に差別してるのだ。彼らは異教徒と喋ったり交流したがらない。よくいえば高潔、悪くいえば尊大ってとこか。

 私の日記のなかで、ノアもユダヤ人だったと書いたのを覚えてるひとがいるかもしれないけど、少なくともノアは自分は敬虔なユダヤ教徒ではないと言っていた。ユダヤ教は選民思想に基づくものだから、敬虔であるほど異教徒には差別的になるのだというのはあとから誰かから聞いたはなしだ。

 そういえばカイロのスルタンホテルで受付係のひとりのイブラヒムが、
「あいつらはおかしい、あいつらはイスラム教徒を毛嫌いしてバカにしてるくせにイスラムの国に旅行に来て、どうして来るんだって聞けば『物価が安いから』っていうだろ。オレだったら嫌いなやつがいるとこに行かない。あいつらは嫌いなやつの家にわざわざ遊びにいって『だってごはんたべさせてくれるから』っていうんだ。プライドがないんだ」
って言ったのはたしかにスジが通っている、と私は思う。

 イスラエル人「だから」とかユダヤ人「だから」ってわけじゃないけど、少なくとも威張った旅行者とはつきあいにくい。イスラエル人旅行者に対して「なんでこんなにいばってるんだ?」って不愉快に思ったことが何度かあるから、ヘブライ語が聞こえたら、ちょっと用心してしまうのは事実だ。そういうつきあい方がユダヤの教えどおりならしょうがないけど、少なくともアンネの日記を読んで「理由なく虐げられたかわいそうなひとたち」という見方をしていたらそれも違うな、ということをイスラエルにいる間に思ったのだった。もちろん、だからといって虐殺していいことにはならないけど。

 でもまあ、愚痴はこのくらいにしておこう。あと数年してノアが日本に来て勉強したら、この日記も彼の読むところとなるだろう。そんときユダヤ人についてあんまりコテンコテンに書いてると、いくら敬虔じゃないったって、彼が気を悪くするといけないし。

 10時半に車はムズズについた。運転手は親切にも私たちをゲストハウスにつれてきてくれた。キリスト教団体の経営するゲストハウスだ。蚊がいたのでゴーさんが蚊取り線香を2本たてた。シャワールームはとても、きたないっていうか荒削りっていうかみすぼらしく、蚊がうようよいてその気になれなかったので、タオルをぬらして軽く体を拭いただけで寝ることにした。明日はンカタベイに着けるだろうか。